🕯106)─1─日本の葬式仏教は祖先を大事にする伝統的宗教文化である。グリーフケア。~No.229No.230 ㉑

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 少子高齢化による人口激減と血縁親族の付き合いを嫌う核家族化で、日本民族の伝統的な家の葬式仏教は消え始めている。
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 2020年12月25日号 週刊朝日「後悔しない親との別れ方
 良い思い出を温かく思い出す
 自分を責めない葬儀を大切に
 心の支えだった親が亡くなると、多くの人はこう思うだろう。『実家に頻繁にかえればよかった』『もっと優しい言葉をかけておけばよかった』。たとえどんなに看病や介護をしても、悔いが残るのが親との別れだ。後悔や悲しみに苦しみ、押し潰されぬよう心得ておくべきことを専門家に聞いた。
 ……
 悲嘆が長引いている人は18~30%
 周囲の人が温かく見守る文化が必要
 ……
 国立がん研究所センター(東京都中央区)が今秋公表した調査で明らかになった。17年にがんや心疾患、脳血管疾患、腎不全で亡くなった患者の遺族を対象にしたもので、19年1~3月に調査して約2万1,000人から回答を得た。
 病気により割合は異なるが、気分が落ち込んで何もする気が起きないなど、他のことに影響するような『抑うつ症状』がある人は12~19%もいた。
 また、亡くなった人を思って心の痛みを感じたり、急に悲しみがこみ上げたりする『悲嘆が長引いている』人は18~30%にも上った。
 悲しみを引きずられないために何が必要か。同センターがん医療支援部長の加藤雅志さんは言う。
 『最終的には、「ああ、あの人と一緒にこういうふうに過ごせたな」と良い思い出を温かく思い出せるようになることが前に進む一歩につながります。同時に、胸がきゅっと締めまるような、切なくつらい感情が必ず出てくるでしょう。でも、それにも勝るような大切な人を思う温かい気持ちが伴えばよいのです。』
 自責の念に駆られてはいけないという。
 『1年ぐらいかけて徐々に立ち直っていく人もいれば、そうでない人もいます。人それぞれです。ただ、確実に言えるのはどんな人も必ず後悔するということ。決して自分を責めずにいてほしい』
 看取りまで一生懸命した人こそ『もっとやれたのでは』と苦しみがちだ。臨終に立ち会えなければ、その傷は深くなる。
 『立ち会えたからといって、最後にいいケアができたということではないのです。そこに至るまでの良い時間をできるだけ一緒に過ごしたということのほうが大切だからです。十分やれることをやっているはずです』
 周囲の理解も必要だ。『あなたのせいだ』と責めてはいけないことはもちろん、『いつまでもくよくよしないで』などの安易な励ましは遺族を傷つける可能性がある。
 『人の悲しみは簡単に消えるものではありません。悲しい人が悲しみを表現できる場があり、あり、周囲の人も温かく身守るような文化ができてくると良いと思います』
 また、グリーフケア(死別の悲しみからの立ち直り)に詳しい看護師で僧侶の玉置妙憂さんはこう話す。
 『人によって違いますが、1、2年かけて徐々に立ち直っていくものだと思います。自分のペースでやっていくことが大事です。亡くなるのが突然でも長い看護の末でも、結局は後悔することになります。だから「やったことがベスト」と受け止めるしかない。悔やんでも事実は変わりませんから、事実としてそのままのみ込むことです』
 自身も今年春に父を心不全で突然失い、思い出すたびに胸が痛む。だが、悔やむよりもきちんと悲しむことが大切だと考えている。
 『悲しいけれど、大切な人との別れは皆に起きることなのです。自分だけではないと思うことで、少しでも楽になれたらいいです』
 故人を偲ぶ遺族が集まる『月命日』
 日本古来の知恵がグリーフケア
 故人を偲(しの)ぶため月命日に遺族が集まる日本古来の知恵が、遺族の心のケアにつながる──。そう説くのは、米国の宗教学者京都大学特任教授のカール・ベッカーさんだ。
 『今やイギリスやアメリカの一部の病院でも取り入れられています。遺族を病院の会議室に招いて食事をしたり、歌を歌ったり泣いたり笑ったりしています』
 遺族の孤独や不安な気持ちを和らげ、不眠症やうつ、拒食症、過食症などを防ぐ効果があるというのだ。ベッカーさんは日本人の死生観に魅せられ、研究してきた。かつての日本は、魂は永遠と捉え、人は死んでもそばにいるという感覚があったという。だから、月命日に遺族が集まり、それがグリーフケアにつながった。
 『日本の習慣なのに、今や日本ではおろそかになっています。欧米ではcontinuing bonda(続く絆)と訳されて紹介されています』
 簡略化が進むのは月命日だけではない。仏壇を置かない家が多くなったほか、葬儀も火葬だけの『直葬』、通夜を行わない『1日葬』、通夜、葬儀の参列者を限定する『家族葬』を選ぶ人が増えてきた。だが、ベッカーさんは、葬儀をきちんと行うこともグリーフケアになると指摘する。
 『親が「葬儀は不要」と言い残したとしても、親しくしていた親戚や友人に声をかけて行うべきです。それが残された側の心の傷を癒やすだけでなく、そこでつながった人との交流が遺族のその後の人生の支えになるからです』
 『親が「やらなくていい」と言うのは子どもたちに迷惑をかけたくないという思いからで、遺族にとって葬儀がどれだけ意味深いかはわかっていないと思います。葬儀は故人の大切な人とつながるラストチャンスなのです』
 初七日法要と葬儀を一緒の日に行うことも多いが、ベッカーさんはこれにも異を唱える。
 『初七日、四十九日、初盆、月命日などで集まることで、遺族が早く立ち直れる。これはいろいろな研究で証明されているほど明白です』
           本誌・大崎百紀」
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 葬式仏教とは、本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の形骸化した日本の仏教の姿を揶揄した表現である。この言葉が誰によって始められたかは不明であるが、1963年(昭和38年)に出版された明治大学教授の圭室 諦成(1902年 - 1966年)の著書『葬式仏教』(大法輪閣) がきっかけとなって、巷間に知られるようになった。
 部派仏教
 釈尊の葬送に関する記述として次のようなものがあり、葬儀否定論者の根拠ともされる。
{アーナンダよ。お前たちは修行完成者(如来)の遺骨の供養にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。修行完成者に対して浄信ある、賢いクシャトリヤバラモン、在家者がいる、アーナンダよ、彼らが修行完成者の供養をなすだろう。
 —  パーリ仏典, 長部大般涅槃経, Sri Lanka Tripitaka Project}
 釈迦は弟子に死後の遺骸の処置を問われた際に、比丘は遺骸の供養等考えず真理の追求に専念すべきだ、供養は在家の信者がしてくれる、と答えたとされる。 ただし、アーナンダは阿羅漢果をまだ得ていなかった状況から、修行途中の弟子に対しての戒めであり、葬送儀礼そのものに出家者がかかわることを禁じたものとは言い難い。
 また『浄飯王般涅槃経』では釈尊が父親である浄飯王の葬儀を行ったことや、また高弟であるシャーリプトラの遺骨を礼拝したなどの釈尊自身が葬送儀礼にかかわっていたことを示す記述がある。 『大般涅槃経』では釈尊は自身の卒塔婆を建立することや、葬儀の方法などをアーナンダに伝えており、その遺命によって在家信者によって転輪聖王の葬儀に準じた形で在家信者によって執り行われた。そして重要な荼毘の点火はマハーカッサパが行っているとあり、実際は出家者が葬儀にかかわっている。また初期仏教経典にも、釈尊が地域の風習や道徳で祖霊への供養を讃える箇所があり、先の記述は単純な葬式否定の根拠とはいえない。
 そもそもバラモン教では手厚い葬儀を人生の通過儀礼と重視していたので、それに対し仏教教団は業思想を背景に火葬、土葬などで簡素に葬儀を行っていた。
 日本において
 インドから中国へと伝播し民衆へと教化が行われるうちに、漢民族道教儒教に由来する先祖供養の民間信仰と習合した、仏教の葬送儀礼が日本に伝わった。例えば位牌は、儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ)が変化されたものだと考えられている。
 仏教が日本に伝来したのは6世紀半ばの飛鳥時代の事である。仏教は豪族など上層階級の心を捉え、篤く信仰される様になった。
 平安時代の貴族の葬儀は、仏教寺院で行い僧侶が念仏し墓に卒塔婆を立てる等、大きく仏教的な影響を受けたものになっていた。
 鎌倉時代には庶民層にも仏教が広まり、庶民の間にも仏式の葬儀が行われる例が見られる様になる。
 江戸時代
 日本仏教が葬式仏教へと向かう大きな転機は、江戸幕府が定めた檀家制度である。
 檀家制度は、民衆は何れかの寺院を菩提寺としてその檀家となる事を義務付けるものであり、カトリック教会や不受不施派に対して禁教令を発布して、信徒に対し改宗を強制した。それに抗したキリシタンは「隠れキリシタン」となり、踏み絵をする事を強いられる。
 それまでの民衆の葬式は、一般に村社会が執り行うものであったが、檀家制度以降、僧侶による葬式が一般化した。
 また、檀家制度は、寺院に一定の信徒と収入を保証する一方で、他宗派の信徒への布教や新しい寺院の建立を禁止した。これらにより、各寺院は布教の必要を無くし、自らの檀家の葬儀や法事を営み、定期的に布施収入を得るばかりの、変化のない生活に安住する様になっていった。
 明治時代
 また明治維新時、大日本帝国(明治政府の国家神道政策)による神仏分離の推進と「肉食妻帯勝手たるへし」という布告により、それまでも浄土真宗以外の宗派では、現実的に破戒が常態であったのが、公然と妻帯が行われる様になっていった。このため戒律を順守する僧侶(比丘)ではなく、妻帯して僧職で生計を立てる(実質的に)者の子女が寺を継ぐという、世襲制度が他宗派でも一般化している。この事も葬式仏教化へと拍車をかけている一因と云える。
 平成時代
 2000年代(実際はそれ以前からと思われる)から、この様な葬儀や法事に依存した日本の仏教状況を批判する意味で、葬式仏教という言葉が使われる様になった。
 仏教界内部からも、この状況を反省し改めるべきだとする活動が様々に行われている。伝統的な宗派に属する寺院でも、不登校の問題や自殺防止などに取り組んだり、宗教家の立場で人々の相談に乗ったりする寺院等、人々の心の問題に取り組もうとする動きが、伝統的な仏教界にもみられている。また、葬式仏教的な現状に飽き足らない人々の中には、既成の宗派の枠やしきたりを超えた活動や、アジアなど世界に仏教を伝播しようと目を向ける人々もいる。
 また、近年では、過疎化等の進展で地域だけで葬儀が遂行できない事、逆に都市化やライフスタイルの変化、葬儀の在り方の多様化等により、「葬式仏教すら成り立たない」寺院も存在する。
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 祖霊信仰もしくは祖先崇拝とは、既に死んだ祖先が、生きている者の生活に影響を与えている、あるいは与えることができる、という信仰である。
 中国、朝鮮、日本など東北アジアのものが特に有名であるが、ズールー人など、世界的にも見られる。中国では祖先崇拝と呼ばれ、清明節などの習慣がある。日本では、学問的には祖先崇拝の名称が用いられているほか、祖霊信仰という名称も用いられている。先進国では、過去に存在しても、一神教などに置き換わられて、超越されている事が、一般的とされる。
 日本では社会学分野で「先祖祭祀」の用語が定着している。明治以降1950年代ごろまでは「祖先崇拝」が多く使用された。
 概要
 人間がこの世に生まれるのに親、祖父母、曽祖父母などの存在が必要で、これらの自分より前の世代を敬う傾向は世界的に遍く見られるが、それを「先祖」「祖先」「祖霊」として神聖視することは一部の社会における宗教行為である。たとえ生物学的・遺伝的には辿ることができたとしても、精神的・社会的には神聖視されるべき要素を持っていない、としている社会は数多くある。
 又、「先祖への神聖視」は、裏返すと「後裔への軽視」や「血縁のない人たちの軽視」という側面を持っている場合がある[要出典]。
 「先祖」を社会的に意味づけする社会においても、生物学的・遺伝的に見て繋がりのある先行者が全て「先祖」と見なされている訳では必ずしもない。特定のタイプ、カテゴリーの人間を「先祖」としている。
 祖先を崇拝する社会において、「先祖」とされる人は、その社会の親族構造と関連性がある。すなわち父系社会においては、父方の生物学的先祖であった人が「先祖」とされるなど、崇拝する側の親族構造・社会制度、「先祖」とされる対象のヒエラルキー・システムに、相関性・関係性があるのである。

 日本の祖先崇拝
 祖先の霊を祀り、崇拝する。日本では先祖を「遠津祖」、「祖神」、「ご先祖様」、「ホトケ様」と言い、一般家庭で祖霊社や位牌を仏壇の中央にまつる慣習、お盆や彼岸にこれらの霊をまつる行事が祖霊信仰に属する。
 なお、以下は主に日本本土における祖霊信仰について解説するが、奄美琉球奄美群島沖縄県)の地域における祖霊信仰については琉球神道の項を参照のこと。
 「琉球神道#沖縄本島の祖霊信仰」も参照
 概要
 死者が出ると、初七日・四十九日と法要を行い供養し(詳しくは中陰を参照)、さらに1年後に一周忌、2年後に三回忌、七回忌と法要を行う。その後、三十三回忌(地域によって差がある。四十九回忌、五十回忌のところもある)を迎えると、「弔い上げ」といって、このような法要を打ち切る。この「弔い上げ」は、生木の葉がついた塔婆を建てたり、位牌を家から寺に納めたり、川に流したりと、地域によって異なる。この「弔い上げ」を終えると、死者の供養は仏教的要素を離れる。それまで死者その人の霊として個性を持っていた霊は、「先祖の霊」という単一の存在に合一される。これが祖霊である。祖霊は、清められた先祖の霊として、家の屋敷内や近くの山などに祀られ、その家を守護し、繁栄をもたらす神として敬われるのである。前述の通り、先祖の霊を「ホトケ様」「カミ様」「ご先祖様」と呼ぶことにはこのような意味がある。
 起源
 祖霊信仰は、前述のように、盆や彼岸の行事などの形で日本全国に普通に見られる信仰である。縄文時代から環状列石による祖先崇拝を中心とした祭祀・儀礼が行われていた。祖霊信仰のような祖先崇拝は日本を除いては、中国や太平洋地域の一部の限られた場所にしか見ることしかできない。
 形態
 夏の7月15日を中心に行われるお盆の行事は、祖先の霊をまつる行事を言う。古くからインドで7月15日を中心に死者の苦悩を払い、死者の霊を慰め供養する盂蘭盆会 (うらぼんえ) の略語であるとされたが、実際に日本におけるお盆の行事は、それまでの日本の祖霊信仰と習合して発生した行事だと考えられている。また、春と秋に行われる彼岸という行事も、元々浄土思想に由来し、西方浄土を希求する中国の念仏行事であったものが、日本仏教において、先祖崇拝の行事になった。このような経緯からも日本における祖霊信仰という土壌を考えることができる。また、先祖の霊を祖霊社(地域によっては総霊社)という社に祀る場合もある。一般の家に神徒壇、神棚や祭壇を設けて、先祖を祀っている場合も多く見られる。
 民俗の祖霊信仰
 祖霊信仰に関連する事項として、民俗の両墓制について触れる。両墓制とは、死者が出た時に二つの墓所を作ることである。かつては遺体を埋葬する墓としての、埋め墓(捨て墓)と呼ばれる墓と、自分の家の近くや寺院内に建てる参り墓、詣で墓を作ることがあった。遺体を直接埋葬する埋め墓、捨て墓は、人が近づかない山奥や野末に作られ、埋められた遺体や石塔は時が経つにつれ荒れ果て不明になる。この埋め墓、捨て墓は、そこ自体を死者供養のための墓所としている訳ではないので、永く保存する事を目的としていない。一方の参り墓、詣で墓は家の近くや田畑、寺院など参詣に便利な場所に建てられることが多い。こちらの墓こそが、永く死者供養をすることを目的とした墓所になる。こうして、先祖の霊を居住地の近くに配置し、供養し、家の安泰を願うことも、祖霊信仰のうちの一つと言っていい。また、近世に至ると、直接遺体を葬った場所に墓所を建てることも多くなった。
 屋敷神
 祖霊信仰に関連する事項では、やはり墓所について屋敷墓の存在が挙げられる。屋敷墓は、自分の屋敷の中に墓を設けることである。史料や遺構で確認されるのは中世期である。この時代の墓制や葬送習慣についての詳細は、地域や身分階級によって異なるから、一概には言えない面もあるが、屋敷の中に死者を葬る特殊な墓制があるため、屋敷神としての先祖を家の中に祀った祖霊信仰の一種と考えることができる。
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 祖霊とは、先祖(家族または親族の祖先)の霊魂である。英語(事実上の現代国際共通語)では "ancestor spirits[2] (日本語音写例:アンセスター スピリッツ)" などという。この概念の下では、係る霊魂に正邪・善悪の区別は無く、子孫を祟る祖霊も、子孫をこそ祟る祖霊も、過ちを犯した子孫に制裁を加える祖霊(例:サン人)も、広く世界には珍しくない。
 しかしこれとは別に、古来日本で「ミオヤノタマ」「ミオヤノミタマ」[構成|日本語古語:御祖ミオヤ + …の + 霊タマ(御霊ミタマ)]と呼びならわしてきた祖霊の概念では、子孫に害悪をもたらす祖霊はあり得ず、先祖の霊魂のうち、守護神的属性を帯びていると見なされるもののみを指す。古来中国の概念も日本のものに近い。
 祖霊という概念が成立している社会において、その概念は、災禍をもたらす懲罰的なものと、恩恵ある守護的なものに大別でき、アフリカ諸社会の祖霊は前者の、東アジア諸社会の祖霊は後者の傾向が強い。
