⛩32)─1─神道で人が神になる『鎮魂の神社』とは、怨霊信仰である。〜No.71No.72 

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 なぜ日本には「神様」がたくさんいるのか?
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 日本の宗教観の象徴は、多様性に富み多文化多宗教の七福神を同一格神とする宝船である。
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 現代日本人は、民族的な文化力・伝統力・歴史力・宗教力がない。
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 2026年6月25日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「神道で人が神になる『鎮魂の神社』とは?怨霊信仰の歴史と菅原道真のルーツ
 怨みをもって死んだ人や道半ばで亡くなった人を祀った神社とは
 鎮魂の神社
 もともと神道では神と人間は厳密に区別されていました。神が人間の娘のもとに通って子どもをつくることはありましたが、人が神になることはなく、神のように祀られるということもありませんでした。ところが、奈良時代頃より強い怨うらみをもって死んだ者は疫病を流行らせるといった祟たたりをなすと信じられるようになりました。こうしたことの背景には、奈良時代後期から平安初期にかけて政争が続いたことと、過密化した都での衛生環境の悪化があるといわれます。
 疫病を怨霊の祟りだと信じて恐れた当時の権力者たちは、怨霊を御霊と呼んで鎮魂の祭りを行ないました。これを御霊会といいます。祭りを行なうだけではなく、神社も建てられました。それが京都の上御霊神社・下御霊神社です。怨みをもって死に、神として祀られた人のなかで、もっとも有名なのが菅原道真でしょう。学者・漢詩人として有名で宇多・醍醐天皇に重用されながら、無実の罪で太宰府に左遷され任地で死した道真は、死後、天神になって政敵に神罰を与えたとされます。
 しかし、菅原道真が御霊として恐れられ祀られたのは最初の一時期だけで、その後は学芸の神様として信仰されるようになりました。道半ばで倒れた者も神として祀られることがあります。その代表がヤマトタケル(倭建命・日本武尊)*です。 各地に遠征をして熊襲などの反逆的な部族を討ったヤマトタケルですが、伊吹山の神を退治しに向かったところで病を得て32歳で没しました。その御霊を祀るために創建されたのが滋賀県大津市の建部大社とされます。
 出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 神社の話』
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 日本神道は、物部氏の御霊を人神として祀っている。
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 石見国一宮物部神社
 鎮魂祭(みたましずめのまつり)
 (写真・猿女の鎮魂法を行う巫女。古事記の中の天の岩戸開きの際のアメノウズメの姿にならい矛と笹の葉を携え、頭には美男葛、身体には日陰葛を身に付ける)
 日時
 11月24日 午後8時(石見神楽奉納午後6時半)
 場所
 拝殿
 鎮魂祭は物部神社の起源ともいえる祭典で、当社の御祭神・宇摩志麻遅命様が神武天皇御即位のときに、天皇のために鎮魂宝寿を祈願されたのが始まりとされ、以降連綿と神代より受け継ぎ現代まで続いている物部氏最大最古の神秘の祭です。
 身体と魂魄を結ぶいのちの糸{たまのお}を古来より受け継がれる秘事(物部氏の呪術のひとつ)を以て結ぶことにより身も心も健全で健康な状態にし、さらには強運・勝運を与える神事です。
 古代より伝わる「たまふり」*魂を直接揺り動かして本人の元の気・運気の巡りを円滑にし病や邪気を祓い、健全な魂に戻す物部氏の秘事*を行い御参列頂いた方の健康と勝運を宮司以下祭員一同御祈念致します。
 鎮魂というと一般的に霊を弔うための言葉と解釈されていますが、本来はその逆で活力を与える・復活を促す・甦る・悪影響をもたらすものを払拭するなど総ての好転的な意味を持つものです。また神道行事の根幹を為す"祓いの本義"であるとおもわれます。
 元来存在するもの総てに生命が存在すると考えられています。存在そのものが生命といって過言ではないでしょう。そのものが存在し続ける上で最も必要なものが魂魄です。この魂魄を振り動かし、結びつけ、鎮め置く、そのものの存在を本来の姿に立ち戻らせる祈祷法こそ、「鎮魂」本来のあり方なのです。その狭義の一部分に霊を弔うことも含まれてはいるが大儀はあくまでも存在を存在たらしめることであり、より大きな存在へ導くものです。
 この鎮魂祈祷を初めて斎行したのが御祭神宇摩志麻遅命です。このことについては江戸期まで古事記・日本書紀と並び称された「先代旧事本紀」に記述されています。それによると「(前略) 蒼生及萬物の病疾のことあらば 神寶を以て御倉板に鎮置て 魂魄鎮祭を為して 瑞寶をふるべ (中略) 如此祈祷せば死共更に蘇生なんと おしえたもう (後略)」とあります。たとえ死んでも鎮魂祭を斎行し、十種神寶を振ることによって蘇生するというのですから、とんでもない祈祷法です。 この鎮魂祭を古くから伝承し斎行しています神社は奈良県石上神宮(物部の鎮魂法)・新潟県弥彦神社(中臣の鎮魂法)・島根県物部神社(物部・猿女の鎮魂法)の三社です。特に物部神社の鎮魂祭は宮中において斎行される鎮魂祭に最も近いものです。
 また物部神社が祈祷専門の神社として天皇の勅命により社殿が建てられ、現在も年間百件の祭事を斎行し続けております根幹は、蒼生(人間)や萬物のために鎮魂祈祷をなさんが故の御祭神宇摩志麻遅命の御意志の継承でもあります。
 物部神社で行われます祈祷の総てにはこの鎮魂祭の本義が存在し、より大きな御神徳が発揚されています。
 鎮魂祭に御参列される方へ
 鎮魂祭に御参列・御祈祷を希望される方は、参列申込用紙と祭典で祈念するための撫で札を無料で送付致しますので事前に当社まで郵便番号、御住所、お名前をメール又はFAX、郵送等でお知らせ下さい。(下記連絡先参照)
 遠方からで直接祭典に参列できない方も撫で札を依り代に用い祈念致しますのでお気軽にお問い合わせ下さい。
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 歴代天皇は、宗教的神の血筋を唯一の根拠として、日本国に渦巻き害をなす数多の怨霊を鎮め、日本民族に取り憑き苦しめる怨念・呪いを癒やしてきた。
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 八百万の神々に正統な神格を与えて神体として祀る事を承認してきたのは、不変の民族神話を根拠とする血筋・世襲の正統性男系父系天皇である。
 天皇は、神の裔として祭祀王である。
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 血統主義とは、政教一致で、神話を正統とする血筋・世襲の天皇である。
 皇統主義とは、政教分離で、憲法・法律を正当とする非血統・非世襲の天皇である。
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 皇統主義は、反宗教無神論である。
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 民族宗教の日本神道とは、ある特殊な意味で創作された民族神話であり、古事記と日本書紀、高天原神話と天孫降臨神話を起源としている。
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 ヤマト大王は、弥生の大乱を鎮め大陸・半島からの侵略から日本国と日本民族を守る為に存在した。
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 7月10日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「高市政権の主張する「皇位継承の本質=男系男子」は大ウソ…次の天皇には「愛子さま」がふさわしい歴史的な理由
 皇族数の確保策を盛り込んだ皇室典範改正案は、今国会中に成立する可能性が高い。歴史評論家の香原斗志さんは「そもそも男系男子による皇位継承は、日本史上で長く意識されてきたものではない。男女を問わず第一子に皇位継承権をあたえるのが、いちばん合理的で、皇統が途絶えるリスクがもっとも低い」という――。
 【写真をみる】母・雅子さまの「30年前の黄色スーツ」をお召しになられた愛子さま。
■女性天皇について議論さえしなかった高市政権
 敬宮愛子内親王、すなわち愛子さまには皇位継承の資格がない。日本国憲法で〈皇位は、世襲のものであって〉と定められているが、世襲のための具体的なルールは皇室典範にゆだねられている。その皇室典範は、第1条で〈皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する〉と定めている。
 〈男系の男子〉とは父方の血筋を引く男子で、愛子さまも父方の血を引くが、女子なので該当しない。皇室典範のこの規定をあらためないかぎり、愛子さまが天皇になられる可能性はなく、今回の皇室典範改正の議論では、この点の改訂に関しては議論さえされなかった。
 高市早苗内閣は男系男子による皇位継承にこだわっており、議論を拒んで方針を堅持した恰好だ。しかし、各メディアの世論調査では、愛子さまが天皇になられることを支持する人の率は、60%から時に90%にまで達している。高まる愛子天皇待望論に目もくれない政府に対しては、「国民の総意を無視している」という批判も湧き上がっている。
 筆者も愛子天皇が望ましいと思っている。「国民の総意」という議論に即していうなら、国民の支持率が高い人が即位したほうが、国民と皇室の関係が良好にたもたれ、象徴天皇制の安定に寄与すると思う。だが一方で、皇位継承は人気投票ではない。人気を優先して天皇を決めていたら、皇位継承のルールが歪みかねず、そうなれば将来に禍根を残す。
■「愛子天皇」が望ましい合理的理由
 それでも筆者が「愛子天皇が望ましい」と考えるのは、それがいちばん合理的だからである。もっといえば、愛子さまが即位できる環境をつくらないと、世襲による皇位継承そのものが危うくなりかねない。
 その最大の理由は、男系男子による皇位継承がきわめて困難なことにある。現状でも男系男子の皇位継承者は、秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまの3人しかおられず、次世代で継承権をお持ちなのは悠仁さまだけ。今後、増えるかというと、きわめて心もとない。
 長い歴史において、天皇は多くの側室に子を産ませ、そこから男子を選んで即位させてきた。しかし、大正天皇が拒んでからは天皇に側室はおらず、現行の皇室典範では、側室は完全に禁じられている。そうでなくても、いまのご時世に側室は社会が許さない。
 しかも現在、予想を超える速度で少子化が進んでおり、むろん、皇室もその流れから逃れられない。少子化は女性の地位向上や権利の高まりと無縁ではないからだ。
 昔なら女性は周囲から「子供を産め」と、当たり前のようにプレッシャーをかけられたが、いまそんなことをいえば、明確なハラスメントと認定される。現代の女性は自分の生き方に照らして、結婚も出産も自由に選択でき、周囲が強要することは許されない。皇室においても、皇位継承者の妻に出産を強要したりすれば、それはハラスメントになる。
■歴史学の成果を無視した発言
 それでも皇室に嫁いだ女性は、いくら周囲が気を遣っても、子供を産まなければならないというプレッシャーを受けるに違いない。しかも男子を生むことが事実上の責務だとなれば、プレッシャーの強さは想像に余りある。一般社会に生きるのとくらべて、比較にならないほどの重圧をかかえる道であり、そんな道を率先して選ぶ女性が現れるのだろうか、と大いに心配になる。
 しかし、男系男子による皇位継承が、その支持者が訴えるように、日本の歴史や伝統の根幹を支えるものであるなら、ギリギリまでそれを守ることに意味があるだろう。実際、男系男子にこだわる論客は、国民が愛子天皇を支持するのは「皇位継承の本質が理解されていないから」だと訴えるが、男系男子は本当に皇位継承の本質なのだろうか。
 高市総理は今年4月の自民党大会で、「126代にわたって、男系で皇統が継承されてきたという世界でも比類がない歴史的事実こそが、天皇の権威と正統性の源だと考えております」と述べた。これは歴史学の成果をまったく無視した発言である。
 初代とされる神武天皇は実在しなかったというのが定説だが、それだけではない。そもそも第15代の応神天皇より以前は、神話や伝説である可能性が高いと考えられ、考古学的に実在が確認できるのは、第21代の雄略天皇以降である。現在の皇室の起点とされるのは第26代の継体天皇だが、その当時はまだ、即位にあたって血縁より実力が優先されたと考えられており、血縁による皇位継承の傾向が定まったのは、第34代の舒明天皇からだとされる。
 つまり、高市総理が主張する「天皇の権威と正当性の源」は、歴史学の観点からは否定されてしまうのである。
■明治時代につくられた「男系男子による万世一系」
 歴史学の成果を尊重するか否かは個人の自由だろう。しかし、行政の最高責任者たる内閣総理大臣が、自国の学問の成果を無視して、「126代にわたって、男系で皇統が継承されてきた」のが「歴史的事実」だと断定してしまうことには、大きな問題がある。
 これでは、神話を歴史的事実と偽って教えた戦前の歴史教育と変わらない。学問的な成果への国民の目をふさがせたまま、議論を避けて法律をあらためようという姿勢は、非常に危険だといわざるをえない。
 そもそも男系男子による皇位継承は、日本史上で長く意識されてきたものではない。皇位は男系男子が継承するとはじめて明文化したのは、明治22年(1889)に交付された皇室典範で、「男系男子」という言葉自体、そのころはじめて使われている。「万世一系」という言葉も、慶応3年(1867)10月に、岩倉具視が「王政復古議」でなかで言い出したにすぎない。
 この時代に、こうした言葉が使われるようになった理由は明白だ。薩摩と長州の出身者を中心とする明治維新の先導者たちは、権威がまったくない自分たちの権力を正当化するために、天皇の権威を利用した。さらには、天皇の権威を政治的な次元から超越させ、だれも手が届かない次元から、藩閥政治家たちに正統性をあたえてもらうために、皇室典範を制定し、日本の天皇の血統は「男系男子」による「万世一系」だと強調したのである。
■女系による継承が否定された証拠はない
 現在、男系男子による皇位継承にこだわる人たちは、男系男子こそが日本の歴史や伝統の正統性を保証する命綱であるかのように説く。だが、実際には、男系男子とは明治の政治家の命綱だった。
 もっとも、天皇家の歴史において男系は意識されてはいた。古代の律令の基本法典のひとつで近世まで効力があった「継嗣令」も、男系による継承を前提としている。ただし、女系による継承が否定されていたわけでもなかった。
 だから歴史上には、古代の推古天皇にはじまって江戸時代の後桜町天皇まで10代8人の女帝が存在する。男系男子にこだわる人たちは、それは男系のつなぎにすぎなかったと主張するが、過去にそう意識されていたと証明する手立ては存在しない。
 たしかに、宮内庁が厳重に管理している「皇統譜」では、現在に至るまで皇統が、例外なく男子で継承されてきたことになっている。これについては、前近代の日本においては、家系図とは一般に、その家の権威を高めたり家格を維持したりするために、意図して創作されることが多かった、という事実だけを記しておく。
■分家が皇統を継いでいいのか
 男系男子にこだわる人たちは、今後、ほんとうに男系による皇統を守ることができると思っているのだろうか。それが難しいからこそ、旧11宮家出身の独身の男系男子を養子として迎え入れる制度が、皇室典範の改正案に盛り込まれたのだろう。
 だが、ずっと一般国民として自由を謳歌してきた人が、いまさら養子として皇室に入ろうとするだろうか。そういう人がいたとして、その子が即位すれば、約600年前の室町時代に分家した旧宮家の人が皇統を継ぐことになるが、その天皇を国民は自分たちの統合の象徴として尊重するだろうか。それが男系男子だからといって、皇統が継がれたことになるだろうか。
 過去にも養子の例はある。たとえば、安永8年(1779)に後桃園天皇が急死した際、傍系の閑院宮家から養子が迎えられ、光格天皇として即位した。だが、血筋の隔たりは7親等にすぎず、600年前の血筋とは意味がまったく異なる。そして既述したように、こだわる人がそうまでしてこだわる男系男子には、さほどの歴史的根拠がないのである。
 だったら、男女を問わず第一子に皇位継承権をあたえるのが、いちばん合理的で、皇統が途絶えるリスクがもっとも低い。だから「愛子天皇が望ましい」のである。
 男系男子にこだわる人たちは、126代にわたって男系で継承されてきたことが、世界からの尊敬の対象になっている、と主張する。しかし、その根拠が神話に依拠していると知った途端に、世界が日本を蔑むリスクも考えたほうがいい。

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 香原 斗志(かはら・とし)
 歴史評論家、音楽評論家
 神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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 7月10日 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「「男系男子」は本当に“伝統”なのか…歴史学から見えてくる“神話と明治のイデオロギー”
 皇統が途絶えてしまっては元も子もない
 いよいよ加熱する国民の「愛子さま人気」…女性天皇を望む声は多い
 「女系天皇を認めるしかないのではないか」と話すと、筆者のスタンスが「反日」だと決めつけられることがある。男系男子による皇位継承が途絶えるとは、すなわち「万世一系」と異なる血筋が皇統に混ざることを意味し、それでは2000年以上も純粋性が維持されてきた血統の歴史的な正統性や神聖性が失われてしまうのだそうだ。だから「女系天皇」を推すのは、日本の歴史を否定し、伝統を破壊する行為だと批判される。さらには、皇室の権威を弱体化させようと目論む意図的な主張だ、と断じられることさえある。
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 こうして「反日」のレッテルが貼られてしまうのだが、レッテル貼りをしているかぎり言葉を共有できないので、前向きで生産的な議論はできない。むろん、男系男子による皇位継承にこだわる人たちが、みな議論を拒んでレッテル貼りをするわけではない。しかし、政府が閣議決定した皇室典範の改正案が、大した議論もないまま、男系男子による継承にこだわる人たちにからめ取られてしまった内容であることには、危惧せざるをえない。
 最初に、「女系天皇を認めるしかない」と考えるのは、「反日」どころかその正反対の思いからであり、男系にこだわった結果、皇統が途絶えてしまっては元も子もないという、強い危機感の表れであることを明らかにしたい。
 現在、日本では激しい速度で少子化が進んでいるが、皇室の方々も現代日本に生きる人間である以上、少子化の流れと無縁でいられない。少子化は簡単にいえば、女性の地位が向上し、権利が認められるのに比例して進んだ。日本国憲法では男女の平等と同権が定められているが、当初は女性を差別したり、権利を制限したりする傾向は根強く残っていた。結婚するようにプレッシャーを受け、結婚すれば出産への期待がかけられた。
