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2026年8月9日 MicrosoftStartニュース ニューズウィーク日本版「「日本文化」は世界に何を伝え、どこへ向かうのか 「伝統か、ポップか」を超えた現在地
© ニューズウィーク日本版
<日本文化の多層性とその国際的な広がりを、万博イヤーに再考する。『アステイオン』103号の特集「発信する日本文化──伝統と可能性」の巻頭言より転載>
1970年、日本の高度成長期のさなかに、大阪の千里丘陵で万国博覧会が開催された。右肩上がりの経済成長のなか、人間社会の「進歩」が信じられていた昭和の万博。
以来、55年。再び大阪・関西の地で万国博覧会が開催されるにあたり、あらためて、世界に発信する日本文化の魅力とは何かを考察したのが、今号『アステイオン』103号の特集である。国内外の人々が一定期間一堂に会して交流する万国博覧会は、日本文化を海外に伝える絶好の機会に他ならないからである。
各論に入る前に、そもそも「日本文化」とは何ぞやと問わねばならない。
既に本誌のにおいて、「日本文化」は「日本」の専有物ではなく、複数の地域と関わりながら発展、創造されてきた、つまり、存在するのは個々の作者、作品であり、「日本文化」を全体として語ることに現実性があるのか否か、との指摘があった(巻頭言)。もう10年ほど前のことである。
今号はそのレガシーをふまえつつ、大阪・関西の地で博覧会が開催される節目に、国際社会における日本の現在地について、文化発信の視点から問い直し、記録に残しておきたいという意図がある。
関西という地域は、茶道、華道、能楽など、いわゆる「伝統文化」の歴史的な集積地であり、実際に家元や伝統芸能の継承者の方が活躍されている本拠地だからである。
今号で対談をした伝統文化関係の先生方も、地元で家元を守りつつ、海外への普及にも尽力され、過去、現在の国際博覧会にも深く関わられている。
本誌では、こうした先生方に加えて、作曲や料理などを通じて、芸術文化、生活文化に関わる実践者の方々の、当事者ならではのお考えをお伝えしたかった。とりわけ千玄室先生におかれては、本誌にご生前の貴重なお言葉を残していただいた。
「日本」という概念のみならず、「伝統」「古典」という概念と実態についても、不断の問い直しが必要である。日本の「古典芸能」や「伝統文化」と認識されているものは、歴史的に構築されたものであり、時代の経過に応じて変容するからである。
歌舞伎や人形浄瑠璃といった、現代人の視点からは「伝統文化」とみなされるものも、江戸以前には市民のための娯楽であり、今でいう「ポピュラー・カルチャー」であった。
テレビもラジオもない時代、生の舞台芸能は日常生活に癒しを与えるいい意味での大衆芸能であり、敷居の高い「ハイ・カルチャー」とみなされるようになったのは、近代化以降である。
だが、「高級化」してしまうことにより、ときに市場原理から乖離し、伝統芸能上演の貴重な場であった国立劇場の将来もあやぶまれているのは皮肉である。
逆に、草創期には単なる娯楽的コンテンツとみなされていた漫画やアニメは、いまや海外の読者や観光客を魅了する重要な「日本文化」のひとつとなっている。
主に子供むけの「サブ・カルチャー」と軽視されていた漫画も、大学での研究対象となり、学会も存在する。既に前述の本誌特集においても本号にも、漫画に関する論考、エッセイが含まれる所以である。
「大衆文化」という言い回しは、「高級文化」よりも格下と思われがちであり、ラジオ、テレビの草創期には、それらが幅広い市民を対象とするマス・メディアであるゆえに、「文化」を堕落させるとの批判も喧(かまびす)しかった。
しかし、いまや「大衆文化」は「ポピュラー・カルチャー」と看板をかけかえ、学問としての市民権を得、日本文化発信の先鋒ともなっている。テレビ番組における日本イメージの考察は、こうしたメディア環境の変容に伴う「文化」概念の多様化に応じるものである。
「大衆文化」は広く一般市民の生活によりそうゆえに、民俗学でいう「常民」の生き様や心のありようを雄弁に伝えるものでもある。民俗学からの食文化論を所収できたことは、その意味で僥倖である。
漫画やアニメの海外における人気はいまのところ不動にみえるが、かたや茶道、華道のような日本の伝統文化については稽古人口の減少も指摘され、古典芸能の世界でも後継者養成が課題となっている。
伝統文化を現代社会、ひいては将来にどう継承すべきか──それは古くて新しい問いである。なぜなら、歴史ある文化的営みを現代社会に存続させる意義を問うことは、将来にわたり続くと思われるからである。
実のところ、高級文化となった伝統文化の将来をみすえた課題解決においても、国際的発信は重要な鍵をにぎる。
能楽は2001年にユネスコの「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」(無形文化遺産)として宣言され、2008年には人形浄瑠璃文楽と歌舞伎とともに、無形文化遺産に登録されている。
日本国内では市民の関心や人気が薄まり、「ポピュラー・カルチャー」ではなく「ハイ・カルチャー」であるゆえの困難を抱えている「舞台芸術」(という概念も近代化とともに構築された価値観だが)も、国際社会においては、「文化遺産」としての「お墨付き」をいただいているのだ。
2013年には「和食:日本人の伝統的な食文化」も無形文化遺産に登録された。登録基準についての議論もあろうが、芸術から食生活にいたるまで、日本の文化が世界的にも広く注目され、評価されている事実は、素直に喜ぶべきであろう。
茶道や書道関係の品物も、日本文化全体への関心や、おりからの海外観光客の増加に伴い、品薄になるほどの人気という。
国内では縮小傾向にみえる伝統文化関係の市場も、国際的視点に立てば、新たな可能性がみえてくる。過剰なインバウンドの弊害にも留意する必要はあるが、文化は狭い意味での文化活動にとどまるものではなく、経済の活性化にも寄与する。
海外の日本ファンも、むしろ日本人よりも日本文化に詳しい人も多い。日本文化は日本固有のものではない。むしろ、積極的に海をこえて発信することで、未来への継承の希望が広がる。日本文化は現在でも国境をこえ続けている。いや、そうあらねばならない。
70年代とはうってかわった社会、経済状況、世相のなかで開かれた2025年の万国博覧会。だが、日本文化を発信する機会としての位置づけはかわらない。
伝統芸能や日本文化に関わる様々な催しは、パビリオン内外で活発で、観客と一緒に謡を謡うなど、古典芸能に親しむ参加型の催しも実施されていた。私自身もささやかながら、お茶と舞踏をテーマとするイベントで、その末席に連なった。
私事で恐縮だが、70年万博開催のおり、北摂在住であった私は、万博を何度も訪れ、お祭り広場の催事にも出演した。2つの万博を観覧者として、また参加者として比較する機会に恵まれた経験を、本誌の特集を通じて、微力ながら社会に還元したいと願った。
関西、特に京都については、観光地としてのブランド力も強く、それに乗じて、にわかに「京○○」などとうたい始める動きもありがちだ。だが、流行に便乗する浅薄な姿勢は、社会的にも研究上もいただけない。にわか関西人、にわか京都人による日本文化論ではなく、ここでは、上方に根差した方々による、地に足のついた論考を揃えることを心掛けた。
日本が初めて参加した1867年のパリ万博においては、当時の江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれに文物などを紹介した。そこまで遡れば150年以上。「発信」という表現はSNS的な用語で、それこそ流行めくが、あえて表題とすることで、時代を感じていただく一助とした。
この特集が、いつかまた万博を目にするかもしれない未来の読者も含め、日本文化の歴史と可能性を考えていただく手がかりとなれば幸いである。
佐伯順子(Junko Saeki)
東京都生まれ。同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。国際日本文化研究センター客員助教授等を経て、現職。同志社大学京都と茶文化研究センター長もつとめる。専門は比較文化。著書に『「色」と「愛」の比較文化史』(岩波書店、サントリー学芸賞)など多数。
「日本文化」は世界に何を伝え、どこへ向かうのか...「伝統か、ポップか」を超えた現在地
© ニューズウィーク日本版
『アステイオン』103号
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
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🏯27)─2─日本より苗字が多い国とは。30万種類以上ある国の理由とは。~No.51
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日本の多様性は、その苗字の多さにある。
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日本人の苗字が30万種類に増えたのは、明治の平民苗字必称義務令からである。
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世界で苗字が多いのは、異民族に征服され植民地化された国か、大量の移民を受け入れた国である。
苗字が多い日本は、人類史・世界史の常識は通じない。
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2026年8月3日 YAHOO!JAPANニュース HugKum「日本より苗字が多い国はどこ? 30万種類以上ある国の理由とは【親子で語る国際問題】
日本の苗字は15万~30万種類あると言われている
今回は、苗字の種類が多い国について、小学生にも分かるように解説します。
日本の苗字の種類は、どのくらいあるのか知っていますか? 一般に、約10万から15万種程度とする推計から、異体字や読みの違いを含めて約30万種に達するという説まで幅広く存在します。
公的な統計が存在しないため厳密な数は不明ですが、いずれにせよ日本が世界的に見て極めて多様な苗字を持つ国であることは確かです。
その背景には、山地が多く地域ごとに分断されやすい地形や、中世以来の地縁的な社会構造が深く関係していると考えられています。
世界には日本よりも苗字の多い国がある
しかし、世界に目を向けると、日本に匹敵、あるいはそれを上回る規模で名前の多様性を持つ国々が存在します。それぞれの国の特徴を見ていきましょう。
1.移民が多いアメリカ
まず挙げられるのが米国です。米国の苗字の総数については明確な統計はないものの、国勢調査などに基づく頻出姓だけでも数10万規模に達するとされています。
この圧倒的な多様性の最大の要因は、移民国家としての歴史にあります。ヨーロッパ、アジア、アフリカ、中南米など、世界各地から多様な民族が流入し、それぞれの苗字が持ち込まれました。
加えて、英語圏への適応過程で発音や綴りが変化したり、簡略化されたりすることで、新たなバリエーションが生まれていきました。ファーストネームにおいても、伝統的な宗教名から創作的な名前まで幅広く、組み合わせの総数は極めて膨大です。
2.地域ごとの文化が反映されているイタリア
次に、欧州の中でも特に苗字の種類が多いとされるのがイタリアです。研究によっては30万種類以上の苗字が存在すると推計されており、人口比で見ても非常に高い多様性を持っています。
これは、統一国家としての成立が比較的遅く、それ以前は都市国家や地域ごとに文化や言語が大きく異なっていた歴史によるものです。
イタリアの苗字は、父親の名前に由来するもの、外見や性格を表すもの、職業名、出身地など多様な語源を持っています。
また、「~の息子」や「小さい~」といった意味を持つ接尾辞が豊富に使われ、それらの組み合わせによって一つの語から多くの派生形が生まれたことも、種類の増加に寄与しています。
3.宗教ごとに命名の慣習が違うインド
そして、名前の多様性という観点で極めて特異な存在がインドです。インドは多民族・多言語・多宗教国家であり、地域や宗教によって命名の仕組みが大きく異なります。
ヒンドゥー教、イスラム教、シク教など、それぞれに固有の命名慣習が存在し、同じ名前であっても意味や構造は大きく異なります。例えば南インドの一部では、固定された姓を持たず、父親の名前と本人の名前を組み合わせる形式が一般的であり、世代ごとに名前の構成が変化します。
このため、日本や欧米のような「世代を超えて固定される苗字」という概念が当てはまらない場合も多いのです。また、一部の地域や文化では占星術や生まれた曜日などを考慮して命名が行われることもあります。
こうした多様な命名体系と14億人を超える人口規模を踏まえれば、名前の総数は世界でも最大級の水準にあると考えられます。
名前の多様性は歴史や文化を映し出す鏡
このように、日本もまた苗字の多い国ではありますが、世界には移民の融合、地域言語の細分化、そして宗教や文化に基づく多様な命名規則によって、さらに複雑で多層的な「名前の体系」を形成している国々が存在します。
名前や苗字の多様性は、単なる数の問題ではなく、その社会が歩んできた歴史や文化の蓄積を映し出す鏡であると言えるでしょう。
【この記事を書いたのは】
国際政治先生|国際政治学者
国際政治学者として米中対立やグローバルサウスの研究に取り組む。大学で教壇に立つ一方、民間シンクタンクの外部有識者、学術雑誌の査読委員、中央省庁向けの助言や講演などを行う。
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2019年6月4日 Japaaanマガジン「明治時代に改名ブーム?その背景には苗字の義務化などさまざまな事情がありました