 現代の創作作品の多くで、先祖の霊に祟られる物語や世界観が見られるが、上述した広義の祖霊の概念の反映と考えられ、少なくとも東アジア古来の概念とは異なる。翻って言えば、このような害悪をもたらす祖霊を指す語として、日本語「祖霊(それい)」は(広義と捉えることで)問題無いとしても、「みおやのたま/みおやのみたま(祖霊)」を当てるのを適切とは言い難い。
 概要
 祖霊とは死者の霊のうち、死霊とはならず、死後の世界へ旅立った精霊(しょうりょう・しょうろう)のうち、直系の子孫が居るもの。
 柳田國男は、傍系の子孫や縁故者が弔いをされるものなどが祖霊と呼ばれているとした。
柳田國男は、神道の死生観では、人は死後、インドの仏教のように転生したり、日本の仏教のように地獄や極楽へ行ったり、キリスト教のような遠い死者の世界に行ったりするのではなく、生者の世界のすぐ近く(山中や海上の他界)にいて、お盆や正月に子孫の元に帰ってくると考える[要出典]、と解釈した。
 家系と祖霊
 祖先の霊から共同体の神へ
 精霊は祖霊にさらに神に昇化する[要出典]とする考え方もあり、そのような祖霊は祖神(そじん)や氏神(うじがみ)として氏族や集落などの共同体で祀られることになる。沖縄地方では7代で神になるとされていた。
 弔うことによりすべての霊は御霊となる
 柳田國男は、日本の民間信仰古神道)では、死んでから一定年数以内の供養の対象となる霊は「死霊」と呼び、祖霊と区別する。死霊は供養を重ねるごとに個性を失い、死後一定年数(50年、33年、30年など地域により異なる)後に行われる「祀り上げ」によって、完全に個性を失って祖霊の一部となる、とする。
 家系による祖霊崇拝の在り方
 祖先の霊を祀るために墓所や縁故の場所に小祠を設けたものを霊社、祖先の代々を合せた霊社を祖霊社と言った。その崇祀は子孫に限られ、他者を排する傾向があった。伊勢神宮の古代の私幣禁断には皇室の祖霊を祀る場所としての排他の論理があるという。
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 祖先崇拝
 百科事典マイペディアの解説
 家族・部族・民族などの祖先の霊をあがめまつる習俗。農耕民族の間に広くみられる宗教形態で,人の死後も霊魂は生き続けるという観念から生まれるとされる。崇拝の対象となる祖先には始祖・祖神・死者・死霊などの観念があって一定しないが,おもに祖霊・死霊の祭祀をさす。古代ギリシア,ローマでも行われたが,日本の場合は中国の祖先崇拝の形式と儒教の孝の観念と,日本本来の氏神信仰とが結合したとみられている。祖霊・死霊は常世(とこよ)の国にあると考えられ,祭祀の場合には霊が帰ってきて子孫との共食の宴が行われ,互恵的な結びつきを示す(盆)のが普通である。
 →関連項目琉球文化
 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
 家族や親族の過去の成員を崇拝し,畏敬し,その世話をすること。死者に対する恐れ,親愛の情から生じ,生前有力であった人の霊が死後一層強力になる,または死者が生れ変り現実の社会に戻るとする観念や,さらに古い死者の霊に対する漠然とした畏敬などから,祖霊に対する多様な儀礼が行われる。一般的には個別的崇拝が多いが,これに関連して家族,氏族,民族,国民などの集団全体によって行われることもあり,英雄などの特定の祖先が他の祖先よりも優先的に扱われ,また単なる死霊の概念をこえて神格化される場合もある。このような慣習や儀礼は古代の地中海沿岸の諸民族やヨーロッパ民族の間にも存在したが,アジア,アフリカ,太平洋地域の諸社会に顕著に認められ,特に中国では複雑な儀礼が日常生活のなかに浸透している。また日本では死後一定の期間を経てから初めて祖霊になると考えられ,盆,春秋の彼岸,正月などに先祖祭が行われる。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 金倉寺かわら版
 日本古来の祖霊信仰
 2013年07月31日 | 仏教のこと
 さて、金倉寺でも明日より盆経(棚経)です。
 檀家さんのお家に回って、先祖供養を行います。
 ということで?3年前に金倉寺寺報「YUJ」第6号にて書いた先祖供養の記事を4日にわたり紹介したいと思います。
 以前の記事なので、いろいろとツッコミどころも満載だとは思いますが(^^;)
 人は亡くなるとどうなるのでしょうか。魂は存在するのでしょうか。
 魂があるとすれば、消滅してしまうものなのか、永遠に不滅のものなのでしょうか。
 残念ながら葬送を執り行う僧侶といえど、この問題に対して、正しく答えられる者はおりません。それはお釈迦さまが、このような形而上学的問題に対して、答えることを拒否されたからです(これを無記といいます)。
 この問題は、私達が「生きている」限り、想像するしかないでしょう。
 そこで、過去に答えを求めてみましょう。
 仏教が伝わる以前の日本の宗教を古神道といいます。古神道では、人の死について、次のように考えていました。
 人は死ぬと、肉体から魂が遊離し、精霊となって山を昇っていきます。
 精霊には二つの性格があり、一つは人に取り憑いて災いをもたらす荒魂、もう一つは雨や日光の恵みなどをもたらす和魂です。荒魂を供養することで和魂になり、清められた精霊を祖霊といいます。
 一定の歳月を経ることで、祖霊は先祖神へと昇華され、山中に鎮まるものと考えられていました。
 祖霊や先祖神は、盆や正月といった決まった季節に里に下りてきて、村人に福や恵みをもたらします。
 このため村人は、先祖の精霊が祖霊や先祖神となるように、供養や祭祀を行うようになりました。これが先祖供養の始まりです。
 これらの神々は、後に氏神として祀られるようになりました。
 このように当時の日本人にとって、「死」とは生滅ではなく、神になるための再生でした。そして神となった祖霊は、里に下りてきて、村人に福や恵みをもたらすという、生と死が循環する世界観を持っていたのです。
 このような祖霊信仰に対して、仏教はどのように関わってきたのでしょうか。
 追記
 ちなみに中西讃では、死者の霊は弥谷山に登ると考えられていたようで、このため、古くより弥谷山は霊山とされ、多くの修行僧が籠もったといわれています。
 弥谷寺さんが古くより多くの納骨がされていたのもこのためかと。
 うろ覚えですが、ある弥谷寺さんに県の調査が入ったとき、とある場所だけで6000余りの納骨?お位牌?が出てきたとか。
 これは本当に記憶が曖昧ですので、ご興味がある方は直接弥谷寺さまへお問い合わせくださいませ(笑)
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 現代の日本人には、歴史力・文化力・宗教力がなく、古き良き伝統が消えつつある。
 人と人の絆や家族の繋がりは、口先だけの言葉や紙の上の文字として存在するが実際にはなくなりつつある。
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 村八分で、村人全員から絶交されても、葬式と火災だけは村人は手伝った。
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 戦後平和教育戦後民主主義教育は、自己の自立を標榜して、日本民族が団結した家・家庭・家族を破壊してきた。
 その象徴が、靖国神社や各地の護国神社の祭礼である。
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 気の弱い日本民族は亡くなった家族、寿命で亡くなった父母・祖父母・祖先、寿命に関係なく病気・事故・災害など不慮の理由で若くして亡くなった子供・兄弟・身内を思い出す度に、自分が生きている事に罪悪感を抱き、自分に何かできる事があったのではないかと自責の念にかられる。
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 日本民族は、亡くなった家族を思い出した度に哀しみが込み上げてくる為に日本の葬式仏教にすがった。
 日本仏教や日本神道は、自分が生きている限り亡くなった家族・身内・親族を忘れない為の宗教であった。
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 現代日本では、伝統的葬式仏教は衰退し始めている。
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 現代の日本人は、自分を大事にし、先を生きる為に、亡くなった家族・身内・親族を忘れる為に記憶から消す事に神経を集中している。
 つまり、宗教を進ぜて幾ら祈っても「死んだ者は生き返らない」と言う事である。
 死んだ者を思う事は、ただ、悲しく、苦しく、せつない。
 ならば、いっその事、忘れてしまえばスッキリする。
 自然に生きる動物が幸せそうなのは、今この時を大切に生き、死んだ祖先を想わず、生まれていない子孫を思わず、生を考え、身近から死を排除する事である、と。
 若さと生のみを身近に置き、老いと死を遠ざける、それが現代日本の生き方である。
 死を遠ざける簡単な方法は、家の中から死を感じさせる仏壇を排除する事である。
 欧米の家庭には、亡くなった親兄弟の生きていた当時の写真はあるが、死を意識させる宗教的家具はない。
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 キリスト教に十字架は、死者を弔う為ではなく生者の信仰と亡霊・悪魔の排除の為にある。
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 生活が苦しい中で、自分を犠牲にし無理をして重度の認知症や動けない衰弱した老親を看病・介護すれば共倒れで命を失う危険性があれば、自分を守る為に老親は切り捨てるべく、だと。
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🌏13)─6─明治維新は水戸学=朱子学の儒教革命であった。~No.42No.43No.44No.45 ④ 

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 日本は、飛鳥時代までは浄き「神の国」であり、奈良時代から江戸時代までは清き「仏の国」であり、明治時代から昭和前期時代までは潔き「徳の国」であり、敗戦から現代までは狡賢き「利の国」であり、そして現代から未来の日本は「何の国」なのか?
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 同じ祖先崇拝と行っても、中国や朝鮮は儒教に基づき人として祭るが、日本は神道の神として祀り仏教の仏として弔う。
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 明治維新の原動力は、尊皇攘夷朱子学儒教に強い影響を受けた水戸学であった。
 薩長倒幕派明治新政府は、水戸学=朱子学の過激派で原理主義テロリストであった。
 徳川幕府会津藩など佐幕派は、水戸学=朱子学の穏健派で国際協調主義者であった。
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 朱子学の毒が、日本の近代化によって日本に蔓延し日本人を汚染した。
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 明治の日本は表は西洋近代化で裏は朱子学儒教化で、国学と仏教は冷遇された。
 日本朱子学は、孔子の「怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず」から仏教(廃仏毀釈)と神道(神社合祀令)に対する宗教弾圧を行い、古事記国学は教育の場に閉じ込め、非宗教的拝礼儀式の国家神道を創設した。
 非宗教的拝礼儀式の象徴が、靖国神社や各地の護国神社である。
 その他に日本朱子学が新しく作り出したのが、明治期では日本国帝国憲法教育勅語、軍人勅語統帥権、官僚登用制度(日本型科挙制度)、修身教育などの近代的諸制度で、昭和前期では国民に対する国體の本義や軍人に対する戦陣訓などである。
 日本人の無宗教は、日本儒教が原因である。
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 2021年3月号 WiLL「ゴーマン中国人
 DNAは朱子学にあり
 牧歌的で、思いやりのあった中国が、なぜここまで変わったのか
 井沢元彦/石平
 朱子学の毒
 ……
 石平 井沢さんはさまざまな著書で中国の危険性を訴えられています。特に『逆説の世界史』(小学館)『脱・中国で繁栄する日本 国を滅ぼす朱子学の猛毒を排除せよ』(徳間書店)では、朱子学の毒性の激しさを強く主張されていた。
 井沢 朱子学以前・以後で、中国はまったく別の国に変わったように思います。儒教孔子孟子の教え)は、英語だと『Confucianism』です。ところが、朱子学以降は『Neo-Confucianism』となる。つまり、『新儒教』です。
 私は孔孟以来の牧歌的で人道的な儒教を捻(ね)じ曲げた張本人が、朱子朱熹{しゅき}。1130~1200年)であると見ています。ところが、石平さんの『なぜ儒教は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(PHP新書)を拝読したら、孟子の頃からすでに儒教は変節し始めていたと指摘されていました。
 石平 そうです。ただ、私が本を書くきっかけになったのも、朱子学の残酷性に触れたからです。
 井沢 特に女性に対してひどかった。
 石平 『殉節(じゅんせつ)』といって、夫が死ねば、妻も同じく死を選ばなければなりませんでした。清王朝の260年間で、実に500万人以上の女性が犠牲になったと考えられています。こんな朱子学に中国と李氏朝鮮は400年以上も毒され、人間性の欠片(かけら)も見当たらないほど残酷な世界となった『論語』の世界とあまりにもかけ離れており、その疑問から執筆に至ったのです。なぜ朱子学が誕生したと思われますか。 
 井沢 『靖康(せいこう)の変』(『靖康』は年号。1126~27年)が大きかったと思います。宋は北方の遊牧民族国家であり、同盟国だった金を、同じ遊牧民族である遼(りょう)を利用して滅ぼそうとしました。宋=中国人からすれば、中国こそ唯一の国家にほかなりません。勢力を伸ばし始めた金は、中国にとって無礼な国に過ぎない。ところが、当時の宋は文化的な国家でしたが、軍事力は弱かった。自分たちで金を倒す力はない。そこで遊牧民族同士で争わせようとしたのです。
 石平 ところが金は、宋の策略に気づいた。
 井沢 当然、激怒した金は宋に攻め入り、首都、開封を陥落させ、皇帝を捕虜にしてしまった。さらに皇族のほとんどと、官僚数千人を金に連行しました。中でも悲惨だったのが皇族の女性たちで、年長者は金の皇族や貴族の妾(めかけ)にされ、幼い皇女らは金の官立の妓楼(ぎろう)『洗衣院(せんいいん)』に入れて育てられ、上流階級を客とする娼婦に堕したのです。
 それまでの中国は、自分たちが一番だと思いながら、他国への思いやりを持っていました。他国への文化にも関心を示し、家族を大切にしていたのです。ところが、妻子がそんな目にあってしまった。これは大きなトラウマです。
 生き残った皇族は南方に逃れ、南宋をつくります。自国の力が弱いため、助けに行くことができない。軍事力では勝てませんか、頭の中で勝つほかない。徹底的な外国文化の蔑視、つまり『中華意識』が肥大し始めたのです。
 石平 その論理づけに朱子が関与した。『靖康の変』の4年後に朱子は生まれています。
 井沢 要するにインテリのヒステリーですよ。異文化には学ぶべきものは何もないと、とても独善的・排他的思想が生まれ、仮想現実に逃げ込んだのです。後年、『水滸伝』という作品が誕生します。ひ弱な宋が、108人の英雄にとって救われるなんて話は、まさに仮想現実そのもの。『靖康の変』が中国を変えた大きな分岐点として位置づけられることは間違いありません。
 科挙の弊害
 石平 『本来の中国が失われたのは宋以降』という議論は、中国国内でもなされています。宋以降、まさに原理主義的な朱子学支配下で、中国人の闊達性や人間性を奪われ、過酷な社会秩序を形成するようになる。しかも、国内のみならず、世界的にも拡大していく。それが『華夷秩序』です。朱子学がその理論づけをしたわけですが、金儲け、商売行為も目の敵(かたき)にしている。
 井沢 巨大な版図を持つ中国ですから、輸入に頼らず、自給自足で済む。ですから、そういう発想が生まれやすかったのではありませんか。もう一つ、周に滅ぼされた殷(いん)の移民が、土地を奪われたため、商売で生きるしかなかった。国を失ったユダヤ人と同じように、差別が根強く残ったのだと思います。
 石平 中国人の商売蔑視は『科挙』(598~1905年、隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験)が大きな影響を及ぼしたと思います。
 覚える内容も膨大な古籍をまるまる暗記するなど、なんの役にも立たない知識ばかり。しかも試験に受かるには10年、20年かかることもザラ。
 井沢 科挙があれば、魚屋や八百屋の息子でも官僚になれる。でも、日本はそうではなかった。だから、中国からすると遅れた国だと思われていました。
 石平 ですが、中国の優秀な若者たちはそのために、科挙試験に合格し官僚になる以外、人生の夢や目標を持つことができない。逆に言えば、官僚以外の職業は賤(いや)しいものだと見なされるようになった。
 井沢 日本の場合、『老舗』という言葉があるように、500年以上続く会社が存在しています。長く続けること自体、社会的に評価される。でも、中国や朝鮮半島では、そういう評価軸が存在しない。たとえば、どれほど菓子づくりが巧みな職人だとしても、お金が入れば、息子には店を継がせず、科挙試験を受けさせようとする。