 しかし、いまでは女性はそれぞれのライフスタイルに照らして、結婚も出産も自由に選択できる。「なぜ結婚しないのか」「子供を産め」などといってプレッシャーをかければ、明らかなハラスメントと認定される。そういう環境では、是非は別にして少子化が進むのは避けられない。この状況は皇室の方々にとっても変わらない。そのうえ、天皇家の人間も昔と違って側室をもてないのだから(側室は皇室典範で完全に禁じられている)、今日において皇統をつなげるのは至難の業である。
 皇室典範の目的は薩長藩閥の権威づけ
 それでも皇室に入った女性は、周囲がどんなに気を遣ったところで、子供を産まなければならないというプレッシャーを受ける。社会全体ではそうしたプレッシャーが弱まっているだけに、皇室に入った女性が受けるそれは、相対的により強いものになる。しかも、男系男子による継承につなげるために、男子を産まなければならないとなれば、受けるプレッシャーの強さはいかばかりだろうか。
 また、そんな状況に置かれるとわかって、皇室に嫁ぐ女性が果たしてどれだけいるだろうか。そう考えたとき、男系男子による皇位継承にこだわるのはまったく現実的ではなく、男系どころか世襲自体が危うくなるように思えるのである。
 続いて、男系男子による皇位継承が、はたして本当に日本の伝統で、是が非でも守るべきものなのかどうかを考えたい。「男系男子」による皇位継承をはじめて明文化したのは、明治22年(1889)に制定された皇室典範だった。戦後にGHQの影響下でつくられた現行の皇室典範もそれを継承し、第1条に「皇位は、皇統に属する男系の男子たる皇族が、これを継承する」と記されている。
 筆者がまず違和感をいだくのは、明治の皇室典範に定められた内容を、「伝統」のように語って絶対視する姿勢である。
 皇室典範が制定されたのは、大日本帝国憲法が公布された直後だが、それには明確な意図があった。明治維新を先導した薩摩藩と長州藩の出身者は、自分たちにまったく権威がなかったため、政治的な権力基盤を正当化するために天皇の権威を利用した。そして、天皇の権威を政治の次元から超越させ、藩閥官僚による統治に、超越的な場所から正統性を付与してもらうために、皇室典範を制定し、男系男子による万世一系を強調したのである。
 そもそも「万世一系」自体、慶応3年(1867)10月、岩倉具視が「王政復古議」のなかではじめてつかった言葉で、天皇家やその周辺で伝統的にもちいられた言葉ではない。「男系男子」はもっと遅く、まさに皇室典範が制定されるころに誕生した言葉にすぎない。ところが、これらの「あたらしい」言葉が、日本の歴史や伝統の正統性を保証する命綱であるかのように語られ、政府の決定もそれに飲み込まれてしまっており、恐ろしい気さえする。
 神話を根拠にしていいのか
 男系男子による継承にこだわる政治家には、「神武天皇以来」と強調する人が多いが、やはり違和感をいだかざるをえない。歴史学の観点からいえば、現在の皇室の起点とされるのは第26代の継体天皇で、考古学的に実在が確認できるのは、第21代の雄略天皇からである。
 15代の応神天皇から前、あるいは10代の崇神天皇より以前は、客観的な史料でたどることができず、神話や伝説である可能性が高い。それに天皇が「大王(おおきみ)」といわれていた時代には、即位にあたって血縁よりも実力が優先されたと考えられている。継体天皇もそうして即位した。血縁による継承の傾向がたしかに定まったのは、34代の舒明天皇からだとされる。
 だが、歴史学の成果を尊重しなければならないという法はないので、「神武天皇以来」と個人的な見解を述べるのは構わないだろう。しかし、何代かの天皇は実在すら確認できないことに変わりはない。それなのに、神話かもしれない不確定な言い伝えを根拠に、皇室典範の改正案が閣議決定されるとしたら、日本は物事を事実にもとづかずに決める国家ということになってしまう。
 では、実在が確認できる継体天皇以降は、男系男子によって皇位が継承されてきたのだろうか。古代の律令の基本法典のひとつで近世まで効力があった「継嗣令」では、男系による継承を前提としつつ、女系による継承が否定されていたわけではなかった。
 宮内庁が管理する「皇統譜」では、これまで例外なく男系で継承されてきたことになっている。だが、一般論をいえば、江戸時代までの日本では、権威づけたり家格を維持したりするために、家系図は意図的に創作されることが多かった。
 考えれば考えるほど非現実的
 いずれにせよ、明治政権を樹立した薩長の下級武士たちに利用され、憲法や皇室典範によって厳格に位置づけられる前の皇室は、もっと自由だった。江戸時代は徳川幕府によって政治からは切り離され、禁中並公家中諸法度によって手足を縛られてはいた。それでも「万世一系」や「男系男子」という言葉でがんじがらめになることはなかった。
 なるべく男系で継承できれば、という程度のゆるい意識のなかで皇統は継承されてきたのに、薩長藩閥に利用され、「神武天皇から一度も血統が途絶えることなく男系で継承されてきた」という、絶対的な国体イデオロギーの体現者にされてしまった。行き着いたところは先の戦争だが、日本の伝統がゆえに戦争が起きたのではなく、日本の伝統を創作したがゆえに戦争が起きたのである。
 男系男子による皇位継承にこだわる人たちは、今後、どうやって男系による系統が守れると考えているのだろうか。旧宮家の子孫を養子に迎え、その子が即位した場合には、皇統は室町時代に分家した系統に移ることになるが、それで本当に皇位の継承といえるのだろうか。だが、その前に、望んで養子になる旧宮家の男性がいるのだろうか。その人のもとに男子が生まれるのだろうか。考えれば考えるほど、非現実的な話に思えてくる。
 だが、非現実とわかっていても突き進むとしたら、過去の歴史に見られたなにかが想起されてしまうが、その先はやめておこう。「女系天皇を認めるしかない」。それしか皇統を存続させる道はないと思うのだが、同時に、非現実的な要素を除外して考えたとき、それがもっとも皇室の伝統に近い選択だと思うのである。
 デイリー新潮編集部
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🌏13)─9・⑤─薩摩の郷中教育が数多くの維新の英傑を輩出した。~No.45 

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   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の伝統的教育が、日本天皇を守り立て、日本国を危機から救い、貧しい日本社会を発展させ、子供達を明るい未来に導いてきた。
 伝統的教育とは、覚悟を持って進む事である。
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 島津重豪は、片田舎で文化度が低く技術力が劣っていた薩摩藩を改革し、野卑で粗暴な薩摩藩士の意識変革をもたらした。
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 長州藩の英傑は、天皇主義の吉田松陰が開校したに松下村塾から生まれた。
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 近代日本の愛国・保守・民族そして軍国は、西の田舎から生まれた。
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 2026年7月3日 YAHOO!JAPANニュース 草の実堂「なぜ薩摩から維新の英傑が続出したのか?ラストサムライを生んだメソッド「郷中教育」とは
 画像:戊辰戦争における薩摩藩士 public domain
 日本が欧米列強と肩を並べる国家となるか、はたまた植民地として支配されるかの瀬戸際だった幕末期、多くの維新志士が日本を新しい時代へ導くために活動した。
 特に維新三傑に数えられる西郷隆盛と大久保利通は、薩摩で生まれ、幼少期から鹿児島城下の加治屋町で共に育った幼馴染同士だった。
 彼らの盟友関係がなければ明治維新の実現は大幅に遅れていたともいわれており、もしそうなっていれば今日の日本は存在していなかったかもしれない。
 お互いに下級武士の子として生まれた西郷と大久保を引き合わせ、維新の英傑となる礎を育んだのは、薩摩藩独自の教育システム「郷中教育(ごじゅうきょういく)」だった。
 今回は、幕末最強と謳われる薩摩武士の団結力や精神力の根源であった「郷中教育」や、同郷で育った維新の英傑西郷隆盛と大久保利通の関係について掘り下げていきたい。
 郷中教育の仕組み
 画像:Sakoppi wiki c Sakoppi
 郷中教育とは、薩摩で行われていた独自の青少年教育だ。
 古くは島津家中興の祖と呼ばれる島津忠良の時代に端を発するとされるが、地域ごとに郷中という集団を編成する体制が整えられたのは、江戸時代中期頃のことである。
 「郷中」とは、方限(ほうぎり)と呼ばれる一定の区画内に住む、中下級武士の子弟から成る集団のことで、それぞれの郷中に所属する6歳以上の男子が教育の対象となり、本人の能力および親の地位や財力に関係なく、年齢差のみで判断される上下関係が絶対とされていた。
 教育とは言っても、現代の学校や塾などの教育機関とは異なり、直接子どもたちを指導する教師は存在しなかった。
 郷中教育では先輩が後輩を指導・教育する形式が採られ、6歳から10歳までの子供が「小稚児(こちご)」、11歳から15歳頃までの元服前の少年が「長稚児(おせちご)」、元服後から25歳までの青年が「二才(にせ)」、それ以上の年齢の大人は「長老(おせ)」と呼ばれた。
 小稚児の教育を長稚児が、長稚児の教育を二才が、そして二才の監督や全体の見守りを長老が行うという形で、最初は教えられる側だった年少者たちが成長を経て、後輩に教える側にもなる。
 異なる年齢の子どもたちが集まって学び合うことにより、お互いに甘えは許されなくなる。
 年長者は教える者としての強い責任感を持つようになり、年少者は先輩から自主的に物事を学ぶようになっていったという。
 郷中教育の教育内容
 画像:薬丸野太刀自顕流の奉納前の稽古の様子。郷中教育では剣術として薬丸野太刀自顕流の稽古を取り入れていた。 wiki c T/Y
 郷中教育の教育内容は多岐に渡り、詳細は郷中ごとの自治に任されてもいたが、文字の読み書きや儒学などの学問に加えて、剣術や水泳、山歩きなど肉体を鍛えるための実践的な科目も取り入れていたとされる。
 中でも特徴的なのは、「僉議(せんぎ)」というディスカッション形式の議論が行われていたことだ。
 僉議では明確な正解がないテーマ、たとえば「有事の時、主君と親のどちらを取るか」などの倫理観を問う問題に対して、その日1日で学んだ内容をもとに、各々の考えを発表して意見を交換し合う。
 僉議の際は、問を投げかけられたら必ず即座に答えなければならず、さらには自分の考えを筋道立てて説明し、周囲からの問いかけに答えながら、武士としてどう判断し行動すべきかを深く考えることが求められた。
 難しい問題に関して自分自身の考えを述べ、仲間と話し合いを行う経験を積むことにより、薩摩の若者たちは自主性や判断力、そして団結力を鍛えていった。
 郷中教育で行われていた僉議は、薩摩という地域が政治の中心地である江戸から遠く離れていたからこそ、人材育成のためには欠かせない科目だった。
 立地的に諸外国との接触機会が多かった薩摩では、重要な判断をする場面でいちいち幕府の返答を待っていては話がまったく進まず膠着状態となり、もたもたしていれば藩の存続すら危うくなる可能性があった。
 僉議で培われた臨機応変な判断力と自主性は、諸外国の圧力が強まり幕府の権威が失われていった幕末に花開き、薩摩藩士の中から明治維新の立役者の多くが輩出されたことに繋がったとされる。
 血気盛んな若武者に課せられた厳格な規則
 画像:太平記英勇伝八十三:新侶武蔵守唯氏(新納武蔵守忠元) public domain
 郷中においては、10代後半から20代前半の血気盛んで素行が荒れやすい二才に対して、守るべき厳格な規則も課せられていた。
 島津家家臣の戦国武将・新納忠元(にいろ ただもと)は、島津義弘と兵たちが文禄・慶長の役で薩摩を長期間留守にした際、『二才咄格式定目(にせばなしかくしきじょうもく)』を定めて、士気が緩み始めていた青少年の行動を取り締まった。
 今日では否定されているが、かつてはこの『二才咄格式定目』が郷中教育の起源になったと考えられていた。
 『二才咄格式定目』では、常日頃から武道の鍛錬を行い武士としての品格を油断なく保ち続けること、どんな困難な問題も仲間内でよく話し合って処理することなど、薩摩の武士として当然守るべきとされる規則が定められていた。
 さらには嘘を吐かないこと、弱い者いじめをしないこと、さらには異性との一切の交遊禁止など、日常において二才が守るべき規則が事細かに定められ、1つでも規則違反が見つかれば二才を名乗る資格はないとされた。
 鹿児島は男性優位の「九州男児の県」というイメージを持たれることがあるが、これはかつて郷中で培われていた極端な女性忌避精神の影響が大きいとする説もある。
 郷中教育においては、二才は外で女性と接点を持つだけではなく、女性に関する話をすることすら戒められ、性欲を厳しく制御して鍛錬に励むべきと定められていた。
 年頃の男子に対する厳しい禁欲と厳格な縦社会の影響で、日本全体では近世後期以降に男色文化が目立たなくなっていく一方で、薩摩では独自の形で長く残ったとされる。
 郷中教育の中で青少年時に繋がれた絆は途切れることなく続き、その結束力が薩摩武士の強い団結力と素早い決断力、そして英国の艦隊とも渡り合った戦闘力の源になったという。
 同じ郷中で育った西郷と大久保
 画像:西郷隆盛の生誕地付近(鹿児島市加治屋町)wiki c Doricono
 維新三傑として知られる西郷隆盛と大久保利通は、お互いに薩摩国鹿児島郡加治屋町(下加治屋町方限)の郷中や藩校造士館で教育を受けた幼馴染だった。
 年齢差は西郷が1828年生まれ、大久保が1830年生まれで、西郷が約2年8か月年上である。
 西郷は11歳頃に、郷中仲間と他の郷中の人間との喧嘩の仲裁で負ったケガの後遺症で刀が握れなくなり、学問で身を立てようと志した人物だった。
 一方で大久保は胃弱のため武術は苦手としていたが、学問において郷中では抜きんでて優れていたという。
 人情に厚く大らかな西郷と、理詰めで冷徹な大久保は正反対と言える性格だったが、郷中で学び合う中で互いに認めあい信頼しあう“信友”同士となっていった。
 1850年に薩摩藩のお家騒動「お由羅騒動」が起きて大久保の父が流罪となり、父に連座して職を解かれ謹慎処分となった大久保は、その日に食べる物にも困るような貧しい生活を強いられたが、その窮地を救ったのが西郷だった。
 画像:薩摩藩士時代の大久保(明治元年頃) public domain
 下加治屋町郷中のリーダー格となっていた西郷は、自らも決して裕福というわけではなかったが、食うや食わずの大久保を実家に招いて食事を共にしたという。
 大久保は苦難の時を西郷の助けで乗り越えた後、島津斉彬が藩主となってから復職して、斉彬の死後に西郷が流罪となった際は仲間らと協力し、西郷の復帰を後押しした。
 しかし2人の念願が叶った明治維新後まもなく、西郷と大久保は政治方針の相違により決裂してしまう。
 やがて西南戦争で政府軍と敵対する立場となった西郷の自決の報せを聞いた時、大久保はうろたえ号泣し「あなた(西郷)の死とともに強く新しい日本が生まれる。」とつぶやいたと伝わる。
 「西郷の心がわかるのは俺だけだ」と話し、西郷との別れを悔やみ続け、西郷の伝記の執筆の依頼をも計画していた大久保だが、西郷の自決から約8ヶ月後の1878年5月14日、東京紀尾井町で不平士族に斬殺された。
 死の直前の馬車の中で大久保は、生前の西郷から送られた手紙を読んでいたと言われている。
 明治期の日本を率いた加治屋町出身者
 画像:維新ふるさと館と甲突川。遠くに見える山は桜島。 wiki c 鹿児島市
 「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである。」
 作家の司馬遼太郎は、加治屋町についてこのように述べた。
 加治屋町出身で、西郷や大久保と同じ下加治屋町郷中に所属していた著名な人物としては、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛、吉井友実、税所篤、黒木為楨などがいる。
 江戸時代までの加治屋町は、島津家直臣の中では最も低い身分の武士たちが住む区域であったにもかかわらず、明治政府の要職を担った人物の多くが下加治屋町郷中から輩出されたのだ。
 お互いが自らの信念を貫いた結果、明治維新の立役者であった西郷と大久保は悲痛な別れと最期を迎えることとなったが、彼らを育てた教育がなければ日本の未来は変わっていたのかもしれない。
 偉人は国家の窮地に突然登場するものではなく、幼い頃からの教育や経験の結果として生まれるものだ。
 過去に限らず現代の日本にとっても、後進の教育や育成はより一層重要な意味を持つことになるだろう。
 参考 :
 塩野時雄 (著) 『薩摩の郷中教育に学ぶ 最強の後継者育成』
 日高正信「郷中教育における話し合い活動 詮議について」他
 文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部
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 郷中(ごじゅう)は、一定の区域を画して定められた方限(ほうぎり)を単位とし、そこに住む中下級武士の子弟から成る集団、あるいは集団の教育組織のことである。薩摩藩の郷中では、独自の青少年教育が行われ、郷中教育と呼ばれる。類似するものに、会津藩の「什」がある。
 概要
 郷中の起源は島津義弘によるとされている。郷に住む6歳以上の男子が郷中教育の対象となり、区分とその呼称は地域によって異なるが、6歳から15歳未満までを「稚児」、元服後から24、25歳までを「二才(にせ)」、それ以上を「長老(おせ)」と呼称した。郷中教育においては、先輩が後輩を指導する形式が採られた。具体的な教育方法は郷の自主性に委ねられた。また、二才については、武士の心構えに関する教育は希薄で、身体鍛錬のみを目的とした団体だった。薩摩藩も二才の粗暴な行為を禁じていた。
 島津吉貴は、地域ごとに組を編成する体制を整え、組頭に二才の行動を取り締まらせる一方で、学問や武芸の教育は親の責任とした。また、年少者であっても武士の身分と格式の重さを自覚し、武士にふさわしい言動を取ることを求めた。これが方限の稚児指導に繋がったと考えられる。郷中教育の兵児二才制度では年齢差が絶対であり、それ以外の属性は無効とされ、厳しい規則のもとで鍛錬が行なわれた。薬丸自顕流が体育・思想教育として用いられた。
 安永2年(1773年)、藩校の造士館と武芸稽古場の演武館が創設されると、造士館・演武館以外の場における武術教授や、下級武士による郷中における集団的活動は禁止された。しかし、幕末に鎌田正純が郷中教育を活性化し、西田方郷中の士風を刷新した。正純は、藩意の下、士風粛正の手段として文武を奨励し、剣術の稽古を出席制で行った。
 明治維新で武士階級は消滅したが、西南戦争後も郷中教育を継承する学舎(がくしゃ)が多数作られた。2025年(令和7年)時点での鹿児島県では、青少年の社会教育の場として機能している学舎は少なくなっている。
 1908年(明治41年)に創設されたボーイスカウト運動に影響を与えたと言われ、創設者のイギリス軍人・ロバート・ベーデン=パウエルがロンドン郊外でボーイスカウトを参観していた乃木希典に対し、鹿児島県の健児之社を参考にしたと述べたという伝承があり、鹿児島市長・上野篤はその際に「これは貴国・薩摩に於ける健児之社の制度を研究し、その美点を斟酌して組織したるものに外ならず」とパウエルが乃木に回答したと述べている。
 →地域により異なる稚児の区分と呼称については「稚児 § 薩摩藩の稚児」を参照
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 2023年3月22日 JBpress「才能ある志士を輩出した薩摩藩の画期的な教育システム、郷中教育の真髄とは?
