⛫75)76)─1─現代日本には、民族の武士道精神、百姓根性、商人矜持、職人意地、大和心はない。〜No.147No.148No.149No.150     

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 昔の日本人は、罪の意識ではなく恥の意識で行動していた。
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 戦前までの教育と戦後の教育は、180度、正反対である。
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 現代日本人男性は、反戦平和教育で草食化し、「何かの為」に戦うという事を放棄した。
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 弱い者をイジメたり女や子供に危害を加え泣かすのは、男の恥であり、最低な人間であり、人間のクズとして、軽蔑されバカにされた。
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 日本民族日本人は、素直、正直を信条とし、約束は守り、嘘をつかず欺かず、穢れを怖れ、恥を嫌った。
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 2019年5月24日号 週刊朝日「令和時代 男について考える  
 ああ、日本はどうなってしまうのだ。作家佐藤愛子の嘆きはやまない。相次ぐ父親による虐待事件に、今の男の衰弱ぶりを指弾する。男尊女卑から男女平等へ・・・。そんな敗戦後ひろがった価値観に、男性劣化の始まりを見る。その昔、『思想上の敵』のために奔走した、硬骨漢の父へと筆は及んだ。
 佐藤愛子
 女性を置き去り
 スタコラ逃げ恥とは思わず
 あれはいつのことだったか。アベックという今は古漬けの茄子みたいになった言葉だが、それが便利に使われていた頃のことだ。
 一組のアベックが夜更の公園をそぞろ歩いていたところへ、2人組だか3人組だったかの暴漢が現れて金を出せと迫った。するとアベックの男の方が、やにわに逃げ出した。女性は取り残され、その後、どんな目に会ったか、殺されはしなかったと思うが、酷い目に会ったことは確かである。肝腎のことを覚えていないのは『男が逃げた』という事実にあまりのことに受けたショックのためかもしれない。全くそんなことは私には考えられないことだったのだ。
 男が逃げた! 女をおっぽって! スタコラ逃げた──。
 何ということだ。愛する女のために闘わずに逃げるとは、それはそれまでの私には想像を絶する男の姿だった。
 敗戦によってそれまでの我々日本人が信奉して来た価値観の大方がひっくり返ったことはあらかた承知してはいたが、だからといってこうもあっさり男が本性を晒け出す姿を見せつけられると、ああ日本は敗れたのだという思いが改めて胸にきたのだ。
 『これからは女も闘う力を持たなければならなくなったよ』
 と私は娘にいい聞かせた。自分の身は自分で守らなければならない。男に頼ってはいられなくなったのだ。中学生だった娘は頷いて、
 『男女平等だからね』
 といったのだった。
 敵と闘うよりも自分の身を守る
 それが始まったように思う。私はその頃から男の変化に気がつくようになったのだったお思う(女性の変化はそれより大分後だ)。戦争に負けてから、『男尊女卑』は『男女平等』に変わった。男からは『男意識』が消えた。敵と闘う『男の本能』は『自分の身を守る本能』に代わった。女を置き去りにしてスタコラ逃げ出す自分を恥だとは思わなくなった。ある男性はこういった。
 『逃げたのはむしろ勇気ですよ。彼は正直だ。誰だって怖いものは怖いんだからね』
 バイロンは『人は負けるとわかっていても闘わなければならぬ時がある』といったそうだけど、と私がいいかけると、彼は遮っていった。
 『ぼくはいいたかい。負けるとわかっているに闘う奴はバカであるとね』
 『なるほど』
 としか私はいえない。だがそういったからといって同意したわけではなかった。同意しないが反論するのにはエネルギーが要る。日本は負けるとわかっている戦争を(勝つつもりで)しかけて、どん底に落ちたのだから。
 『敵』とも意気投合
 持ち金すべて渡す
 ……」
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 現代の日本にとって、経済力や軍事力などの総合国力からして、アメリカや中国共産党と闘っても勝てない。
 特に、国際的な情報戦・宣伝戦・法律戦の三戦で、日本は中国共産党に対して全戦全敗である。
 つまりは、無駄な努力としか言いようがない惨めさである。
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 昔の日本は、冷静に合理的に科学的に考えれば戦えば99%負けるとわかっている大国(清国=中国、ロシア、アメリカ)に対して、1%の勝利、最後は勝てるとの信念で、惨めに逃げる事なく戦争を仕掛けていた。
 日本の戦法は、弱者の戦法として「先を越す、先の一手」のみである。
 その成功例が、真珠湾奇襲攻撃である。
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 日本民族日本人は、日清戦争日露戦争を無鉄砲な勢いで始め、勝利したのは必然ではなく偶然と幸運であった。
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 現代日本人は、武士の一分、体面、名誉、領地、家名を守る為に、戦えば負けて殺される事がわかっていても、強者・勝者に挑むという武士・サムライの子孫ではない。
 同様に、百姓でも、商人でも、職人でもない。
 現代日本人は、伝統を守ってきた民族的な庶民ではなく、伝統を切り捨てた国際的な人民・労働者である。
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 昔の日本は、「泣く子と地頭(じとう)には勝てぬ」社会であった。
 地頭とは。広辞苑第6版
 「平安時代。荘園の領主が土地管理のために現地に置いた荘官
 鎌倉・室町時代の職名。1185年(文治1)源頼朝が、行家・義経を捕らえる名目で、勅許を得て各地の荘園・公領に置いた職。御家人が任命され、荘園・公領内の警察・刑事裁判権をもち、次第に在地領主として成長した。承久の乱以前に任命されたものを本補地頭、以降のものを新補地頭という。
 江戸時代。知行所を持つ領主。旗本や、各藩で知行地に徴税の権をもった家臣などをいう。また、主として東北地方で、名子(なご)を使役した領主。」
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 中世キリスト教会や白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として売買して大金を稼いでいた。
 日本人を売ったのは日本人である。
 日本人キリシタンは、奴隷として売られていく日本人を見捨てた。
 寺社仏閣を破壊し、国土を教皇領としてキリスト教会に寄進したのも日本人キリシタンである。
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 ロシア人共産主義者中国共産党は、イデオロギーの為に逃げ惑う日本人、特に女性や子供を虐殺した。
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 キリスト教朝鮮人テロリストや日本人共産主義者テロリストは、天皇制度を廃絶し、皇室を消滅させ、日本を崩壊させるべく、昭和天皇や皇族を殺すべくつけ狙っていた。
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 北朝鮮による日本人拉致事件
 左翼・左派の政治家、メディア関係者、学者達は、北朝鮮が非人道的極悪国家犯罪を認めるまで拉致事件を否定し北朝鮮を擁護していた。
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 日本は、古代から外敵(中国・朝鮮)に味方する裏切り者という「獅子身中の虫」を抱え、戦後はその数が増加している。 
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 2019年5月22日 産経新聞尖閣周辺に中国船 41日連続
 沖縄県尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域で22日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは41日連続。
 第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載。領海に近づかないよう巡視船が警告した。」
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 5月21日 産経新聞「交流団体理事長の日本人に懲役6年 中国、スパイ罪で判決
 【北京=西見由章】中国の北京市第二中級人民法院(地裁)は21日、スパイ罪に問われた日中青年交流協会の鈴木英司理事長に懲役6年の実刑判決を言い渡した。5万元(約80万円)の個人財産没収も命じた。日本政府関係者が明らかにした。
 鈴木氏は30年以上にわたって日中交流行事などに携わっていた。2016年7月、交流イベントに参加するため北京に渡航した際に拘束され、17年6月に起訴された。
 中国当局は2015年以降、スパイ活動に関与したなどとして少なくとも日本人の男女13人を拘束、9人を起訴。鈴木氏を含めて8人に15~5年の実刑判決を言い渡した。昨年2月に広州市国家安全局が拘束した大手商社、伊藤忠商事の40代の男性社員が公判中となっている。
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 中国共産党は、結党以来反日派敵日派として日本を狙っている。
 中国資本は、最先端技術を持っていても経営難に苦しむ日本企業を買収し、土地や建物を買い漁っている。
 日本に移住してくる中国人移民が静かに増加し、日本各地に中国人移住区、チャイナタウンが生まれつつある。
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 日本人の本性は、冷酷、冷血、薄情、非情で、感情を表に出さず、本音を言わず、何を思い考えているかわからなない。
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 甘えを許さず、他人を頼る事を認めず、全てが自業自得として、自己責任、自助努力、自力救済で生きなければならなかった。
 信用して頼るのは、己が一人だけである。
 国家は国民を見捨てる。
 国も、政府も、行政も、家族も、兄弟も、夫婦も、親子も、孫も、友人知人さえも、誰も彼も、自分以外はあてにはならないし信用できない。
 生活するに大事なのは、人の絆や繋がりよりも、物よりも、金である。
 新聞も、雑紙も、テレビも、ラジオも、老後の生活費の話ばかりである。
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 御上、強者、勝者、上司・上役に媚び諂い、言われる前に空気を読み忖度して行動する。
 弱者、敗者、部下・下役に対して、傲慢に上司面して権力を振るって虐げる。
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 日本社会には、人権否定のイジメ、嫌がらせ、無視、差別が横行し、虐待や暴力が日常的に当たり前のように繰り返されるブラック社会であった。
 組織もまた、ブラック組織である。
 日本には、救いは少なかった。
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⚓393)─2─外敵のいない平穏な時代は源氏物語、外敵の侵略に脅える時代は万葉集。〜No.927/     

