🎑114)─2・M─『ゴジラ-1.0』における人間ドラマ部分と特撮ゴジラ部分の絶妙な融合。~No.256 

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 『ゴジラ-1.0』とは、無国籍なゴジラによる日本・東京を破壊するスペクタクル映だけではなく、日本的価値観による人間ドラマでもある。
 敗戦後の日本を舞台にして、戦争犯罪国として国際社会からアメリカはもちろん如何なる他国の援助を受けられない最悪の状態下で日本と日本人はどうゴジラと対決したか、という物語である。
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 2023年12圧9日 YAHOO!JAPANニュース 「マニアが語る「ゴジラ −1.0」かゆいところに手が届くゴジラ映画のポイントはココだ!
 Re:minder
 2023年11月03日 映画「ゴジラ-1.0」劇場公開日
 ぜったいに映画館で観るべき「ゴジラ −1.0」
 あなたはもう『ゴジラ −1.0』をご覧になりましたか? もしまだであれば、あなたが特撮ファンであろうがなかろうが、何はさておき是非ご覧になるべきです!それもDVDや配信ではなく、ぜったいに映画館で!!
 さて、これから私は『ゴジラ −1.0』について色々語るわけですが、もちろんまだご覧になっていない方のためにネタバレには配慮しつつも、未見の方は知らない方がいいことをついつい書いてしまうかもしれません。ですので、できれば作品をご覧になった後にご一読いただきたいのです。
 ということで、ここからは既に作品をご覧になり、興奮冷めやらない皆さんと語り合うつもりで書きますが…
 かゆいところに手が届くゴジラ映画
 マニアというのは勝手なもので、頭の中に “ゴジラはこうあるべき” という漠然としたものがあり(それを “俺ゴジラ” と呼んだりもしますが)、少しでも自分にとって、”あるべきゴジラ” とは異なるような部分があると、そこがもう気になって気になって仕方がなく、たちまち隔靴掻痒(かっかそうよう)の感に襲われるという… 要するに面倒臭い奴です。
 いや、マニアというものは…、などと十把一絡げにするのはヤメましょう。訂正します。今述べたような “面倒臭い奴” というのは私のことです。しかし、そんな面倒臭い私からして、ここまで “かゆいところに手が届くゴジラ映画” が観られるとは思っていませんでした。それもあの傑作、かゆいところに手が届きまくりだった『シン・ゴジラ』に続く国産実写ゴジラ映画で!
 さあ、では『ゴジラ −1.0』のどこがそんなに “手が届いた” のかを以下に記しましょう。
 都市を睥睨し、見下ろすゴジラ
 まず… 終戦まだ間もない頃、すなわち街なかにはまだほとんどゴジラより背の高い建物がなかった時代に作品の舞台を設定したこと。
 『メカゴジラの逆襲』(1975年)から9年のブランクを経て『ゴジラ』(1984年)で再登場した際、巨大怪獣ゴジラは多くの建物に見下ろされる存在になっていました。それだけ世の中は高層建築が林立した時代と化していたのです。ゴジラの身長もそれまでより高く設定されてはいましたが、とても追いつきませんでした。
 しかし、今回のゴジラは久々に “都市を睥睨(へいげい)し、見下ろすゴジラ” に戻っていました。やっぱりこうでなきゃ! 記念すべき第1作の『ゴジラ』(1954年)で、ステキな壊されっぷりをみせてくれた、銀座の時計台で知られる和光ビルも再び登場。今回もゴジラとの名コンビぶり(?)を見せてくれています。
 ちなみに本年11月、関西学院大学兵庫県)では、『ゴジラ −1.0』とのコラボレーションによる学園祭を開催。そのメインビジュアルはこの大学のランドマークともいえる時計台に、ゴジラが今にも襲いかからんとするものでした。やはり “ゴジラと時計台" の組み合わせは絵になります。
 もちろんその時計台もゴジラより背の高い建物ではありません。そう、私たちが見たいのは ”見下ろされるゴジラ” より ”見下ろすゴジラ” なのです。
 ©2023 TOHO CO. LTD.
 戦争が終わり人々が疲弊しているところに現れるゴジラ
 そして手が届いたかゆいところ2ヶ所目、同じく時代設定に関することですが、終戦直後、すなわち日本には既に軍隊がなく、そして未だ自衛隊が存在していないという、日本が丸腰に近い時代が舞台になっていること。
 さらには国際的な事情で、日本は他国の援助を受けられない状態にありました。まさに孤立無援。それでなくとも戦争が終わり人々が疲弊しているところに現れるゴジラ。今回は歴代ゴジラ映画でも、最も “ゴジラ対人間” の構図を強調した内容になっていました。いや強調せずとも、その設定からごく自然にそうなっていました。
 一歩間違えると “ゴジラ対人間” なる設定は、漫画チックで荒唐無稽になりかねませんが、それを不自然なく観せられるシチュエーションにした巧さが光りました。無力であろうと、疲弊していようと、自分たちがゴジラを迎え撃つしかない、だから立ち上がった… そんな市井の人々の物語。新鮮な設定です。
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 ゴジラにこの場所で、こんな暴れっぷりをみせて欲しいという願望を充足
 そしてさらに3ヶ所目、それは私たちが観たいと思っていた場面が続出したこと。
 私たちマニアは ——例えば新幹線の車窓から景色を眺めている時——「あの建物をゴジラがぶっ壊したら凄いことになるなぁ」とか、「あのビルの向こうからバルタン星人がヌッと顔を出したらイカすだろうなぁ」などといったことを常々考えています。もちろん破壊願望があるとか、そーゆーことではありません。
 この映画では「ゴジラにこの場所で、こんな暴れっぷりをみせて欲しい」「それをこんなアングルで見たい」という願望を充足させてくれる場面が続出します。大スクリーンに映し出されるゴジラのアップは、時に実物大に近いものとなります。その “実物大” が醸し出す非日常感”は、他のどんな俳優も叶わない、ゴジラならではの強みです。
 本作ではそんな巨大なゴジラを映画館で「体感」できるシーンが続出します。「目の前に突然現れるゴジラ」「自分を真上から見下ろすゴジラ」などなど、枚挙にいとまがありません。
 かつてSF作家の野田昌宏先生は「SFは絵だねぇ」という名言を遺されましたが、今回『ゴジラ −1.0』を観ている最中、私は何度も 「特撮は絵だねぇ」と思いました。「当たり前じゃん」と言われそうですが、特撮にしか、そしてゴジラ映画にしか表現し得ない場面が続出した、というニュアンスをお分かりいただければと思います。
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 ゲキ怒りし、ブチギレたゴジラは怖い!
 4ヶ所目、それは「怒らせると怖いゴジラ」が観られたことです。
 基本的にゴジラは、人間に対して怒っています。そして一方でゴジラは、何を考えているのか分からないところが “怖さ” でもあるのですが、今回のゴジラは、とある場面で確実にゲキ怒りし、ブチギレました。そこには確実に「感情」がありました。
 私などにしてみれば「アホやな、ゴジラにそんなことしたら絶対怒らすだけやで…」と思って観ていたところ、案の定の展開。改めて、ゴジラを怒らせるとどんだけ恐ろしいことになるかをまざまざと見せつけられ、でもその “案の定の展開” が大変嬉しく、その “ゲキ怒りっぷり” に惚れ惚れとしながら、私は心の中で快哉を叫んでおりました。
 ガチの海戦、圧倒的な臨場感
 5ヶ所目は、ラストの対決が “海戦” であった点が挙げられます。
 今までの、敵怪獣が登場しないゴジラ映画で、ラストの人間対ゴジラのバトルが “海戦” であったことはほとんどなかった筈。(1954年の『ゴジラ』のラストシーンは……あれはバトルというには趣を異にするかと…)
 しかし今回の作品では人間とのラストバトルがガチの海戦。それも超兵器があるわけでもない、成功する保証もない、派手さに欠ける地味な作戦であったことが、観客でありながら一市民に過ぎない自分も、その場に居合わせているかのような、圧倒的な臨場感を醸し出していたのです。
 そして “海” の描写の素晴らしさ。昭和特撮好きの私は元来CG嫌いでしたが、そんな私でもグゥの音も出ない圧倒的な表現力でした。技術の進歩と、山崎貴監督をはじめとするスタッフの皆さんの力量の元にひれ伏すのみです。
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 着ぐるみによるアナログ特撮の時代においても、”海” や “水” の描写は難物だったはずです。例えばゴジラが海中からその姿を現す場面にしても、ゴジラの全身から滴り落ちる水滴ひとつひとつの大きさの為に、ゴジラが何十メートルもあるような巨大生物ではなく、等身大の着ぐるみであることがモロにバレかねません。
 しかし今回の海戦シーンでは、圧倒的に巨大なゴジラを体感できます。CGの面目躍如です。今後はもう「着ぐるみゴジラ映画」は制作されないのだろうか… 東宝の大プールでの特撮シーンが懐かしい…などと考えると少し寂しくもありますが、もはやバーチャルだ何だということを超越して、CGは “特撮表現” のひとつに成長したのだと実感しました。
 使い方が絶妙な “伊福部音楽”
 6ヶ所目、それは “伊福部音楽” の使い方が絶妙だったことです。
 従来のゴジラ映画でも、音楽を別の方が担当されている作品であれ一部、劇中で伊福部昭先生の音楽が挿入されることは多くありましたが、時には取って付けたような感がある場合もありました。しかしながら、本作での伊福部音楽は、「ここや!」「ここしかないで!!」と叫びたくなるシーンで流れました。
 きっかけとなる登場人物の台詞と、音楽スタートとのタイミングも絶妙。もうそれはお見事としか言いようがなく、かゆいところに手が届きすぎて、思わず掻きむしり過ぎてしまいそうな勢いです。
 ゴジラマニアだから語れる小ネタ集
 そして最後に、これは本作を含め今までのゴジラ映画をご覧になった方にのみ通じる小ネタ集的な話題になりますが、本作にも「分かる人には分かるネタ」が散りばめられていました。
 まず、 “そのスジの皆さん” はきっとピンと来たことと思いますが、大石典子(演:浜辺美波)が出くわす電車のシーンは、『キングコング対ゴジラ』(1962年)での桜井ふみ子(演:浜美枝)のシーンを思わせ、ニヤリとさせられました。(偶然ながら浜辺美波さんと浜美枝さんはお名前も似てる!)
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 また、ゴジラに投じた機雷のワイヤーを、引っ張り寄せてみると既にゴジラに切られていた…というくだりは、『ゴジラ』(1954年)のラストシーンで海中に潜った芹沢博士(演:平田昭彦)の行動を彷彿とさせました。
 さらに、ラストでゴジラへの決死の攻撃に飛行機が使用されるところは『ゴジラの逆襲』(1955年)へのオマージュかと。
 …というわけで、人間ドラマ部分に関しては意識的に触れずにおきましたが、本作ではドラマ部分と特撮部分の融合ぶりも素晴らしいのです。その辺りは劇場で皆さんの目でお確かめください。
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🎑114)─2・L─『ゴジラ-1.0』は昭和前期を扱った時代劇だからこそ描ける現代の問題点。~No.256 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
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 日本のゴジラは低額予算で制作され、ハリウッドのゴジラは高額予算で制作される。
 日本の特撮映画は、何時消えてなくなるかわからない「崖っぷち映画」である。
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 2023年12月8日 MicrosoftStartニュース デイリースポーツ「新作ゴジラ全米の歴代邦画実写興収を更新 わずか5日で34年ぶり大記録 「子猫物語」超え
 全米での新記録を樹立した映画「ゴジラー1.0」
 © (C)デイリースポーツ
 映画「ゴジラ-1.0」が、北米で現地時間1日から公開され、全米における累計興収が同5日(火)までに1436万ドル(Comscore調べ)を突破した。邦画実写作品の全米興収は「子猫物語」(89年公開)の約1329万ドルが歴代1位だったが、34年ぶりに更新。上映開始から5日間で大記録を軽々と踏み越えた。
 北米では邦画実写史上最大規模となる2308館(うちラージフォーマット750館)で初日を迎え、週末3日間(12月1日~3日)のオープニング興収(先行上映含む)で約1100万ドル(約16億円)を記録。日本製作のゴジラシリーズ全米最高興収で「子猫物語」に次ぐ歴代2位だった「ゴジラ2000 ミレニアム」(99年公開)の約1003万ドルを3日間だけで上回った。
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 12月7日 MicrosoftStartニュース JBpress「ストレスゼロの大傑作『ゴジラ-1.0』時代劇だからこそ描ける現代の問題点
 2023年11月1日、東京国際映画祭より ©️rodrigo reyes marin/zuma press wire/共同通信イメージズ
 © JBpress 提供
 (歴史家:乃至政彦)
 『ゴジラ-1.0』のくさいセリフ
 いつも戦国時代をメインとする歴史ものばかり記事を掲載して頂いているが、今回は『ゴジラ-1.0』から、「過去との対話」という歴史的テーマについて書かせてもらいたい。
 上映から一ヶ月ほど、ネタバレを避けるため遠慮していたが、ある程度のことまでならもう大丈夫だろう。
 今回テーマとしたいのは、佐々木蔵之介演じる秋津淸治船長の印象深いセリフ「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」についてである。
 本作は昭和22年(1947)の戦後を舞台とした作品である。
 もう70年以上も前のことを映像化するのだから、時代描写は困難を極める。言葉遣い、大道具、小道具、歴史事件をどのように再現するか、無数の問題がある。
 昭和を舞台とする作品に定評のある山崎貴監督の作品であるから、本作の時代考証は緻密で、文句のつけどころがない。
 事実の「歴史そのまま」にするのではなく、適度に「昭和ぽさ」を組み合わせていて、我々を異世界へと連れていってくれている。
 よって、オーバーで“クサい”演出が目立つことになる。このため本作を一種の「時代劇」と感じた人もあるようだ。
 私もいくらかはそう思うのだが、特に秋津のセリフは、戦後昭和という特殊な時代らしさが強いと感じた。
 現代を舞台とする作品ではちょっと出てこない言葉なのである。
 ここにこの映画を現実の我々と無関係なファンタジー作品と見るか、現代に通底する価値観を打ち出すリアルの作品と見るかの分岐点がありそうに思う。
 ストレスゼロの大傑作
 最初に言っておくと、『ゴジラ-1.0』は本当に素晴らしい。正直言ってこれまでの邦画ゴジラには、どの作品においても特撮シーンのどこかで、心の目をつぶらないといけないところが必ずあった。
 今の技術で可能な限り、普通の人生では我々が見られないはずの驚くべき光景を見せてくれている──という感動と同時に、映像技術の限界を感じさせられてきた。初代ゴジラも観客たちは、着ぐるみのゴジラが登場するたび、笑いが出ていたという。
 昭和なら、怪獣の尻尾や航空機を操演するためのピアノ線が見えてしまったり、平成でも海外のコンピュータグラフィックスと比較にならない作り物感がはっきりしていて、「ここは理性を押さえ込んで/理性を使って、納得することにしなければならない」と自分の情感をコントロールする必要があったのだ。
 それが、本作にはない。ストレス・ゼロだ。
 ここに『ゴジラ』(1954)、『シン・ゴジラ』(2016)と並ぶ万人向けゴジラ映画がもう一作できた。長年のゴジラファンとして喜ばしい限りだ。
 さて、今回の記事はゴジラを持ち上げるためのものではない。
 歴史と解釈の話をしたい。
 本作『ゴジラ-1.0』はちょっとした時代劇臭がある。もはや歴史と化してしまった昭和前期の雰囲気を、当時の映像や発声を意識しながら、近年蓄積されてきた映像的な「昭和らしさ」を念入りに作り込んでいる。
 前世紀に大量に作られた江戸時代ものの映像作品もそうで、緻密な時代考証よりも「みんながこれまでのフィクション作品で見慣れてきたシェアードワールド」を舞台に作り込んでいる。 
 山崎貴監督の作品は、戦前戦中戦後の昭和前期を舞台とする作品が特に高い評価を集めている。観客をこのフィールドに見事引き寄せて、フィクション昭和を心地よく見せてくれている。
 誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!
