⛼44〕─1・B─橿原神宮。御祭神、第一代神武天皇。大和三山、畝傍山。明治23(1890)年に創建。〜No.151   

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 橿原神宮公式ホームページ。
 橿原神宮について
 建国の聖地・橿原、ここから日本という国が始まりました。
 日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
天照大神あまてらすおおかみの血を引く神倭伊波禮毘古命({かむやまといわれびこのみこと}後の神武天皇)が、
 豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、
 想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓に橿原宮を創建されました。
 第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のことです。
 日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう。
 御祭神
 第一代神武天皇と、皇后の媛媛蹈韛五十鈴媛命を御祀りしています。
 橿原神宮がお祀りしているのは、第一代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)です。神武天皇は、天照大神天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)より四代目に当たり、正式には「神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)」と申し上げます。皇后の媛蹈韛五十鈴媛命は、大物主命の御娘に当たる方です。
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 ウィキペディア
 橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市畝傍山の東麓、久米町に所在する神社である。
 概要
 記紀において初代天皇とされている神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。 1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。第125代天皇明仁とその皇后美智子は2016年、神武天皇2600年式年祭にあわせて親拝し、2018年には銅鏡を神宮へ贈った。
 近代の創建ではあるものの、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社である。他にも、勅使参向のもと紀元祭が行われる2月11日(建国記念の日)や、神武天皇祭が行われる4月3日および奉祝行事「春の神武祭」の開催期間にも多くの参拝者が訪れる。
 畝傍山東麓は北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。県道を隔てた東側は奈良県立橿原公苑として整備されており、橿原公苑野球場や橿原公苑陸上競技場があり、各種スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として頻繁に利用されている。公苑に隣接する施設として奈良県橿原考古学研究所および付属博物館がある。また、付近は多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。
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 大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された。
 2007年(平成19年)1月、世界遺産の暫定リスト「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の1つとして登録された。
 三山の構成と藤原京
 飛鳥時代持統天皇の頃には三山周辺に大規模な条坊制を取り入れた藤原京が整備され、三山に囲まれた中心部に大極殿などの宮城が置かれていた。
 天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、152m)
 畝傍山(うねびやま、199m)
 耳成山(みみなしやま、140m)
 歌に登場する三山
 万葉集では「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」(中大兄皇子、巻1-13)と歌われている。大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌である。この歌の「畝火ををし」を「畝火雄々し」と解釈し畝傍山の神は男神であるという説と、「畝火を愛し」と解釈して畝傍山は女神であるという説とがある。この歌は、中大兄皇子と弟の大海人皇子額田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したものという説もある。
 鉄道唱歌第5集の37番では「桜井いでてわが汽車は 畝傍(うねび)耳無(みみなし)香山(かぐやま)の 鼎(かなえ)に似たる三山(みつやま)を 前後に見つゝ今ぞゆく」と桜井線(万葉まほろば線)の車窓から見える大和三山を歌っている。
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⛼43〕─3・B─白嶽神社と古神道。対馬に魅力・関心・興味が薄い日本人。〜No.150  *

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 日本にとって、朝鮮は古代から敵国であり、朝鮮海峡が国境であり、対馬は国防の最前線であった。
 古代の日本人は、朝鮮からの侵略から日本天皇と母国日本を守る為に防人(戦闘員)を配置した。
 日本国と日本民族日本人は、対馬によって守られてきた。
 対馬は、朝鮮に幾度も侵略され、そのつど朝鮮人によって虐殺されていた。