 幕末維新史探訪2023(9)薩摩藩はなぜ、明治維新を成し遂げられたのか③
 町田 明広
 歴史学者
 自顕流稽古 写真提供=野太刀自顕流兵法会
 目次
 薩摩藩の画期的な教育システム
 郷中教育の特徴とは
 リアリズムを育んだ郷中教育
 郷中教育の真髄は何か
 (町田 明広:歴史学者)
●薩摩藩はなぜ、明治維新を成し遂げられたのか①
●薩摩藩はなぜ、明治維新を成し遂げられたのか②
 薩摩藩の画期的な教育システム
 幕末の薩摩藩は、時代を切り拓ひらいた才気あふれる多くの志士たちを輩出したが、その要因の一つとして薩摩藩特有の教育を挙げざるを得ない。薩摩藩には、例えば長州藩の松下村塾のような、有名な私塾は存在しなかったが、それは私塾が必要ないほどにしっかりとした、「学びのシステム」が確立していたからである。すなわち、郷中(ごじゅう)教育と言われたものである。今回は、薩摩藩の特殊性を紐解く最終回となるが、教育の側面から迫ってみよう。
 さて、そもそも薩摩藩は人口の4分の1が武士であり、その薩摩武士は南国特有の荒くれ者であった。彼らの謀反の芽を摘み取り、かつ風紀の乱れを監視して是正し、しっかりと抑え込んでおかないことには、国として統制を取ることができなかった。そのため、島津家が家臣に徳育(道徳教育)を行い、忠誠心を涵養するために生み出したのが、この郷中教育だったのだ。
 それにプラスして、幕末期に近づくと近海に外国船が出没を始め、琉球にも通商を求めて押し寄せるようになっていた。こうした対外的な危機的状況にも対応できる人材育成も、薩摩藩にとっては急務とされた。
 こうした需要に対して、郷中教育のシステムは非常に合理的であり、西郷隆盛や大久保利通のようなリーダーを育むものとして、他に類を見ない画期的なものであったのだ。
 郷中教育の特徴とは
 郷中教育の最大の特徴は、鹿児島城下の武士居住区を36の方限(郷)に区分し、地方の100以上の外城を合わせて150近い「郷中」を設置し、郷中を単位として青少年の
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🏕48)─1─日本民族は自然を崇拝し自然を畏れ日々の気象変化に一喜一憂して生きてきた。~No.102No.103 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 明治新政府は、ロシアとの戦争に勝つべく、国民を犠牲にしてまで富国強兵・殖産興業・近代教育を押し進める為のエネルギーを確保すべく、廃仏毀釈と神社合祀令で宗教的に保護されていた山野の木を乱伐して自然を破壊していた。
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 昭和天皇と南方熊楠ら一部の学者は、日本の自然を回復し保護する為に行動していた。
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 2026年5月10日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「生物多様性の概念を早くから訴えた…南方熊楠が考える「自然を保護する」とは何か
 FRaU編集部
 世界にまるで不用の物なし。多くの菌類や黴菌は、まことに折角人の骨折って拵えた物を腐らせ悪むべきの甚だしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチも三進もならず。―「鼠に関する民俗と信念」『十二支考』より
 超人的な知見を繋ぎ合わせ、この世の森羅万象を理解しようとした知の巨人・南方熊楠(みなかたくまぐす)。
 彼の肩書は実に多く、若くして世界を渡り歩いた博物学者であり、熊野の森で粘菌の研究・発見に明け暮れた生物学者でもある。さらに伝承や民衆文化に精通した民俗学者の顔もあった。そして今、再評価されているのが“自然保護運動の先駆者”としての熊楠だ。生物多様性の概念を極めて早くから訴えた彼とは何者だったのか?
 和歌山が生んだ知の超人
 熊楠の生まれは和歌山県。家業は金物商で、幼い頃から本を読むこと、野に分け入って自然物を観察・採集することに熱心だった。驚異的な記憶力を持ち、105巻にも及ぶ博物学書『和漢三才図会』を暗記によって筆写したという逸話も残る。
 進学のために上京すると、東京大学予備門(旧制一高の前身)に入学。夏目漱石や正岡子規と机を並べるが、自分の興味だけを追求する彼の性格は学校での勉学と相性が悪く、落第の末、自主退学する。その後、19歳でアメリカへ留学。そこからイギリス・ロンドンに渡ると大英博物館に足繁く通い、豊富な知識を生かして東洋美術部門のアドバイザーにまでなる。
 世界的学会誌『ネイチャー』にも数多くの論文が掲載され、学者としての評価を確固たるものにしていった。帰国後は和歌山・那智を経て、田辺に定住。粘菌学、植物学、天文学、宗教学……とジャンルを超えた研究を生涯続け、酒と甘いものを好み、庭に来る猫を愛でながら、数多くの文化人と交流を重ねた。
 生物多様性の概念を早くから訴えた…南方熊楠が考える「自然を保護する」とは何か
 © 現代ビジネス
 日本に広めたエコロジーの概念
 以上が、駆け足でまとめた彼の人生だ。こぼれ落ちたエピソードは山のようにあり、その偉業を知ろうとするだけで膨大なエネルギーを要する。そんな知の超人が、帰国後に力を尽くしたひとつが環境保護運動だった。
 明治末期の日本では、政府による神社合祀が実施され、祠や神社が次々と取り壊されていった。無惨に切り倒される境内の木々。熊楠は自身が新種の粘菌を発見した猿神社の廃社を知り、危機感を強める。神社が失われるということは、そこにある生態系のすべてが失われるということ。熊楠は神社合祀の反対を訴え始めた。
 熊楠の反対運動は主に各方面の有力者へ手紙を送ることだった。幸いかつての学友たちは社会的に影響力のある役職にあり、また、熊楠の論文がきっかけで生まれた縁もあった。そのひとりが民俗学者の柳田國男。当時、政府の官僚だった柳田への手紙では「ecology」という英語を用いて、自然破壊への危惧を説いている。また、同年に和歌山県知事に送った書簡には明確にこうある。
 「千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係甚だ密接錯雑致し、近頃は『エコロギー』と申し、此相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出来り居る事に御座候」
 熊楠は早くから植物の相互関係に着目し、地球をひとつの生態系として捉える視点を持っていた。そして、その考えを世界の潮流を踏まえて日本に広めようとしていたのだ。
 自然を「保護する」とは何か?
 熊楠の反対運動によって守られたものに熊野古道や無人島・神島がある。神島は国の指定天然記念物となり、島への上陸は禁止となったが、これで自然が保護されたかというとそうではない。以後も人が密かに侵入して有用木の伐採を行ったり、鵜の急増やドブネズミの大繁殖が問題となった時期もあった。一度バランスが崩れた生態系は、保護区に指定するだけで守れるほど単純ではないと痛感させられる。
 熊楠の「世界にまるで不用の物なし」に続く言葉は実に現実的だ。あらゆるものが土に還る世界。それが地球のあるべき姿で、そこに立ち返ることが現代社会に求められている。
 『十二支考』
 1994年発行。1914年から10年間にわたって雑誌『太陽』に掲載したエッセイをまとめた書。上下巻から成る。鼠から猪まで十二支に登場する動物について、生物学から民俗学、宗教学まで縦横無尽に行き来しながら、軽快な文章で考察する。なぜか丑についての章はなし。民俗学的なエピソードの割合が多いからか、難解とされる熊楠の著書の中では比較的親しみやすい内容になっている。馴染みある動物を通して、彼の博覧強記ぶりに驚嘆できる。
 南方熊楠
 1867年和歌山県生まれ。博物学、民俗学などに精通し、それらの分野の日本における先駆者とされるが、肩書や学位に興味がなく、生涯、学会などに属することなく独自に研究を続けた。植物学の分野では変形菌の研究に大きく貢献。日本の変形菌相に178種を新たに追加した。関心は精神世界へも及び、仏教的世界観を視覚的に表現した「南方マンダラ」などを通して、多角的な視野でこの世の森羅万象に触れようとした。1941年没。
 参考文献:『十二支考 下巻』南方熊楠著(岩波文庫)、『別冊太陽 南方熊楠森羅万象に挑んだ巨人』(平凡社)
●情報は、『FRaU SDGs MOOK つながるから、生きられる 生物多様性とダイバーシティ。』発売時点のものです(2025年5月)。Illustration:Asami Hattori Text & Edit:Yuka Uchida Cooperation:Minakata Kumagusu Archives
 生物多様性とダイバーシティを特集したFRaU SDGs MOOK発売中!
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 5月18日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス FRaU「「人が成長のためにいかに自然を切り開き、手放してきたのか思い知らされる」森と海が教えてくれたこと
 自然の中に身を置くと、いつも必ず新しい発見や気づきがある。風景はもちろん、音や匂い、光や空気、そして生きものたちの気配……。感性や学びの扉を開いてくれた、かけがえのない森と海について聞きました。
 水俣の海から見つめ直す、人間のおごりと未来。
 稲葉俊郎/医師、医学博士
 森と海は水がつなげています。人間を含めた生命もその大きな循環の環の中にあります。水への関心こそが自然のつながりを呼び覚ますカギになると考えています。不知火海は水俣病が発生した悲劇の場でありながら、圧倒的な美しさをあわせ持つ海。その超自然的な美しさがあるからこそ「何をしても大丈夫だろう」という自然への甘えが生まれ、自然破壊の場になったのかもしれないとさえ感じます。気候変動が激しい現代だからこそ、この地に目には見えない無数の生類が生きていることを思い、もう一度水俣の悲劇を見つめ直し、人間と自然との新しい関係性を結び直すことが必要なのではないでしょうか。
 【森】軽井沢/長野県
 「人が成長のためにいかに自然を切り開き、手放してきたのか思い知らされる」森と海が教えてくれたこと
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 軽井沢町は町全体が森のような場で、森を日常の中に取り入れながら、その優しさも厳しさも感じられます。自然と自分とが一体のものであると知れば、自然の痛みは自分の痛みにつながる。死者は山に帰り、神となり祖先となり、子孫を見守る。そうした生と死の循環の感覚さえも生活から感じられるのです。
 【海】不知火海(八代海)/熊本県
 「人が成長のためにいかに自然を切り開き、手放してきたのか思い知らされる」森と海が教えてくれたこと
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 幼少期を水俣で過ごしました。水俣病は工業文明が生んだ公害でもありますが、日本人が信仰する「自然」という神の存在がよくわからなくなった象徴的な出来事であるともいえます。今も日本中、世界中で自然破壊の動きは止まっておらず、水俣病と不知火海から受け取る教訓はたくさんあると思います。
 いなば・としろう/東大病院、軽井沢病院を経て、慶應義塾大学SDM特任教授、武蔵野大学ウェルビーイング学部客員教授など。湯治や芸術と医療が融合したwell-beingな場の実践に関わる。近著に『肯定からあなたの物語は始まる』(講談社)。
 人間が手放してきたものは何か、改めて考える時間。
 井伊百合子/スタイリスト
 自然の中に身を置くと、豊かな木々や美しい水は地球の巡りによって保たれてきたのだと感じます。そこでは何の役割も求められず、虫や魚や動物たちと同じくただの人になることができる。大きな巡りの中の一部になったような感覚です。子どもたちとともに過ごすとき、より強くそう感じます。ゲームやYouTubeがなくても好奇心は満たされ、感受性は鋭くなる。一方でそんな景色が当たり前ではない今、人が成長のためにいかに自然を切り開き、手放してきたのかも同時に思い知らされます。成長を止めることは難しいけれど、その速度や方法について改めて考える機会をたくさんもらっています。
 【森】八ヶ岳・天狗岳の苔の森/長野県
 「人が成長のためにいかに自然を切り開き、手放してきたのか思い知らされる」森と海が教えてくれたこと
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 水を含んだ苔の深い緑色と、清々しい香りに満たされた森。子どもたちと一緒に湿った苔に触れてみたり、匂いを嗅いでみたり。近くで見つめると、その繊細な造形に驚かされます。家では喧嘩ばかりの子どもたちですが、この森では彼らに向き合う私自身も含め、苔にならって柔らかくいられるようです。
 【海】積丹半島/北海道
 「人が成長のためにいかに自然を切り開き、手放してきたのか思い知らされる」森と海が教えてくれたこと
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 泳ぐには遠すぎるし、船では入っていけない岩の間を抜けてカヤックを漕いでゆくと、人工物の全くない景色に出合えます。“積丹ブルー”とも呼ばれるこの海の美しい色を知れてよかったと心から思います。凪のときは心を鎮めてくれますが、風向き一つでとたんに険しくもなる。そんな“かなわなさ”にも惹かれます。
 いい・ゆりこ/雑誌や広告、俳優のスタイリングを手がけるほか、現代の生活に馴染む着物を提案する〈THE YARD〉でアドバイザーを務める。プライベートでは登山やカヤック、スキーなど、季節を通してさまざまなアウトドアを楽しんでいる。
 森と海を近くに感じれば、暮らしは変わる。
 按田優子/料理家
 幼少期から夏の行楽といえば海水浴で、家族でよく訪れた大好きな三浦半島に移住しました。ほぼ裸みたいな恰好で海でボーッとするのは最高の時間。今暮らす古民家は鬱蒼とした森の中にあり、かつて訪れたペルーの森に似ています。そこは植物の種類が豊富で、雨期にはさまざまな実がなり、たとえようのない味を堪能できました。我が家では生活排水は直接庭に流れます。海や庭(森)が近いので、洗剤や石鹸を使う量が格段に減りました。庭が荒れないよう植物を観察して手を入れたり、不要な枝を切って空気の流れをつくったり。自然とともにある暮らしはシンプルで、多くの知恵を授けてくれます。
 【森】KIZUNA農場/ペルー・アマゾン
 「人が成長のためにいかに自然を切り開き、手放してきたのか思い知らされる」森と海が教えてくれたこと
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 ジャングルにある土地を森に戻しながら作物を栽培するプロジェクトに食品加工専門家として参加。毎日果物や木の実を拾い、野草を摘んで暮らしました。その後も10年ほど通っていて、見たことのない花の開花に遭遇したり、ずっと探していた原種のカカオの木を発見したり。いつも驚きをもらう場所。
 【海】三浦半島・東京湾側の海/神奈川県
 「人が成長のためにいかに自然を切り開き、手放してきたのか思い知らされる」森と海が教えてくれたこと
 © 現代ビジネス
 子どもの頃は砂浜でしたが、今は岩場で泳ぐのが好き。ある日、私の秘密の場所に見知らぬおじさんがいて「この海の泳ぎ方を教えてあげよう」と、手をつないで海の中を案内してくれました。彼は波を読みながら、空を飛ぶように泳ぎました。それはold man’s wisdomに触れたような、不思議な出来事でした。
 あんだ・ゆうこ/2012年より写真家の鈴木陽介と共同経営で〈按田餃子〉を開店。食品加工専門家としてペルー・アマゾンに通うこと6回。著書に『たすかる料理』(リトルモア)など。『まぁまぁマガジン26号 按田優子という宇宙』が発売中。
●情報は、『FRaU SDGs MOOK 森と海が教えてくれる、気持ちのいい暮らし』発売時点のものです(2025年12月)。
 text & edit YURIKO KOBAYASHI
 2025年12月17日(水)発売 価格:1200円(税込)
© 現代ビジネス
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 6月1日 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「【ちょっと怖い話】「防災」「治山」事業が自然破壊につながるかもしれないってホント?自然にやさしいやり方とは
 写真 1 自然教育園の散策路
 山手線の目黒駅から東へ歩いて10分、国立科学博物館付属の自然教育園がある。港区白金台というところだから、都心も都心である。
 【画像】【ちょっと怖い話】「防災」「治山」事業が自然破壊につながるかもしれないってホント?自然にやさしいやり方とは
 中世に白金長者の屋敷があったとされ、土塁などの遺構が残されている。近世には武家屋敷、明治に弾薬庫、大正には御料地、戦後は文部省の国立自然教育園と変遷を繰り返して、現在に至っている。知る人ぞ知る都会のど真ん中の森林なのだ。
 連休明けの日曜日、さわやかさにつられて自然教育園に行った。あらためて原生林と見まごう高木の群れに驚いた。放置された里山の将来像がここにあるのなら、何とも頼もしいことである。
 それにしても入園者が少なく快適に散策ができた。環境保護のため常時入園者数を300人以下にしているそうだが、この日は入場者を制限していなかった。近くの渋谷の街では人が溢れかえっているというのに、森林に対する関心がいかに低いかを表している。
 都会人は常に内向きに生きているが、もっと周辺の森林に目を向けた方がいいだろう。今回はそこで起こっているちょっと怖い話をしてみたい。
 防災事業の光と陰
 これまで2回にわたって保安林について述べてきた(「今こそ噛みしめたい、保安林のありがたみ!人々の命を守る森林の機能、厳しい規制は仕方のないこと」「豪雨被害も食い止める「治山」は都市化が進む社会でも必要不可欠な存在!時代遅れの保安林制度…期待したい林野庁の大英断」。それは治山の本来の趣旨が森林による防災や環境保全にあることを知っていただきたかったからである。
 ところが防災にも陰の部分がある。自然災害から人々の命を守るのだから何ものにも優先するものとして疑いを持たないことが多い。ところが、その手法が土木工事である限り、自然破壊を伴うものであることを忘れてはならない。 
 写真2は、とある国有林である。ある時、国土交通省からここで砂防事業を行いたいと言ってきた。
 ところで、砂防と治山の違いがわかるだろうか。林野庁の職員でもこのことを明快に答えられる人は少ないと思う。
 確かに治山ダムと砂防ダムといった防災施設を見れば、ほとんど同じに見える。よくある話なのだが、会計検査の現場で治山ダムを目の前にして、検査官から治山と砂防違いは何かという基本的な質問をされて狼狽する担当者が多いのだ。
 前回述べた通り、山地≒森林が理解できれば答は簡単だ。治山=治林であって、森林で山地災害をコントロールすること、すなわち森づくりが治山の基本なのである。簡単に言えば、山地の森林を維持・造成することによって、森林で面的に制御するのが治山なのである。
 したがって主となる工事は森林造成なのだが、それらと一体的に渓流浸食とか山腹崩壊の防止が必要な場合、補助的手段として治山ダムや山腹工などの土木工事が行われる。ところが、森林造成よりも土木工事の方が見た目派手だし、技術的にも複雑であり、費用も各段にかかるので、補助的手段の方が治山の主役と見られるようになってしまった。
 それに対して、砂防は主に河川やその上流部の砂防指定地を対象としている。森林を対象とする治山と違って、砂防は主に水の流れに沿った防災を目的としているので、砂防ダム等の土木工事が主体となるのは当然であろう。
 そこで写真2である。砂防の担当者によれば、不安定土砂が大量にあるので3階建てぐらいの高さで幅の広い砂防堰堤を建設してその流出を防止したいというのだ。