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 「源氏物語」は手弱女(たおやめ)ぶり。
 「万葉集」は益荒男(ますらお)ぶり。
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 日本の最高神は、天皇家・皇室の皇祖である女性神天照大神である。
 それ以外でも、女性神は主要な神様として多くの男性神をその「徳」で従えている。
 男達を鼓舞し、奮い立たせ、戦場に送り出したのは女達であった。
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 アメリカ、GHQ(ユダヤアメリカ人マルクス主義者)は、日本改造の為に昭和天皇天皇制度を利用したが、最終目的は皇室の消滅であった。
 皇室消滅の手段は、日本国憲法天皇条項、皇室典範の通常法律化、皇室経済法と皇室資産没収、11宮家の皇籍剥奪と直宮家以外の皇族追放、男系男子相続の徹底であった。
 その皇室消滅計画の実行の為に洗脳されたのが、戦後の高学歴出身知的エリートである。
 左翼・左派・ネットサヨクなどの護憲派反戦平和市民団体、天皇制度反対派そして反天皇反日的日本人などは、アメリカが仕組んだ皇室消滅計画を遂行する日本人達である。
 その効果が現れ始めたのが、1980年代後半からであった。
 その効果が目に見え深刻化し始めたのが、2000年頃からであった。
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 天皇制度は、古代から慣習法に基づき血筋・血統の家族制度、統治の政治制度、祖先神・氏神の宗教制度の均衡で存在していたが、現代では象徴という存在するだけの制度とされた。
 最終的には、政府が適当な人物を指名し、議会が審議して承認し、国民世論が好き嫌いの人気で受け入れる、特定の血筋・血統を正統性としない人為的制度に改造されていく。
 天皇霊は、天照大神の血筋・血統である皇族のみが心・命・魂、身体と血で受け継ぐものであって、如何に能力や才能や人気があろうとも血が繋がらない赤の他人では不可能である。
 霊性の正統性は、特定の血筋・血統の中から生まれる。
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 熱烈な勤皇派・尊皇派つまり日本男子=益荒男は、下級武士、貧しい庶民(百姓や町人)、身分低い芸能の民(歌舞伎役者など)、差別される賤民(非人や穢多や乞食)と部落民(山の民・川の民・海の民)など社会の底辺を生きる人々であった。
 故に、日本では地獄の虐殺を引き起こすイデオロギー革命、易姓(徳)革命、宗教革命などは起きなかった。
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  2019年6月 WiLL「地球賢聞録 馬渕睦夫
 令和の時代精神は『八紘一宇
 伝統への復古
 4月1日、新元号『令和』が発表されました。世論調査などによれば、令和に対する国民の支持は80%を超えています。……これらは、新しい御代に対する期待の表明であり、国民が新元号に新しい風を感じていることを示すものといえます。それは、平成の重い苦しい時代とは違った明るい世の中になるのではないか、という無意識的な願いの表れともいえるでしょう。
 ……
 従来のように中国の古典から引用するのではなく、わが国の古典である『万葉集』から元号が取られたことは、国書に対する敬意の表れでもあり、伝統精神への復古です。国難を克服し、改革を遂行する道は復古であるとの、わが国の伝統的知恵に従ったともいえます。それゆえに、明るい時代の到来は、私たちが復古の精神を発揮するかどうかにかかっているといっても過言ではありません。」
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 天皇位とは、中華帝国、中華皇帝からの独立宣言である。
 元号とは、中華文明圏、中華儒教との決別表明であり国家の施政方針である。
 日本民族日本人は、天皇元号で日本国を樹立させた。
 日本は、臣下の礼法国・従属国の道を選んだ惨めな朝鮮とは根本的に違うのである。
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 日本の季節や時間を支配しているのは、天皇・朝廷ではなく自然である。
 日本の元号・暦(こよみ)・時の鐘は、正業の農耕漁労の作業を間違いなく行う為に季節や時間を見える化したものである。
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 西洋の暦と時間は、大陸の正業・牧畜、副業・農耕に合わせてつくられている。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人を奴隷として売買して大金を稼いでいた。
 ロシア人共産主義者中国共産党は、日本人、特に逃げ惑う非力な女性や子供を虐殺した。
 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義者テロリストと同様に昭和天皇や皇族を殺そうとつけ狙っていた。
 共産主義者マルクス主義者)は、大虐殺を伴う暴力的共産主義革命を日本で起こそうとしていた。
 国際派現代日本人は寛大にも、日本をグローバル化させさらなる発展の為には必要な犠牲であるとして、売られていった日本人の想いは無意味・無価値でるとしてゴミのように捨て、日本人の人権を踏みにじった非人道的な彼らの罪を不問に付している。
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 現代日本で、日本民族日本人ではない所属不明で得体の知れない日本人が増え始めている。
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 2019年6月号 Hanada「蒟蒻(こんにゃく)問答 堤堯/久田紘之
 『令和』決定3つのキー・ポイント
 ……
 西暦主義派は統制狂
 編集部 共産党の志位委員長は元号制度について、『もともと君主が時間も支配するという思想に基づいたものだ』と批判していました。
 社民党の又市党首は、『命令』の『令』を使ったことで『安倍政権が目指す国民への規律、統制の強化がにじみ出ている感が否めない』との見解を示し、『元号とは、古代中国において帝王が時間を支配する』と。
 久保 批判している連中は、西暦(キリスト暦)を世界普遍の暦(こよみ)だと錯覚しているのかな。村松剛によれば、タイには仏教暦、イスラエルユダヤ暦といったとうに、世界には50を超える暦がある。西暦だってキリスト教紀元(キリスト降誕の日)については12月25日のクリスマスの日だと日本では思われているけど、エジプトのコプト派ではキリストは1月7日生まれ、アルメニアは1月19日が降臨祭です。
 福田恆存は、西暦を推奨する論者を『近代化、西洋化、国際化という明治以来の拝外心理の現れであり、合理主義どころか、実はすこぶる安直な便宜主義、画一主義に他ならず、統制狂に通じるものだ』と批判しています。つまり統制狂は安倍ではなく、又市ら西暦主義派のほうということですよ。
 君主の時間支配云々(うんぬん)と言うけれど、朝廷がもっとも衰微(すいび)していた時代でも皇室は最低限、年号(元号)を通じて国民の生活に具体的に結びつき、国民もそれを受け入れた。それは、元号がその民族の歴史・文化の一番の根本、つまり時間感覚、歴史感覚、生活感覚に繋がっていたから。たとえば明治生まれとか大正、昭和、平成生まれと聞くだけで、その人々のおよその年代的な感じがわかる。津田左右吉によれば、『ヨーロッパでもビクトリア時代とかエリザベス時代といって形でその時代相を表現する場合がすくなくない』。元号はいらない、西暦一本でいいなんて言う輩(やから)は、そうした日本人の時間間隔、歴史感覚、生活感覚から切れているデラシネ(根無し草)、バガボンド(浮浪者)の類(たぐい)。日本の国会議員を名乗る資格はないね。
 ……
 お祭り騒ぎは誰のせいか
 ……
 生前譲位への疑問点
 久保 僕はそれでも、生前譲位については疑問符が付きます。
 たしかに、昭和天皇の御病気悪化に伴い自粛ムードには、職場などでの上から心理的強制や町内会などでの相互監視がなかったとは言えない。しかし一方で、芸能人が10億円も使う結婚式をやめたり、自民党が政治献金を集めるパーティをやめたりしたことに、賛同する声が上がったのも事実なんです。
 プロ野球では、中日ドラゴンがセ・リーグ優勝したのにビールかけが行わなかった。一方、そのあとの日本シリーズで優勝した西武ライオンズは、清原和博などの若手選手が自粛ムードを振り切ってビールを掛け合い、勝利を祝った。これを使って、共産党の機関紙・赤旗は『自粛をすることは天皇に隷従(れいじゅう)することだ』と反天皇キャンペーンを展開し、朝日なども『戦後民主主義の危機』と大々的に報じていた。
 そこで、当時現役記者だった僕はコラムで、だったらビールかけをしない中日ドラゴンは『民主主義の危機』で、本来飲むべきものを人にかけてはしゃぐ清原らは『民主主義が成熟している』ことになるのか、とからかってやりましたよ。
 でも考えてみれば、それは鏡に映った国民自らの姿でもあった。飲むべきビールが本来の使用価値と切り離せれ、人とかけ合うことで喜びを表現する小道具に変質させられたように、コマーシャリズムに踊らされて国民はブランド商品といった生活の必要とは切り離された消費に日々、駆り立てられているわけですから。
 戦後いち早く自立の思想を説いた啓蒙主義者、丸山眞男は『天皇制がモラルの確立を圧殺している。これを倒さなければ絶対に日本人の道徳的自立は完成しない』と言ったけれど、戦後43年経っても、やはり僕は、昭和天皇崩御の時に、戦後価値ニヒリズムに陥(おちい)った国民が、一体何をすべきで、何をすべきではないのかという秩序感覚を一時的にせよ取り戻したことにこそ、国民大衆を澎湃(ほうはい)として内面から自粛の念に駆りたて、突き動かす力の本質があったのだと思います。残念ながら、平成の時代はそのキッカケを活かしきれずに終わったわけですが。
 もう一つは、以前も指摘しましたが大嘗祭(だいじょうさい)についけです。
 保田與重郎が言った『萬世一系の思想』を担保するのが、天皇霊継承の秘儀といわれる大嘗祭です。折口信夫の『大嘗祭の本義』によれば、新しい天皇に代替わりする即位儀礼の一つに、真床襲衾(まとこおふすま)による『寝具の秘儀』がある。これは天皇霊を身につけて天子としての資格を得る儀式で、天皇霊の降りない天皇は、折口によれば『未だ、ただの器』に過ぎない。皇太子が天皇としての資格をえるのは、天皇霊が『死せる先帝から新帝へ移る』ことによってだとすれば、生前譲位では天皇霊は移りようがないのではないか、そういう疑念を僕は払拭(ふっしょく)できないんですよ。
 今上(きんじょう)天皇は即位後朝見(ちょうけん)の儀において、こうお言葉を述べられた。『国民と共に日本国憲法を守り、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望して止みません』。
 このお言葉に対し、憲法改正派からは『憲法玉座に座った感じ』(村松剛)といった批判が上がったのは周知のとおり。
 西田幾多郎らの言うように〈無為にして無私〉であり、〈無の場所〉に存在することが、天皇天皇たらしめていた。
 その天皇が〈私〉を語り、前述のように日本国憲法について発言するのは、その途端、天皇は『無の場所』から一歩、世俗権力の側へ足を踏み出してしまった、ということになる秋篠宮家の問題を見ても、皇室の〈私〉はますます拡散傾向にある。『天皇が〈祭祀権(さいしけん)〉に留まらず〈世俗権力〉に首を突っ込んだ時が天皇制の潰(つぶ)れる可能性が一番大きい』(網野善彦上野千鶴子等『日本王権論』春秋社)そう考えると、天皇制はいま非常に危ういところに来てしまっているのではないか・・・このことは平成の終わり、改めて指摘しておきたい点です。
 ガラク民主党政権
 堤 それにしても、平成という時代はロクなことがなかった気がするね。まず、いかにも災害が多かった。阪神・淡路大震災中越地震、東日本震災と福島原発、のべつ幕なしに揺さぶられる感じでね。
 バブル崩壊のあとは円高ドル安の失われた20年。朝日新聞とその亜流のメディアが『政権交代』を囃(はや)し立て、無能無策のガラク民主党政権が誕生した。
 ……
 ルーマニアの哲学者でパリに亡命したエミール・シオランが、『生誕の災厄(さいやく)』だったかな、こんなことを書いた。『人間は国に住むのではない。使っている言語のなかに住むのだ』とね。日本は『言霊の幸(さきわ)ふ国』だといわれるけど、今回の元号をめぐる空気というかエトスに、つくづくそれを実感する思いを強くしたね。
 『源氏』か『万葉集』か
 久保 ナポレオンに敗退し、失意のどん底にあったドイツ国民を奮い立たせたフィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』で何より強調されたのも、ドイツ国民の性格を作り出した根本条件としての『国語』=アイデンティティを担保する生ける母国語(日本流に言えば言霊=原国語=それを語る国民が原民族)でした。
 言い換えれば、戦前・戦中・戦後の連続性を遮断し、歴史・伝統を軽んじ、解体に導くこと=善=進歩主義だ、と盲信するような戦後精神・戦後憲法秩序のもとで、言霊=内面的に豊かな精神のエネルギーが甦るわけがないのです。かつて三島由紀夫は『文化防衛論』で、天皇=日本文化の両義性を指摘しており、戦前は『益荒男ぶり』を前面に出したが失敗して、戦後は平和憲法を前面に掲げた『手弱女ぶり』に徹してきた、と書いていました。すなわち、戦後憲法前文の『日本が何もしなければ世界平和になる』なんて発想は受容の文化、女性原理そのものなんだ、と。
 振り返ってみれば、竹下登は平成の元号を『平和に成ことを願う』と説明したけれど、『平和に成る』のと『平和にする』のでは大違い。日本は『成る』の呪縛(じゅばく)から抜け出せずにいたわけですが、安倍の積極的平和主義、すなわち『平和にする』姿勢は、その呪縛からの脱出を試みていると言えるはずです。
 その意味で、新元号がこれほどの騒ぎになったのは、やはり『万葉集』由来であることが大きいと思います。なぜなら、日本でフィヒテの言う原国語=生ける母国語に当たるものは一に『万葉集』、二に『源氏物語』だからです。そして三島が言ったように、『万葉集』は『益荒男ぶり』、『源氏物語』は『手弱女ぶり』の象徴として、天皇=日本文化の両義性に見合う相互補完的な役割を担ってきたのです。
 三田村雅子(『記憶の中の源氏物語』新潮社)は、日本の歴史上、大乱のあとには必ずあらわれる『源氏物語』ブームの例として、第二次大戦後の昭和27年から28年にかけて、つまり大戦後の虚脱状況から日本がようやく復興の兆しが見え、占領下から脱しようとした時代に歌舞伎や映画、演劇、現代語訳にと、突如溢れ出た〝源氏流行(はや)り〟を挙げ、こう解説しています。
 『敗戦後の日本がもう一度誇りとアイデンティティを回復し、伝統を受け継ぐためには「源氏物語」の共有が何よりも求められたのだろう』
 しかし問題は、戦後の深刻なアイデンティティ・クライシス(自己喪失の危機)から脱するための縁(よすが)=手段が、なぜ女性的で柔弱(じゅうじゃく)なイメージを持つ『手弱女ぶり』の象徴としての『源氏物語』であり、雄々しい男性的イメージを持つ『益荒男ぶり』の象徴としての『万葉集』でなかったか、という点です。
 それは、武力放棄を強要されたマッカーサー憲法9条の制約以外に考えられない。たとえば欧米帝国主義列強の包囲網のなかで、『近代』への脱皮を迫られた弱小国日本は、まず江戸末期まで源氏絵の一大流行やひな祭りの形で庶民の間に広く浸透した王朝文化のイメージを一掃。天皇制の女性的な柔弱イメージ一大転換を試みます。
 明治27年の日清戦争直前には、あのキリスト教徒の内村鑑三でさえ、『「源氏物語」が日本の士気を鼓舞するために何をしたか。何もしないばかりでなく、我々を女らしき意気地(いくじ)なしにした。あのような文学は我々の中から根こそぎ絶やしたい』と聴衆に訴えたのです。
 長くなったけど、もう少し。
 編集部 どうぞ。
 『万葉集』の持つ言葉の力
 久保 戦後のアホな平和論者はこれを『軍国主義日本への危険な道を歩み始めた』と批判するけえど、司馬遼太郎のように、むしろ発展途上の国家・国民の健全な愛国心の発露と見るほうが自然な受け止め方ではないか、と僕は思いますがね。
 明治天皇の御製(ぎょせい)に、こういうものがあります。
 『老人を/家にのこして/いくさびと/国のためにと/出づるををしさ』
 『子らは皆/軍のにはに/いではてて/翁やひとり/山田もるらむ』
 日露戦争の折に詠まれた御製ですが、これ一つみても、雄々しさのなかに民への思いやりや慈(いつく)しみが溢れていることがわかる。これが万葉の心、益荒男ぶりなのです。日清の役では、明治天皇は広島大本営で兵隊と起居を共にしましたが、これは天智天皇の御世(みよ)、百済の要請で唐・新羅連合軍と戦い、大敗して以降、唐の侵略に備えて北九州の防衛線を強化し、筑紫に仮宮(本丸船)を作った故事にならったものです。
 『万葉集』には巻頭の雄略天皇の恋歌に始まり、この北九州の防備にあたった防人(さきもり)とその家族たちの哀別の情を詠んだ歌、果ては乞食(こじき)の詠む歌までが数多く集録されています。そこにの全ての歌に刺し貫かれた大らかさが『益荒男ぶり』なのです。
 つまり、それらの全てが日本の国家・国民のアイデンティティを担保する生ける国語と言うべきなのだと僕は思います。明治初期の『万葉に還(かえ)れ』とか『国の元気』とかいった言葉には、そうした生ける母国語の持つエネルギーが感じ取れる。
 すした『万葉』という言葉自体が持つ言葉の力が、機能不全に陥った戦後平和憲法戦後民主主義の物語のどうしようもに閉塞感から、国民を解き放ってくれるのではないか、という漠然たる思いが令和フィーバーとなって噴き出した。
 これは僕の勝手な解釈じゃありません。驚くべきことに令和決定の翌朝、あの毎日新聞朝刊の社会面には大きく横見出しでこうありました。
 『閉塞の時代 万葉に回帰』とね。
 そういう意味で、今回の元号は『令和』という漢字そのものにではなく、安倍が『万葉集』由来の元号を選んだ意味を読み込まなければ、元号とそれによって沸き立った国の祝祭空間の意味は、歴史的にも宗教的にも、また政治的にも理解できないとおもいます。
 不用意発言が命取り
 ……」
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☘3)─1・B─日本の山は美しく宗教・信仰と文化・芸能の源泉である。No.5   

