💖11)─1─稲塚権次郎の小麦農林10号が、飢餓に苦しむ中国人はおろか人類を救った。〜No.50No.51No.52  

日本とシオンの民 戦前編

日本とシオンの民 戦前編

  • 作者:栗山 正博
  • 出版社/メーカー: 創英社
  • 発売日: 2007/08/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日の丸・日章旗「小麦」。
 軍隊旗・旭日旗「コムギ」
   ・   ・   ・   
 アジアの近代化、アジアの女性解放、アジアの飢餓と疫病及び不衛生撲滅は、全て日本から始まった。
   ・   ・   ・   
 戦前の日本が行った人道貢献を認めず否定する現代日本人が少なからず存在する。
 彼らは、中国・韓国・北朝鮮・ロシアの意向に従い、戦前の日本は暗黒で、日本軍部・日本陸軍は犯罪者で、戦前の日本人は悪人であったと、歴史教育で子供達に教え洗脳している。
 つまり、自分たちは絶対善とし、戦前の日本人は絶対悪であると。
 戦前の日本人は、柔軟に、必要悪を信じていた。
 旭日旗は、必要悪であって絶対悪でなかった。
 日本を取り巻いているのは、不寛容・差別の日本人極悪非道原理主義である。
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 日本が開発した小麦農林10号(ノーリン・テン)と蓬莱米は、日本人農業指導員らの努力で日本軍支配地域と親日派知日派中華民国領内で栽培され、最低限の食糧が確保され、餓える事があっても餓死者は出なかった。
 日本軍部・日本陸軍は、華北支配地域で治安を回復する為に協力した。
 日本軍支配地域と親日派知日派中華民国以外の、中国共産党政権と抗日派中華民国の支配地域は慢性的な食糧不足状態が続き数多くの餓死者を出す生き地獄と化していた。
 日本軍支配地域で日本人が食糧増産の指導をしてくれるとあって、中国人は日本軍を大歓迎した。
 それは、南京などの揚子江流域でも同様であった。
 日本陸軍鉄道連隊などの工兵隊は、華北の大改造を行い、飢饉と疫病に苦しみ中国人住民を助けた。
 中国共産党軍ゲリラや抗日中国軍工作員らは、日本軍を妨害し破壊と殺害を繰り返していた。
 そして、昭和17年に抗日派中華民国支配地域の河南省で餓死者約500万人が飢餓民約1,000万人の大飢饉が発生した。
 河南省の崩壊は、黄河下流の北京・天津など華北地域をのみ込み、その深刻な影響は満州や朝鮮に及ぶ危険性があった。
   ・   ・   ・       
 2019年1月号 WiLL「問答無用の蛮行 残る人質を返せ!
 中国に拘束された日本人の数はどこの国よりも多い。 
 新しい拉致事件と言えないか
 高山正之 矢板明夫
 昔から変わらない中国
 ……
 高山 気になる話題と言えば、北大法学部の岩谷將教授が中国で拘束されたことだ。結局、解放され帰国したけど。
 矢板 中国政府系シンクタンク、中国社会科学近代史研究所から研究報告のため招聘(しょうへい)されて、北京に行ったところ拘束されたようです。
 高山 研究テーマは日中戦争外交問題だった。
 金玉均({きんぎょくきん}李氏朝鮮後期の政治家・朝鮮独立党の指導者)は、中国の招聘に応じて上海に行ったところを暗殺された。清国のお尋ね者だった孫文がロンドンでの災難を、渡辺惣樹(日本近現代史研究家。本誌で連載中)がどこかで書いていた。彼は街中で親切な英国人紳士風の男に誘われる。ついていったらそこが清国公使館で、監禁拘束されちゃった。孫文は英国の干渉で自由の身になるけれど中国人のやり方は、本当に昔から変わらない。
 今度、この事件に対して、早稲田大学名誉教授の×××は中国政府に言葉にしたがい衝撃を受けて、もう中国に誘われても怖くて行けないと『深い懸念』を表明した。××は朝日の子飼いみたいなタイプで、『新しい日中関係を考える研究者の会』の代表幹事を務めるもろ親中派だ。何をやっても中国は正しい。日本は悪いとしか言わない男だ。それでもさすがにショックを隠せなかったようだ。
 矢板 自分たちも中国に行けば拘束されるかもしれないという恐ろしさがあるのでしょう。ただ、×××たちは日本政府が悪いという立場を崩すことはありません。中国を利用して日本を叩く。
 ところが、中国政府の言うことがよく変わるから、その都度、発言を修正しなければいけない。それで発言に矛盾を来(きた)すことがあります。
 国際ルールは完全に無視
 高山 岩谷氏がスパイ活動なんてするはずないだろう。
 ……
 矢板 国際ルールを完全に無視して、中国で独自につくった理解不能なルールに則って逮捕・拘束するのです。温泉掘削に協力した日本人を捕らえたケースすらあります。
 ……
 高山 前にはフジタ(ゼネコン=総合建設会社)の社員4人が拘束された事件があった。」 矢板 ……旧日本軍の遺棄化学兵器処理事業に関連する現地調査のため、河北省に入っていました。現地の中国人に手伝わせて死亡事故でも発生したら日中関係がこじれる可能性があったため、全員日本人で処理することにしたのです。遺棄化学兵器があるところは、軍事施設があった場所で、立入禁止区域になっている場所がある。
 でも、仕事のためフジタの社員は行かざるを得ないでしょう。中国人の案内役もつれて、実地検分をするわけですが、ある日、案内役の人間が来ないと連絡が入ったのです。そこで日本人だけで調査に行ったところ、取り押さえられてしまった。
 高山 冗談みたいな話だ。
 日本外交の人質
 矢板 スパイ容疑なのですが、中国では最高刑で死刑です。尖閣諸島問題に乗じて拘束なのは間違いないと思いますが、いくら何でも死刑はひどすぎる。産経は死刑とは書きませんでしたが、共同通信などほかのメディアは『スパイ容疑で拘束 最高刑』という見出しでした。当時の民主党政権はこの事件に驚き、船長を釈放せず、4人の社員が死刑になったまずいと、慌てて釈放を決めたのです。
 ……
 伊藤忠の社員も拘束されました。懲役3年の判決が出たようです。 
 高山 赤字の国に大金を投資している会社じゃないか。
 矢板 伊藤忠のトップは丹羽宇一郎元駐中国大使という親中派がいるにもかかわらずですからね。2015年以降、中国に拘束され日本人は男女合わせて14人(うち実刑判決は8人)です。2番目がカナダ人で8人ほど。考えてみると、新しい拉致事件と言えませんか。
 ……
 高山 日本外交の人質と言える。民主党政権時代と、やり方がまったく同じだ。
 矢板 そうですよ。しかも、日本政府側も何ら発信していません。……
 韓国は中国の相似形
 高山 今、日本人は韓国の激しい反日言動で、うんざりし始めている。参議院議長の山東昭子は『天皇謝罪』発言をした文喜相国会議長に対してけんもほろろの対応をした。
 矢板 安倍首相も積極的無視です。ASEAN文在寅大統領と対談しましたが、公式ではないという認識を崩していません。