 石平 だから、モノづくりが発達しません。日本は江戸時代、商人が金を儲け、武士に金を貸すまでになった。でも、中国ではそんなことはありません。支配階級は金持ちから奪えばいい。だから、資本主義も育ちません。この科挙制度をイデオロギー的に補強したのが儒教であり、朱子学でした。
 井沢 儒教イデオロギー化したのは、いつ頃だと考えていますか。
 石平 孟子の頃からだと思います。孔子イデオロギーも哲学も何もありません。お人好しで、人生経験が豊富なおじいさんが、愛弟子(まなでし)に囲まれ、日々の訓戒を語る・・・そういうイメージです。だから、孔子の教えは矛盾だらけです。論理的整合性はありません。
 井沢 そうですね。イデオロギーにはしていません。つまり『論語』は、『菜根譚(さいこんたん)』(中国明代末のもの。主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居{かんきょ}の楽しみを説いた書物 のようなもの。
 石平 そうです。漢の時代、儒教が整理されていく中で、『五経』(『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』)を経典としましたが、『論語』は採り入れられなかった。いわば、キリスト教で『聖書』を認めないのと同じ。漢の時代、『論語』=儒教とは考えていなかったのです。
 井沢 『論語』を儒教の大系に組み入れたのが朱子だった。
 石平 五経では足りないと『四書』(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)を新たに経典にすべきだとしたのです。
 井沢 そもそも『五経』にしても、孔子が編纂(へんさん)したものと言われていますが、違いでしょう。
 石平 孔子は何も関係ありません。『詩経』は孔子が編んだと言われていますが、それだけのことです。
 井沢 仏教も似たようなところがあります。悟りを開いた釈迦が教えを説き、その教えを弟子たちがどんどん膨らませて大乗仏教とした。大乗仏教も、すべて偽典で、釈迦とは何の関係もありません。
 家族のためなら法も犯す
 石平 中国人の行動原理を理解するのに、重要なキーワードが『家族』です。井沢さんも指摘されていますが、『一族の繁栄のためなら、公はどうでもいい』という発想が強い。
 井沢 孟子のエピソードですが、弟子から次のような質問を受けました。『もし父親が国家の法律に触れるような罪を犯した場合、子たるものはいったいどうしたらいいのか』と。公を優先すべきか、私を優先すべきか、難しい問題です。孟子の答えは『父親を担いで外国へ逃亡せよ』でえす。また、羊泥棒をした父親を警察に告発した息子がいたという話を聞いた孔子は『父は子のために隠し、子は父のために隠す。本当の正直とは、その中にある』と答えています(子路第13篇・第18条)。
 たとえ国法上死刑に値するような罪を犯しても、それが親ならば子は父を絶対に刑に服させてはならない。それは『孝』に反するというのが、儒教の根本的な考え方です。
 石平 家族の倫理道徳と公は別物だと。賄賂文化も、ここから派生しています。官僚からすれば、賄賂をもらうことは、家族の繁栄のためにいいこと。賄賂をもらうことで社会的利益を損なうわけですが、それを悪とは考えない。
 井沢 中国文化を外から眺めて不思議に思うのは、『絶対神』が存在しないことです。孔子は『怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず』と述べている。つまり、神霊的存在や超自然現象などは扱わないということでしょう。
 たとえば、イスラム教ではアッラーという絶対神が存在し、その前では人々は基本的に平等です。キリスト教も同じ。フランス革命が発生した理由もここにあります。国王・貴族は絶対だという考えが根づいていたとしたら、平民たちがその国王を捕らえ、ギロチン刑に処するなんてことは到底考えられません。
 石平 日本の場合は、どう思われますか。
 井沢 吉田松陰(幕末の思想家・教育者。1830~59年)は、朱子学は『士農工商』という身分制度が厳然としてあるが、その上に天皇は絶対的に存在するものだとしたのです。天皇の前であれば、みな平等だと。これを私は『日本型民主主義』と呼んでいます。朱子学を改変することで、日本は民主主義を達成することができた。逆に言えば、『怪力乱神』を認めない社会であれば、人間には格差が必ず存在し、平等な精神が生まれない。
 石平 中国がまさにそうです。中国は絶対神の代わりに『天』を据えました。そして、その天の代わりに国を治める皇帝のことを『天子』と称するようにしたのです。
 井沢 でも、天は何も言わないでしょう。
 石平 そうです。天の意思がどこにあるのか、誰もわかりません。
 井沢 日本の朱子学者が批判したのは、まさにその点です。要するにケンカの強いやつが勝って、国を治めて、威張っているだけではないかと。それに対して、日本は神様のご子孫である天皇が君臨しているから、我々のほうが優れているとしたのです。
 石平 一方、中国は、皇帝を頂点に、官僚たちが皇帝の手足というピラミッド構造が固定化されます。だからこそ、中国では民主主義が実現できません。もう一つ、『易姓革命』が生まれた原因もそこにあります。
 井沢 天を主体にしているから、『乱れた世を救うために、天は皇帝の担当者の姓をAからBに易({か}替)えた』というわけですね。
 石平 皇帝を倒せば、次は自分が天子になれると、何度も王朝の交代が発生してしまった。いわば中国の歴史は、閉鎖された世界から抜け出すことができず、延々と同じことの繰り返しなのです。
 井沢 ヘーゲルは『歴史なき歴史』という表現を使っていますが、その言葉はまさに中国史に当てはまる。習近平だって、皇帝そのものですよ。
 ……
 中国の真の野望
 井沢 皇帝は民主主義を認めることは絶対にありません。自分たちの権威・権力を失うことになりますから。……
 ……
 石平 ……厄介なのは、皇帝は天子である以上、中国で崇拝されているだけでは我慢なりません。周辺諸国もひれ伏して朝貢しないと、天子の証明とならない。
 井沢 まさに〝華夷秩序〟です。
 石平 皇帝の独裁権力を支える上で、〝華夷秩序〟はとても重要な装置なのです。
 井沢 そういう意味で、中国の真の野望は世界を征服することでしょう。国内でも平等がないということは、国と国の関係でも平等関係はあり得ない。中国がもっとも満足するのは、米国大統領が朝貢することです。それによって、大統領を米国国王に任じる。欧米は中国のこういった実態を、まるきり理解していません。
 石平 2017年11月、トランプ前大統領が訪中した際、習近平紫禁城に招待しました。習近平からすると、紫禁城の主(あるじ)は私であると。中国にとって紫禁城は天子が住む場所。そこに招待したということは、トランプ氏は習近平の家来であると全世界に示したかったのです。
 井沢 『中国』という名称自体が、『世界の中心の国』という意味です。周辺国はすべて野蛮な地域であると。
 石平 皇帝の権威を認めず、朝貢もしないとなれば、征服することは当然です。中国からすれば『侵略』という意識すらありません。天子ですから、天下のものはすべて自分にひれ伏すとしか考えていません。
 井沢 帝国陸軍は『暴支膺懲(ぼうしようちょう)』というスローガンを使用しましたが、膺懲とは懲らしめること。元はと言えば、皇帝が野蛮国を懲らしめる言葉です。
 石平 その精神が今も生き続けているのが、中国なのです。
 儒教共産主義の相性
 井沢 キリスト教徒であれば、『私が今生きているのは神様のお陰だ』と考える。しかし、儒教の場合、『絶対神』を認めていません。そうすると道徳の基準はどこにあるのかと言えば、『親』です。このように考えると、儒教の根源は、すべて孔子に行き着くのではありませんか。
 石平 むしろ儒教は、孔子の教えの中で、もっとも悪い要素を引っ張り出して、つくりあげたと言えます。そして、科挙制度が、その後押しをしたのです。
 井沢 では、『論語』の良さとはなんでしょう。
 石平 『礼』の大切さや『仁』(相手を思いやる気持ち)の教えなど、評価できます。実を言うと、『論語』を最も正しく解読した人は、伊藤仁斎(江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。1627~1705年)ですよ。江戸時代、徳川家康は武士社会の統治のために朱子学を導入しました。ですが伊藤仁斎荻生徂徠(江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者。1666~1728年)は朱子学の毒を見抜き、解体し、『論語』の原点に回帰していく。だから、仁斎の論語評を読めば、『論語』の素晴らしさがわかります。
 井沢 いわば逆輸入の形ですね。……
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 井沢 ……中国は無神論国家です。私が思うに、儒教共産主義の相性はとてもいい。
 石平 それは言えます。
 井沢 一つ目が『無神論』であること。二つ目が『少数のエリートが愚かな大衆を指導すべきである』と教えること。三つ目が『資本家は悪である』こと。今の中国は資本主義を完全には否定していませんが、ほかの二つは根強く残っています。儒学の土壌があったからこそ、中国の中に共産主義が自然と入り込んでしまった。
 ソ連は崩壊したから、中国もいずれ民主化の道をたどるだろう。現に資本主義を取り入れるようになったから。変化するだろうと思っている人もいますが、そんな単純な話ではないと思います。
 石平 マルクスレーニン主義が一番受け入れられる場所が中国だった。もう一つは北朝鮮です。厳格な朱子学李氏朝鮮にあったように、厳格な共産主義北朝鮮にあったと言えます。もっと言えばレーニンは〝ロシアの朱子〟だった。
 井沢 儒教的な支配体制における『士』が、共産主義における『共産党員』なわけですね。
 石平 その流れを受け継いでいるのが、習近平政権です。対外的には共産党の絶対的な指導者が善であり、企業家・商売人は悪としています。……
 その一方、習近平が皇帝であることの正統性を保証するため、『人類共同体』という概念を打ち出しています。この共同体をまとめるのは一体誰なのか。『人民日報』は1面で、『習近平主席こそが世界の未来の道を示す』と書いていました。
 井沢 呆れて物が言えません。
 石平 2020年9月、国連の総会で習近平はビデオ演説を行いました『人類運命共同体』もそこで話しましたが、翌日、中国の国連大使が『人民日報』で『習主席のビデオ演説は国連の未来の方向性を決めた』と。
 ……
 民衆も毒されている
 井沢 でも、そういった指導体制のウソを、中国人は気づいてはいないのでしょうか。
 石平 自分たちの利益にかかわることは、分別力が働きます。でも、それ以外のことは、無関心か、信じるフリをしたり、あるいは信じません。最高指導者が国連の方向性を決めているという話を聞けば、悪い気はしない、そういうとらえ方です。
 井沢 中国がいかに異質な国家であるか、そこをよく理解しないといけません。
 石平 国際的常識なんて、まったく通じません。特に日本人は『一衣帯水』『同文同種』という言葉に酔いしれて、中国に対する見方を誤りやすいのです。顔は似ていても頭の中はまったく違う。
 ……
 石平 ……中国では本当のことを言ってはいけない。一族を守るためには、ウソをついても全然平気です。 
 井沢 そんなところにも儒教の影響が浸透しています。
 石平 儒教に毒されたのは皇帝だけではありません。民衆にも広がっているのです。だから民衆の心理には、絶対的な皇帝を求める気持ちがあります。中国国内には監視カメラが無数設置されています。民主主義社会に生きている我々からすると、そんな監視社会はとても耐えられません。ですが、多くの中国人は、そういう社会環境を良しとします。
 野蛮な連中は山間部から
 石平 不思議なのは、日本では朱子学の毒がそれほど回っていません。だからこそ、私も中華思想の誤りに気づくことができたのですが、それはなぜでしょう。
 井沢 天皇の存在がやはり大きかっと言えます。それと科挙制度を取り入れなかったことも重要なポイントでしょう。
 石平 江戸時代以前、儒学に対して日本は冷淡な態度をとってきました。むしろ、仏教を篤く信仰していた。そこも大きかったと思います。
 井沢 日本人は『怪力乱神』を信じる精神性があります。仏という『怪力乱神』が入ってきたときも素直に受け入れることができた。一方、中国人は究極のリアリストだと言えます。『天国・地獄があるなら、行ったことがあるのか』『神様がいるのなら、ここに出してみろ』と言う。確かに合理的に考えればそうですが、多くの人類は、見えない世界に対して信仰心を持ちやすい精神性がある。でも、中国の民衆は道教を信じていますが、エリート層になると、まったく神仏を信じません。『親から生まれたことは否定できないだろう。だから、親に対して孝を尽くす』と。
 石平 中国の古代文字、甲骨(こうこつ)文字は占いのためにつくらえています。殷の時代まで、占いによって政治の方向性は決められていました。ですから、中原で文明的な国家が誕生すると、山間部(主に陝西省)から野蛮な連中が中原に侵攻し、征服することを繰り返しています。殷の場合は周がそれにあたります。……
 井沢 まさに『歴史なき歴史』ですね。
 ……
 石平 朱子学はまさにそう。野蛮国に追い出されたルサンチマン(怨念)から朱子学が誕生しています。……中国共産党の大幹部で、大学の図書館館長だった李大釗(りたいしょう)の誼(よしみ)も手伝って、毛沢東を司書補に引き立てたのです。毎日、図書館に来るのは、北京大学の教授、大学者たち。毛沢東湖南省なまりでそういった学者連中に話しかけるのですが、田舎者と言われ、まったく相手にされなかった。
 井沢 学者に対する恨みの体験がが文化大革命につながったわけだ。中国も韓国も『恨み』の気持ちが根深く残る。
 石平 それも朱子学の影響ではありませんか。江戸時代、家康が朱子学を導入し、寛政の改革を実施した、松平定信江戸幕府の老中。1759~1829年)のような原理原則的な人物も登場しました。ですが、朱子学の影響は武士階級にとどまり、町人たちは、それほど関係がなかったと言えます。むしろ、渋沢栄一に代表されるように商売道徳として、上手に活用した。
 井沢 先ほど話したように朱子学は日本型民主主義の源流ともなった。日本において、朱子学は100%悪だとは言えません。
 石平 朱子学の論理を生かして、明治維新が実現できたと。
 信長軍vs帝国陸軍
 井沢 ところが、明治以降になって朱子学の毒が回ってしまった。天皇を絶対視するようになり、特に帝国陸軍が組織的に硬直化します。そこから昭和の敗戦につながる。
 石平 ご指摘のように、科挙制度と似たような教育制度は、むしろ明治以降に導入されたと言えます。
 井沢 国家公務員試験がまさにそう。試験に受かれば、どんなに年齢が若くても日本のトップ官僚になれてしまう。朱子学の悪い部分が明治以降に出てきます。陸軍士官学校出身者でなければ、どれほど頑張っても少佐以上に出世できない。つまり、どれほど優秀な人間でも、実力で指揮官にはなれない。
 さらに兵器にすべて菊の紋章(皇室を表す紋章)が入っていたため、たとえ劣悪な兵器だとしても切り替えることができなかったのです。使いこなせないのは練習が足りないからだとなる。これも朱子学の悪影響の一つです。
 ……
 石平 日本は一日でも早く中国の影響から脱しなければなりません。ですが、本居宣長(江戸時代の国学者・文献学者・医師。1730~1801年)が言うように『漢心(からごころ)と大和心(やまとごころ)』の相剋(そうこく)が、今も続いていると言います。
 井沢 中国文学者の高島俊男さんが指摘していましたが、漢語とは永遠に縁を切ることができません。『くされ縁』という言葉がありますが、『くされ』は大和言葉で、『縁』は漢語です。日本語から漢字をすべて追放したら、同音異義語だらけで意味がわからなくなる。韓国では漢字の使用を禁じましたが、同音異義語だらけになり、多くの語彙(ごい)が消えてしまったのです。名前だって漢字表記ですから、漢語とは簡単に縁を切ることはできません。
 ……」
   ・   ・   ・   
 高学歴知的エリートとは、朱子学儒教的教育で量産された「金太郎飴」のような最優秀人材である。
 朱子学儒教的教育社会とは、超有名大学の難関試験を合格し優秀な成績で卒業した学歴偏重社会の事である。
   ・   ・   ・    
 同じ儒教でも、日本の儒教と中華(中国や朝鮮)の儒教は全く別な儒教で、日本は異端の論語儒教で、中華は正統な朱子学儒教であった。
 日本の儒教と言っても、江戸期の儒教、明治から昭和前期までの儒教、敗戦から現代までの儒教は、三者三様で別物である。
   ・   ・   ・   
 日本人と中国人・朝鮮人は、姿形がにていても思考・感情・行動様式は正反対に近い程に違い、東アジアに住んでいても別種のアジア人である。
 東洋は、西洋以上に多種多様な人間が住んでいる。
 日本と中華(中国や朝鮮)は一衣帯水、同文同種ではなく、日本人と中国人・朝鮮人が幾ら腹蔵なく話し合っても分かり合う事は絶対にない。
 ただし、中国人と朝鮮人は余り話し合わなくても分かり合う事ができる。
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 渋沢栄一は、私・個人ではなく公・世間、社会・国家を考えて商売道徳から「論語と算盤」と説いたが、商売蔑視・労働侮蔑の儒教はもちろん個人の利益優先や金儲け主義を拒否していた。
 その証拠が、財閥を作らなかった事である。
 渋沢栄一は、何処となく二宮金次郎二宮尊徳)に通ずるが、現代日本人とは繋がりづらい。
   ・   ・   ・   
 儒教における易姓革命を、否定したのが正統性の男系父系天皇であり、肯定するのが正当性の女系母系継承である。
 朱子学儒教は、放伐禅譲易姓革命を正統化している。