一人ひとりの個性を表す「名前」
現在、日本人の名前は「姓(苗字)」「名(下の名前)」という形をとっていますが、これには明治時代、政府による法令と、それに伴う改名ブームによってできた形だといえます。
戊辰戦争が終わり、明治の時代になると、諱と通称を併称することが公式に廃止され、すべての人が戸籍に「氏」と「名」を登録することになりました。もちろん、庶民に対しても明治3(1870)年、「平民苗字許可令」が発令され、それまで貴族や武士たちしか公称することができなかった苗字が、庶民にも公称することが認められました。
よく江戸時代の庶民は苗字を持っていなかったと誤解されがちですが、それは誤りです。公的に名乗らなかっただけで、本当は苗字を持っていた庶民も多くいました。
三代 歌川広重 画「東京開化名勝京橋石造銀座通り両側煉化石商家盛栄之図 」
ところが、「平民苗字許可令」が発令されていても、一部の人たちは苗字を名乗りませんでした。その後、明治8(1875)年に「平民苗字必称義務令」がだされたことで、国民すべてが苗字を名乗ることが義務付けられました。
「下の名前」に関しても大幅な変更がなされました。
明治2(1869)年、政府は、兵衛・助・介・輔・丞・進・右衛門・左衛門・大夫など古代の官職に由来する名前や、国名を使った受領名などを名乗ることを禁止した布達を出しました。その結果、全国の士族や庶民が下の名前も一斉に改名することになったのです。
明治時代に、日本人の名前のトレンドが大きく変わるのは、このような事情があったからなのですね。
参考
坂田 聡 『苗字と名前の歴史』(歴史文化ライブラリー 211)
豊田 武 『苗字の歴史』(読み直す日本史)
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国立公文書館ニュース
あの日の公文書 9月19日 苗字の日
苗字を名乗らなかった時代の話
明治維新後、新政府は四民平等の社会を実現するため、平民に苗字を公称することを許可しました。1870(明治3)年9月19日に公布された太政官布告第608号「平民苗字許可令」です。現在、9月19日が「苗字の日」とされているのは、この日に由来します。 平民苗字許可令
太政類典に収められた「平民苗字許可令」。国立公文書館デジタルアーカイブでは、「平民苗字ヲ許ス」という件名で閲覧が可能。
しかし、苗字の届出は、円滑には進みませんでした。その理由については定かではありませんが、一説には「税金を多く取られるようになるのではないかという警戒感があったため」とされています。
苗字必称義務令
太政類典に収められた「苗字必称義務令」。国立公文書館デジタルアーカイブでは、「平民ニ必ス苗字ヲ唱ヘシム」という件名で閲覧が可能。
届出を促進したい明治政府は、1875(明治8)年2月13日、あらためて苗字の使用を義務づける「苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に苗字を名乗ることを義務づけました。
この布告令には、「自今必ず苗字を相唱うべく、もっとも祖先以来の苗字不分明の向は新たに苗字を設くべし」と記されています。つまり、「これからは必ず苗字を名乗りなさい。祖先以来の苗字が分からない者は、新たに苗字をつけなさい」というのです。
政府による苗字公称の強制は、各方面に混乱をもたらしました。寺に頼み込んで苗字をつけてもらったり、役場総がかりで全世帯の苗字をつくったという例も記録されています。
当たり前のものである苗字
当たり前のものである苗字。しかし、もし苗字がなかったら、明日から急に苗字を名乗らなければならなくなったら・・・そんなことを考えると、当時の混乱ぶりが目に浮かんでくる。
ちなみに、よく「江戸時代に苗字があったのは武士だけ」と誤解されますが、武士以外も苗字を持っていました。古くは室町時代に武士以外の人たちが苗字を名乗っていた資料もあります。しかし、江戸時代には武士以外は公的に苗字を名乗ることができなかったのです。
【参考文献】『苗字の歴史』(豊田武:著 吉川弘文館) 『ルーツがわかる名字の事典』(森岡浩:著 大月書店)
Vol.10 継承される記録 ~内閣文庫の古典籍・古文書~
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東京都公文書館
2017年9月19日
【改名禁止で困った商家】
本日は、明治3年(1870)9月19日、太政官布告第608号「平民苗字許可令」が出されたことにちなみ、「苗字の日」とされています。
江戸時代、公式には名乗ることはできませんでしたが、武士や苗字の公称を許された者以外でも苗字を持っていました。江戸時代に造られた墓石や石仏などをみると、女性や子どもにも苗字が刻まれています。
明治になると、新政府は、四民平等の社会を実現することを目的に、平民にも苗字を公称することを許可しました。
苗字、つまり「姓」が家で統一され固定化されたのと時を同じくして、「名」を変えることも禁止されました。江戸時代では、一生のうちに「名」を変えることは良くみられましたが、明治以降は一人に対して一つの姓名ということが徹底されていきます。明治5年8月24日、「華族より平民に至るまで、自今、苗字名并屋号とも改称相成らず」ということが、太政官より指示されました。
これで困ったのは商家を営んでいる人たちでした。これは、商家では当主が代々同じ名前(名跡)を継承するため、新当主が代々の名前へ改称することが必要だったからです。ちなみに、越後屋三井家では、「八郎右衛門」が名跡でした。
各区の戸長らは、屋号と名前(名跡)をもって遠方とも取引をしており、名跡を変えてしまうと、家屋敷や家財を売り渡して、他人が相続したと得意先が勘違いしてしまうのが普通であると意見を述べています。そのため、商売にも支障を来さないよう、やむを得ない場合は審査を経て許可してもらいたいとしています。
これを受けた東京府は、これまで特別に許可してきたことで、日々改名の出願が出され、その数も増加しているが、改名しても商売に特段影響も無く、「旧習に泥(ナズ)」んだものと批判的に捉えています。ただ、全く取り扱わないということもできないので、やむを得ない場合のほかは、姓名を変えることは禁止とするのではどうかと、政府の意図を前面に出しながらも従来のやり方を認めるような玉虫色の解決を図ろうとしています。結局は、太政官より前述のような指示が出されていますが、どの程度、名跡の継承が認められたのかはわかりません。
江戸時代から明治時代へと、大きく制度が変更されるなかで、名前一つとっても紆余曲折があったことを伺うことができます。
「姓名改替之儀は御禁止にて有之候処商人共子弟相続之節景年屋号に連続いたし候名前に相嗣ぎ度云々各大区より願」(簿冊名「区戸長伺・全」 請求番号;605.D2.08)
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail...
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BBC NEWS JAPAN
【視点】日本の被差別民――隠れた階級制度
2015年11月27日
日本は均質でおおむね調和的な社会という定評がある。外国人は少ないし言語の違いもあまりなく、表面上は階級の区別もほとんどみられない。だがそんな日本にもひとつだけ例外がある。普段は目につくことのない被差別民を取材した。
東京・芝浦の食肉市場の一角にある飾り気のない部屋。片隅のテーブルに手紙が積んである。露骨な文章を書き連ねた嫌がらせの手紙だ。そこに示された偏見の源は、中世の時代までさかのぼる。
食肉処理、葬儀、皮革加工や汚物処理など「不浄」とされた職業に従事する人々は長年、日本社会の隅へ追いやられてきた。偏見は今も残り、芝浦の食肉処理業者たちはその標的となっている。
この市場で働く人々は世界でも最高級の貴重な食肉を切り分けているのだが、そんな事実は関係がないようだ。霜降りの上等なステーキで知られ、目が飛び出るほどの値が付くこともある牛肉。日本が世界に誇る和牛は、ここで処理される。
食肉処理場に届いた嫌がらせの手紙画像提供,Mike sunda
画像説明,食肉処理場に届いた嫌がらせの手紙
作業には非常に高度な技術と訓練、精神力が必要とされるため、熟達するには10年もかかることがある。それほどの技がつぎ込まれる仕事なのに、ここの人々は決して自分の職業を大っぴらに語ったりしない。
「私たちは人からどんな仕事をしているのか聞かれると、どう答えようかとためらってしまう」――食肉処理業者のひとり、宮崎勇気さんはそう語る。
「その裏にはたいてい、家族を傷つけたくないという気持ちがある。差別を受けるのが自分たちなら戦うこともできる。だが子どもたちは差別されても反撃する力がないから、守ってあげなければならない」
封建時代の名残
食肉処理の仕事に携わる多くの同業者と同様、宮崎さんも「部落民」と呼ばれた日本の被差別階級とかかわりがある。
部落民の歴史は封建時代にさかのぼる。もともとは死刑執行人や肉屋、葬儀屋など不浄とされる仕事、生き物の死にかかわる仕事に携わる人々が隔離されて住む集落を指していた。
「穢(けが)れ」が「多い」と書いて「穢多(えた)」という呼び名もあった。罪を犯した場合は、武士が殺していいことになっていた。19世紀も半ばになって、ある奉行が「穢多の命は平民の7分の1に相当する」との判断を下していたという記録も残っている。
現在では一般に侮辱的な呼び名と認識されているが、それでもまだ穢多という言葉を使う人がいる。食肉処理業者に対する嫌がらせの手紙には、「穢多に殺される動物はかわいそう」と書かれていた。
この身分制度は1871年、封建制とともに廃止された。しかし差別撤廃の妨げとなる壁は依然として残った。社会から取り残された被差別部落は、日本各地に散在していた。
就職先からは出生地が記載された戸籍の提出を求められることが多く、そこに特定の住所が載っているために差別されるケースも後を絶たなかった。
60年代にはこうした状況を是正するため、住環境や生活水準の向上を図る同和対策事業に予算が注がれたものの、差別はなくならなかった。
手書きのリスト
70年代半ば、部落解放を訴える団体の調べによって、被差別部落の地名や所在地を一覧にした手書きのリストが存在し、通信販売で企業にこっそり売られていることが発覚した。
国内大企業の多くがこのリストを基に、就職希望者をふるいにかけていたのだ。
最近では2009年、米グーグルの地図サービス「グーグルアース」が東京と大阪の古地図を表示できるようにしたことをきっかけに、偏見や身元調査をめぐる論争が再燃した。もともと一般向けに公開されていた古地図だが、そこには江戸時代以前の被差別部落の場所がはっきりと記されていた。
日本最大の暴力団山口組の構成員画像提供,Getty Images
画像説明,日本最大の暴力団山口組の構成員
被差別部落に現在どれくらいの人々が住んでいるのか、正確な人数を把握することは難しい。1993年の政府統計によれば、全国4000カ所余りの地区に計約100万人。部落解放同盟は約6000地区に300万人近くが住むと推定している。
同同盟の近藤登志一氏は、今でもこうしたリストに出くわすことがあると話す。ただし、リストは以前と違う目的で使われているという。
「70年代に企業が就職希望者の身元調査に使っていると発覚した時は、これを禁止する法的規制が導入された」と、同氏は語る。
「だがその情報を今も買っている人がいるのは周知の事実。企業ではなく、結婚前に家族が相手を調べようとして購入するケースが多い。我々が絶えず直面する、最大の差別のひとつだ」
暴力団に誘われ
東京都が昨年実施した調査では、子どもの結婚相手が同和地区出身者だと分かった場合、気にならないと答えた人が半数近くいる一方で、賛成しかねると答えた人が全体の約1割を占めた。
被差別部落への偏見がなかなか消えない理由のひとつに、暴力団とのかかわりがある。
20年ほど前から日本の暴力団を取材してきた米国人ジャーナリスト、ジェイク・エーデルスタイン氏の推計によると、暴力団組員の約3分の1は被差別部落の出身者だ。ほかの世界への扉を閉ざされた末に、誘い込まれていくという。
ある暴力団組長は同氏とのインタビューで、自分の組織は差別を受けてきた者たちに家族としつけを授けていると語り、正義を主張した。
「確かに、暴力団は実力社会だ。非情な荒くれ者になる気があれば、そして親分に忠誠を誓えば受け入れてもらえる」と、同氏は指摘する。
偏見を受ける恐れがあるのは、部落民の子孫だけにとどまらない。被差別部落は歴史的にみて特定の職業とのつながりが非常に強い。だから食肉処理場で働く人々は、家系がどうあれ差別の対象になり得る。
酒を注がれず
芝浦の食肉市場で労働組合委員長を務める栃木裕さん(58)は、かつてコンピューター・プログラマーだった。子どもたちと過ごす時間を増やすために転職したが、すぐさま家族の反対に遭った。
「父からは汚物のくみ取り業者みたいなものだと言われた。部落民の仕事だと言いたいのが分かった」という。
「夫婦で義父側の親類との席に出た時のことを思い出す。仕事を言ったら私にビールを注ぐ人はいなくなった」と、栃木さんは振り返る。
Yutaka Tochigi, president of the Shibaura Slaughterhouse Union画像提供,Mike Sunda
画像説明,Yutaka Tochigi, president of the Shibaura Slaughterhouse Union
しかし栃木さんも、そして部落解放同盟の近藤氏も、状況は良い方へ変化しているとの見方を示す。