 高山 古田博司は『韓国はいまだに古代のままだ』と喝破(かっぱ)しているけれど、かつての日本はそんな朝鮮半島に対して積極的にかかわり、文明の光を当ててきた。インフラを整備し、学校を建て、港湾を造成し、産業を興した。一人前の国にしてやったのに、感謝するでなし、『七奪だ』とか、あらぬ誹謗(ひぼう)を言い立てる。
 矢板 その7つとは『主権』『国王』『人命』『国語』『姓氏(創氏改名)』『土地(土地調査事業)』『資源』のことですね。
 高山 朴槿恵前大統領に至っては『1000年たっても恨みは消えない』とまで言っている。そんな韓国人の性根を人の好い日本人もようやく気づいた。日本人は1度愛想をつかすともう思い直しはしない。その証拠に安倍の韓国のホワイト国外しに対して、パブリックコメントでは95%超が賛成した。反安倍が結構いても根は日本人だ。
 こういう親切を仇で返す姿を見ていると、中国の相似形に見える。
 矢板 確かにそうかもしれません。
 高山 日清戦争で日本は中国と戦ったけれど、そのとき、日本人はどこまでも人道的に対応した。中国人には捕虜という概念がない。捕らえたら、目をくりぬき、鼻を削(そ)ぎ、陰茎を切断し、切ったものを口に突っ込み、最後は手足をバラバラにした。
 矢板 凌遅刑(りょうちけい)ですね。

 稲塚権次郎の業績
 高山 日清戦争に勝った日本は中国人をまともにしようという思いを持った。満州人の清王朝も偉い。家奴だった中国人に『日本に学べ』と留学を勧めて、留学は科挙合格と同じ扱いにした。西太后は歪曲されているけど、まともなところもある。そうやって留学を奨(すす)め、1905年には中国人の蛮風の科挙制度を廃止した。
 矢板 既存の体制の大転換です。
 高山 張之洞(ちょうしどう)や梁啓超(りょうけいちょう)などは『日本語から学ぶべきだ』と一生懸命勉強し始めた。辛亥革命の後に国会が開かれるようになる。国会議員の半分は日本留学組で占められていた。日本の影響は農作物にまで及んでいる。
 農学者、稲塚権次郎は1935年、実りがコメ並みに多い『小麦農林10号』(ノーリン・テン)を開発した。日本政府はすぐ飢餓が起きる中国を救うため稲塚を日本が設置した北京の華北産業科学研究所(農業・林業・畜産業の研究機関)に赴任させ、中国の小麦の品種改良に取り組ませた。ちょうど第二次上海事変が起きたころだ。そして彼は戦後までかかって中国の麦を改良して帰っている。ノーリン・テンは背が低いけど、一つの種に対して実の数が従来の小麦の10倍ほどつく。
 矢板 西洋の麦は普通、背が高いでしょう。
 高山 火野葦平の『麦と兵隊』では背丈の高い麦が出てくる。日本の麦畑を行進したら隠れるどころか丸見えになってしまう。戦後、この稲塚のノーリン・テンをアメリカが勝手に盗み出し、アメリカ本土でも栽培した。実りの多さに驚きメキシコやインドに『緑の革命』と称して伝播されていった。日本から盗ませたノーマン・ボーローグはその巧で1970年、ノーベル平和賞を受賞している。盗人に追い銭だな。
 矢板 稲塚氏の業績は『NORINTEN~稲塚権次郎物語~』(稲塚秀孝監督)という映画にもなっています。残念ながらDVD発売はされていないようですが。

 高山 日本は中国の教育やインフラ整備をおしなべてやってきた。中国の女は纏足(てんそく)を履かされ、無学が当たり前だったが、女子教育にも日本が手を差し伸べた。日本留学組の一人、秋瑾(しゅうきん)は下田歌子の実践女子校に入学した。以後、毎年50人前後の中国女性が留学している。
 矢板 秋瑾は女性解放運動を推し進めますが、祖国の地で処刑されます。
 高山 日本の支配地域は万里の長城の内陸の中国国土の40%ほどだった。稲塚の努力などで各地の農業生産も飛躍的に向上している。教育面では中国人受け入れ用の学校をつくり、中国本土にも同文書院を建て、日本式の義務教育普及に向けた援助もした。
 中国はコレラが常在し欧州の人口を3分の1にした黒死病のペストが19世紀末に世界中に大流行した際の発生源でもあった。朝鮮と競う汚穢(おわい)の国だったが、その改善のために731部隊など防疫部隊も置いた。
 黄文雄も『日本のおかげで今の中国がある』と書いているが、実際、先の戦争中、朝鮮に豊水ダムを建設したのと同じ時期、日本は華北発電所をつくり、運河を開き、道路交通の整備をやっている。黄文雄『近代中国は日本がつくった』(ワック)に詳しいが、豊水ダムにも勝る大事業が塘沽(タンクー)新港だ。13キロの航路を掘削し、3,200メートルの埠頭をつくっている。そのほか陸運水運の整備もやった。それもあの戦争の最中というから驚く。戦後、日中国交が再開されると日本は製鉄から空港整備まで惜しみなく中国のインフラ近代化をやってやり、3兆円を超すODAも施した。朝鮮半島の近代化をしのぐ大規模な支援であった。
 いま、中国は日本を追い越してGDP世界2位に躍り出た。まさに漢江の奇跡ならぬ漢の国の奇跡だ。ところが、それに対して中国人はお礼の一言もないどころか江沢民の時代には掌返しして、日本の侵略行為は残虐だった、南京大虐殺を見よ、戦争中の残虐さを見よ、と日本のODAを使って抗日記念館を200もつくった。恩を仇で返している。
 矢板 日本軍が『三光作戦』(殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす)を実行したと言い出しています。考えてみますと、『光』は『~尽くす』という意味が中国語にはある。でも、日本語ではまずその使われ方はしません。日本語にない言葉を日本軍が作戦名にしますか。そこでも矛盾しています。
 今こそ脱亜入欧
 高山 朝鮮の言う『七奪』と同じだ。本多勝一のような人物が出てきて、大騒ぎするようになったけど、これだって、慰安婦問題が朝日の記事でクローズアップされたのと同じようなやり方だった。韓国のいやらしい反日も、もとを正せば単に中国の真似。小中華は所詮、手本の中国と相似形をつくる以外のことはできない。
 矢板 小中華のウラに大中華を見ろ、というわけですね。」
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 抗日派中華民国は、アメリカ、イギリスからの巨額の資金援助と膨大な支援物資を得ていたが、飢える民衆を救済する為に分けるようとはしなかった。
 中国共産党政権は、アヘンを生産し、日本軍及び親日派知日派中華民国と密約を交わして満州・朝鮮・天津・上海などの港から香港や東南アジア地域にアヘンを密売していた。
 ナチス・ドイツは、日本軍と戦う抗日派中華民国に対し軍事顧問団を派遣していた。
 ソ連共産主義勢力は、抗日中国軍にソ連正規軍や国際義勇部隊を派遣していた。
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 日本は、アジアの一等国、アジアの指導者として、アジアとアジア人々の為に、地域の平和、生活の安定、生活環境の改善の為に協力した。
 特に、凶作による飢餓と不衛生による疫病を撲滅し、餓死や病死の犠牲者を減らすべく努力した。