 だいたい役人は、不安定とか防災とかいう言葉に弱い。自分の責任逃れで、つい安全側に立ってしまう。この時もうっかり乗せられそうになったが、よく考えた。
 よく見れば樹木が生えていて、夏ならもっと緑が豊富で自然豊かなところだろう。こんなところにビルディングのような高くて長大な堰堤を拵えて、景観を壊し、生態系を分断して自然破壊にならないのか。想像しただけでも身震いがする。
 不安定土砂も曲者だ。少なくとも10年生以上の樹木が生えているし、下層植生もある。土砂が動くうちは植生が定着しないから、10年以上は動いていないはずだ。保全対象となる集落等からも相当の距離があるし、まず土砂流出の恐れはないと判断して、砂防堰堤の建設はご遠慮願った。危ういところで、自然破壊と予算の無駄遣いを食い止めたと思っている。
 ちなみに写真2をもう一度ご覧いただきたい。このような岩石がゴロゴロするところにも立派とは言えないにしても、森林が再生しているのである。落葉広葉樹だけではなくアカマツなどの針葉樹もあって結構多様性に富んでいる。森林再生の手法は造林だけと考えている森林家が多いようだが、現地から学ぶことはかように多様である。
 治山工事は両刃の剣
 ところが治山事業でもとんでもない事案に遭遇したことがある。
 写真3のような崩壊地を治山工事で復旧させようというのだ。それはいいのだが、この崩壊地は渓流の奥まったところにあって、そこで工事するには施工資材・機材や人員の運搬のため県道から長い工事用道路を開設する必要があるのだ(写真4)。
 典型的な5字谷で、急傾斜の山腹に道をつけるのは容易ではない。すでに何カ所か崩壊しており、それらも復旧しながらの道路開設なのだが、写真5から分かるように右側の切土法面の斜度と高さを見れば、この道路工事の困難さが容易に見てとれる。
 しかも、切り取った土砂を谷へこぼさないようにするのも難事であり、豪雨や雪による崩壊の危険性も増す。ただでさえも斜面に開設した道路は災害の誘因となりやすいのだから、とんでもないところに手を付けてしまったものである。
 どうしてこんな工事が採択されるのだろうか。
 治山事業もいわゆる公共事業の1つであって、防災施設という公共財を建設することによって地域に経済効果をもたらすという2面性をもっている。個々の事業の採択に当たっては、公共財としての重要性が優先するはずなのだが、地域の経済効果の発揮に傾くケースが往々にして見られる。
 その要因は、公共投資額の地域間のバランスの維持にある。特に防災工事のように個々の緊急性が違う事業については、連年の事業費配分が変動することが多く、地域間で不満が生じることが多い。そこでこれを解消するため、緊急性の順位が低い工事であっても、事業費配分の地域間バランスを維持するために行われることがある。
 さらにそこに省庁間の予算配分のバランス維持の問題が加わって、様相は複雑化する。すなわち、本来優先順位の低い工事であっても、当該省庁の予算規模を維持するために、行われることがある。端的に言えばナワバリの確保である。
 ここの工事もそうした臭いが濃厚である。写真3の箇所は、相当古い崩壊のようであり、自然復旧していないところを見ると現在でも土砂が動いている可能性はあるが、谷の最奥部で下流の保全対象までは相当距離があって、緊急性は高くないと思われる。まずは山腹工事で崩壊を直接抑えるのではなく、航空実播などによって緑化を試みて様子を見るのが最善のようだ。念のため谷の出口付近の県道からアクセスのよい部分に土砂止めの治山ダムを建設して、崩壊地からの流出土砂をせき止める予防措置講じれば、当面は十分ではないか。
 一番の問題は、工事用道路が新たな土砂崩壊の誘因になることである。この谷はツガやモミの天然林で森林施業の痕跡があまりない。このような自然度の高い森林を撹乱することは、防災を大義名分にかざしてはいるが、森林を守るという本来の森林行政への裏切り行為であろう。
 しかし、往々にしてそのような高い視座からの行政判断は見られない。結局のところ森林技術が、治山、木材生産、造林などの分野に細分化された寄せ集めに過ぎず、それらを総合的に勘案して森林を守るためにどうするべきかという最も重要な視点が欠如しているのである。
 予算をかけて森を悪くする
 せっかく予算を確保して現場に投じた資金が、森林の質の向上や量(面積や蓄積)の増加に役立っているとは限らない。前項に見られるような適切さを欠いた仮設工事による森林・林地の破壊もその一角である。
 治山事業ではないが、木材生産の伐採・搬出作業で粗雑な作業道に起因する表層崩壊もその最も顕著な例であろう。治山工事を請け負う土木建設業者たちは、災害復旧工事の仕事が増えるので、大きな声では言えないが、ありがたいと口をそろえる。
 山荒しの代名詞となる作業道については、SNSなどいろいろなツールで紹介され、行政当局も十分承知しているはずなのに、どうして指導を徹底しないのだろうか。林野庁のホームページを見れば、美しく描かれた森林のポンチ絵が飾られているが、現場の破壊された森林・林地との乖離に心が痛まないのであろうか。
 とにかく行政は予算の拡大・確保が至上命題であって、そのためには肝腎な森林・林地を傷つけてもかまわないと思っているのだろう。現場に立つとそのことがよくわかる。現場職員の人たちは忖度せずにそのことを上部に訴えてもらいたいものだ。
 自然にやさしい治山
 林野庁もいいことはやっている。生物多様性の復元と持続的な地域づくりを進める赤谷プロジェクト(群馬県みなかみ町)では、治山ダムによって分断された渓流の生態系を回復させるため、既存の治山ダムの中央部を開削した。
 これによって上下流の水流の連続性が回復し、魚類や水生昆虫の往来が可能となった。もちろん洪水時には土石の流下抑制にも役立つ。
 この工事の担当者は、旧弊を打ち破るのに苦労したようであるが、それは容易に予想されることである。しかし、このような先進的・技術的取り組みは、広大なフィールドを擁する国有林においてこそ積極的に行うべきことと評価したい。
 ポンチ絵ばかりなく壮大な森林の現場に、よりよいビジョンを描いてもらいたい。
 中岡 茂
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 7月7日 YAHOO!JAPANニュース PHPオンライン「「雨」を表す言葉は1200種類? 雨を「天気」ではなく「風景」として愛でる日本人の感性
 ネイチャーガイドのノダカズキさんが、日本人の「雨」の捉え方について解説。
 ネイチャーガイドとして活動し、ポッドキャスト番組「ミモリラジオ」などを通じて日常に潜む自然の魅力を発信し続けているノダカズキ氏。
 【写真】イギリス人が感激した"日本人の服の畳み方"
 同氏の著書『自然はすごい いつもの道が美しく見える5つの視点』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、都会の片隅や日々の食卓にある「自然のサイン」を読み解く新しい視点が紹介されています。
 せっかくの休日が雨だと、つい「あいにくの天気だ」と残念に思ってしまいがちです。しかし、古来、日本人は雨を単なる気象現象としてではなく、情緒豊かな「風景」や「気配」として捉えてきました。
 日本語に存在する1200種類もの雨の表現から、私たちの毎日を美しく変える「ものの見方」を紐解きます。
 ※本稿は、ノダカズキ著『自然はすごい いつもの道が美しく見える5つの視点』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
 傘の所持数世界一。日本は「雨の国」である
 日本は、雨の国です。台風、梅雨前線、秋雨前線と、雨を降らせる気象現象がたくさんあります。しかも、それが春夏秋冬すべての季節に分散して現れる。桜にも、梅雨にも、紅葉にも、雪の合間にも、どの季節にも雨が顔を出してきます。つまり、日本の雨は年中行事みたいなものです。
 世界の平均降水量が約800mmのところ、日本はなんと約1700mm。約2倍です。沖縄に至っては、年間降水量が多いときには約3000mmにも達し、世界の平均の約4倍という驚異的な雨量を誇ります。
 2014年にウェザーニューズが行った調査では、世界35ヶ国の傘の所持本数の平均が2.4本に対し、日本は一人あたり3.3本。堂々の世界一でした。
 これだけ降れば、そりゃ傘も増えますし、雨との付き合い方だって自然とうまくなるわけです。そして、この豊かな雨が言葉や思考にまで影響を与えています。
 「雨に関する言葉」は1200種類。日本人の豊かな感性
 たとえば、「雨に関する言葉」。日本語には、これがなんと約1200種類もあると言われています。これはもう、正気の沙汰とは思えません。雨の言葉だけでつくられた辞典もあるそうです。日本の"雨好きっぷり"がよくわかります。
 英語にも「rain」「drizzle( 霧雨 )」「shower( にわか雨 )」「pouring rain( 土砂降り )」などいくつかの表現はありますが、日本語のそれは質も量も次元が違います。
 「五月雨(さみだれ)」 … 陰暦の五月に降る雨
 「緑雨(りょくう)」 … 新緑のころに降る雨
 「慈雨(じう)」 … 日照り続きの時に降る雨
 「地雨(じあめ)」 … 同じほどの強さで長い間降り続ける雨
 まるで詩のタイトルのようなこれらの言葉、それぞれ異なるシーンや感情、風景を指します。昔の人は、雨を天気としてではなく、風景や気配として感じ取っていたのでしょう。
 地域ごとの違いもあります。たとえば沖縄では、梅雨のことを「すーまんぼーすー」と呼ぶと聞いたことがあります。私が実際に沖縄出身の友人たちに聞いてみたところ、全員が「うんうん、知ってる」と頷いていました。本州の人にはまったくなじみのない響きですよね。音の響き自体に、その土地の湿度や空気が含まれているような感覚があります。
 言葉は世界を切り取る「レンズ」
 ここで改めて思うのは、言葉はただの音や記号じゃないということです。言葉は、世界をどう切り取るか、どう感じるか、どこに意味を見出すかの「レンズ」です。
 私たちが雨をどう感じるか。それは、自然環境だけでなく、そこに寄り添ってきた言葉の数だけ多様化していく。ざんざんと降る雨に心が沈むときもあれば、静かに降る雨に癒やされる夜もある。
 雨は、日本の風景の一部であり、恵みの雨として土を潤し、作物を育ててくれる存在です。それと同時に、私たちの精神風土の一部でもあります。日本語の雨の語彙は、その多面的な雨の姿を映し出しています。
 日本列島に降り注いできた多様な雨は、私たちの言葉の中にも、静かに、でも確かに降り積もってきたのです。
 ノダカズキ(ネイチャーガイド)
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 6月4日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「この地球に「キノコ類」が存在する「奇跡」…じつは、岩石砂漠だった「地球大地を開墾した」2つの生物からはじまる、「地球と生命と、土」の、驚愕のヒストリー
 藤井 一至(土の研究者)
 この地球に「キノコ類」が存在する「奇跡」…じつは、岩石砂漠だった「地球大地を開墾した」2つの生物からはじまる、「地球と生命と、土」の、驚愕のヒストリー
著者に聞く第13回・前編
 『 土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る 』 の著者、 藤井 一至 さん ( 福島国際研究教育機構 土壌ホメオスタシス研究ユニット ユニットリーダー)
 2007年、世界の都市人口は農村人口を超えた。地球に暮らす多くの人たちは、コンクリートに覆われた地面の上を歩いている。しかし、私たちの暮らしを支える縁の下の力持ちのような存在がいることを忘れてはならない。「土」だ。
 土は、私たち人類をはじめとする生命に必要不可欠であるが、忘れられがちな存在でもある。そんな土について、今一度、改めて考えようとしているのが土壌学者の藤井一至氏だ。土とは何か、生命と土にはどのようなかかわりがあるのかーー。藤井氏に話を聞いた。
 粘土鉱物がにぎる「生命誕生」のカギ
 生命誕生に欠かせない物質として、粘土鉱物についてまるまる2章を費やして説明していました。粘土鉱物と生命誕生には、どのような関係があるのでしょうか。
 藤井一至氏(以下、藤井): 無生物から生物が進化する過程は、未だに謎のベールに包まれています。それでも、そこに粘土鉱物が大きな役割を果たしているだろうことは、既にある程度の合意が得られています。
 粘土鉱物は電気を帯びており、生命の材料であるイオンを集めることができます。それは大事だよね、もっと深刻な問題はそこではないよね、ということであまり紹介されることがありません。ですので、今回の書籍では粘土鉱物と生命進化について、あえて2章割いて説明をしました。
 まず重要なポイントは、粘土鉱物は多様性に富んでいる、という点です。粘土鉱物は、主にアルミニウムとケイ素の酸化物です。主成分であるアルミニウムとケイ素の組み合わせ、不純物の混ざり具合によって、粘土鉱物の帯びる電気の量が決まります。
 つまり、粘土鉱物(たとえばバーミキュライト)と一言に言っても、その組成や電気量は多様です。
 粘土鉱物の多くはマイナスの電荷を帯びていて、陽イオンを引き寄せます。太古の地球で、粘土鉱物は電荷を持つ層の間に、タンパク質の構成ユニットであるアミノ酸やDNAやRNAの前駆体である糖類を集めて反応させ、さまざまな物質を試作していたと考えられています。
 先ほど説明したように、粘土鉱物の電荷は多様です。それにより、さまざまな種類のアミノ酸や糖類を層間に集め、いろいろな組み合わせで結合させる営みがされてきたと思われます。
 その中で、たまたま自己複製機能を持つ物質が出来上がり、増殖していき、やがてそれは、RNAやDNAといったおなじみの遺伝物質に変化していった、というのが現在考えられている生命誕生における粘土鉱物の役割です。
 粘土鉱物がいかに重要な役割を果たしているか、おわかりいただけると思います。
 生命誕生は、偶然の出来事が「必然的な順番」で起こった結果
 地球の海は、約20億年前まで非常に還元的な環境であった、とありました。
 藤井 :約27億年前の海に、光合成によって酸素をつくり出す生命体が誕生しました。現在のシアノバクテリアの祖先です。
 それまで、海水にはたくさんの鉄イオンが溶け込んでいました。光合成をする生命体の登場により、海水中に酸素が行きわたり、鉄イオンは酸化鉄となって沈殿しました。これは、今では鉄鉱石の材料となる縞状鉄鉱床として、一部は陸上で見ることができます。これと似た現象を田んぼでも見ることができます。
 こうして海の中が十分に酸化的な環境になると、大気中にも酸素が行きわたるようになります。成層圏にはオゾン層が形成されました。
 動物の陸上進出が、植物に1億年遅れた理由
 海では、約40億年前に生命が誕生しましたが、陸上への植物や微生物の上陸と繁栄は、約5億年前と、海と比較して大きな遅れをとりました。なぜ、生命は陸上への上陸に、そこまで時間を要したのでしょうか。
 藤井:先ほどの話とも繋がりますが、酸素がない時代の陸地は、生命にとってあまりに危険でした。オゾン層がないため、陸上には強い紫外線が降り注ぎ、容赦なくDNAを損傷させました。
 一方、安全な海の中では、およそ5億4200万年前から5億3000万年前にかけて、生命が爆発的に多様化しました。カンブリア大爆発です。
 一方の陸地は、ずっと岩石砂漠だったと考えられています。オゾン層ができたことで、陸地に生命にとって安全な環境が整い、ようやく生命は陸地への上陸を果たしました。
 地球上のさまざまな出来事は、偶然の連続のように見えるし、地球は一つしかないので必然性を証明したり再現することは容易ではありません。けれども、その偶然のイベントの順番は決して逆転するようなことはありません。
 生命誕生よりも以前に、粘土鉱物は存在していなければなりません。光合成ができる生命が登場しなければ、海は還元的なままだったでしょう。
 光合成ができる生命が生まれ、海の中が酸化的になり、やがて酸素は大気中にも広がっていきます。すると、オゾン層ができ、陸上へ到達する紫外線量を大幅にカットでき、安全になります。こうして、さまざまな生命が、陸上での生活に挑戦できる環境が整いました。
 出来事一つ一つは偶然かもしれませんが、それが起こった順番は偶然ではなく、必然だったと僕は思います。
 はじめに、この地球を耕した2つの生物
 最初に陸上に上陸した生命は、どのようなものだったのですか。
 藤井 :最初に陸上に定着することができたのは、コケ類と地衣類です。
 何しろ、5億年前の陸上には、土がありませんでした。根を張る植物は、土のない陸上ではとても生きていけません。
 コケ類も地衣類も、土を必要としないというところに共通の強みがあります。
 地衣類は、カビの一種で、単体では陸上で生きることはできません。光合成をするシアノバクテリアが作った糖類をもらい、その一方で自身は菌糸を岩石に張って水と栄養分(リンやカルシウムなど)を得ます。
 こうして得られた栄養分は、シアノバクテリアに渡ります。この関係を説明するために「共生」という言葉が生まれました。地衣類は、シアノバクテリアと共生することで、土のない過酷な陸上生活に耐えることができました。
 また、現在でも、コンクリートや岩肌に生えたコケ類を目にする機会は多いと思います。コケ類の強みは、岩石表面でも生育することができる、というところです。 こうして得られた栄養分は、シアノバクテリアに渡ります。この関係を説明するために「共生」という言葉が生まれました。地衣類は、シアノバクテリアと共生することで、土のない過酷な陸上生活に耐えることができました。
 また、現在でも、コンクリートや岩肌に生えたコケ類を目にする機会は多いと思います。コケ類の強みは、岩石表面でも生育することができる、というところです。
 こうして、コケ類と地衣類は、5億年前の岩石砂漠であった陸上で、大地を耕し始めました。コケ類と地衣類の死骸が窒素とともに積み重なり、いよいよ土が出来上がりました。すると、地球は土に根を張るシダ植物が登場します。これが、約4億年前の出来事です。
 この順番もまた、逆転不可能な必然的なものだったと言えるでしょう。
 植物と微生物の「共生と攻防」の果てに生じた世界
 約3億年前の石炭紀に起こった注目すべき出来事として、キノコの誕生が挙げられていました。
 藤井 :植物の根は、土にエネルギー(炭素源)を供給します。これにより、土の中で生息する微生物が活発に活動するようになります。こうして、微生物が植物の死骸を分解し、土にし、そこからまた植物が育つ、という循環システムが出来上がりました。
 また、植物は、より効率的に栄養を得るために微生物と共生するようになりました。と言うのも、植物は身体を支えるために太い根を張り、水と栄養分を吸収するための細い根を張ります。
 けれども、細い根は、太い根と比較して、維持のために膨大なエネルギーを消費します。さらに言えば、植物の細い根に比べると、カビ類の菌糸の方が圧倒的に表面積が大きく、効率良く水や栄養分を吸収することができます。
 そこで、植物は根から糖分やアミノ酸を出して、周囲にカビ類を呼び寄せます。そして、水や栄養分を吸収する手伝いをしてもらうようになりました。
 でも、残念なことに、いつの時代でも悪事を働く者はいます。水や栄養分吸収の手伝いをせずに糖分やアミノ酸をかすめ取っていく泥棒に、植物の身体を分解しようとする殺し屋のような病原菌もいます。
 そんな悪者から身を守るために、植物は自身の身体の内に、リグニンという毒を仕込みました。およそ3.5億年前のことです。当時の陸上には、リグニンを効果的に分解できる細菌やカビは存在していませんでした。リグニンを含む落ち葉や倒木は分解されることなく、堆積しました。
 そんな時代が約5000万年続きました。
 さらに、植物はカルシウムやカリウムといった栄養分を土からもらい続けていたため、植物が上陸してから、土は酸性になる傾向がありました。土の酸性化を阻止していたのは、細菌やカビによる植物遺体の分解です。これにより、カルシウムやカリウムが土に戻されていたのです。
 けれども、リグニンを含む植物が増えた結果、土の中のカルシウムやカリウムが不足し、土は次第に酸性に傾いていきます。