 対馬の歴史は、琉球(沖縄)や蝦夷(北海道)・北方領土四島の歴史に比べて悲惨の一言に尽きる。
 現代日本人は、薄情である。
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 2019年9月16日 msnニュース NEWSポストセブンポストセブン「「韓国人観光客激減」で窮地の対馬 日本人こそ知るべき魅力
 © SHOGAKUKAN Inc. 提供 白村江の戦い後に築かれた山城「金田城」からの景色(筆者撮影)
 韓国・釜山から50キロと近く、年間40万人もの韓国人観光客が訪れていた長崎県対馬で閑古鳥が鳴いている。彼の国で続く「NO JAPAN運動」の波をもろに受け、対馬から韓国人客の姿が激減したという。同地を何度も訪れたことのある歴史作家の島崎晋氏は「今こそ日本人が対馬の魅力を再発見するとき」と訴える。
 * * *
 日韓政府関係の悪化で、九州を中心とした観光業界が悲鳴を上げている。なかでも苦境に立たされているのは「国境の島」とも呼ばれる対馬だ。島を訪れる観光客のほとんどが韓国人によって占められるなか、8月の韓国からの来訪者数は前年比で8割減というから、それこそ死活問題である。
 その穴を日本人観光客が埋めてくれればよいのだが、交通の便の悪さと地元のPR不足もあって、なかなか思うようにいっていない。
 対馬へのアクセスは福岡と長崎から飛行機か船を利用するしかなく、現地での交通手段もレンタカーかタクシーに限られる。路線バスもあるが、本数が少ないうえ、観光に適したルートを走ってはいないため、ほとんど役には立たない。島への限られた交通手段も冬場には強風で欠航になることが多いなど、国内観光客を呼び込む上で悪条件がいくつも重なっている。
 だが、実際に訪れてみれば一目瞭然なように、対馬対馬にしかない魅力で溢れている。
 遊びの点ではシーカヤックや乗馬、海釣り、トレッキングなどに適した場所が多い。動物好きであれば、ツシマヤマネコをはじめ、対州馬、ツシマテン、ツシマジカなど、対馬にしか生息しない生き物に興味を引かれるに違いない。さすがに自然な状態の野生種を見る機会に恵まれることは滅多にないが、島の北西端に位置する対馬野生生物保護センターに行けば、それらを漏れなく目にすることができる。
 パワースポットやスピリチュアルに関心のある人であれば、古神道を今に伝える神社や、つい最近まで禁足の地であった「オソロシドコロ」は必見だ。
 古神道では霊山そのものを磐座(いわくら=神の降臨する場)とする。拝殿や本殿はなく、あるのは鳥居と遥拝所だけだ。そのような神社が対馬には何か所もあるが、筆者が特にお薦めしたいのは美津島町にある白嶽神社と上県町にある天神多久頭魂神社(てんじんたくづだまじんじゃ)だ。
 白嶽神社では鳥居の下に立ち、標高519メートルの霊峰「白嶽」をバックに撮影すればインスタ映えすること間違いなし。天神多久頭魂神社も山をご神体とするため社殿がなく、石積みで結界を示すという古い形態が保たれており、近くにたたずむだけで自然と厳かに気持ちになれる。
 「オソロシドコロ」は、昼でも太陽光の届かない暗い森の奥にあり、最近まで限られた神官しか立ち入りを許されなかった。現在も島民は立ち入りをできる限り控えている聖域なので、大声を出したりはしゃいだりするのは厳禁である。
 対馬にはこれら以外にも、山幸彦の妻となったトヨタマヒメ神功皇后ゆかりの神社、白村江の戦いの直後に築かれた朝鮮式山城の金田城跡、対馬藩主宗氏の墓所日露戦争ゆかりの地など、見どころが豊富だ。
 対馬グルメも見逃せない。年間を通じて何かしら「旬」の海の幸があり、「いりやき」という寄せ鍋や、山海の幸を使った石焼料理、「ろくべえ」というサツマイモ製の麺料理、「対馬とんちゃん」という漬けタレ焼肉など、美味しいものがたくさんあって焼酎も充実している。
 これだけの魅力に富み、対馬物産観光協会のホームページも非常に情報量が多いのに、それでも日本人観光客の呼び込みがうまくいっていないのは、より多くの日本人にそれを見てもらう努力に欠けていたからだろう。
 観光業に直接携わる人を除いては、危機感が薄すぎるのである。九州北部と朝鮮半島を結ぶ交易を命綱としていた明治以前の歴史を今一度見つめ直し、じり貧で構わないという思考を捨てる。まずはそこからスタートすべきだろう。
【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など多数。」

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#2改編0)未整備─総目次─<平成31年1月28日>〜No.1  始めに。

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 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 日本人は、歴史が嫌いであり、歴史が理解できないし、歴史を学ぼうとはしない。
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2019-07-22
未整理1)ー目次・1ー~No.1 始めに。 
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2019-07-23
未整理1⦆ー目次・2ー~No.1 始めに。 
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2019-07-24
未整理1⦆ー目次・3ー~No.1 始めに。 
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2019-07-04
💖改編1)─甲─目次─天皇と人道貢献。旭日旗は希望と救いの旗であった。~No.1 始めに。  
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 6つのブログ。
1:昭和天皇は戦争回避とユダヤ人難民救護を希望し原爆開発中止を厳命した。 
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2)日本の祖先神・氏神の人神崇拝と普遍宗教の隣人愛信仰による400年宗教戦争