 アジアの被災者救済を行っていたのは、キリスト教会、欧米のキリスト教系民間慈善団体、国際赤十字社、そして日本であった。
 日本の人道貢献は、天皇の希望であった。
 歴代天皇は神の裔・祭祀王の責務として、日々、一子相伝世襲的皇室祭祀・宮中祭祀で、血統の女性神天照大神と皇統の神武天皇に祈りを捧げていた。
 天皇の祭祀は、縄文時代の自然崇拝・大地母神崇拝に繋がっている。
 反宗教無神論共産主義者などの反天皇反日的日本人達は、天皇の「古式ゆかしき祈り」を野蛮行為として破壊しようとしてきた。
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 善い事をする日本人が2割。悪い事をする日本人が3割。善い事も悪い事もせず傍観する日本人が5割。
 日本軍部・日本陸軍は、戦争犯罪を働いたが、人道貢献も行っていた。
 東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達は、昭和天皇の希望をかなえるべく、戦争以外、戦場の外では女性・子供・老人、飢餓民・病人・怪我人など数万人、数十万人、数百万人といった弱者を積極的に助けていた。
 連合国=国連は、人道貢献をしたA級戦犯達を有罪とし、東条英機松井石根ら7人をリンチ的縛り首で殺した。
 心ある日本人は、周辺諸国からの罵詈雑言の激しい非難にもかかわらず、人道貢献を為たA級戦犯達を靖国神社の祭神として祀った。
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 天皇・皇族が訪問してはならない国が周辺諸国にある、韓国・北朝鮮、ロシアそして中国(中国共産党政権)である。
 平成4(1992)年 自民党の政治家と親中国派の官僚達は、自分の利益・自分の金儲けしか眼中にない経済界の強い要請を受けて、天皇を政治利用して、天安門事件で国際制裁を受けている中国に天皇皇后両陛下の訪問をゴリ追いした。
 日本国内には、反日を隠さない中国、韓国・北朝鮮、ロシアの利益なる様に行動する反天皇反日的日本人達が存在する。
 日本と周辺諸国との緊張関係は、古代から変わらない。
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NORIN TEN 稲塚権次郎物語: 世界を飢えから救った日本人
世界の食糧危機を救った男―稲塚権次郎の生涯

⛫99)─1・B─百姓一揆は武装蜂起ではなく、権力の武力鎮圧もなかった。〜No.205No.206/  

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 260年の江戸時代、全国で約3,000件の百姓一揆が起きていた。
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 日本には一揆や打ち壊しなどの騒動が起きても、中国や西洋などのような革命・争乱・暴動は起きなかった。
 何故か、それは無益な、無駄な、無意味な「人殺し」を嫌ったからである。
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 百姓は、一揆を起こすにあたって死を覚悟していた。
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 江戸時代は、過酷なブラック社会であり、自己決定と自己責任として「甘え」や「言い訳」は一切許されなかった。
 自己決定と自己責任とは、結果が良くも悪くも、命を捨てても、家族を犠牲にしても、自分の責任を取らねばならない、と言う事である。
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 江戸時代は、260年1日として変わらなかったと言うのはウソであり、前例主義や事なかれ主義が支配していたが、時の将軍や実権を持った老中そして西洋の海外事情で目まぐるしい変化を繰り返していた。
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 徳川幕府は、官軍との戦いで敗れる前に、すでに関東で起きた大規模な百姓一揆で弱体化していた。
 徳川幕府が瓦解して消滅したのは、百姓から見捨てられたからである。
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 2019年10月10日号 週刊文春出口治明のゼロから学ぶ『日本史』講義 
 [近世篇]
 一揆(百姓武装蜂起)の幻想
 白土三平さんに『カムイ伝』という大ベストセラー漫画があります。
 カムイ伝といえば、百姓一揆のシーンが印象的です。江戸時代の百姓一揆が、ひどい領主に対して、竹槍と筵旗(むしろばた)を押し立てた農民の大武装蜂起として描かれています。
 私たちの百姓一揆のイメージも、それに近いのではないでしょうか。
 しかし実際の百姓一揆は、そういうものではなかったようです。
   ※  
 江戸時代においても諍(いさか)いがあれば、まず裁判に訴えました。裁判には『吟味筋(ぎんみすじ)』と『出入筋(でいりすじ)』という2つの形式がありました。
 吟味筋は殺人や強盗など刑事事件を裁くもので、出入筋というのは、主に民事裁判を指します。地方(藩領)の場合は領主に、幕領、国境をまたぐ案件は幕府に訴えます。
 出入筋は、さらに金公事(かねくじ)、要するに借金争いと、それ以外の本公事(ほんくじ)という土地争いなどに分かれます。
 金公事については、当事者間で内済、いまでいう和解を進めていて、村役人や有力者が扱人(あつかいにん)と呼ばれる第三者になり、双方の話を聞いて和解させるようにしていました。
 本公事の土地争いなどは、当事者間ではなかなか決着が着きませんから、役所が裁くことになります。
 そのときは訴状を紙に書きます。これを目安と呼びました。民の声を聞くための目安箱というのは、もともと訴状を放り込んだものです。
 しかもこの訴状は、個人ではなく村単位になるので、名主がちゃんとハンコを押しています。幕府に訴えるときには、領主が添文をしました。
 幕府や江戸在中の領主に訴えるためには、江戸や大坂まで出向かないとなりません。そこで裁判に来た人たちの公事宿(くじやど)が置かれます。公事宿は幕府公認でした。訴願(そがん)文書の代筆や、領主と百姓の間を取り持つ役割があったのです。
 そこには公事師(くじし)がいました。これは幕府の役人ではない。いまの弁護士のような存在です。
 19世紀前半前半の大阪では、公用文書の筆耕料が当時の米1.5キロ相当で、百姓が気安く依頼できる値段でした。ですから百姓の請願が多く、1850年に河内国(大坂)の代官へ1ヵ月半の間に146件の訴願が出され、そのうち大坂町奉行所への公訴(こうそ)が11件という記録が残されているそうです(井上勝生『開国と幕末改革』)。
 江戸時代の紛争解決は基本的にはこういう書類で争うシステムでした。では暴力的にみえる百姓一揆は実際にはどうだったのか。