「差別的な発言を見かけることは以前より少なくなったし、そんな発言をした者は裁判で損害賠償を命じられている」と、近藤氏は指摘する。
同氏によれば「職場での差別や部落出身者を中傷する落書きの報告はあるものの、そういうことが起きた時に通報してくれる人がかつてないほどに増えている」という。
嫌がらせの手紙を並べたテーブルがある小さな部屋は、食肉市場の情報センターの一部だ。同センターは意識変革に向けた啓発活動に取り組んでいる。
テーブルの横の壁には、また別の手紙が張ってある。食肉市場の見学に訪れ、働く人々の素晴らしい技やひたむきさを学んだ子どもたちからの感謝状だ。古い差別的な風習はいずれ過去のものとなるかもしれない。壁の手紙には、そんな希望が表れているようだ。
(寄稿筆者のマイク・スンダ氏は、東京をベースに音楽や日本の若者・都市文化について発信するライター/追加取材:レベッカ・ミルナー)
(英語記事 Japan's hidden caste of untouchables)
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ウィキペディア
平民苗字必称義務令(へいみんみょうじひっしょうぎむれい、平民苗字必唱義務令)は、日本の法令である(明治8年太政官布告第22号)。1875年(明治8年) 2月13日公布。
すべての国民に苗字(名字・姓)を名乗ることを義務付けた。
本令は、1870年(明治3年)の平民苗字許容令が平民に苗字の公称を許可するにとどまっていたのに対し、その使用を全国民に義務づけた布告である。1870年の許可後も苗字の届出は円滑に進まず、1875年にあらためて義務化されたことが示されている。布告文は「自今必ず苗字を相唱うべく、もっとも祖先以来の苗字不分明の向は新たに苗字を設くべし」という趣旨であり、既存の苗字の届出だけでなく、祖先以来の苗字が明らかでない者には新たな苗字の設定も求めた。
この点で本令は、苗字を旧来の家系・身分的特権の表示から、全国民が公称する氏へと転換させる一段階として位置づけられる[2]。さらに、1875年の義務化の後、翌年には妻は実家の氏を用いるとされ、1898年の旧民法では家の氏を基礎とする夫婦同氏制が整えられたと整理されているため、本令は現在の氏制度そのものを完成させた法令というより、近代日本の戸籍・家制度の中へ氏を組み替えていく過程の中核的な布告として理解できる。
歴史
江戸時代以前の状況
正倉院に残る奈良時代の戸籍簿や平安時代の戸籍調査から見てその時代の農民は「◯◯部」というみずからを所有する一族の氏を称していたことが分かるが、室町時代以降になると武家支配層が農兵化を恐れて農民から刀と苗字を取り上げて食糧生産にのみ釘付けにさせるようになったため、やがて農民は自らの家系と氏・姓を忘れさせられていった。
江戸時代まで、日本において公的に苗字を使用したのは、原則として公家及び武士また豪農や三井などの豪商などの支配階層に限られ、明治初年の段階において苗字を名乗ることが許されていた者は日本国民中わずかに6%前後に過ぎなかった。「苗字帯刀御免」といわれたように武士の身分的特権を示すものが苗字だったのであり 、百姓や町人は江戸幕府などの諸権力の許可なくして苗字を名乗ることは許されなかった。
平民苗字許容令(1870年)
旧暦明治3年9月19日(1870年10月13日)、明治政府より「自今平民苗氏被差許候事」との布告(平民苗字許容令)がなされ、平民も自由に姓を名乗ることができるようになった[7]。 この布告は細川潤次郎による民部大輔大木喬任への建議により実現した。細川は建議理由を次のように述べている。
{町人百姓の苗字差許 これも明治3年、 民部省内に改正局が出来てから、始めたことだ。 此の発議者は実は拙者です。 どうも天賦固有の権利を同等に持ち居りながら、人為の階級に拠りて、平民ばかりには名前のみを呼ばせて、苗字をいはせぬ。 苗字を呼ぶことは相ならぬと申すのでありますから、随分圧制な訳です。 又た一方から考へると.随分窮屈な理由です。元来、人の姓名といふものは、自他の区別を相立てゝ、相乱れざる様にするものであつて見れば …(略)… 姓氏を其の名前の上に加へて、一層之が区別を容易ならしむるやうにせねばならぬ。
— 細川潤次郎(雑誌『日本及日本人』において)}
つまり、封建的階級制の不合理と圧制の排除、 自他の区別の必要が理由であったとされる。
また、この頃内外の事情によって強力な中央集権国家を建設する必要に迫られていた明治政府は、脱籍浮浪人の取締り等の治安維持、徴税や徴兵や学制等のために全国民を戸において把握管理しようと戸籍制度の創設を進めている最中だった。このために全国民を「苗字と名」で把握する必要が生まれていたことも背景にあった。
すなわち、平民苗字許容令は戸籍制度を確立するための前掲条件であるとともに、四民平等の理念に基づく身分解放政策の一環であった。
平民苗字必称令(1875年)
しかし、平民苗字許容令は平民が苗字を持つことを認めるというだけのものであって、平民に苗字を作ることを強制したものではなかった。長い間苗字を名乗ることを禁じられていた平民はお咎めがあっては困ると苗字を控え続ける者が多かった。そのためこの後も日本国民の中には苗字がない者が多数存在し続けた。これでは戸籍制度によって国民を把握管理するという目的は達成され得ず、特に陸軍省はこのことが徴兵事務に支障をきたしていることを指摘し、全国民に苗字を持たせることを要請した。太政官はこの要請を受け入れて、ついに1875年(明治8年)2月13日に平民苗字必称令を布告した。「平民苗字被差許候旨明治三年九月布告候処自今必苗字相唱可申尤祖先以来苗字不分明ノ向ハ新タニ苗字ヲ設ケ候様可致此旨布告候事」という布告である。
ここに日本国民は全員苗字を持たねばならなくなり、いわば「国民皆姓」となった 。
元々苗字のある身分の者もこの流れで新しい苗字を名乗るケースがあった。例えば伊勢ノ海はその流れで生まれた苗字と言える(詳細はそちらを参照のこと)。
苗字のない者たちの苗字創設の模様
この布告により苗字のない者たちは苗字を創設することが義務付けられたが、何という苗字にするかは全く当人の自由であった。旧士族だった者は武士時代の苗字を戻す者が多く、それ以外の百姓や町人の大部分は祖先の地を付ける者が多かった。屋号や職業名を名字にする者もあった。
百姓などには字が書けない者や先祖のことなど全く分からない者もあるので、村の学識者(僧侶、神主、塾の師匠など)につけてもらったケースも見られる。僧侶や塾の師匠につけてもらって、檀徒、氏子[疑問点 – ノート]、釈氏、釈子、仁木、孝子といった苗字になった者もある 。
役場の戸籍係に苗字をつけてもらう者もあり、戸籍係に適当につけてくれと頼んだ結果「適藤」という苗字にされた者や、「先祖が戦争で手柄を立てた」というので「手柄」という苗字になった者もある。「うちは古い家柄だ。それを盛り込んでくれ」と言われた戸籍係が「古代はどうだね」と聞くと「もう少し古い」といい「じゃあ太古は?」と聞くと「もっと古い」というので太古前という苗字に決まった者もあった。前の人と同じ苗字という意味で「左に同じ」といったら左同になった者もあった。店主に苗字を付けてもらった二人の店子が話に夢中になって役場に付いたときには何という苗字だったか忘れてしまい、「二人が・・・二人が・・・」と口ごもっていたら、両名とも「二人」という苗字にされ、その後「ふひと」と読むと教えられたという[疑問点 – ノート]。日本一立派な姓が欲しいと「陛下」にしようとした者もあったが、村長の忠告で「陛上」にし、現在は「階上」に落ち着いているという。
鰻取りの名人だから「鰻」にする者、夫婦喧嘩をやめるよう「円満」にする者、未亡人が新しい主人を射止められるよう「射矢」にする者、賤ヶ岳七本槍の加藤・福島・片桐・脇坂などや、徳川四天王の酒井・榊原・井伊・本多など有名武将と同じ苗字にする者などもあった。大阪の下町の46軒の長屋の住民たちが仮名手本忠臣蔵の47士の苗字(「大星」「寺岡」など)からくじ引きで決めたという事例もあった。
また申請は役所において口頭で名字を伝えることによって行われたが、当時全ての役人が読み書きを自由にできたわけではなかったため、漢字を間違えて登録したケースが存在する。有名なのは「サイトウ」である。名字研究家の高信幸男の調査によれば「サイトウ」の書き方に「斉藤」「斎藤」「齋藤」「齊藤」と種類ができたのは、この時であるという。もともとは「斎藤」が由来で、それ以外の3つは役所の人間の書き間違いで誕生した姓という。「斉」は当時「さい」ではなく「せい」と読んでいたので、単純な誤字としか考えられないという。
日本人に「佐藤」や「伊藤」、「鈴木」が多い理由に付いては諸説あるものの、この平民苗字必称義務令の時に政府が例示した苗字だったためとする説が有力視されている。つまり、自由に苗字を定めてよいとは言っても、何も思いつかない人も多く、とりあえず政府が例として出した「佐藤」、「伊藤」、「鈴木」にしたという人が少なくなかったのだという。
江戸時代の苗字の種類は3万種に過ぎなかったが、現在日本人の苗字のバリエーションは12万種あるといわれる。増加した9万種の苗字は明治期に創出されたものである。
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🏕50)─1─日本で大地震が繰り返し多発する理由。都市で起きたら隣の人は水もくれない。~No.108No.109No.110No.111
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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
令和8年熊本地震。
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日本列島は、数万年前の旧石器時代・縄文時代から自然災害多発地帯であった。
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日本民族は、何もかも失う甚大な被害を受け夥しい犠牲者を出しても、被災民として中国大陸や朝鮮半島を頼り帝国や王国の救いを求めて逃げ出さず住み続けてきた。
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日本民族は、絶える事のない自然災害に対する生きる新しい知恵を考え、有るモノを工夫と想像で利用し、無いモノを工夫と想像で作り出し、そして乗り越えてきた。
それが、伝統的な宗教と文化である。
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日本民族は、習合しまとめる哲学や思想を必要としたが、差別や対立を助長する主義主張=イデオロギーは敬遠し、恩寵・奇跡・死からの復活を売り物とする宗教は有害として排除した。
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日本民族が表向き恐れたのは「地震・雷・火事・親父」であった。
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2026年7月28日 内閣官房内閣広報室「熊本県熊本地方を震源とする地震についての会見
(高市総理)
本日、16時27分頃、熊本県熊本地方を震源とする地震が発生し、熊本県宇城市氷川町で最大震度7を観測したほか、九州の広い範囲にわたって強い揺れを観測しております。この地震に伴い、有明・八代海に津波注意報が発表され、1メートル程度の津波が予想されています。まず、海岸に近づかないよう注意をしてください。
私からは、関係省庁に、早急に被害状況を把握すること、地方自治体とも緊密に連携し、人命第一の方針の下、政府一体となって被災者の救命・救助等の災害応急対策に全力で取り組むこと、国民の皆様に対して津波や避難等に関する情報提供を適時適確に行うことを指示しました。
現地の警察・消防を中心として、救命・救助活動を最優先に、災害応急対策に全力で取り組みます。また、内閣府の調査チームを先ほど被災地に派遣いたしました。
人的被害や物的被害については現在も確認中ではありますが、すでにけが人も出ていると伺っており、停電や火災が発生している地域もあり、また道路や橋の損壊、建物の倒壊もあり、とにかく安全な場所に避難するなど、皆様には身を守る行動をとってください。
そして、特に、夕食の支度時でもあり、火の取扱いには十分御注意ください。また、家の中で割れたガラスや陶器などでお怪我をされないように気をつけてください。
揺れの強かった地域においては、この後も、引き続き1週間程度となりますが、同程度の地震の発生の可能性もありますので、注意をしてください。政府としては全力で対応にあたってまいります。
現時点では以上でございます。
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6月18日 MicrosoftStartニュース 毎日新聞「東日本大震災の地震波、日本列島を5ミリ動かす 地球深部で反射
地震波が地球の核(コア)に跳ね返って伝わる模式図
2011年の東日本大震災で発生した地震波が地球の核(コア)に跳ね返って地表に戻り、日本列島のほぼ全域で地盤を東向きに最大5~6ミリ動かしていたとの分析結果を、米シカゴ大などの研究チームが18日付の米科学誌サイエンスに発表した。コアで反射した地震波は、東日本以外の複数のプレート境界でも滑りを誘発したとみられるという。
研究チームは、地震計や地殻変動を測るGNSS(全球測位衛星システム)観測点のデータを1秒ごとに解析した。それによると、マグニチュード9・0の本震発生後、地中深くに向かった地震波(S波)がマントルとコアの境界面(深さ約2900キロ)で反射。跳ね返った地震波(ScS波)は本震の約15分後、日本列島全域へほぼ同時に到達していた。