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3」西洋キリスト教文明・白人の功罪。中国共産党ソ連共産主義者による日本人女性子供虐殺事件。  
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4〕日本文明・日本天皇大和民族と中華文明・中華皇帝の中国・朝鮮両民族との2000年戦争。
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5}人口爆発時代。軍国日本の世界戦略は、食糧・石油・原材料などを海外で確保する為であった。
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6〉人口激減時代。絶望的少子高齢化は、短期的に労働者不足、中期的に消費者減少、長期的に日本民族日本人は少数派に転落、そして日本国の衰退。
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2012-03-01
♦Ⅰ。目次=1  <開始、平成22年11月19日>     〜No.1
2012-03-02
♦ Ⅰ。目次=2 〜No.2

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🌈103}104}105}─6─現代日本は世界遺産の神社周辺で村有林を伐採し景観台無しにしても恥じない。~No.230No.231No.232No.233No.234No.235 * ⑮   

鎮守の森 (新潮文庫)

鎮守の森 (新潮文庫)

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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 日本人は、自然を愛し、大事にし保護している、とは真っ赤な嘘である。
 それは見せ掛けに過ぎず、人々は騙されている。
 現代の日本人は、自然ととも生きていた昔の日本人とは違う。
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 現代日本の最優先課題は、経済であり、景気であり、金儲けである。
 それ以外は、二の次三の次である。
 自然も同様である。
 それ故に、国土を外国資本(中国資本)に売っても気にはしない。
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 日本文化を持った日本民族日本人が激減し、異国文化を持った外国人移民が増えれば、民族所縁の全てが消え去る。
 リベラルが理想とする多民族多文化他宗教共生社会は、まやかしである。
 日本文化は、他の文化を消滅させるほど強くはなく、むしろ他の文化に消滅させられる。
 グローバルは、ローカルを消滅させる。
 日本文化は、ローカルであってグローバルにはなれない。
 盆踊りや祭りなどの民族行事は、「怒れる少数派」によって中止か縮小に追い込まれている。
 反民族・非民族の少数派による暴走は止まらない。
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 2017年9月23日 産経ニュース「世界遺産の神社周辺で村有林伐採 「景観台無し」住民団体が質問書
 境内と社務所などが世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」の登録遺産となっている玉置神社の社殿=奈良県十津川村
 奈良県十津川村の玉置神社(世界遺産)周辺で進められている村有林伐採の再検討を求めて、村民らでつくる「奥熊野・玉置の世界遺産を守る会」(原秀雄代表)が21日、村に質問書を提出した。       
 同神社は村南東部の玉置山(1076メートル)山頂近くに建ち、神社境内と社務所などが世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産。境内は約3万平方メートルとされ、同じ登録資産の大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)が通る。
 しかし、平成23年度以降、林業振興を目的に山の北西側や南側で村有林の伐採が広範囲に進められている。同会によれば伐採は斜面に作業道を設置して行われ、伐採箇所は神社からも見えるという。
 同会は作業道建設に伴う土砂が奥駈道に落ち、奥駈道近くの桜の木も伐採されたとし、作業道の道幅なども問題視。世界遺産保全・活用して観光振興をはかる必要性を訴えており、村の説明を求めている。 
 原代表は「伐採でむき出しになった山肌は参拝者の不評を買い、神社表参道の景観などが台無し。玉置神社への信仰を支えてきた周辺景観の歴史的自然的価値を再評価し、伐採事業は再検討すべきだ」としている。
 これに対し村では「村の方針もあり、質問書の内容をよく検討して、回答したい」としている。」

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「鎮守の森」が世界を救う (扶桑社新書)

「鎮守の森」が世界を救う (扶桑社新書)

⛪251)─1─戦国時代。足利学校は学徒3,500人以上を抱えた「板東のマンモス大学」〜No.507No.508 /   ≪29≫

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 戦国時代は、殺伐たる殺戮の時代だけではなかった。
 戦国大名・武士達は、領地が少しでも豊かになる為に、比叡山の学問僧や足利学校の学徒を積極的に雇って意見を聞きながら領地経営を行っていた。
 日本民族日本人の法治主義や遵法精神は、戦国大名が定めた領地法によって形成された。
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 武士・サムライは、日本に存在して朝鮮や中国にはいなかった。
 武士・サムライは、土地に縛られ、土地を守る為に戦う、世襲制専制君主職業軍人であった。
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 現代日本のリベラル派・革新派そして一部の保守派は、世襲制専制君主や人殺しの職業軍人を非人道的犯罪者として否定している。