 一揆でなく強訴
 これについては保阪智さんが『百姓一揆とその作法』という本で詳しく紹介しています。
 それによると、いわゆる私たちが想像する、武器をもって蜂起する一揆は、1600年代の10件を最多とし、1630年代に3件(このなかに、島原・天草一揆も含まれます)を数えるのを最後に途絶えます。
 かわりに18世紀にはいると、同じ領内にある村々が協力しあって示威(じい)行動をする。『強訴(ごうそ)』が増えました。いまのデモのように大勢で奉行所や城下に押し寄せるわけです。
 彼らは鉄砲を持ち出すことがあっても法螺貝(ほらがい)などと同様に『鳴り物』として使うだけで、竹槍を持っていても、それで人を殺したのは江戸時代の3,000件以上の一揆の中で2件だけだったそうです。
 鎌や鋤(すき)なども、自分が百姓であることを示す『身分標識』として携行していたと考えられています。
 一揆の象徴のように思われた筵旗も、実際に使われた例はごくわずかにあるだけで、村の印やスローガンを書いた旗も、木綿や紙のものがほとんどでした。
 1825年に信州で激しい打ちこわしが起きたとの記録には逆に『百姓騒動の作法に外れている』と評されているぐらい、実は暴力行為は少なかったのです。
 幕府重臣への直訴(じきそ)
 地元の領主に要求が通らない場合、幕府に直接訴え出ることも行われていました。いわば現代の裁判の『上訴(じょうそ)』のようなものですね。
 江戸城中から駕籠に乗って帰る老中や奉行など幕府重臣たちへの直訴(駕籠訴)は、厳しく処罰されるイメージがありますが、以外にも許容されていました。
 19世紀の公事宿の記録には、『城から下がる駕籠にお願いがございますと声をかける』という駕籠訴(かごそ)のマニュアルや、その後の処分についても、『牢に入れられることもあるがそれだけだ』などという記載が残されています。
 幕府の重臣に庶民が駕籠訴したというだけでは、『直訴はマナー違反やで』というだけで、厳罰の対象にはなりませんでした。
 なぜ武装蜂起が姿を消したかといえば、4代将軍家綱の頃から社会は安定して、『幕府や領主は民を愛して労(いたわ)る政治をやるで』という『仁政イデオロギー』が強くなったので、百姓も実力行使をせずに、『現場でこういう不正義がござうます。仁政を掲げる領主や幕府が悪事を糾(ただ)してください』と願い出るほうが有効だと考えられたのですね。
 ただ、あまりにも大規模なデモ(強訴)を行った場合、デモの首謀者は死罪になる場合がありました。
 領主も建前上は仁政を掲げているので『そうか、仕方がない』と百姓の要求を聞いてやる。しかし交換条件として煽ったリーダーは殺すで、ということです。
 一揆のリーダーもそれは覚悟していたようです。『よし、俺は村の人たちのために犠牲になるで』という意識があったのでしょう。
 死罪になった場合の子供の養育費や義民として顕彰することを保証している一揆もありました。一揆の規約に、犠牲者の家族は『片時も路頭に迷わせない』などと書いてあるのです。
 暴力的な一揆になると、島原・天草一揆のように参加者は皆殺しに遭いますから、それに比べれば、リーダーが殺されても、コストは低いと考えられたのかもしれません。
 幕末の『世直し』一揆
 こうした一揆も、19世紀の半ばに入ると過激化していきます。
 幕府が百姓の生活を支えきれず、仁政の建前が綻(ほころ)びを見せると、一揆の作法も廃(すた)れ、『口で言うてもあかんから』と実力行使い向かうようになるのです。
 1836年(天保7年)に初めて『世直し』を主張する一揆が現れました。幕府の混乱による生活の苦しさについて、示威的な行動で幕府や領主に改善を迫ったものです。
 1866年(慶応2年)には、埼玉県の秩父地方を中心とした『武州世直し一揆』が起きました。高騰した米の安売りを求めて武蔵国だけでなく、上野(群馬)、相模(神奈川)など10万人規模に膨れ上がった一揆の参加者が、豪農や村役人の屋敷など400軒以上の打ちこわしを行った大規模なものでした。幕末の治安悪化と不安のなかで、一揆は暴徒と同一視されるようになります。
 それでも、江戸時代全体としては基本的には書類を交わす裁判が主体であって、一揆に為ても『暴動』のイメージとはだいぶ異なるようです。」
   ・   ・   ・   
 1600年代、幕府は大名統制と大名取り潰しの大義名分に百姓一揆を利用しようとした。
 その代表例が、武装蜂起の島原・天草一揆であった。
 大名は、改易の言い掛かりになりかねない百姓一揆を恐れた。
 悪賢い百姓は、大名の弱みを悪用して要求をのませようとした。
 その為、現地在住の代官の多くは、家老・勘定方・郡奉行らの無理難題の重税圧力からムラ人・百姓を守っていた。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人は、日常起きていた事を、中国風の正史ではなく、多くの人が記録・メモ・日記等で書き記していた。
 その為に、日本は朝鮮とは違って古文書の宝庫である。
   ・   ・   ・   
 日本統治の原型は仁徳天皇にあり、世の中が平和になり、法秩序が守られて治安がよくなり、生活する事が安定・安全・安心すると神代の生活に憧れた。
 江戸時代の日本人が、抱いた「神の国」像であった。
 それが悪意をもって言われる、天皇ファシズム・皇室原理主義である。
   ・   ・   ・   
 戦後教育として、子供たちに教えられた歴史教育キリスト教隣人愛史観とマルクス主義階級闘争史観という偏向・偏狭な原理主義イデオロギーによって歪曲、捏造、改竄されたウソであった。
 キリスト教隣人愛史観とマルクス主義階級闘争史観とは、反天皇反日史観である。
 それ故に、日本人が奴隷として海外に売られた歴史的事実が抹消されている。
   ・   ・   ・   
 百姓一揆とは、政治権力である幕府・大名・武士の御政道に対する異議申し立てある以上、最高刑は磔獄門=死刑であるから、首謀者は命を捨てる覚悟必要であった。
 同時に、訴えられた大名は百姓一揆に負けると、最悪、領地没収の改易を命じられた。
 後で、大名・武士に都合のいい判決をした事が露見すると、裁定に携わった老中・若年寄・郡奉行・大目付は処罰され、将軍=御上の上意で役職を取り上げられ隠居させられた。
 大名ではない郡奉行・大目付などの旗本で悪質と判断されたら、切腹か遠島を命じられ、家禄は没収、家は断絶、家族は追放させられた。
 武士の役職は多忙であり、責任は死と隣り合わせであった。
   ・   ・   ・   
 江戸時代の百姓は、マルクス主義共産主義が認定すような搾取され虐げられた惨めで哀れな人民・労働者ではなかった。
 当時の日本には、幕府・大名の政治権力、仏教の宗教権威、天皇の御威光=御上の権威の3つが存在していた。
 身分が低く貧しい百姓は、ムラの鎮守の杜(もり)=氏神神社を参拝することで天皇の御威光=御上の権威を心の支えとして、現実の幕府・大名の政治権力、仏教の宗教権威と対峙していた。