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 日本の自然は、山から始まっている。 
 日本の山には、人や命を包み込み、存在する事を忘れさせる、弱々しく、儚く、繊細な美しさがある。
 世界の山には、人や命を圧倒し、存在する事を屈服させるほどの力強い、7日間で天地を創った絶対神の御業を思わせるほどの雄大さ、人智では抗し難い神々しさがある。
 日本の山には、昔は自然神、八百万の神々、祖先神・氏神が鎮座する厳しい修行の神域であったが、今や人々が気楽に登山などの行楽を楽しむ親しみやすい山である。
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 日本民族日本人にとって、山とはそこにあるから登るという対象ではない。
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 海洋民は、宗教心が強く、山は神聖で信仰の対象であった。
 海洋民には、罰当たりな、反宗教無神論者は一人もいない。
 日本民族日本人の祖先は、南方系海洋民である。
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 産経新聞 iRONNA「
 柳原一信 (ウェブマガジン『山旅々(やまたびたび)』編集担当)
 『山旅々』編集者の「山旅のすすめ」(2)
 『日本の山は美しい』。こう思うのには2つの理由があります。それは大きく俯瞰して、山を縦に観察したときと横に観察したときの景色の豊かさによるものです。このことは日本だからこそ生じる事象で、それに気づいていない方々が多いように思うのです。
 今回は日本における自然美を改めて知ることで、ハイキングでも登山でも……歩くことが厳しければ遠くから山を眺めるのでもいいから、より日本の山を、ひいては日本という国を愛でていただければと思うのです。
山を縦に観察してみる
 登山をする人にとっては身近なお話になるかもしれませんが、改めて知ってみると「なるほど」と思っていただけるように、世界全体を眺める中で、日本の山を抜き出して縦に観察してみたいと思うのです。
 縦に観察するというのは標高という考えに則って景色の豊かさを見てみようという試みです。
 まずはじめに、あたり前のお話になりますが山では高く登るほど気温が低下します。そのため、気温に応じた植生の配列ができあがります。100メートル登ると0.6度下がると言われておりますから、下界が気温30度の季節に約3,700メートルの富士山の頂上は、凄く大雑把ですが気温8度程となる訳です。だから山に登れば登山口から登頂を果たすまでに様々な植物に巡りあうというのも不思議ではありません。
 日本アルプスなどの山に高山植物が分布しているということも、誰も不思議と思わないのではないでしょうか?けれども世界規模で日本の山を観察すると、ずいぶんと南に位置する日本列島にある山で、しかもそれほど標高もない山に高山植物がたくさんあるというのは非常に不思議なことのようなのです。
 『森林限界』という言葉を耳にしたことがありますでしょうか? 森林限界というのは名前の通り、気候が寒冷になって樹木が生育できない限界線のことをいいます。これを越えると高山帯といってハイマツやさまざまな高山植物が生息する場所になるのです。この森林限界は南北に長い日本列島ですから北海道では1,600メートル付近、本州中部では2,600メートル付近と、同じ日本なのに違いがあるのも面白いところです。北海道ではそんなに高く登らなくても高山植物を楽しめるんですね。
 この高山帯と呼ばれる場所に僕たちは高山植物を見るわけですが、何故それが不思議なことなのかを紐解いていきたいと思います。
 この高山帯と言われる場所を歩いているとハイマツを多く見かけます。しかしながら全てをこのハイマツが覆いつくしているかと言われるとそうではないのです。まだら状に分布しているんですね。これには理由があって、それこそが日本ならではの条件が及ぼす結果なんです。
 日本の冬山を登ったことがある人であればよくわかると思うのですが、日本の山々は世界一の多雪地域にあるんです。日本海に流れ込む対馬海流が水蒸気を盛んに上げ、この水蒸気をシベリアからの冷たい季節風が雪に変え、その雪が山地に積もるという、日本列島という場所だからこそ生じる現象で、緯度から想像するより多雪なんですね。
 このシベリアからの季節風ヒマラヤ山脈の方から流れてくるジェット気流によって非常に強風であるというのも日本の冬山を厳しくしている原因のひとつで、多雪・強風という自然現象によってハイマツの分布が形成されているようです。
 ハイマツを雪が覆う事で厳しい冬の環境からこの植物を救い、夏の時期に雪が解けてハイマツが顔を出すことが出来れば光合成ができ生きていける。いわゆる雪が多すぎても少なすぎても生きていけないんですね。ちょっと脱線しますが、こういう事象からハイマツの背丈というのが冬の雪の深さを推定することができるともいえて、夏場歩いていて冬場の積雪を想像することができるのも面白い趣きかと思います。
 このようにハイマツが生きていけない土地が空くと、コマクサ・チングルマニッコウキスゲ・ハクサンチドリといった別の高山植物が分布することになります。これが私たちがみる高山植物なんですね。ハイマツが生きていけないような場所に分布している高山植物ですから、とにかく悪条件に耐えて生活しているといえます。ハイマツも高山植物も僕たちは大事にしなければなりません。
 このように強風・多雪環境にある日本だからこそ生まれることが出来た高山植物であり、更に強風地や残雪周辺、やや風の弱い場所やハイマツ群落の周辺……というように土地の違いによって生育する植物の違いが見られ、このことが日本の山を美しく魅せている要因なんです。
 また夏場でも雪渓が残る山を見ると緑と白のコントラストが美しい。白馬岳・蝶ヶ岳爺ヶ岳など雪渓や植物に因んだ山の名前があるのも不思議ではないと感慨深くなります。
 横に観察するというのは山単位で景色の違いとその豊かさを見てみようという試みです。
 火山大国日本だから地震もあり温泉もあり……悪いことがあれば良いこともあると毎度のように思うのですが、このように植生が豊かなひとつの原因に火山というのはあると思うんです。火山が噴火すればそこに生きていた植物はリセットされる。その空いた土地に飛んできた種子が宿る。そういう長い歴史の中で日本列島という島国の中に様々な景色を彩ってきた。これもまた日本の山を美しくしている現象のひとつだと思います。
 そして面白いのは地質の違いです。地質学者ではないので詳しい事はここでは省きますが、山を歩いているとひとつの山の中にも様々な地質の違いによって形成される地形の違いを見出すことができます。
 例えば先日南アルプス北岳に登ってきたのですが、北岳肩という山小屋のある場所までは高山植物を楽しみながら、なだらかな尾根道を歩いていくのですが、肩の小屋に着いて、小屋の背後に目を移すと北岳山頂までの景色が見渡せるのですが、それまでのものとは全く違う様相となるのです。これは明らかに地質がこの肩の小屋から変わっているからで、山頂までの道のりを飽きないものにしてくれる日本の山の面白さに感動するんです。
 このようにわかり易い地形の違いも面白いですし、なだらかな稜線で時折見ることのできる地質の違いによる斜面の彩りもまた非常に美しいものがあります。
 今まで行った山は数限りなくありますが、ひとつたりとも同じような山というのに出会ったことがありません。奥多摩の山、奥武蔵の山、丹沢の山、北アルプス南アルプス……こういう山域で考えても様相は異なりますし、奥多摩の山の中でも雲取山・川苔山・鷹ノ巣山……と山単位で見てみても違いを感じることができます。
 いつだったか、登頂を目指そうとする文化は日本ならではのものと聞いたことがあります。海外ではロングトレイルという言葉があるように登頂を目指すのではなく山々を眺めながらひたすらに長いトレイル(山道)を歩いていく、そのような山の楽しみ方があります。
 これは登頂を目指すことの面白さ、いわゆる景色の美しさや植生の違いを楽しめる魅力が日本の山にはあるとも言えるのではないでしょうか。またそれが山々によっても違う。急峻な山もあれば、なだらかな山もある。こんな特殊な自然を楽しめる日本という国を今一度見直してみて、山を楽しむ視点を1つ、2つ加えていただければと思います。

 やなぎはら・かずのぶ ウェブマガジン『山旅々(やまたびたび)』編集担当。登山に出かけ、その山に属する町・食・人を知る『山旅』を楽しむ。背景にひそむ歴史や文化を知ることで旅路に奥行きある時間を作ることが好き。趣味は登山以外にトレイルランニングやテンカラ釣り、キャンプとアウトドア全般を楽しみ、遊びのスタイルやアクティビティに関する様々な情報発信している。
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☂18}─2─獣神。狼神。キツネ神(御稲荷)。アイヌ人のイオマンテと熊送り。  