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 2019年9月12日 産経新聞「戦国期、九華の木板発見 足利学校、最盛期の史料
 九華の記した木板を手に説明する史跡足利学校事務所の大沢伸啓所長=12日
 足利学校(栃木県足利市)の校長に当たる第7世庠主(しょうしゅ)、九華(きゅうか)が敷地内の稲荷(いなり)社の再建経緯などを記した木板が解体修理中の大成殿から新たに見つかり、12日、報道陣に公開された。戦国時代、学徒3500人以上を抱え「板東の大学」と評された最盛期を知る貴重な史料といえそうだ。
 木板は縦39センチ、横11センチ、厚さ1センチ。墨書で「神体は半ば剥落し、宮も風雨に破らる。宮殿を建立し、新たに神体を奉る 九華誌之」などと記されていた。片面には退色で詳細不明だが、稲荷社の祭神「荼枳尼(だきに)天」らしき姿も描かれている。
 同学校の歴史をまとめた江戸時代の古文書には、この木板の内容と、九華が天文23(1554)年、稲荷社に八幡大菩薩を合祀(ごうし)したことを記す木板の内容を併記。このため、同じ年に九華が鎮護のため荼枳尼天八幡大菩薩図を奉納し、経緯を裏書きしたとみられている。八幡大菩薩図の木板は現存していたが、荼枳尼天図は所在不明だった。
 孔子を祭る孔子廟の正殿「大成殿」としては国内最古とされ、寛文8(1668)年に建築。2年前から文化庁の指導を受け解体修理中で、木板は敷居の下の2本の木材の隙間に挟まれていた。木板の前半部分は欠落していた。
九華は大隅(宮崎県)出身で、天文19(1550)年から29年間、庠主を務めた。当時、足利学校は軍師養成機関として栄え、宣教師のフランシスコ・ザビエルが「板東にある日本で最も大きく、有名な大学」と紹介。国宝書籍「文選」は永禄3(1560)年、小田原城主・北条氏政から寄進を受け、学徒が読めない字を記した紙片を松の枝に結ぶと翌日には振り仮名が付けてあった「かなふり松」の伝説も九華の時代に遡(さかのぼ)る。
 史跡足利学校事務所は「戦乱の世、九華が神仏に祈願して足利学校を守ろうとした熱い思いが伝わる。自筆の書写本など所蔵するが、足利学校の最盛期を知る新たな歴史的史料といえる」としている。木板は15日午前10時から開催する大成殿工事見学会で、一般にも公開予定。(川岸等)」
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⛼39〕─2・C─日本民族とマレビト神の托卵。〜No.140    

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 日本人が好きな『源氏物語』は究極の「托卵」文学である。
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 現代の日本人と昔の日本人とは、別人に近い日本人である。
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 2019年10月号 WiLL「性相夜話  下川耿史
 古代に処女なし? (2)
 前号で、第15代応神天皇が皇太子の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)に髪長媛(かみながひめ)という絶世の美女とともに、一首の歌を贈ったというエピソードを紹介した。歌の意味は、
 『世の中からすっかり処女がいなくなったが、日向国({ひゆうがのくに}現宮崎県)から珍しいことに絶世の美女で、しかも処女が献上されてきたから、お前にプレゼントしよう』
 というものであった。
 父親からの贈り物に対して、皇太子からも歌を返してきた。そこには『処女だとの事でしたが、ちゃんと男を知ってましたよ』と記されていたという。
 ところで『古代に処女なし』とは穏やかならぬ話だが、どうしてそのような事態に立ち至ったのか、柳田國男と並ぶ民俗学の泰斗とされる折口信夫は『古代研究』の『国文学篇』と『民俗学編一、二』において、その事情を説明している。
 折口によれば、まず挙げるべきは、この欄でもしばしば取り上げてきた『歌垣(うたがき)』の存在であった。歌垣は多くの人々の楽しみであり、男女が性的な駆け引きを習得する最高の訓練場だった。
 それによって和歌の世界も飛躍的に発展したが、『何よりも多くの人の性的な仰望(ぎょうぼう)を叶えることが可能になった』という。つまり歌垣の流行は、女性の性的な経験に大いに貢献したというわけである。
 第二に彼が注視したのは、『まれびと』の存在であった。『まれびと』とは文字通り『まれに来る』であり、後の世になるとお客のことを『まろうど』と呼ぶようになったのも、『まれびと』の変化したものである。
 では『まれびと』とは誰のことか?『国文学の発生』の中で彼は、『私の考へるまれびとの原の姿を言へば、神であった』と述べている。
 折口は、信仰という概念から神、天皇への移行、さらにはそこに庶民の存在を加味した古代天皇制の構成について、素朴と言っていいほどピュアな人間関係をイメージしていた。彼によれば、神が村人のもとを訪れるのがで『おとずれ』あり、姿の見えない神は風の音なおで来訪を告げたのだという。
 一方、村人の側では来訪者を遇するために、その家の処女か妻の一人か双方が残り、男どもは姿を見せないのが習わしだった。もちろん夜の相手をするのもどちらかであり、これが『一夜妻』の始まりであった。
 となると、折口のいう『おとずれ』とか『一夜妻』と呼ばれるものは、これまで何度も触れてきた『夜這い』と同じものであるようにも想像される。折口は『国文学の発生』の中で、『まれびと』のことを『一時的光来者』と呼んでいるが、この言葉も権力者を想像させるし、ピュアとは程遠いような関係のように筆者には映る。
 ただし折口によれば、『光来者』が権力者であることは確かだが、社会的に地位が高いだけでなく、精神的な輝きをも有する人であった。古代の天皇制では、庶民と天皇はその輝きを持って結ばれ、『おとずれ』を歓迎した。その結果、妻か娘が夜を共にすることが定着したのであるという。
 では『まれびと』を遇するのに、どうして妻か娘が応対したのか?こういう場合は娘が相手をすることが常識なのではないだろうか?