   ・   ・   ・   
 儒教マルクス主義共産主義社会主義)は、反宗教無神論イデオロギーで一致し、両者とも陰惨な宗教弾圧を行っていた。
 中国共産党を支えているのは、共産主義儒教である。
 ソ連は、「絶対神の前では万人は平等」というロシア正教によって崩壊した。
 イギリスやオランで誕生した資本主義には、資本論によるマルクス主義ではなく、プロテスタントカルヴァン派における神の絶対的権威、予定的恩寵・救済、禁欲的信仰生活を内に秘めている為に商売や株価などに「神の御手」という言葉がよく使われ、取引の契約は絶対神への宗教的誓いで結ばれる。
 人が欲得でつくった法律的契約は、人が新たに法律をつくったら破棄され無効になり不成立となる。
 つまり、法律は不変ではない。
   ・   ・   ・   
 歴史は繰り返すは、中華世界の中国や朝鮮では当てはまるが、日本では当てはまらない。
   ・   ・   ・   
 中国共産党政府に忖度する親中国派・媚中派とは、中国に傅く朝貢派である。
 日本の親中国派・媚中派は、政治家や官僚の保守派、メディア関係者、学者・教育者達、企業家・経営者など財界に多い。
   ・   ・   ・    
 中国軍は、核ミサイルの照準を日本に合わせ、日本人の命を人質に取っている。
   ・   ・   ・   
 中国や朝鮮半島は、古代からいつ日本に侵略してくるか分からない敵であった。
 日本が、中国や朝鮮半島を研究し学んだのは侵略されない為であって、友好関係・善隣関係の為ではなかった。
 日本民族は、漢籍などの古典を熟読して学んでいただけに、中国や朝鮮半島の「仇(あだ)を恩で報いる」を「胡散臭い」として額面どうり信用していなかった。
 中国との国交があったのは、寛平6(894)年に遣唐使が廃止されるまででそれ以降はない。
 朝鮮は、反日国家新羅が668年に半島を統一してから数年後には国交を断絶した。
 日本朝廷は、唐と統一新羅との国交を断絶し、中国人商人に対して博多・太宰府での官製交易を認め、中国人仏教僧の入国は歓迎した、朝鮮人は何人たりとも入国を禁止した。
   ・   ・   ・   
 一部の平和を好む現代日本人が理想国家としているのが、文治主義による官僚政治を行った宋王朝である。
 自分達は戦争したくないから、アメリカと中国共産党政府を戦わせ、アメリカ軍が中国軍を撃滅して日本を守ってくれる事を切望しているのである。
 それは、日本の歴史上存在した事がない中国的な戦わずして勝利を得るという「漁夫の利」戦略であり、中国の伝統的戦略である「夷を以て夷を制す」である。
 その成功例が、日と米英が戦った太平洋戦争であった。
 それを忠実に実行したのが朝鮮で、滅ぼすべき敵である日本に大国をけしかけて戦争を起こさせていた。それが、日清戦争日露戦争であった。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、時代劇は好きだが歴史が嫌いで、歴史力・文化力・宗教力は乏しく、戦略力・戦術力はない。
   ・   ・   ・   
 水戸学は、宋の朱子学を採用して神国日本という『大日本史』を完成させ、幕末の尊皇攘夷、外国排斥・外国人差別イデオロギーを生み出し、明治のインド発祥の仏教を害悪として排除する廃仏毀釈を実行させ、漢心(からごころ)による皇国史観を打ち立て、大正以降の愛国心教育を強権を用いて推進させた。
 水戸学には、国学の大和心(やまとごころ)は含まれていない。
 明治以降の大和魂とは、漢心であって大和心ではない。
 日本民族は、水戸学=朱子学で別人に変わった。
 その猛毒な水戸学を、大和心を通して毒性を弱め、中和させ、無毒化し、有益に変えたのが天皇の祈りである。
 そうして生まれたのが明治の近代天皇制度である。
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 明治の官僚登用試験は、科挙を参考にしてつくられた。
 エリート軍人官僚を生み出す陸軍大学や海軍大学は、初期は欧米を手本として実戦、戦争(戦略・戦術)、地政学、政治、外交、経済、科学技術そして宗教、哲学、礼儀マナーなど人間形成の為に多方面教育を行ったが、大正期以降は勝利戦史の前例主義で記憶のみえを重視する人間性軽視の科挙的軍事教育が主流となった。
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 日本人は、古事記より新約聖書論語を愛読するが、日本神話・日本仏教・キリスト教ほど儒教は好きではない。
 日本人は、日本の八百万の神々、イエス・キリスト、仏様に魅力を感じても、孔子孟子老子などの中国の偉人には興味がない。
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 日本全国に、神道の神社、仏教の寺院、キリスト教の教会などが数多く存在するが、儒教孔子廟は数えるほどしかなくそして日本人に見向きもされていない。
 日本における学問の神様は、菅原道真(御霊=怨霊)であって孔子ではない。
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 中華儒教華夷秩序では、真面な人間は漢族系中国人だけで、日本人や琉球人など周辺の異民族は唾棄すべき獣であった。
 それ故に、日本人を倭人と軽蔑していた。
 倭人とは、差別用語である。
   ・   ・   ・   
 女性神最高神として戴く日本と男性の天・天帝を戴き神仏を否定・排除する中国・朝鮮とは、水と油の様に交わるところが全くない別な国であった。
 中国には個人的私的な徳はあっても、公や他人に対するキリスト教の慈愛も仏教の慈悲もなかった。
   ・   ・   ・   
 昔から日本は、何時なんどき侵略してくるか分からない恐ろしい中国・朝鮮そしてロシア・ソ連に包囲されていた。
 明治時代。ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略から日本を守る為には、日本神道や日本仏教では戦わず祈るばかりで役に立たなかった為に、儒教原理主義朱子学に基づく近代的軍国主義国家を目指し戦争ができる国に作り変えた。
 大正時代に入ってからは、凶悪・凶暴なソ連共産主義の反宗教無神論イデオロギー侵略から天皇が統べる神国日本を守る為に朱子学軍国主義をさらに純粋化させ神話的民族主義を強めた。
 世界は、日本が自衛の為に採用した近代的軍国主義と神話的民族主義を人類に対する犯罪として否定し、武力を用いて粉砕し消し去った。
   ・   ・   ・   
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、人種差別主義者として非白人非キリスト教徒日本人をアフリカ人同様に奴隷とした。
   ・   ・   ・   
 日本人共産主義テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を消滅させ、日本国を滅亡させ、日本民族を死滅させるべく、昭和天皇や皇族を惨殺するべくつけ狙った。
   ・   ・   ・   
 古代から、日本民族は、天皇を中心とする国體を守り抜く為に民族総玉砕を覚悟して、全世界を相手に一人孤独に死闘を繰り広げていた。
   ・   ・   ・   
 日本を、助けてくれる外国人や弁護してくれる国は、地球上の何処にもいなかった。
 日本国内にも、そうした日本人がいたし、現代日本ではさらに多くいる。
   ・   ・   ・   
 日本人は、しょせん幾ら論語を読んでも「論語読みの論語知らず」で、その傾向は現代日本人に強い。
   ・   ・   ・   
 世間知らずの日本人には、キリスト教の隣人愛はもちろん、儒教の「朋(とも)有り、遠方より来たる、また楽しからずや」の朋=友が理解できない。
   ・   ・   ・   
 日本人のキリスト教徒は、全人口の1%にしか増えない。
 が、日本人は儒教よりキリスト教が好きで、論語より新約聖書を愛読する。
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💍7)─6─皇位継承策検討の有識者会議、来月にも開催。〜No.41No.42 ⑦ 

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 2021年2月26日13:21 産経新聞旧宮家皇籍復帰意向確認「現時点で考えず」 加藤官房長官
 衆院予算委員会第1分科会で答弁する加藤勝信官房長官=26日午前、衆院第16委員室(春名中撮影)
 加藤勝信官房長官は26日の衆院予算委員会分科会で、安定的な皇位継承の在り方をめぐり、皇籍復帰に関する旧宮家への意向確認について「現時点で考えていない」と述べた。同時に「男系継承が古来例外なく維持されてきた重みを踏まえながら慎重かつ丁寧に行う必要がある」とも語った。
 譲位を一代限りとした平成29年成立の譲位特例法の付帯決議では、一連の代替わりの儀式終了後、政府に速やかな皇位継承の在り方の検討と国会への報告を求めている。
 加藤氏は政府の対応について「静かな環境で検討が行われるよう付帯決議に基づき、適切な検討の在り方を現在考えている。まだ検討段階であり、具体的なことを申しあげるのは差し控えたい」と説明した。
 立憲民主党津村啓介氏の質問に答えた。」
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 2月26日 22:56 MicrosoftNews 読売新聞「皇位継承策検討の有識者会議、来月にも開催…政府内でメンバー人選進む
 政府は、安定的な皇位継承策などを検討するための有識者会議を3月中にも開催する方向で調整に入った。皇位継承権の範囲や皇族の対象を見直すかどうかが主な論点となりそうだ。
 政府高官が26日、明らかにした。政府内で会議のメンバーの人選を進めている。政府の皇室関連の有識者会議は、2016~17年の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」以来となる。
 政府は、代替わりに伴う一連の行事が行われていた昨年までは、学識経験者らに非公式に接触して論点や課題を聞き取るにとどめており、会議を設置せずに「静かな環境」で検討する考えだった。
 だが、17年に成立した平成の天皇陛下の退位を実現する特例法の付帯決議では、安定的な継承策などを速やかに検討して国会に報告するよう政府に求めており、さらなる議論の必要があると判断したとみられる。」
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✨52)─3─国旗「日章旗」損壊罪はなぜない〜No.212 ㊹ 

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 戦前の日章旗「日の丸」と旭日旗「軍旗」は、アジアの希望の星であり、日本人や外国人で被災した人々にとっ救いの光であった。
 戦争の旗であり、人道貢献の旗であった。
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 2021年2月25日 産経新聞「「日章旗」損壊罪はなぜない  
 日本国旗
 のっけから私事で恐縮だが、先日久しぶりに電話した郷里の知人からちょっとした愚痴を聞かされた。
 「建国記念の日くらい、国旗を掲揚したかったが、家族の反対で断念した」。聞けば、自宅の玄関先に昔購入した国旗を掲げようと準備をしていたら、最初は妻から「近所にどう思われるか」と反対され、続いて思春期の息子からも「恥ずかしい」と突っぱねられたという。
 言われてみれば、祝日に日章旗を掲揚する家庭は今時珍しい。察するに、知人の家族は世間体を気にするあまり、国旗掲揚に対するネガティブな反応を嫌ったのだろう。事実、国旗に敬意を表する人を「右翼」と決めつける人はいまだ少なからずいる。
 これも自虐史観を植え付けた戦後教育の成れの果てか。ともあれ、知人は「日本国旗を掲げることが恥ずかしいと思うこと自体、私にとっては恥ずかしい」と嘆いていたが、全く同感である。
 その日章旗をめぐり、自民党有志の保守系グループが先月、日の丸を侮辱目的で傷つける行為を処罰できる「国旗損壊罪」の新設を盛り込んだ刑法改正案を今国会の議員立法で提出したいと申し入れた。
 憲法で定められた表現の自由の侵害や、愛国心の押し付けなどといった批判的な意見もさっそく上がっているが、「国旗に対する尊重の念を守りたい」という趣旨は当然であろう。
 もとより、わが国の刑法は92条で「外国国章損壊罪」を定めている。だが、自国の国旗に関する罰則規定はない。しかも、海外に目を向ければ、米国やフランス、ドイツ、イタリア、中国など多くの国で自国の国旗損壊に刑罰を定めた法律が存在する。
 むしろ、わが国がこれまで外国旗の毀損(きそん)にのみ罰則を規定し、日章旗に対する罰則を設けていなかったことの方が不思議である。では、なぜ同等に扱われなかったのか。その理由について、議員立法を主導する高市早苗総務相のブログに少し気になる記述があった。
 《日本が、諸外国の法制度と正反対に、「自国の国旗損壊等」については刑罰規定が無く、「外国の国旗損壊等」については刑罰を設けている理由ですが、奥野信亮法務部会長が法務省刑事局に確認して下さったところ、「敗戦国なので、このような形になり、そのままになっている」ということだったそうです》(原文ママ
 「敗戦国だから…」とはどういう意味なのか。ドイツもイタリアも同じ敗戦国だが、先に述べた通り、自国旗に対する罰則がある。真偽を確かめるべく、同省刑事局に取材したところ、担当者は「誤解があるのでは」と答えた。何がどうなっているのか。この件については、後日改めて当紙面で詳細をお届けしたい。(大阪正論室次長 白岩賢太)」
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💖2)─2─近代天皇の私有財産の使い道。人道貢献としての昭憲皇太后基金。~No.3No.4No.5 

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 現代日本人はもとより過去の日本人で、歴代の天皇や皇后、皇族に匹敵する世界が認める偉業を行った者は誰もいない。
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 特に近代天皇・近代皇室は、世界の古今東西の如何なる王侯貴族とも違い、世界の平和と日本国の発展と日本人の幸福の為に、歴史的な人道貢献を数多く行っていた。
 特に、明治・大正・昭和・平成の歴代皇后の業績は偉大であった。
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 国民世論は、「あいちトリエンナーレ2019」における昭和天皇に対する不敬行為を黙認した。
 国際社会も、表現の自由として「あいちトリエンナーレ2019」を支持した。
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 昭憲皇太后基金
 2019年10月5日 東京新聞人道支援 ともしび次へ 国際赤十字昭憲皇太后基金
 明治天皇の皇后である昭憲皇太后が国際赤十字に寄付して設立され、現在も世界で平時の人道支援に役立てられている「昭憲皇太后基金」を支援しようと、都内の女性グループが5日、渋谷区内でコンサートを開き、収益を基金に寄付する。グループは「基金は日本の誇り。支援のともしびを消してはいけない」と来場を呼び掛けている。 (市川千晴)
 日本赤十字によると、昭憲皇太后は一八八八年に起きた磐梯山福島県)の噴火災害で、日赤に医師の派遣を求めた功績で知られる。一九一二(明治四十五)年には、自然災害の支援や保健衛生改善などのために十万円(約三億五千万円相当)を国際赤十字に寄付し、基金が創設された。戦争で傷ついた兵士の救助を目的に創設された国際赤十字が、世界で人道支援を行うきっかけになったという。
 日赤の担当者は「国籍、宗教、政治的信条に一切関係なく、公平に困っている人たちに救いの手を差し伸べようという赤十字は、皇室が古くから大切にされてきたお考えとも一致していたのでは」と話す。
 同基金は、これまでに利子と配当による約十五億八千万円で、百七十の国と地域を支援。当初は皇室からの御下賜金(ごかしきん)や日本政府の拠出が多かったが今は、企業や市民の募金などが支える。
 コンサートを主催するのは学習院女子中・高等科卒業生の有志で作る「継聖会」。発起人の大田区の斎藤紀子さん(77)らは、基金を取り上げた講演会を聞いて利子が減っていると知り、「何かできたら」と一五年秋から、講演会やコンサートを年二回ほど開くなどしてきた。
 斎藤さんは「支援が国際親睦と世界平和につながるという創設の思いを、一人でも多くの方に知って賛同して頂けたら」と話す。共に活動する同区の千家慶子さん(77)も「孫の代まで平和な世界を届けたい」。
 基金を研究する国際神道文化研究所の今泉宜(よし)子主任研究員も「世界に向けて日本が果たすべき役割を発信した昭憲皇太后の思いを引き継ぎたい」と話す。
 五日は明治神宮参集殿(渋谷区)でバイオリンと尺八の慈善コンサートを開く。正午からバザー。午後一時から講演、演奏は一時半~三時。入場券は一般四千円、学生二千円で、会場で当日購入できる。」
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 明治神宮は、祭神を明治天皇昭憲皇太后と定め、大正4(1915)年に着工し、5年後に完成した。
 歴史の浅い新しい神社ではあるが、毎年の正月における初詣参拝者は全国で最も多い。
 GHQは、日本のキリスト教化と戦争犯罪清算として、靖国神社明治神宮伊勢神宮宇佐神宮など皇室所縁の主要神社を焼却破棄する計画を立てた。