 さて、秋津淸治船長の「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」についてである。
 これは、実にいい言葉だ。
 とてもかっこいいセリフで、日本人なら、なんとなく共感してしまうところがある。
 お互いがお互いを思いやり、明るい社会のため、ある程度の自己犠牲を許容する。ここには、現代社会を舞台とする作品ではもうほとんど見られない価値観がある。
 こういうセリフを現実に言うことは、まずないだろう。
 例えば、あなたの上司が受注した商品の生産をスケジュールギリギリで進めていたと考えてもらいたい。
 みんな時間外労働協定のもと、限られた時間の限界まで働いていた。
 だがここでメイン技術者の芹沢スタッフが倒れた。過労だった。
 このままでは納期に間に合わない! そしてもはや法的に許される時間外労働が残されたスタッフもいない。
 そこで上司はいう──。
「このまま納期を守れなければ、全ての努力が無駄になる。だから明日から3日間、俺はタイムカードを切らずに仕事をやる。俺一人で終わらせるわけじゃないがな。でも誰かが……誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!!」
 そう言って、あなたたちの顔を見たらどうするだろうか。
 たとえ上司が佐々木蔵之介の顔をしていたとしても、ちょっと反応に詰まるだろう。
 昭和の思考と行動
 秋津淸治よろしく「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」というセリフが、美しく響くには条件がある。
 それは、相手と自分が、ともに個人の都合より何らかの大いなるものを優先する価値観を共有していなければならないことだ。
 その大いなるものとして考えられるものは、国家、信仰、思想だが、秋津艇長の思いはそこにない。官なるものが消失して、それよりも個別の「家族」という小さな共同体への思い、それが繋がりあっているのだろう。
 本作の秋津艇長は、個人主義者ではない。
 今は薄くなった"押し付けがましさ"が色濃く残る「昭和の男」らしい価値観の持ち主である。
 本作後半に登場する堀田辰雄艦長は、もと軍人でありながら、重要な場面で、「皆さん、良く聞いてほしい。これは命令ではありません。個々の事情がある方は帰ってもらって構わない。それを止める権利は我々にはない」と言っていて、秋津艇長と少し違った現代的な価値観に基づく言葉を発している。
 どちらも相反するような考え方であるが、監督は両方の主張を肯定的に描き、感動的に見えるように仕立てている。
 ここに本作の人間ドラマの真髄を感じる。
 突き詰めれば、みんな思いは違っていて、矛盾する思いを抱えているが、考え方の違いから対立することなく、最善を尽くしている。
 現実の問題と向き合える時代劇
 先の堀田艦長に「俺達だけがなぜ貧乏くじをひかねばならんのですか?」と言い放った者もいたが、最終的には、その「貧乏くじ」を進んで受け入れる民間人の戦力が結集して、最後の大作戦に挑む展開となっていく。
 こちらをチラチラ見ながら「無償でタイムカードを使わずに労働しようじゃないか」という令和上司は画面映えしないが、戦後日本の秋津艇長が「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」と喝を入れるシーンは名場面になる。
 なぜだろうか?
 ここを考えていくと、昭和と違う時代を生きる我々が担っている問題と、乗り越えるべき道とが見えてくる。
 我々は、"強者が「やりがい」をもって弱者を搾取する社会構造には、強く「否」を唱えるべきだ"とする時代に生きている。
 だが、「逃げろや逃げろ」にも限界がある。全員が「逃走」ばかり望んでいては、共同体そのものが滅びてしまう。我々は個人同士を尊重する必要があるが、同時に共同体を失っては生きてはいけない。
 初代ゴジラが上映された同年に公開された名作映画にも、「他人を守ってこそ自分も守れる。己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ」というセリフがあり、人々の共感を集めた。
 秋津艇長のセリフは、現代劇で美しく見せることは難しいが、昭和を舞台とする作品では、人の心を強く惹きつけるところがある。
 フィクションのスーパーヒーローが、その文化圏のロールモデルとなることもあるように、我々はフィクションの中に人間の理想を感じ取って、今の問題と向き合う勇気と緊張を背負うことができるのではなかろうか。
 秋津艇長と堀田艦長ふたりの言葉を同時に受け入れることで、『ゴジラ-1.0』は、我々を「未来を生きるための戦い」へと進む力を与えてくれるだろう。
【乃至政彦】ないしまさひこ。歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(ともにJBpress)、『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。現在、戦国時代から世界史まで、著者独自の視点で歴史を読み解くコンテンツ企画『歴史ノ部屋』配信中。
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 https://www.synchronous.jp/ud/content/613ae89077656127a1000000
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 12月8日 MicrosoftStartニュース Pen Online「養老孟司山崎貴が初対談! 生誕70周年を迎えるゴジラを、映画とアートから考える
 ゴジラ生誕70周年を迎える2024年に向け、2つのプロジェクトが始動した!
 一つは大ヒット中の『ゴジラ-1.0』の公開。もう一つはアーティストの我喜屋位瑳務、NOH Sanghoら国内外の表現者たちを迎え、それぞれの手法でゴジラを表現して高い評価を得たアート・イベント『GODZILLA THE ART』の開催だ。
 勢いをそのままに、『ゴジラ-1.0』は全米でも公開され、1436万ドル(約21億円)を突破、歴代邦画実写作品の中で1位となり、『GODZILLA THE ART』第2弾の開催も決定! 果たして、国内外のファンを70年にもわたって魅了する「ゴジラ」とはなんなのか。『GODZILLA THE ART』ゼネラルプロデューサーの解剖学者・養老孟司と海外でも高い評価を得た山崎貴監督に、ゴジラの魅力と正体をさまざまな角度で語っていただいた。
 ©2023 TOHO CO., LTD.
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 時代の描写は「その人がどう受け取ったか」に尽きます
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 養老孟司●1937年、神奈川県県生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。著書に『唯脳論』『バカの壁』『手入れという思想』『遺言。』『ヒトの壁』など多数。池田清彦との共著に『ほんとうの環境問題』『正義で地球は救えない』など。
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――養老先生は『ゴジラ-1.0』をご覧になっていかがでしたか。
養老 一生懸命に観ました(笑)。細かいディテールも気になるし、とにかく一生懸命に観てしまう映画でしたね。とてもよくできてるんじゃないでしょうか。
 山崎 ああ、良かった! 先生は、あの時代の東京や神奈川をご存じですよね。東京の風景などはいかがでしたか。
 養老 非常に懐かしかったですね。
 山崎 当時の銀座は、空襲で焼け残ったところは、しっかりとした良い建物ですが、焼けちゃったところはベニヤのにわかづくりの建物になっていたんです。歩道には日用雑貨が売ってる露店が並んでいて――という街並みは、47年のある時期だけにあった特殊な風景なのですが、当時の写真を助監督が見つけてきちゃった(笑)。写真を見つけたからには、映画でも再現しなきゃいけないんで苦労しました。こうした風景も、ご存じですか。
 養老 うん、知ってますよ。あの映画の通り、露店が並んでました。露店の古本屋で本を探していましたから。
 山崎 そうですか! 本物の風景を見てらした先生の証言がいただけて良かったです。時代の描き方はいかがでしたか。
 養老 昭和20年代の日本が最初の舞台になっていますが、ぼくの周りの大人が登場人物と同じくらいの世代でした。実の兄貴は予科練(海軍飛行予科練習生)で終戦を迎えて帰ってきたとか、同級生はあの場所で逝っちゃったとか、いろいろなことを思い出しました。いまの人が持っている特攻に対するイメージも、『ゴジラ-1.0』に描かれているような形で、解釈が落ち着いてきたのかなと感じましたね。
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 『ゴジラ-1.0』の劇中で、ゴジラによって破壊される銀座の街。©2023 TOHO CO., LTD.
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 山崎 僕らの世代はあの時代を体験していないので、映画で描いたことが本当はどうだったのかはわからないですけれども、本で調べただけでなく、特攻隊に入りながら終戦を迎えた方の話なども脚本には入っているんです。僕らは戦争を経験している方たちの話を直接、聞くことができるギリギリの世代かもしれないので、間違いなければいいなと気にしながらつくっていました。
 養老 いやいや、気にしなくても、根源的にはそういうことに正しいとか、間違いとかないんじゃないかと思います。その人がどう受け取ったかに尽きます。学問をやると正しいか間違いかにうるさくなるんですが、僕はそういうの嫌いなんですよ。
――山崎監督は『続・三丁目の夕日』でゴジラを登場させました。また養老先生は『ガメラ2』にもご出演されています。お二人は怪獣映画がお好きなんですか。
 養老 ぼくは子どものころから恐竜が大好きでね。今でも、しょっちゅう図鑑などの絵を見ているんですが、それが映画になって立体で動き出すと実に楽しい。でも恐竜ファン寄りの立場で、怪獣を生き物として観るから、あそこが悪い、ここが違うと思ってしまうんです。
 山崎 先生は、ゴジラのソフビ・フィギュアを見て、もう少し頭が大きい方がいいな、とかおっしゃってましたね (笑)
 養老 この目つきがなあって、文句言ってたんです(笑)。
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 二人の真ん中にあるのは、『ゴジラ-1.0』に登場するゴジラを再現したフィギュア
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 ゴジラは神様とも獣ともつかない、両方を兼ねた存在
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 山崎貴●1964年、長野県生まれ。幼少期に『スターウォーズ』や『未知との遭遇』と出会い、強く影響を受け、特撮の道に進むことを決意。阿佐ヶ谷美術専門学校卒業後、1986年に株式会社白組に入社。『大病人』(93)、『静かな生活』(95)など、伊丹十三監督作品にてSFXやデジタル合成などを担当。2000年『ジュブナイル』で監督デビュー。CGによる高度なビジュアルを駆使した映像表現・VFXの第一人者。『ALWAYS 三丁目の夕日』(05)では、心温まる人情や活気、空気感を持つ昭和の街並みをVFXで表現し話題になり、第29回アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞など12部門を受賞。『永遠の0』(13)、『STAND BY ME ドラえもん』(14)は、それぞれ第38回アカデミー賞最優秀作品賞ほか8部門、最優秀アニメーション作品賞を受賞。日本を代表する映画監督の一人として数えられる。
山崎貴●1964年、長野県生まれ。幼少期に『スターウォーズ』や『未知との遭遇』と出
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――養老先生は1954年の初代『ゴジラ』もご覧になっているんですか。
 養老 映画館で観たかどうかは覚えていないけれど、そういうの大好きですから観ているに違いないと思います。
――監督がご覧になった最初のゴジラ映画は?
 山崎 僕は小さいころキングコング対ゴジラ』をTVの雨傘番組で見たのが最初だったと思います。雨傘とは、野球が雨天中止になるとTV中継が別の番組に差し替える編成なんですが、怪獣映画が多かったんですね。そこで見た『キングコング対ゴジラ』が最初だったと思います。でも自分的にもっと衝撃だったのは、幼稚園か小学生の低学年のころ、神社に落ちていた少年雑誌。見てたら特撮の裏側を見せる特集が組まれてて、怪獣の中に人が入ってミニチュアの建物を壊して撮影しているという図解が載っていたんです! 怪獣という仕事があるんだと!