 一般的に、菌類もコケ類も酸性条件では活発に活動することはできません。菌類もコケ類も元気をなくしてしまいました。
 酸性環境を一変させたキノコ類
 藤井 :この環境で一気に個体数を増やした菌類こそ、キノコです。キノコは、もともと酸性条件をものともせずに生息することができます。
 さらに白色腐朽菌と呼ばれるキノコの一種は、リグニンを分解できる新しい酵素を備えていました。白色腐朽菌は、放置されていた落ち葉や倒木を分解することで、自身の生息域を広げていきました。
 「酸性に強くて、他の生物が毛嫌いする食べ物も食べられる」という理由で、キノコは石炭紀の終焉に一役買ったといわれています。一時期失われかけていた森の物質循環性が、キノコの介入で再びうまく回り始めたのです。
 落ち葉や倒木は分解されて当たり前だと僕たちは思いがちですが、それが当たり前でなかった時代もあり、そしてその時代に終止符を打ったものこそ、キノコだったのです。
 キノコの中には、リグニンを分解しないものもある、と書かれていました。
 藤井 :はい。キノコと言えば、おいしくないリグニンの分解専門ととらえられがちですが、やはりちょっと食に未練があるキノコもいたようです。
 一部のキノコは、樹木の根が甘い汁をあげるよ、と囁いたときに、その誘いに乗りました。もちろん、樹木もただで甘い汁をキノコにやるわけではありません。岩石を分解して得られる栄養分と甘い汁の交換条件です。これもやはり、共生関係です。
 そういう関係が成立して、一部のキノコはリグニンを分解する能力を失い、鉱物の分解に精を出すようになりました。これが、マツタケやホンシメジ、トリュフの仲間です。
 ちなみに、シイタケや舞茸は、未だに真面目に、おいしくないリグニンを含む倒木を分解しています。
 (聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
 ◇
 インタビュー前編では、粘土が生命をつくってから陸上に植物が茂り、土ができていく過程について藤井氏に話を聞いた。
 植物が陸上に定着したのであれば、動物もそうなって然るべきと思う人もいるであろう。もちろん、その通りである。インタビュー後編(NEXTページ)では、動物の陸上への進出と、人類と土との関りについて、引き続き藤井氏に話を聞いた。
 土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る
 土とは何か。どうすれば土を作れるのか。土の成り立ちから地球史を辿ると、地球の危機的な未来回避の答えが見えてくる……。『 土地球最後のナゾ 』で河合隼雄学芸賞を受賞した土の研究者による、待望の最新作。
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 7月6日 MicrosoftStartニュース GIGAZINE「土壌の菌類が「雨」を降らせるのに役立っている可能性
 土壌の菌類が「雨」を降らせるのに役立っている可能性
 自然環境や生態系は一見するとまったくかけ離れたもの同士に思えても、実は相互に密接な影響を与え合っている場合があります。新たな研究により、土壌に生息する真菌の一種が「雨を降らせるのに役立つタンパク質」を作り出し、雨を降らせている可能性があることが明らかになりました。
 アイルランドのリムリック大学で博士研究員を務めるダイアナ・アンドラーデ=リナレス氏は、微生物が雨に影響を及ぼすという事例について説明するに当たり、まずは雲が雨になる仕組みを知る必要があるとしています。
 一般的に水は0度になると凍り始めますが、大気圏上層部では0度よりはるかに気温が低くなっても必ずしも水が凍るわけではなく、-40度という極低温でも水の状態を保ったままの場合があります。こうした状態の水は「過冷却水」と呼ばれ、振動が与えられたりゴミなどの「種」に付着したりすると氷になりますが、こうした不純物が少ない大気圏上層部ではなかなか氷ができず、水の状態で存在し続けるとのこと。
 雲が雨や雪に変わるためには、これらの過冷却水を氷に変える「種」となるものが必要です。これらに水分子が付着して氷の結晶になると、やがて上昇気流で支えきれない重さになって落下してそのまま雪として降ったり、途中で解けて雨として降ったりするというわけです。
 雨をもたらす「種」として機能するものには、風によって雲まで運ばれるチリやすす、塩などが挙げられます。しかし、これらの粒子が作用し始めるには気温が非常に低くなる必要があり、その効果はそれほど高くはないとアンドラーデ=リナレス氏は語っています。
 土壌の菌類が「雨」を降らせるのに役立っている可能性
 科学者らは数十年前から、シュードモナス・シリンガエをはじめとする一部の細菌がice-nucleating proteins(氷核活性タンパク質)というタンパク質を産生することを知っていました。
 氷核活性タンパク質は、それ自身が氷を作る「種」となって氷の形成を促進し、過冷却水を通常より高い温度で氷に変えます。シュードモナス・シリンガエは付近の過冷却水を氷に変えることで霜害を引き起こし、周囲の植物を損傷させることで植物組織中の栄養を利用しているとのこと。
 新たに学術誌のScience Advancesに掲載された論文では、細菌ではなくフザリウムやクサレケカビといった真菌が、氷核活性タンパク質を周辺の土壌に放出していることが明らかにされました。これらの真菌が作り出す氷核活性タンパク質は水溶性で、細菌が作り出すものより小さいことに加え、より効果的に雲の水を氷に変える働きを持つとアンドラーデ=リナレス氏は説明しています。
 真菌が作り出す氷核活性タンパク質は土壌に放出された後、風などに吹かれて雲まで運ばれると協力な「種」として機能します。これらの氷核活性タンパク質は-5度以上の比較的温かい雲の中でも、過冷却水を強制的に氷に変えて雨を降らせることができます。つまり、真菌による氷核活性タンパク質の産生は、以下のようなフィードバックをもたらすというわけです。
1:真菌が森林の湿った土壌で生育する。
2:真菌が作り出した氷核活性タンパク質が空に舞い上がる。
3:氷核活性タンパク質によって雨が降り、森林の土壌に水が供給される。
4:雨によってさらに多くの真菌が繁殖し、サイクル「1」に戻る。
 土壌の菌類が「雨」を降らせるのに役立っている可能性
 シュードモナス・シリンガエが氷を利用して周囲の植物を攻撃するのに対し、真菌が放出する氷核活性タンパク質は過酷な環境から植物を守るのに役立ち、雨を降らせてともに繁栄できる栄養豊富な環境を作り出します。アンドラーデ=リナレス氏は「これは、生命と地球規模の気候が互いにどのように影響し合っているのかというパズルの欠けていたピースです。この氷を作る能力は、おそらく菌類に生存上の優位性を与えているのでしょう」と述べています。
 今回の研究では、クサレケカビが氷核活性タンパク質を生み出す能力を独自に進化させたのではなく、数百万年前に遺伝子の水平伝播によって獲得したこともわかりました。遺伝子の水平伝播とは生物学的なコピー&ペーストのようなものであり、微生物が隣接する微生物と遺伝子コードの断片を交換し、新たな形質を瞬時に身につけることを指します。真菌はすでに氷核活性タンパク質を作り出す能力を持っていた細菌の遺伝子を手に入れ、自らも氷核活性タンパク質を生み出すようになったというわけです。
 土壌中の真菌が氷核活性タンパク質を生み出し、それが雨を降らせるのに役立っているという今回の発見は、研究者らの自然保護に対する考え方を変える可能性があります。森林を伐採すると木が失われるだけでなく、土壌中に生息するこれらの真菌および氷核活性タンパク質も失われ、結果としてその地域に雨を降らせる生物学的メカニズムが破壊されてしまうかもしれません。
 アンドラーデ=リナレス氏は、「気候変動が進んで干ばつがより頻繁に発生するようになる中で、これらの真菌由来の氷核活性タンパク質を理解することは極めて重要でしょう。将来、これらの天然由来の生分解性タンパク質を『人工降雨』に利用して、雨を降らせることが可能になるかもしれません」と述べました。
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🎑108)─9・⑯─日本の子供アニメは世界で人気なのに、大人(シニア)クールジャパン機構は大赤字で失敗。~No.243 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 官製クールジャパン機構は、アニメを見ず、マンガを読まず、日夜、参考書や学術書で勉学に励んだ高偏差値高学歴な優等生が仕切っている。
 グローバル派大人は、子供が見るアニメより青少年が観る映画を鑑賞し、子供が読むマンガより青少年が読む世界文学を原書で読む。
 エセ保守とリベラル左派は、日本の文化や宗教を嫌い、アニメを馬鹿にし、マンガを軽蔑し、子供らが自ら選ぶワースト番組や悪書を消し去ろうとしている。
 理想主義の大人(シニア)は、大人の論理や常識で子供の遊び世界を破壊し子供の希望や夢を潰している。
   ・   ・   ・   
🎑111)─2・B─官製クールジャパンの巨額な累積赤字。なぜ日本では政・官の国主導だと失敗するのか。~No.252 
   ・   ・   ・   
 7月7日 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「日本のアニメは人気なのに、なぜクールジャパン機構は大赤字なのか?繰り返される官民ファンドの失敗
 日本のコンテンツ分野の海外売上の合計は6兆円を超えた。これは、映画(実写)、テレビ番組、アニメ(劇場・放送・配信等と商品化ライセンス)、家庭用ゲーム(ソフト販売/オンライン)、スマホ・PCゲーム、出版(マンガが主)の合計である。うち、アニメの海外売上が前年比26%の大幅増で約2.2兆円となり、全体の拡大を支えたという(「2024年の日本と世界のコンテンツ市場の規模と日本のコンテツの海外売上の調査結果」ヒューマンメディア2025年11月28日)。
 【画像】日本のアニメは人気なのに、なぜクールジャパン機構は大赤字なのか?繰り返される官民ファンドの失敗
 日本のアニメなどは世界で評価されているのに、日本のコンテンツを海外に広げる目的で設立した官民ファンド「海外需要開拓支援機構」(クールジャパン機構)は、2025年度の決算で累積損失が540億円になった。巨額の赤字により、政府は今後、機構の廃止や他のファンドとの統合を前提に、応策の具体的な検討に入るという。
 クールジャパン機構は何をしてきたか
 クールジャパン機構は、日本の魅力ある商品やコンテンツの海外展開を促進するため、民間企業と共同で総額2040億円の事業に資金を投じてきた。例えば、クモの糸由来の人工のタンパク質素材を開発するスタートアップ「スパイバー」に累計140億円、三越伊勢丹ホールディングスと共同展開したマレーシアの百貨店ISETAN The Japan Storeに約9.7億円、日本のテレビ番組を海外へ発信するインドネシアの「WAKUWAKU JAPAN」に約44億円などである。
 ところが、スパイバーは私的整理、ISETAN The Japan Storeは閉鎖、「WAKUWAKU JAPAN」放映中止に追い込まれた(みんなの政治ナビ「クールジャパン機構のメンバー構成は?失敗例と成功例から見える課題」による)。
 そもそも、スパイパーやマレーシアの百貨店への投資がなんでクールジャパンなのか理解しがたい。「WAKUWAKU JAPAN」はクールジャパンと言えるかもしれないが、ストリーミング配信が主流になっている時に衛星放送で配信しようとし、その設備に多額の投資を要したことが損失の主因である。
 余計なことをやり過ぎた
 この結果は、クールジャパンが本来の仕事をしていればそんなことにはならなかったと言えるかもしれない。そもそも、ドラマ・アニメ・バラエティを現地語の字幕・吹き替えで届ける、日本のコンテンツに関心を持ち国内でビジネスにしたい人に売り込む、同時に海賊版を取り締まり、知的財産権を確保するという仕事だろう。それだけなら、そんなにお金はかからない。大きな金額にするために大プロジェクト化して失敗したのだろう。
 つまり、クールジャパンを世界に売り込むために巨額の予算が必要だと喧伝して、予算を取った以上は使わなければならないとなって失敗したのだろう。また、巨額の予算を管理運営するための費用も巨額となる。
 ファンド設立時からの累積必要経費は238億円になるという。内訳としては、人件費(101億円)、調査研究費(25億円)、地代家賃等(23億円)などである(経済産業省「株式会社海外需要開拓支援機構について」26年2月)。
 本来のことをやろうとしても大失敗
 クールジャパン機構は、余計なことをやり過ぎて失敗したと言えるだろうが、本来のことをしようとしてもうまくいかなかった。クールジャパン機構ではないものの、官民ファンドの産業革新機構が22.1億円出資したANEW(株式会社All Nippon Entertainment Works、11年設立)という会社がある。「日本の物語のハリウッド映画化を促進することを通じて、日本の映画、放送コンテンツなど日本の知的財産の海外展開の成功事例を加速させる」ということなので、まさにクールジャパン機構が出資するに相応しい会社である。ANEWが設立された後の13年にクールジャパン機構が設立されたので、出資がなされなかっただけだろう。
 ところが、ただ一つの映画化も実現することなく、出資額のほぼ全額を失って解散した。これは、ANEWが映画ビジネスの特性を理解していなかったことによる。
 そもそも、映画は一本ごとに才能とお金を集めて作られるものであり、プロデューサーは企画、脚本、監督・主演の決定、現実の制作、広告、配給などそれぞれの段階でリスクを負いながら資金集め、提供するものだ。ところが、会社を作ってそのスタッフに高給を払いながら、まったく現実の映画化ができなかったというものだ(この顛末はヒロ・マスダ『日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー』光文社新書、2020年、による)。
 日本の映画製作費は、1本平均3.5億円という(東京工科大学HP「エンタテインメントビジネスに求められる視点とは」)。10億以上の配給収入(興行収入から映画館(興行側)の取り分を差し引いた映画配給会社の取り分。制作会社の取り分はさらに小さくなる)がある映画は23年で34本しかなかったのだから、当然だろう。
 アメリカでも、製作費はハリウッドの大作(100億円)でなければ、数十億円程度である。10億円の制作費の映画の企画を売り込むためのコストはその5%以下だろう。
 ところが、ANEW は映画7本の企画が進められていたが、1本も上映されることはなかった。出資額が22.1億円だったので、1本あたり3億円余を使って、何の成果も上げられなかったということになる。
 どうしたら良いのか
 日本の映画が海外の一流映画祭で受賞すれば多くの日本人は喜ぶ。オリンピックの金メダルも同じだろう。オリンピックの金メダルならば、外国人コーチを雇う、合宿をする、練習、筋トレ、食事を合理的なものにするなどで、メダルを増やせることが分かっているようだ。金メダルを取った選手への報奨金を増額するという手もある。多くの発展途上国がしていることだ。
 国民が喜ぶことに税金を使うのは、筆者は合理的であると思う。授賞監督に、映画祭の格に応じて、次回作を作るための数億円の報奨金を渡せば、より良いものを作ってくれるかもしれない。官民ファンドにお金を流すよりは良い結果が生まれるだろう。あるいは、海外での著作権強化のために使うという使途の制限を付けても良いだろう。
 前掲のマスダ氏の著書(93〜95頁)には、マスダ氏からANEWの実態を知らされた財務省職員は、ANEWが本来やってはいけない投資をしていることを確認した上で、「財務省としては何もできない」と答えたとのことである。財務省には、増税を唱える前に、すべきことをして欲しい。
 また野党も、クールジャパン機構のお粗末さや官民ファンド全般の失敗を攻めて欲しい。マスダ氏の著書や「みんなの政治ナビ」、内閣官房「官民ファンドの活用推進に関する関係閣僚会議幹事会」の資料もある。週刊文春より読み込むのは大変だが、こちらを追求すれば、きちんと野党の仕事をしていると賞讃されるだろう。
 原田 泰
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 7月4日 MicrosoftStartニュース Record China「日本のアニメは世界的な人気を誇るのに、なぜ「エンタメ大国」とは言えないのか―台湾メディア
 30日、台湾メディアの放言は「日本のアニメはこれほど世界的な人気を誇るのに、なぜ『エンタメ大国』とは言えないのか」と題した記事を掲載した。写真は日本アニメ。
 © Record China
 2026年6月30日、台湾メディアの放言は「日本のアニメはこれほど世界的な人気を誇るのに、なぜ『エンタメ大国』とは言えないのか」と題した記事を掲載した。
 記事は、「日本のアニメや漫画はもはや日本人だけの娯楽ではなく、世界のポップカルチャーの一部となっている。しかし、ここで一つの疑問がある。これほど日本アニメが世界で人気を集めているにもかかわらず、なぜ日本は韓国のように、エンターテインメント産業全体を強力な輸出産業へと育て上げられていないのだろうか」と問い掛けた。
 そして、「日本のソフトパワーは非常に強く、その中でもアニメや漫画は最も重要な柱の一つである。キャラクターや物語、世界観、美術表現はいずれ一目で日本作品だと分かるほどの個性を備えている。多くの海外の人々が日本に興味を持つきっかけは、政治や経済、観光ではなく、一本のアニメや一人のキャラクター、あるいは一曲の主題歌なのである」と説明した。
 その上で、「しかし日本のアニメや漫画が好きだからといって、日本のエンターテインメント関連商品を積極的に購入するとは限らない。ここに、日本のコンテンツ輸出が抱える課題がある。例えば、韓国のコンテンツ産業は、音楽やドラマ、バラエティー、ファッション、コスメ、食、観光を一体化して展開することに長けている」と言及した。
 また、「あるアイドルグループのファンになれば、韓国語を学び、アルバムを購入し、韓国ドラマを見て、韓国ブランドの商品を使い、さらにはソウルを訪れるという流れが自然に生まれる。一方、日本のアニメは世界的な影響力こそ大きいものの、その人気を産業全体の輸出力へと十分に結び付けられていないことが多い」と指摘した。
 記事は、「作品もキャラクターも人気は高い。しかし、利益配分や海外マーケティング、関連商品の展開、配信プラットフォーム戦略、さらにはクリエイターの待遇などは、世界的な需要に十分対応できているとは言い難い。これこそが、日本のエンターテインメント産業が抱える矛盾なのだ」と述べた。
 さらに、「世界トップクラスのコンテンツを持ちながら、それを世界規模のビジネスへと統合・展開する力は十分ではない。アニメ制作会社は優れた作品を生み出すことには長けているが、それを国境を越えた巨大なビジネスエコシステムへと発展させる仕組みづくりは得意ではない。視聴者が日本のアニメを愛していても、それが韓流のように日本のエンターテインメントやライフスタイル全体への関心につながるとは限らないのだ」とした。
 そして、「だからこそ、日本のアニメに求められる次の課題は、単に優れた作品を作り続けることではない。世界中のファンの支持を、より長期的で、より包括的で、より公正な産業の循環へとどう結び付ける方法を考えることが重要なのだ。日本のアニメはすでに、世界中の人々の心を動かす力があることを証明している。次に問われるのは、その感動を日本のエンターテインメント産業全体の真の国際競争力へと転換できるかどうかである」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)
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 7月5日 YAHOO!JAPANニュース ABEMA TIMES「赤字540億円…クールジャパン機構はなぜ失敗?背景にある「専門性なき投資」と「翻訳人材不足」の壁
 赤字540億円…クールジャパン機構はなぜ失敗?