 氏神祖先神神社の参拝は信仰ではない。
   ・   ・   ・   
 氏神祖先神神社には、教祖、経典・聖典、布教をおこなう教団もなかった。
 氏神祖先神神社の祭祀は、天皇が一子相伝として執り行う皇室祭祀・宮中祭祀に繋がっていた。
   ・   ・   ・   
 政治権力と宗教権威は、対立し、時には流血事件を起こす事があった。
 政治権力と宗教権威は、天皇の御威光=御上の権威に叛旗を翻(ひるがえ)す事はなく、「触らぬ神に祟りなし」として、欲得の俗世・俗事から遠ざけていた。
 政治権力と宗教権威は強欲塗れで穢れた不浄であり、天皇の御威光=御上の権威は清浄な穢れなき神聖不可侵であった。
   ・   ・   ・   
 江戸時代。各藩は、毎年、領内を数多くの大名が参勤交代として行き来していた為に、世間の評判を恐れて百姓一揆を穏便に解決する事に腐心していた。
 百姓は年貢を納める唯一の納税者であり、農業は町人やサムライが隣近所を見ながら見様見真似でできるという軽い・安易な作業ではなかった為に、熟練した百姓の数を減らさない為に農耕地を個人所有として自由な売買を禁止し、領外に流出ないように領内に縛りつけた。
 幕府・大名は、年貢を増やす為に荒れ地の開墾や河川湿地や沼での干拓を行い、足りない百姓を他藩からの流民や町人・サムライを積極的に入植させた。
 江戸初期の農地は約1,200万石であったが、幕末期では約3,000万石に増えた。
   ・   ・   ・   
 凶作や悪政で生きていけないと判断した百姓は、家や農地を捨てて江戸・京・大坂など都市の貧困地域・非人部落に逃げ込んでいた。
 幕府・大名・武士にとって、百姓が流出して数が減ると年貢も減り、財政難に陥った。 非人部落の住人数は、何かの理由で地方から流れ込む流民達によって常に増減していた。
 凶作では、被災地から、食べ物を求めて逃げた被災者は助かり、逃げずに留まった被災者の多くが餓死した。
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 レーニン共産主義者は、ウクライナ各地のクラークを人民・民衆の敵として農地や私有資産を暴力を用いて没収し、逆らう者は反革命分子として虐殺し、無力な数百万人を餓死させた。
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⚔479)─7・B─8月10日午前2時 昭和天皇による第1回目の聖断。〜No.1103No.1104No.1105/   

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 8月9日 ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破り、満州に侵攻して残留していた日本軍・満州軍を撃破して快進撃を続けた。
 ロシア人共産主義者、抗日派中国人、独立派朝鮮人達は、逃げ惑う日本人逃避者(主に女性や子供)を虐殺してまわった。
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 日本国内には、200万人以上の朝鮮人と数万人の中国人そして多数の連合国軍兵士捕虜がいた。
 特に、200万人の朝鮮人が本土決戦時に連合軍に味方をして反乱・暴動を起こす危険性があった。
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 アメリカ軍は、二発目の原爆投下実験を長崎で行った。
 原爆投下は、実戦時における、人体実験と爆破実験であった。
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 日本の政府と軍部は、ソ連の参戦に直面し降伏しかない事を悟ったが、昭和天皇の保証が明快でない事に不安を抱いていた。
 徹底抗戦派は、昭和天皇が戦犯として処刑される可能性があると考えて、本土決戦を主張して譲らなかった。
 それが「国體護持」である。
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 昭和天皇「自分は東郷外務大臣の意見に賛成である。
 本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまうのではないか。そうならば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだこの日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残っていてもらいたい。その人たちが将来再び起ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。そのためなら、自分はどうなっても構わない」
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 昭和天皇には、天皇の戦争責任はないし天皇戦争犯罪もない。
 昭和天皇は親ユダヤ派で、知ユダヤ派の東条英機松岡洋右A級戦犯達と共に数万人のポーランドユダヤ人難民を助けていた。
 天皇の人道貢献。
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 虐殺と侵略戦争などの戦争犯罪を行ったのは、スターリン共産主義者マルクス主義者)、ヒトラーとナチ党である。
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 1945年5月頃 昭和天皇と政府・軍部は、戦争は続けられない為に早期に停戦交渉に入るべきである事を決めた。
 政府は、ソ連を通じて交渉準備に取りかかった。
 外務・海軍・陸軍は、極秘で、スイスの決済銀行を通じてアメリカの情報機関と交渉を始めていた。
 が、ソ連は日本領土を強奪する為に裏切り、アメリカは原爆投下実験を成功させる為に拒絶した。
 戦争は、敗北者が「負けました、降伏します」と言って武器を捨て手を上げて白旗を揚げ抗戦の意思がない事を明らかにしても、勝者がそれを認めなければ終わらない。
 戦争終結を決めるのは、敗者ではなく勝者であった。
 戦争は相手がいる。
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 ロシアの侵略に対する恐怖が、江戸幕府後期・幕末・明治維新日清戦争日露戦争日韓併合までの日本近代化の歩みであった。
 大正時代からは、日本の敵はソ連共産主義勢力に変わった。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇・皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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💎622)─1─ローマ教皇来日。フランシスコ教皇「戦争のため原子力使用は犯罪」。〜No.1354No.1355/  終わり。