 その点について折口は、『ある頃から人妻もある条件のもとで娘とみなされるようになった』と述べている。
 なぜそのような習俗ができたのかについて折口は何も記していないが、そういう習わしが成立していたとすればその要因の一つとして、古代のこじんまりした社会では天皇が新しい女と関係したいと願っても、すべての女性に相手をさせたために対象となる女性がもはやいなかった、ということは考えられないだろうか。
 つまり、処女が払底していたため、人妻に対して娘と同等の資格を与えることが必要だったのである。
 折口は別の書で『采女(うねめ)』の制度にも言及している。『采女』とは全国から美女を推薦させて、食事の際の配膳など身のまわりの世話をさせようというもので、身のまわりの世話といいつつ、天皇の側室という含みであることはいうまでもなかった。
 これも処女払底の時代に、その供給地を地方に求めた施策であり、奈良時代以前の飛鳥時代にスタートし、定員は60~90人とされていたが、地方から送り込まれる女性はそれをはるかに超えたため、朝廷の下級職員の地位に押し留められたという。
 こうなると、折口が古代天皇制について主張しているピュアな人間関係というイメージが、いささか子どもじみて感じられる。彼の学識のスケールの大きさと、主張の稚拙さの落差に、こちらが戸惑うほどである。
 処女のいなくなった古代社会を、『それはピュアな結びつきのせいだ』と、後世の折口が懸命に弁解しているように筆者には映るのだが、どうだろう?」
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 鷹が鷹を産むとは限らず、鳶を産む事がある。
 鳶は鳶を産むが、時折、偶然に鷹を産む事がある。
 鳶が産んだ鷹は、鷹が産んだ鷹より優れている。
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 歌舞伎役者など芸能の民は、世襲制として、歌舞伎役者の子は歌舞伎役者となり、親が歌舞伎役者でなければ歌舞伎役者には成れない。
 武士の子は武士になる事が多いが、庶民(百姓や町人)でも武士になる事ができる。
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 知らぬが仏。
 知らないのは夫・男ばかり。
 女・妻は強かである。
 昔の日本社会は、仕事しかできない思慮浅いバカな夫・男と何でもこなす思慮深い賢い妻・女で動いてきた。
 亭主は「関白」だが、妻はその上の「山の神」である。
 カカァ天下こそが、世の為人の為、家庭の平和の為である。
 山の神は、鈴虫やカマキリやタガメの如く、メスはオスを食らって卵を産んで子どもを殖やし子孫を残す。
 夫・男は、その贄(にえ)であるがゆえに大事にされた。
 日本男子は、しょせん、表六玉、ダメ亭主に過ぎず、最後は妻から見捨てられ、子供に嫌われ煙たがれ除け者のされる。
 日本男子は「惜しまれるうちが華」である。
 日本男子の生き甲斐は「惜しまれる華」に徹しきる事である。
   ・   ・   ・   
 現代日本では、内縁の男が血が繋がらない女の連れ子を躾と称していたぶり殺す陰惨な児童虐待殺人事件が増えている。
 女は、内縁の男の暴力から逃げる為に我が子を犠牲にするケースが多い。
 父親・母親に関係なく、血の繋がった実の子供をストレス発散など感情にまかせていたぶり殺す親も増えてきている。
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 2019年8月29日号 週刊文春「臆病者のための楽しい人生100年計画 橘玲
 (17) 性愛編 父子をめぐる残酷な事実
 科学的に正しいことが、常に感情的に受け入れられるわけではない。17世紀に地動説を説くことは神への冒瀆とされ、ガリレオは裁判にかけられた。
 今回は、すべての男性にとって(おそらく大半の女性にとっても)知りたくなかったデータを紹介したい。ただでさえ蒸し暑い夏の夜をさらに不愉快にするかもしれないことを最初にお断りしておく。
 あなたは、自分の子どもがほんとうに自分の子どもであることに、どの程度確信をもっているだろうか?
 この問いを、母親はバカバカしいと一笑にふすだろう。病院で新生児を取り違えでもしないかぎり、自分が産んだ子どもが生物学的な意味での『実子』であることに疑問の余地はない。
 だが父親にとって、これはきわめて深刻な問いだ。
 DNA鑑定のなかった時代には、生物学的な親子関係は外見から類推するしかなかった。もしかしたら、自分とはなんの遺伝的関係もない、赤の他人の子どもを一生懸命育てているのかもしれないのだ。
 もしこれがかんたんにできるのなら、モテる男は既婚の女と浮気して、自分の遺伝子を受け継いだ子どもを、妻を寝取られたあわれな夫に育てさせればいい。
 カッコウは自分で子どもを育てず、他の鳥の巣に托卵する。短期間で孵化(ふか)したカッコウの雛は、まわりの卵や雛を巣の外に押し出し、仮親からの給餌(きゅうじ)で成長する。『利己的な遺伝子』はきわめて狡猾なので、遺伝子を複製するわずかなチャンスがあれば、それをぜったいに見逃さないのだ。
 社会的な動物でもチンパンジーのような乱交型なら、父親は子育てをしまいから、血がつながっているかどうかに関心をもつ理由はない。だが一夫一妻型では、父親は子どもにさまざまな資源(リソース)を投入するのだから、『托卵戦略』は大問題になる。
 処女を珍重したり、思春期を迎えた女性の顔にヴェールをかぶせたり、クリトリスなど女性器の一部を切除したり、貞操帯で性行為ができないようにするのは、『托卵』への文化的な防衛策だと考えることができる(女性にとっては迷惑千万な話だが)。
 ここで、『そんなのは男の被害妄想だ』と考えるひともいるにちがいない。どちらが正しいかは、人間集団でどの程度『托卵』が行われているかを調べてみなければならない。
 こうした調査は、欧米を中心にじつはかなり行われている。
 左頁の図①表は、世界じゅうの実子判定調査を集めたものだ。実際には67の研究がリスト化されているが、サンプル数1,000以上のものだけを選んだ。
 統計学的には父子をランダムにサンプリングしてDNA鑑定すればいいのだが、現実にはそのようなことはできないから、自主的に実子判定したひとたちを対象にするしかない。
 どんなときに、自分と子どものDNAを照合しようと思うだろうか?