通常、地震波はコアで跳ね返って地表に戻るまでの往復約5800キロの間に弱まるが、地震の規模が極めて大きく、強いScS波が届いたという。
ScS波が地表に到達した直後(本震の約15~16分後)、日本のほぼ全域のGNSS観測点が東向きに移動。その変動幅は、東北の震源域付近で最大5~6ミリ、中部や中国地方でも約4ミリに及んでいた。
震源域から遠い北海道や九州の観測点も動いていたことから、ScS波は広範囲に複数のプレート境界の滑りを誘発したと考えられるという。東日本大震災が起きた太平洋プレートと北米プレートの境界だけでなく、南海トラフ地震が想定されるフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界でも滑りが生じた可能性がある。
ただし、こうした滑りは急激な破壊を伴う通常の地震と異なり、比較的ゆっくりと進行したため、強い揺れとして感知されなかった可能性が高い。
チームのパク・スンヨン・シカゴ大助教は「地球のコアに反射した地震波がプレート境界で追加の滑りを引き起こしうる可能性が示された。巨大地震の本震が終わった後でも地震を起こす恐れがある」と指摘している。【岡田英】
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6月28日 YAHOO!JAPANニュース スペースチャンネル「【日本・ベネズエラなど世界で相次ぐ地震】環太平洋火山帯「リング・オブ・ファイア」との関係
6月25~26日に発生した主な地震©スペースチャンネル
日本、フィリピン、ベネズエラなど、太平洋を取り囲む地域で地震が相次いでいます。いずれも「環太平洋火山帯」と呼ばれる巨大な地震・火山活動の帯に位置する国々です。
環太平洋火山帯は、世界の地震の約90%が発生するとされる非常に活発な地域です。日本もその一部に含まれており、地震や火山噴火と無縁ではいられない場所にあります。
では、なぜ太平洋の周りではこれほど地震が多いのでしょうか。そして、日本に住む私たちは、この現象をどのように理解すればよいのでしょうか。
日本・フィリピン・ベネズエラで相次いだ揺れ
今回注目されているのは、太平洋を囲む複数の国で強い地震が続いたことです。
日本では、6/26(金)に山梨県付近で震度6弱の地震が発生しました。大きな被害は報告されていませんが、首都圏でも揺れを感じる地震だったため、不安を覚えた人も多かったかもしれません。
フィリピン南部のミンダナオ島沖では、6/26にマグニチュード6.5の地震が発生しています。この地域では、以前にもより大きな地震が起き、多くの死傷者が出たとされています。フィリピンも日本と同じく、複数のプレートが複雑に関わる地震多発地域です。
さらに、6/25にベネズエラを39秒差で相次いで襲ったマグニチュード7.0以上の地震は、同国で1900年以降に発生した地震としては最も強いものでした。
離れた国々で地震が続くと、「地球規模で何かが連動しているのでは」と感じるかもしれません。ただし、個々の地震が直接つながっていると断定することはできません。重要なのは、これらの地域がもともと地震の起きやすい地質構造の上にあるという点です。
地球の火の輪「リング・オブ・ファイア」
環太平洋火山(赤い帯)、青線は海溝©Gringer
環太平洋火山帯とは、太平洋をぐるりと取り囲むように続く、火山と地震の多い帯状の地域です。英語では「Pacific Ring of Fire」と呼ばれ、日本語では「火の輪」と表現されることもあります。
その長さは約4万キロメートルにも及び、南米の太平洋岸から中米、北米西海岸、アリューシャン列島、カムチャツカ半島、日本列島、フィリピン、インドネシア周辺、ニュージーランド方面へと広がっています。
この地域には、世界の活火山・休火山の多くが集中しています。また、世界で発生する地震の約90%がこの帯の中で起きるとされています。巨大地震や大規模噴火の多くも、環太平洋火山帯と関係しています。
日本列島もまさにこの帯の一部です。日本周辺では、太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北米プレートなどが複雑に接しており、地震や火山活動が起こりやすい条件がそろっています。
なぜ太平洋の周りで地震が多いのか
日本列島周辺のプレートの模式図。複数のプレートが互いに衝突し合うという複雑な構造になっている。簡単に言えば、日本で地震の発生が非常に多いのはこのためである。
©気象庁
環太平洋火山帯で地震が多い最大の理由は、「プレートの沈み込み」です。
地球の表面は、1枚の硬い殻ではなく、いくつものプレートと呼ばれる巨大な岩盤に分かれています。これらのプレートは、非常にゆっくりと動いています。場所によっては、海のプレートが陸のプレートの下へ沈み込んでいます。
この沈み込み帯では、プレート同士が強く押し合い、ひずみがたまります。そして限界を超えたとき、そのひずみが一気に解放され、地震が発生します。
また、沈み込んだプレートの影響で地下の岩石が溶けやすくなり、マグマが作られます。そのマグマが地表へ上がることで火山活動も起こります。つまり、環太平洋火山帯では、地震と火山が同じプレート運動によって生み出されているのです。
この仕組みは、日本の太平洋側で起きる巨大地震にも深く関係しています。東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震も、プレート境界で発生した巨大地震でした。
今回のように各地で地震が相次ぐと不安になりますが、環太平洋火山帯では地震が珍しい現象ではありません。むしろ、こうした地域に暮らす以上、地震はいつか起こるものとして備えることが大切です。
今回の一連の地震は、地球内部の動きが活発化している兆候なのか、あるいは偶然の重なりなのか――皆さんはどのようにお考えになりますか?ぜひコメントお待ちしています。
宇宙系YouTuber
宇宙好きのためのスペースチャンネルへようこそ! 土曜21時からYoutubeライブ配信で宇宙の“いま”をわかりやすくお届けします。 Yahoo!ニュースでは最新宇宙ニュースを毎日連載中 気になる宇宙開発計画、ロケット打ち上げ、天体現象など様々な内容を発信します!皆さんからの質問や熱いコメントもお待ちしています!
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6月30日 MicrosoftStartニュース ニューズウィーク日本版「ベネズエラ、日本、カリフォルニア…1週間に93回の地震が世界を襲った理由とは?
ホリー・シルバーマン
世界中で大きな被害の出る地震が後を絶たない(写真はイメージです) Caglar Oskay-Unsplash
© ニューズウィーク日本版
ベネズエラで甚大な被害を出した異例の「双子地震」。米地質調査所(USGS)によると、6月19日から26日にかけてはこの地震を含め、世界中でマグニチュード(M)4.5以上の地震が93回発生した。
USGSによれば、一般的にM4.0を超す地震は被害を発生させ得る。6月24日には2度の大きな地震がわずか数十秒間隔でベネズエラ北部の沿岸部を直撃した。
最初の地震の規模はM7.2。続いてわずか39秒後に、さらに大きいM7.5の地震が起きた。
2度の地震はベネズエラ北部で建物の倒壊や道路の寸断などの甚大な被害を発生させ、現地の対応が追い付かない状態となっている。
震源は首都カラカスの西側、カリブ海に面した沿岸付近で、いずれも比較的浅い場所だった。専門家によると、震源が浅い場合、地表の揺れが著しく強くなり、建物などの被害が大きくなる傾向がある。
「双子地震」とは、大きな地震が引き金となって、同じ断層やその周辺でほぼ同規模の地震が直後に起きる現象で、専門家によれば発生はまれだという。
USGSは当初、ベネズエラの地震について、人口が密集していて建物の耐震基準がまちまちなことから「多数の死傷者と甚大な被害」が生じる恐れがあると警告していた。
カリフォルニアの地震学者、ルーシー・ジョーンズは地元放送局のABC7に対し、ベネズエラの地震を引き起こした断層は、カリフォルニアのサンアンドレアス断層と同じ特徴があり、いずれも地殻プレートが水平方向にすれ違う「横ずれ断層」にあたると指摘した。
今回の地震は南カリフォルニアにとって「重大な警告」になるとジョーンズは言い、ベネズエラで観測された地震活動は、特にサンアンドレアス断層の南部で起こり得る地震活動と酷似していると指摘する。さらに、大規模な断層破壊が起きた場合は遠く離れた地域にまで強い揺れやインフラ寸断といった被害が及ぶ可能性があると強調した。
一方、日本でも同じ週に大きな地震があった。岩手県沖で発生した地震は、気象庁によるとM6.9を観測した(編集注:その後M7.2に変更)。
この地震の震度は、立っているのが困難なレベルに達した。ただ、津波警報は発令されず、死傷者や建物などの大きな被害は報告されていない。
新幹線や在来線は線路の安全点検のため一時的に運行を見合わせた。専門家によると、これほど大きな揺れを観測しながら被害が最小限に抑えられたのは、厳格な建築基準と行き届いた地震への備えのおかげだった。
北カリフォルニアでは24日にM5.6の地震があり、160キロ以上離れた場所でも揺れを感じた。サンフランシスコ北部のレッドウッドバレーを震源とするこの地震は、現地時間の午前8時10分ごろ発生し、震源の深さは約8キロだった。
同地の住民には地震警報が届き、「強い揺れ」が予想されるとして「姿勢を低くして頭を守り、じっと動かないよう」呼びかけた。
この地震に続いてM2.5の小さな地震が少なくとも12回発生した。
世界で1週間に100回近くも大きな地震が起きたというデータは目を引くものの、専門家によれば、こうした活動は通常の基準の範囲内だという。
世界では毎日何百回もの地震が検知されているが、そのほとんどは揺れを感じないほど小さい。普段でも1週間に数十回はM4.5以上の地震が発生する。特に、環太平洋火山帯、カリブ海周辺のプレート境界、中央海嶺や沈み込み帯などプレート境界の活動が活発な地域でそうした地震が多い。
M4.0~5.9の地震は毎年世界中で数千回発生しており、地球の絶え間ないプレート運動を表している。
ベネズエラ北部では依然として余震のリスクが懸念される。USGSは、最初の2回の地震に続き、数日以内に大きな地震や余震が起きる可能性は非常に大きく、捜索救助活動や損傷した建物にとって危険な状態が続くと予想している。
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7月13日 YAHOO!JAPANニュース ピンズバNEW「「東海大地震」の名前はなぜ聞かなくなったのか…富士五湖震源の地震発生で気になる意外な理由
東海大地震と富士山噴火の危険性は今も変わらないのだが……(画像/shutterstock)
6月に起きた4度の大型地震──そのうちの1つに、大きな注目が集まった。
「6月26日22時29分ごろ、山梨県富士河口湖町で最大震度6弱を観測した地震は、マグニチュード5.6、震源は東部・富士五湖と発表されました。震源が富士山に近く、首都圏も大きく揺れたことから、“南海トラフ巨大地震の前兆なのではないか”と、ネットを中心に不安の声が広がっています」(全国紙社会部記者)
■【画像】想像を絶する大噴煙「富士山噴火」のイメージ図
一部報道では実際の関連性は極めて低いとされるが、人々を怖がらせたのにはワケがある。
「南海トラフ地震とは、静岡県・駿河湾から宮崎県・日向灘沖の広範囲に及ぶ大規模地震のことです。2025年の3月に内閣府の中央防災会議が被害想定を公表しました。最悪の場合、死者数約29.8万人、建物の全壊・焼失約235万棟、経済損失約292.3兆円という甚大な被害が予想されている巨大地震です」(前同)
いつ発生してもおかしくないという南海トラフ巨大地震──だが、その陰に隠れてしまった地震がある。静岡県浜松市在住の30代男性が話す。
「小学生の頃、“30年以内に『東海地震』が必ず来る”って学校でよく聞かされていました。そのたびに、“この家は潰れちゃうの?”と、親に聞いた覚えがあります。でも、今はその名前も聞きませんよね。つい先日、家を建てましたが、あの時ほどの心配はしませんでしたね」
たしかに、最近はあまり耳にしなくなった「東海地震」。駿河湾から東海沖にかけてを震源域とするマグニチュード8クラスの巨大地震のことだ。近い将来、日本を襲うであろう大災害として予測され、長年、震源域周辺の人々は警戒を続けてきた。
では、東海地震はどのようにして注目が集まり、なぜ今はその名を聞かなくなったのだろうか──。50年以上にわたって国内外の災害を現地調査し、『現代ビジネス』(講談社)で南海トラフ巨大地震の連載を持つ「防災システム研究所」所長の山村武彦氏が解説する。
「東海地震が注目され始めたのは1976年。地震予知連絡会で、あるレポートが提出されたことがきっかけでした。その中身は、約100年〜150年周期で東海地震が発生しているというもの。直近では、1854年に安政東海地震が発生しています。1944年に起きた昭和東南海地震では、東海地震の震源域は含まれていませんでした。つまり、割れ残りとして残った東海地震が切迫しているというレポートだったんです」
その指摘を受け、政府は東海地震対策に乗り出したという。
「1978年6月、『大規模地震対策特別措置法』という法律ができました。東海地震の観測を強化し、観測データに異常があれば、地震防災対策強化地域判定会を召集する仕組みです。6名の地震研究第一人者で構成された判定会は、大地震の可能性を察知すると、危険区域に警戒宣言を発令します。場合によっては事前避難、公共交通機関の停止もできるようにしたわけです。こうした事前予知を前提とした防災体制は、世界初の画期的な試みでした」(前同)