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 2019年11月24日10:30 産経新聞「【ローマ教皇来日】「核なき世界」訴え 教皇が長崎訪問
 ローマ教皇来日 核兵器に関するメッセージを読み上げるローマ教皇(法王)フランシスコ=24日午前、長崎県長崎市の爆心地公園(彦野公太朗撮影)
 38年ぶりに来日しているローマ教皇(法王)フランシスコは24日朝、長崎市松山町の爆心地公園を訪れ、「核兵器は国家の安全保障への脅威から守ってくれるものではない。そう心に刻んでほしい」と世界の政治指導者に向けて発信し、被爆地から「核なき世界」の実現を訴えた。
 教皇は2013年に就任以来、折に触れて広島と長崎に言及。被爆後の長崎で幼い子を背負う少年を撮影した写真「焼き場に立つ少年」を発信するなど、戦争や核兵器の危険性に警鐘を鳴らし、核廃絶の実現を訴えてきた。
 雨の降る長崎の地に降り立った教皇は、被爆者から花輪を受け取り、74年前に上空で原爆が投下された場所に立つ記念碑に献花。約2分間、目を閉じて犠牲者に祈りをささげ、参列者とともに黙祷(もくとう)した。
 その後の演説で、長崎について「核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である街だ」と表現。世界にはびこる軍拡競争を「貴重な資源の無駄遣いだ。本来は人々の発展と自然環境の保全に使われるべきだ」と批判した。
 また、世界では相互不信が拡大しつつあるとした上で、「核兵器の脅威に対して一致団結し、あらゆる国の指導者が力を注ぎ込むべきだ」と指摘。数え切れない人々が「核兵器から解放された平和な世界を熱望している。全ての人が(核廃絶への)責務に関わり、その責務にはすべての人が必要とされている」と話した。
 教皇は午後、長崎市の県営野球場でミサ(祭礼)を執り行い、チャーター機で広島へ移動。夕方、平和記念公園広島市)で「平和のための集い」を行う。」
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 11月24日22:01 産経新聞「【ローマ教皇来日】「戦争のため原子力使用は犯罪」 広島で平和メッセージ
 広島市平和記念公園被爆者らと黙とうするローマ教皇フランシスコ=24日午後7時4分
 24日夜、広島市中区平和記念公園で開催された「平和のための集い」に参列したローマ教皇(法王)フランシスコ。被爆者や信者ら約2千人が見守るなか、「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何ものでもない」と、核兵器のない世界を目指す平和メッセージを発した。
 ライトアップされた原爆慰霊碑が厳かな雰囲気を醸し出すなか、午後6時45分ごろに教皇が到着すると歓声と拍手がわき上がった。慰霊碑に献花した教皇は、そのまま目を閉じて黙祷(もくとう)。慰霊碑前に置かれたキャンドルに火をともした。平和の鐘が鳴らされるなか参列者とともに再び黙祷し、犠牲者に哀悼の意を示した。
 教皇は「平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていた」と、教皇として38年ぶり2人目となる被爆地訪問の意義を説明。「正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むなら、武器を手放さなければならない」と訴えた。
 被爆者代表として、昭和20年8月の原爆投下時の様子を証言した梶本淑子さん(88)は「穏やかでやさしい方でした。教皇のお力で少しでも核廃絶の方向になれば」と期待を寄せた。」
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💎621)─1─皇位の行方。少数派・男系皇位継承と多数派・女系皇位継承で国論は分裂。〜No.1352No.1353/  

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 女系皇位継承は、憲法・法律で合法とする皇統での正当性がある。
 男系皇位継承は、伝統・歴史・神話・宗教の民族的血筋を血統とした正統性がある。
 国民の70%以上が、血統ではなく皇統としての女性天皇女系天皇に賛成している。
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 2019年10月23日 産経新聞「男系皇位継承を堅持 旧宮家男子の皇族復帰 自民有志「護る会」提言
 日本の尊厳と国益を護る会の代表幹事、青山繁晴参院議員(春名中撮影) 
 自民党保守系有志議員による「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」(代表幹事・青山繁晴参院議員)は23日、父方に天皇がいる男系の皇位継承を堅持する具体案を盛り込んだ提言を発表した。11月中旬の大嘗祭(だいじょうさい)が終了後、安倍晋三首相が海外出張から帰国するのを待って直接手渡し、政府の安定的な皇位継承に向けた検討に反映させたい考えだ。
 提言は「女系天皇」につながりかねない「女性宮家創設」に否定的で、皇室典範改正や特例法制定によって旧宮家の男子が皇族に復帰できるようにすることが柱だ。立法府の円満な合意形成を重視し、特例法に比重を置いている。
 具体的には、旧宮家の男子が現皇族の養子か女性皇族の婿養子になるか、国民の理解に基づく立法措置後、了承の意思があれば皇族に復帰できるようにする。後者に関し、提言では「10代5人、20代前半2人」の旧宮家の男子が存在するとした。現在の皇位継承順位は一切変えないことも明記した。
 青山氏は記者会見で、皇位継承のあり方に関し「大嘗祭が終われば速やかに具体的検討に入っていただきたい。この提言を必ず入れろということではなく、他の意見も十分責任を持って勘案していただきたい」と政府に求めた。
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 11月24日 産経新聞甘利明氏、女系天皇「最終的選択として容認すべき」
 自民党甘利明税調会長
 自民党甘利明税調会長は24日のフジテレビ番組で、皇位継承をめぐり、母方が天皇の血筋を引く女系天皇を認めるべきだとの考えを示した。皇位継承順位に関し「男系を中心に順位を付け、最終的選択としては女系も容認すべきだ」と語った。
 父方に天皇を持つ女性天皇と異なり、女系天皇は前例がない。安倍晋三首相は皇位継承のあり方について「古来、男系継承が例外なく行われたことの重要性を踏まえ、慎重に検討していきたい」との方針を表明している。」