 養老 それは衝撃的だ(笑)。
 山崎 凄いうらやましかったですね。怪獣ゴッコをして暮らしている人がいるんだと(笑)。うちのお父さんはサラリーマンで面白そうなことしていない感じがしていたんで、なぜ怪獣ゴッコで遊んでいるだけなのに給料がもらえるんだ!?と。それで監督になりたいと思ったんです。
――そんな怪獣ファンのお二人が考える、生誕70周年を迎えるゴジラの魅力とは? なぜつくり続けられているんでしょうか。
 山崎 『ゴジラ-1.0』を作り終わったとき、ゴジラは神様とも獣ともつかない、両方を兼ねた存在なんじゃないかなと感じました。ただのエンタメだと、70年も残っていないような気がします。これだけの時間を乗り越えてきたのは、日本人特有の宗教観とどこかでつながっていて、ゴジラ映画をつくる行為は、海から祟り神が出てきちゃったから、みんなでお祀りして鎮める神事なんじゃないかなと。
――海外のモンスター映画とは違いますか。
 山崎 アメリカのシナリオのシステムでいうと、怪獣がなぜ襲ってくるかを説明しないといけないんです。アメリカの核実験で焼かれて怪物になった生物が、なぜ日本にくるのか。それを説明するのがハリウッド的脚本なんですが、日本の怪獣映画は「来てしまいました」と素直に受け入れる。
 養老 まったく、その通りだと思います。宗教そのものじゃなくて、宗教的なものですね。宗教だと、なにについても定義するところがあるんだけれど、そうじゃなくて、怪獣には日本人が心情として持っている視点が込められている。形がハッキリしていて目に見えるものじゃなくて、災害の歴史や歴史的に日本にある空気のような、うまくいえない形にならないものがゴジラになった。そんななんとも言えないボンヤリしたものがゴジラです。
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 養老孟司山崎貴が初対談! 生誕70周年を迎えるゴジラを、映画とアートから考える
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 山崎 ああ、ボンヤリした存在ですね。
 養老 それでも、みんな素直に受け入れている。それでいいんじゃないですか。現代って物事をボンヤリさせないという悪い癖がある。なんでもキチンと説明しようとするから、疲れちゃうんです。ゴジラは、「ゴジラみたいなもの」という漠然とした説明で良いんじゃないですか。
 山崎 たしかに説明できないのは大事かもしれませんね。
 養老 ゴジラをつくり続けているのはなぜ? というのは、なんでお祭りをやってるんですかと質問するようなものです。やらなくてもいいんだけれど、やっぱりやろうという人が一定数いるし、参加する人もいる。だからお祭りをやる。お祭りをして、怒る人はあんまりいないと思います。
 山崎 『ゴジラ-1.0』の製作を始めたら、コロナ禍があったりウクライナの戦争が起きたり、祟り神が憑いている感じがしたんですよ。ですからぼくには、撮影は祟り神を祀って鎮めているような思いもあったんです。いま、お話を聞いていて、日本人にはそういう感覚が備わっているのだなと思いました。
 勢いで作っているから、逆に純粋なものができた初代『ゴジラ
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 養老孟司山崎貴が初対談! 生誕70周年を迎えるゴジラを、映画とアートから考える
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――ゴジラには、海外に発信する日本文化としての側面もあると思うのですが。
 山崎 「GODZILLA THE ART」には確かにそういう側面があって、海外の人はゴジラをアートとして捉えている感じがあるんです。今回、映画に関する海外メディアの取材をいくつか受けたんですが、「日本人は気づいていないかもしれないが、ゴジラはアートなんです」と言われました。
 養老 他の文化圏の人がどう見ているかは、当事者には分からないんですよ。それを先回りして説明することができない。日本人がゴジラをさんざん作ってきて、気がついたら、外側から、こんなもの他にはないよって言われたという話ですね。
 山崎 それは初代『ゴジラ』にも当てはまる話ですね。『ゴジラ』は世界に認めてもらおうとかじゃなくて、気がついたら、こんなものできちゃったという作品です。もともとは当時、海外との合作映画を作ろうとしていたんですが、政治的な理由でお蔵入りしてしまった。それで急遽、埋め合わせる映画を作らないといけなくなって、アイディア段階から公開まで8か月しかない中で、勢いで作ったのが初代『ゴジラ』です。
 養老 ああ、そうなんですね。
 山崎 戦争が終わって間もないときに、東西冷戦や第五福竜丸の事件など嫌な雰囲気の世相の中ででき上った映画で、いま観ると反戦のメッセージが感じられるんですけども、いろいろメッセージを考えて「込めよう」としたのではなくて、当時の「水爆なんて、いい加減にしてくれ」という厭戦のリアルな気持ちが、自然に「込もっちゃった」作品だと思います。
 勢いで作っているから、逆に純粋なものができたのでしょう。だから海外でも評価された。『ゴジラ-1.0』はアメリカでも公開されるのですが、どう受け取られるか楽しみでもあり、恐ろしくもありますね。アメリカ人にゴジラをどう説明すればいいのか……(注:取材時は全米公開前)。
 養老 ぼくなら説明しないです。現代社会は説明過剰です。説明して分かっているようになるのも嘘だし、説明しているのも嘘だし。言う方も聞く方も、両方で嘘をつくクセがついている。初代『ゴジラ』の成り立ちには、そういうからくりが一切ない。正直に作っているわけで、そういう工程が一番、良い作品ができるんじゃないですか。それが日本流といえるのかもしれない。
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 やってみてどうなるかというのがゴジラなんです
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 養老孟司山崎貴が初対談! 生誕70周年を迎えるゴジラを、映画とアートから考える
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――「GODZILLA THE ART」にも日本流のゴジラが現れそうですか。
 養老 「GODZILLA THE ART」の参加者が、それぞれのゴジラを描き出すことが、その意義で面白みです。「アート」っていろいろな面があるから、思いが結びつくところ、接地点があればやりやすい。ゴジラは日本人の神性に深く結びついているものですから、その接地点からアート作品が出てくれば、いいんじゃないかなと思っています。
 山崎 自分たちの持っているメンタリティで作っていけば、まったく違う価値観の人が見ると不思議な「ゴジラ」が見えてくるのかなと。初代『ゴジラ』は、狙わずに当時のスタッフの思いが怪獣になっちゃった。それが「アート」なのかもしれないですね。
 養老 そうですね。そこがゴジラの一番面白いところです。「同じ」世界を言葉によって生む文明社会と、世界の違いを感覚で呼び戻すアートがある。「GODZILLA THE ART」では説明なし、解釈なし。言葉にしないでゴジラを引き合いにした作品を作るのがいいんじゃないですか。こんなもんができちゃったという出し方ですね。
 山崎 そのまんまのゴジラを描く人もいるし、エネルギーの流れみたいなものを描く人もいるだろうし。ゴジラをどう捉えるか、その人の精神性が表れるでしょう。
 養老 ぼくは子どもが絵を描いてくれれば面白いと思うんだけどな。子どもが自分で考えたゴジラでも、ゴジラがいる風景でもいいからね。子どもはホントにいい絵を描きますよ。全国の学校でぜひやっていただきたい(笑)。
 山崎 キャーキャー喜んで書いてくれそうですね(笑)。
――「GODZILLA THE ART」の今後の展開をお聞かせください。
 養老 そういうことは「やってみないとわからない」んです。先が読めるような企画は、面白くもおかしくもない。やってみてどうなるかというのがゴジラなんです。
 山崎 それでハプニングが起きても……。
 養老 うん、それでいい。銀座がぶっ壊れてもいい(笑)。最近「やってみないとわからない」って、誰も言わないですよね。若い人が怒るんだ。「先生、これやったらどうなります?」「やってみないとわからないだろ」「そんな無責任な!」って(笑)。若い人は、やってみてわかることしかやらない。なんでも「やってみること」が大事です。
 山崎 初代『ゴジラ』もそうですよね。監督を決めるに当たって、東宝のいろんな方に「そんなゲテモノ!」と凄い断られたらしいんです。でも「やってみなきゃわからない」という本多猪四郎監督がいらっしゃったから面白い映画になった。
 養老 よく分かります。
 山崎 それがマスターピースになって、70年も作り続けられる基礎になったわけです。本当に「やってみなきゃわからない」と思います。
 養老 ゴジラは、日本人が忘れがちななにかを教えてくれるんですね。やってみないと分からないのが、ゴジラなんです。
 『ゴジラ-1.0』
 監督/山崎貴
 出演/神木隆之介浜辺美波ほか 2023年 日本映画
 2時間5分 TOHOシネマズ日比谷他にて公開中。
   ・   ・   ・   

💍43)─1─「雅子さまは人権侵害を受けてきた」適応障害を発症された本当の理由。〜No.152No.153 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 天皇・皇族は、税金泥棒ではない。
 むしろ現代日本人の方が、皇室私有財産強奪者であり、天皇家に対する恩知らずである。
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 2023年12月7日 MicrosoftStartニュース 文春オンライン「《宮内庁幹部が告白》「雅子さまは人権侵害を受けてきた」適応障害を発症された本当の理由
 「文藝春秋」編集部
 12月9日に皇后雅子さまが還暦を迎える。心身の不調を抱えて、長い間、苦しい闘いを続けてこられたが、12月8日発売の「文藝春秋」2024年1月号では、平成の時代から雅子さまのご様子を見続けてきた宮内庁幹部がその実情を本誌取材班に語っている。
 皇室という場所は個人の人権が一切守られていない
 雅子さまは2003年に帯状疱疹を発症され、2004年には「適応障害」という病名を発表。公務をお休みになることも多く、長い療養生活を送られてきた。
 2023年6月、インドネシアを訪問された雅子さま Ⓒ時事通信社
 © 文春オンライン
 だが、天皇陛下が即位されてから5年が経った今、お出ましの機会が増えており、ご体調はかなり回復されているという。今年6月には約21年ぶりの国際親善としてインドネシア訪問を果たされ、その後も「全国豊かな海づくり大会」や「特別国民体育大会」「国民文化祭」などへのご参加のために全国各地を精力的に回られている。
 ここまでの長い道のりを振り返り、宮内庁幹部はこう明かした。
 「個人の人権が一切守られていないのが、今の皇室という場所です。選挙権や戸籍も無く、職業選択の自由や信教の自由も持たず、財産権も制限されている。どこへ行くにも側衛官が付き、何をするにも両陛下や警察庁長官、そして総理大臣に逐一報告されてしまう。皇族方は、監視下での生活を余儀なくされています。赤坂御用地や御所など、高い塀に囲まれた空間で、幽閉されているのと同じです。あるいは囚われの身にあると言ってもいいかもしれません。
 現在、17人の方がいらっしゃる皇族の中で、精神面で鬱的な状況に陥っていない方は、一人もいません。皆さま、それを押し隠して公務や儀式に臨まれている」
 雅子さまが現在に至るまで抱く問題意識
 煌びやかな生活を送っているかのように見える皇室には、実は「人権侵害」が蔓延っているという。そして、皇族の中で人権侵害を一身に受け続けてきたのが、雅子さまだという。
 「1993年に雅子さまは今の天皇と結婚されて皇室に入られたが、当時は、今以上に人権擁護など考えられない組織でした。体調が悪くても『公務に出るのが当たり前』と言われて、無理を押してご臨席され、なかなかお世継ぎが出来なかった時期には、『早く。国民が待っているから』と批判される。これらは人権侵害以外の何ものでもありません。
 雅子さまハーバード大学、東大、外交官という華々しい世界を歩まれてきましたが、突然、皇室に入られた。そこで人権が侵害されている状況を目の当たりにするわけで、雅子さまは、『一体、どうなっているの?』と強い疑問を抱かれたのです。
 そんな皇室の環境に馴染めなかったからこそ、『適応障害』と診断されることになった。雅子さまは現在に至るまで、一貫して『皇族は人権が守られない立場でよいのか』という問題意識を抱いていらっしゃる。ご結婚されてから、ずっと戦い続けてこられたのです」(同前)
 適応障害を発症後、主治医のもとで療養生活に入られることに
 「お世継ぎ」を生むことへのプレッシャーに苛まれ、疲弊された雅子さまは、2003年12月には「帯状疱疹」を発症され、宮内庁病院に入院。皇太子(現・天皇陛下)が雅子さまを庇って、会見で「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と「人格否定発言」をされたのは翌04年5月のことだった。
 その後、雅子さまは「適応障害」と診断され、主治医で精神科医の大野裕氏のもとで療養生活に入られることになる。
 公務の際には「体調を考慮したうえで参加を検討」という留保が付くようになり、欠席される機会も増えた。毎年のお誕生日に発表される雅子さまのご感想の文書にも、〈お医者様のご指導の下で快復に努める〉という文言が、頻繁に記載されるようになった。
 関連するビデオ: 愛子さまが22歳の誕生日 日本文学の勉強に励み忙しくも充実した日々送られる (テレ朝news)
 2005年からは、雅子さまの誕生日文書と同時に「東宮職医師団見解」という文書も公表されてきた。医師たちが専門の立場から、雅子さまのご病状を説明するものだ。
 文章の最後に書かれた、雅子さまの“内なる叫び”
 「雅子さまは、どうしても行事を欠席せざるを得ないほど、体調が深刻な時が多々ありました。ですが、せっかく招いてもらっている身で、自ら断るわけにはいかない。また、政府が主催する行事に、なかば強制的に参加させられる場面もある。皇族方はまるで操り人形のように振舞わなければならず、『人権が無視されている』と感じるような耐え難い状況です。それでも雅子さまは、自分の意思で拒否するわけには到底いきません。そんなことをすれば『税金泥棒!』と批判が殺到するでしょう。ですが医師たちの判断であれば、いわばお墨付きを得る形で、何とか欠席できるわけです。
 『東宮職医師団見解』の文書作成にも、実はすべて雅子さまご自身が関わっています。誕生日に発表されたご感想の文書を、今度は医師の立場で考えたらどうなるかという視点でご覧になるのです。文章の最後に必ず書かれている『温かい目で見守っていただきたく』という文言は、雅子さまの“内なる叫び”なのです。
 大野医師や東宮職医師団とのこうした緊密な体制は、雅子さまが皇室内で生き延びていくために必要なものだったと言えます」(同前)