防災体制が整備されてからの生活について、愛知県豊橋市在住の60代女性が話す。
「東海地震が来ると言われ始めたのは、私が高校生くらいの頃だったと思います。その当時はそこまで気にしていませんでしたが、子供ができてからは怖くなりましたね。家の耐震診断も受けましたし、地震が起きた場合の避難経路を必ず確認していました。ただ、その後に阪神淡路があって、東日本大震災があって、いつの間にか東海地震という言葉すら聞かなくなった。いつかは来るんでしょうけど、今はどこか他人事のような気がしてしまってます」
■地震学の定説を覆してしまった東日本大震災
1854年に発生した安政東海地震(推定M8.4)を最後に、170年以上経った現在まで想定震源域で新たな大地震は起きていない。だが、この現状について山村氏は、地球の時間感覚で見れば100年や150年は誤差の範囲でしかないという。
「地球は何億年単位で動いているのに、人間は100年単位で物事を考える。分かっているデータもせいぜい1000年〜1200年ぐらいの記録しかありません。しかも、その中には怪しいものもある。こうした状況下で考えざるを得ない難しさはあります」
そして、2011年3月11日──。地震学の定説を覆す大地震が起きてしまう。
「日本海溝に沈み込んでくる太平洋プレートは、数億年前に作られた古いプレートです。この地域には、それほど大きなエネルギーは蓄積されていないだろう。マグニチュード9クラスの地震は起きないだろう。それが、日本地震学会の定説になっていました。しかし、実際にマグニチュード9.0の東日本大震災が起きてしまった。完全に学会の定説が覆ってしまったんです」(前同)
東日本大震災から約半年後の2011年10月、地震学者2000人以上が参加する日本地震学会は、異例の見解を表明する。従来の地震発生の考え方はリセットするべきだという、いわば“敗北宣言”を出したのだ。
「東北でマグニチュード9の地震が起きたなら、西側でも同じことが起きるかもしれない。当然、東海地震に関する認識も変化しました。それまで南海トラフ周辺で想定された最大マグニチュードは8.5でした。そこで、“南海トラフ巨大地震”という形を取り、マグニチュード9を想定するようになったんです。その中には東海地震の他に、東南海地震、南海地震も含まれています。そのため、次第に東海地震の存在感は薄くなっていきました」(同)
さらに月日が流れた2017年10月30日。東海地震の事前予知を目的とした定例判定会が、約40年の歴史に幕を下ろす。この日を境に、メディアから東海地震という言葉が消えたのだ。
「とはいえ、東海地震エリアの危険度の高さに変わりはありません。現在もフィリピン海プレートが毎年数センチずつ沈み込み、岩盤が変形し続けています。蓄積されたストレスを放出するため、どこかで地震が起きる可能性は高いでしょう。さらには、富士山の噴火を誘発する可能性だってあるかもしれません。南海トラフ巨大地震に呼称が変化した現在も、警戒が必要です」(同)
2025年だけでも4000回の地震が起きたという、地震大国日本。東海地方の人はもちろんのこと、全国民が他人事ではいられないのかもしれない──。
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7月29日 MicrosoftStartニュース CNN.co.jp「日本でこれほど多くの大地震が発生する理由
(CNN) 世界の大半の国々と比べても、日本ほど甚大な被害をもたらす地震にたびたび見舞われる国はほとんどない。島国の日本は四つのプレートの境界上に位置する。地球の表面を覆うこれらのプレートは絶えず動き続けている。
日本はまた、太平洋を取り囲む全長約4万キロの弧状地帯「環太平洋火山帯(リング・オブ・ファイア)」にも位置している。ここには世界で最も活発な火山が集中し、最も多く地震が発生する地域とされる。
28日には熊本県でマグニチュード(M)6.8の致命的な地震が発生。捜索・救助・支援活動のため数千人の緊急対応要員が動員されるなど、その影響が改めて浮き彫りとなった。
しかし、日本はこうした災害への備えが十分に整っている。これまで最先端の地震検知技術や避難システム、耐震インフラに巨額の投資を行ってきたからだ。
住民にとって地震は日常生活の一部であり、子どもたちは幼稚園の頃から地震や避難の訓練を始める。それでも人々の意識の中で、地震の脅威は拡大している。とりわけ政府は、日本でいずれ「100年に一度」ともいわれる巨大海溝型地震(メガスラスト地震)が発生する可能性があると繰り返し警告している。
熊本県は2016年に発生したより大きな地震からようやく復興したばかりだった。この地震では広範囲に被害が及び、270人以上が死亡した。
災害の長い歴史
日本では歴史上、壊滅的な規模の地震が繰り返し起きている。
古代から中世・近世にかけて、地震はたびたび日本の都市や町を襲った。地震後は火災が発生し、木造の建物を次々と破壊した。1498年の明応地震は特に甚大で、推計に差はあるものの3万人以上が死亡したと考えられている。
1923年の関東大震災もまた壊滅的な災害だった。首都・東京の広範囲を壊滅させ、およそ10万5000人が命を落とした。
日本は80年代からより厳格な建築基準を導入し、その有効性は95年の阪神・淡路大震災で実証された。この地震では6000人以上が死亡したが、倒壊した建物のほぼすべてが新基準以前に建てられたものだった。これを契機に、日本は耐震性の向上、緊急対応システムの整備、そして古い建物を新基準に適合させる耐震改修を大規模に進めた。
2011年の東日本大震災は、現在を生きる人々の記憶の中で最悪の災害だ。M9.1の地震と津波が福島第一原子力発電所の事故を引き起こし、およそ2万人が死亡した。さらに数千人が現在も行方不明のままだ。この地震は、今世紀で最も強力な地震の一つとして記録されている。
ここまで大きくはない地震でも、多くの命が失われることはある。24年には能登半島で発生したM7.1の地震により、700人以上が死亡した。
チリ、インドネシア、ソロモン諸島、そして米西海岸なども含む前出の環太平洋火山帯は、海底にある太平洋プレートが周囲の大陸プレートと接している。これらのプレートが互いに動いて摩擦を生じることでエネルギーが蓄積され、それが地震として放出される。
神戸大学の吉岡祥一教授は24年にCNNの取材に答え、世界で発生するM6以上の地震の約10%が日本またはその周辺で起きていると指摘。そのため、地震が珍しい欧州や米国東部と比べて、リスクははるかに高いと述べていた。
日本への旅行は安全か
日本は、地震が多い他の国々の中でも、地震への備えと耐震性において世界をリードする国として広く知られている。
建物には耐震技術の導入が義務付けられている。耐震技術とは振動や揺れを吸収できる壁や床、あるいは地震の際に建物が揺れに合わせて動いても倒壊しない柔軟な構造などを指す。観光客向けの政府サイトの一つでは、「ほとんどの建物は地震に対してかなりの耐性がある」と案内している。
それでも、旅行者の間では地震の脅威に不安を感じる人が少なくない。
昨年の夏には、地震に関する一連の「予言」が広まり、東アジア各地の迷信深い旅行者たちが日本への旅行をキャンセルしたり延期したりした。これらの「予言」には、大災害を警告した日本の漫画や、甚大な破壊を予測した霊能者、人々に日本へ近づかないよう勧めた風水師などが含まれていた。
日本政府自体もこうした不安に拍車をかける形で、南海トラフ巨大地震という大規模地震が近い将来発生する可能性があると警告してきた。
南海トラフは全長700キロメートルに及ぶ沈み込み帯で、これはプレート同士が一方の下へ潜り込む場所を指す。政府の地震調査委員会によると、この地域では100年から200年ごとに大規模な地震が記録されている。
過去の大地震の発生間隔をもとに計算した結果、日本政府は今後30年以内に南海トラフ地震が発生する確率を70~80%と予測。その規模はM8~9程度になるとしている。
しかし、この科学的見解には異論も出ている。地震は予測可能な周期で発生するものではないとして、こうした予測に反論する専門家がいるほか、当該の予測をある程度支持はするものの、ここまで長期的で精度の低い予測を行うことが必ずしも有益とは限らないと指摘する人々もいる。
CNNの取材に応じた複数の専門家によると、現在日本が最も取り組むべきなのは備えを進めることだ。具体的には、準備が十分でない地域の課題を改善し、緊急時の対応について国民の意識を高めることだという。
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8月2日 MicrosoftStartニュースABEMA TIMES「地震大国・日本、大震災発生に備えるべきものは? 耐震化が進む日本で必要なのはコミュニティ強化? 「都市で起きたら隣の人は水もくれない」
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崩れた橋
熊本県で最大震度7を観測した地震が発生し、大型商業施設・イオンモール熊本ではガス爆発の可能性が高いとされる爆発が発生し、複数の死者が出た。熊本県内では30日までに420箇所の避難所に8698人が避難している。断水は約6万世帯以上に及び、猛暑の中で物資不足が深刻化している。
熊本県内で震度7を観測したのは、2016年の熊本地震で2度記録して以来、10年で3回目となる。復旧が進む街に再び大きな打撃が加わった今、行政は何をすべきか、そして地震に強い街をどう作るか。『ABEMA Prime』では、能登半島地震で復旧復興の指揮を執った前石川県知事・馳浩氏、復興アドバイザリーボード委員を務めた一般社団法人RCF代表理事・藤沢烈氏らとともに考えた。
■被災直後に必要なのは物資だけでなく「お金」
地震大国・日本、大震災発生に備えるべきものは?耐震化が進む日本で必要なのはコミュニティ強化?「都市で起きたら隣の人は水もくれない」
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能登半島地震発生当時、石川県知事として対応にあたった馳氏は、繰り返し被災する熊本県民について「また来るとは思っていらっしゃらなかったと思う。いつになったら終わるんだろうかという気持ちではないか」と心情を察する。
初期対応については「自助・共助・公助の中でも自助・共助の部分が、普段から訓練されていたかどうか」が鍵だと述べる。能登半島地震での反省として、全国からの支援や警察・消防・自衛隊のバックアップ体制については「普段から訓練をしておく必要があると感じた」と語り、大動脈である道路が寸断された際の対応についても「ヘリコプターをどこに下ろすか、海からどこに入るか、幹線道路の次の町道などどこから入ればいいかという準備を普段からしておく必要がある」と振り返った。
また特に不足した支援物資として「女性への支援、障害のある方や介護が必要な方など社会的弱者向けの支援物資が足りなかった。そして、やっぱり水」と指摘した。
今すぐできる支援として馳氏は「お金はすぐ必要。着の身着のまま逃げた方々が次の生活をどうするか考えている。まずはお金、義援金、あるいはふるさと納税という形で支援いただければ、現場は本当にありがたい」と訴えた。寄付先については「赤十字を中心に、公平公正に配分委員会のルールに基づいて届けられる。そこに早く集約していただいた方が良い」と説明した。
■都心で大震災が起きたら…復興アドバイザーが心配する「人間関係」の希薄さ
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復興支援に詳しい一般社団法人RCF 代表理事の藤沢烈氏は、「(発生から)72時間は、とにかく人命救助が最も重要な時期。大量に水が送られてきても、トラックから出すのは地元の方になる。2トン車で水が来ても、対応する行政の方が参ってしまう。人とセットで物を送ることが必要だ」と述べ、善意の物資が現場の負担になるケースに警鐘を鳴らした。ふるさと納税については「災害時は返礼品なしのものが用意される。しかも被災自治体が開設する余裕がないとき、他の自治体に寄付するとそれが被災地に届く仕組みが今回も使えるので、返礼品なしのバージョンを活用してほしい」と呼びかけた。
また、藤沢氏は被災リスクという観点から「ハードの面では日本はかなり進化している。その上で強い街とは何かというと、人間関係だと思う。私は都市の方がよっぽど危ないと思っている」と指摘する。「都市で被災して周りに知り合いがいない状況では、ほとんど生きていけない。水がなくなったからといって、隣の人は水をくれない。タワーマンションはエレベーターが止まり、水も出なくなる。都市は耐震基準は良いが、人間関係をどう作るかが課題だ」と述べた。
さらに首都直下地震への懸念として「東京は昼間人口が住民の数倍にのぼる。都内の避難所は住民向けに設計されているため、平日昼間に地震が起きると完全にパンクする。働いている方は行き場がない。オフィスビルに備蓄があるかどうかにすべてかかっている。例えばある区が150万食を備蓄していても、それは1日分にしかならない。1週間は物が来ないと思った方がいい」と警告した。
■「地域コミュニティのつながりが最強」――デジタルと人間関係の両輪
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SEKAIA株式会社CEO・薄井シンシア氏は「日本は災害の国だからこそ、こういう緊急時だけ活動する予備役のようなサポーター制度を作れないか」と提案する。「その都度ボランティアを募るのではなく、システムとして整えて、緊急時には全員出動という仕組みにしてほしい」と述べた。