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 現代の日本人は、昔の日本人とは別人の様な日本人である。
 現代の資産家・富裕層は自分と自分の家族の為に金を使うが、昔のお大尽さん・金持ちは世の為・人の為・世間の為に資産を使っていた。
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 天皇や皇族を税金で暮らしている特権階級の道楽者と論じる日本人は、伝統・文化・歴史・宗教・言語・習慣・風習・因襲を共にする日本民族ではない。
 現代のメディアは、皇室の家計や皇族の生活費で如何に巨額な税金が浪費されているかと面白おかしく報道し、生活苦に喘いでいる日本人の間に天皇・皇族・皇室への嫌悪感や敵意を生み出し、天皇制度廃絶の感情・気運を作るべく躍起となっている。
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 日本の天皇・皇室は、世界の王侯貴族、特に中華の中国皇帝や朝鮮国王とは全然違うのである。
 現代日本人特に天皇・皇室を否定する日本人は、歴史力・文化力・宗教力が乏しい為にその事が理解できない。
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 GHQは、皇室資産の大半を没収し国庫に入れた。
 財政難の日本政府は、没収した皇室資産を戦後復興に使った。
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 国際社会における日本国の信用は、1945年にGHQによって与えられた主権在民の正当性を有している日本国民日本人ではなく、日本神話の血の継承を正統性として約2000年前から日本を統治してきた日本天皇の存在にある。
 つまり、他国の占領者から与えられた主権在民国民主権は人為的法律に基ずく便宜的正当性であって、血の神話における伝統・文化・歴史・宗教・言語・習慣・風習・因襲に基ずく神聖不可侵の普遍的正統性ではない。
 日本における唯一の正統性とは、最高神である女性神天照大神の血を男系父系相続で正しく受け継いだ現皇室の血筋・血統・皇統だけである。
 女系母系継承にあるのは、正当性であって正統性ではない。
 血の神話とは、祖先神・氏神の人神信仰である。
 それは、中華(中国や朝鮮)の儒教とは無関係・無縁である。
 人神とは、天地創造の創り主・全知全能の唯一絶対神・父なる神ではなく、血・肉、命・身体、心・志、魂・霊がつながっている自分の確かな祖先である。
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 日本赤十字社
 昭憲皇太后基金
 ホーム プレスリリース 2019年度 100年以上の歴史を持つ「昭憲皇太后基金」の配分決定 ~約4,400万円を14カ国に~
 100年以上の歴史を持つ「昭憲皇太后基金」の配分決定 ~約4,400万円を14カ国に~
 2019年4月11日
~世界で最も古い開発協力基金~ 世界170カ国、累計額約15億8,400万円
 赤十字国際委員会国際赤十字・赤新月社連盟で構成される昭憲皇太后基金合同管理委員会は、今年度の同基金の配分先を決定しました。14カ国の赤十字赤新月社に対し、総額約4,400万円(39万5,782スイスフラン)が配分されます。これまでの配分は大正10年の第1回から今回(第98回)までで、累計約15億8,400万円、配分先は170カ国の国と地域にのぼります。
◆ 今日の開発援助の先駆けとなった昭憲皇太后基金
 K-002975A.jpg「昭憲皇太后基金」は1912年(明治45年)の赤十字国際会議において、赤十字の平時活動の奨励のために昭憲皇太后明治天皇の皇后)が国際赤十字にご寄付された10万円(現在の3億5千万円相当)を基に創設されました。
 世界で武力衝突が起こり、のちに第一次世界大戦が起こるこの時代において、多くの国の赤十字社が戦時救護の対応に追われている中、地震や台風、火災、噴火等の大きな災害等に備えるための国際基金の設立は画期的なことであったと言われています。
 同基金は、皇室をはじめとする日本からの寄付金によって成り立っています。国際赤十字の中に設けられた合同管理委員会によって運営され、原資を切り崩すことなく、そこから得られる利子が世界の赤十字社の活動に配分されます。毎年、昭憲皇太后のご命日にあたる4月11日に配分されています。
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 ウィキペディア
 昭憲皇太后基金(英: Empress Shoken Fund)は国際赤十字基金
 解説
 1912年(明治45年)、アメリカ合衆国ワシントンD.C.にて開催された第9回赤十字国際会議において、昭憲皇太后が国際赤十字に下賜した10万円(現在の3億5000万円に相当)を元に創設された。
 第1回から第100回までの配分総額は約11億240万円であり、2015年(平成27年)3月31日時点の基金総額は約18億5730万円(1500万スイスフラン)。
 1944年(昭和19年)を除き、1921年(大正10年)から現在に至るまで毎年、昭憲皇太后の命日である4月11日に基金の利子が世界各国の赤十字社赤新月社に配分され、これまで世界161ヵ国の国や地域の災害や感染症に苦しむ人々の救済や福祉の増進、防災や病気の予防などの活動に充てられてきた。
 その後も貞明皇后香淳皇后、また上皇后美智子からの下賜金、または日本赤十字社の資金協力などもあり、様々な形で基金が増額されている。
 100周年を迎えるに当たり、明仁天皇美智子皇后からの下賜金、明治神宮明治神宮崇敬会からは1000万円の寄付があった。
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 日本赤十字社
 昭憲皇太后基金
 関東地方 | 東京都渋谷区
 歴史上の人物・場所
 日本とスイスが共有する人道的理想は、世界の赤十字運動の発展に大きな影響を与えました。
 人道的活動に携わる皇室
 毎年何百万人もの日本人や外国人が明治天皇昭憲皇太后を祀っている明治神宮を訪れます。百年以上前、激動の時代に日本を統治したことで知られている明治天皇は、歴史書に登場する回数や観光客の間での知名度という点では際立っているため、昭憲皇太后はどうしてもその陰に隠れてしまいがちです。しかし、日本と世界に残した人道的社会事業の遺産という観点では、おそらく同様に素晴らしいものがあります。
 昭憲皇太后(1849-1914)は、「意思が強く、実行力のある女性」と評され、宮廷改革の任務を背負っていました。皇太后の主な関心事の一つは女子教育であることから、女性教師養成のための大学の支援を行いました。活動は日本国内にとどまらず、1912年には、スイスジュネーブで数十年前からはじまっていた国際赤十字の平和活動を支援するために10万円を下賜し、昭憲皇太后基金を設立しました。
 ソルフェリーノの思い出
 1859年に赤十字の原型が生まれました。スイスのビジネスマンであったアンリ・デュナンが、イタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノに出向いた時のことです。40,000人以上の兵士が、医療救援も受けずに戦場で死傷しました。その後、数日間、デュナンと地元の人たちは、何千もの負傷者に手を差し伸べて救援活動に従事しました。この一件がデュナンを突き動かすことになり、スイスに戻った彼は、戦場において敵味方の区別なく負傷者の救護にあたる、国の救済組織をつくることを提唱し、ジュネーブ条約制定に向けた道筋を示しました。
 数年後の1863年、デュナンとジュネーブから来た5人により国際負傷軍人救護常置委員会(通称5人委員会)を結成しました。これが、のちに赤十字国際委員会の誕生に発展していきます。スイスの国旗を反転させた白地に赤の十字マークを施した旗が採択されました。世界最大の人道主義組織となっていくわけですが、傷病兵を救護し、救護する活動自体を中立なものとすることを定めたジュネーブ条約に、12カ国の代表が調印しました。1919年には、ヨーロッパ各地あるいは世界中で結成された赤十字社をとりまとめるための、赤十字社連盟(今日においては、国際赤十字赤新月社連盟として知られています)が設立されました。その中には、日本赤十字社もありました。
 日本における赤十字運動
 南西戦争の犠牲者を救済するために、佐野常民(1822-1902)により、「慈善団体」として1877年に創設された日本赤十字社は、現在は世界にある187の赤十字社の中でも最大規模を誇っており、2014年時点で、個人会員960万人と、法人会員12万に支えられています。近衛忠煇により率いられた非政府組織 [日本スイス協会へのリンク] は、国内外で活動を行なっており、国際法の尊重、災害対応の調整、献血の募集、教育および医療プログラムの実施、福祉サービスの提供などを訴えています。
 昭憲皇太后は、当初から日本赤十字社を奨励し、日本の赤十字運動に大きな影響を与えました。赤十字国際委員会、国際赤十字赤新月社連盟で構成される昭憲皇太后基金管理合同委員会により運営され、日本政府、日本赤十字社、皇室、明治神宮からの寛大な支援により、基金は、1912年の1万円から2018年には、約17億円にまで拡大しました。創業以来、約2.2億円を拠出し、各国の国際赤十字赤新月社の発展と活動に大きく貢献しました)。
 毎年4月11日(皇后両陛下の崩御記念日)、赤十字国際委員会、国際赤十字赤新月社連盟で構成される昭憲皇太后基金管理合同委員会によって助成金の配分が行われ、結核プログラム、救急訓練、献血、地域の活動など幅広いイニシアチブに配分されます。世界中の150以上の各国赤十字社赤新月社が、皇后両陛下の慈善事業により恩恵を被りました。まだ課題はあるものの、スイスと日本の理念のおかげで、世界で多くのことが成し遂げられてきています。
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 今日の開発協力の先駆けとなった「昭憲皇太后基金
 2018年4月13日
 日本でまだ誰も“平時に備える”という発想をもたなかった明治時代、今もなお、世界中で赤十字が実施する開発協力活動に大きく貢献している「昭憲皇太后基金」が生まれました。
 各国赤十字社の支援活動推進(平時事業)のために
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 ハンガリー赤十字社 看護教育
 (第9回配分1930年)
 (出典「日本から世界へ思いやりの100年」)
 「昭憲皇太后基金」は1912年(明治45年)にワシントンで第9回赤十字国際会議が開催された際、赤十字の平時の活動を奨励するために昭憲皇太后明治天皇の皇后)が国際赤十字にご寄付された10万円(現在の価値で3億5千万円に相当)を基に創設されました。
 明治45年というと、大卒の初任給が30円程度、庶民にとって当時の1円は現在の4,000円程度の重みがあったと考えられます。世界で武力衝突が起こり、のちに第一次世界大戦が起こるその時代、世界の多くの赤十字社は戦時救護の対応に追われていました。そんな中、台風や地震等の災害への備えや、保健衛生の改善といった平時の活動を行うための国際基金の創設は、画期的なことであったと言われています。
 同基金は、皇室をはじめとする日本からの寄付金によって成り立っています。基金は国際赤十字の中に設けられた合同管理委員会によって運営され、原資を取り崩すことなく、そこから得られる利子が世界の赤十字社の活動に配分されます。配分先は昭憲皇太后のご命日にあたる毎年4月11日に決定されています。これまでの配分は大正10年の第1回から今回(第97回)までで、合計約15億4000万円、配分先は166の国と地域に上ります。
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 昭憲皇太后基金
 (The Empress Shoken Fund)
 令和2年12月
 緊急・人道支援
 1.沿革
 (1)1912年にワシントンにおいて第9回赤十字国際会議が開催された際、当時の皇后であった昭憲皇太后が国際赤十字に対し、赤十字の平時における救護活動推進のため10万円(現在の3億5千万円相当)を寄付されたのを機に設立された。
 (2)その後、皇室からの計12回に渡る追加下賜金、我が国政府拠出金(昭和41年より平成3年度まで毎年1,000万円、平成4年度より平成9年度まで毎年2,000万円、平成10年度より平成13年度まで毎年1,700万円、平成14年度は850万円)、民間からの寄付金を加え、2019年末現在の基金総額(元金)は約1,668万スイスフラン(令和元年度支出官レートで約18.8億円)に上る。
 (3)大正10年(1921年)から始まった同基金配分は、昭和19年を除いて途絶えたことはなく、今年で第99回目の配分となる同基金の支援実績総額は400,160スイスフラン
 2.運営
 (1)赤十字国際委員会(ICRC)及び国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)より各3名指名された、計6名の独立した委員による合同委員会(我が国寿府代大使はオブザーバーとして出席)により管理・運営されている。
 (2)その運用収益は、毎年1回(昭憲皇太后命日である4月11日)開発途上国赤十字赤新月社からの申請に応じて配分され、各国における平時の救護活動(救急車、医療機材の購入、赤十字組織の強化等)に役立てられている。なお、本件基金により購入された救急車両や物資等には「昭憲皇太后基金よりのギフト」とエンブレムが記入され、本件基金は関係諸外国に広く知れ渡っている。
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 ウィキペディア
 昭憲皇太后(1849年5月9日〈嘉永2年4月17日〉 - 1914年〈大正3年〉4月9日)は、日本の第122代天皇明治天皇の皇后。諱は勝子(まさこ)、のちに美子(はるこ)。お印は若葉。旧名は、一条美子(いちじょう はるこ)。
 欧州の王侯貴族・貴婦人と対峙できるよう近代女子教育を振興し、社会事業の発展、国産の奨励等に尽力した。皇后として史上初めて洋装をした。明治天皇崩御に伴い皇太后となり、1914年(大正3年崩御(64歳)。嫡妻として明治天皇の側室(柳原愛子)が生んだ嘉仁親王大正天皇)を養子とした。
 皇太后時代
 1912年(明治45年)7月30日、明治天皇崩御し、皇太子嘉仁親王践祚および皇太子妃節子の立后と同時に皇太后となった。
 1914年(大正3年)4月9日午前2時10分、沼津御用邸にて狭心症のため[2]崩御。公式には4月11日同時刻。丸2日ずらされたのは、宮内省内蔵頭当時の収賄で司直の手が及びかけていた宮内大臣渡辺千秋を急遽更迭させるための措置であった。
 同年5月9日、宮内省告示第9号により「昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)」と追号され、翌年5月1日に、夫の明治天皇と共に明治神宮の祭神とされた。
 陵墓は、京都府京都市伏見区にある伏見桃山東陵(ふしみももやまのひがしのみささぎ)。
 業績
 明治維新期の皇后として、社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現:学習院女子中・高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の設立、日本赤十字社の発展などに大きく寄与した。慈善事業の発展に熱心で、東京慈恵医院や博愛社(現在の日本赤十字社)の発展に貢献した。
 1902年(明治35年)発行、バッスルスタイルのローブ・モンタントを召して。(ロシアの日本紹介文献にて)
 赤十字の日本国内における正式紋章「赤十字桐竹鳳凰章」は、紋章制定の相談を受けた際、皇后が大日本帝国憲法発布式で戴冠したパリの高級宝飾店ショーメ制作のフランス製の宝冠のデザインが、桐と竹の組み合わせで構成されていた事から、日本近代化の象徴として「これがよかろう」という自身の示唆で、さらに皇后を象徴する瑞獣である鳳凰を戴く形に決定されたという。
 1912年(明治45年)、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にて第9回赤十字国際会議が開催された際、国際赤十字に対して皇后は10万円(現在の貨幣価値に換算すれば3億5000万円ともいわれる)を下賜した。赤十字国際委員会はこの資金を基にして昭憲皇太后基金 (英:Empress Shōken Fund) を創設した。この基金は現在も運用されており、皇后の命日に利子を配分している。
 皇后として欧化政策の先頭に立たなければならない立場を強く自覚し、1886年明治19年)以降は、着用の衣服を寝間着を除いて全て洋服に切り替えた。洋服を率先着用した理由としてもう一つ、「上半身と下半身の分かれていない着物は、女子の行動を制限して不自由である」という皇后自身の言葉も伝えられている。
 能楽、美術、工芸の発展にも心を配り、日清・日露戦争に際しては、出征軍人や傷病兵に下賜品を与え、慰問使を送った。和歌や古典文学にも造詣が深く、創作した短歌(作歌)は3万6000首に上るが、その一部は『昭憲皇太后御歌集』に見ることができる。
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⛩97)─1─歴史・文化的意義も破壊する政教分離違反の暴走。最高裁の孔子廟に敷地無償提供は違憲。~No.213No.214 ⑳ 

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 孔子廟で行われる祭りが、政教一致の宗教祭礼なのか?政教分離の市民祭事なのか?反日行動を繰り返す中国共産党を意識した・忖度した政治活動か?
