⛩38)─2・A─本当は残酷な『古事記』。母神を焼き殺した火の神。〜No.84    

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 2024年2月19日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「本当は残酷な『古事記』 母を焼き殺した「火の神・カグツチ」の悲運とは
 軻遇突智に殺された伊弉冉尊の葬地とされる花窟神社三重県熊野市有馬町)の岩陰 写真/藤井勝彦
■夫婦二柱の淫靡な会話
 『記紀』の記述は、時としてエロチックである。その最たるものが、国生み神話に登場する。まず、神代七代の最後に生まれた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)のやりとりが際どい。二柱が淤能碁呂島(おのごろじま)に降り立ち、夫婦の契りを結ぼうとしたその時の会話である。
 「なりなりて合わざるところ」(欠けて充分でないところ)があるという伊奘冉尊に対して、「なりなりて余るところ」(余分と思われるところ)があるという伊弉諾尊。ならば、「私の余分と思われるところを、お前の身体の欠けているところに差し入れてはどうか?」と、伊弉諾尊が、雅ながらも実に淫靡な提案をするのである。
 ともあれ、その甲斐あって大八洲(日本の国土)を生み、さらに「天下の主者」となるべき神々をも生んだその最後、伊奘冉尊が火の神・軻遇突智(かぐつち)を生んだところで、ほと、つまり陰部を焼かれて死んでしまうのである。図らずも母を殺してしまった軻遇突智。鬼子として忌避されたことはいうまでもない。
■子が母を、父が子を殺す悲運
 ただ、その後、父・伊弉諾尊が怒りの感情をむき出しにしてしまったことは仕方ないとしても、手にした十拳剣で子の首を切り放ってしまったことはやり過ぎであった。母を殺す子、子を殺す父。何とも、不憫である。ここではその子・軻遇突智を鬼とまで称したが、子自身に、本来、罪はない。炎が自身の特性である以上、母の死は不可抗力だからである。
 それでも、子は殺された。その後も、おぞましい光景が続く。『古事記』によれば、軻遇突智を切った剣に付いた血が、累々と横たわる石の上にほとばしり流れたという。『日本書紀』には、このしたたる血が、「天の安河のほとりにある沢山の岩群となった」とある。となれば、天の安河の伝承地とされる宮崎県高千穂町の天岩戸(あまのいわと)神社近くにある洞窟(仰慕窟/ぎょうぼがいわや)内に積み上げられた黒い小石の数々こそが、その血そのものということになるが、本当か?
 さらに、伊奘冉尊が死の間際に垂らした大便から生まれたという埴山姫(はにやまひめ)を、あろうことか軻遇突智が娶(めと)って、稚産霊(わくむすび)を生んだという。おぞましさもここまでくると、感性までもが麻痺してしまいそうである。この稚産霊とは、『古事記』では伊奘冉尊の糞から生まれたという和久産巣日(わくむすび)神のことで、頭上に桑と蚕が、臍(へそ)の中に五穀が生じたとする。その神が、豊宇気毘売(とようけびめ)神という、これまた食を司る神を生んだ。伊勢神宮外宮で祀られている、あの豊受比売(とようけびめ)神のことである。
■破壊と生成の力を併せ持つ神
 ここまで見てきておわかりのように、軻遇突智とは母を焼き殺した「破壊の神」であると同時に、桑や蚕、五穀などの食物などを生み出す「生産の神」でもあった。つまりあらゆるものを焼き尽くす「破壊」的な力と、作物を生み出す「生成」の力をも併せ持っていたということになる。
 火の「破壊」力で作物を「生成」するとなれば、思いつくのが焼畑農業である。『記紀』が記された奈良時代から遥か時代が遡った縄文時代、この頃すでに作物の栽培が行われていたことが確認されているが、その時の農法こそが焼畑によるものだったのではないか? つまり、『記紀』は、縄文時代の記憶をも記録していた可能性が高いのである。
 また、前述の軻遇突智の血が滴り落ちて生まれた小石が、実は経津主神(ふつぬしのかみ)の先祖であるとした『日本書紀』の記述も気になるところ。剣のつばから滴る血が注いで神となったのが甕速日神(みかはやひのかみ)こと武甕槌神(たけみかづちのかみ)の先祖であるとも。
 この経津主神武甕槌神両神は、ともに、葦原中国平定のために地上へと派遣されてきた軍神である。なれば、軻遇突智は「破壊」と「生成」に加えて、「軍神」としての性格まで内包していたことになる。鬼と恐れられながらも、実は豊かな神性を併せ持つ神だったのである。
軻遇突智墓所はどこ?
 ちなみに、軻遇突智が生まれたのは、三重県熊野市有馬町にある産田(うぶた)神社であるというのが、一般的な見方である。近くにある花窟神社にそびえる巨岩が伊奘冉尊の陵墓であるといわれるとともに、その対面の拝所が、軻遇突智墓所とみられている。ただし、産田神社こそが軻遇突智墓所であるとの説も。また、『古事記』の記述に従えば、伊奘冉尊の陵墓は、出雲国伯耆国(ほうきのくに)の国境にそびえる比婆山(ひばやま)となる。いずれにしても、真偽を確かめることは、もはや不可能というべきか?
 なお、『鬼滅の刃』では、鬼殺隊の一員である煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)が、炎の呼吸を駆使する炎柱として知られる。炎を発しながら攻撃するその激しさは、軻遇突智に秘められた「破壊」と「軍神」としての力を彷彿とさせるものがありそうだ。
 藤井勝彦
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