馳氏はこれを受けて「防災士の育成と普段からの研修が重要だ。ある生命保険会社にセールスの方々にも防災士の資格を取ってもらうよう呼びかけたところ、36人中35人が取ってくれた。保険会社が持つビッグデータも活用できるし、何より住民と普段から顔を合わせている。そういった人々も含めて防災士を増やし、研修を続けることが大事だ」と語った。さらに位置情報に関してはGoogleなどの活用がイメージされる中、自衛隊によるものが最も効果的だとし「自衛隊から自治体に情報が入る。情報は、自衛隊も含めて政府の方が圧倒的にたくさん持っている。現場の市や町は人も少ないので、精度の高い情報が入ってこない。国と県と市、または警察、消防、自衛隊など情報の共有をいち早くするということが大事」だとした。
馳氏はまた、復興の方向性としてコンパクトシティの考え方にも言及しつつ「繰り返し地震が来るとなると、コンパクトシティをエリアごとにいくつか作り、それを道路でつないでいくことも一定の理解のもとで進める必要がある」と述べた。加えて「情報通信のインフラが重大な問題だ。能登半島では上空から電波を届けるHAPS(高高度プラットフォームシステム)を2028年から導入する取り組みが進んでいる。どこにいても5Gや6Gでつながる環境があれば、早めの避難も可能になるし、誰がどこで助けを求めているかもわかる」と強調した。
さらに「防災庁ができると思うがフェーズフリー、つまり普段からの備えが大事だ。早朝なのか深夜なのか、寒いのか暑いのか、どんな時でも地震は来る。地域とコミュニティがつながっていることが最強だと思っている」と締めくくった。
(『ABEMA Prime』より)
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🏞71)─2・⑤─巨勢由利は卑賎の町人から将軍生母の縁者というだけで5,000石の上級旗本になった。~No.290
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2025-09-22
⚔65)─4─将軍の家来である“幕臣”で上級者が旗本、下級者が御家人。金上侍。~No.270No.271
2024-09-08
🏯29)─1・B─庶民は武士の身分を金で買って金上侍、成り上がり武士になった。~No.54
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2022-01-28
🏯目次)ー13ー江戸は世界七大帝国。武士道と金上侍。百姓と村八分。百姓一揆。水争い。賤民と部落民。幕府の土木工事。~No.1 *
編集
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巨勢至信(こせゆきのぶ)は、江戸時代中期の旗本。巨勢忠善(ただよし)の嫡男。官位は従五位下・伊豆守、縫殿頭。
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『数字と図表で読み解く徳川幕府の実力と統治のしくみ』
蒲生眞紗雄 著 新人物往来社
第4章 幕閣と役職のしくみ
旗本八万騎の実態
──徳川300年を賑わした異色旗本たち
⦿驚くべき老人パワー
〝旗本八万騎〟と俗称された旗本もその実数は、実際には約5,000人であった。彼らは約260年間にわたって幕府に仕えてきた。今ふうにいえば、国家公務員というサラリーマンであったといえよう。ただし、現在と違って定年制などはなかった。
幕府では、一般的には70歳前後になると辞職願いを出し、いったん、寄合(よりあい)か小普請(こぶしん)に入ってから何年かして致仕({ちし}仕官をやめて隠居すること)願いを出し、家督や知行地、家禄や拝領屋敷などを子に譲って隠居するのが通例であった。一方、70歳以上でも現役で働くことは認められていた。ただし、70歳未満でも老衰や立ち居振舞が勤務にたえない感じた時は、辞職願いを出すことも義務づけられていた。そして、平均寿命が現在と比べてはるかに短い当時にあっては、70歳前後まで生き抜くことは大変な努力が必要であったろうことは容易に想像できよう。
……。
⦿町人から5,000石の旗本になった男
紀伊大納言徳川家貞はあるとき、紀伊巨勢村の娘で御殿の下働きをしている女性をみそめて側室に加えた。この女性がお由利の方であり、生まれた子が4男(あるいは3男)の頼方(よりかた)である。この頼方はその後、兄たちが相ついで没したため紀州藩主となり、やがて徳川本家の将軍にまでなってしまった。8代将軍徳川吉宗である。吉宗は、享保3(1718)年に生母を江戸城に迎えるに際して、彼女の弟と甥の2人を召し出して幕臣に登用した。それが5,000石を与えられた56歳の弟の巨勢由利(こせよしとし)と1,000石を与えられた23歳の甥の巨勢至信であった。由利は、同年末には従五位下丹波守に叙爵され、至信には翌年、従五位下伊豆守の叙爵され、のち加増をうけて5,000石を知行するにいたった。
この件について吉宗の生母浄円院は、2人は元来卑賎の町人であるので、自分の縁者であるというだけで旗本に登用することには反対である。しかし、いったん将軍が決めた以上変更もできにであろうから、2人は決して役職にはつけないでほしいと吉宗に苦言をいったそうである。事実、『柳営婦女伝』(『徳川諸家系譜』第一所収)によれば、巨勢由利は下京(しもぎょう)の湯屋であったと記されている。そのためか2人は側衆として終始した。この話は、勘定奉行や町奉行を歴任した根岸鎮衛(やすもり)の随筆『耳嚢(みみぶくろ)』巻之一に出ている。
100歳近くまで営々として働いてやっと100俵取りに加増された者がいる(先述の井上伝七郎)一方で、将軍生母の縁者というだけで5,000石という大身の旗本になる者(当時の旗本中の占める5,000石以上の者はわずか2%にすぎなかった)もいるというのは、絶対的な封建君主がいる時代のなせる業(わざ)かもしれない。否、現代のサラリーマン生活の中でもこのような不合理は結構ありそうな気もする。
……。」
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旗本 : 5,205人
御家人:約1万7,399人
(享保7年 1722年)
幕臣であっても、役方・番方の役職に就いて役高や役料を得られなければ武士としての格式を保つ事ができなかった。
無役で祖先からの家禄のみでは生活するのさえ苦しく、金貸しから借金をしたり、商家や農家から内職の仕事を分けて貰って糊口を凌(しの)ぎ、娘は豪商や豪農に嫁げれば好運で最悪は吉原に女郎として売られた。
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後漢王朝末期。屠殺業の何進(かしん、不明- 光熹元年8月29日(189年9月22日))は、霊帝の皇后(何氏)になった異母妹の縁故で大将軍となり、次期皇帝選び問題と宦官との政争に巻き込まれ殺害された。人が良いだけで無学無教養な何進は、政争をおこなう側近に操られて、宦官勢力を排除して宮中の腐敗を正すべく地方の軍閥達を呼び集めた事が王朝滅亡の端緒を開いた。
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🎑108)─9・⑳─日本のアニメは世界で大人気なのに、なぜ現場は崩壊の危機にあるのか。~No.243
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本における天才的なマンガ作家や優秀なアニメーターは、現代教育の害を強く受けていない10歳代の子供である。
子供の自由な発想による夢や希望を、生きる事に絶望した大人達は社会の常識で奪い壊している。
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2026年7月26日 YAHOO!JAPANニュース クーリエ・ジャポン「英誌「日本のアニメは世界で大人気なのに、なぜ現場は崩壊の危機にあるのか」─アニメーターがほとんど増えない理由
高畑勲監督による『かぐや姫の物語』 Photo: 2013 Studio Ghibli, NDHDMTK
日本のアニメの人気はかつてないほど高まっている。それなのに、なぜ業界は深刻な人手不足に陥っているのか──。そんな疑問を持った英誌「1843マガジン」の記者が日本を訪れ、現場を徹底取材。スタジオジブリなどで活躍したベテランから、大ヒット映画『ルックバック』の押山清高監督、夢を追う若手まで、さまざまな世代の「生の声」を聞いた。
【画像】『かぐや姫の物語』で話題となったあのシーン
狭き門を見据えて
エンドウ・ミズキは、自らの手で描いた絵が動き出す瞬間を見るのが何よりも好きだった。子供の頃、彼はパラパラマンガ作りに熱中し、恐竜や『トイ・ストーリー』のキャラクター、お互いを追いかけ回す棒人間などを描いて動かしていた。中学校に上がるころには、アニメーターになることを夢見るようになった。
しかし、その業界へ入るのがいかに狭き門であるかを理解していた彼は、「滑り止め」の計画が必要だと考えた。そこで16歳のとき、プログラミングを学ぶために技術系の高校に入学した。高校では、アニメーターになりたいという思いを周囲に明かすことはほとんどなかった。
「クラスメイトにそのことを話したとしても、理解してもらえるとは思えませんでした」。2024年の秋に東京で会ったとき、彼は当時をそう振り返った。
それでもエンドウは技術を磨き続けた。2021年に卒業したあと、スーパーでレジ打ちのアルバイトをしながら、絵を描く時間を確保した。自宅ではYouTubeでチュートリアル動画を視聴し、お気に入りのアニメシリーズ『ラブライブ!スーパースター!!』のキャラクターデザインを手がけた斎藤敦史など、憧れのアニメーターのスタイルを研究した。
エンドウは当時の作品のいくつかを私に見せてくれた。ある絵では、緑色の髪をした制服姿の女子高生が空を見上げようとのけぞり、また別の絵では、紫色の目をした汗ばんだ若い女性が、涼むために冷凍庫のドアを開けている。
「好きなように描いて、満足したら次の絵に移っていました」
描くことの純粋な喜びが、先行きが見えないキャリアへの不安をかき消してくれたのだった。
供給能力の限界
エンドウが参入を志した業界は、いまやブームの真っ只中にある。日本動画協会(AJA)による2024年の報告書によると、アニメの市場規模は過去10年間でほぼ3倍に拡大し、3兆8407億円に達した。
同じく2024年に発表された帝国データバンクの調査でも、国内のアニメ制作会社の総売上高は前年比23%増の3621億円となり、成長の勢いを見せている。
これは、経済停滞と人口減少に直面している日本にとって明るい兆しだ。2023年、経済誌「週刊東洋経済」が「稀に見る成長産業が突故として現れた」と評した通りである。
アニメの成功を牽引してきたのは、海外市場の拡大だ。2012年から2022年の間に、日本国外からの収入は6倍に増加。2020年以降、アニメ専門のストリーミングサービス「クランチロール」の会員数は300万人から2100万人に急増した。ここ数年間で、複数のアニメ映画が全米興行成績のトップを飾っている。
この人気を背景に、アニメ制作スタジオにはテレビ局や配信プラットフォーム向けの作品を手がけるよう、高い需要が寄せられている。
「良いスタジオを確保するための競争が激化しています」と、大手配給会社の社員は語る。最も定評のあるスタジオは「通常、3〜5年先までスケジュールが埋まっています。業界は供給能力の限界に達していると言えます」。
このままいけば、日本のアニメは消える
エンドウのような若いアーティストにとって、夢を叶えるのにこれほど適した時期はないように思われる。しかし、この業界はいま、危機に瀕している。労働環境の悪化と制作面での課題が重なり、その持続的な成長を脅かしているのだ。
最も差し迫った課題は、アニメーターの不足である。1970年代にスタジオが効率化とコスト削減のために契約社員を起用しはじめて以来、人材の層は空洞化の一途をたどっている。若手アニメーターたちは、職場での実務研修をほとんど受けられず、落胆して業界を去る人も少なくない。
アニメ人気の高まりが、この傾向をさらに顕著にしている。21世紀の初めには、年間100本をわずかに超える程度のアニメシリーズが放送されていたが、近年、その数は300本を超えている。
日本アニメフィルム文化連盟(NAFCA)事務局長の福宮あやのは、「それに応じてアニメーターの数も増えると思うでしょうが、実際にはそれほど増えませんでした」と話す。2010年に約4500人と推定されていた国内のアニメーターは、現在でも5000〜6000人程度にとどまっている。
アニメーターの不足は、アニメの制作プロセスが変化した、まさにその直後に発生した。 たとえば、現在では以前よりも多くのアニメーターが1つの作品に携わるようになり、一人ひとりが担当するタスクの数は少なくなっている。これが、高度に細分化されたワークフローを招く要因となった。
多くのアニメーターやアニメファンは、その結果としてアニメという芸術形式が独自の個性を失ってしまうのではないかと恐れている。人々がアニメを愛するのは、その世界観や、視聴者が自らの想像力で補完できる余白、そして予測不可能な人間の温もりがあるからだ。
「日本には非常に多くの暗黙の了解があります。私たちは自分が言いたいことを実際には言えません。しかし、エンターテインメントにおいて、こうした抑圧された感情はクレイジーな形で爆発します。それこそが、アニメの表現力をさらに豊かなものにしているのです」と、前出の配給会社の社員は語る。