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 11月25日 産経新聞「自民・甘利氏、女系天皇「積極的に容認したわけではない」
 甘利明氏=21日午後、東京・永田町の党本部
 自民党甘利明税調会長は25日、自身がフジテレビ番組で女系天皇を容認する考えを示したことについて「積極的に女系天皇を容認したわけではない」と述べた。党本部で記者団に語った。「将来、男系男子の継承が存続の危機に陥ったときに備えて、いろいろな議論をしておくべきで、もうこれ以外ないというときに結論が出てくるのではないか」とも話し、今後の議論に委ねる考えを示した。
 甘利氏は24日に出演したフジテレビ番組で、皇位継承に関し、母方のみに天皇がいる女系天皇を認めるべきかを問われ「男系を中心に(継承)順位を付け、最終的選択としては女系も容認すべきだ」と述べていた。
 甘利氏は25日、皇位継承に対する考え方を記者団に聞かれ、「連綿と続いてきた皇位継承の歴史は世界に誇る崇高な歴史で、決して絶やしてはならない。男系男子が大原則だ」と強調した。
 岸田文雄政調会長は25日の記者会見で「皇室の長い歴史、伝統を考えた場合、女系天皇は慎重に検討すべきだ」と話し、二階俊博幹事長は「(甘利氏は)個人の意見を述べられたのではないか。私からコメントする必要はない」と述べた。」
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 11月26日 産経新聞女系天皇容認と受け止められかねない発言相次ぐ 自民
 皇位継承をめぐり、女系天皇を容認すると受け止められかねない発言が自民党幹部から相次いでいる。
 二階俊博幹事長は26日の記者会見で、女性天皇女系天皇についての見解を問われ、「男女平等、民主主義の社会を念頭に入れて問題を考えればおのずから結論は出るだろう」と述べた。発言の真意に関しては「そういうことも念頭に入れて審議いただければ結構だ」と語った。
 女系天皇をめぐっては、甘利明税調会長が24日のフジテレビ番組で「男系を中心に順位を付け、最終的選択としては女系も容認すべきだ」と発言。後に「積極的に女系天皇を容認したわけではない」と説明した。
 女性天皇は過去に「中継ぎ」として10代8人存在したが、母方が天皇の血筋を引く女系天皇は過去に例がない。皇位は常に男系で継承されてきた。
 鈴木俊一総務会長は26日の記者会見で「結論みたいなものはない。いろいろな議論を聞きながら考えを深めていきたい」と明言を避けた。」
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➰145)─1・B─江戸時代に根付いた「姐御文化」。日本の女性は怖ろしい。〜No.299  

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 世界を支配しているのは、男性優位・女性劣位の性差別主義である。
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 明治の近代化とは、女性の権利を奪い悲惨な境遇へと追いやる女性虐待の始まりであった。
 恣意的に創られて理想の女性像が、良妻賢母であり、大和撫子である。
 伝統的手弱女は、恣意的に創られた良妻賢母や大和撫子ではない。
 結婚するならお淑やで従順な日本女性がいい、それは悪意をもった嘘、悪しき偶像である。
 日本の近代化は、女性の解放ではなく、その逆で、女性が伝統的に持っていた相続権・資産運営権・発言権などの諸権利を剥奪し、社会の表から家の中に押しこめ閉じ込める事であった。
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 2019年11月29日号 週刊朝日「週刊図書館 今週の名言奇言
 伊藤春奈『「姐御」の文化史』
 自らの強さを、てらいなく弱者救済に使える者こしが、姐御
 斉藤美奈子
 〈日本にはかっこいい女性のロールモデルがいない。本当だろうか?〉。それが著者の問題意識。伊藤春奈『「姐御」の文化史』は江戸から明治・大正・昭和までの娯楽作品などを通し、女性のジェンダーロールを逸脱した強い女性像を追った異色の文化史である。
 意外な指摘の数々がおもしろい。たとえば上州名物として知られる『かかあ天下とからっ風』。上州(群馬県)は江戸期から養蚕(ようさん)が盛んな地域だったが、農家の副業である養蚕はその担い手である女に一定の現金収入と発言権をもたらしたという。なかには養蚕の技術と経営権を手にして一家の主導権を握る女性までいたそうだ。幕末の博徒国定忠治を逃走中にかくまった菊池徳もそんな女性で、映画で拳銃をぶっ放したりする姐御・お品のモデルも徳だった。
 『とりかへばや物語』の例もあるように、日本にはもともと男装した女性の文化がある。宝塚しかり女剣劇しかり、昭和の大物歌手というイメージの強い美空ひばりも、90本前後のチャンバラ映画でもしばしば少年役を演じており、20代前半になると、森の石松や弁天小僧など本物の男を演じて、若い女性客をとりこにした。
 そして任侠映画『緋牡丹博徒』シリーズの主人公・お竜。藤純子(現冨司純子)演じるお竜は〈戦闘力、啖呵、クールなルックスと三拍子そろったスター姐御〉だが、『女を捨てた』と強調される半面、『女が女を救う』という女性解放っぽい作品も創作されている。
 とまあいうように、次から次へと多彩な『姐御』が登場する。その分、個々の掘り下げがややたりないかなという印象はあるものの、姐御とは〈日本の伝統的なフェミニストである〉という姿勢が一貫していて気持ちいい。
 〈日本にもかっこよくて、見る人の心を熱くしてくれるような女性は『むかしから』いた。しかも、男女世代問わず人気を集めてきた〉。それを抑圧したのが明治の良妻賢母教育である。〈自らの強さを、てらいなく弱者救済に使える者こそが、姐御〉。近世近代の女性を見る目がちょっと変わる」
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 日本民族日本人は、本来、女性は賢く弁が立ったが、男性は愚かで口下手であった。
 その口下手で愚かさを評した言葉が、亭主関白である。
 日本の女性は、かかあ天下であり、山の神であり、優しい慈母・観音様であり同時に怖ろしい怨霊・鬼女・阿修羅らでもある。
 死んで幽霊となって生きている人間に取り憑き呪い殺すのは、男ではなく女である。
 女ほど怖い生き物はない。
 日本人女性の、賢さが日本を救い、愚かさが日本を滅ぼす。
 日本人女性の純粋と修羅は紙一重であった。
   ・   ・   ・   
 どぶ板長屋の女将さんと熊さん・八さん。
 家の家計費を支配するのは、女性・女房・女将さんで、夫・男は頭を下げて小遣いを貰っていた。
 日本の男性は金にだらしなく、金を持つと、酒を呑み、ギャンブルで浪費し、女遊びで使い果たす。
 日本の男性に金を与えるとろくな事に使わない。