 累積赤字が540億円に上ることが明らかになった官民ファンド「クールジャパン機構」。2025年度の決算報告では、目標を100億円ほど下回る数字が示された。
 【映像】パリ近郊で開催されたジャパンエキスポの様子(実際の映像)
 これを受け、機構を所管する経済産業省は「重く受け止めている」とし、できる限り早期に検討会を立ち上げ、累積損失の要因や責任も含めて議論する方針を示した。
 一方、クールジャパン戦略担当の小野田大臣は、「クールジャパン関連産業の海外展開を2033年までに50兆円以上の規模に拡大し、世界中の日本のファンを増やすことを目指している。新たなクールジャパン戦略は順調に進んでいると認識している」といい、現時点での戦略そのものの見直しは考えていないとした。
 クールジャパンの推進はアニメや食など日本文化を海外に発信する成長戦略の一つとして安倍政権の肝入りで始まったが、収益性に課題がある案件への投資やコロナ禍での業績悪化が重なり、損失が続いてきた。経産省は今回の累積赤字を受け、機構の統廃合も含めた検討を年内をめどに取りまとめる方針だ。
 果たしてクールジャパン機構は失敗だったのか。『ABEMA Prime』では、行政がコンテンツを後押しする意義と課題を考えた。
■「分野を広げすぎた」専門性なき投資の構造的欠陥
 小林史明衆議院議員
 自民党の小林史明衆議院議員は、機構の失敗要因について「国民からお預かりしたお金を投じた施策がこういう状況になったことを本当に申し訳なく思う。一番の要因は分野を広げすぎたことだ」と話す。「投資をして稼いでくるには相当な専門性が必要なのに、立ち上がったファンドは金融の専門家は集まっているが、その分野の専門家にはなっていない。投資でいう『ソーシング』、つまり案件を見つけてくるには分野のネットワークが不可欠で、それなしでは目利きもできない。その結果うまくいかず、いい人材も入ってこないという悪循環になった」。
 エンタメ社会学者の中山淳雄氏は、コンテンツ業界の視点からは、「メディアコンテンツへの投資は案件数でいえば全体の2割程度だが、最初の6年、2013年から19年で一旦失敗して終わっている。問題はスキームの貼り方だ。海外でゼロから事業を立ち上げるものに投資するには、起業家的な覚悟がある人間に賭けなければいけない。ところが、この会社でふわっとできそうだというレベルの相手にいきなり難易度の高いことをやらせた。飛び技でやらせてしまったのが大きい」との見方を示す。
 書評家の杉江松恋氏は、日本の優れた小説のリストを作り、海外に売り込もうとしたクールジャパン機構との取り組みを振り返り、「100冊のリストが完成したところで国内の新聞に全面広告が出て終わってしまった。本来はここからが本番で『海外の事業者にどうやったら翻訳して買ってもらえるか』までやらなければいけなかった。その手前で終わった感があって、すごく残念だった」。
■「国の役割は何か」文化の自発性と行政支援の境界線
 【写真・画像】赤字540億円…クールジャパン機構はなぜ失敗?背景にある「専門性なき投資」と「翻訳人材不足」の壁 3枚目
 一方で、クールジャパン機構の実績がゼロだったわけでもない。小林氏は「アニメ制作会社のMAPPAに対してクールジャパンが出資しており、それをもって飛躍し、『チェーンソーマン』などグローバルに売れるコンテンツが生まれた例もある。業界によって構造は違う。専門家集団がちゃんと各業界を理解してどうお金を出せばクリエイターが自由にものを作れるかを考えていく必要がある」と語る。
 翻訳人材の育成という観点から、杉江氏は「一番お金を出してほしいのは翻訳だ。日英・日仏の翻訳事業者が国内に少ないため、翻訳の仕事は海外在住の専門家が取ることになり、本来国内でできるはずの仕事と雇用が流出している。翻訳の専門家を国内でもっと育成することにお金を投じる必要がある」と提言する。中山氏も「漫画は50万作品ほどあるが英訳されているのはまだ1万作程度、約2%しかない。内製機能で自ら翻訳していく仕組みが必要だ」と同意した。
 ただ、支援の方向性そのものに対して、モデルの益若つばさは、「専門家を集めた結果、大阪万博のようにハイスペックな最新技術や美しい建築物のみが前面に出てくる。でも私のイメージするクールジャパンはもっとごちゃごちゃしたカルチャー、渋谷や新宿・原宿の生々しい下町の感じにある良さだ。京都の美しいものとお抹茶、ゲームとアニメぐらいで差が開きすぎていて、意外と本当のカルチャーが伝わっていない感じを肌で感じた」との考えを示した。
■クールジャパンのイベントは「安っぽい白いテントみたいな感じ」
 益若つばさ
 益若つばさは、自身も海外でクールジャパンのイベントに出た経験を踏まえて、「行ったらすごく楽しい。アニメ文化や日本のことを海外の人はすごく好きなんだなと思ったし、いい交流の場だとは思う。ただコンテンツがよく分からないことが多かった。アニメは素晴らしいけど、他のものが結局ハリボテというか、普通の物産店みたいだった。着物が置いてあって写真撮れますとか、富士山の帽子を被って写真撮るみたいな。日本はもっとかわいくて、かっこいいのに、という悔しい気持ちになった」。
 さらに「フォトスポットが何もない。看板・入口だけはちゃんとあるけど中で撮りたいものが特にない。海外ってドーンとしたブースがあるのに、それが意外となく、引きで撮ると安っぽい白いテントみたいな感じ。あれでは(SNSに)上げたくない」と語る。
 この問題について、小林氏は「大きく委託した中の1個のイベントになっていて、そこまでちゃんとチェックできていなかった。それぞれのメーカーや事業者が出てパラパラとなっているのが日本は本当に多い。一棟まるごと借り切ればすごくいいブースになってフォトスポットも作れる。つけまつげも美容家電も化粧品もIPコンテンツも一緒に展開できる。そういうプロデュースが必要だ」と述べた。
 (『ABEMA Prime』より)
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 7月6日 読売新聞オンライン「クールジャパン 巨額赤字の責任を明確にせよ
 政府と民間が資金を出し合う官民ファンドで、またしても巨額赤字に陥るファンドが出た。
 官民の双方で、投資判断やリスク管理のどこに問題があって、誰が責任を負うべきなのか、厳しく検証しなければならない。
 アニメや食文化などの海外展開を後押しする「海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)」は、2025年度決算で多額の赤字を出し、累積赤字が540億円に上る深刻な事態に陥った。
 もともと経営難で立て直しを進めている中で、リスクが高い日本発の次世代繊維事業に約140億円を出資し、巨額の損失が生じたのが致命傷になった。
 このファンドでは、経営目標の未達が3度目となった。経済産業省は近く有識者会議を設置し、統廃合を検討する。官民双方の関係者が、なぜ赤字の膨張を防げなかったのか掘り下げるべきだ。
 官民ファンドは、政府が13年に策定した「日本再興戦略」の下で、各省庁の傘下に数多く設立された。民間が担うのは難しいリスクマネーを供給し、民間の投資を促す狙いがあった。
 だが、農林水産省傘下のファンドが行き詰まり、25年度末の廃止時に213億円の累積赤字を計上した。国土交通省傘下でインフラ輸出を担うファンドも、23年度に赤字が約950億円に膨らみ、再建計画の策定に追い込まれた。
 度重なる失敗の背景には、無責任体質になりやすい官民ファンドの構造があるのではないか。
 所管官庁はリスク点検が甘いまま設立に走るほか、ファンド側はリスクが高くとも拙速に成果を得ようとしがちと指摘される。
 クールジャパンも同じ 轍 てつ を踏んだと言わざるを得ない。日本のアニメを配信するために作った会社は、米動画配信大手のネットフリックスなどとの競争に敗れた。
 マレーシアに出店した日本ブランドを扱う大型商業施設は、現地の物価を無視した高すぎる価格設定が受け入れられず撤退した。
 エンターテインメントや生活分野は、市場動向を見通すのが難しい分野ということだろう。
 一連の失敗例は、高市政権が40年度までに官民で17分野に370兆円超を投資する計画において重い教訓になる。官民のリスク管理の難しさを示すものだからだ。
 官民ファンドを 遥 はる かに上回る規模であるだけに、責任の所在やリスク管理の徹底、事業が不振に陥った場合の撤退ルールなどを明確にしておくことが不可欠だ。
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 6月2日 東京新聞「安倍元首相肝いり「クールジャパン機構」が存続危機 2025年度決算も大赤字の可能性…でも責任の所在はウヤムヤ
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 「日本の魅力」を売り込む事業などに出資し支援する官民ファンド「海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)」の存続がいよいよ危うい。設立から13年での累積赤字は約400億円。さらに、ここにきて新たな不安要素が表面化し、廃止または統合の具体的な検討が待ったなしの状態だ。多くが赤字に苦しむ官民ファンド。高市早苗首相の下でも「官民連携投資」が掲げられているが、これらの反省や検証はなされているのか。(佐藤裕介、中根政人)
◆立憲民主・杉尾秀哉氏が機構の運営状況を追及
 「出資した140億円はどうなったのか。全額毀損(きそん)したのか」
 立憲民主党の杉尾秀哉氏(佐藤哲紀撮影)
 5月25日の参院決算委員会。立憲民主党の杉尾秀哉氏が「赤字官民ファンドの象徴」とされるクールジャパン機構の運営状況をただした。
 同機構にはこれまでの投資の失敗で計383億円もの累積赤字(2024年度末時点)がある。さらに今年3月、機構が140億円出資していたバイオ繊維開発の新興企業「スパイバー」が債務超過で私的整理に入ったことが発覚。杉尾氏は機構の決算に与える影響や出資した140億円の状況について追及した。
 これに対し、経済産業省の江沢正名商務・サービス政策統括調整官は「(私的整理は)決算に大きく影響する」と認めたが、140億円については「どのようになるのか注視していきたい」などと明言を避けた。
 各年度の累積損益が計3回計画を下回った官民ファンドは廃止、または統合を検討するルールが設けられている。機構はすでに2020年度と2021年度の計2回にわたって計画を下回っている。
◆機構は日本文化を海外に売り込もうと2013年に設立
 経産省によると、機構の2025年度(2026年3月期)決算の公表時期は未定。2022年11月に策定した「最低限達成すべき投資計画」で、2025年度は累積赤字を426億円未満に抑える必要があるが、スパイバー関連の問題の表面化で機構の存廃に関わる事態となる恐れがある。
 経済産業省(資料写真)
 機構は、日本文化を海外に売り込もうと2013年に設立。今年2月時点で政府が1326億円、民間企業23社が107億円を出資。2025年3月末時点で43件882億円の投資を行っているが、スパイバーは最大の投資先だった。
 累積赤字の拡大を抑えられない状況について、関係者はどうみているのか。
 「こちら特報部」の取材に、経産省担当者は「設立当初は投資の政策性と収益性の両方を追求しようとしていたが、政策性をより重視していた」ために赤字が拡大したと説明。コロナ禍によって事業計画が思うように進まなかった投資案件があったことも理由に挙げた。機構の広報担当者は「(決算に関する)監査法人の監査を受けている最中なので回答は控えたい」と述べるにとどまった。
◆「投資ファンドにはプロの『目利き』が絶対的に必要」
 先の参院決算委における審議で、杉尾氏は「なぜこんなずさんな経営になっているのか。誰に責任があるのか」とも追及した。
 江沢氏は、累積赤字383億円のうち、人件費や税金などの必要経費が238億円で6割超を占めると説明。「監督官庁として今後の対応をきちんと考えていく」と答えたが、杉尾氏は「(人件費などが6割とは)多すぎるんじゃないか」とあきれ顔だった。
 企業統治に詳しい青山学院大の八田進二名誉教授は「『イケイケどんどん』で安易な投資を繰り返し、損失を膨らませていったのではないか。投資ファンドにはプロの『目利き』が絶対的に必要だ」とみる。
 官民ファンドの改善策としては「国会による監視強化や、投資の結果に対する責任の明確化が必要になる」と指摘。情報公開の重要性についても言及し「数字はウソをつかない。(官民ファンドの)財務情報に関する公開頻度を上げていく必要がある」と求めた。
◆マレーシア・クアラルンプールの百貨店は2018年に撤退
 「クールジャパン」を成長戦略の柱として正式に位置付けたのは第2次安倍晋三政権だった。2012...
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⚔38)─1─なぜ豊臣政権は徳川幕府のように長続きしなかったのか。~No.150No.151 

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   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 何故、天皇家が存続し、徳川幕府が滅亡したのか。
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 日本の底力とは、家という血の団結、一族という血の絆である。
   ・   ・   ・   
 2026年7月6日 YAHOO!JAPANニュース「なぜ豊臣政権は徳川幕府のように長続きしなかったのか? 一門衆の違いから見える決定的な差
 徳川家康(提供:アフロ)
 豊臣秀吉は天下統一を成し遂げたにもかかわらず、その政権は秀吉の死後わずか十数年で滅亡した。一方、徳川家康が築いた江戸幕府は265年以上にわたって存続している。この違いは、単に家康が優れていたからでも、秀吉が失政を重ねたからでもない。
 両者を分けた大きな要因の一つが、政権を支える「一門衆」の厚みの差であった。豊臣家と徳川家の親族組織を比較すると、両政権の命運を分けた構造的な違いが浮かび上がってくるのである。
 豊臣一門はなぜ脆弱だったのか
 秀吉の一門衆は総じて層が薄かった。秀吉は農民出身であり、有力な親族を持っていなかった。弟の秀長や姉の子である秀次など、一部の親族は政権運営で重要な役割を果たしたが、彼らは秀吉の出世によって取り立てられた新興勢力に過ぎなかった。由緒ある武家や戦国大名のような長い家の歴史を持っていたわけではない。
 しかも、秀吉にとって頼みの綱であった秀長と秀次は、いずれも秀吉より先に世を去った。とりわけ秀次事件では、多くの関係者が処罰され、豊臣一門の人的基盤そのものが大きく損なわれた。秀吉の晩年には、政権を支える有力な親族が急速に姿を消していったのである。
 徳川家には厚い一門衆が存在した
 これに対し、徳川家康の周囲には数多くの親族と分家が存在していた。徳川氏は古くから続く武家であり、松平氏を中心とした広範な一族ネットワークを形成していたのである。
 家康の周囲には、松平康元、松平康親、松平康重など多数の一門が存在した。彼らはそれぞれ独立した大名として領国を有し、軍事的にも政治的にも家康を支える存在だった。また、婚姻関係を通じて南信濃や三河、遠江の有力武家とも結び付き、単なる血縁集団を超えた強固な政治ネットワークを築いた。
 「十八松平」が支えた徳川政権
 徳川一門には、「十八松平」と総称される松平氏の諸分家が存在した。岩津松平氏、西福釜松平氏、大草松平氏などの諸家は各地に勢力を持ち、それぞれが家康を支える重要な役割を担っていた。
 これらの家々は、家康が天下統一を進める過程で軍事面、政治面の双方で大きな働きを見せ、多くが大名として取り立てられた。このように徳川家には、将軍家を支えることのできる親族集団が重層的に存在していたのである。一門の厚みこそが、徳川政権の安定性を支える重要な基盤となった。
 豊臣家に欠けていた「家」の力
 豊臣一門には、このような重層的な親族ネットワークが存在しなかった。秀吉が頼ることのできる一門は秀長や秀次など、ごく限られた人物に集中していた。しかも彼らの死後、豊臣家には領国支配を担えるほどの有力親族が残されていなかった。
 豊臣家の親族は新興勢力であり、家格や領国経営の経験という点でも、徳川一門とは大きな差があった。秀吉という卓越した個人の能力によって政権は成立したものの、それを継承し維持するための「家」としての基盤は極めて脆弱であったのである。
 譜代大名の存在も大きな差となった
 さらに、徳川家には譜代大名という強力な支柱が存在した。酒井氏、本多氏、榊原氏、井伊氏など、代々徳川家に仕えてきた有力家臣団である。彼らは単なる家臣ではなく、婚姻や血縁によって徳川家と深く結び付き、将軍家の権威を支える役割を果たした。
 一方、豊臣家には長期にわたる主従関係を背景とした譜代大名層が形成されていなかった。織田家から受け継いだ旧臣や、さまざまな戦国大名によって構成された寄り合い所帯という性格が強く、政権への忠誠は必ずしも一枚岩ではなかったのである。
 豊臣政権と江戸幕府を分けた決定的な違い
 江戸幕府が265年以上も存続できた背景には、徳川御三家をはじめとする親藩や、後に成立した御三卿が将軍家を支える体制が整えられていたことがある。将軍家に後継者がいなくなった場合でも、親藩から養子を迎える仕組みが制度として確立されており、政権の継続性が保障されていた。
 これに対し、豊臣政権では秀頼以外に有力な後継候補がおらず、秀吉の死後に政権を支える一門組織も存在しなかった。幼少の秀頼を中心として政権を維持することは極めて困難であり、結果として徳川家康の台頭を抑えることができなかったのである。
 豊臣家滅亡の原因は、しばしば秀吉の晩年の失政や秀次事件に求められる。しかし、より本質的な問題は、政権を支える「家」の基盤が決定的に弱かった点にあったと言える。
 豊臣政権は秀吉という一代の英雄の力量によって成立した政権であったのに対し、徳川政権は厚い一門衆と親藩・譜代層による重層的な支配構造を備えていた。この差こそが、豊臣政権の短命と江戸幕府の長期安定を分けた最大の要因の一つだったのである。
 ※今後もこのテーマで記事を投稿して参りますので、フォローして温かく見守っていただけたら嬉しいです。
 渡邊大門
 株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
 1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に、『論争 本能寺の変』星海社新書『羽柴秀長と豊臣政権 秀吉を支えた弟の生涯』ちくま新書、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。
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🌺34:─18─日本民族の遺伝子が「日本人の争いを嫌う真面目な性格」を生み出している。双子の遺伝子。~No.89No.90No.91 

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   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本人と中国人、韓国人・朝鮮人との違いは、民族の遺伝子が原因である。
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 日本民族は、数万年前の旧石器時代・縄文時代から日本列島に住んでいた先住民(日本土人)で、流れ着いた外来者と雑婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族で、特別優秀な純血種ではない。
   ・   ・   ・   
 日本人にもいろんな日本人がいて、日本人らしい典型的な日本人がいれば、とうてい日本人と認められないとんでもない日本人もいる。
   ・   ・   ・   
 日本民族の遺伝子は、民族主義・保守主義・愛国主義の本である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、自分に繋がる「血と家」を変わりない絆として重視し守ってきた。
   ・   ・   ・   
 2026年7月3日 YAHOO!JAPANニュース with onlin「子どもの性格は「環境や育て方で決まる」は勘違い? 脳科学者が明かす、恐ろしすぎる“遺伝”の影響力
 「真面目な日本人」はどう生まれたのか
 講談社with
 「明るい性格」「心配性」「幸福を感じやすい」――こうした性格や気質は、努力や育った環境によって決まるものだと思われがちです。しかし近年の研究では、幸福度の少なくとも半分は遺伝的な影響を受けることが明らかになってきました。
 【ADHDもアルコール中毒も遺伝の影響あり…】“遺伝的リスク”を乗り越える親の対策
 そこで今回は、脳科学者・中野信子さんが、日本人の協調性や同調圧力、不安や生きづらさの背景にある脳の仕組みをわかりやすく解説した書籍『新版 空気を読む脳』(講談社)から一部抜粋。
 日本人の性格と幸福、そして長寿の意外な関係を解き明かします。
 日本人の脳をつくったのは、環境か遺伝子か?
 〈性格も遺伝で決まる?〉
 日本人の脳、というと、日本人が生まれながらに特殊な印象を与えると思いますが、そうではありません。ある型(タイプ)の脳の持ち主がほかの国に比べて多い、というほどの意味です。
 ところで、「カエルの子はカエル」という慣用句があります。フランス語にも同様の意味で使われる Les chiens ne font pas des chats(犬は猫を産まない)という表現が、英語にも Like father, like son(この親にしてこの子あり)という成句があります。いずれも「子どもは外見だけではなく嗜好や言動も親に似る」という意味を持った言い回しです。
 こうしたフレーズが複数の国で、それぞれ独自の表現として成立してきた、ということは、同様の現象が洋の東西を問わず広く観察されてきたということを示すものでしょう。
 子どもは両親の遺伝子を半分ずつ受け継いでいます。父母どちらから受け継いだものがより発現しやすいのか、形質によって差はありますが、「髪にくせがある」「お酒に強い」など、子の容姿や体質が親に似てしまうのはみなさんもよくご存じのとおりでしょう。
 ただこうした形質ばかりでなく、性格的な部分も、子は親に似てしまうように見える例がしばしば観察されます。性格とは、遺伝的に決定されてしまうものなのでしょうか? それとも、親からの育てられ方や環境によって決まるものなのでしょうか?