私は、この危機の最中に、より持続可能な組織やキャリアパスを構築しようとしているアニメーター、プロデューサー、そして指導者たちに話を聞くため、東京へ向かった。
「おばあちゃんになっても、日本の手描きアニメを見続けたいです」と福宮は言う。「私はいま40代です。このままいけば、日本のアニメは消えてしまうでしょう」(続く)
かつて、日本のアニメ業界では先輩が新人を指導するのが一般的だったが、いまではそれすらも難しくなっている。第2回では、この変化がなぜ訪れたのかを紐解き、いまのベテランが若かった頃と現在の若手の労働環境の「決定的な違い」に迫る。名門スタジオの倒産劇から見えてくる、アニメ業界の構造変化の歴史とは。
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7月29日 MicrosoftStartニュース Record China「なぜ多くの人は日本漫画風の絵を好んで描くのか―中国ネット
8日、中国のSNS・小紅書(RED)に「なぜ多くの人は日本漫画風の絵を好んで描くのだろうか」と題した投稿があり、中国のネットユーザーから注目を集めた。画像はAIで作成。
© Record China
2026年7月8日、中国のSNS・小紅書(RED)に「なぜ多くの人は日本漫画風の絵を好んで描くのだろうか」と題した投稿があり、中国のネットユーザーから注目を集めた。
投稿者は、「純粋に気になっていることがある。なぜ絵を描く人の多くは、日本漫画風の絵を好んで描くのだろうか。私はアメコミ風の画風で描いているので、ほかの人がどう考えているのか聞いてみたい」と問い掛けた。
すると、中国のネットユーザーからは「単純にかわいいから」「見た目が良くて、多くの人の美的感覚に合っているから」「かわいくて見栄えがいいから、多くの人の好みに合うんだと思う。リアル寄りの絵柄は受け入れられる人が少ない」「自分の好みに合ってるからかな。アメコミ風はどうしてもハマれない」「私もアメコミ風は苦手。作品自体に魅力があって初めて絵柄も好きになれる感じ」「日本漫画の絵柄は、情報を省略したりデフォルメしたりする表現が魅力的だし、キャラクターの華奢な雰囲気も好き。最近は好きな作品があるからアメコミ風も頑張って見てみたけど、どうしてもハマれなかった」など、かわいさや自身の美的感覚を理由に挙げるコメントが寄せられた。
また、「日本漫画は先を行っているし、多くの人は子どもの頃から日本漫画を見て育っているから、美的感覚の土台になっている」「中国のアニメも日本漫画の影響を受けているから、日本漫画を見たことがない人でも絵柄には親しみがある。私自身、見慣れたもののほうが安心感があるんだよね」と日本漫画に親しんできた環境が、美的感覚に影響しているという見方も目立った。
さらに、「アメコミのキャラクターデザインは、日本漫画みたいな『美形感』があまりない」「中国の若い女性は『きれい』『かわいい』『爽やか』なタイプを好む人が多い。日本漫画の男性キャラはそういう好みに合ってるけど、アメコミにはそういうタイプはあまりいない気がする」など、日本漫画とアメコミではキャラクターデザインそのものに違いがあると指摘する声も相次いだ。
そのほか、「シンプルで描きやすいし、始めるハードルも低い」「日本漫画風は顔をうまくデフォルメして、より魅力的に見せてくれるから好き」「多くの人はかわいいものを受け入れやすいし描きやすい。アメコミ風は基礎画力や色彩センスがより求められる」などと、描きやすさや表現方法の違いを理由に挙げる声もあった。(翻訳・編集/岩田)
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🎑108)─9・⑲─日本のアニメ・マンガにとってアフリカ市場はラストフロンティアである。~No.243
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
マンガを読まずアニメを観ない高偏差値高学歴のグローバル派優等生が日本のマンガ・アニメ文化の存続を危うくさせる。
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2026年8月3日 MicrosoftStartニュース TBS NEWS「日本のアニメがアフリカで人気の理由とは? エンタメ社会学者が語るアフリカ市場のリアル
© TBS NEWS DIG_Microsoft
現在、エジプト、ナイジェリア、ケニア、南アフリカといったアフリカ各地で「4大コミコン」と呼ばれるポップカルチャーの総合イベントが開催され、その中でも日本のアニメコンテンツが高い人気を集めています。人口の爆発的な増加が見込まれるアフリカ市場において、現地の人々はどのように日本のアニメを受け止めているのでしょうか。実際に現地を訪れた中山さんが目撃したアフリカのエンタメ環境のリアルと、20~30年先を見据えた日本企業のアプローチ方法について伺いました。
東京ビジネスハブ
TBSラジオが制作する経済情報Podcast。注目すべきビジネストピックをナビゲーターの野村高文と、週替わりのプレゼンターが語り合います。今回は2026年7月19日の配信「アフリカ市場に次々と進出する日本のアニメコンテンツ。2026年の動向とは?(中山淳雄)」 を抜粋してお届けします。
アフリカという「最後のフロンティア」とエンタメ市場の現在地
野村:今回は「アフリカと日本のアニメ」という、非常に興味深く意外性のあるキーワードです。まずはアフリカ全体のエンタメ市場について教えてください。そもそもアフリカのエンタメ市場とはどのようなものでしょうか。
中山:私は南アフリカの「ケープタウン・コミコン」というイベントに参加してきたのですが、私の解釈では、やはりアフリカは「最後のフロンティア」です。
私たちが想像し得る中で、中国の次は東南アジアが成熟し、その次はインドだと現在言われています。しかしその先を考えると、インドもある程度人口が限界に達し、20億人まではいかないだろうと言われています。現在、中国が約14億人、インドが約14億人、およびアフリカ大陸全体でも約14億人であり、人口規模がほぼ横並びです。その中でアフリカだけは、これから30億人、40億人まで増えるとも言われており、世界の人口の約3割をアフリカが占めるのではないかともされています。
経済規模で見ていくと、日本のGDPは600兆円ほどですよね。その4倍が中国ですが、日本とインドは現在同じくらいの規模です。日本は1億人、インドは14億人ですが、経済規模はともに約400兆円から500兆円です。そのインドと人口も経済規模も、アフリカ大陸全体を合算すると非常に近い、あるいは少し少ないくらいの規模になります。
そのため、私の中の世界の構図としては、アメリカや中国という日本の何倍もある巨大な市場を狙うのか、あるいは日本と同等のサイズであるイギリス、フランス、ドイツ、そこにインドやアフリカ大陸がある、というようなイメージを持っています。
成長率だけで見るとその中ではインドが最も良いのですが、まだ十分に成長しておらず、発展途上国や軍事独裁国家もありバラバラであるアフリカ大陸には、その「次の次」があるのではないかと考えられています。ちょうど2025年にアフリカ開発会議があったので、アフリカにもエンタメコンテンツをという動きが出てきました。
50年後といった長期的なスパンで見ると、実はものすごくエンタメが浸透するかもしれません。実際に現地のアフリカのユーザーは普通に日本のアニメを見ていました。歴史ある『ドラゴンボール』や『NARUTO』あたりかと思っていたら、2024年放送の『ダンダダン』が視聴されていたのです。
野村:新しい作品が浸透してるんですね。
中山:私がコミコンの会場に入った時に、一番最初に目にしたのは『ダンダダン』の「モモ」という女の子のキャラクターのコスプレをした人と、『葬送のフリーレン』のフリーレンのコスプレをした人でした。当たり前のように最新の作品がキャッチアップされているのです。
アメリカをしのぐアフリカの「コミコン」の熱気とは
野村:4大コミコンと呼ばれるポップカルチャーの総合イベントについてですが、これはどのようなものなのでしょうか。
中山:アニメエキスポやAFA(Anime Festival Asia)など様々なイベントがありますが、私はコミコンを、それぞれの国にどのアニメが浸透しているかを測る一種のリトマス試験紙のように捉えています。
私はこの10年から15年ほどエンタメの海外事業に携わっていますが、2010年代半ば頃から、ついにアニメが世界のすみずみにいきわたったと感じていました。2013年や2014年頃にまずブラジルで「ブラジルコミコン」のようなものが始まり、約20万人もの来場者を集めるようになりました。わずか数年でアメリカ本国の規模を超えてきたのです。同様にインドでも2015年や2016年頃から始まり、4カ所で合計約20万人が集まるようになりました。
アフリカでアニメが浸透した理由には、2010年代半ばにクランチロールなどの動画配信サービスで見られ始めたのが大きいのでしょう。北アフリカのエジプト、東アフリカのケニア、西アフリカのナイジェリア、および南アフリカなどでコミコンが立ち上がり、現在で6~7年ほどになります。
その中でも南アフリカのヨハネスブルクが特に突出しており、エジプトやケニアが数千人規模であるのに対し、ヨハネスブルクは7万人を超えていたので驚きました。私の中では「インドのデリーよりも多いのではないか」という感覚でした。
今回私は『ONE PIECE』の実写版のサードシーズンが南アフリカで撮影されていることもあり、これは行くべきだと考えました。実際には、7万人規模のヨハネスブルクコミコンのサブイベントとして、南西の希望峰にあるケープタウンで行われる3万人規模の「ケープタウン・コミコン」の3年目に、今回参加してきました。
コンテンツによって異なる流通経路と物価の壁
野村:熱気としては沸騰しているコミコンですが、現地で中山さんはどのような光景をご覧になったのでしょうか。
中山:人々がどの程度深くコンテンツを楽しんでいるのか、最新のアニメが放送されているのか、あるいはどのようなコンテンツが並んでいるのかを詳細に観察しました。その結果、コンテンツごとに流通経路が全く異なっており、全世界のすみずみにまで到達している製品として本当に優れていると感じたのは、ゲームとカードゲームでした。
日本に比べると、Nintendo Switchなどのゲーム本体の価格が約2倍、ゲームソフトも約1.5倍ほどの値段でした。しかし現地の感覚からすると、ゲーム機の金額としては手ごろのようです。カードゲームはさらに比較的安価で、400円から600円程度で購入できます。
一方で、漫画本は『うる星やつら』などが並んでいましたが、1冊が約4,000円から5,000円でした。これは現地の経済水準からするとあり得ない金額です。可処分所得で考えると、私たちの感覚では1冊約8,000円から1万円近くの感覚になります。
野村:少し厳しい金額ですね。
中山:よほど裕福な人が1巻ずつ購入するような状況です。しかも、どこの本屋に行っても巻数が揃っておらず、1巻、7巻、8巻といったようにバラバラに置かれていました。
野村:なるほど、そのような状況なのですね。
中山:漫画は十分に届いておらず、アクセスも困難で非常に高価です。また、グッズについても基本的には海賊版しか流通していないような状態でした。玩具についても、ベイブレードなどがあるものの、やはり欧米(特にイギリス)の流通が強い印象です。そのため、ハムリーズやトイザらスといった店舗があり、そこではイギリスやアメリカに向けて展開された日本のIPのコラボ商品が南アフリカでも販売されています。
日本企業はインド市場にも十分に展開できていませんが、アフリカ大陸となると、ライセンスを保有している会社がサブライセンスを行い、さらにその先でサブライセンスを重ねているため、販売元自体が「そこで売れていること」を全く認識していないケースがほとんどだと思います。そうした環境の中でも、安価な価格でしっかりと届けようとしているのがゲームやカードゲームです。それに続くのが漫画ですが、これらはまだ流通としては遠い存在です。
「スター・ウォーズ」を圧倒する日本アニメの人気と「海賊版」のリアル
野村:知名度やコンテンツ自体はしっかりと届いているのでしょうか。
中山:それがケープタウンコミコンでの驚きでした。ちょうど『マンダロリアン』が配信され、作品のキャラクターが登場していたため、一番の目玉は『スター・ウォーズ』だと思われていました。しかし、「スター・ウォーズの仮装をしている人はステージに上がってください」と呼びかけたところ、集まったのは12人ほどでした。
数千人の来場者がいる中で12人というのは意外に少ないと感じ、観客席を見渡したところ、『鬼滅の刃』のコスプレをした人々が多数いました。『ONE PIECE』や『鬼滅の刃』のコスプレをしている人の方が、『スター・ウォーズ』よりも圧倒的に多かったのです。
アメリカのコミコンでは大体アメリカのアニメが8割、日本のアニメが2割程度で日本コンテンツの比率は低いのですが、アフリカのコミコンでは半分以上が日本のIPでした。さらに先ほどの『ダンダダン』のように最新の作品も登場しています。
その中でも特に『ONE PIECE』と、映画の影響もあるマリオの人気が際立っていました。また、私は行けなかったのですが、エチオピアに行った人の話によると、エチオピアで過去最大の興行収入を記録した海外映画は、劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』だったそうです。
野村:それほどまでに浸透しているのですね。こうした映画・アニメとの接点はどんなところにあるのでしょうか?