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
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 真神(まかみ)は、日本に生息していた狼(ニホンオオカミ)が神格化したもの。大口真神(おおくちのまがみ、おおぐちまかみ)、御神犬とも呼ばれる。
 真神は古来、聖獣として崇拝されてきた。また、猪や鹿から作物を守護するものとされた。人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。また、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。
 大和国(現在の奈良県)にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、その獰猛さから神格化された。『万葉集』巻八には「大口の まかみの原に ふる雪は いたくなふりそ 家もあらなくに」(舎人娘子)と記され、少なくとも(大和国風土記逸文と合わせ)8世紀からみられる。この「大口の真神原」には後に飛鳥衣縫造祖樹葉(あすかきぬぬいのみやつこ の おや このは)の邸宅があったとされ、用明天皇の代に蘇我馬子が寺の建立を発願、崇峻天皇の代に館を廃し法興寺(後の飛鳥寺)の造営が始まったとされる。
 現在も埼玉県秩父地方の神社を中心に、狼が描かれた神札(お札)が頒布され、信仰を集めている。このすぐ南の武蔵御岳山上の武蔵御嶽神社には『日本書紀』の記述に基づく「おいぬ様」(または「お犬さま」)の伝説があり、日本武尊の東征の折、邪神が大鹿の姿で現れたのを野蒜で退治したが、その時に大山鳴動して霧に巻かれて道に迷ったのを、そこに忽然と白い狼が表れて道案内をして、無事に日本武尊軍を無事に導いたので、尊は「大口真神としてそこに留まるように。」といったという。大口真神は江戸時代の天保年間ころより盗難除け・魔物除けとしての信仰が盛んになり、本殿のおいぬ様の狛犬はブロンズ製(1807年の作)で、本殿前の像は北村西望の作(1985年奉納)である。
 関連項目
 三峯神社 - (埼玉県秩父郡大滝村三峰)大口真神を祀る
 山住神社 - (静岡県磐田郡水窪町山住)大口真神を祀る
 大川神社 - (京都府舞鶴市大川) 大口真神を祀る 
 釜山神社 - (埼玉県大里郡寄居町大口真神を祀る
 武蔵御嶽神社 - (東京都青梅市御岳山)大口真神を祀る
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 サライ
 趣味・教養
 お稲荷さんは何故生まれた?神様の使いがオオカミからキツネに取って代わった理由
 2016/11/14 趣味・教養  
 8万社ともいわれる日本の神社のなかで、もっとも多いのは八幡様を祀(まつ)る神社であるが、その次がキツネを祀るお稲荷さんだ。それにしても、いったいどんな神様だろうか。
 お稲荷さんはその字が示すように、稲の豊穣を守る神様だ。「稲(い)生(な)り」がその語源という。
 稲のような食物を司る神を古くは「御饌津神(みけつがみ)」と言った。この神名に「三狐神(みけつがみ)」の字をあてたので、いつしか狐が稲荷神の使いになったという。
 じつはこうした伝承はいくつもあって、狐は穀物を食べる野ネズミを襲うので、狐が稲の守り神になったともいう。
 他にこんな説もある。
 稲荷神社の総本宮京都市伏見区にある伏見稲荷大社。かつて、と言っても2000年以上も昔、伏見の地には狩猟民たちがいた。そこへ朝鮮半島から稲作の先端技術をもった秦さんという人たちが入植してきた。
 狩猟民たちは山の狼(おおかみ)を神の使いとしていたが、稲作の定着とともに狼は山に追いやられ、代わりに里にすむ狐が稲の神の使いとなったという。
 北から南まで稲作文化が定着した日本列島、稲と狐との関係はますます強くなった。では狼はその後どうなったのか。
 オオカミ信仰はかつて日本各地に点在していた。オオカミは人間を襲う獰猛(どうもう)な動物だが、同時に農作物などを食い荒らす野生動物も襲うので神聖視されるようになった。
 しかし、稲作の発達によりオオカミ信仰はキツネの稲荷信仰(いなりしんこう)に取って代わられた。
 オオカミ信仰といえば、いまは埼玉県秩父郡三峰神社(みつみねじんじゃ)や東京奥多摩の大嶽神社(おおだけじんじゃ)などが名高い。祭神は大口之真神(おおぐちのまがみ)、たんに真神ということもある。大嶽神社のオオカミ像は非常にシンプルで、ペット犬のような愛らしさがある。
 オオカミ信仰をいわば理論化したのは、山奥で厳しい修行をする修験者(しゅげんじゃ)とされている。彼らの説によると、三峰神社イザナギイザナミノ尊(みこと)を祀(まつ)ったとき白いオオカミが神の使いとして現れたという。また日本武尊(やまとたけるのみこと)が山火事にあったとき、オオカミが救ったという。
 日本のオオカミは明治になって絶滅した。イノシシやニホンジカなどが繁殖し畑や森林が荒らされるのは、オオカミが絶滅したためとする説がある。そこで外国のオオカミを日本に導入する案が何度か浮上しているが、それは文字通り野にオオカミを放つことになりかねない。
 神様は祠(ほこら)のなかでそっとしていただいたほうがよさそうだ。
 文/田中昭三
 京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園」完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。
 ※本記事は「まいにちサライ」2013年11月21日、11月28日掲載分を合わせて加筆・転載したものです。
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 稲荷神は、稲を象徴する穀霊神・農耕神。「稲荷」とは食物の神(ウカノミタマ)、キツネ(御食津神)、油揚げ、稲荷寿司、旅芸人が町回りで立てる細長い旗などを指す言葉。稲荷大明神(いなりだいみょうじん)、お稲荷様、お稲荷さんともいう。
 「稲成り」の意味だったものが、稲を荷なう神像の姿から後に「稲荷」の字が当てられたとされる[1]。もとは古代社会において、渡来民の秦氏から伝わった氏神的な稲荷信仰であり、秦氏の勢力拡大によって信仰も広まっていった。本来の「田の神」の祭場は狐塚(キツネを神として祀った塚・キツネの棲家の穴)だったと推測されるが、近世には京都の伏見稲荷を中心とする稲荷信仰が広まり、狐塚に稲荷が祀られるようになった。
 五穀をつかさどる神・ウカノミタマと稲荷神が同一視されることから、伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神としている。
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 イオマンテ用に設けられたヌササン(幣場)。中心にイナウで飾り付けた熊の頭骨を祭り、周囲に捧げものとしてのイナウや供物の鮭を捧げる(大阪府吹田市国立民族学博物館の展示物)
 イオマンテ (iomante) とはアイヌ儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。
 言葉としてはi「それを」+oman「行く」+te「何々させる(使役動詞語尾)」という意味。「それ」とは恐れ多いカムイの名を直接呼ぶ事を避けた婉曲表現であり、従ってイオマンテとは「カムイを行かせる」儀式の意である。また、語頭のiとoの間に渡り音のyが挿入されてiyomante=イヨマンテという発音になることも多い。
 単にイオマンテという場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域ではシマフクロウイオマンテを重視する。またシャチを対象とするイオマンテもある。
 飼育したヒグマを対象とする儀式はイオマンテ、狩猟によって捕殺した野生のヒグマを対象とする儀式はカムイ・ホプニレ (kamuy hopunire) と呼んで区別することがある。「ホプニレ」とはho「尻」+puni「何々を持ち上げる」+re「使役動詞語尾」で「(カムイを)発たせる」の意味。狩猟で殺した直後の獣のカムイは、魂 (ramat) の形で両耳の間に留まっているという。そこでカムイ・ホプニレの儀式では祭壇を設えてヒグマの頭部を祀り、酒食やイナウを捧げてそのカムイに神々の世界にお帰り頂くのである。

 概要
 冬の終わりに、まだ穴で冬眠しているヒグマを狩る猟を行う。冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが(その際前述のカムイ・ホプニレを行う)、小熊は集落に連れ帰って育てる。最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移すが、やはり上等の食事を与える。1年か2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでヒグマを屠殺し、解体してその肉を人々にふるまう。
 宗教的には、ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイを一定期間大切にもてなした後、見送りの宴を行って神々の世界にお帰り頂くものと解釈している。ヒグマを屠殺して得られた肉や毛皮は、もてなしの礼としてカムイが置いて行った置き土産であり、皆でありがたく頂くというわけである。地上で大切にされた熊のカムイは、天界に帰った後も再度肉と毛皮を土産に携え、人間界を訪れる。さらに人間界の素晴らしさを伝え聞いたほかの神々も、肉や毛皮とともに人間界を訪れる。こうして村は豊猟に恵まれるのである。熊の再訪を願うために、人間からの土産としてイナウやトノト(濁酒)、シト(団子)を大量に捧げる。イオマンテの宴で語るユーカラは、佳境に入ったところでわざと中断する。神が続きを聞きたがり、再訪することを狙うのである。
 類似の熊送り儀礼は、樺太周辺のニヴフなど、ユーラシア・タイガの北極圏に近い内陸狩猟民族に広く存在している。イオマンテもその一種である。
 北海道におけるイオマンテの儀式は1955年に北海道知事名による通達によって「野蛮な儀式」として事実上禁止となった。2007年4月、通達を撤回している。

 イオマンテの起源
 アイヌ文化期に先行する擦文文化期の遺構からは熊に関連する祭祀の痕跡が見当たらないことから、イオマンテオホーツク文化(担い手はニヴフといわれる)からトビニタイ文化を経由してアイヌ文化が取り込んだとの見方がある。詳細はトビニタイ文化を参照のこと。

 「山の神・年神・屋敷神・田の神・稲の神・祖霊神」概念との類似
 日本神道における、「山の神・年神・屋敷神・田の神・稲の神・祖霊神」などの概念とイオマンテの概念との間には、類似性がみられる。
 これらの概念を説明すると、
 「山の神・年神・田の神・屋敷神・稲の神・祖霊神」は同一の存在の「豊穣神」であり、季節ごとにその名と姿と居場所を変える。まず、山の神が、冬の新年になると、年神となって、山から麓の村(=地上=人界)に降りて来て(年神を屋敷に迎え入れる行事が「正月」=冬祭り)、屋敷神となって屋敷と一族を守り、春になると、田に出て、田の神となり、田植え(=予祝祭や水口祭や田植祭などの春祭り)が行われ、夏の間、田の神=稲の神は、稲を見守り育て(お盆=夏祭り)、秋になると、田の神=稲の神は豊かな実りを齎し、神霊(稲霊)の宿る稲が収穫され、収穫祭(=秋祭り)が行われ、人は田の神=稲の神に収穫物を捧げて、神とともに収穫を祝い、田の神を屋敷に迎え入れて、風呂やご馳走でもてなして労をねぎらい、神を山(=辺境+高い場所=異界=天=神の国=死者の国)に送り出し、神は山に帰っていき、山の神となる。
 以後も、この1年の循環(サイクル)を、毎年繰り返す。
 また一族の者が亡くなると、その者の霊は、祖霊となり、村を見守る近くの山に行って、山の神となり、村と一族の守護神となり、上記の循環(サイクル)を経て、村や屋敷に帰ってくる。」
 祭祀の対象が、植物である「稲」=「(上記)~の神」か、動物である「熊」=「熊のカムイ(神)」か、の違い(これは農耕民と狩猟採集民の生活基盤の違いともいえる)はあるが、どちらも豊穣儀礼であり、「神(カムイ)の霊(体ごと)を迎え、神(カムイ)の霊の宿った稲(体)が育ち、神(カムイ)の稲(体)を収穫(屠殺)し、再来を期待して、神(カムイ)の霊を、祭りを行った(もてなした)後、山(神々の世界)に送り出す」というサイクルなど、同じ構造を有している。
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 熊送りまたは熊祭りとは、ユーラシア・タイガ・北アメリカ北部の内陸狩猟民族の典型的な文化要素の一つ。
 概説
 アイヌの熊送り(熊祭り)とは、「アイヌモシリ」(人の世界)」に熊(特にヒグマ)の姿で遊びに来たカムイ(神)の魂(霊)を、天上の「カムイモシリ」(神々の世界)に送り返す祭式儀礼のこと。熊送り(熊祭り)には、狩りで捕殺した熊を祭る「狩り熊型熊送り儀礼」(猟熊送り)と、子熊を一定期間(北海道アイヌの場合、通常1・2年、サハリンアイヌなら3年前後)飼育した後に絞め殺して祭る「飼い熊型熊送り儀礼」(飼熊送り)の二つが存在する。
 「狩り熊型熊送り儀礼」がユーラシアや北アメリカ北部に暮らす先住民達に普遍的に認められる一方、「飼い熊型熊送り儀礼」は極東に暮らす諸集団(北海道アイヌ、サハリンアイヌ、ニブヒ(ギリヤーク)、ナナイ(ゴルド)、ナーヌィ(オロチ)、ウィルタ(オロッコ)、ネギダル、ウリチ、など)に偏在する。
 後者の分布は北海道、樺太(サハリン)から黒竜江アムール川)流域のハバロフスクあたりまでのナラ林帯で、アイヌイオマンテもこれに含まれる。
 アイヌは、最高神である「キムンカムイ」(山の神)に対する霊送りとして、「猟熊送り」と「飼熊送り」とを、何ら変わらぬ丁重さをもって執り行ってきた。
 アイヌの「飼熊送り」は、原則、1~2月頃の厳冬期に行われた。
 アイヌの「熊送り」は、擦文文化(7~8世紀頃、本州農耕社会の強い影響下にもあった、道央・道南の地で、先行する続縄文文化の伝統を受け継ぐ形で成立)よりも、樺太(サハリン)北部や黒竜江アムール川下流域に起源を持つ、オホーツク文化の担い手である「オホーツク集団」(6~9世紀頃、道北・道東部に展開)の、さらには、擦文文化を受容したオホーツク集団の末裔に当たる「トビニタイ文化集団」(9~13世紀頃)の、ヒグマ儀礼の伝統を受け継いだものと、考えられている。
 アイヌの「熊送り」が、「オホーツク集団」のヒグマ儀礼と近縁関係にあることは疑う余地はない。しかし、その一方で、「熊送り」の淵源の一端を北海道および本州起源の文化伝統の中にも探る必要性がある。
 アイヌの「熊送り」の開始時期は、「飼い熊型熊送り儀礼」は文献史料からは17世紀中頃まで遡ることができるが、それより過去は、考古学の発掘成果からは擦文文化終末期に当たる12~13世紀頃に先立つ可能性を指摘し得る。ただし、これは「狩り熊型熊送り儀礼」の確立の証左とは言えるが、「飼い熊型熊送り儀礼」の基本形態までもが、この時期に確立されていたとまでは(可能性は極めて高いとはいえ)結論できていない。
 「飼い熊型熊送り儀礼」は、「狩り熊型熊送り儀礼」に後発するものであったことは、想像に難くない。「飼い熊型熊送り儀礼」は、ツングース系のトナカイを飼養する牧畜文化との接触によって派生したとみられ、ところによっては西方の騎馬遊牧民文化の影響もみられる。
 なお、北米先住民の中には、イヌワシの雛を数年間飼育した後に殺して魂(霊)を天に送る儀礼を持つ部族があり、北海道ではシマフクロウイオマンテが行われる地域がある。  
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☂18}─1─動物神。ペット神。犬神。猫神。No.53No.54No.55 *    

神様になった動物たち (だいわ文庫)

神様になった動物たち (だいわ文庫)