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 政教分離の原則に従い、公共の場で執り行われる全ての宗教関連の祭事・行事・催しは開催できなくなる可能性がある。
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 中国共産党は、中国系日本人である久米三十六姓の子孫に接近している。
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 久米三十六姓の琉球移住は、東シナ海交易圏の平和・発展の為に明国(中国)・琉球・日本を橋渡しする事が目的ではなかった。
 明治までの久米三十六姓は、中国に忠誠を誓う反日派勢力で、日本の琉球併合に抵抗した。
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 2020年7月29日 朝日新聞デジタル那覇市公園に孔子廟、無償提供は違憲? 最高裁判断へ
 那覇市儒教の祖・孔子を祭る「孔子廟(びょう)」の敷地を無償提供しているのは政教分離を定めた憲法に違反するかが争われた住民訴訟があり、最高裁第三小法廷(戸倉三郎裁判長)は29日、審理を大法廷(裁判長・大谷直人長官)に回付した。長官と判事全員の15人による審理となり、憲法判断が示される見込み。
 問題となっているのは、一般社団法人「久米崇聖(くめそうせい)会」が市の許可を得て、2013年4月までに松山公園内の一角に建てた「久米至聖廟(しせいびょう)」。約1335平方メートルの敷地内に中国の思想家・孔子を祭る大成殿や戦前の公立学校など複数の施設がある。「体験学習施設」として届け出を受け、当時の故・翁長雄志(おながたけし)市長が条例に基づき月約47万円の使用料を全額免除した。
 中国に反発する市民運動家の女性が14~15年、「違法な支出だ」として使用料徴収などを求めて提訴。二審・福岡高裁那覇支部が差し戻した後、政教分離が正面から争われていた。
 市側は「施設にも社団法人にも宗教性がない」と反論したが、差し戻し後の18年4月の那覇地裁判決は、孔子の霊を迎える祭礼を営んでいることや参拝者が訪れている点などから宗教性を認定。「無償提供は憲法が禁じる宗教団体への特権付与にあたる」として、使用料を徴収しないことは違法と判断した。
 19年4月の福岡高裁那覇支部判決も違憲と認めつつ、使用料の徴収額を示さなかったため、女性と市の双方が上告していた。(阿部峻介)」
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 《政教分離の原則》 公権力を持つ国や自治体は宗教に干渉してはならず、宗教的中立性を保たなければならないという原則。戦前、国家神道に特権的な地位が与えられて軍国主義に進んだ反省から、憲法20条と89条で定められている。国などが宗教団体に特権を与えたり、宗教的活動をしたりすることや、公の財産を宗教団体のために使うことを禁じている。最高裁大法廷はこれまでに①愛媛県靖国神社護国神社玉串料などを払った「愛媛玉串料訴訟」(1997年判決)②北海道砂川市が神社に市有地を無償提供した「空知太(そらちぶと)神社訴訟」(2010年判決)の2件で違憲判断を示している。」
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 2021年1月21日 沖縄タイムズ「孔子をまつる那覇市の久米至聖廟憲法判断へ
 沖縄県那覇市管理の松山公園にある儒教施設の久米至聖廟(しせいびょう)(孔子廟)に、市が土地を無償提供しているのは憲法の定める政教分離に違反するかが問われた住民訴訟の上告審弁論が20日、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)であった。住民側は、儒教は宗教で久米至聖廟が宗教施設なのは明らかだとして違憲性を強調。那覇市側は、久米至聖廟は文化教育・歴史的施設で政教分離違反ではないと反論し、即日結審した。判決日は追って指定される。
 大法廷は憲法判断をする場合などに開かれる。差し戻し後の一、二審はいずれも、無償提供を違憲と指摘しており、最高裁憲法判断を示すとみられる。
 住民側は「学術的見地だけでなく、一般人の感覚に照らしても久米至聖廟が宗教的施設なのは疑いようがない。市が公園の広大な敷地を提供し、使用料を全額免除していることは特定の宗教の助長に当たる」と主張した。
 市側は「儒教は宗教ではなく学問。久米至聖廟も沖縄に中国文化を伝えた『久米三十六姓』の歴史・文化を学ぶ教養施設だ。観光資源としての側面もあり、使用料免除は何ら宗教的意義を有するものではない」と反論した。
 [ことば]久米至聖廟 琉球王国時代の1676年に孔子及びその門弟をまつるために旧久米村に建てられた。久米村は、中国渡来の人々が多く生活していた。1718年には琉球初の学校「明倫堂」が設立された。第2次世界大戦で壊滅したため、1975年に那覇市若狭に再建された後、2013年6月、松山公園内に移転した。」
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 1月21日 琉球新報孔子廟訴訟、最高裁で結審 那覇市と住民側が政教分離巡り弁論 憲法判断へ
 那覇市 久米至聖廟 孔子廟 住民訴訟
 沖縄県那覇市の松山公園内にある久米至聖廟孔子廟)のため、市が公園内の土地を無償提供しているのは憲法政教分離の原則に違反するかが争われた住民訴訟の上告審弁論が20日最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)で開かれた。那覇市は「沖縄の歴史や文化を伝える教養施設で、宗教的意義はない」と主張し、住民側は「宗教的施設で違憲だ」と反論し、結審した。判決期日は後日指定される。
 差し戻し後の一、二審判決はいずれも、無償提供は違憲としている。15人の判事で構成する大法廷は憲法判断をする場合などに開かれるため、最高裁も判断を示すとみられる。
 上告審弁論で那覇市は「歴史的、文化的な意義や設置経緯などの事情を十分に検討いただきたい」と訴えた。市側の補助参加人で、施設を管理する一般社団法人「久米崇聖会」は、中国から渡来した「久米三十六姓」の子孫が会員で、宗教団体ではないと説明。「孔子廟は宗教とは関係がなく、仮にあったとしても宗教性は極めて希薄だ」とした。
 住民側は「宗教的性格の濃厚な施設であることは、学術的見地からはもちろん、一般人の感覚からも疑いがない。使用料の全額免除は、特定の宗教に対する援助や助長に当たり、政教分離原則に違反する」と主張した。差し戻し後の二審判決は、孔子廟を「宗教的性格を色濃く有する」と認定した。公園使用料を免除するかどうかは市長に一定の裁量権があると判断し、請求額は明示しなかった。
 二審判決などによると2011年、那覇市長が公園への孔子廟設置を許可し、使用料を全額免除することを決定、14年に更新した。」
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 2月20日 MicrosoftNews 朝日新聞社孔子廟に土地を無償提供、政教分離違反?最高裁が判断へ
 © 朝日新聞社 久米至聖廟(くめしせいびょう)の門と正殿「大成殿」(写真左奥)。門の中央扉は、年に1度の祭礼の時だけ開かれる=2021年2月12日午後4時9分、那覇市、岡田将平撮影
 儒教の祖・孔子を祭る「孔子廟(びょう)」の敷地を那覇市が無償提供しているのは、政教分離を定めた憲法に違反するか。この点が問われた裁判で、最高裁大法廷が24日に判決を言い渡す。政教分離をめぐる大法廷の判断は神社に関連するものが戦後5例あるが、儒教の施設が審理対象となるのは初めて。孔子廟は各地にあり、その運営への影響も注目される。
 朱色の建物に赤い瓦。「久米至聖廟(くめしせいびょう)」は、那覇市中心部の公園内にある。孔子の霊を迎える年に1度の祭礼の時だけ、孔子像のある大成殿(たいせいでん)に続く門扉の中央が開き、14世紀以降に中国から渡来した「久米三十六姓」の子孫らが酒を供えたり線香を上げたりする。
 施設は一般社団法人「久米崇聖会(そうせいかい)」が2013年に建設し、管理している。市は論語の講座を開くスペースもあることなどから「体験学習施設」にあたると公益性を認め、年576万円の使用料を無償にした。
 「歴史文化を知らしめるという目的は名ばかりで、実態は儒教を普及させるものではないか」。中国に反発する市民運動家の女性が使用料免除は政教分離に反すると主張し、市を訴えたのが今回の裁判だ。
 争点は、施設の運営に宗教性がどれほどあるかだ。北海道砂川市が神社に市有地を無償で使わせた行為が問題となった「空知太(そらちぶと)神社訴訟」では、10年の大法廷判決が「施設の性格や無償提供の経緯、一般人の評価などを考慮し、社会通念に照らして総合的に判断する」との基準を示した。
 18年の那覇地裁判決はこの判例を踏まえ、違憲と判断した。孔子の霊を迎えるため供物を並べたり、祭礼日だけ門扉の中央を開いたりする宗教的儀式をしているほか、会の正会員を久米三十六姓の子孫に限る閉鎖性があると指摘。「儒教が宗教に当たるかにかかわらず宗教的性格の色濃い施設だ」と述べ、使用料免除は憲法が禁じる「宗教的活動」で全額を徴収しないと違法だとした。
 福岡高裁那覇支部違憲と認めた。ただ、徴収すべき額は市に裁量があるとして示さなかったため、女性と市の双方が上告した。最高裁の弁論で原告は全額の徴収を求め、市は「儒教は哲学で運営に宗教性はない」と反論している。
■他の施設への影響は?
 哲学や道徳と認識される儒教の施設は全国に点在するが、運営の形態は異なり、影響は不透明だ。
 東京都文京区の湯島聖堂。江戸時代の1690年、儒学者林羅山(らざん)の私塾が孔子廟とともに上野から移り、のちに幕府直轄の学校として昌平坂学問所も併設された。「近代教育発祥の地」といわれる。
 国の史跡に指定され、土地も建物も国の所有だ。公益財団法人「斯文会(しぶんかい)」が管理し、ここで論語や書道の講座を開いている。孔子祭も催すが、国民に論語に触れてもらうことが主眼という。平正路(まさじ)事務局長は「政教分離の問題を指摘されたことはない」と話す。
 栃木県足利市にある史跡足利学校には日本最古の孔子廟があり、佐賀県多久市孔子廟は国の重要文化財に指定されている。いずれも自治体の所有で孔子を祭る儀式も行う一方で、歴史的遺跡としても知られる。
 多久市の担当者は「創建目的も地域の根付き方も沖縄のケースと違う。判決次第でどんな影響があるのだろうか」と関心を寄せる。」
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 2月23日06:00 産経新聞儒教の祖祭る「孔子廟」は宗教的? 那覇市の公園に建つ施設、大法廷「政教分離」どう判断
 儒教の祖・孔子を祭る「孔子廟(びょう)」の敷地を地方自治体が無償提供するのは憲法の「政教分離の原則」に違反するといえるのか-。こうした点が争われた住民訴訟の上告審判決が24日、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)で言い渡される。日本における政教分離は主に神道と国家を分離するために生まれたが、今回の訴訟で問題となっているのは、中国から伝わった儒教の関連施設。大法廷がどんな判断を下すか、注目される。(加藤園子
 全額免除で設置
 那覇市中心街にある松山公園の一角。「大成殿」の文字を掲げた琉球瓦の赤い本殿などの施設が孔子廟だ。久米至聖廟(くめしせいびょう)とも呼ばれ、敷地面積は1335平方メートル。明の時代に琉球(沖縄)へ渡来し中国文化を伝えた「久米三十六姓」の子孫でつくる一般社団法人久米崇聖会が管理し、年に一度は供物を並べて孔子の霊を迎える祭礼を実施する。
 もともとは17世紀に建立されたが戦災で焼失し、いったん別の場所で再建。平成25年に、最初の立地に近い同公園へ移転した。公園を管理する那覇市は、移転を許可して月額約48万円の使用料を全額免除することを決定。当時の市長は、後に沖縄県知事も務めた故翁長雄志氏だった。
 だが、26年に全額免除のまま契約が更新されると、一部市民が、孔子廟は宗教施設なのに使用料を徴収しないのは「憲法政教分離の原則に反する」などとして市を提訴。手続き上の不備などで2審福岡高裁那覇支部が差し戻した後に正面から政教分離が審理され、1、2審判決は全額免除を「特定の宗教に便宜を提供し援助していると評価されてもやむを得ない」として違憲と判断、市側の敗訴とした。
前提から争いに
 政教分離の原則は「宗教団体は国の特権を受けてはならない」「国は宗教的活動をしてはならない」とした憲法20条や、「公金は宗教団体の便宜に利用してはならない」とした憲法89条で規定されている。戦前の「国家神道」に対する警戒感などが背景にある。
 最高裁政教分離の原則をめぐって過去に違憲判決を出した2件は、いずれも神道が対象だった。
 愛媛県靖国神社玉串料を支払ったことなどが問題になった「愛媛玉串料訴訟」では、最高裁が平成9年、「県が特定の宗教団体による宗教上の祭祀(さいし)にかかわった」などとして違憲と判断した。
 22年に判決があった「空知太(そらちぶと)神社訴訟」では、北海道砂川市が市有地を神社に無償提供したことが、宗教団体への公金提供や特権付与に当たり違憲と認定。神社の行事に地域の親睦的な意義があっても、神社自体は神道の宗教的施設といわざるを得ないと指摘した。
 今回の孔子廟訴訟は、土地を提供した点で空知太神社訴訟に似ている。ただ、政教分離の原則が神道以外で訴訟になるのは珍しく、そもそも儒教が宗教といえるのかどうかも議論の余地がある。
 施設の性格がカギ?