 ひとつは、集団遺伝学の研究に協力したり、自分の家系を遺伝的に遡りたいケース。父親と母親は正式に結婚・同居しており、子どもとのあいだに生物学的なつながりがあることを疑っていないひとたちで、『実子であることを確信している』グループになる。
 もうひとつは、生物学的な意味での父親であるかどうかに不安を抱いているケース。こちらは同棲や内縁関係だったり、両親が離婚していることも多い。『実子であることを疑っている』グループだ。
 当然のことながら、『実子であることを確信している』グループで『托卵』は少ない。それでも、1~4%程度は父子のあいだに遺伝的な関係がなかった。
 この表には加えなかったが、1980年にフランスで行われた調査では、『実子だと信じていたのに裏切られた』割合が6.9~9.4%もあった。アマゾンに暮らすヤノマミ族は9.1%、アメリカ・ミシガン州の黒人は10.1%、1999年のメキシコの調査で11.8%とのデータもある。
 これも当然ながら、『実子であることを疑っている』グループでは、父子が遺伝的につながっていない割合は17~40%と大きく跳ね上がる(養子などで血縁がないことが明らかな場合は検査を受けないだろうから、ここには含まれていない)。
 この表には加えなかったが、1996年に行われたアメリカ・イリノイ州の調査で53%、63年のスウェーデンで55%、53年のアメリカで55.6%と、検査を受けた半数以上が実子でなかったケースが3件あった。
 古い調査は信頼性が低く、最近のDNA鑑定はきわめて精度が高いが、リストでは調査実施年による偏りは見られない。
 上の図表②はこの結果を北米(アメリカ・カナダ)、ヨーロッパ、その他の地域に分けたものだが、実子であると確信していてもいなくても地域差はほとんどな。『その他の地域』は中南米、アフリカ、イスラエル、インドで、日本など東アジアのデータは含まれていない。
 この『事実』をどう考えればいいだろうか?
 『托卵』の確率
 あなたが父子関係に疑いをもっていないなら、平均すれば98%の確率で安心できる。逆にいえば、2%は『托卵』されている父親がいる。
 逆に妻の不貞を疑っているのなら、平均すれば3割の確率でその不安は現実のものとなる。しかし逆にいえば7割は杞憂なのだから、思い切って調べてみた方がいいかもしれない。
 こうした研究結果を総合すると、父親が血のつながらない子どもを『誤って』育てているケースはどの程度あるのだろうか。これはあくまでも推計だが、研究者は10%前後ではないかと見積もっている。遺伝病を調べるために行われた調査では、10%の子どもが法的な父親と遺伝的なつながりがないとの結果が出たこともある。
 このように考えると、なぜ(ほぼ)すべての社会でこの事実が隠蔽されてきたかがわかる。
 夏祭りで10組の家族連れを見たとすると、10人の父親のうち1人は他人の子どもを知らずに育てている。地域の子どもたちを集めた公立学校では、40人学級のうち平均して4人の子どもが戸籍上の父親と生物学的な父親がちがう(しかも、そのことを知らない)。
 あなたは、この『残酷な事実』に耐えられるだろうか。
 ちなみに、いまでは簡易版のDNA親子鑑定キットが1万5,000円ほどでネットで買える(説明文には精度99.99%とある)。専門機関での親子鑑定ですら3万円程度だ。
 いずれ私たちの社会が、この『不愉快な問題』を突きつけられるのは避けられないだろう」
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 9月5日号 週刊文春「臆病者のための楽しい人生100年計画 橘玲
 (18) 性愛編 ヒトにも発情期は残っている?
 父親の10人に1人は他人の子どもを知らずに育てているらしい──というのが前回の話だった。『ということは、10人のうち9人はちゃんと自分の子どもなんだから、べつに問題ないでしょう』という鷹揚なひとはたぶんいないだろう。
 なぜこんなことになるのか。それを、女性の魅力から考えてみたい。
 哺乳類にははっきりとした発情期がある。ヒトと99%の遺伝子が同じチンパンジーは、妊娠できる排卵の時期には性皮と呼ばれるお尻の部分がピンク色に膨れ上がり、そのサインに興奮して集まってきたオスから、高順位(アルファやベータ)の相手を選り好みして交尾する。チンパンジーは乱交だが、オスが競争しメスが選択するという性愛の構図はヒトと同じだ。
 これまでの進化人類学では、ヒトはチンパンジーボノボの祖先と分かれてから、発情期を失った(隠すようになった)とされている。たしかに、外見から女性の月経周期を知ることは不可能だ。
 だが2000年代になった頃から、『ヒトにも発情期が残っているのではないか』との研究が続々と出てくるようになった。
 発情期の『見える化
 これまでの通説では、ヒトの発情期は隠されているとされてきた。だとしたら、進化の過程で隠蔽したはずのものが、女性ホルモンのレベルが上がるとともに『こぼれ出て』、それが男性を引きつけるのだろう。
 それとも、この『発情期』にはもっと明確な目的があるのかもしれない。
 これが正しいかはまだわからないものの、論文の著者たちは、『目的』があるとしたら、それはよりよい遺伝子を持つ男(アルファ)の子どもを産むためではないかとする。妊娠しやすい排卵期の前後に冒険的になり、バーやクラブで挑発的に振る舞えば、魅力的な男が寄ってくるだろう。
 排卵期の女性が浮気してアルファの男の子どもを産み、その子を長期的な関係をもつ男=夫の資源(リソース)を使って養育している。──これなら、『10人の父親のうち1人が他人の子どもを知らずに育てている』ことが説明できる。
 しかし、そんなことがほんとうに起きているのか。この怖い話の続きは次号で。」
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 船乗りは、船乗り仲間が海で遭難して死亡するとその家族を皆で助け、男の子は一人前の船乗りにするべく協力して育て鍛えた。