 12月8日発売の「文藝春秋」1月号では「 雅子さま還暦『内なる戦いの30年』 」と題して、雅子さまのご近況から皇室での30年の生活、さらには愛子さまとのご関係など全10ページにわたり詳報している(「 文藝春秋 電子版 」では7日公開)。
 (「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年12月号)
   ・   ・   ・   


 敗戦後の日本は、GHQの権威を利用して皇室の私有資産を没収して復興資金に使い、最後の世界皇帝である天皇の権威を日本の信用に利用した。
 日本国の国際的信用は、平和憲法でも日本国家でもなく、ひとえに男系父系天皇の歴史的権威である、それは現代においても変わらない。
 天安門事件後で国際制裁を受けていた中国の信用を回復させたのは、天皇の中国公式訪問である。
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 マルクス主義のエセ保守とリベラル左派による反天皇反民族反日的日本人達は、メディア業界や教育界に巣くい、超エリート層と言われる超難関校出の高学歴な政治的エリートと進歩的インテリ達っている。
 彼等は、女系母系皇位継承派として民族的な歴史、伝統、文化、宗教・神話、その他諸々が理解できない。
   ・   ・   ・   
 国民の80%以上が、現天皇家・皇室による男系父系皇位継承に反対し新たな女系母系皇位継承を支持している。
   ・   ・   ・   
 国連や国際機関内部にも反天皇反日国際勢力が存在している。
   ・   ・   ・   
 何時の時代でも、日本国と日本民族を救ってきたのは現天皇家・皇室である。
 当然、敗戦後の日本を復興を精神的に支えて蔭ながら成功に導いたのは昭和天皇と皇族であった。
 それ故に、日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
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2023-07-13
💖目次)─8─近代天皇と軍部・陸軍の人道貢献・平和貢献。現代日本人は人助けが苦手。~No.1 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
   ・   ・   ・   
 昔の日本人=日本民族は、戦争で人を殺したが戦場で人を助けた。
 現代の日本人=日本国民は、平和で人を殺さないが安全な所で人を助けない。
   ・   ・   ・   
 旭日旗は、人道貢献の救助と平和貢献の希望を世界に示す光の旗であった。
 それ故に、戦犯旗として忌み嫌われ、踏みにじられる。
   ・   ・   ・   
天皇の御稜威・大御心・御聖慮。
2022-03-27
💖2)─1・A─光明皇后の慈愛。ハンセン病癩病)を癒やした人の子・光明皇后と神の子・キリスト。~No.2 
2017-03-17
💖2)─1・B─皇室の国際赤十字新月運動。シエラレオネ昭憲皇太后基金。~No.2・ @ 
2021-02-24
💖2)─2─皇室の私有財産の使い道。世界的な昭憲皇太后基金。~No.3 
2021-03-08
💖2)─3─皇室。日本赤十字社の戦争協力。従軍看護婦靖国神社の乙女。~No.4
2022-02-03
💖2)─4・A─太平洋戦争時。女性皇族は病院を慰問し患者を励まし勇気を与えていた。~No.5 
2021-09-14
💖2)─4・B─日本人の美徳。~No.5  
   ・   ・   ・   
日本の中国ヘの救援・支援。 
2019-05-11
💖3)─1─華北旱魃を救った明治天皇と明治政府。義和団事件。中国は西原借款の善意を踏み倒した。〜No.6No.7No.8No.9・  
   ・   ・   ・   
日清戦争
2019-07-06
💖4)─1─諸外国は観戦武官や新聞記者を日本に派遣して日清戦争を観察していた。~No.10No.11No.12No.13・ 
   ・   ・   ・   
日露戦争。世界ゼロ次世界大戦。
 1900年7月 アムール川黒竜江)事件。ロシア人兵士が清国人(満州族)約2万5,000人を虐殺した。
 日本の世論は緊張し、反ロシア大集会が日本各地で開かれるに至った。ロシアは次に朝鮮を蹂躙して日本へ侵略してくるに違いない、というのが世論の見方であった。
 そして、日露戦争は不可避となった。
2017-08-15
💖5)─1─金沢の市民は、日露戦争で身内をロシア軍に殺されたが、怨みを忘れてロシア人兵士捕虜の面倒を見た。~No.14・ @ 
2021-02-15
💖5)─2─日露戦争習志野の捕虜。~No.15 
2018-01-24
💖5)─3─明治の日本人は、撃沈したバルチック艦隊の特務艦イルティッシュ号から敵兵235人を救助した。~No.16No.17・ @ 
2021-09-01
💖5)─4─日露戦争で沈没の輸送艦、映画に 「イルティッシュ号の来た日」。~No.17 

   ・   ・   ・   
2020-06-27
💖5)─5─日本人は朝鮮人アイヌ人を感染症から救っていた。~No.18No.19No.20No.21 
朝鮮、
アイヌ
 江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大約2万6,800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
琉球
台湾、
満州
   ・   ・   ・   
 2020年6月27日号 週刊現代佐藤優 ビジネスパーソンの講座 名著、再び
 現代社会に蘇った、『コロナ禍』の背景にある『黄禍論』の正体を知れ
 ……
 池上氏は、このようなアジア人に対する差別を過去、欧米で深刻だった『黄禍論』とのアナロジー(類比)で解釈する。〈これで私が思い出したのが、『黄禍論』という黄色人種に対する人種差別です。19世紀から20世紀にかけて、欧米で中国人や日本人などの黄色人種に対する差別が燃え盛りました。日清戦争日露戦争での日本の勝利を見た白人たちが、『黄色人種の脅威』を訴え、差別が広がったのです。新型コロナウイルスパニックでまた黄禍論が復活したような格好です。〉日露戦争(1904~05年)のときにロシアが日本の脅威を訴えるために『黄禍論』を宣伝した。その影響は北米大陸にも及んだ。第一次世界大戦後、日本が急速に国力をつけるとアメリカで急速に『黄禍論』が拡大し、日系アメリカ人が不当な差別を受けた。コロナ禍との文脈でトランプ大統領の白人至上主義者が『黄禍論』を蘇らせたのだ。」
   ・   ・   ・   
シベリア出兵。集団的自衛権発動。
2017-08-14
💖6)─1─日本陸軍は、シベリアからポーランド人戦争孤児765人を武力で助け出した。~No.22No.23No.24No.25・ @ 
2019-10-27
💖6)─2─日本外務省・日本大使館の反ドイツ派は、帰国したポーランド孤児をナチスから助けた。~No.26・ 
2021-02-07
💖6)─3─ポーランド人蜂起部隊イェジキの子供兵士を陰で支えた反ドイツ派日本外交官。~No.27 
2023-10-20
💖6)─4─親日ポーランドと日本。知られざる歴史と友好の絆。~No.28No.29 
  ・  ・  
2017-08-17
💖7)─1─日本人軍国主義者は、シベリアのロシア人戦災児童約800人をロシア人共産主義者から救出した。~No.30・ @ 
2021-02-11
💖7)─2─ロシア人避難学童救出活動と日本シベリア派遣軍諜報機関。~No.31No.32No.33 
  ・  ・   
2020-03-13
💖8)─1─平明丸事件。日本陸軍はシベリアで救出したトルコ軍人捕虜約1,000人を本国に送り届けた。~No.34・ 
2023-10-05
💖8)─2─シベリア出兵時。日本軍は友軍チェコスロヴァキア人傷病兵を治療した。~No.35No.36No.37 
   ・   ・   ・   
第一次世界大戦、日本が5大国の一国として国際連盟の常任事理国になった。
2017-08-18
💖9)─1─日本皇室と日本赤十字社は、パリに日本赤十字社救護班による日赤病院を開院した。~No.38・ @ 
2021-02-17
💖9)─2─日本赤十字社集団的自衛権赤十字救護看護婦「竹田ハツメ」。~No.39No.40No.41 
  ・  ・  
2017-12-04
💖10)─1─青島要塞攻防戦。ドイツ兵士の坂東俘虜収容所。丸亀・松山・久留米。「バルトの楽園」。~No.42No.43No.44No.45・ 
  ・  ・  
2019-07-05
💖11)─1─マルタ島の偉業。日本欧州派遣艦隊は地中海の守護神である。~No.46No.47No.48No.49・ 
   ・   ・   ・   
2021-05-09
💖12)─1─1920年の華北大旱害・飢饉に対する軍国日本の調査と救済。~No.50No.51No.52 
   ・   ・   ・   
日本軍の敵軍捕虜に対する扱い。
2018-08-07
💖13)─1─日本軍は、武士道精神で戦い、戦闘が終われば戦場に残された敵軍兵士負傷者を助け保護し治療した。~No.53・ @ 
2022-02-06
💖13)─2─イギリス海軍は撃沈されたら「日本艇に救助してもらえ」と教えていた。~No.54No.55 
   ・   ・   ・   
日本民族日本人の愛国心
2017-08-23
💖14)─1─愛国心とは命を捨てる決意と死を受け入れる覚悟である。~No.56No.57No.58・ @ 
2021-07-09
💖15)─1─日本民族は漂着民の子孫で、目の前で船が難破すれば遭難者・漂流者を助けた。~No.59No.60No.61 
   ・   ・   ・   
小灘利春「特攻は愛するものを守りたいとの強い思いから生まれたのです」 
   ・   ・   ・   
2021-09-23
💖16)─1─堀口九萬一はメキシコ・クーデターで大統領一家を助けた。大正2(1913)年〜No.62 
2021-07-24
💖16)─2─渋沢栄一アルメニア人大虐殺のアルメニアの孤児・難民への義援金。大正11(1922)年。〜No.63 
2022-05-21
💖16)─3─東慶丸はトルコの港湾都市イズミルギリシャ人やアルメニア人の難民を助けた。大正11(1922)年。〜No.64 

   ・   ・   ・   
日本の農業技術が中国の食糧不足を救った。
2019-12-05
💖17)─1─稲塚権次郎の小麦農林10号が、飢餓に苦しむ華北の中国人を救った。1935年。〜No.65No.66No.67・ 
   ・   ・   ・   
日中戦争
2019-05-13
💖18)─1─河南省黄河防爆破と大洪水。溺死100万人以上。日本軍は中国人10万人以上を助けた。1938年〜No.68No.69No.70No.71・ 
2019-05-15
💖18)─2─河南省大飢饉。日本軍は戦争をしながら飢餓民約1,000万人を助けた。日本軍の敵兵虐殺事件。1940年No.72No.73No.74No.75・ 
2019-05-16
💖18)─3─日本軍は河南省救援物資輸送路を死守した。大陸打通作戦。泰緬鉄道。日本軍兵士の餓死・病死。1944年〜No.76No.77No.78No.79・ 
   ・   ・   ・   
日本陸軍防疫部隊が中国人を救った。
2020-06-14
💖19)─1─日本軍は中国軍が行った堤防破壊、井戸への毒やコレラ菌投入の尻拭いをしていた。〜No.80No.81No.82No.83・ 
   ・   ・   ・   
中国共産党の非人道行為。
2019-05-17
💖20)─1─中国共産党は、日本人戦病餓死者の尊厳を穢し、霊魂を冒涜し、慰霊の場を踏みにじる。〜No.84No.85No.86No.87・ 
   ・   ・   ・   
キリスト教の日本に対する宗教侵略。
2019-03-19
💖21)─1─アメリカのCPIとアメリカ・キリスト教会が日本を戦争へと追い詰めた。〜No.88No.89No.90・ 
   ・   ・   ・   
 日本民族ユダヤ民族との違い。
 日本民族は、南方系海洋の民を原初とする縄文人の子孫であり、発想・思考は空気を読む遠洋航海用の手漕ぎ舟であった。
 ユダヤ民族は、絶対神が自らお姿に似せて土や芥から創りだした大陸系砂漠の民の子孫で、発想・思考はラクダやロバ・羊を伴って移動する我を押し通す牧歌的隊商・キャラバンであった。
 2020年7月号 WiLL「清潔を好む日本人だからこそ死亡者数が少ない
  エリ・コーヘン
 ……
 日本の現状について批判もあるが、私は『日本型』の素晴らしい対応をしていると思う。官邸と東京や大阪などの大都会の知事、或いは地方の過疎地域の知事の対応策が異なり対立が生じるのは、ごく通常のことだ。イスラエルなどは『狩猟民族型』で、逃げる獲物をいくつもの作戦や罠で捕獲するのに強い、作戦を瞬時に実行しなければ、獲物は逃げていく。『状況支配型』の戦略を実行するのに長(た)けている。
 一方、日本は『農耕民族型』だ。田んぼは逃げていかないので、ゆっくりと話し合って、長老の意見なども聞いて結論を取りまとめる。状況を支配しようというよりは、状況を窺(うかが)いながら、それに合わせる『状況対応型』だ。時に、そうした姿は『日和見』や『場当たり的』にも見える。
 欧米各国や独裁国と、日本の状況への対応の仕方には、確かに伝統文化の違いもある。
 日本国憲法には、緊急事態条項がないので、国家が権力を行使して都市封鎖ができないという問題は、ここでは紙幅がないので立ち入らない。」
   ・   ・   ・   
皇室とユダヤ人。
2023-10-04
💖22)─1─応神天皇ユダヤ系弓月国人約2万人を新羅から救い出した。日本書紀。〜No.91 
2020-09-18
💖22)─2─明治天皇・皇室は親ユダヤ派。ユダヤ人難民を助けた昭和天皇。〜No.92No.93 
   ・   ・   ・   
日本の軍部・陸軍とユダヤ人。
2019-03-20
💖23)─1─オトポール事件。軍国日本とポーランドユダヤ人難民達。上海のユダヤ系サッスーン財閥。1932年〜No.94・
2020-09-17
💖23)─2─ユダヤ人難民をナチス・ドイツから助け守った日本の軍部・陸軍。〜No.95 
2021-05-07
💖23)─3─ユダヤの東條批判。中国・韓国に告ぐ「靖国神社に戦犯は祀られていない」。〜No.96  
2023-07-27
💖23)─4─「ヒグチ・ルート」で生き延びたユダヤ人難民の子孫が語る。〜No.97 
2023-08-02
💖23)─5・A─欧米が嫌いナチスソ連も恐れたユダヤ難民を保護して助けた日本・ルート。〜No.98 
2023-08-14
💖23)─5・B─松岡洋右は親ユダヤ派として陰でユダヤ人難民達を助けていた。〜No.98 
2023-08-15
💖23)─5・C─ユダヤ人の命のビザ発給は日本陸軍東条英機)の功績であった。〜No.98 
2023-08-16
💖23)─5・D─軍国日本はなぜユダヤ人を虐殺しなかったのか?〜No.98 
   ・   ・   ・   
神戸とポーランドユダヤ人。
2019-03-21
💖24)─1・A─ポーランドユダヤ人難民を助ける事に、日本軍部は協力し、日本外務省は猛反対した。1940年〜No.99・ 
2021-05-04