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 動物神。
 家畜神。
 植物神。
 作物神。
   ・   ・   ・   
 日本神道は、人の為に犠牲になる全ての生き物を神として祀った。
 日本仏教も、人の役に立って死んで行く全ての生物を仏として、その霊魂を弔っている。
 日本神道も日本仏教も、死んだ全ての生き物の霊魂が怨霊となり、天災や疫病となって祟る事を恐れた。
 ゆえに、自己満足的な無益な殺生を禁(いさ)めた。
 血と死を、忌むべき「穢れ」として恐れ戦き、最も不浄のモノとして嫌った。
 日本神道八百万の神々を奉り、日本仏教は多種多様な仏や天を拝んだ。
 日本神道は、猫や犬、キツネや狸、猿やナマズ、その他の生物も、全てを神として祀った。
   ・   ・   ・   
 日本神道は、犬や猫をムラの守り神として神社を建立した。  
   ・   ・   ・   
 2016年6月11日 週刊現代「杉木立の奥に鎮座する犬と猫の社(やしろ)
 山形県/高畠町
 米沢盆地東端の高畠町高安地区には、ペット愛好家が集まる『犬の宮』と『猫の宮』という小さな神社がある。いずれも厄災(やくさい)から村人を救った犬猫を祀ったもので、同じ所に犬と猫の社が揃うのは、全国的に見て珍しいという。
 歴史は古く1300年前に遡る。役人に化けて『年貢のかわりに子供を差しだせ』と命じる古狸いた。村人を困らせる狸を倒してくれたのが2匹の犬であった。狸との大乱闘で死んでしまった犬たちのために建立されたのが『犬の宮』。それから約70年後、今度は猫が、大蛇となって現れた古狸の怨霊を倒した。その猫の供養したのが『猫の宮』である」
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 鳥取県、白兎神社。恋愛と皮膚病の神様。
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動物の神様に生かされて

動物の神様に生かされて

犬は神様

犬は神様

ねこの神様

ねこの神様

₩76」─3─中国共産党は、日本人の戦病死者や民間人犠牲者の尊厳を穢し、霊魂を冒涜し、慰霊の場を踏みにじる。〜No.356 *    

慰霊と顕彰の間―近現代日本の戦死者観をめぐって

慰霊と顕彰の間―近現代日本の戦死者観をめぐって

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 中国共産党は、反宗教無神論反日敵日である。
   ・   ・   ・   
 南方系海洋民と北方系草原民の混血の雑種である日本民族と北方系草原民の漢族・韓族・朝鮮族は、人生観、死生観、霊魂観など多くの面で異なる為に、幾ら分かり合おうと話し合っても無駄である。
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 中国共産党及び知日派中国人が真顔で言う、「日本人は、軍国主義者に騙された被害者でる」という発言は、悪意を秘めた戯言である。
 中国共産党の本当の考えは、日本人は軍国主義者と不可分の一体であり、全ての日本人は軍国主義者と同罪であり、日本人の本性は極悪非道である、という事である。
 中国共産党が見せる笑顔とは、友好の微笑みではなく、陰湿で陰険な蔑視的嘲笑である。
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 日本人と中国共産党及び反日派中国人とは、決して分かり合う事は出来ない。
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 2015年11月29日 産経ニュース「日本国旗の盗難、落書き…サイパンの慰霊関連施設、相次ぐ嫌がらせ 中国人客急増「手がつけられず」
 何者かによって掲げていた国旗が奪われた掲揚ポール=11月17日、サイパン島(松本宇位里さん提供)
 第二次大戦の激戦地、北マリアナ諸島・米自治サイパン島で、日本政府が建立した慰霊碑近くに掲揚された国旗が盗まれるなど、日本の慰霊関連施設への嫌がらせ行為が相次いでいることが28日、分かった。平成24年9月の尖閣諸島沖縄県石垣市)国有化後、被害が目立ち始めているという。中国語で日本を中傷する落書きも確認され、地元当局は警戒を強めている。
 関係者によると、盗まれた日本国旗は島北部の「中部太平洋戦没者の碑」に掲揚されていたもの。11月16日午前に巡回していたマリアナ政府観光局の職員が発見したという。
 碑の近くにある3本のポールにそれぞれ、日本国旗のほか、米国と北マリアナ諸島連邦の旗が掲げられていたが、いずれも刃物で切られ奪われていた。15日夕時点で異常はなかったことが確認されている。
 碑は昭和49年に日本政府が建立し、敷地は厚生労働省が管理。平成17年には天皇、皇后両陛下も訪問、供花された。
 ポールは長年敷地内に設置されていたが、傾くなど老朽化し、現地で暮らす松本宇位里(ういり)さん(60)がマリアナ政府観光局の補助金と自費を投じて修復。10月20日から日本国旗などを掲揚したばかりだった。松本さんは「島で暮らす日本人にとっても慰霊碑は大事な存在で、とても残念だ」と語る。
 近くにある韓国人の慰霊碑にも同様に、韓国、米国の国旗が掲揚されているが、そこには手は付けられておらず、日本国旗だけが意図的に狙われたとみられる。
 碑をめぐっては、25年3月に碑文の「日本政府」と刻まれた部分に「×」印が付けられる嫌がらせもあった。また、近くの旧日本軍施設の壁には、日本人を豚に例える中国語の蔑称「日本猪」や中国語で「尖閣諸島は中国の領土だ」との落書きが行われたり、碑が壊されたりする被害が相次いでいる。
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 日本の慰霊碑や旧日本軍施設への悪質な嫌がらせ行為が相次ぐ背景には、日本人観光客の足が遠のくなど、監視の目が行き届かなくなっている実情もあるとみられる。地元政府観光局は警戒を強め、在住の日本人らも修復を続けているが、すぐに新たな被害が確認されるなど、いたちごっこの状態が続いている。
 サイパン島は第二次大戦を挟み、100年来にわたって日本と深い関係にある。平成9年ごろまでは多くの日本人観光客が訪れていたが、17年以降、日本航空(JAL)の定期便撤退や日系ホテルの閉鎖などもあり激減した。
 一方、21年からサイパンは米領で唯一、中国人がビザなしで渡航できるようになったことから、中国人観光客が急増している。
 そうした中、24年9月に尖閣諸島が国有化されるなどして、中国国民の反日感情が高まったことも影響し、島内にある日本の慰霊関係施設への嫌がらせが激化しているとみられる。
 かつて日本人が断崖から「万歳」と叫びながら身を投じたことで知られる、島北部の「バンザイクリフ」でも被害は確認されている。遺族や戦友会などが建立した二十数基の慰霊碑が並ぶが、近年、これらの碑文の溝にかみ終えたガムを貼り付ける行為が多発している。
 地元の政府観光局はこれらの施設に警備員を常駐させて監視を強化しているが、大勢の中国人観光客らが連日訪れ、同様の嫌がらせを行うなど手がつけられない状態だという。
 島では第二次大戦中、日本兵や民間人ら約5万5千人が死亡し、計1千超の慰霊碑がある。
 在島歴35年の安井悦子さんは「慰霊碑は現地の人にも受け入れられており、こうした行為には思想的な悪意を感じる。これまで可能な範囲で修復をしてきたが、どんな理由であれ、死者を汚す行為はやめてほしい」と話している。 (池田祥子)
 【用語解説】サイパン島
 米領北マリアナ諸島の中心の島。第一次大戦後には、日本の委任統治領になり、サトウキビ栽培による製糖業が発展、第二次大戦前には1万人超の日本人が暮らしたこともあったという。昭和19(1944)年7月に日本軍が玉砕。その後、東京や大阪など日本本土空襲を行う米爆撃機B29の拠点となり、20年8月には、同島南5キロのテニアン島から広島と長崎に向けて原爆投下したB29が飛び立った。」
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 12月5日号 週刊ダイヤモンド「縦横無尽 櫻井よしこ
 日章旗を土足で踏みつけさせる中国
 大事に取り扱い返還してくれる米国
 本当にうかつだったが、西岡力氏に指摘されるまで、私は気付かなかった。
 北京市郊外にある『中国人民抗日戦争記念館』は『抗日戦争勝利70年』の今年、全面改装され7月に公開されたが、広い館内を一巡する道順の一画に異様な空間がある。ガラス張りの床の下に日章旗を埋め込み、参観者は我が国の国旗を土足で踏みつけなければ一巡できない構造だというのだ。
 これだけでも日本国への許し難い屈辱だが、氏が憤る原因はまだある。
 『ガラスの床下の日章旗には、「祈武運長久」などの言葉と多くの人の名前が書き込まれています。出征軍人に家族、友人、故郷の人々が心を込めて寄せ書きをしているのです。皆、その旗を大切に身に着けて戦った。しかし彼らが捕虜になったり、戦死したとき、寄せ書きの日章旗は奪われた。抗日戦争記念館の日章旗はそのようにして手に入れた旗でしょう。しかし、軍人の私物は戦時国際法では本人に返還しなければなりません。それなのに中国政府と中国人は国際ルールを平然と破り、日本国をおとしめる材料として、利用する。わが国は断固抗議し、日章旗返還運動を起こすべきです』
 朝鮮問題専門家の氏は同じ記念館の中国人慰安婦の展示が真っ赤なうそであることも突き止めた。
 国を挙げて対日歴史戦争を展開する中国の姿がいかに異質で突出しているか、米国との比較で見てみたい。今年8月、オレゴン州の歴史家、レックス・ジーク夫婦が安倍晋三首相を官邸に訪ねた。夫人は敬子さん、日本人だ。夫婦は全米から寄せられた71枚の『寄せ書き日章旗』を手渡すために来日したのである。
 夫婦にお会いする機会はなかったが、私は事前にお二人の進める『OBON2015』計画について聞き、本当に感動した。
 敬子さんは戦死したおじいさまのことはほとんど知らずに育った。ビルマ(現ミャンマー)での戦死だったが、遺骨も戻されていない。ところが、2007年、おじいさまが出征時に持っていった寄せ書きの日章旗がカナダで見つかり、無事、ご遺族に戻された。
 このときからご夫婦の『寄せ書き日章旗返還』を進める地道な活動が始まった。日本語を読めない米国人にとって、寄せ書きされた日章旗は一種の芸術作品に見える。戦場で米軍兵たちが日章旗を見つけては持ち帰った背景は、国旗についての彼らの考えが日本人とは異なるというもう一つの要素もあっただろう。米欧では旗は第一義的には軍隊、国、敵味方を区別するためのものだ。戦場で敵の旗を奪うことは大きな軍功を意味する。日本人にとっての旗、とりわけ寄せ書きの日章旗への感覚はそうした国の印という意味に加えて、家族の祈りと愛、兵にとって心の支えという意味がある。
 官邸で首相に日章旗を手渡したジーク氏は、『日の丸が(日本政府ではなく)家族(や友人たち)から贈られたものだと知って、米国人たちは、日本に返還したいと願っている』と述べている。寄せ書きの旗が1人1人の兵の形見であること、父、息子、夫を見送った人々の愛情と尊敬のこもったものであることを理解したとき、多くの米国人は、旗の返還に協力を惜しまなくなったというのだ。
 ガダルカナル島ペリリュー島硫黄島、沖縄、多くの激戦地で戦った日米両国だが、70年を経たいま、お互いを見る視線には相互理解と未来への希望がある。ジーク夫婦の静かな努力はその後も続いており、日本に戻された日章旗は三桁の数になった。
 日章旗を日本の軍人の魂と、家族の愛情と祈りの表現として、大事に取り扱ってくれる米国、その旗を土足で踏みつけさせる中国。この相違を日本人は忘れてはならない」