 船乗りは、同じ船に乗る仲間として一蓮托生の運命共同体であった。
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 日本の家制度では、我が子や血の繋がった遠縁の子はもちろん血が繋がらない子でも優秀であれば養子に迎え、我が子として大金を使って育て、成人すれば家財産を継がせた。
 日本における出世とは、血・血筋の出世ではなく、家・家名の出世であった。
 家・家名の出世の為ならば、血・血筋を絶やす事も厭わなかった。
 日本における家系図・系譜とは、朝鮮や中国とは違って血・血筋の系図ではなかった。
 日本には、血縁や地縁を絶対視したり神聖視したりする意識は薄かった。
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 武士の世襲制とは、家系世襲制であって血筋世襲制ではない。
 武士における家を継ぐ資格とは、親子の血筋ではなく、武士としての品格・品位など人格である以上、実の我が子であっても最低限の人格を持たない者は家の為にならないとして勘当し親子の縁を切り家から追放した。
 できの悪い子を産み育てた事は、自分の不徳であり「ご先祖様に申し訳ない」。
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 日本民族日本人は、乱婚を繰り返して産まれた混血の雑種民族であり、乱婚とは托卵である。
 日本民族の托卵は、浮気・不倫・不義密通ではない。
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 儒教価値観に染まった江戸時代では、不義密通を働いた者は罪人として「非人」の身分に落とさ、不倫で生まれた子は罪人の子「穢多」として生きた。
 日本の賤民である非人や穢多はこうして量産され続けた。
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 縄文人は、女性を崇めていた。
 その証拠が土偶である。
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 日本民族日本人は、ローカルな民族宗教として死者・祖先が子孫の中に生まれ変わるという「甦り・蘇り」を信じ、死後の世界としての、グローバルな普遍宗教における神の王国としての「永遠の命を授かる天国」や御仏の「極楽浄土」を信じていなかった。
 甦り・蘇りは、復活・再生ではない。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人は、黄河文明人に滅ぼされた長江文明人の子孫である揚子江以南の山岳少数民族との共通点が多い。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人と漢族系中国人・朝鮮人とは、別系統・別種のアジア人である。
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 日本におけるムラの因襲では、男を知らない生娘・乙女は、年頃に達するとマレビト神(海の神=海の民)、天狗(山の神=山の民)、竜神(川・沼・池・湖などの水の神=川の民)への人身御供・生け贄・人柱として差し出された。
 海の民・山の民・川の民は、後世の部落民の祖先である。
 彼らは、荒ぶる神(荒魂)と生きる特殊能力を持った異形の民である。
 郷の民・ムラ人が異形の民を差別し遠ざけたのは、異形の民が持つ特殊能力であった。
 異形の民の特殊能力とは、穢れである血に「染まり」、死に「塗れ」ても平然と生きていられる、底知れない・計り知れない・伺い知れない生命力である。
 日本民族部落民への差別は、人種差別・人間差別・職業差別が原因ではなく、穢れである「血と死」を怖れない生命力であった。
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 郷の民・ムラ人は、和みの神(和魂)を祀り、荒ぶる神(荒魂)を怖れて敬い奉った。
 和みの神(和魂)と荒ぶる神(荒魂)は同一神(同一魂)で、絶対神と悪魔・魔物といった対立する別物ではない。
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 平安時代において、貧しい家庭では夫婦は同居したが高貴な貴族は同居せず、夫は妻の実家を訪れる通い婚が当たり前であった。
 そして、相続権は男性ではなく女性にあった。
 何故なら、子供の親を知っているのは夫ではなく妻だからである。
 血の繋がりは、男より女の方が濃く強かった。
 だが、組織において出世できるかどうかは父親の位しだいであった。
 社会は男社会であったが、家庭では女社会であった。
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 日本各地の神社仏閣に残る宵宮・夜祭りは、生娘・処女は着飾って出かけ暗闇に消えた。
 宵宮や夜祭りは、不純な性行為ではないし、邪にして淫乱な不倫ではないく、清廉潔白にして神聖な神事であった。
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 日本各地には子が授かるという子宝の湯が数多くあり、子供が欲しい人妻は湯湯治する事で子供を授かり、夫は授かった子供を我が子として育てた。
 その子供が誰の子であるかは、人妻だけが知り、夫は知らなかった。
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 地方には、「夜這い」という風習があった。
 夜這いするのは、天狗や竜神であった。
 時折、天狗の子を宿す人妻がいたが、家族は詮索する事なく授かった子として大事に育てた。
 何故か、昔は乳幼児死亡率が高く、女性も出産によって命を落とす事が多かったからである。
 子どもを産む女性は、日本列島の中にいる女性しかいなかったからである。