💖24)─1・B─ユダヤ難民救った独自ビザ発見、外交官・根井三郎の功績。〜No.99 
2023-01-16
💖24)─1・C─「命のビザ」を発給 宮崎市出身の外交官・根井三郎の功績。〜No.99 
2020-09-16
💖24)─2・A─JTBとポーランドユダヤ人難民。天草丸。〜No.100 
2021-05-05
💖24)─2・B─ユダヤ人の救世主・JTB職員大迫辰雄。天草丸によるユダヤ人難民輸送。〜No.100 
2020-09-15
💖24)─3・A─杉原命のビザを持ったポーランドユダヤ人難民は敦賀に上陸した。敦賀空襲。〜No.101 
2022-03-22
💖24)─3・B─ユダヤ元難民「敦賀は天国のようだった」。避難と救済。〜No.101 
2020-09-14
💖24)─4・A─ポーランドユダヤ人難民を保護した神戸市民と神戸空襲の地獄。〜No.102 
2022-12-03
💖24)─4・B─軍国日本の商業都市神戸は、ポーランドユダヤ人難民を保護し支援した。〜No.102 
2023-01-29
💖24)─4・C─日本陸軍主導、東南アジア占領地でユダヤ人保護。英傍受公電で裏付け。〜No.102 
2023-02-28
💖24)─4・D─軍国日本の国際港神戸を「人道貢献」の世界記録遺産にすべきである。〜No.102 
   ・   ・   ・   
アメリカ・ユダヤ人。ニューヨーク・ユダヤ人共同配給委員会。
2019-03-22
💖25)─1─上海ユダヤ人ゲットーとアメリカ・ユダヤ人共同配給委員会(ジョイント)。イェドヴァブネ事件。1940年〜No.103・ 
2020-05-20
💖25)─2─アメリカ・ユダヤ人とセントルイス号事件。ブルメンソール元財務長官。〜No.104No.105No.106・ 
   ・   ・   ・   
日本租界内の上海ゲットー。
2019-03-24
💖26)─1─上海ホロコースト未遂事件。日本陸軍松岡洋右ゲシュタポユダヤ人虐殺を阻止した。1942年〜No.107・
2021-03-29
💖26)─2─日本軍占領下の上海ゲットー・上海ユダヤ難民資料は世界記憶遺産申請に値する。〜No.108No.109No.110  
   ・   ・   ・   
連合軍はユダヤ人の救出より戦争の勝利を優先した。
2020-09-19
💖27)─1─アメリカとイギリスは、ユダヤ人児童約2万人の救出を拒否した。ヒムラー友の会と国際稀金融資本。1942年〜No.111 *
2020-09-20
💖27)─2─欧米諸国はホロコーストを黙認しユダヤ人を助けなかった。〜No.112No.113No.114No.115  
   ・   ・   ・   
中国共産党の陰謀。
2019-03-28
💖28)─1─中国共産党による「日本はホロコースト犯罪国家である」という国際世論操作。〜No.116No.117No.118No.119No.120・ 
   ・   ・   ・   
人道貢献を人々の悲惨な末路。
2019-03-30
💖29)─1─人道貢献をした、A級戦犯は縛り首で殺され、昭和天皇戦争犯罪者と罵倒されている。2016年〜No.121No.122・ 
   ・   ・   ・   
海洋民の日本民族は古代から海難救助の民であった。
2019-03-30
💖30)─1─日本人漁民は目の前で難破船した遭難者を助けた。〜No.123No.124No.125 
   ・   ・   ・   
中国共産党の親ユダヤ派弾圧。
2020-05-21
💖31)─1─ユダヤ人難民を助けた中国人シンドラー中国共産党の敵であった。〜No.126No.127No.128No.129No.130・ 
   ・   ・   ・   
アメリカの宗教的人種差別。
2019-04-03
💖32)─1─アメリカにおける、黒人の暴動と非暴力の日系アメリカ人。〜No.131No.132No.133No.134・ 
2019-04-04
💖32)─2─アメリカの人種差別主義者・白人至上主義者による反ユダヤ犯罪と反黒人暴動。〜No.135No.136No.137No.138・ 
   ・   ・   ・   
敵を弔う。
2021-06-20
💖33)─1─日本民族は敵味方に関係なく死者は等しく弔った。松井石根 と興亜観音。〜No.139No.140No.141No.142 
   ・   ・   ・   
日本の中国支援・ODA。
2019-12-07
💖34)─1─日本は中国共産党にODAを40年間貢いだ。〜No.143No.144No.145No.146・
   ・   ・   ・   
2020-07-02
💖35)─1─中国共産党の「国家安全法」と香港人そして日本。〜No.147No.148No.149No.150 
   ・   ・   ・   
2021-08-29
💖36)─1─天皇家日本赤十字社とパラアスリート。障害者スポーツを照らす皇室。昭和39年。〜No.151No.152No.153No.154 
   ・   ・   ・   
2021-09-11
💖37)─1─9・11同時多発テログランド・ゼロに駆け付けたJAPAN・FIRE11人。〜No.155No.156No.157No.158 
   ・   ・   ・   
2021-09-29
💖38)─1─1942〜44年のベンガル飢饉と東條内閣。餓死者約300万人。〜No.159No.160No.161No.162 
   ・   ・   ・   
2023-02-02
💖39)─1─現代日本人は「困ってる他人・他国人を助ける」のが苦手だ。〜No.163 
2023-02-05
💖39)─2─日本人はほかの国の人に比べて「他人を“信頼”する」のが苦手。〜No.164No.165No.167 
2023-02-22
💖39)─3─現代日本人権後進国で、現代の日本人は人権・人道を本気で真剣に考えない。〜No.165No.167 
   ・   ・   ・   
2023-02-26
💖40)─1─日本にはアフリカ人やユダヤ人に対する偏見や差別は弱い。〜No.168No.169 
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2023-09-25
💖41)─1─日本の歪み。「なぜ、天皇は生物学を学ぶのか?」〜No.170No.171 
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🌏30)─2─日本の民主主義は西洋近代思想ではなく中国古代思想が深く関わっていた。~No.89 

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 2023年12月6日8:01 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「「日本の民主主義」は中国思想と深く関わっている 儒教の精神は「封建主義」ではなく「個の確立」だ
 「日本の民主主義」が中国思想と深く関わっているのはなぜか。気鋭の論客たちが徹底討議します(写真:TOMO/PIXTA
 なぜ「無敵の人」が増え続けるのか。なぜ保守と革新は争うのか。このたび上梓された大場一央氏の『武器としての「中国思想」』では、私たちの日常で起こっている出来事や、現代社会のホットな話題を切り口に、わかりやすく中国思想を解説している。
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 中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)など、気鋭の論客の各氏が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズに、今回は大場一央氏も参加し、同書をめぐって徹底討議。今回はその前編をお届けする。
■「功利」を克服するために改良されてきた中国思想
 中野:最初に大場さんから、ご著書『武器としての「中国思想」』の趣旨や執筆の意図などについて、お話をお聞かせ願えますでしょうか。
 大場:わかりました。まず、この本を書いた動機は、基本的には中国思想が現代において、はたして使えるのかという、しごく単純なものです。また、「個の確立」が社会を成立させて動かすのである、というテーマのもとで執筆しております。
 思想以前の「功利」というものが社会を覆って、つねに人々を動かしている。その中でそれを克服するために思想というものがいかに誕生して、どのようにブラッシュアップをされていったのか。
 ここにおいて大事な思想史として、古代の孔子孟子は政治的な議論と、修養による「個」の確立を説きましたが、中世の漢や唐までは政治的な議論ばかり注目されていました。
 しかしながら、近世に登場した朱子学陽明学になって、1人ひとりの生き方を通じて、どのように世界にアプローチを仕掛けていくかという問題意識に移行しはじめます。そこで初めて思想的な問題において、「個」の確立に焦点を当てるという、流れがつくられました。こちらを1つの筋として、本書では執筆をしております。
 中野:ちなみに今おっしゃられた、中国思想観というのは、中国思想、儒学研究のオーソドックスな考え方なんですか、それとも大場さんの解釈なのでしょうか。
 大場:これは基本的にはオーソドックスな解釈になります。
 中野:わかりました。ありがとうございます。では、今のお話や書籍の内容を受けて、古川さんのご意見をうかがえますでしょうか。
■日本の民主主義の源流は儒教
 古川:はい。まず、個人的な雑談で恐縮なんですが、私は教育学者という肩書になっていますが、実は教育学部に入る前に、文学部の東洋史学科を卒業しています。
 当時は全然勉強していなかったので、まったくの「なんちゃって」でお恥ずかしい限りですが、卒論だけはわりあい一生懸命勉強したので、その内容は今でもよく覚えています。「儒教から民主へ」というテーマで、近代になって、儒教思想がどういうふうに、西洋からやってきた民主思想に連続していったのかという問題を考えました。
 大場さんも書かれているとおり、儒教というと、封建主義のイデオロギーであるというイメージが強いですよね。とくに日本ではそうで、儒教的なイデオロギーから脱却してこそ近代化を達成でき、民主主義を達成できるんだと言われてきました。しかし、大場さんは、いや、儒教の根本思想は「個の確立」なのだと書かれています。これはかなり挑戦的な主張だと受け取られるのではないかと思います。
 しかし、私はこれは、決して奇異な見方ではないと思います。というのは、日本でも中国でも、西洋近代の民主思想に共鳴して、それを積極的に取り入れようとしたのは、だいたい儒者なんです。ということは、なにかしら共鳴する契機が、もともと儒教の中にあるはずなんですね。それが私の卒論のテーマでした。
 考えてみると、そもそも儒教漢帝国イデオロギーになったのは、儒教が生まれてから500年以上後ですから、儒教が生まれた時代とは社会状況がまったく異なります。そして、儒教が生まれた春秋時代というのは、同時代のギリシアとよく似た都市国家の時代で、アテネのような民会が盛んに行われていたという研究もあります。
 したがって、孔子が『論語』の中で「君子」と呼んでるのは、まさにその民会に参加して都市国家の統治に参加する人々、つまりギリシアでいう「市民」のことを指しているんです。孔子は「君子」という言葉を、「有徳な人」という意味と同時に、もともとの意味である「為政者」の意味でも使っています。ですから、『論語』という書物は、要するに「民会に参加して国を統治する諸君は、身を修めて、徳のある人にならなきゃいけないよ」ということを説いてるものなんです。
 古川:他方、「君子」の反対概念である「小人」や「野人」は、ギリシアでいうところの「奴隷」です。これは孟子でもそうで、たとえば「君子なくんば野人を治むるものなく、野人なくんば君子を養うものなし」という有名な一節があります。まさに、ギリシアの市民が奴隷の生産労働によって労働から解放され、その自由と余暇において徳を養って政治に参加したのと同じ構図があるわけです。
 したがって、もともとの儒教の精神は、民主主義というよりは共和主義に非常に近いものなんです。だから、中野さんが書評のなかで、「孟子の思想は共和主義そのものだ」と書かれているのを読んで、私はびっくりしました。
 中野:やっと卒論のレベルに追いついた(笑)。
 古川:いやいや、そういう意味ではなく(笑)。読む人が読めば、やはり直観的にわかるものなのだなと思いました。
 そして、西洋でもルソーなどが古代の共和主義を民衆化(デモクラタイズ)するかたちで近代思想を導いたように、中国でも儒教を民衆化するかたちで、民主的な思想が出てくる。
 つまり、一般の人々も含めて、誰でも学んで身を修めれば君子になれるし、なるべきである。そして、そういう人々が集まって議論して、公論を形成していくのが、あるべき政治の姿である。こういう話になっていくわけです。
 だとすると、日本で民主主義を実現したいのだったら、まずもって儒教をベースに人々が学んで修養して「君子」になることを目指すということが大前提で、それが日本における民主主義の条件であるはずです。
 そのあたりのことを、儒学の素養があった明治の知識人たちはよくわかっていて、たとえば中江兆民は「市民(シトワイヤン)」に「君子」や「士」の訳語を当てています。私が『大人の道徳』で「市民」は「士民」と書くべきだと言ったのも、そういうことです。
 にもかかわらず、戦後の日本は、儒教を封建思想だとみなして、民主主義の条件をむしろ意図的に破壊してきました。
 ですから、大場さんが儒教の根本精神は「個の確立」だと主張されたことは、これこそが日本の民主主義の基盤であるということを、あらためてわれわれに教えてくれる、とても意義深いことだと思います。
■中国思想における「個」と個人主義の違い
 中野:ありがとうございます。では続いて施さんに、ご発言をお願いできますか。
 施:はい。私としては、新自由主義的なものからどうしても抜けきれない日本の現状、世界の現状を中国思想にひきつけて、非常に明解にわかりやすく論じている点が、とても勉強になりました。私自身、このあたりの知識があまりなかったので。
 ただですね、教養を求めるビジネスマンの方々にもわかりやすいように書いていらっしゃるので、少し言葉遣いが、そうした人たちに合わせて使っているようなところがあると思うんですよね。
 ですから、「個の確立」という言葉は非常にわかりやすいとは思うんですが、やはり普通、個の確立というと、西洋哲学の個人主義的なものにひきつけられてしまうというか。最近だったら、新自由主義や維新の会。ひと昔前だったら、小沢一郎さんとかも個の確立ということをずっと言ってきたと思うんです。
 個の確立という言葉が、大場さんが使ってる文脈と少しずれて理解される可能性はないかなと思いました。
 施:もちろん、本をきちんと読めば、個人主義的な個の確立のビジョンとは違うというのはわかります。孔子でいう「礼」をきちんと身につけ、徳を養って初めて自立した個人になれる。
 人は、自分の生まれ落ちた社会の伝統、および、その中で培われてきた道徳を身につけて初めて個の確立が可能になるのだ、というのはしっかり読めばわかるんですけども。
 ただ、「個の確立」と一言で言ってしまうと、誤解を招く恐れがあるというふうに思いまして。そこを少し整理していただきたいなと思いました。