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軍都の慰霊空間―国民統合と戦死者たち

軍都の慰霊空間―国民統合と戦死者たち

₩75」─4─日本軍は河南省救援物資輸送路を死守した。大陸打通作戦。泰緬鉄道。日本軍兵士の餓死・病死。1944年〜No.347〜No.348〜No.349  *    

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 軍国日本の戦争は、侵略戦争か、自衛戦争か。
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 東京裁判は、軍国日本の人道的善意を完全否定し、全ての戦闘行為を非人道的戦争犯罪と断罪した。
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 蘇智良(上海師範大学教授・慰安婦問題研究センター)「1931年の華北満州地区での日本軍占領から1945年の日本の敗北までに、約40万人の女性が強制的に軍の慰安婦にされ、少なくともその半数は中国人であった」
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 日本軍は、戦場で孤児となった幼子を拾って兵舎に連れ帰り食事を与えて養育し、日本人でも中国人でも養子として引き取ってくれる相手を探した。
 引き取り手がなければ、見つかるまで面倒を見ながら一緒に転戦した。
 大きくて自分で分別が付く子は、負けだした日本軍といると録の事はないと見切りを付けて逃げ出した。
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 日本人兵士は、「女性を殺すと化けて出て呪われる」とか「子供を殺すと祟られる」という土着的迷信を恐れていただけに、無意味に女や子供を殺す度胸はなかった。
 日本の男にとって、女は夜叉であり、鬼であり。山の神であり、最も怖い存在であった。
 日本の大人にとって、「地頭と鳴く子には勝てない」として聞き分けのない子に手を焼き、面倒な子育てを女に任せて仕事を言い訳にして逃げ回っていた。
 日本の家庭は、女天下で男のいる場所はなく、子供からも煙たがれて嫌われていた。
 亭主関白はその裏返しとして、哀れな男達の悲しい空威張りに過ぎなかった。
 女天下の方が、亭主関白より数段強かった。
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 中国駐在のアメリカ軍諜報機関は、日本軍は戦局が悪化し撤退する時期に生物兵器を使用していないとの調査レポートを作成した。
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 中国共産党は、占領地で虐殺を行っていた。
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 1944年 毛沢東は抗日戦を叫びながらも裏で日本軍と手を結び、蒋介石と軍国日本を戦わせて漁夫の利を得ていた。
 八路軍は、解放区で芥子栽培を行いアヘンを精製して、日本軍占領地と親日傀儡政権で結託していた。
 延安の中国共産党は、積極的に日本軍と商売を行い、日本製品が晋西北の各県に溢れていた。
 アメリカ軍は、中国共産党と軍国日本の裏取引を知らずに、中国共産党に抗日戦の為の軍事費や軍需物資を送り続けていた。
 東條英機首相は、中国共産党との裏取引を黙認していた。
 中国共産党は、指導者であるソ連が軍国日本と中立条約を結んでいる以上、ソ連の意向に逆らって日本軍を攻撃する事はあり得なかった。
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 1月 マッターホーン作戦。中国─ビルマ─インド戦線におけるB29作戦の為に第58航空団のケネス・ウルフ准将を少将に昇進させ新設した第20空軍を任せた。
 アルビン・C・ウェリング工兵准将は、中国とインドに4ヵ所ずつ計8ヵ所の重爆撃機基地建設を開始した。
 期限の4月までに、8ヵ所の作戦基地建設を人海戦術で完成させた。
 B29編隊150機は、5機はエンジントラブルで途中で引き返し、残りは4月2日にインドに到着して、4月19日に全機が基地に集結した。
 日本陸軍第5航空軍(通称「隼」)には、航空情報隊という特別情報機関を持ち、中国におけるアメリカ陸軍航空部隊や重慶軍側の機密無線を傍受し解読していた。
 B29編隊は、インドから成都を経由で爆撃目標に向かう場合、日本側の間諜に発見される為に奇襲攻撃は不可能であった。 
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 3月8日 インパール作戦で、日本軍は補給を軽視した為に敗走した。
 日本軍第15軍約10万人の内約3万5,000人が戦死し、そのほとんどが餓死か病死とされた。
 連合国軍は、進撃の足手まといになるとして、日本軍兵士捕虜を殺害した。
 インド人兵士は、イギリス軍の命令に従って、日本軍兵士捕虜の負傷者や病人にガソリンをかけて、生きたまま焼き殺した。
 戦争の勝利は、全てに優先するというのが世界常識とされた。
 連合国軍の行為は、日本軍の捕虜虐待に対する報復として合法とされた。
 公式記録は、日本軍の玉砕とされた。
 宗教的科学的人種差別が、世界の常識である。
 日本軍兵士捕虜で助けられた者は、英語やフランス語などの外国語を話せる者か、日本軍の機密情報を話した者か、日本軍や日本人避難民の居場所を教えて攻撃に協力した者だけである。
 事実。そうした協力的な日本兵士捕虜が多く存在したといわれている。
 「良いジャップは、死んだジャップである」
 ビルマやタイの民族派は、連合国に協力して敗走する日本軍を攻撃した。
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 4月 南方物資の華北への輸送路を切り開き確保する一号(大陸打通)作戦の発動。参加兵力約51万人。車輌1万5,000輌。馬10万頭。
 第12軍主力は、洛陽・鄭州から信陽を経て漢口に到る京漢鉄道線を確保した。
 日本軍は、翌年45年2月迄に約2,400キロを踏破し、南方からの補給路を確保して初期目的を達成した。 
 日本陸軍は、中国大陸を南北につなぐ鉄道輸送路を確保するや、上海・南京にある医薬品と長沙などの華南穀倉地帯の食料を河南省の被災地に運び込んだ。
 4月28日 中国軍爆撃機は、河南省の生命線である京漢線の黄河鉄橋を空爆して破壊し、日本軍による河南省の被災者に届ける食糧と医薬品の救援物資輸送を妨害した。
 抗日中国軍は、河南省への救援物資の輸送を遮断する事で、飢餓を煽り、自国民を死に追いやっていた。
 河南省に、ペストや赤痢やインフルエンザが大流行して、餓死者に加えて病死者が増大した。寒冷地の為に、マラリアコレラチフスの蔓延はなかった。
 中国軍は、侵略者日本軍が非人道的細菌兵器を使用したと世界の報道機関に発表した。
 ユダヤ系国際報道機関は、中国側の発表を信じて軍国日本を非難した。
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 ヒルダ・ラバウ「ヨーロッパで皆殺しになった人々を思えば、上海は楽園でした」
 上海のユダヤ人難民(約4万人)は、日本軍の保護下でナチス・ドイツホロコーストから護られていた。
 ニューヨークの合同配給委員会(ジョイント)は、A級戦犯賀屋興宣蔵相(〜44年2月19日)の許可を得て上海のユダヤ人難民達に僅かであったが生活資金を送金していた。
 ユダヤ人難民救済は、昭和天皇が望んでいた事であった。
 日本天皇は、反ユダヤ派ではなく親ユダヤ派であった。
 ヒトラーから逃げて来たユダヤ人難民を助けたのは、軍国日本であって、ファシスト中国や中国共産党ではなかった。 
 そして、東条英機A級戦犯達であった。
 ナチス・ドイツと親密関係にあったのは、軍国日本ではなくファシスト中国(国民党)であった。
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 ユダヤ系国際金融資本は、日本皇室の全資産を没収する為に日本天皇制度を廃絶しようとしていた。
 ユダヤ人は、反天皇反日で、日本を破壊する為に幾重にも罠を仕掛けた。
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 *洛陽攻略(A級戦犯東条英機首相兼陸軍大臣参謀総長
 5月 支那派遣軍約14万人は、飢餓民1,000万人以上を省外に流失させない様に、中国軍40万人以上が待ち構えている河南省を侵略した。
 日本軍約6万人は、中国軍約30万人が守る省都洛陽を攻撃し占領した。
 中国戦線の崩壊を防ぐには、中国人飢餓民の救済と疫病の沈静化を速やかに行う事であった。
 日本軍は、必要とされる食糧や医薬品などの軍需物資を、優先的に被災地に運び込み、被災者に配った。
 中国の再生には、食糧輸送を再開するべく橋や鉄道の修復し、社会環境を向上させるべくインフラ整備を行う為に、中国人兵士捕虜や農民を強制連行した。
 食糧増産には自然破壊を食い止める必要があり、植林事業と潅漑設備に体力があり動ける飢餓民を重労働に狩り出した。
 日本軍は、食糧を確保する為に、食糧を隠匿している地主や資産家が支配する村を襲って三光作戦を行った。抵抗する男女の民兵を殺害し、隠匿食糧を強奪して、餓死寸前の1,000万人に食糧を与えた。
 4億人の中国人民は、日本軍の犯罪行為に激怒して、抗日戦を支持した。
 日本陸軍は、莫大な予算と膨大な物資を中国人飢餓民救済の為に投入していた。
 日本陸軍と海軍は、国民の生活を犠牲にしてまでも戦争の勝利の為に、予算と物資の獲得競争を繰り返して国家予算を疲弊させていた。
 無理矢理、奴隷的重労働を強制された中国人は、日本軍を感謝するどころか逆恨みして日本人を「日本鬼子(リーベンクイズ)」「東洋鬼(トンヤンクイ)」と罵って憎んだ。
 国際世論も、全ての元凶は侵略戦争を行っている軍国日本であると非難した。
 当の日本軍も食糧不足にあった為に、自活策として、駐屯地内で農作物を作りながら敵軍と戦っていた。
 抗日中国軍と反天皇派日本人と反日朝鮮人は、各地で破壊工作を行い、日本軍の輸送網を攻撃し食糧などの物資を奪っていた。
 中国軍は、日本軍に負担を強いる為に、さらなる被災民を日本軍支配地に追い込んでいた。
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 6月5日 アメリカ陸軍航空軍は、日本本土空襲の予行演習として、B29編隊98機はインドのカラグプル基地から発進して往復3,600キロの洋上飛行し、タイのバンコックにおける鉄道施設と造船施設を爆撃した。
 カルカッタから日本本土空爆に向かうとすれば、航続距離から爆撃目標は九州に限られ、最大の目標は長崎の大村海軍航空基地であった。
 アメリカ陸軍航空軍第20軍は、44年6月から45年4月までの10ヶ月間で、49回の出撃の内日本本土空襲は9回であった。
 日本陸海軍は、本土防空の為に、優秀なパイロットを中国各地や南方方面から本土に配置換えを実施した。
 熟練パイロットは本土決戦要員とされ、未熟パイロットは特攻の消耗要員とされた。
 6月16日 アメリカ陸軍戦略爆撃部隊は、中国四川省成都の飛行場からB29爆撃部隊を出撃させ、九州北部を空爆した。
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 日本軍は、ペストやインフルエンザなどの伝染病や風土病に対する防疫対策として、細菌・毒物・毒ガスなどの生物化学兵器を研究している石井部隊(731部隊)を投入した。
 被災地に最も必要とされたのは、安心して飲める飲料水であった。
 石井部隊は、疫病対策と給水確保の為に設立された特殊部隊で、その実態は極秘とされ知るものは少なく、資料が機密扱いとされてほとんど残っていない。
 石井部隊は多くの中国人を助けたが、人体実験を行った戦争犯罪部隊として告発された。
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 中国人飢餓民達は、侵略して来た日本軍に群がり、日本軍を熱烈歓迎した。
 日本軍兵士達は、餓死寸前の者、ペストやチフスなどの重病人、重軽傷者を日本軍陣地に運び込んだ。
 日本軍医療班や従軍看護婦達は、医療に携わる者の責務として、助けを求めて来た中国人達を別け隔てなく、差別せず、治療し、食料を与え、看護した。
 日本軍兵士達は、占領地に放置され腐敗した十数万人、数十万人の中国人犠牲者を、丁重に集団墓地(万人抗)に埋葬して弔った。
 日本精神・大和心とは、敵味方に関わりなく、家族の一員のように、怪我人や病人を救護し、死者を丁重に弔う事である。
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 日本軍は、飢餓地域に食糧を供給する為に、比較的食糧がある地域で現地調達を行った。 だが。何れの地域も貧しく食糧が豊富で有り余っているわけではなかったから、平和的に、飢餓地帯の惨状を説明して食糧の供出を求めても不可能であった。
 中国人は金銀の貨幣は信用して受け取っても、日本軍の軍票はもちろん何なる政権の紙幣も信用しなかった為に、正規の値段で購入する事も出来なかった。
 日本軍は、これ以上の餓死者を出さない為に、力尽くで食糧を調達して飢餓地帯に運び込んでいた。
 日本軍がやって来るという情報が入るや、村人は食糧や家畜を隠して山林に逃げ込んだ。
 日本軍は、無人の村に入り込んで食糧や家畜を根こそぎ奪っていった。
 人間不信の中国人は、同じ漢字を使う同胞でも、同じ言語を話さなければ赤の他人、異国人扱いして平気で見殺しにした。
 日本人には、そうした中国人の国民性、民族性が理解できなかった。
 日本軍によって食糧を強奪された地域は、お互いに助け合い残った食糧を分け合おうとはしなかった為に、餓えた者は徒党を組んで血縁にない村を襲撃して住民を殺して食糧を奪った。
 襲撃された村は、別の村を襲撃して殺害と略奪を行った。
 この連鎖的襲撃による殺害と食糧強奪の原因が日本軍にあるとして、抗日武装勢力が各地に誕生し、中国共産党はそうした武装集団を傘下に引き入れて勢力を拡大した。
 特定の飢餓地域における日本軍の行動は全て裏目に出て、多くの地域で恨みを買い、人民を抗日へと走らせていた。
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 ファシスト中国や中国共産党軍は、ソ連から提供された細菌や毒物などの生物化学兵器を被災地で使用していた。