 女性がいないからといって、朝鮮半島や中国大陸から強制連行・拉致したり、人身売買で購入する事もなかった。
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 女性が子どもを産むのであって、男性が子どもを産むのではない。
 男は生み殖やす事ができるが、女を健康的に育てる事は難しかった。
 女性が減る事は、ムラ・家・地域の存続を脅かした。
 日本の最高神は、女性神天照大神天皇家・皇室の祖先神)である。
 それ故に、日本民族日本人の男は、女性や子供の為に、女性や子供を守る為に、命を犠牲にした。
 命と肉体が死んでも、魂・霊魂は滅びない。
 それが、靖国神社である。
 敗戦後の日本では、焼け野原に数千人、数万人の戦争孤児が出現し、数千人が餓死していた。
 子供を戦争で失った親達の幾ばくから、戦争孤児を養子もしくは我が子として引き取って育てた。
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 日本民族日本人の乱婚とは、マレビト神・天狗・竜神に対する一夜妻である。
 そして、托卵として、マレビト神・天狗・竜神から子供を授かって育てた。
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 日本民族日本人にとって子供とは、神仏から授かる尊き存在であって、男と女による愛の結晶ではなかった。
 故に、子供の為ならば、日本民族日本人は命はもちろん全てのものを犠牲にした。
 たとえ死のうとも、それが子供ためならば後悔はせず喜んで命を差し出した。
 子供の喜び、笑顔、笑い声が、最上の宝であった。
 それ故に、凶悪な極悪非道な日本人でも子供を殺したり傷付ける事はなかった。
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 日本には、大陸におけるような生娘を好む「処女神話」は存在しない。
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 日本民族日本人が神の子孫というのは、「マレビト神の托卵」と言う事である。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人の祖先は、南方系海洋民の地を引く船乗りで、海で生活し海で死んだ。
 海は死者の国・常世に通じていた。
 マレビト神は、常世の住人であり、時折海の底の常世から陸の里村を訪れていた。
 海で夫を失った若い妻や恋人を海で失った娘達は、死者の国・常世から訪れるマレビト神から子供を授かった。
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 海の彼方から訪れるマレビト神は、西方の中国大陸や朝鮮半島からの渡来人や帰化人ではなく、東方や南方の常世から住人の事である。
 山に住む天狗も、渡来人や帰化人とは関係ない。
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 女系社会であるユダヤ民族は、母系型日本民族の托卵とは違う。
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➰143)─1・B─民族的文化財に関心も興味も魅力もなくし始めている現代日本人達。〜No295No.296    /     

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 2019年9月10日11:47 産経新聞名古屋城本丸御殿の柱に傷 修復困難、被害届提出へ
 名古屋市名古屋城本丸御殿の柱に付けられていた傷。「りょうじ」と読める=8月(名古屋市提供)
 名古屋市は10日、第2次大戦中の空襲で焼失し、木造復元した名古屋城本丸御殿で、柱2カ所に傷が付けられていたと明らかにした。鋭利なもので削られており、完全な修復は難しいという。市は悪質ないたずらとみて、愛知県警中署へ被害届を提出する方針。
 市によると、柱に「りょうじ」(縦8センチ、横2センチ)、「カイ(もしくはサイ)」(縦2・5センチ、横2センチ)と平仮名や片仮名で傷が付けられていた。
 本丸御殿は江戸時代初期の1615年に建てられ、大戦中の昭和20(1945)年に空襲で焼失。平成21(2009)年から復元工事が始まり、25(2013)年から順次公開されていた。」
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 9月10日12:41 msnニュース 毎日新聞名古屋城 本丸御殿の柱に落書き 河村市長「気をつけてちょうよ」
 © 毎日新聞 名古屋城の本丸御殿で見つかった落書き=名古屋市提供
 名古屋市は10日、名古屋城の本丸御殿の柱に落書きのような傷が見つかったと発表した。市は悪質ないたずらとみて、近く愛知県警に被害届を出す。
 名古屋城総合事務所によると、8月24日、本丸御殿の「上御膳所(かみごぜんしょ)」近くの柱に「りょうじ」と書かれた傷(縦約8センチ、横約2センチ)が見つかった。さらに同27日、近くの別の柱でも「カイ」または「サイ」と書かれた傷(縦約2.5センチ、横約2センチ)が見つかった。市は傷を目立たなくする処置をするが、完全修復は不可能だという。
 本丸御殿は第二次世界大戦中の空襲で焼失。2009年から木造復元工事が始まり、昨年6月に完成公開された。同事務所は、御殿内へのボールペンの持ち込みを禁止するなどの保全対策を取っていたが、現場付近は運営スタッフの目が届きにくい場所だったという。今後は観覧客への声かけを強化するとしている。
 河村たかし市長は、報道陣の取材に「残念なこと。1000年先まで大事にせにゃいかんので、気をつけてちょうよ」と述べた。【野村阿悠子】
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