 中野:なるほど。ちなみに、儒教や中国においては、大場さんがおっしゃろうとしていた「個」というのは、なんと言われているんですか。
 大場:それこそ、「君子」ですね。日本だと「武士」になると思います。確固とした世界観を自分の中で持っていて、伝統の文脈の中でそれを引き受けて自分自身で世界を創造していくんだっていう、明確な意志を持つ。それが一切他律的な要素を持たないことで、完全な「個」が出てくる。
 それを中国思想の文脈では、君子とか、士大夫とか、あるいは日本だと武士っていう言い方をして。いわゆる社会的な地位とつねに一致していたんですけれども。現代日本においてそれを担保する社会的地位は存在しないので、ここの表現はたいへん難しかった。
 一方で、じゃあ君子になりましょうって、仮にこの本で書いたりとか、武士を目指しましょうと言うと、回顧主義的な主張をしてるようになっちゃうので。正直表現はたいへん悩んだ部分ではありました。
 施:ありがとうございます。よくわかりました。
 中野:次は佐藤さんにご意見をうかがえますでしょうか。
■思想でどこまで社会をつくれるか
 佐藤:中国史を踏まえた中国思想の変遷の本として、この本は実に面白い。大場さんの説明とも多少かぶりますが、この変遷を私なりに整理すれば、以下のようになります。
 最初はみんな、自由と秩序の間に適切なバランスをつくるにはどうしたらいいかを考えた。自由と秩序を両立できなければ、社会は際限ない弱肉強食になって収拾がつかなくなるか、息苦しい専制支配になるかのどちらかです。
 こうして「形名参同」「礼教国家」「律令国家」といった、さまざまなシステムが考案されるものの、理想的なバランスはつくることができないか、つくっても長続きしない。そこで発想の転換が起こる。今まではマクロの視点から自由と秩序の両立を図ったわけですが、逆にミクロから始めたんですね。人々が個人のレベルで自己実現を目指すことが、積もり積もって社会の調和をもたらす、そんな状態はつくれないかという話になった。
 社会の調和に貢献する自己実現ができる個人になることこそ「個の確立」であり、その境地に達した者が「君子」や「士大夫」である。この発想が朱子学を通じて陽明学へと流れ込んだ、私はそう理解しています。
 佐藤:ただし中国思想を現代日本に当てはめることで、世の中を良くする指針を提示しようとする試みが、どこまでうまく行ったかは、正直引っ掛かるところがあります。
 まず思想の力で、どこまで社会をつくれるものなのか。人間は理性的能力を駆使して、思い通りの社会をつくれるはずだという「設計主義」は、歴史において繰り返し失敗しています。むしろ社会のあり方が、人を特定の思想に向かわせるのではないか。主体的に思想を構築しているつもりでも、じつは社会の手のひらで踊っているというわけです。
 それから「自己実現をめざして、ひたむきに生きることこそ、自分の属する組織や、ひいては社会全体がよくなることにつながる」という結論ですが、この主張が成立するためには条件がある。すなわち「合成の誤謬」が起きないことです。みんなが個人レベルでひたむきに生きたら、本当に社会は調和するのか。逆に対立が激しくなって、社会はむしろ乱れるというのが、世の偽らざる真実ではないのか。
 もっとも私は、このような疑問ゆえに感銘を受けたんですよ。つまり人間は思想の力で現実を制御すべく、あるべき生き方や社会制度をいろいろ考えるものの、結局は現実の前に敗北する。人智の限界というやつですが、現実を制御する必要がある以上、思想を捨て去ることはできない。敗退の運命が待っているとしても、思想と関わり続けるのが人間の宿命なのだと腑に落ちたわけです。
 けれどもそうなると、思想が社会を制御するのではなく、社会が思想を制御するのではないかという点を、あらためて提起しなければならない。例えば韓非子の法家思想。これは秦国の思想となります。そして秦は天下統一に成功した。しかしこれは、秦が法家思想の力で天下を統一したことを証明するものではない。
■外的条件が思想を選ぶ可能性
 佐藤:即物的な話ですが、秦は他国よりも優れた武器を大量に生産できたのではないか。もっと言えば、それだけの産業基盤を持っていたから、法家思想を取り入れたのではないか。法家思想は誰もが分をわきまえることを強調して、傑出した個人というものを否定しますが、私はここで2002年の中国映画『HERO』を思い出しました。天下統一の直前、秦に滅ぼされた国々の英雄が秦王暗殺をもくろむ話です。
 これらの英雄はまさに一騎当千、無数の敵をどんどん倒す。他方、秦の軍隊にはそういう人物がまったくいない。にもかかわらず、なぜ戦争に勝ってきたのか?  劇中の台詞によれば、秦の弓矢はほかのどの国のものよりも遠くへ飛ぶからなのです。
 こうなると、英雄は要らない、いや存在してはいけないという話になる。英雄がいれば、次に始まるのは英雄崇拝です。英雄を担ぎ上げ、王位につけたがる連中が出てきたらどうするか。傑出した個人を否定する法家思想が魅力的に見えてくるのも道理でしょう。
 佐藤:裏を返せば秦も、産業基盤が整う前は傑出した個人を肯定していたかもしれない。それが状況の変化により「レベルの高い凡人がたくさんいるのが望ましいんだ、飛び抜けたやつなんか要らない」ということになったのではないか。この場合、当事者は自分の思想の変化を自覚していない可能性すらあります。天下統一をめざして頑張っていたら、いつの間にか社会がそうなっていたと、秦王本人も驚いたのではないか。
 思想というと、自由な主体性をもって考えついたり、選び取ったりできるようなイメージがあるものの、これ自体が神話にすぎないのではないか。産業基盤をはじめとする経済的環境、あるいは国際環境といった外的条件によって、多分に支配されているように思えます。
 大場さんは高度成長期の日本社会について、孔子孟子の理想にわりあい近かったと書かれていますが、アメリカの覇権や冷戦構造がなければ、高度成長そのものがありえなかった。「日本的経営」に儒教的な側面が見られるのは確かですが、これも占領改革によって労働者の権利が強化されたことを受けて成立したものです。
 思想の限界とは、人間の主体性の限界です。それでも現実を制御すべく、敗北を承知で思想に踏み出すところに人間の尊厳がある。完全な君子になることはないかもしれないが、君子になる努力は続けなければいけない、そういうことではないでしょうか。
■変化に対応するための予備としての思想
 大場:おっしゃるとおりです。論語でも、孔子は不遇な時代にどう自分を処するかをよく考えていました。受け入れられれば進むけれど、受け入れられなければ退くという、「自分を予備に置く」っていう考え方をします。予備に置いたときに、理想の国の姿を心や頭の中に保全して、状況変化に応じてすぐ動けるように保存しておくんだって。
 たとえば戦後の経済の話もそうですが、明治時代の頃の自由民権運動を主導してた連中は、今でいう右左関係なく、孟子をやたら引き合いに出していました。王道政治をひっぱってきて、均質な所得と生活レベルを維持したら、国民が帝国臣民として、みんなで国家を支えるのであると。中江兆民三宅雪嶺であろうが、みんな同じことを言っていました。
 ここで注目すべきは、そうした思想が言論レベルで予備として温められ、政治に実践される機会を待っていたことです。昭和戦前期などを見ると、陽明学者の安岡正篤に学んだ商工省などの革新官僚たちが、統制経済を施行し始めたんです。これは、予備として言論レベルに退いていた思想が、実践として表舞台に躍り出た例になります。
 その革新官僚たちは戦後、それこそニューリーダーたちの言うような平等っていうものと非常に似ていたので、そのまま通産省の中で戦後の高度経済成長を主導していきました。
 つまり、外的な条件がそろったとしても、彼らにそうした思想がなかったら、この成果は生まれなかったかもしれません。だから、思想というベースがある中に、外的条件が合わさって初めて結果が出るのではないのかなっていう感じはしております。
 ですから、佐藤先生がおっしゃるとおり、ひたむきに生きているだけでは、いい結果は出ないかもしれません。でも、ひたむきに生きようとしなければ、時代のチャンスを生かせない。
 中野:私も、大場さんに伺いたいことがあります。私はこの時代のことを詳しくは知らないんですが、最近BSで見た、春秋戦国時代を一国ずつ解説する中国のドキュメンタリーがすごく面白かったんですよ。
 そこで考えたことは、秦が強くなったのは商鞅の変法のおかげですよね。でも変法を実施した国は秦だけじゃなくて、趙や楚もやってたんです。ただ、明確に成功したのは秦だけ。ほかは失敗しちゃってる。改革しなかったからダメだったわけじゃなくて、みんなやってたんですよ。でも楚みたいに貴族が強すぎて中央集権にできなかったり、改革を過激にやりすぎたり、中途半端だったり。
 秦みたいに徹底してやって成功した国もあれば、同じく徹底してやって失敗した国もある。秦の場合、商鞅だって最終的には殺されるわけですからね。国によって違うんですよ。
 そのドキュメンタリーによれば、変法の発端は魏で、それによって強国となり、秦に衝撃を与えたのですが、自らが育てた優秀な知識人が国外に流出して、秦に行ってしまったんですよ。商鞅も魏出身だったはず。
 韓の国も、申不害の下で変法を断行し、権謀術策に長けた国民性へと改革し、強国になりましたが、そのせいで、韓の国内政治でも権謀術策が横行して不安定化し、弱体化してしまいました。
 趙の国も、武霊王が改革に成功して、一時は秦を脅かすくらいの強国になりました。でも、彼の先見性が理解されずに、結局は改革が失敗してしまう。国の成り立ち、地域の特性、それが大きく影響するんでしょうが、一筋縄ではいかない。どこが違いを分けるのか、それがものすごく面白い。これは現代にも通じる話で。
■改革の成否を分けるもの
 中野:この失敗のパターンを後知恵で考えると、やっぱり理想に走ったり、議論に走ったり、強引にやって失敗したのか。一般的にはそう解釈されますが、成功したとしか見えないケースもあります。厳しいか甘いかの態度で、やり方の不徹底が失敗を招くこともありますし、厳しく徹底した場合は反発が大きくなることもあります。何百年もの実験をしても解がないんです。
 秦は天下を統一しましたが、すぐにダメになってしまいました。変法というのは成功しているのか、失敗しているのか、失敗していることのほうが多いように思えます。
 答えはないかもしれませんが、状況や、天と地、人の利、運などにも関係しているでしょう。ここが非常に面白いですね。中国の古典や歴史が好きな人が多いのも、その面白さからでしょう。
 地理的な環境や経済的な状況、優秀な人材がいたかどうかも重要です。秦には優秀な人材がいました。商鞅もそうですが、軍事的にも白起将軍のようなすごい人材がいました。いたんですが、商鞅、范雎、韓非子呂不韋など他国から来た人たちも多かったようです。
 中野:しかし、人材がいても失敗することもあります。たとえば趙の名将李牧の足を引っ張るやつや、後ろから鉄砲を撃つやつ、これも全部パターンが一緒で。後世から見ると、「こんなやつの言うことを王様が聞くからダメになったんだ」、なんて話ばっかりなんですよ。司馬遷の『史記』や『三国志』でもそうですが、人間は変わっていないとよくわかります。しかし、とくに興味深いのは、やはり「変法」つまり「改革」ですね。
 大場:秦の改革が成功したことに関しては、秦の社会形態が特異で、中央の伝統から離れた遊牧部族に近いことが一因だと思います。つまり、基本的に家長の所有物としてすべてが扱われますので、部族長である秦王の命令が伝わりやすいという側面がありました。
 なので商鞅が入ってきたときも、変法がやりやすいうえに、商鞅にやるだけやらせて、最後はスケープゴートにして殺しちゃって、出来上がったものは秦王がもらうというのが、やっぱりうまかったなと思います。
■うまくいく変法は偶然にすぎないのか
 佐藤:変法、つまり改革とは、ウイルスの変異みたいなものではないでしょうか。ウイルスはしばしば変異するものの、ほとんどすべてが生き残りに失敗する。ところが、ごく稀に、環境にうまく適応するものが出てきて、次の支配的な株になる。
ならば、なぜその変異株が生き残りに成功したのか。いろいろ説明はできるでしょうが、突き詰めると「複合的要因、および偶然の組み合わせ」という身も蓋もない話になるのではないか。
 中野:そうすると、秦はろくに伝統もなかったから、変法しやすかったっていうことになる。伝統を守りましょう、という保守主義も怪しくなりますね(笑)。
 佐藤:アメリカもそうでしょう。歴史のない人工国家なので、「変法すること」が伝統になった感があります。
 大場:逆に考えてみると、なぜ東アジアで日本だけが近代化に成功したのか。
 西洋、とくにアメリカからの影響を受け、それを国家としてうまく咀嚼し、統合する分厚い中間組織が日本にはあったんです。
 一方で、中国を見ると、孫文が言ったように「すべての中国人は砂のよう」、つまり個々がばらばらで、皇帝の専制支配下でも統合力がなかった。そして朝鮮も官僚と庶民の格差が激しすぎて、社会組織が末端まで整備されていなかった。そういった状況では西洋からの影響を受け入れ、それを基に近代国家を構築するという土壌が日本とはまったく違っていたんですよ。
 だから、日本の近代化の過程と、中国や朝鮮のそれぞれの社会・政治的な背景が、どう近代化の過程に影響を与えたのかを考えると、非常に興味深いと思います。
 「令和の新教養」研究会
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 12月6日7:33 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本が独裁国家に転じれば、国民は幸せになれるのかーーネットで増える「民主主義否定論者」が見落としている事実
 全世界的に非民主的な強権国家の影響力が高まっている。強権的な国家はいわゆる民主主義のコストを負担する必要がなく、経済的に有利な状況にある。日本など民主国家の中からも、こうしたコスト負担を嫌悪する意見が散見されるようになっており、事態を放置すれば民主主義の機能不全につながりかねない。
 【写真】「クソリプおじさん」にどう接する?人気グラドルがたどり着いた結論
 「歴史の終わり」は来なかった
 フランシス・フクヤマ氏(2018年頃撮影)/photo by gettyimages
 一般的に民主国家を維持するにはかなりの負担がかかるとされている。議会を通じて議論を行なったり、政府が政策について国民に十分に説明し、賛同を得てからでなければ政策を実行に移すことができない。強権的な独裁国家と比べて、合意形成のプロセスに相当な時間や人員を必要とするため、一連の負担のことを「民主主義のコスト」と呼ぶ。
 これまでの国際社会は、圧倒的に西側民主国家の影響力が強く、経済規模も大きかった。豊かな先進国は総じて民主国家であり、その圧倒的な経済力を生かし、民主主義のコストを負担するという流れだった。
 つまり、経済的豊かさと民主主義はセットであり、そうであればこそ民主主義というのはグローバル社会における完成形と見なされていた。
 中高年以上で、一定以上の読書経験を持つ人なら、1990年代前半に出版されたフランシス・フクヤマ氏による「歴史の終わり」がベストセラーになったことを記憶しているだろう。フクヤマ氏は米国人でありながら、欧州のオーソドックスな哲学者であるヘーゲル弁証法を自在に読み解き、民主主義と自由経済が人類の歴史における最終形になるという鮮やかなロジックを展開した。