 私の著書『サイコパス』(文春文庫)でも解説しましたアメリカのジェフリー・ランドリガンという犯罪者の例を見てみましょう。彼は1962年生まれですから、そう昔の人物というわけではありません。
 ジェフリーは生まれてすぐに養子に出され、それなりに裕福な環境で育てられました。ジェフリーは、感情の制御ができず、すぐに癇癪(かんしゃく)を起こす子どもでした。
 また、惑溺しやすい質(たち)でもあったようで、わずか10歳で酒びたりになってしまい、11歳になると強盗事件を起こして逮捕されました。その後は、薬物中毒になり、殺人を犯して収監されますが、脱獄してさらに殺人を犯し、再逮捕されてしまいます。
 死刑囚としてすごしていたアリゾナで、同じく収監されていた囚人から、ジェフリーは「アーカンソーでお前とよく似た詐欺師に会ったよ」という奇妙な話を聞きます。外見ばかりでなく、言動もジェフリーによく似ていたというこの人物こそ、彼の実の父親だったのです。この人もまた、薬物の常習者で犯罪を重ねており、脱走歴もあったといいます。
 さらには、そのまた父親、つまりジェフリーにとっては祖父に当たる人物も、同じように強盗事件を起こし、ジェフリーの父親の目の前で射殺されていたのです。
 犯罪心理学者のレインは、双子を対象とした研究の結果、子どもの反社会的行動の40%から50%は、遺伝によって説明できると主張しています。さらに、両親、教師、同世代の友達という3者の情報提供者の評価を平均して、対象となる子どもが実際どのように行動しているかを抽出したところ、環境要因はわずか4%にすぎず、残り96%が遺伝によるものであったとしています。
 また、同じく心理学者のメドニックは、デンマークにおける養子の犯罪を調査し、犯罪者を実の両親に持つ養子が成人後に犯罪者になる割合は、非犯罪者を実の両親に持つ養子よりも高いとしています。
 イギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン発達精神病理学教室教授のヴィディングが双子の幼少期の成長に関する研究をし、顕著にサイコパス的な特徴を持つ双子の反社会的行動は遺伝の強い影響を受けており、要因の81%が遺伝性である、としました。
 ただ、こうした調査結果は注意深く取り扱う必要があります。本稿を読まれた方も、人権への配慮ということを念頭に置いて情報を取り扱っていただけたらと願います。
 性格に遺伝の影響があるとすれば、私たちが日々感じる「幸せ」も、生まれつきある程度決まっているのでしょうか。
 次回は、世界的に有名な双子研究をもとに、幸福度と遺伝の関係をひもときながら、日本人の「真面目さ」や「慎重さ」が、実は長寿につながっているという意外な可能性について解説します。
 〈著者プロフィール〉
 中野 信子 (著)
 東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東日本国際大学特任教授、京都芸術大学客員教授、森美術館理事。2008年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに、人間社会に生じる事象を科学の視点をとおして明快に解説し、多くの支持を得ている。著書に『サイコパス』(文春新書)、『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)、『咒(まじない)の脳科学』(講談社+α新書)など多数。
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 2023年12月7日 AERA Book「1万組以上のふたごを調査してわかった「遺伝の誤解」 子の“適性”の見つけ方
 30年以上にわたり、1万組を超えるふたごを調査し、人間の行動に遺伝がどのように影響するかを研究してきた安藤寿康さん最新刊『教育は遺伝に勝てるか?』では、5組の一卵性双生児の事例を取り上げた。まったく同じ遺伝子を持つ2人は、それぞれ独立した人格でありながら、まるで遺伝子に導かれるように、類似した人生経験を選び取る。遺伝とは何なのか? 子育てにおいて重視すべきこととは? 安藤さんに話を聞いた。
 *  *  *
 【音声で聞く】「あの親の子だから…」は正しい? 遺伝研究の専門家が教える「親がやるべきこと」
 なぜ今「子育て・教育と遺伝」なのか
 「講演会にいくと、『子どもの適性(遺伝的素質)をどうやって見極めればいいでしょう』と必ず聞かれるのですが、それが一番困る質問なんです」
 安藤さんはにこやかに答える。安藤さんの研究は子育てに正解を与えるものではない。それなのに注目が集まるのは、人間の能力やパーソナリティーに対する遺伝の影響が十分に語られてこなかったからだ。
 安藤さんは「双生児法」という手法で、人間の行動への遺伝の影響を研究している。ざっくり説明すると、遺伝子と家庭環境のどちらも共有する一卵性双生児と、遺伝子は同じではないが家庭環境を共有する二卵性双生児、両方のふたごをたくさん集めて、知能やパーソナリティーについて比較する。一卵性のほうが二卵性よりも類似の度合いが大きければ、遺伝がかかわっていると判断できる。一卵性も二卵性もどちらも同じくらい類似していれば、それは遺伝ではなく、環境によるものと推察できる。
 安藤さんによれば、一卵性双生児がよく似たライフコースをたどるケースはめずらしくない。同じ職業に就いているとか、同じ時期に同じ病気をしているといった逸話には事欠かない。
 研究によって明らかになったのは、「あらゆる能力には遺伝がある」ということだった。
 例えば、知能には4割から7割弱が遺伝の影響がある。大人になるほど遺伝の割合が増える。学業成績は、学年や科目によるが、1割強から5割強が遺伝で説明できる。知能に比べれば、学業成績のほうが環境の影響が大きい。ただ国や年齢によっても割合は異なり、イギリスでは子どもの時は知能より学業成績の遺伝率の方が大きいという報告もある。
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 安藤寿康(あんどう・じゅこう)/1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学名誉教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。日本における双生児法による研究の第一人者。この方法により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティー、学業成績などに及ぼす影響について研究を続けている。(撮影/写真映像部・高野楓菜)
 ちなみに、集団内での差異(=個人差)を遺伝要因と環境要因に分けた時に、遺伝で説明できる割合を「遺伝率」と言う。
 内向的か外向的か、勤勉であるかといったパーソナリティーの遺伝率は3割から6割ほど。おもしろいのは、家庭環境の要因がほぼ見られないことだ。じゃあ残りの4割から7割は何かというと、「非共有環境」といって、ふたごがそれぞれ異なる影響を受けるものを指す。例えば、友人関係や部活動、アルバイトなど、ふたごであっても別々の経験をすれば、それらが非共有環境となっていく。
 子どものパーソナリティーに、親の育て方は影響しなかった(繰り返すが、親や家庭以外のさまざまなできごとは非共有環境として影響する)。「こう育てればこう育つ」式の子育てマニュアルがすべての時代に、安藤さんの主張は新鮮に響いた。
 教育を語る時に、遺伝のことを誰も語らなかった
 遺伝の影響はなぜ、ほとんど顧みられなかったのだろうか。みんな本気で「早期教育を正しく行えば子どもの能力はどんどん上がっていく」「親が育て方を間違えなければ必ずいい子に育つ」と信じていたのだろうか。
 「というより、遺伝については誰も語らなかったということだと思います。もちろん、教科書には最初に『遺伝と環境』というチャプターがあり、遺伝と環境どちらも大事という話が載っている。でも、どういう教え方をすれば学力が伸びるかとか、どういう家庭環境だと子どもがどうなるかという研究をしている人が、教育学や心理学では圧倒的に多く、その中に遺伝という変数を入れようとは考えなかったんです。そういうリサーチクエスチョンを持たずにすむ知的風土があったし、今もあると思います」
 その背景には、遺伝に対するある種のタブー感があったと考えられる。巨大な負の歴史があるからだ。
 「社会科学で遺伝を扱おうとすると、優生学が頭にちらつくどころか、『お前は虐殺を正当化するのか』と言われることすらありました」
 安藤寿康著『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)
 優生学とは19世紀に誕生した“人類を遺伝的に改良する”ことを目的とした学問だ。ナチスは優生思想に基づいたさまざまな政策を押し進め、ホロコーストを引き起こした。日本も無縁ではなく、遺伝性とされた病気や障がいのある人たちに強制不妊手術や中絶を強いる優生政策は戦後まで続いた。
 「今でも遺伝という言葉は、差別や偏見に容易に結びつきます。教育の話でいえば、本人の思いや行動と関係なく『頭がいいのはあの親だから』と決めつけられることもあるし、逆に本人が『親は頭がいいのに自分は違う』と傷つき思い悩むこともある。決してうれしい話には結びつかない。だから、『この人がこのような人間であるのは、遺伝もあるかもしれないけど、やっぱり環境だよね』と考えることが正義だと思われていたんだと思います」
 なんらかのバイアスがないと人は選択できない
 多くの人が抱いている遺伝に対する最大の誤解は、「親と似ること」が「遺伝」だと思われていることだ。この捉え方は、科学的に正確ではない。
 一つの形質にかかわる遺伝子の数は膨大で、しかも親から子へどのような遺伝子が伝わるかは完全にランダムだ。だから同じ両親からも、違った遺伝子の組み合わせ、違った素質をもつきょうだいが生まれる。その組み合わせはどちらの親ともちがう。あることについては他人より優れていながら別のふつうのことについてはとても苦手というアンバランスな素質を抱えて生きづらさを感じている「ギフティッド」がしばしば生まれるのも、おそらく遺伝子伝達がランダムな組み合わせを生むためだろう。一つの遺伝子が複数の形質にかかわっていることも明らかになっている。
 「今回の本で強調したかったのは、同じ親からでも、ものすごく多様な子どもが生まれうるということです。それはほとんど、私たちが住んでいるこの社会全体の遺伝的なバリエーションと同じくらいの確率です。つまり、親と似るのが遺伝だと思われているけれども、似ないのもまた、遺伝だということです」
 ここで、最初の問いに戻る。多くの親は、できれば子どもが持っているものを伸ばしてあげたいと思っている。受験にしろ習い事にしろ、向いていないことを強制したくはない。ただ、今ここで諦めてしまったら、将来のよりよい環境を逃すことになるのではないかと思って迷う。
 「適性を見つけることは、依然として難しいと思います。ただ、少なくとも、できないのは本人の努力不足とか、学習方法や指導の仕方が悪いと言って、心がすり減るほど無理をするのは合理的ではないということは、わかると思います。さらに言えば、適性の萌芽は、必ずしも期待した通りに現れるのではなく、本人すら気づいていないうちに、その人にしかないような、まさに“個性的”な形で発現することもありうる。それが、(『教育は遺伝に勝てるか?』に書いた)写真家になった一卵性双生児の実話で示したかったことです」
 彼らは、自分に自信が持てずこのままでいいのだろうかと迷う、ふつうの青年だった。別々のタイミングで写真と出合うのだが、その衝撃を語る言葉は不思議なほど似通っている。
 安藤さんによれば、そもそも自分が持っている素質にぴったり合う環境に出合うことは理論上あり得ない。
 「たいていの人は、どの環境もちょっとは合うけど、完全には合わないという状態をずっと続けています。幼い頃にパッとひらめいてしまう人もいれば、一生さまようことだってあるのが現実だと思います」
 親がどのような環境を与えたところで、子どもは子どもなりに反応する。好きなら夢中になるし、嫌いなら反発する。それぐらい遺伝の力は強い。
 「子どもにどのような環境を与えるかは、基本的に親の趣味と子ども自身の趣味をそれぞれ前面に出してぶつけさせればいいと、僕は思っているんです。親がロックを好きなら、徹底的にロックのすばらしさを教えればいい。裏切られることがあるのを承知の上でなら、受験に邁進してもいいと思います。子どもが嫌だと思うこともあるかもしれないけど、嫌だと思わせることも教育だと思っているので。そこがあやふやで、いつまでたっても親が何をやっているかわからず、最終的に『全部きみの自由だよ』と放り出されるほうが、子どもには酷だと思う。なんらかのバイアスを作ってあげないと、人は選択できないですから。そのバイアスというのが、一つは本人の好みで、もう一つが親の持っている“本物”の社会です。親が経験してよかったと思うこと、自分にしっくりくるものを、多少意図的に示してあげてもいいんじゃないか。そうすると、自分自身を振り返ることになる。親にとっても恩恵になるのではないでしょうか」
 (構成/長瀬千雅)
 【『教育は遺伝に勝てるか』の内容を読む】
 #1 ジェットコースターと肝試し、怖がる“遺伝子”は別
 #2 子の成長は遺伝で決まる 「親の育て方しだいではない」
 #3 人間は「教育」がなければ生きられない
 #4 学力への影響は「遺伝」が50%、「環境」が30%
 #5 ふたごを調べて分かった、学力にかかわる4つの項目
 #6 遺伝的素質を発揮できない子どもたちに経済的サポートを
 #7 子どもの問題行動と親の厳しさの因果関係
 #8 「非行」は環境の影響「犯罪」は遺伝が関わる
 #9 どんな子も教育環境から遺伝的才能を開花させる
 #10 “テスト”は百害あって一利なし
 #11 都会と田舎、家庭の裕福さは自由さに関係するか?
 #12 行動遺伝子学から考える未婚・既婚での“女性の自由度”の差
 1万組以上のふたごを調査してわかった「遺伝の誤解」 子の“適性”の見つけ方
 朝日新聞出版の本
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 2024年9月11日 クーリエ・ジャポン SCIENCE「結局、遺伝は私たちの人生をどの程度決めるのか
 双子研究者ナンシー・シーガルに聞く
ナンシー・シーガル:心理学者。カリフォルニア州立大学にて、双子、および遺伝子と 環境が生命に与える影響について研究をおこなう Photo: Wikimedia Commons / Getty Images
 シュピーゲル(ドイツ)シュピーゲル(ドイツ)
 Text by Kerstin Kullmann
 米カリフォルニア州立大学の双生児研究センターを率いる発達心理学者のナンシー・シーガルは、双生児の特性について長年関心を持ち、研究を続けてきた。
 同じ遺伝子を持ちながらそれぞれ違う環境に身を置くことができるため、遺伝と環境による影響の割合を調べるのに、双生児の調査は非常に役に立つ。過去には非人道的な手法での研究もあったが、現在では研究倫理も整えられ、多くのことがわかるようになってきた。
 独誌「シュピーゲル」が、シーガルにこれまでの研究でわかっていることや、私たちが「遺伝」や「環境」に関して誤解していることを聞いた。
 「環境が遺伝の長所を伸ばす」ために、遺伝の影響力を認めなければならない
遺伝が環境を引き寄せる
──ミネソタ大学であなたの上司であり同僚でもあったトーマス・ブシャードは、環境の影響と遺伝的性質の相互作用を、かつて一般的であったように対立として描くのではなく、「育ちを通じての生まれ」として描きました。彼の意図は何だったのでしょうか。
 ブシャードのアイデアは、私たちがいる環境は偶然の産物ではないというものでした。そうではなく、私たちは、私たちと相性のよい特定の人々、場所、出来事に引き寄せられていると感じるものだというのです。
 そうすると、ある人の環境というのは偶然ではなく、自身のパーソナリティの反映ということになります。歳をとればとるほど、私たちは自分の環境を、自分に合うように形作ることができるようになります。そうして日毎に「私たち自身」になっていくのです。
 私たちは自らの研究において、そうしたことが双子たちの人生において信じ難いほどの類似性として表れるのを繰り返し目にしてきました。たとえば、世に言う「消防団双子」のケースです。
 一卵性双生児のマークとジェリーは、赤ちゃんのころに養子縁組によって離別し、ニュージャージー州で互いに約100キロほど離れた場所で成長した。2人とも、電気技師の仕事に就き、消防団で活動していた。彼らは31歳のときに再会したが、それは消防団のある同僚が、よく似た外見で誕生日が一緒の人物が2人いることに気づいたからだった。最初の面会のとき、マークもジェリーも、小指を大きく広げてビールジョッキの底を支えるような持ち方をしていた。
──こうした大小の共通点は、この兄弟について何を語っているのでしょう。
 2人ともどちらかと言えば技術職に興味があり、2人とも何か他人の役に立ちたかったのです。彼らは、こうした多くの共通点があったために、異なる家庭で育ったにもかかわらず比較的似た人生を送りました。
 最終的に知り合ったとき、彼らはすぐさまお互いをよく理解し合う仲になりました。ミネソタの実験室で調べたとき、彼らはまるで子供のように遊んでいましたよ。こうした双子のペアではよく見られる現象で、不思議なことではありません。彼らは一緒の子供時代というのをまるごと取り戻さなくてはならないのです。
──マークとジェリーは実験室で何をおこなったのですか。
 私たちはいつも、研究参加者から医学的に重要なデータを集めます。そのために、彼らはさまざまな機器を取り付けられていました。たとえば、身体活動をモニターする機器などです。
 この双子たちは両方とも、測定が完了すると、この機器を勢いよくコーラのグラスに沈めました。
 マークとジェリーは、どういう見解をもっているかという点でも驚くほど似ていて、2人とも、女性が消防団への入団を許されることに対して断固反対でした。
──政治的意見や宗教上の信念なども遺伝するのでしょうか。
 一定の割合ではそうです。この問いに関する科学研究は、「伝統主義」と呼ばれるものの、すなわち宗教、歴史、ないし政治についての諸見解の50%程度は、遺伝的な要因の影響を受けていることを示しています。
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 2024年1月23日 PRESIDENT WOMAN Online「裕福さ、器量、健康、結婚は実はあまり関係ない
 「幸福度の50%は遺伝、10%は環境で決まる」では残り40%は…心理学の研究が明かす驚きの"幸福度の円グラフ"
 ソニア・リュボミアスキー
 心理学教授
 幸せな生活をずっと続けるにはどうすればよいのか。米国カリフォルニア大学リバーサイド校の心理学教授であるソニア・リュボミアスキーさんは「幸福になるための最大の鍵は『私たちの日々の意図的な行動』にある。『非常に幸福な人々』と『不幸な人々』を比較し、実験を行なったところ、『最も幸福な人々の考え方や行動パターン』がわかった」という――。
 ※本稿は、ソニア・リュボミアスキー『新装版 幸せがずっと続く12の行動習慣』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。
 「ポジティブ心理学」の研究者と話し合ってわかったこと
 2001年1月、私はメキシコにある「アクマル」という、カンクンから車で2時間ほどの静かで美しいリゾート地へ旅しました。そこは暖かなそよ風が吹く場所で、「パラパ」と呼ばれるヤシ葺き屋根の小屋に6人ほどが集まりました。「ポジティブ心理学」という、当時はまだかたちになり始めたばかりの分野の研究者たちが、お互いの発見を共有し、アイデアを出し合うためです。
 このアクマルで交わしたいくつかの会話は、私の仕事のかたちや方向性に大きな変化を与えるきっかけとなりました。その1つに、同僚の教授であるケン・シェルダンとデイヴィッド・シュケイドと交わした会話もあります。