 孔子といえば、弟子らに語った「温故知新」などの名言が記された「論語」で親しまれ、日本では中国の思想家、哲学家として知られる。儒教も、歴史的に江戸幕府が重んじたことなどから、学問としての「儒学」と記憶する人も少なくない。
 こうした特殊性から、市側は訴訟で「儒教に宗教的側面はない」と強調。孔子廟には観光資源としての社会的意義がある上、祭礼も沖縄文化を伝える部分があり、久米崇聖会も宗教法人ではないなどとして、施設の宗教性を否定している。
 さらに国内には、湯島聖堂(東京都文京区)や足利学校(栃木県足利市)など、国や自治体が所有する複数の孔子廟があると指摘。他の孔子廟政教分離が問題になっていないのは、一般に孔子廟が宗教施設ととらえられていないからだと訴えている。
 これ対し原告側は、那覇孔子廟が宗教的性格の濃厚な施設であることは、学術的にも一般人の感覚からしても疑いないと主張。市が公園に設置を決める際にも「宗教に限りなく近い」などの懸念が内部から上がっていたと批判していた。
 ただ、今回の訴訟で儒教が宗教か否かに決着がつくとはかぎらない。差し戻し後の1、2審判決は、那覇孔子廟で行われている祭礼を神格化された孔子をあがめる儀式とし、孔子廟も宗教的施設だと認定したが、「儒教一般の宗教該当性」については評価を避けているからだ。
 訴訟は大法廷で審理されており、憲法判断が示される見通し。1、2審同様、那覇孔子廟が施設としてどんな性格を持っているかが判断のポイントとなりそうだ。」
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 孔子×廟孔子廟 Kŏng zǐ miào
 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
 孔子をまつる廟。中国において唐代に州,県に孔子廟をつくるように詔が出て以後全国的に普及し,県城以上の各地の中心的都市にある。時代により聖廟,孔廟,先師廟,宣聖廟その他の名称が用いられたが,明,清代には通俗的に文廟と呼ばれ,中華民国以後に孔子廟と改められた。規模は異なるが,廟の建築には一定の制があり,正殿を大成殿,その門を大成門といい,大成殿の中央に孔子の塑像が安置してある。中国,シャントン (山東) 省チュイフー (曲阜) 県県城の「曲阜孔廟」は孔子の故宅を中心として営まれ,全孔子廟を代表し最も名高い。北宋初期より発達したが金代末期には荒廃し,明代の大火 (1499) で主要建築を焼失し,大成殿など主要な殿門は清代の重建。 1994年孔子一族の邸宅孔府,墓所孔林とともに,世界遺産文化遺産に登録。朝鮮にもあり,日本では孔子廟,聖堂の名で江戸や各藩で営まれた。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 孔子廟は、中国、春秋時代の思想家、儒教創始者である孔子を祀っている霊廟(霊を祀る建物)。
 中国
 曲阜の孔廟大成殿(中国)
 中国語では孔子庙(簡体字)/孔子廟繁体字)(コンツーミャオ、拼音: kǒngzǐ miào・注音: ㄎㄨㄥˇ ㄗˇ ㄇㄧㄠˋ)という。一般的に孔庙(簡体字)/孔廟(繁体字)(コンミャオ、拼音: kǒng miào・注音: ㄎㄨㄥˇ ㄇㄧㄠˋ)と呼ばれる。また関帝廟が武廟と呼ばれるのに対比して文廟とも呼ばれる。
 曲阜の大成殿は、20世紀初頭に文廟、聖廟、孔廟と様々に呼ばれたが、現在の中国では孔廟とされ、儒教の総本山として厚く信奉されている。その廟には、孔子と四配(顔子・子思・曽子・孟子)らの木像が安置され、『論語』が納められている。また、孔子に対する敬称のひとつ・夫子(ふうし)を使って単に夫子廟といった場合、南京にあるものを指す。
 孔子の生まれたとされる魯の国の昌平郷鄹邑(陬邑、すうゆう)、現在の山東省曲阜(きょくふ)に、孔子の死後1年目に魯の哀公が孔子の旧宅を廟にしたとされ、そこに孔子廟が作られたのがそもそもの始まりであった。
 日本にある孔子廟
 湯島聖堂の大成殿(孔子廟)(2010年2月3日撮影)
 長崎孔子廟大成殿
 日本にも、各地に孔子廟がある。多くは儒学の学校に付随して建てられる。
 有名なものでは東京都の湯島聖堂があり、江戸時代(1690年)から設けられた。「昌平坂学問所」に付随して設置された。もともと朱子学林羅山が上野忍が岡に先聖殿を築いたものを、江戸幕府が日本における儒教の学校として、湯島(御茶ノ水)に移築し、開き、林家の学問所としても発展した。また、最も見応えのあるものは、長崎の「孔子廟」である。江戸時代以降、外国貿易の地と定められ、唐人屋敷があった長崎に、明治26年1893年)、清国政府と在日華人が協力して、中国の総本山並に伝統美あふれた「孔子廟」が作られた。この「孔子廟」には、孔子と72賢人石像や孔子の教えを始め、中国の文化・学術を伝える施設の「中国歴代博物館」も孔子廟の「大成殿」裏にあり、中国の貴重な資料とともに、一般に公開されている。 ほかに、足利学校(栃木県足利市)や閑谷学校岡山県備前市)の聖廟、多久聖廟佐賀県多久市)などが有名である。また日本最南の孔子廟沖縄県那覇市にある至聖廟である。もともとあった廟[2]は1676年に創建されたものであったが、沖縄戦により灰燼に帰したため、現在の廟は1975年に再建されたものである。長野県上伊那郡飯島町田切にある孔子廟は、青銅の孔子像と、当地の蚕糸組合「龍水社」を同志とともに設立した「山田織太郎翁」の石碑とともに設置されて祭られている。
 朝鮮半島にある孔子廟
 朝鮮成均館の文廟大成殿
 朝鮮半島では8世紀頃、新羅唐王朝から孔子廟の制度を受け入れ、当時国立最高学部であった国学の内に孔子の祀廟を設置したことを始まりとし、以後の王朝でもそれを受け継いで高麗では開城の「国子監」、李氏朝鮮では漢城の「成均館」に付随してこれが司る孔子廟を設け、それを「文廟」(문묘)と呼んだ。文廟では、中央に「大成殿」(대성전)を建て、孔子とその弟子十人、周敦頤・朱子などの宋代の朱子学者、及び崔致遠・鄭夢周・李滉(李退渓)・李珥(李栗谷)等の朝鮮半島の有名儒学者を、大成殿の両翼に「東廡」(とうぶ・동무)・「西廡」(せいぶ・서무)の建物を設け、漢・唐以来の中国の儒学者朝鮮半島儒学者たちを共にも祀っていた。
 地方でも成均館を倣って官学の「郷校」に孔子を祀る祀堂を置いた。なお、15世紀以後では、儒教の民間への拡散と共に各地で私塾である書院の設立が盛んとなり、書院でも必ずや孔廟が建てられ、孔子儒学者たちを祀った。書院はのち各地の郷里士林の根拠となり、中央政治にも大きな影響を及ぼった。有名な書院で「陶山書院」などがある。
 今でも成均館では年に二回(春の旧暦二月と秋の旧暦八月に各一回)「釈奠大祭」(せきてんたいさい・석전대제)と呼ばれる孔子を祀る儀式が行われているが、今の成均館は日本併合時代の以来、国立ではなく私立の大学になってそこに置かれている成均館がこれを司っている。そのほか各地の書院でも「釈菜」(せきさい・석채)と呼ばれる規模の小さい祀りが今までも行われている。
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 中国共産党は、極秘で、日本国内で孔子儒教を利用して文化浸透工作を行い、沖縄で琉球独立論日本人を支援し北海道で反天皇反日アイヌ人を利用して日本分断混乱工作を行っている。
 中国共産党の対日工作に協力する親中国派・媚中派の日本人が、国内外に多数存在している。
 中国共産党は、国内法を国内の外国人と国外に住む全ての中国人に適用している。
 オーストラリア国内で活動する反中国共産党体制派の中国人が忽然と消え、後日、中国国内で反体制活動を止め中国共産党に忠誠を誓って発見されるという怪事件が頻発している。
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 日本民族は、神道の大和心(まごころ)、仏教の慈悲(利他)、儒教の漢心(自利)を優劣付けず均等に持っていた。
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 日本民族は、神の裔・天皇を中心として日本国を形成し受け継いできただけに、天皇の御威光を否定し滅ぼそうとする宗教勢力の侵略を恐れていた。
 中国起源の儒教は、学問の儒学と宗教の儒教を分離して、学ぶ儒学を受け入れ、祭る儒教を拒絶した。
 西洋起源のキリスト教は、学問と宗教が分離できなかった為に完全排除した。
 インド起源の仏教は、学問と宗教の分離は不可能であったが、政治権力と宗教権威との分離が可能であり、キリスト教に唯一対抗できる体制宗教として利用した。
 そして、仏教も生き残る為に柔軟に日本と同化した。
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 日本の孔子廟は、純粋な学問所であって個人崇拝の宗教施設はなかった。
 江戸時代は教学分離が原則で、日本では道徳・修身を教える学問としての儒学であって、中国や朝鮮の様な祖先を祭る宗教としての儒教ではなかった。
 孔子廟は、日本と中国・韓国とは意味内容、本質から違い、記念行事は宗教的な祭りであってはならなかった。
 徳川幕府は、キリスト教を悪しき教訓として、宗教と学問が結びつく事を嫌い、学問から宗教性を排除した。
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 日本儒教は、人間形成の為の道徳学問であって宗教ではなかった。
 江戸時代頃までの孔子廟は、幕府・諸藩の公認学問所であった。
 徳川幕府湯島聖堂内に、諸藩は藩校内に、聖人・孔子を祭る孔子廟を設置した。
 学問所は、儒教などの諸学の他に剣術・馬術・水練などの武術も教えていた。
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 孔子老子は、日本民族の歴史に生きた日本人ではなく、中国の歴史で生きた中国人である。
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 日本の儒教は、中国や朝鮮の儒教とは違う。
 それは、キリスト教と言っても、カトリック教、プロテスタント諸派東方正教会、東方諸協会、韓国キリスト教諸教会などと同じ事である。
 現代日本人はキリスト教が理解できないのと同様に儒教も理解できない、つまりは「論語読みの論語知らず」である。
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 2月24日15:39 産経新聞孔子廟に敷地無償提供は違憲 最高裁
 最高裁判所=東京都千代田区(伴龍二撮影)
 儒教の祖、孔子を祭る「孔子廟(びょう)」を設けるため、那覇市が公園内の敷地を無償で提供していることが憲法の「政教分離の原則」に違反するかが争われた住民訴訟の上告審で、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は24日、違憲と判断した。那覇孔子廟は宗教性が軽微とはいえず、無償提供は特定の宗教に便宜を提供していると評価されてもやむを得ないと認定した。
 政教分離に関し最高裁違憲と判断したのは3例目。差し戻し後の1、2審判決はいずれも無償提供を違憲と指摘していた。
 最高裁は平成22年、違憲と判断した空知太(そらちぶと)神社訴訟の判決で、宗教的施設に公有地を無償提供する是非について「施設の性格や無償提供の経過と態様、一般人の評価などを考慮し、社会通念に照らし判断すべきだ」との判断枠組みを示していた。」
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 2月21日21:35 産経新聞孔子廟判決 原告「政教分離わきまえ対応を」 撤去求める訴訟も
 那覇市の松山公園にある孔子廟=19日
 「孔子廟(びょう)」の敷地を那覇市が無償提供したのは違憲とする最高裁判決を受け、原告側は24日、会見で「歴史に残る完全勝訴」などと喜びの声を上げた。原告側は孔子廟の撤去などを求める別の訴訟も那覇地裁に起こしており、今後の市側の対応も注目される。
 「長い長い裁判の末、勝訴の結果が出て、感激の涙がこぼれた」。那覇市内で会見した原告の金城照子さん(92)は、提訴から7年近くに及んだ裁判を振り返って喜んだ。市に対しては「昔からのなれ合いで(違法状態が)続いているのではないか。今後は政教分離の原則をわきまえ、対応してほしい」などと述べた。
 また、東京都内で会見した原告側代理人徳永信一弁護士は「孔子廟は明の時代に琉球(沖縄)に渡来した子孫らが守り続けてきたもので、沖縄で一般的に知られていたものではない」と指摘。「沖縄の伝統として広めるのは無理がある」と述べた。
 一方、湯島聖堂など全国に点在する他の孔子廟については「儒教施設として、公共性を持ちながら社会に受け入れられている」とし、今回の判決が影響することはないと強調した。
 ■他施設への影響限定的
 国内には湯島聖堂(東京都文京区)や足利学校(栃木県足利市)など著名な孔子廟が複数ある。しかし、大法廷は、那覇市孔子廟を個別に検討した末に違憲判断を導いており、今回の判決の影響は限定的とみられる。
 那覇市側は訴訟で、他の孔子廟では政教分離が問題になっていないと訴えていた。これに対し大法廷は、施設に宗教的性格があっても、同時に歴史的・文化財的な建造物として保護の対象であったり、観光資源や国際親善などの意義があったりすれば、「公有地の使用料が免除される場合もあり得る」と指摘した。
 実際に湯島聖堂足利学校でも那覇孔子廟と同様の祭礼が行われるが、いずれも国の史跡として知られる。大法廷は、文化的価値や社会的意義は「一般人から見た評価に影響する」とし、宗教的施設の全てが問題になるとはかぎらないとの考えを示唆した。」
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 2月24日22:55 産経新聞孔子廟違憲 廟の性質、個別に検討 歴史・文化的意義も考慮
 自治体が「孔子廟(びょう)」の敷地を無償提供するのは政教分離の原則に反して違憲とした24日の最高裁大法廷の判決。過去の政教分離訴訟の判断枠組みを基礎にしつつ、那覇市孔子廟の実態を検討して結論を導いた。判決では、宗教的施設でも歴史・文化的な意義が大きければ無償提供が認められるケースもあるとしたが、儒教が宗教か否かの評価には踏み込まなかった。
 大法廷はまず、空知太(そらちぶと)神社訴訟など過去の判例を踏まえ、無償提供が政教分離原則に反するかの判断に当たっては、施設の性格▽免除の経緯▽無償提供の態様▽一般人の評価-などを考慮し、社会通念に照らして判断すべきだと判示した。
 その上で、那覇孔子廟は外観などから社寺に類似すると判断。年に一度、供物を並べて孔子の霊を迎える祭礼は「宗教的意義を有する儀式」と認定した。
 また当初、「宗教に限りなく近い」という懸念から私有地に設置する案も市内部であった経緯に着目。観光資源の側面などを考慮しても「公有地を無償で提供する必要性を裏付けるものとはいえない」と退けた。
 孔子廟の敷地面積は1335平方メートルで、市条例で定める公園使用料は年間約570万円。大法廷は無償提供で、孔子廟を管理する久米崇聖会の利益は「相当に大きい」とし、「一般人から見て市が特定の宗教に特別の便宜を提供していると評価されてもやむを得ない」とした。
 大法廷は、仮に宗教性のある施設であっても、歴史や文化的な部分で意義が認められれば、無償提供が違憲とはならないこともあると示唆。一方で、儒教一般の評価や崇聖会が宗教団体かどうかの判断はしなかった。「条文上、宗教かどうかが問題なのではなく、宗教的活動かどうかを判断すれば足りる。デリケートな宗教論争に裁判所が立ち入るのもふさわしくない」(裁判所関係者)との考えが働いたとみられる。
 15人の裁判官で唯一、反対意見を表明した林景一裁判官(2月7日付で退官)は、施設の宗教性が希薄化しており、違憲判断は「『牛刀をもって鶏を割く』の類だ」と論語を引いて批判。さらに「助長される(宗教などの)対象が特定できないのに違憲と判断するのは、政教分離規定をあいまいに拡張する」と警鐘を鳴らした。
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 百地章国士舘大特任教授(憲法)の話「今回の違憲判決は、宗教的施設の性格や無償提供の経緯などを総合的に考慮して判断すべきだとした空知太神社訴訟判決に基づいており、結論は妥当といえる。最高裁がすでに確立した目的効果基準を採用しなかった点は疑問だが、政教分離を緩やかに解釈した点も納得できる。判決は、宗教的施設であっても歴史的、文化的建造物や観光資源などの場合は、憲法違反に当たらないこともあると示唆した。であれば、学問所の湯島聖堂足利学校などの孔子廟は問題にはならないはずだ」」
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 2月25日05:00 産経新聞「【主張】那覇孔子廟判決 「違憲」の独り歩き避けよ
 那覇市にある「孔子廟(びょう)」の敷地を市が無償提供していることに対し、最高裁大法廷は、憲法政教分離の原則に反するとの判断を示した。
 憲法20条や89条は、国や自治体による、宗教活動や宗教的組織への公金支出を禁じている。施設の性格や利用実態などを総合的に判断して、無償提供を認めなかった。
 だが「違憲」が独り歩きしては困る。今回の判決を盾に、社寺の伝統行事などにまで目くじらを立てるような「政教分離」の過熱化は避けたい。
 儒教の祖、孔子を祭る廟をめぐる憲法判断が注目されていた。大法廷の多数意見は、同廟の宗教性を認め、市有地の無償提供は特定の宗教に便宜を提供していると評価されてもやむを得ない、などと判じた。
 問題となった廟は、那覇市中心部の公園の一角に建つ。「久米至聖廟(くめしせいびょう)」と呼ばれ、14世紀末に中国から渡来し、現在の那覇市久米地区に住んだ「久米三十六姓」の子孫でつくる一般社団法人久米崇聖会が管理している。
 平成25年の建設で、公園を管理する那覇市は月額約48万円の使用料を全額免除にした。
 孔子廟は全国にあるが、湯島聖堂(東京)や足利学校(栃木)のように国や自治体が所有する歴史的施設もあり、設立経緯などが異なる。今回の違憲判決の影響は限定的とみるのが妥当だろう。
 政教分離をめぐって、昭和52年の津地鎮祭訴訟の最高裁判決では「目的効果基準」が示された。「目的が宗教的意義を持ち、効果が特定宗教を援助、助長あるいは他の宗教を圧迫するものでない限り、憲法違反とはいえない」との緩やかな解釈を示したものだ。
 政教分離規定の厳格な適用は好ましくない。たとえば、地域社会に伝わる文化、行事は伝統的な宗教と密接な関係にある。
 平成22年に北海道砂川市の「空知太(そらちぶと)神社訴訟」で最高裁は、市有地を神社に無償提供したことを違憲とした。だが、このとき合憲とした裁判官の反対意見が「神社は地域住民の生活の一部になっている」などと指摘し、違憲とした多数意見について「日本人の一般の感覚に反している」と述べていたのはうなずける。
 首相ら公人の靖国神社参拝や真榊(まさかき)奉納に「政教分離」を持ち出す愚も避けるべきだ。」
   ・   ・   ・   
 2月25日09:13 産経新聞孔子廟訴訟、最高裁大法廷判決の要旨
 那覇市が「孔子廟(びょう)」の敷地を無償提供したことは「政教分離の原則」に反して違憲とした24日の最高裁判決の要旨は次の通り。
 【事案の概要】
 孔子廟を所有する久米崇聖会は、中国から琉球に渡来した「久米三十六姓」の歴史研究、論語を中心とする東洋文化の普及を目的とする。平成25年以降、孔子の生誕の日に祭礼を行っている。
 【上告理由への判断】
 憲法政教分離原則に基づく規定を設けているが、国家が宗教との一切の関係を持つことが許されないのではなく、信教の自由の保障との関係で相当とされる限度を超えると認められる場合に許されないと解される。