 知的書物としての内容の素晴らしさという点だけでなく、当時は現実社会もフクヤマ氏の主張に沿って動いているように見えた。
 旧ソ連は完全崩壊し、残った共産主義の大国である中国は、凄惨な文化大革命を経て改革開放路線にシフト。共産主義の国でありながら、限りなく資本主義的な制度に舵を切り始めており、時間はかかるものの、民主的な体制に移行していくと多くの人が予想していた(おそらくだが中国人自身もそう思っていたかもしれない)。
 だが2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した。
インフラがなくても経済成長が可能に
 図1
 以前の社会では経済成長を実現するには、先進国から多額の投資を受け入れ、鉄道や道路など、生活や産業に必須となるインフラをゼロから作り上げる必要があった。
 このため外貨による投資の受け入れが成長の絶対要件となり、こうした投資マネーを受け入れるためには、お金の出し手である西側先進国に対して妥協せざるを得なかった。当然のことながら米国を筆頭とする西側各国は、資金の供出と引き換えに民主化と市場開放を強く要求した。
 ところが世界の産業が工業からソフトウェア産業、知識産業に移行したことでこうした巨額の投資が不用となり、十分なインフラが存在しない国でも、急激な経済成長が可能となった。
 かつて内戦に明け暮れたカンボジアは、独裁政権でありながらめざましい成長を遂げており、最新のITサービスが次々と立ち上がっている。外に出ると、汚い道路はトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーで溢れかえっているが、そのトゥクトゥクはアプリを使っていつでも呼び出すことができる。
 中国は少し前まではハードウェアの製造が主流だったが、アリババに代表されるネット企業群は米国並みの技術力を持つに至っており、一連のソフトウェア産業が近年の高成長を担ってきた。
 民主主義の敗北は統計上の数字にも表れている。図1は世界における民主的な国と非民主的な国の人口推移を示したものである。政治体制については英国エコノミストの調査部門であるEIUが算定した民主主義指数を用いており、同指数の6以上を民主的、6未満を非民主的と分類した。
 民主的に分類される国の人口と、非民主的な国に人口の両者とも増加という状況だが、非民主的な国のシェアは上昇している。これはあくまで人口なので、この数字が直接的に世界に対する影響力を示しているとは限らない。では、同じような指標でGDP(国内総生産)を比較するとどうなるだろうか。
 強権国家の経済的台頭
 図2
 図2は同様に、民主主義指数おける分類と各国のGDPを示したものである。ここでは、さらに細かい区分を用い「A:完全な民主国家」「B:欠陥のある民主国家」「C:民主制と独裁制の混合体制」「D:独裁国家」という4つで比較した。
 経済力という点で比較すると強権国家の台頭は明らかだ。Aの「完全な民主国家」に属する国のGDPはあまり伸びていないが、独裁国家(D)や欠陥のある民主国家(B)のGDPが大幅に伸び、全体での比率を高めている。
 中国は完全な独裁国家でありながら、世界で2番目の経済大国であり、特殊な存在とみなすこともできる。むしろ私たちが注目すべきなのは、2番目のカテゴリーである「欠陥のある民主国家」に属する国々である。このカテゴリーには、シンガポールインドネシア、タイ、ブラジル、インドといった成長著しい新興国が軒並みカテゴライズされている。
 人口のみならず、GDPの絶対値という点でもこれらの国々のプレゼンスは大きく、民主主義のコストの是非について深く考えさせられてしまう。
 シンガポールは1人あたりのGDPが日本よりも高く、極めて豊かな国として知られているが、1965年にマレーシアからの独立を果たして以降、建国の父と呼ばれるリー・クアンユー氏とその息子であるリー・シェンロン氏が長く首相を務めるなど、独裁的な国家としての側面も併せ持っている。言論の自由も制限されており、民主主義指数は、「欠陥のある民主国家」の中でも最下位に近い。
 一方で手厚い教育制度や、子どもに対して優しい社会環境、外国から優秀な人材を積極的に受け入れる人材戦略など、画期的な政策を実施しており、日本からも子どもの教育目的に多くの人が移住している。
 特段、政治に関心を持たず、現実問題として子どもによい教育を施したいと考えるビジネスパーソンからすると、日本とシンガポールとでは社会環境に圧倒的に差があり、同国は魅力的な場所に映る。
 非民主化すれば格差は広がる
 先ほど取り上げたカンボジアも、2023年5月、野党を弾圧する中で制限選挙が行われ、与党が圧勝。長く独裁者として君臨してきたフン・セン首相は、息子のフン・マネット氏に首相の座を譲るなど、同族支配が続く。
 シンガポールやマレーシアなどの国々はかつて「開発独裁」と呼ばれ、経済成長のために国民の人権が犠牲になっているという批判的ニュアンスで語られていた。その実態は今も変わらないが、日本から教育目的で移住する人が増えるなど、状況は大きく変わった。
 各国の国内情勢も同じである。シンガポール国内では、一部の民主主義者が体制批判をしているものの、多くの国民は豊かな暮らしを享受している。政権に対して反発することのリスクを天秤にかけると、批判を行うメリットは乏しい。こうした状況は民主主義にとってやはり脅威といえるだろう。
 日本国内では、経済の落ち込みで生活が苦しくなっていることが影響しているのか、ネットなどを中心に民主主義を否定する意見が目立つようになっている。民主主義を否定している人たちは、「民主国家では弱者が過剰に保護される」「合意形成のために経済成長が犠牲になる」などと主張している。
 民主主義にそうした面があるのは確かだが、ネットで民主主義否定を声高に叫んでいる人たちは重大な事実を見落としている。
 もし日本が非民主的な国になった場合、彼らのほとんどは支配する側ではなく、支配される側に回るのは確実である。しかも被支配者側になってしまえば、内容の如何を問わず、政治体制について批判することは即処罰の対象となり、ネット上で自由に意見を言うことなど出来なくなってしまう。
 民主主義の弊害を説く人はどういうわけか、(ネットで自分の意見を口にするなど)自分が支配者側にいるような感覚を持っているのだが、それはあくまで願望に過ぎない。
 民主主義はコストがかかりすぎると主張するのは簡単かもしれない。しかしながら、ひとたび非民主的な国に転落すれば、万人に門戸は開かれず、特権的な立場の人とそうでない人の、埋めようのない格差が生じるのが偽らざる現実だろう。
 加谷 珪一
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🌈17)─2・B─民族宗教の伝統的祭り文化は日本人の健康・幸福を高める効果がある。日本的スピリチュアル。〜No.34 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 民族の人口激減と外国人移民の多文化社会となる日本では、宗教的祭るは消えイベント的祭りのみが残る。
 日本の民族宗教的祭りとは、神秘主義に基づくスピリチュアルであり、パワースポットである。
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 2023年12月4日 YAHOO!JAPANニュース 岐阜新聞Web「祭りは人を健康にする?岐阜大と東京芸大チームが調査へ「日本変える可能性」 高山市民を10年間検証
 高山市で守り続けられる高山祭。調査では祭りといった文化体験や健康の関係を検証する=10月10日、高山市八幡町
 岐阜大医学部と東京芸術大の研究チームは、地域の文化体験と健康状態の相関関係を検証する調査に乗り出した。10年にわたる研究で、高山市民を対象にしたアンケート調査と健康診断の結果を軸に、本来感覚的な文化をデータとして「見える化」する。来秋に「清流の国ぎふ」文化祭2024(国民文化祭)が開かれる岐阜県。今回の長期間にわたる調査は国内外でかつてない試みで、文化が心身にもたらす影響を証明する挑戦が岐阜から動き出す。
 「文化・芸術が心を豊かにすることはなんとなく分かる。それを客観的に証明することが面白い」。調査の総責任者を務める岐阜大の塩入俊樹教授(精神医学)は、趣旨をこう説明する。調査は科学技術振興機構JST)から採択された「『共生社会』をつくるアートコミュニケーション共創拠点」プロジェクトの一環で、岐阜大の吉田和弘学長と、国民文化祭総合プロデューサーを務める東京芸大日比野克彦学長が協議し、決まった。地域で長期間調査できる岐阜大に白羽の矢が立ち、今年4月から2032年までの10年間の予定で始まった。
 対象の高山市は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産高山祭」をはじめとする伝統的な祭りや文化があることに加え、健康診断の受診率が3割程度と全国的にも高く、日々の生活や仕事を市内で完結している傾向が高いことから選ばれた。
 アンケート調査は、健康診断を受けた人に祭りへの参加度や地域のつながり具合を聞き、心の健康度や幸福度を調べる。サンプルは5千人以上を目標としている。現在はアンケートを回答するためのウェブアプリを開発中で、来年1月ごろから試験的に始める。
 昨年3月は、文化庁ウェルビーイング(心身の健康や幸福)と文化芸術活動の関連を調べる世論調査を実施し、短期の結果で文化芸術に関心が低い人はウェルビーイングが低い傾向にあった。ただ因果関係と特定までは至らなかったとし、継続的な調査が必要と結論づけていた。今回の岐阜大の調査は、長期にわたる研究として先駆的といえ、今後の国家的な施策にも反映が期待される。
 塩入教授は「日本人の生活スタイルを変えるデータになる可能性があり、それを岐阜、高山から発信できれば地方を見直すきっかけになる」と語った。
 岐阜新聞社
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 12月5日 YAHOO!JAPANニュース テレビ朝日系(ANN)「「蘇民祭」1000年超の歴史に幕 担い手不足 過去にポスター騒動も
 日本三大奇祭の一つ「蘇民祭」が1000年以上の歴史に幕を下ろします。
 日本三大奇祭の一つで、1200年以上の伝統がある黒石寺蘇民祭は来年2月17日を最後とし、再来年は祭りを行なわずに儀式などの信仰のみ継続していくとしました。
 妙見山黒石寺 藤波大吾住職:「将来的な担い手不足によりまして、お祭り自体をこれまで通り維持していくことがかなり困難な状況」
 2008年には告知ポスターを巡って物議を醸した過去があります。
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 日本の祭り文化は日本独自の文化的風習で、中国や朝鮮の祭りとは関係がない。
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 日本民族の人口激減で伝統的祭りの担い手が不足し、歴史ある古い祭り、民族の祭り文化が消え始めている。
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 日本の伝統的祭りは、天の岩戸神話に通じている。
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 日本民族は、数万年前の旧石器時代縄文時代から自然崇拝と数千年前の弥生時代古墳時代から民族中心神話と共に生きてきた。
 が、一部の現代日本人からそうした民族的宗教要素が急速に失われつつある。
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 日本を支えた支柱は、武力の政治権力、経済力の宗教権威、文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 政治権力と宗教権威は「ウシハク」であり、天皇の御威光は「シラス」と「祓(はらえ)」であった。
 日本の国柄、国體の真髄そして日本民族の本質と価値観は、合理的正当ではなく神話的正統な天皇の御威光である。
 武力の政治権力は、江戸中期までは中国の儒教価値観で、明治以降は西洋の近代価値観であった。
 経済力の宗教権威は、明治まではインドの仏教価値観で、明治以降は西洋のキリスト教価値観であった。
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 日本の伝統統治は、天皇の「シラス」行為と民族の「ウシハク」行為が共存する「君民共治」であった。
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 西田哲学「場所的論理と宗教的世界観」を読む シラス主義とウシハク主義
 浅井進三郎/著
 著作者浅井進三郎/著
 メーカー名/出版社名東京図書出版
 出版年月2020年10月
 ISBNコード978-4-86641-324-2
 (4-86641-324-7)
 頁数・縦310P 19cm
 分類人文/哲学・思想 /哲学・思想一般
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 日本民族は現実主義者として、空想的虚飾的巧言を弄する啓示宗教や教条的主義主張を敬遠し、本質的な価値観を言霊まで示す自然崇拝と哲学や思想を理解できるように受け入れていた。
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 日本民族は、人としての自分の心情・人の及ばない自然の現象・人の成す物事の事情から目をそらさず、森羅万象の「本質」を見詰め見極め、その根底のさらなる深層に流れている「価値観」を八百万の神と崇め、価値観を世の中で生きる上での原動力として社会を変えながら生きていた。
 根底に流れる価値観とは、過去・現在・未来に途切れる事なく受け継がれて来た命・心・志、精神・気概、自分が死んでも終わる事のない消える事のない「永遠の生命、永劫の魂・霊魂」であった。
 命は死を迎えて終わっても、輪廻転生として、生まれ変わり・生き変わり、蘇る・甦る、魂は残り続け、その源泉・源流は高天原からの神話物語であった。
 神代から人代に続く絆の根底に流れる価値観とは「尊い」であり、多種で多様で多元で雑多で、同調もなければバッシングもなければ、大義も正義もなく、そして差別も偏見も、意地悪もいじめもない、隠し立てしない「ありのまま」、嘘偽りのない「そのまま」であった。
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 日本民族の伝統文化は、その事を忘れない為に伝承・継承されてきた。
 民族文化は、縄文文化を正統に受け継いでいる。
 民族文化の正統性は縄文文化で、縄文文化は日本文化・琉球文化・アイヌ文化に引き継がれている。
 縄文文化は、日本列島に住む日本民族琉球民族アイヌ民族が受け継いだ固有の辺境文化である。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本社会の変革は破壊的イノベーションと改善的リノベーションで起きていた。