 私は旅の前に彼らを含む研究者たちにEメールを送り、「人々が幸福を追求するさまざまな方法を分類した論文を執筆することについて話し合いたい」と伝えていました。けれども、いざ話し合ってみると、このテーマに関する実証的な研究がほとんど存在しないことに私たちはたちまち気づいたのです。
 大半の心理学者は「ずっと続く幸せなんてない」と思っていた
 より幸福になるために人々がどんな方法を用いているかを、ほとんどの研究者は知りません。さらに、大半の心理学者は「ずっと続く幸せ(持続的幸福)」という概念そのものに対して悲観的だということがわかりました。
 当時、学界が関心を寄せていたのは2つの発見でした。1つ目は、幸福は遺伝するもので、人の一生を通じてほとんど変化しないこと。2つ目は、人生におけるどんなポジティブな変化に対してもいずれ慣れてしまう、驚くべき能力を人は備えていることでした。そのような理論からすれば、人は「ずっと続く幸せ」を手にすることはできない、ということになります。
 どんなに幸せを感じようと、それは一時的なもので、長期的に見れば、もともとの状態、いわばそれなりに満足できる状態に戻らざるをえないというわけです。
 「幸福」を決める要素は円グラフで表せる
 同僚の研究者であるケンとデイヴィッド、そして私は「ずっと続く幸せなんてありえない」という結論には懐疑的でした。
 そこで、私たちはその説がまったく見当違いであることを証明しようと決心しました。数年にわたって私たちは研究を続け、なんとその結果、「ほんとうの幸せ」を発見することができたのです。さらに、幸福を決定づける最も重要な要素も特定できました。それは図表1のようにシンプルな円グラフとして表わすことができます。
 幸福を決定するものは何か
 出典=『新装版 幸せがずっと続く12の行動習慣』
 この円グラフを十分に理解していただくために、「100人の観客で満員になった映画館」を想像してみてください。この映画館にいる100人それぞれが、あらゆる幸福度を体現しています。つまり、とても幸せな人もいれば、まあまあ幸せな人もいて、ひどく不幸な人もいるわけです。円グラフの右下の部分は、意外にも、人それぞれの幸福度の違いのうち50%程度が、遺伝で決定づけられた設定値に起因することを示しています。この発見は、一卵性双生児と二卵性双生児に関する研究から生まれたものです。その研究によって、次のような結論が導かれました。
 幸福度の50%は遺伝である
 人はそれぞれ特定の幸福度の設定値をもって生まれてきます。その設定値は生物学上の母親か父親、あるいは両方の親から受け継いだものです。それは幸福の基準になるもの、または幸福になれる可能性であって、たとえ大きな挫折を経験したり、または大成功を収めたりしたあとでも、人はその基準点(設定値)に戻っていきます。
 つまり、もしも魔法の杖があって、映画館にいた100人全員を遺伝的な「クローン」(または一卵性双生児)に変えられたとしたら、遺伝による設定値分の50%は同じレベルの幸福度ですが、それ以外の部分で彼らの幸福度には違いがあるということです。
 これは体重の設定値と似ています。たとえば、ほっそりとやせている恵まれた状態の人は、何もしなくても楽々と体重を維持できます。その一方で、望ましいレベルに体重を維持するためには途方もない努力をしなければならない人もいます。ほんの少しでも気をゆるめたとたん、体重がもとに戻ってしまうのです。幸福度の設定値にもこれと同様のことがいえます。
 生活環境や状況は幸福度の10%程度に過ぎない
 では、この研究で明らかになったことは、幸福になるためにどんな意味をもつのでしょうか? それは、知性やコレステロールにおける遺伝子と同じように、人が生まれつきもっている設定値の大きさ――つまり、高い(7段階中で6)か、低い(7段階中で2)か、中程度(7段階中で4)か――が、人生を通じてどれくらい幸せなのかを決定するということです。
 そしておそらく、最も意外に思われるであろう結論をこの円グラフは示しています。「裕福か、貧乏か」「健康か、病気がちか」「器量がいいか、人並みか」「既婚者か、離婚経験者か」などの生活環境や状況による違いは、幸福度のわずか10%程度しか占めない、ということを。
 魔法によって、例の映画館にいた100人全員を同じ環境(同じ家に住み、同じ配偶者をもち、同じ場所で生まれ、同じ顔をして、同じ痛みを感じる)においてみた、という状況をイメージしてみてください。そのような状況だと、その後に変化があったとしても、彼らの幸福度はせいぜい10%分しか違ってこないのです。
 この結論にはしっかりとした科学的な根拠があります。とてもよく知られた研究結果で、「年収1000万ドル以上のとりわけ裕福なアメリカ人の幸福度は、彼らが雇っている労働者の幸福度と比べて、やや上にすぎなかった」ということが報告されています。
 テーブルの上に女性の指で配置される10%と書かれた木製のブロック写真=
 結婚が幸福度に与える影響
 また、既婚者は独身者よりも幸せだと一般的には思われるかもしれません。しかし、個人の幸福度に結婚が与える影響はじつのところかなり小さなものだ、ということもこの結論からわかっています。これは別のデータも物語っています。
 10カ国で調べたところ、既婚者の25%と独身者の21%が、自分は「とても幸福だ」と述べているそうです。このような収入や配偶者の有無など「環境の要因」が、じつは幸福度の決定にはあまり影響しないという発見に、驚く人はかなり多いでしょう。
 幸福度に影響を与える要素として、富や美しさ、健康などは影響が小さいものだとは、なかなか信じられないかもしれません。けれども、これにも強力な研究結果があります。その研究結果について、のちほど興味深い説明をいくつかしていきます。まずは「生活環境は幸福になるための最大の鍵ではない」ということが真実だと受け入れられれば、幸福を追い求める力はより大きくなるのです。
 可能性は40%の「意図的な行動」にある
 ここで、またさきほどの円グラフに戻ってみましょう。例の映画館にいた100人全員が一卵性双生児で、誰もがそっくり同じ生活環境にあったとしても、幸福度にはなおも違いがあるでしょうか? その質問には、次のように答えられます。「遺伝的に決定される性格や生活面でのさまざまな環境を考慮に入れても、幸福度における40%の違いがまだ残る」と。では、この「40%」をつくりあげているものとは何でしょうか?
 遺伝子や、環境のほかに、重要なものが1つ残っています。それは私たちの「行動」です。つまり、幸福になるための最大の鍵は「私たちの日々の意図的な行動」にあるのです。遺伝子の性質を変えること(不可能ですが)にあるのではなく、「環境を変えること」(つまり、富や魅力、もっといい同僚を求めること)にあるのでもないのです。それを頭に入れると、あの円グラフが表わしているのは、幸福度が高まるために、私たちが40%ならコントロールできるということです。その40%とは、日常生活での行動や考え方を通して幸福度が高まる余地やチャンスがたくさんあるという意味でもあるのです。
 これはじつに素晴らしい情報です。つまり、とても幸せになっている人々が自然にどんな行動をとり、どんな考え方をしているかを注意深く調べれば、誰もがいまよりずっと幸せになれるのです。
 幸福な人の考え方や行動パターン
 これまで誰も踏み込んでこなかった幸福度が高まるための潜在的な可能性こそ、私が研究の大半を捧げてきたものです。「非常に幸福な人々」と「不幸な人々」を系統的に観察し、比較し、実験を行なってきました。次にあげるのは、私たちが観察したなかで、「最も幸福な人々の考え方や行動パターン」です。
・かなりの時間を家族や友人とすごし、その人間関係を大切にして楽しんでいる
・誰に対しても感謝を表わすことが苦にならない
・同僚や通りすがりの人にまっ先に支援の手を差し伸べる場合が多い
・未来を考えるときは、いつも楽天的である
・人生の喜びを満喫し、現在に生きようとしている
・毎週、または毎日のように身体を動かすことを習慣としている
・生涯にわたる目標や夢(たとえば、世の中の不正行為と闘うこと、自分が強く信じている価値観をわが子に教えること、戸棚をつくることなど)に、全力を傾けている
・最後に、これは重要な点として、最も幸福な人々にも、当然、ストレスや災難はあるし、悲劇さえ起こり得るのです。普通の人と同様に、つらい環境におかれると落ち込み、感情的になるでしょう。しかし、彼らの秘密兵器は「困難に直面したときに対処する考え方や強さ」にあります。
 できそうな方法を1つ試してみればよい
 ソニア・リュボミアスキー『新装版 幸せがずっと続く12の行動習慣』(日本実業出版社)
 この「最も幸福な人々の考え方や行動パターン」については、「自分は、ふだんできていない……」「できそうもない……」と腰が引けてしまうかもしれません。でも、ここにあげたすべてを実行しようとする必要はないのです。何もかもできる人などいませんし、大部分をやり遂げられる人もまれでしょう。
 まず、いまの自分に役立ちそうな方法を1つ(できれば2つか3つ)選びだすことから始めましょう。それだけであなたは今日からとても効果的な方法を手にし、自分の人生をコントロールでき、幸福度によい影響を与えることができるはずです。
 ソニア・リュボミアスキー
 心理学教授
 米国カリフォルニア大学リバーサイド校の心理学教授。社会心理学とポジティブ心理学のコースで教鞭をとっている。ロシア生まれ。ハーバード大学で学士号を取り、スタンフォード大学で博士号を取得した。2002年度のテンプルトン・ポジティブ心理学賞などさまざまな賞を受賞している。また、現在は『ポジティブ心理学ジャーナル』の編集に携わり、米国国立精神衛生研究所から数年にわたって助成金を受けて、「永遠に続く幸福の可能性」について研究を続けている。テレビやラジオの番組にも多く出演し、多数の講演も行なっている。家族とともにカリフォルニア州のサンタモニカに在住。
   ・   ・   ・   

🌺34:─17─日本民族の異常遺伝子における空気支配と同調圧力。~No.88 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
2026-02-11
🏕14)─2─日本人は特異遺伝子から同調圧力と安定志向で変化を嫌う。~No.26 
2026-02-15
🏕14)─3・②─日本の特異遺伝子による空気教、孤独の闇な文化、いじめ、森田療法。~No.27 
   ・   ・   ・   
 2026年6月7日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「日本人はなぜ空気に支配されるのか。脳科学者・中野信子が伝える「支配力の源」3つの要素
 中野 信子(脳科学者)
 職場や学校で、「空気」という暗黙のルールの中で生きなければならない私たち。さらに今、激変し続ける社会情勢を受け人々の不安はいや増し、空気の圧力は強まるばかりです。
 そこで、中野信子さんが日本人の心性と強みを、脳科学・遺伝学・行動科学をとおして初めてひもとき、多くの共感を呼んだ大ベストセラーに、対処法を加筆したのが『新版 空気を読む脳』です。
 日本人に特有の「空気を読む」能力を知ることが、賢く生き延びるための武器となります。たとえば、神風やバブル、不祥事の隠蔽など、なぜ、責任の所在があいまいとなるのか、なぜ、証明が正しくても反対意見が通らないのかなどなど、空気の支配の影響力が第3回(前編)で明らかになります。
 空気を否定したら生きていけない
 日本人が「空気」というきわめて局所的かつ強力な統治原理を手放さない限り、半永久的に日本は単立文明であり続けるのではないでしょうか。欧米のような「神」や「契約」といった外的な絶対規範を持たない日本において、集団の意思決定を左右するもっとも強力な要因である「空気」。これは、単なる雰囲気といったようなものではなく、私たちの行動を支配する非常に強い力を持っています。
 © 現代ビジネス
 この支配力の源は、先にも述べましたが責任の所在の不可視化、論理(ロジック)の無効化、また臨在感的把握の3要素から構成されています。
 責任の所在の不可視化は、「空気が決めたこと」になれば、結果として失敗しても、「あのときはそういう空気だったから仕方ない」という言い訳が成立し、誰も責任をとらず健全なフィードバックが行われ得ない構造が生まれます。むしろ健全なフィードバックを行った人間から排除されるでしょう。「空気」を否定した者は、もはやその「空気」を吸って生きていくことはかないません。
 論理の無効化も、同様の構造によって起こる現象です。どんなにデータや数字で「それは不可能だ」「間違っている」と証明されたとしても、その場の「空気」が賛成に傾いていれば、反対意見を口にした者は排除されます。それは神のごとき支配者たる「空気」に「水を差す」、つまり「論理」という異教の神を崇める背信行為、共同体への反逆行為にほかならないからです。
 臨在感的把握というのは、特定の対象に「霊的な何か」が宿っているかのように感じ、それを絶対視してしまう心理のことです。21世紀の現代においても、さらには都市生活者であっても、八百万(やおよろず)の神としてものや場や思考、物語、言葉そのものなどに霊的な何かが宿ることを多くの日本人が自然に受け入れて日常を送っているさまは、それだけで他文明とは異質であり、この「感情的な一体感」が「空気」をつくり出していきます。
 「水を差す」ことの重要性
 日本の異質さを「空気」というキーワードで解剖した山本七平は、日本の意思決定が以下のサイクルをくり返していると指摘しました。
 空気が支配し始める、醸成過程。誰も異論を唱えられない雰囲気がつくられていきます。
 これが完成すると、暴走過程が始まります。合理性を度外視した、「空気」の絶対的支配です。神風、バブル、不祥事の隠蔽など、特定の方向に集団が突き進む強力な圧となるものです。ここで破滅的な失敗や、外部からの強力な強制力によって空気が霧散する事態が生じると、崩壊過程に入ります。しかしながらこの破滅的な失敗は、次に活かされることはほとんどなく、「あの状況では仕方なかった」などの慰めが支配的となる忘却過程が続きます。そして誰も責任をとることはなく、また次の「空気」が生まれることになります。
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 山本はあえて、空気を読んだうえで、それに支配されないために、「水を差す」ことの重要性を説いています。今自分が感じている「空気」を、絶対的な真理ではなく、あくまで「一時的な心理現象」として客観視する視点の導入です。
 山本は「水」を「空気による狂信状態から覚醒させるための不可欠な手段」としてとらえなおしました。「空気」がある種の熱狂や「臨在感的把握(対象に感情移入しきった状態)」によって成立しているなら、その熱を冷ますのが「水」の役割だから、水を差すことができる人を育成せよ、というわけです。
 とはいえ日本社会では、先述のとおり「水を差す」ことはせっかくの盛り上がりにケチをつけるなどネガティブな文脈でとらえられることがしばしばです。「空気」は単なる雰囲気ではないのです。一種の「宗教的拘束力」に近いもので、破れば苛烈な「罰」がくだされるものなのです。
◇後編「「寝ずに頑張った」がいまだに評価される驚きの理由。脳科学者・中野信子が語る「誠意の免罪符」」ではさらに掘り下げて詳しくお伝えする。
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 6月9日 YAHOO!JAPANニュース BOOKSTAND「なぜ日本人は「空気」を読むのか―― 「世間」が生み出す「同調圧力」の実態
 『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書 2579)』鴻上 尚史,佐藤 直樹 講談社
 空気を読め――。日本で生きていると、そんな無言の圧力を感じる場面は少なくない。学校や職場、ママ友の集まりなど、日常のあちこちで「周囲に合わせること」が"正解"のように扱われる風潮がある。
 作家の鴻上尚史氏と評論家の佐藤直樹氏による著書『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書)は、こうした生きづらさを抱える人におすすめしたい一冊だ。両氏の対談形式で進む本書は、日本人を縛る"空気"の正体を「世間」という概念から解き明かしている。
 第一回目の対談がおこなわれたのは、新型コロナウイルスの感染拡大で「緊急事態宣言」が発令されていた2020年のさなか。多くの人が自主的に外出を控えていた時期だ。他国ではロックダウンが実施されるなか、日本では強制力や罰則を伴わない「自粛」や「要請」が中心だった。それでも日本人の多くは足並みをそろえるように行動していた。
 この状況を「民度の高さ」と評価する声もあったが、著者たちはその背景に「同調圧力」が作用していると指摘する。
 「同調圧力とは、少数意見を持つ人、あるいは異論を唱える人に対して、暗黙のうちに周囲の多くの人と同じように行動するよう強制することです」(本書より)
 確かに日本では、法律やルール以上に「空気」が強い拘束力を持つ場面が少なくない。そしてコロナ禍では、その力がより強く、ときに凶暴な形で表面化した。自粛警察やマスク警察といった言葉が生まれ、県外ナンバーの車に厳しい視線が向けられるなど、周囲と異なる行動への排斥が顕在化したのである。
 ではなぜ、日本では同調圧力が強く働くのか。本書の重要なキーワードとして浮かび上がるのが「世間」という概念だ。鴻上氏は「世間」と「社会」の違いについてこう述べている。
 「『あなたと関係のある人たち』で成り立っているのが『世間』、『あなたと何も関係がない人達がいる世界』が『社会』です」(本書より)
 佐藤氏によれば、「世間」という言葉は1000年以上前から存在していた一方、「社会」という概念が日本に定着したのは明治以降だという。つまり日本人は長い間、「社会」よりも「世間」に縛られて生きてきたことになる。
 さらに本書では、「世間」を構成する独特のルールにも触れている。お歳暮やお中元などに見られる「お返しのルール」、年齢や立場を重んじる序列的な「身分制のルール」、そして「みんな同じ時間を生きている」という平等意識などである。
 こうした規範は日常の中で暗黙のうちに作用している。お返しの有無が人間関係の評価に直結し、「出る杭は打たれる」という言葉が示すように、目立つ行動は周囲の視線によって抑制されやすい。
 「『世間のルール』を順守しないと『世間』から排除されるが故に、日本人はこれをじつに生真面目に守っている」(本書より)
 一方で本書は、「世間」がもたらす肯定的な側面にも目を向けている。日本社会の治安の良さや秩序の維持はその代表例だ。東日本大震災の際も、混乱の中で略奪や暴動が大規模に発生しなかったことは海外からも注目された。そこには「人様に迷惑をかけない」「つらいのは皆同じ」という"世間のルール"が働いていたと考えられる。
 しかし、安心の裏には代償もある。「同じであること」が強く求められる社会では、個人の逸脱はしばしば許容されにくく、排除や孤立を招くこともある。
 現代ではこの圧力がインターネット空間にも広がっている。本書によれば、日本のXにおける匿名率は7割を超えるという。匿名性は現実の「世間」から距離を取るための逃げ場として機能する一方、過剰な批判や誹謗中傷を生み出す側面も持つ。
 「日本人は『世間の目』のないところでは、傍若無人になります」(本書より)
 本書は、単純に「世間をなくすべき」と主張しているわけではない。むしろ、ひとつの強固な「世間」に依存するのではなく、ゆるやかに複数のコミュニティとつながることの重要性を説いている。
 「要は自分をたった一つの強力な『世間』で支えようとしない、ということ」(本書より)
 誰もがどこかの「世間」とつながり、他者の視線や評価から逃れにくい時代だからこそ、「空気」に支配されすぎない関係性の持ち方が問われているのかもしれない。
 同時に、本書が示す「世間」という視点は、日本や日本人の特性を説明するためだけのものではない。自分がどのような関係性の中で生きているのか、その距離の取り方を考えるための手がかりとして提示されている。本書を通して、自分を息苦しくしているものの正体と、その向き合い方のヒントが見えてくるはずだ。
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