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 日本で、最も神様に近い存在が子供・乳幼児であり、仏様に近いのが老人・障害者である。
 日本では、弱い者イジメをするのは「男の恥」として最も嫌われ、最低の人間として軽蔑された。
 「強気を挫き、弱気を助ける」事が、日本男子として褒められた。
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 日本人男性が好きで飼う鈴虫は、カマキリと同様にメスがオスを食い殺す。
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 三韓征伐。神功皇后は、古新羅を討伐して凱旋した。
 承久の乱北条政子は、鎌倉武士達に涙を流して訴えて朝廷軍を撃破し、後鳥羽上皇や公家達を捕らえて島流しなどの処分を行った。
 応仁の乱日野富子は、知力と財力で戦に明け暮れる男達を操って戦乱を鎮め、安定した世の中をもたらした。
 悲劇の淀殿は、徳川家康と戦争をして豊臣家を滅ぼした。
 明治の元勲・元老の妻となった女性は、命を張って生きていた芸者や遊女など差別される身分で貧しい家出身の女性が多かった。
   ・   ・   ・   
 日本の女性は、気弱で臆病で尻込みする情けないひ弱な日本人男性を励まし煽てて戦場へ送りだしていた。
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 女性の怖さを知る徳川家康は、女性を抑える為に男尊女卑の儒教を取り入れた。
 だが、徳川家康は、女性を大事にするフェミニストであり、政治や合戦から家庭に至るまで迷った時は側室らの意見を聞いて決断した。
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 日本の最高神は、伊勢神宮に祀られている女性神天照大神である。
 女性神天照大神は、天皇・皇族・皇室の祖先神であり、天皇位・天皇制度に正統性を与える唯一神聖な存在である。
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 江戸時代までの日本では、女性にも相続権があった。
 男性相続の場合、運悪く男性が戦場や旅先などで死んだ時、領地や家財産をめぐって内紛が起きて家が滅亡する危険があった。
 女性に相続権があれば、夫が死んでも新しい夫を貰って子供を産めば子孫に領地や家財産を残す事ができる。
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 日本を男中心社会に変貌させたのは、儒教の男尊女卑、キリスト教の家父長主義、マルクス主義の男性絶対であった。
 歪な男性優位社会になったのは、1980年代頃からである。
 その頃から、子供が荒れ親に暴力を振るう家庭内暴力や学校で教師・大人に暴力を振るう学校暴力が急増した。
 同時に、通り魔事件や尊属事件も増え、週刊誌などはメディアは危機感を訴えると言うよりむしろ煽る様な報道をしていた。
 昭和後期の子供たちは、荒れた家庭や学校という面白おかしく報道される社会環境で大人になり、平成後半頃から結婚して子供を産むや、感情を爆発させるDVや児童虐待・幼児殺人を引き起こしている。
 週刊誌や新聞、テレビやラジオなどのメディア・報道機関は、無責任にも、部数を売り上げ、利益を上げ、業績を上げ、会社を大きくする事を優先した。
 いつの時代も、メディア・報道機関は状況操作を繰り返し世論を誘導しようとして信用ができない。
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💎未整理1⦆ー目次・4ー令和皇室。神の裔天皇家存続の危機。~No.1  

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 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 日本人は、歴史が嫌いであり、歴史が理解できないし、歴史を学ぼうとはしない。
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2019-05-01
💎605)606)607)─1─令和元年5月1日。新たな今上天皇の即位。~No.1348No.1349No.1350No.1351No.1352No.1353
2019-05-03
💎608)─1─傲慢な日本人が壊す、皇室が厳守してきた不磨の慣習法と歴代天皇の遺言・遺訓・家訓。~No.1354No.1355No.1356   
2019-05-06
💎609)─1─皇居上空に出没するドローンを法整備で完璧に防ぐ事は困難。 ~No.1357No.1358No.1359   
2019-05-10
💎610)─1─日本国憲法象徴天皇制度とは、皇室を軟禁、監視し、天皇・皇族の人権や自由を奪っている。~No.1360No.1361No.1362  
2019-06-04
💎612)─1─国会内で広がる女性天皇女系天皇容認論。~No.1366No.1367No.1368 2019-06-06
💎613)─1─護憲派人権派・男女平等推進派は、皇統は伝統(血統)よりも憲法が優先すると主張している。~No.1369No.1370No.1371  
2019-07-12
💎614)─1─愛子天皇待望論と悠仁親王廃嫡論。~No.1372No.1373No.1374  
2019-07-14
💎615)─1─日本国内外に暗躍する男系皇室消滅を企む陰謀論。~No.1375 No.1376No.1377 終わり。  
2019-07-21
💎616)─1─諸外国元首からの退位された両陛下に対する感謝の言葉。~No.1378No.1379No.1340 *  
2019-09-25
💎617)─1─天皇即位の礼の儀式は「合憲」か「違憲」か。~No.1341No.1342No.1343
2019-10-22
💎618)─1─日本の天皇と世界の皇帝や国王とは根本的に違う。令和時代即位。~No.1344No.1345No.1346    
2019-10-28
💎619)─1─海外メディアは「即位礼正殿の儀(即位の礼)」で天皇を改めて評価する。~No.1347No.1348No.1349  
 2019-11-15
💎620)─1─世界は天皇陛下即位礼を祝福した。ポーランド。〜No.1350No.1351/    
2019-11-24
💎621)─1─皇位継承の行方。男系皇位継承と女系皇位継承で国論は分裂。〜No.1352No.1353/  
2019-11-25
💎622)─1─ローマ教皇来日。フランシスコ教皇「戦争のため原子力使用は犯罪」。〜No.1354No.1355/  終わり。

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