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 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
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 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
   ・   ・   ・   
 日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
   ・   ・   ・   
 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
   ・   ・   ・   
 日本民族の言霊信仰とは、民族中心神話に基ずく自然崇拝であり、宗教的精神的な自然への畏怖つまり畏れと敬い事である。
 それは、数千年前の弥生時代古墳時代から断絶する事なく繰り返されてきた正統世襲男系父系天皇による一子相伝宮中祭祀、さらには数万年前の石器時代縄文時代からの日本民族が受け継いだ自然の精霊と生命の永遠に対する崇拝宗教につながっている。
 日本民族伝統宗教とは、精霊崇拝宗教、八百万神の神話宗教、祖先祭祀宗教であって、信仰宗教、啓示宗教ではない。
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 小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
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2023-07-21
🌈17)─2・A─日本文化は他と比べるものがない。県連日本祭り=「こんな文化イベント出来るのは日本だけ」。〜No.34 
   ・   ・   ・    
神道
2017-12-29
🌅4〉─1─無人神社を救う女性宮司。氏子の減少で神社の廃社が増加し、由緒ある伝統的祭りが消滅する。プアー神主。〜No.25No.26No.27・ * 
2017-12-30
🌅4〉─2─資金難・経営難の神社は境内を切り売りする。〜No.28・ * 
2023-06-01
🌅4〉─3─人口激減と絶景神社のマンション建設計画。〜No.29
2023-07-14
🌅4〉─4─奈良時代から続く神社で本殿修理に氏子おらずクラファンで。〜No.30 
   ・   ・   ・   
消える祭り。踊り。祭祀。
2018-01-01
🌅5〉─1─人口激減でローカルな民族の祭祀が行事は消えていく。山・鉾・屋台行事のユネスコ登録。〜No.31No.32No.33・ * 
2018-01-03
🌅5〉─2─有名な祭が赤字となり開催が危ぶまれている。大阪・天神祭。京都・祇園祭。徳島・阿波踊り。〜No.34・ * 
2022-08-22
🌅5〉─3─伝統の時代祭葵祭を消滅させるマイノリティ・ファシズム。〜No.35 
2023-11-29
🌅5〉─4─秩父夜祭の主役・囃子手、成り手いない!? 人口減や若者流出が影。〜No.36 
   ・   ・   ・   
後継者のいない民芸。
2018-02-07
🌅6〉─1─人口激減時代で日本の伝統工芸は消滅するのか。有田焼。輪島塗。~No.37No.38No.39・ @ 
2018-02-04
🌅6〉─2─財政赤字で文化予算を削減。民族固有の文化・芸能の衰退に意を介さないグローバルな知的エリート達。~No.40No.41No.42・ @ 
2019-05-17
🌅6〉─3─人口激減で伝統的宗教的無形民俗文化財、民俗芸能や地域的祭りが消えていく。〜No.43No.44No.45・ * 
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🕯133)─1─日本列島は呪われた大地。江戸時代から池袋はオカルトの町である。~No.285No.286 

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 日本はブラック社会であり、日本人は悪人であった。
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 2023年12月4日 YAHOO!JAPANニュース 週刊SPA!「「処刑場の跡地」が公園に…池袋が“オカルトと親和性が高い街”と称される納得の理由
 サンシャイン60ストリート ©J_News_photo
―[ありのままの池袋]―
 新宿・渋谷と並ぶ副都心の一つ、「池袋」。近年では再開発も進み、「住みたい街ランキング」の上位に位置するなど大きな変貌を遂げている。しかし一口に池袋について書かれたものは意外と少ないはずだ。この連載では、そんな池袋を多角的な視点から紐解いていきたい。
 2004年のライトノベル『デュラララ!』が舞台としたのは、池袋だった。この物語は、地方から池袋へ上京してきた高校生の群像劇として進むが、物語のもう一つの軸となるのが、池袋に夜な夜な現れるという「首なしライダー」にまつわる噂をはじめとする、「都市伝説」である。
 ある作品に描かれる街は、その街の姿をよく表しているが、池袋を舞台にしたこの作品で都市伝説のような、オカルトがテーマとして選ばれたのにはどのような意味があるのだろうか。
 江戸時代の時点で怪異が起こっていた?
 実は、池袋の歴史を辿っていくと、そこにはさまざまなオカルティックな出来事が姿を表す。例えば、それは江戸時代の文献に現れている。江戸時代、根岸鎮衛によって編まれた『耳嚢(みみぶくろ)』には、その当時のさまざまな奇談が集められている。
 その中に、池袋の女についての話がある。それによると、幕府の役人が池袋出身の下女と通じたところ、家具や食器などが飛び回るという怪現象が起こったという。そこで、この下女を里に返したところ、こうした怪現象がぴたりと止んだのである。
 この話は、「池袋の女」として知られ、この本以外の文献にも、似た内容の記述がある。こうした話の真偽は定かではないが、池袋にまつわる記述がこうした怪現象と共に出てくるところを見ると、やはり池袋とオカルトにはどこかしらつながりがあると思えてくる。
 「池袋四面塔」が建立された理由は…
 池袋で起こる怪異はそれだけではない。池袋駅東口から少し進んだところ、線路脇にひっそりと佇む寺のようなものがある。通称、「池袋四面塔」である。周りは繁華街で、一見するとここにあるのが不自然にも思えてくるが、ここにこの四面塔が建てられているのには理由がある。
 江戸時代、まだ郊外だった池袋は、夜になると人通りも少なく、暗かった。そんな立地条件が、恐ろしい事件を引き起こした。わずか一晩で17名の命を奪う辻斬り、今でいう通り魔事件が発生したのだ。そのあまりの残虐さを憂いた村民たちがその供養のために作ったのが、この四面塔であった。
 その後、この場所ではさまざまな怪異にまつわるエピソードが語られることになる。例えば、この四面塔を邪魔に思った西武グループがその位置を移そうとしたところ、工事関係者の間で負傷者が続出したという。『ルポ池袋 アンダーワールド』(大洋図書)では、こうした土地の記憶と、池袋で起こる通り魔殺人事件を結びつける記述もある。いずれにしても、どこかオカルティックな記憶が池袋には反復して現れているのである。
 「処刑場の跡地」が東池袋中央公園
 池袋の怪異は終わらない。
 昭和時代の出来事にも話を伸ばしてみよう。太平洋戦争における戦争犯罪者を収容するために作られた施設に「巣鴨プリズン」がある。「巣鴨」といっても、これは昭和時代の土地区分上の呼び名であり、巣鴨プリズン東池袋の土地にあった。
 実は、この巣鴨プリズンの跡地こそ、現在のサンシャインシティである。また、巣鴨プリズンには戦争犯罪人を裁くための処刑場もあったというが、その跡地は、サンシャインシティの横にある東池袋中央公園になっている。そのような記憶を持つ土地だからだろうか、特に東池袋中央公園を中心として、心霊現象の報告が相次いでいる。そこで兵隊の幽霊を見たとか、「ドスン」という謎の音を聞いたであるとか、そうした類の噂話が後を絶たない。
 また、「サンシャイン60」という名前の由来が、この処刑場で殺された死刑囚の数にちなんでいる、という都市伝説などもネットでは流布している。こうした噂のほとんどが真実ではないだろうが、実際にここまで心霊現象が報告される場所も、そうないだろう。そのこと自体に興味深さを覚えるし、「池袋」と「オカルト」というテーマが近しいものであることを感じさせる一例だ。
 池袋ほど“オカルトと親和性が高い街”はない
 また、近年でもこうしたオカルトと池袋を結びつける例がある。
 2022年にSUZAKU Gamesが発売したホラーゲーム『SENSEs:Midnight』だ。これは、都市伝説好きの主人公が、「池袋ウォーキングパークの真夜中の扉」を調査するというプロットのゲームで、ここでも「都市伝説」という言葉が池袋の名前と共に出されている。『デュラララ!』の影響もあるのかもしれないが、池袋とオカルトの親和性の高さがここでも見られるのである。
 このように、池袋の歴史を追っていくと、さまざまな心霊現象なり怪異現象なりが多く報告されていることがわかる。それぞれの現象が真実なのかどうかはわからない。しかし、一つ言えるのは、ここまでオカルトと親和性が高い街もない、ということである。
 『デュラララ!』の作者が、このような背景となる情報を知っていて作品を書いたのかどうかわからない。しかし、明らかにオカルト的な事件を扱う同作品の舞台として、池袋は格好の場所であったことは間違いがないであろう。
 <TEXT/谷頭和希>
―[ありのままの池袋]―
 【谷頭和希】
 ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社
 日刊SPA!
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🎑108)─9・K─日本の少年少女向けマンガ・アニメでは残酷シーンが描かれている。~No.243 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 人食いの残酷なマンガ・アニメは、『アシュラ』『孔雀王』『進撃の巨人』『鬼滅の刃
 戦争による虐殺を描いたマンガ・アニメは、『ガンダム
   ・   ・   ・   
 純粋に、素直に、自分の欲に行動する日本の子供は、マルクス主義戦後民主主義教育が広めようとした大人のヒューマニズムを真に受けず曖昧に受け流し、大人が禁じる有害図書や有害テレビを喜んで観ていた。
   ・   ・   ・   
 テレビ番組から毒気を放つ有害テレビが消えて、日本の放送は好奇心を駆り立てるワクワクドキドキ感がなくなり理想的綺麗事のつまらない放送が増え、若者達は興味・関心を失いテレビを観なくなった。
 そうしたテレビを喜んで観るのが、おじさん・おばさんそしてシニアである。
   ・   ・   ・   
 2023年12月3日 MicrosoftStartニュース マグミクス「ギネス級の記録? 『ガンダムSEED』で死にまくった少年の「死亡回数」をカウントしてみた
「死亡シーン」を回想によって何度も繰り返される悲劇
 2002年から2003年にかけて放送された『機動戦士ガンダムSEED』(以下、SEED)、その続編として2004年に放送された『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』(以下、DESTINY)』は、回想シーンが多い作品として知られています。
 【画像】搭乗マシンは超絶イケメン! 「死亡回数」がイジられまくるニコルの活躍を振り返る
 その影響で、不名誉なかたちで視聴者の間で話題になったのが、ブリッツガンダムパイロットであるニコル・アマルフィです。
 ニコルは中性的で甘いマスクをした心優しい少年パイロットですが、作中で彼の死亡場面が繰り返し回想シーンとして登場するため、「もっとも多く死んだ少年」としてネタにされがちです。
 ニコルの死は、『SEED』の第27話「PHASE-29 さだめの楔」で描かれました。主人公のキラ・ヤマトアスラン・ザラが戦っている場に、親友のアスランを助けようとニコルが割って入ります。
 その動きに反応したキラは、とっさにソードストライクの大剣でニコルの機体のコクピットを斬りつけてしまい、最後は彼のヘルメットが血に染まり、機体は爆発しました。
 キラとアスランの両者に衝撃を与えたニコルの壮絶な最期ですが、このシーンは『SEED』だけでなく、続編の『DESTINY』でもたびたび回想シーンとして登場します。その回数があまりにも多かったため、視聴者から「さすがに死にすぎ」「死ぬのが仕事になってる」などとイジられることになりました。
 そして、実際に作中で「ニコルの死亡シーン」が何回登場したのかも気になるところですが、ネット上に出ている結果にはなぜかバラつきがあります。
 その真実がハッキリしないため、実際に『SEED』と『DESTINY』の「HDリマスター版」を視聴したうえで、ニコルの「死亡回数」を確認してみました。
 その結果、『SEED』でニコルが死亡したシーンの登場回数は17回。『DESTINY』には7回の回想シーンがあり、合計した場合は24回となりました。
 ネット上では「2作品の合計で32回」という説が有力だったのでさらに調べてみると、どうやら「通常のTV版」と「HDリマスター版」では、ニコルの回想シーンの登場回数が異なるようです。
 通常のTV版に比べて、HDリマスター版ではかなり減少したとはいえ、それでもニコルの死亡シーンは相当擦られていることが分かります。
 「ニコルの死」に匹敵するほど繰り返された回想シーンとは?
 最新作でもニコルの死は流れるのか? 2024年1月公開予定の劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』キービジュアル (C)創通・サンライズ
 © マグミクス 提供
 そして死亡シーンの回想が多いのは、ニコルだけではありません。「『SEED』だけならニコルよりも回想が多い」という声があるトールの死亡シーンは、「HDリマスター版」では8回だけでした。どうやらこちらも、通常のTV版よりかなり回想シーンの数が減っているようです。
 ほかにも印象的な回想シーンといえば、『DESTINY』で新たな主人公として加わったシン・アスカの妹・マユが流れ弾で死んでしまう場面です。
 「HDリマスター版」の作中で、マユの遺体や腕(または、その両方)が映し出された回数は20回でした。続編の『DESTINY』にしか登場しないキャラにもかかわらず、2作品合計の「死亡回数の王者・ニコル」に匹敵するほどの回想シーンがありました。
 2024年1月には、約20年ぶりの新作となる劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』が公開される予定です。ニコルやトール、マユたちの死亡シーンはこの劇場版にも登場するのか、そちらも注目したいですね。
(LUIS FIELD)
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