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 日本軍大部隊を動員して、河南省侵略、大陸打通作戦、江北殲滅作戦、江南殲滅作戦、常徳殲滅作戦などを実行した。
 サムライ日本人は、メシの為、米櫃の為とは考えたくはなかった。
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 上海は、日本海軍の管轄であった。
 上海の日本軍も動員された為に、上海ゲットーの管理は反ユダヤ派の久保田所長の難民事務所が行った。
 日本人の大半が徴兵されて人員不足となった為に、所員の多くが反ユダヤ朝鮮人軍属がゲットー内を取り仕切った。
 日本軍の監視が緩んだ為に、ユダヤ人難民の待遇は悪化し、治安が悪くなり、何をするにも朝鮮人軍属や日本人所員への賄賂が必要になった。 
 ニューヨークのジョイント本部は、日本陸軍の協力を得て、スイスを通じてユダヤ人難民の生活支援の資金を送金した。
 日本軍部は、昭和天皇の意向に従って上海のユダヤ人難民保護に努めた。
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 軍事費の増加が、財政を圧迫し、国民の生活を更に苦しめた。
 現代日本は、軍部による軍事費増強は愚策であったと厳しく批判している。
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 東條内閣(A級戦犯内閣)は、窮余の一策である「強制連行して奴隷的な重労働を強要する」という犯罪行為を誤魔化す為に、「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。
 日本軍が強制連行したのは、一般市民ではなく、行く場所、帰る故郷を持たない敵兵やテロリスト・ゲリラなどの捕虜であった。
 部隊によっては、中国人労働者に対して僅かながらの報酬を払った。
 この件は戦争犯罪として裁かれ、東條英機A級戦犯として処刑された。
 日本軍は、非難され、抗議され、軽蔑され、感謝されず悪態をつかれようとも、「志」の赴くままに毅然として戦争を続けた。
 最大の難所が、ビルマからタイに抜ける泰緬鉄道である。
 軍部は、食糧等の陸上輸送網の要である泰緬鉄道を、如何なる犠牲を出そうとも開通させる為に暴力的に突貫工事を行った。
 華北の飢餓民約1億人を救済する為に、十数万人の連合国兵士捕虜や地元民が犠牲になろうとも無視した。
 連合軍は、日本軍の意図を破壊する為に、抗日中国軍や東南アジアの対日武装組織の協力を得て陸上交通網を攻撃した。
 ビルマも、連合軍に協力して日本軍を侵略者として攻撃した。
 7月18日 東條英機内閣総辞職
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 後の、毛沢東の失政で大量の餓死者を出した大躍進で最も被害が出たのは、日本軍が救助した河南省であった。
 河南省は、日本軍部に助けられた事に恩義を感じないし、自己犠牲で戦ってくれた日本軍に感謝しない。
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 7月18日 A級戦犯梅津美治郎は、参謀総長に就任した。
 7月22日 小磯国昭内閣成立。
 小磯国昭A級戦犯)は、連合軍に一撃を加えた上で対米講和を図ろうとした。
 陸軍は、小磯首相の意向通りに動かなかった。
 秦彦三郎陸軍参謀次長は、最高戦争指導会議で小磯の発言に対して「近代的作戦用兵を知らない首相は口出しするな」と一括した。
 陸軍省内の強硬派は、「この内閣は2ヶ月で潰す」と公言して息巻いていた。
 小磯首相は、現役に復帰して陸相を兼務し指揮体制の一元化を図ろうとした。
 陸軍は、現役復帰に反対して小磯内閣を倒閣するべく暗躍した。
 小磯首相は、中国戦線だけでも終結させるべく、緒方竹虎情報局総裁とともに蒋介石政権との単独和平工作(繆斌工作)を画策した。
 当初は陸海軍の了解を取り付けたが、繆を信頼できない人物だと確信していた。
 昭和天皇重光葵外相、杉山元陸相、米内海相らが反対した為に頓挫した。
 9月7日 小磯国昭は、インドネシアの独立を認容する声明を発表した。
 1945年3月 重慶の国民政府との和平工作(繆斌工作)に失敗し為に、小磯内閣は4月5日に総辞職した。 
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 軍部は、中国戦線を終結させる為に、あらゆる手段を使って蒋介石重慶政権との和平交渉を求めていた。
 蒋介石重慶政権は、軍国日本に戦争終結の可能性をほのめかし、翻弄し、そして拒絶した。
 それは、陰険なる謀略であった。
 軍国日本と蒋介石重慶政権の戦争終結を望まなかったのは、毛沢東中国共産党スターリンソ連ルーズベルトアメリカであった。
 昭和天皇と軍国日本が如何に戦争終結を望んでも、叶えられない儚い夢であった。
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 日本は、アジア諸地域で戦争犯罪国家として攻撃されていた。
 日本人兵士は、戦争犯罪者として処刑された。
 彼らの魂は靖国神社に神として祀られたが、中国、韓国・北朝鮮アメリカなど多くの国々は靖国神社軍国主義の象徴として廃止を求めている。
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 日本軍は、占領地の金融政策として、親日派政府の財政・金融担当者の協力を得てユダヤ系国際金融資本と金融戦争を繰り広げていた。
 ハイマン・クブリン「日本の将校は残虐な行為を行うし、野蛮な行動も見られたが、ナチスの殺人者とは比べものにならない。捕虜や占領地の住民を虐待したりそれを黙認したりする事はあるが、それは大抵その場の激情に駆られたもので、悪魔的な大量殺戮計画の一部であったためしはない。たとえ自分の民族の優越性を確信していたとはいえ、ナチスの様に他の民族を抹殺する事でそれを立証しようとはしなかった」
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 延安の日本人共産主義者は、日本軍から脱走してきた日本人兵士を反天皇の革命闘士に洗脳して、破壊工作をさせる為に日本軍の後方に送り込んだ。
 日本軍内の朝鮮人兵士は、武器と軍情報を持って脱走し、中国軍陣営に走り込んでいた。
 反天皇の日本人は、反日朝鮮人と協力して暗躍していた。
 彼等は、日本で暴力的共産主義革命を起こし、天皇ファシズムや農村型軍国主義を打倒する事に情熱を抱いていた。
 日本軍は、四面楚歌にあった。
 戦後は、日本を破壊する為に帰国して活動を続け、反天皇感情を国民世論とするべく天皇の戦争責任を広めた。
 ピョートル・ウラジミコフ「彼等は、積極的に占領地区内の日本軍と商売を行っていたのだ……実際、晋西北の各県は色々な日本の荷物で溢れていたが、これらの日本製品は、全て占領区の日本軍倉庫から直接提供されたものである」
 「私は、偶然に新四軍総本部の電報に目を通した。この電報は、中共指導者と日本派遣軍最高司令部の間で長期間連携を保っていた事実を明らかにしていた」
 「中共指導層は数人ほどしかこの秘密を知らず、毛沢東代理人は、南京の岡村寧次大将総本部隷属の人物だ。何時だって彼は日本の反スパイ組織の厳密な保護下で、南京と新四軍総本部の間を思う存分に往来する事が出来る」(『延安日記』)
 延安の中国共産党は、活動資金を得る為に「大生産運動」としてアヘンを栽培し、日本軍や南京政府に極秘で売っていた。
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 日本軍は、治安維持と宣撫工作として、昼間に占領地区内での抗日勢力討伐に出動し、夜は抗日ゲリラの襲撃を恐れて駐屯地に閉じ籠もり息を潜めていた。
 地元住民を味方に付ける為に、全ての日本兵士に強姦や掠奪を厳しく禁じていた。
 日本兵士も、強姦している最中に地元住民に襲われる事を恐れていた。
 そもそも。日本軍が部落に入った時には、年頃の女性は逃げて、部落に残っているのは老人や子供しかいなかった。
 日本軍は、中国軍とは違って軍規や軍律は厳しく、統制が取れていた。
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 日本は、通貨価格の安定を大目標として、華北金融を聯銀券で一本化すると共に、物価の安定による物資供給の増加と食糧の増産に全力をあげた。
 日本軍部は、戦争継続の為に、政府に対して食糧などの戦略物資の増産増強を強要した。
 重慶政府は、日本軍が食糧との物資を購入できない余に金融戦争を仕掛け、日本軍占領地の食糧を買い占めた。
 華北の大飢饉は、華中での食糧需給にも悪影響を出し始めた。
 日本軍は、物資輸入を増加させると共に、南方占領地に対して米、麦、塩、砂糖、食用油、錦糸布、石炭などの増産を強制した。
 その為にも、奥地の物産を揚子江下流地域に安定供給させる為に買付物価低価統制の見直しが求められた。
 日本陸軍は、南方穀倉地帯から被災地・華北に食糧を輸送する為に、鉄道や道路の確保するべく延期していた大陸打通作戦(一号作戦)を発動した。
 労働者不足に悩む現地軍は、犯罪行為と知りながら、大陸縦断の大輸送網の建設する為に各地で人狩り作戦・労工狩り作戦を強行した。
 ビルマインドネシアなど東南アジア各地の住民は、連合国に味方し、侵略者日本軍に対する抵抗活動を始めた。
 これは、国際法違反と認定され、戦後に同作戦に従事した日本人は戦犯として処分された。
 戦後。日本軍と戦った国家は戦勝国としての権利から、賠償金を敗戦国日本から獲得した。
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 郭沫若「話しだけも胸が痛む事だ。あんな風に我々は、やれ動員だ、やれ抗戦だといって、しまも毎日毎日『最後の勝利は必ず我らのもの』などと繰り返していたが、抗戦8年の間に、いわゆる壮丁から弱丁へ、弱丁から病丁へ、病丁から死丁へという風にして踏みにじられた同胞の数は、戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりした者の少なくとも100倍以上はあっただろう。」(『抗日戦回想録』)
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 ジャック・ベルデンは、国共内戦が激化している最中、河南省には行って国民党軍と中国共産党軍・紅軍の飢えた人民に対する蛮行を調査した。
 「紅軍から村を引き継ぐと、地主もしくは国民党の将校は民衆大会を招集し、大赦を宣告するのだ。『どの村では共産党の土地政策はとても良かった』。
 国民党は、何時もこういうのだった。『我々は何一つ変更しようとは思わない。我々は、この村の村長、民兵の隊長、共産党のキャップを除いて、全ての人を許すつもりだ。誰でも、我々を恐れる必要は少しもない。しかし、諸君の中の一部の者は、共産党の宣伝によって惑わされている。諸君が村役場まで出頭して、悔恨状に署名しさえすれば、万事それで良いわけ』。
 そこで、農民達は出頭した。これ以上良い事ないと思ったので、彼等は村役場へ行って、自分が婦女会あるいは民兵に参加した事を認めた。そう言う事をしても、何も悪い事が起こらなかったので、『愚直な農民』は罠に掛かった。
 女房達は亭主を説きつけて、山の隠れた場所こら帰って来た。そして、活動的な農民が全て再び村内に入ったと見た時に、国民党は悔恨状の署名者全員を縛り上げ、公然と処刑した」
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 1944年 ベトナムで飢餓が発生した。
 仏印政庁は、ベトナム人被災民を救済する為にべく食糧を放出しなかったので200万人以上が餓死した。
 フランス人は、人種差別主義者として、ベトナム人を人間以下の獣として扱き使っていた。
 日本軍の諜報部員は、アジアを白人支配から解放する為に、ベトナム人独立派に接触していた。
 1945年 ベトナムに駐屯していた日本軍は、飢餓民を救済する為にクーデターを起こし、食料庫を開放した。
 日本軍は、ベトナム全域を支配下に置く事で餓死を食い止めた。
 だが、此の行為は侵略とされ、日本軍は戦争犯罪に問われ、時効無き有罪とされた。
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 国際司法機関は、日本軍の泰緬鉄道建設は、如何なる理由があろうとも戦争犯罪であると裁定した。
 国際軍事法廷は、泰緬鉄道建設に従事した日本人を戦争犯罪で有罪とした。
 そして、多くの日本人元兵士や親日派朝鮮人軍属が正規な弁護を受けられずに、BC級戦犯として処刑された。
 戦前の日本には、自己弁護も、自己主張も、一切許されていない。
 片岡正雄曹長「国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の杭となるなり」
 戦後。ビルマは、日本に対して戦争犯罪の謝罪と戦後賠償を求めた。
 日本は、戦争犯罪を認めて、ビルマの要求を受け入れた。
 平和憲法の日本は、アジア諸国に対して、戦争犯罪を行って迷惑かけたと土下座をして謝罪している。
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 日本の鉄道敷設技術は、世界のトップレベルにあった。
 緬鉄道は、1942年7月〜43年10月までも1年4ヶ月の驚異的な短期間の建設期間で完成した。
 鉄道建設に動員された連合国軍兵士捕虜とアジア人労働者は述べ30万人以上で、地獄のような重労働の為に夥しい犠牲者が出た。
 過労死、栄養失調による衰弱死、風土病による病死、捕虜虐待による死亡などで、捕虜の犠牲者は1万人以上で、アジア人労働者の犠牲者は3万〜6万人以上。
 犠牲者の正確な人数は、不明とされている。
 日本軍は、1944年2月に全線開通に伴い、建設で死亡した犠牲者全員の霊を慰霊する儀式を執り行い、慰霊碑を建て、合わせて「泰緬側人柱の霊」も癒やした。
 戦後、泰緬鉄道は非人道的戦争犯罪とされ、建設に関わった日本軍関係者が処刑された。
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 河南と広東だけで、600万人以上が餓死したといわれ、ペスト、チフスコレラなどの疫病などでの病死やその他の犠牲者を入れると、1,400万人以上の人々が被害にあったという。
 日本軍は、中国での戦闘を戦う為に、ペスト、チフスコレラ赤痢などの研究を重視した。
 陸軍軍医部は、乏しい医薬品を被災地に持ち込んで中国人の治療に当たった。