中山:経済格差が激しい南アフリカに関しては、一定の所得がある人は月額1,000円程度のクランチロールを契約して視聴している場合が多いですが、海賊版が中心になっているのが実態です。特におそらく西アフリカや東アフリカでは、ほぼ海賊版がメインでしょう。
西アフリカではフランス経由で「カナル・プラス(Canal+)」が放送されていたり、中東の「スペース・トゥーン(Spacetoon)」という企業がケーブル回線を通じて南アフリカまで映像を配信していたりします。貧困層の多い地域の人々は、1ドル程度で購入した非公式のケーブル回線を利用して、『ダンダダン』などを視聴しているという状況でした。
野村:言語や字幕はどうなっているのでしょうか。
中山:ファンサブ(有志による字幕)なのか、あるいは公式のケーブル放送経由であれば、ヨーロッパで翻訳されたものが配信されているのかもしれません。言語や字幕が整った状態で配信されているのだと思います。
現地の人々には、それが違法であるという認識がほとんどありません。昨年ウズベキスタンへ行った際、テレビ東京の方と同行していたため、現地の日本語学校の生徒たちと『NARUTO』の話をしました。すると、ある生徒が「私は今、NARUTOの仕事をしている」と自慢げに話してくれたのです。
中継を聞いてみると、それはファンサブの仕事であり、違法サイトにある『NARUTO』に字幕を付ける作業でした。それをテレビ東京の担当者の前で誇らしげに見せてくれたのです。「それは私たちが許諾していない公式ではないものだ」と伝えると、「そうなのですか」と驚いていました。本人たちからすれば、有名なサイトでその仕事に関わっていることは、同世代の間で「ドリームジョブ(憧れの仕事)」のような扱いなのです。つまり、その非公式のサイトが発注元となり、現地の若者たちに仕事を供給しているという仕組みになっています。
過酷な歴史・不条理な社会と重なる『ONE PIECE』の物語
野村:アフリカにおける日本アニメの人気には、どのような背景があるとお考えですか。
中山:アフリカにおける『ONE PIECE』の絶大な人気は、現地における差別や、地域によっては失業率30%といった過酷な社会環境と深く結びついていると感じました。
2024年末から2025年頭にかけて、日本経済新聞が「新ジャポニズム」という世界における日本アニメの受容に関する特集を組みました。ウクライナで戦時下を生きる若者が『進撃の巨人』を観ながら「敵を憎んではいけない」と語る場面などが印象的でしたが、その中で、ジンバブエの30代のアニメーターが「自分はONE PIECEに救われた」と話していました。
当時のジンバブエはハイパーインフレの最中で、朝に持っていた1万円が、夜には100円の価値になってしまうような極限状態でした。お金がなく食事にも事欠く中で、作中で海軍のような巨大な権力と戦い、失われた歴史や尊厳を取り戻していく『ONE PIECE』のストーリーが、アフリカの歴史や現状と非常に重なるのだそうです。
アフリカは植民地支配を経て1960年代にようやく独立を果たしたものの、社会基盤が破壊されていたため1970年代以降もうまく機能せず、1980年代には再び厳しい時代を迎えました。そして現在も、一部の富裕層やアパルトヘイトの不条理な名残が社会を支配しています。このように、「社会は不条理であり、自分は決して這い上がれない」という絶望を感じている人々に、この物語が強く響いているのです。
会場でも『ONE PIECE』のコスプレが非常に多かったのですが、それを見た時に私が感じたのは、植民地支配の歴史によって社会を壊され、不条理な階層社会と戦い続けているアフリカの人々にとって、この作品はもはや現代の神話のようになっているのではないか、ということです。私は『ONE PIECE』は100年後にも、現地で語り継がれていると思います。
野村:現地の不条理な心象風景と、物語が重なる部分があるのですね。
中山:そして、その『ONE PIECE』の実写版が現在まさに南アフリカで撮影されているため、現地は非常に盛り上がっています。コミコンには、作中で「ジュラキュール・ミホーク」や「ミス・バレンタイン」を演じている南アフリカ出身の俳優陣が参加していました。南アフリカのスタジオに撮影を誘致しているため、現地の俳優が起用されやすいのです。「あのONE PIECEに出演している」ということで彼らはヒーロー扱いされており、トークショーは大盛況でした。
歴史的に見ると、例えば日露戦争の際、アフリカの人々は非常に熱狂したそうです。それまですべてを奪われ蹂躙されていた彼らにとって、ヨーロッパ以外の、それもアジアの国である日本がロシアに勝利したというニュースは、とてつもない衝撃と希望を与えたのでしょう。もちろん、後に日本も同じように他国を植民地支配する道を歩んでしまいましたが、当時の「非西洋の国が立ち上がった」という事実に対する興奮が、100年経った今でも根底に流れているのではないかと、様々なことを考えてしまいました。
20~30年先を見据えた「ラストフロンティア」への挑戦
野村:現在は主に海賊版が中心であり、一部でゲームやカードゲームが普及しているというお話でしたが、この盛り上がりは、日本のIPホルダーにとって将来的にビジネスとして成立する余地があると思われますか。
中山:現在は、日本の企業側はその需要をほとんど検知できていない状態です。日本のIPホルダーの多くは、東南アジア市場は台湾の代理店に任せ、インド以西、あるいはアフリカに関しては「どうせ海賊版ばかりだろう」と、公式な展開を行っていません。一部、ヨーロッパ向けのライセンスを持つ企業が、西アフリカなどに波及的に展開している程度です。
日本の企業は、実際に現地のアニメエキスポなどのイベントに足を運び、肌で可能性を実感した上で、現地の意欲的なパートナー企業を見つけてビジネスを開始する、というプロセスを辿ることが多いです。これだけ普及しているという事実を前提に、4大コミコンのどこかに接点を持ち、グローバルにビジネスを展開しているヨーロッパの企業などと連携しながら、20年後、30年後の未来に向けて今から種を蒔いておくことは非常に有意義だと思います。
私はインドで、まさにそのような先行事例を目にしました。2000年代にテレビ朝日が『クレヨンしんちゃん』や『ドラえもん』を現地に持ち込んだ結果、2020年代には、これらがインドにおけるキャラクター人気ランキングのベスト3に入るようになりました。子どもの頃に教育や娯楽としてアニメに触れた経験が、20年後に一大市場を形成するのです。
野村:長期的な視野が必要ですね。
中山:そうですね。アフリカはまさに最後の空白地帯であり、ラストフロンティアです。今すぐ利益を回収するというよりは、次の世代、あるいはさらにその次の世代にビジネスを繋ぐために、今から関わっておくべきではないかと考えています。
まずは信頼できるパートナーと共に放送や配信を開始し、海賊版が普及している現状を少しずつ正規版に移行させていく。そしてカードゲームや漫画といった正規品を流通させ、教育分野も含めて少しずつ展開していくというプロセスが大切になるのではないでしょうか。
<聞き手・野村高文>
Podcastプロデューサー・編集者。PHP研究所、ボストン・コンサルティング・グループ、NewsPicksを経て独立し、現在はPodcast Studio Chronicle代表。毎週月曜日の朝6時に配信しているTBS Podcast「東京ビジネスハブ」のパーソナリティを務める。
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⚔40)─1─現代日本人はグローバル化によって天皇・国・民族の物語を語る史観を失った。~No.154No.155
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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
高偏差値高学歴な優等生のグローバル派現代日本人は、民族的な文化力・伝統力・歴史力・宗教力を捨てた為に、正しく天皇・国・民族を語る能力がない。
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2026年7月28日 YAHOO!JAPANニュース Book Bang「日本史を語る言葉はなぜ衰えた? 消えゆく「史観」から天皇論争を考える『日本史はいかに物語られてきたか』(河野有理・著)(Bookレビュー)
『日本史はいかに物語られてきたか』河野有理[著](新潮社)
皇国史観、唯物史観、司馬史観、「自虐史観」……。かつて日本では、歴史(とりわけ日本史)の捉え方をめぐって、「史観」という言葉がしばしば用いられた。近年はあまり聞かない。
歴史が一般に見向きされなくなった、ということでは必ずしもない。局所的な盛り上がりは見られる(例えば、呉座勇一『応仁の乱』)。昭和戦前期への関心なども根強い。だが、日本史を全体としてどう捉えるかという「史観」の観点は――無論、いくつかの例外はあるにせよ――前面に出てこない。
本書『日本史はいかに物語られてきたか』(河野有理・著)は、近年の日本社会における史観や史論の後退を説く。「歴史学(者)における」ではない。この種の議論でよく言われる、大きな歴史像を失った実証史学であるとか学問のタコツボ化といったことでなく、社会現象として捉えられている。
第一章は、百田尚樹『日本国紀』が検討対象。終章では参政党への言及がなされる。どちらも歴史の描き方が断片的で、史観は不明ないし不在だという。周知の通り百田も参政党も「日本」を強調しているのであって、そのギャップは印象的だ。
現代から遡り、豊かな史論の空間として戦後日本の思想空間が描かれる。百田に続き、渡部昇一、坂本多加雄、西尾幹二、上野千鶴子、網野善彦……。取り上げる論者は幅広い。日本史研究者のみを対象とする「日本史学説史」ではないので人選には様々な可能性があり、誰を取り上げるかにも著者の味が出る。
読む順番としては一応前から読んでいくものだろうが、それぞれに濃密。まずは、興味をひかれた論者や著作のあたりを重点的に読むのもよいように思う。それでも、単発の作品解説という風にはならない。論者間の有名な論争とともに、論理に分け入ったときに見えてくるテクニカルな戦術や対抗関係、思わぬ通底といったものを楽しめる。そして、確立された見方(特に、対立図式)に一石を投じるさまがよく見える。一章を選ぶなら、お勧めは山本七平の章だ。
ところで現在、天皇(制)をめぐって活発に議論がなされている。本書ではまさに、多くの章が天皇関連の事柄を主題としている。それだけ、日本の史観と天皇というものは深く関わってきた。全体を通じて、日本史叙述における天皇の捉えられ方の歴史が浮かび上がってくる。
昨今の議論において無論、天皇自体の歴史については様々論じられているが、背景に史観はあるのかどうか。読後には新たな視座でもって議論の様子を眺められるだろう。
[レビュアー]佐々木雄一(明治学院大学准教授)
ささき・ゆういち1987年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。専門は日本政治外交史。著書に『帝国日本の外交 1894-1922』『陸奥宗光』『近代日本外交史』『リーダーたちの日清戦争』等。
協力:新潮社 新潮社 週刊新潮
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