 日本人従軍看護婦らも、献身的に、軍医に協力して中国人の手当に当たった。
 中国に蔓延していたペスト、チフスコレラを封じ込め、死の疫病に苦しんでいる中国人を助けたのは軍国日本・軍国主義者である。
 戦後。国際法廷は、疫病の発生は日本軍の生物兵器による残虐な犯行と認定し、生物兵器に関係した日本軍将校や技術者を有罪とした。
 日本軍占領地にいたのは、731部隊などの生物兵器を研究していた犯罪部隊である。
 オーストラリアなどは、日本軍の生物・化学兵器に対抗する事を名目として、ユダヤ人国際資本の財政支援とユダヤ人研究者の協力で生物・化学兵器の研究・開発に全力をあげていた。
 ソ連軍は、日本軍に勝つ為に抗日中国軍に生物兵器や毒ガス兵器を供給していた。
 中国は、自己中心主義の為に、古代から金と性欲を極限までに追求する貪欲、貪婪を最善としてきた。
 戦いに勝つ為ならば、法律も道徳も、道理も道義も一切関係なく、卑怯や卑劣を承知で如何なる手段も実行する。
 勝利者に、盾突く敗者は誰もない。
 中国人は、祖先崇拝という正統派儒教の孝徳を守るべく、公益をかなぐり捨て、無秩序的に、どんな汚い事でもして生き残ろうとした。
 生きる事。
 とにかく生きる事。
 どんな事をしても生きる事。
 生き残る事が、正義であり、勝利である。
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 中国共産党は、飢餓民の救済を日本軍に任せたが、反日感情を利用して農村部で勢力を拡大した。
 毛沢東は、整風運動を行い、秘密警察を使って反毛沢東派を粛清して党を掌握した。
 ソ連が対ナチス・ドイツ戦で手一杯になっている事に付け込んで、アジア全体の共産主義化の主導権を得た。
 中国共産党は、中国国内はもちろん日本や朝鮮など全アジアに破壊工作員を送り込んだ。
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 日本軍兵士の多くが戦争犯罪者として有罪判決を受け、長時間苦しめられながら猟奇的な手段で処刑された。
 日本軍は、感謝される事はなかった。
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 現代日本も、歴史の全てを知り尽くしたうえで、日本軍の行動は弁解の余地もない侵略行為であったと認めている。
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 毛沢東「日本の皇軍が過去において中国の中国の大半を占領したため、中国人民は教育を受けることができた。もし日本の侵略がなければ、我々は今でも山の中にいて、北京で京劇を観ることもできなかっただろう。日本の皇軍が中国の大半を占領したからこそ、我々はたくさんの抗日根拠地を作り、その後の解放戦争における勝利の条件を作り出すことができたのだ。日本による資本の壟断と軍閥は我々に対して「好いこと」をしたのだ。もし感謝が必要なら、むしろ我々が日本皇軍の侵略に感謝したいと思う」(1961年1月24日、日本社会党議員黒田寿男らに会見した際の談話)
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 1995年 江沢民は、モスクワを訪問し、世界に向けて「日中戦争で日本軍に虐殺された中国人は3,500万人」と公表し、中国共産党軍は58万人以上の犠牲者出して侵略者日本軍を撃退したと発表した。そして、中国は日本に対して謝罪と賠償を要求する権利があると強調した。
 日本国内からも。日中戦争を詳しく調べた上で、日本軍による三光作戦などの非人道的行為が明らかである以上は、戦争加害者として誠意を持って謝罪し要求された額の戦後賠償を行うべきである声が上がった。
 日本の歴史学界は、日本軍占領下で起きたこと全ては日本軍に原因があると認めている。
 つまり。河南省飢饉は、日本軍が中国に侵略したから起きた事であり、中国人餓死者の拡大は日本軍兵士が原因であったと。
 中国共産党政府は、歴史的事実を盾にして、日本を戦争犯罪者と激しき非難し多額の賠償と謝罪を求めている。
 それは南京虐殺事件や重慶差別爆撃などの戦争犯罪に対する抗議、そして領土としての尖閣諸島問題や歴史としての靖国神社参拝問題にも通じる、徹底した反日という中国の強硬な姿勢である。
 中国は、日本に対して対等な友好など求めず、属国的に従属を要求している。
 金儲け的日本人は、国益よりも利益優先として中国側の言い分を無条件で受け入れるように求めている。
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 中国で戦死した日本軍兵士は、靖国神社で祭神として祀られている。
 中国と韓国・北朝鮮は、閣僚や政治家の公式参拝に猛反対している。
 日本国内でも、靖国神社を否定し、廃止を求める声がある。
 靖国神社に反対する者達は、日本政府に正しい歴史認識を強要するだけに、歴史の全般を詳しく知り尽くしている。
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 2013年6月30日 msn産経ニュース「西安にも抗日石碑の設置協力要請 訪中の朴氏、ハルビン駅に続き
 中国訪問中の韓国の朴槿恵大統領は29日、1940年代に日本の植民地支配に抵抗した朝鮮人らが部隊の拠点を置いた陝西省西安に、記念の石碑を建てる許可を出すよう同省の共産党幹部に要請した。聯合ニュースが伝えた。
 朴氏は28日にも、習近平国家主席に対し、初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺し死刑になった安重根の石碑を、暗殺現場の中国黒竜江省ハルビン駅に建てたいとして協力を要請している。
 中国国内にある抗日運動ゆかりの地に記念碑を建てることで、中国と韓国が歴史問題で共に日本に向き合う構図を強調したい考えとみられる。
 朴氏が石碑の設置許可を求めたのは、日本に抵抗した独立運動家らが上海で樹立した大韓民国臨時政府の傘下にあった「光復軍」が拠点を置いた場所。朴氏は、韓国は2009年から設置事業を進めてきたと述べたという。(共同)」
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 2014年7月13日 msn産経ニュース「日本政府に損害賠償980億円 中国の戦争被害遺族ら 集団訴訟の準備進める 
 日中戦争をめぐる損害賠償訴訟を支援する「中国民間対日賠償請求連合会」の童増会長は13日、河北省唐山市豊潤区の村で旧日本軍に殺害されたとする住民の遺族らが、日本政府に約60億元(約980億円)の損害賠償を求める集団訴訟を同省の裁判所に起こす準備を進めていると明らかにした。
 北京で13日に記者会見した。原告団には村民約30人が参加。提訴の時期は検討中という。原告団代表の男性(66)は「安倍晋三政権は侵略の歴史を美化している。心からの謝罪を求めたい」と話した。
 日中戦争の被害の賠償をめぐっては、北京市の裁判所が3月、強制連行されたと主張する中国人被害者や遺族らによる日本企業2社を相手にした損害賠償訴訟を受理。その後、中国国内で提訴の動きが広がっている。(共同)」
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 2016年8月27日 産経ニュース「米国人判事に『俺は東条が嫌いなんだ!』と言われた」 米慰安婦像撤去訴訟の原告、目良浩一氏が明かす訴訟の実態とは…
 産経新聞のインタビューに応じる「歴史の真実を求める世界連合会」代表の目良浩一氏
 米カリフォルニア州グレンデール市に設置された慰安婦像の撤去を求めた訴訟で、近く米連邦最高裁に上訴する方針を固めた原告の「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」の目良浩一代表(81)は、産経新聞のインタビューに応じた。これまでの法廷では複数の米国人判事から「私は東条(英機元首相)が嫌いなんだ」などと差別的な言葉を投げかけられたこともあったと振り返った。インタビューの主な内容は次の通り。
ここで引っ込むことはできない
 今月4日に連邦高裁で敗訴したことを受け、最高裁への上訴を決めた。慰安婦像の撤去を求める訴えが否定されたら「日本人は多数の女性を“性奴隷”にした」との説が正当な歴史になってしまうからだ。ここで引っ込むということは、日本の尊厳を守るためには耐えられない。やはりもう一つ頑張って上訴し、最高裁で明らかにしないといけない。
 私たちはグレンデール市の慰安婦像設置は連邦政府だけが持つ外交権限の侵害だと訴えている。慰安婦説、奴隷説が正しいかどうかというのは裁判にならないと考える。誰を訴えるかという問題もあり、慰安婦説を唱えた人となると、グレンデール市には関係なくなる。
 私たちの訴訟は地方自治体が新たに慰安婦像を設置することを防ぐために有効だということで始めた。実際、グレンデール市以降、米国内で慰安婦像は建っていない。かなりの抑止力になっていると思う。
 日本政府としての対応は「旧日本軍」の文言削除案のみ
 日本政府の訴訟に関する対応は協力的ではない。個人的には理解してくれる人もいるが、組織として何もやっていない。裁判の過程でロサンゼルス総領事館と外務省にそれぞれ参考書類の提出をお願いしたことがある。日本政府としての慰安婦像に関する考え方を説明するような書類だ。提出されれば効果があるのに出してくれなかった。
 一方、今年春、ある動きがあった。ロサンゼルス在住の日本人医師が、前グレンデール市長のナジャリアン氏から「何とかして問題を解決したい」との相談を受けた。そこで医師は日韓の専門家が会議を開いて問題を解決する案を考え、自身のコネクションを通じて東京の外務省の上層部に案を投げた。
 かなり時間が経ってからその話が総領事館に回ってきて、総領事が韓国の総領事と解決策を協議したようだ。彼らの解決策は慰安婦像の碑文から「旧日本軍」という文言を削除するというもので、慰安婦像の撤去ではなかった。ところが、いざ会議をやろうとなったら、韓国の総領事が断ってきたようで、この動きは止まってしまったという。
 ナジャリアン氏は今年4月に交代し、後任のドゥバイン市長にその後の対応を託した。私たちは7月6日に新市長に会いに行ったが、出張中だった。行き先を聞いたら「韓国」との答えが返ってきた。
 「ころころ変わる判断」に「偏った判決」
 米国の裁判は悪く言えばいい加減で、くるくる判決が変わる。連邦裁の一審では「原告は訴訟を起こす資格がない」という門前払いの判決を受けたが、2審では「資格がある」という。米国の法律に照らせば簡単に分かることだと思うけど、ころころ変わる。
 その理由として、1審の判事は一人なのでロビー活動をかけやすいことがあるのではないか。だが、2審の判事は3人で、ロビー活動には少し手間がかかる。最高裁になれば判事の数も多くなり、ロビー活動はかなり難しくなるはずだ。だから最高裁に持っていくことは意味があると考えている。
 2審の判決は非常に偏っていた。グレンデール慰安婦像は慰安婦を記念する意思を表現したもので、それ以上のものではないという判断だった。だが、像の碑文には、旧日本軍が悪辣な人権侵害の罪を犯した、そして日本はその罪を認めるべきだ、ということが書いてある。単に慰安婦を記念して建てたわけではなく、日本を誹謗するような碑文がある。だが、判決文はこれには言及していない。
 日本は米国にとって重要な同盟国だ。それなのに一つの市が同盟国を誹謗するということは、明らかに連邦政府が持つ外交権限を侵すものだ、そういう議論が最高裁でできると思っている。
 最高裁に進めば、米政府が日本政府に対して訴訟の見解を問い合わせる可能性がある。その場合、日本政府は日韓合意に基づいて全て解決したと伝えるのではないかと思っている。そうであれば最高裁の判断にある程度影響を与えるのではないか。
 裁判官の「東条が嫌いだ。何が悪い?」発言に唖然…
 連邦裁判所での訴訟とは別に、カリフォルニア州の裁判所でも訴訟をやっているが、州の裁判官の発言にあぜんとさせられた。8月5日に州の控訴裁判所(2審)の公判があった。州の訴訟では、碑文が日本人・日系人を差別しているとして訴因の一つになっている。こちらの弁護士がその点を公判で指摘したら、ポール・ターナー裁判長は「俺は東条(英機元首相)が嫌いだ。他の米国人も大抵嫌いだ。そういう人を差別して何が悪い?」と言う。記録も残っている。
 1審の判決文も「旧日本軍が女性の人権を侵害したことは明白な事実」と認定し、そうした人たちを擁護する人はけしからん、という内容の文章で始まっている。
 連邦裁判所の判決文には少なくとも、日韓間では慰安婦問題をめぐる意見が違っていて議論が続いていると書かれている。連邦裁の事実認識の方が多少まともだ。
 一般的に米国で認識されている慰安婦問題は“性奴隷”だ。州の1審の判決にあるように、慰安婦問題を知っている人の知識は韓国人らが吹聴している説だ。連邦裁2審では中韓両国系の反日団体から参考意見が提出され、受領された。非常に偏った内容であることは明らかだったので、こちらも参考意見を提出したいと申し入れたが、却下された。
 いま生きている人が汚名を返上しないといけない
 最高裁まで争うのは、旧日本軍、日本政府、日本国民が残忍でいろいろな罪を犯したと確定されれば、汚名が数世紀にわたって続くからだ。数世紀も日本の人がさげすまれる状態になっていいのかと考えると、今の日本人が頑張らないと! 私の場合、戦時中に生活していたから当時の日本人の考えなどが分かるが、私の世代が終われば書類でしか日本の過去がどうだったか分からなくなる。いま生きている人が闘わないといけないと思う。
 訴訟費用については、これまで1億3000万円ほどの支援を日本国内外からからいただいた。私個人も5000万円ほど投じている。これから最高裁に書類を提出するために約700万円が必要になる。最高裁で却下される可能性もあるが、却下されなければさらに2000万〜3000万円が必要になる。さらに州の裁判もある。支援をお願いしたい。
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 問い合わせはGAHT(電)03・5403・3512まで。ホームページはhttps://gahtjp.org/」


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中国革命と対日抗戦―抗日民族統一戦線史研究序説

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北京一二・九学生運動―救国運動から民族統一戦線へ (研文選書)

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