 使用料免除が政教分離に違反するか否かの判断に当たっては施設の性格、免除の経緯や態様、一般人の評価などを考慮して総合的に判断すべきだと解するのが相当だ。
 本件施設は、外観などに照らして社寺と類似性があり、施設で行われる祭礼は、思想家である孔子を歴史上の偉大な人物として顕彰するにとどまらず、その霊の存在を前提としてあがめ奉るという宗教的意義を有する儀式というほかない。当初の孔子廟は明治時代以降、社寺と同様の取り扱いを受け、本件施設はその宗教性を引き継ぐものといえる。施設の宗教性を肯定することができ、程度も軽微とはいえない。
 那覇市は施設の観光資源としての意義に着目し、歴史的価値が認められるとして使用料を免除した。しかし、当初の孔子廟とは異なる場所に新築されており復元したものとはうかがわれず、法令上の文化財としての取り扱いを受けているなどの事情もない。観光資源としての意義や歴史的価値をもって、国公有地を無償提供することの必要性および合理性を裏付けるものとはいえない。
 免除の対象となる使用料は年間576万7200円で、久米崇聖会が享受する利益は相当に大きい。そして宗教的活動を容易にするものといえる。一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない。
 以上の事情を考慮して社会通念に照らして総合的に判断すると、本件免除は信教の自由の保障との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当する。
 【林景一裁判官の反対意見】
 本件施設や祭礼については宗教性がないか、少なくとも習俗化していて希薄である。本件を政教分離に違反すると判断すると、政教分離規定の外延を過度に拡張し、歴史研究、文化活動にかかる公的支援の萎縮効果などの弊害すらもたらしかねない。免除が憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当するとした原審の判断には誤りがある。」
   ・   ・   ・   

🏯94)95)─1─同和問題。部落差別。差別を好む日本人のブラック。〜No.183No.184No.185No.186 ⑬ 

   ・   ・   ・   
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2001年 1月19日 日本弁護士連合
 人種差別撤廃条約に関する第1・2回日本政府報告書に対する日弁連レポート
 第1部 総論
 1.人種差別禁止のための国内法制度
 (1)差別禁止法の不存在
 A.結論と提言
 人種差別を禁止するための法律が日本に存在せず、また、法律を補うような体系的な人種差別禁止政策が存在しない日本の現状は、条約2条1項に違反する。
 B.日本政府報告書の記述
 日本政府報告書は、総論「我が国憲法における基本的人権の尊重」において、憲法の諸規定を引用し、また第2条の記述において差別禁止に関する関係法令に言及するが、人種差別を禁止するための法律や体系的な人種差別禁止政策については述べていない。同報告書第6条「司法機関による救済」は、人種差別行為が民法の諸規定に違反する場合には同法によって救済される場合があり、また、「犯罪を構成する場合には」刑事法上の訴追手続が取られる場合のあることを述べているが、人種差別行為それ自体に対して救済を与える法律については何も述べていない。
 C.日弁連の意見
 1) 憲法その他の法律で差別の禁止はうたっているが、差別行為に対する処罰、救済、 撤廃義務などを具体的に規定した法令は存在しない。
 2) 条約は国内法的効力が認められているが、日本政府はしばしば裁判などで条約の規 定の直接適用可能性について異議を述べるため、条約の直接適用による差別行為に対する処罰、救済、撤廃措置は、不確実な状況にある。

 2.人種差別禁止条約の保護対象となる集団
 (1)被差別部落
 A.結論と提言
 日本に存在する「部落出身者」に対する差別は、条約1条1項に言う「世系」に基づく差別であり、かかる差別に関する日本政府の条約上の義務の履行条項が審査されるべきである。
 B.日本政府報告書の記述
 日本政府報告書は、「部落出身者」に対する差別について、何も報告していない。
 C.日弁連の意見
 日本に存在する「部落出身者」に対する差別は、日本政府及び地方自治体において長年にわたり差別を撤廃するための「同和行政」が実施されてきた深刻な差別問題である。この差別は、日本の封建時代の身分階層制度に端を発し、被差別者は日本社会の中で不可賤民として取り扱われてきた。近代化後においても、被差別者が比較的多く従事してきた皮革・食肉産業という職業への関わりや、被差別者が多数居住する地域の出身者であることによる代々の世系を理由に、就職や結婚などさまざまな分野で差別が現存している。それゆえ、この「部落出身者」に対する差別は、まさに条約1条1項に言う「世系」に基づく差別として、差別の状況やその差別解消のために取られている措置が、条約の義務との関係で審査されるべきである。
(2)その他の報告されていない少数者に対する差別

 第5部 部落問題
 A.結論と提言
 日本における部落問題は、我が国における典型的、深刻なマイノリティに 対する差別問題であり、放置することはできない。部落出身者に対する差別問題が依然解消しているとは言えない現状に照らし、日本政府は、差別解消 のための努力に引続き取組むべきである。
 B.日本政府報告書の記述
 日本政府報告書は、日本における部落問題について何ら報告していない。
 C.日弁連の意見
 1) 部落の実情
 日本政府の1993年の調査(同和地区実態把握等調査-対象4603地区)に よれば、全国に部落は、4442地区(回答数)、部落人口は、89万2751人(回答地区内関係者の人数)とされている。
 2) 部落差別の実態及び日本政府の部落対策
 これまで日本政府は、同和対策事業特別措置法、地域改善対策特別措置法などを もって部落問題に対処してきた。その結果、部落差別の実態は一定程度改善されてきている。しかしながら、依然として部落出身者に対する差別が解消されたとは言 えない。
 したがって、日本政府としては、今後とも差別の解消を目指し、そのための努力 を継続すべきである。
   ・   ・   ・   
 法務省
 同和問題(部落差別)に関する正しい理解を深めましょう
 様々な人権問題に関する相談を受け付けています。各種相談窓口の案内はこちら。
同和問題(部落差別)とは,日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた身分階層構造に基づく差別により,日本国民の一部の人々が長い間,経済的,社会的,文化的に低位の状態を強いられ,日常生活の上で様々な差別を受けるなど,我が国固有の重大な人権問題です。
 残念ながら,今なお,こうした人々に対する差別発言,差別待遇等の事案のほか,差別的な内容の文書が送付されたり,インターネット上で差別を助長するような内容の書込みがなされるといった事案が発生しています。
 差別や偏見に基づくこうした行為は,他人の人格や尊厳を傷つけるものであり,決して許されないものです。
 部落差別等の同和問題を正しく理解し,一人一人の人権が尊重される社会の実現を目指しましょう。
 法務省の人権擁護機関による取組内容
 法務省の人権擁護機関では,人権相談及び人権侵犯事件の調査・処理を通じ,被害の救済・予防を図っています。
 例えば,結婚差別や差別発言等について,行為者や関係者に対して人権尊重の意識を啓発することにより,自発的・自主的に人権侵害の事態を改善,停止,回復させたり,将来再びそのような事態が発生しないよう注意喚起したりしています。
 また,インターネット上で,不当な差別的取扱いを助長・誘発する目的で特定の地域を同和地区であると指摘するなどの内容の情報を認知した場合は,その情報の削除をプロバイダ等に要請するなど適切な対応に努めています。
 同和問題(部落差別)に関する人権侵犯事件例
 同和地区出身であることを理由として交際相手の両親から結婚を反対されたとの申告を受け調査を開始した事案。調査の結果,そうした事実が認められたことから,法務局は交際相手の両親に対し,啓発資料を用いて同和問題(部落差別)に関する理解を深めるように働きかけ,また,同和地区出身であることを理由に結婚に反対する発言は不当な差別であり,申告者の人格を傷つける人権侵害であるとして,今後は同和問題(部落差別)に対する理解を深めるように説示しました。
部落差別の実態に係る調査結果の公表(令和2年6月)
 部落差別の解消の推進に関する法律(平成28年法律第109号)第6条に基づき,部落差別の実態に係る調査を実施しました。
■調査結果
 調査概要【PDF】
 部落差別の実態に係る調査結果報告書【PDF】
■参考(調査に係る調査研究報告書)
 部落差別解消推進法6条の調査に係る調査研究報告書(公益財団法人人権教育啓発推進センター)【PDF】
 各種資料・関連リンク先
■啓発ビデオ
 人権アーカイブ・シリーズ「同和問題~未来に向けて~」
YouTubeが表示されます)
■ 啓発リーフレット
 「改めて同和問題(部落差別)について考えてみませんか」【PDF】
「部落差別の解消の推進に関する法律」が平成28年12月16日から施行されました【PDF】
■人権相談窓口
 全国の法務局・地方法務局の人権相談窓口では,同和問題(部落差別)に関する人権問題について,御相談に応じています。
 人権相談はこちらまで
■インターネットを悪用した人権侵害について
 インターネットを悪用した人権侵害をなくしましよう
 インターネットを悪用した人権侵害の現状や対応方法など御紹介しています。
■部落差別の解消の推進に関する法律(平成28年法律第109号)
条文【PDF】
附帯決議(衆議院法務委員会)【PDF】
附帯決議(参議院法務委員会)【PDF】
   ・   ・   ・   
 3割の日本人は差別意識が強い、2割の日本人は差別意識を嫌う、5割の日本人は差別意識が弱く関心も興味もない。
 日本人の差別意識を助長するのが、各種のランキング・順位である。
 自分より上位者を見る時、憧れであると同時に向上心を駆り立てる。
 自分より下位者を見る時、自分より弱く劣った愚かな相手がいる事で「まだ自分は大丈夫」という安堵と安心で平常心を保ち、優越心から、下位者に対する偏見と侮蔑を駆り立て差別と迫害を強めていく原因となる。
 日本人は、あらゆる面で自分と他人を比較する事が好きであり、それは他人から評価を気に病む視線恐怖症を発症させる。
 日本人は気弱・不安・自信喪失・落ち込みを解消する有効手段として他者を見下し差別下してきたので、如何しても差別し見下す相手として部落民・同和の民が必要であった。
 現代日本では、慰め励ます手段として下位の他者と比べて優越感を持たせるのではなく、他者を意識させず本人だけを「褒める」事に力を入れている。
   ・   ・   ・   
 埼玉県
 同和問題(部落差別)について
基本的人権が保障されるために~
 私たちは、かけがえのない、一人の人間として尊重され、また、幸せな生活を送りたいと思っています。
 そして、日本国憲法では、この人間としての当然の願いである、侵すことのできない永久の権利として、「基本的人権」を保障しています。
 しかし、現実には、日常生活のいろいろな面でいわれのない差別を受け、悩み苦しんでいる人々がいます。同和地区に生まれ育ったというだけで、本人の人柄とは関係もなしに交際を避けられたり、結婚を取りやめられるというような問題を抱える人々がいるのです。
 このように同和問題基本的人権に関わる社会問題であり、一日も早く解決していくことが、私たち一人ひとりの課題なのです。
1同和問題(部落差別)とは
 同和問題とは、日本の歴史的過程で形づくられた身分制度に由来するもので、今なお、日常生活の上でいろいろな差別を受けるなど、我が国固有の人権問題です。
 同和地区(被差別部落)に生まれ育ったということなどを理由とした不合理な偏見により、交際を避けたり、結婚をとりやめたりすることは差別であり、基本的人権の侵害に関わる重大な人権問題です。
2同和対策審議会答申と同和問題の解決にむけた取組
 昭和40(1965)年、同和対策審議会から「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」について答申が出されました。
 この答申は、その後の同和行政の指針となったものであり、その中で、多種多様な形態で現れる部落差別を心理的差別と実態的差別の二つに大別し、この心理的差別と実態的差別は、相互に作用し合って差別を助長する結果となっていると指摘しました。
 心理的差別
 人々の観念や意識の中に潜在する差別であり、封建的身分の賤称(身分の差別呼称)を使って侮蔑したり、偏見により交際や就職、結婚などを拒むといった行動に現れる差別のこと。
 実態的差別
 同和地区の人びとの生活の上に現れている差別のことで、劣悪な生活環境、低位な教育・文化水準、不安定な職業、高い生活保護率などの形で現れる差別のこと。
 この答申を機に、昭和44(1969)年に同和対策事業特別措置法が制定されました。
 その後、法の変遷を経て、平成14(2002)年3月の「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」の失効までの33年間、国や県、市町村では様々な特別対策事業を行ってきました。
 その結果、同和地区における生活環境については改善が図られ、格差の解消はほぼ達成されました。
 しかしながら、差別意識や偏見については、これまでの取組により着実に解消に向けて進んできてはいるものの、時として差別的な発言や落書き、結婚や就職に際した身元調査、不動産購入時などの土地調査が行われるなど、未だに課題が残っています。
 また、情報化の進展に伴って、最近ではインターネット内に差別的な書込みがなされるなど、部落差別に関する状況が変化しています。
3部落差別のない社会の実現に向けて
 このような状況を踏まえ、部落差別のない社会を実現することを目的に、平成28(2016)年12月16日に「部落差別の解消の推進に関する法律」が公布・施行されました。
 私たちは、何よりも、人として差別があることを許すことはできません。まして、自分自身が差別されることには強い憤りを感じるはずです。また、差別を黙って見過ごすことは、守らなければならない基本的人権が侵害されているという現実を認めてしまうことになります。
 同和問題を解決するためには、私たち一人ひとりが同和問題を正しく理解し、自分自身の問題としてもう一度考え、相手に対して思いやりの気持ちを持つとともに、差別を許さないという強い意志を持つことが大切です。
 県民の方々から寄せられた質問から
問1:部落差別は、いまでもあるのでしょうか
問2:差別をどう考えたらよいのですか
問3:同和問題は、そっとしておけば自然になくなるのではないでしょうか
問4:同和対策特別法により、同和地区やその関係者が優遇されている(いた)のではないか
問5:自分は差別しないから、同和問題は自分には関係ありません
問6:差別的な発言を聞いたらどうしたらよいですか
問7:本籍の記入、戸籍謄本の提出がなぜ就職に際し問題となるのですか
問8:「えせ同和行為」とはどのようなものですか
 同和問題の正しい理解のために
 県人権推進課では、同和問題についての正しい理解のために、人権全般又は同和問題についての啓発講師を無料で派遣しています。
 人権啓発講師の派遣について
 また、同和問題についての正しい理解のために、人権啓発DVDの貸出を行っております。
 人権啓発・教育DVD等の貸出について
 啓発資料
 「同和問題の解決をめざして」を掲載しました。
 「えせ同和行為対応の手引」を掲載しました
 「部落差別解消推進法を知っていますか?」を掲載しました(PDF:1,887KB)
 「部落差別の解消の推進に関する法律」を掲載しました(PDF:450KB)
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 お問い合わせ
 県民生活部 人権推進課 調整担当
 郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 本庁舎3階
 電話:048-830-2258
 ファックス:048-830-4718
   ・   ・   ・   
 伊奈町
 同和問題の早期解決を目指して
 [2013年3月5日]ID:1139
 被差別部落の人々が人間の権利と尊厳を獲得し、自らの力と団結によって解放をめざした、日本で最初の人権宣言である「水平社宣言」がされてから90余りが過ぎましたが、同和問題については、未だに解決されていません。日本固有の人権問題である「部落問題(同和問題)」について、どうすれば解決するか、みんなで考えましょう。
同和問題を考える
 正しく知ることが重要
 多くの人が、同和問題を「ひとごと」と考えているかもしれません。なるべく触れないようにしておこう、という人もいるようです。
 よく、「わざわざ寝た子を起こすことはない。ほおっておけば、差別は自然になくなるのではないか」という意見が聞かれます。しかし、本当にそうでしょうか。
 差別をなくすためには、私たち一人ひとりが同和問題を正しく理解することが大切です。問題を解決することは、まず問題をよく知ることから始まるはずです。ふだんから正しい知識を身につけていれば、いざ問題に出会ったときに正しく対応することができます。
 2002(平成14年)3月に閣議決定された「人権教育・啓発に関する基本計画」でも、同和問題について「各人権課題に対する取組」の中で課題の一つとして取り上げています。
 同和問題は、私たちにとって身近で、重要な人権課題の一つなのです。
 同和問題とは
 日本固有の人権問題
 「人権の世紀」と呼ばれる21世紀。
 何世紀も前に生み出され、いまだに残っている日本固有の人権問題があります。
 それが同和問題です。
 同和問題とは、同和地区と呼ばれる特定の地域の出身であることや、そこに住んでいることを理由に、結婚を反対されたり、就職ができなかったり、日常生活の上でさまざまな差別を受けるという問題です。
 このような問題は、憲法がすべての国民に保障している基本的人権が侵害されている人権問題であり、憲法で定めている基本的人権の尊重に反することで、重大な人権侵害です。
 同和問題はかつての日本の歴史過程の中で生み出された差別が、現代社会にいまだに残っているという問題です。昔ながらの因習的な差別意識が一部に残っていることと同時に、新たな差別意識を生む新しい要因があることも指摘されています。
 同和問題は決して過去の問題ではありません。いまだに残る差別意識を解消するために私たち一人ひとりが自らの課題として取り組む必要があります。
 同和問題の現状
 まだ残る差別意識
 同和地区と他の地域との環境の違いは、長年にわたる国や地方公共団体などによるさまざまな取り組みの結果、相当程度解消されました。しかし、一方では、身元調査や結婚・就職差別などにみられるように、一部の人の差別意識はまだ解消されていません。今なお根強く残っている差別意識を解消するために、人権という観点から、啓発を進めることが重要です。
 結婚差別
 例えば、あなたが自分の生まれた故郷を結婚相手に言えないとしたらどうでしょうか。
 出身地を理由に結婚を反対されたり、婚約中にこっそり身元調査をされたらどう思いますか。
 2007年(平成19年)に内閣府が行った「人権擁護に関する世論調査」では、「同和問題に関し、どのような問題が起きているか」という問いに対して一番多かった答えが「結婚問題で周囲が反対すること」でした。
 結婚は人生の大きな節目ですから、それが差別によって破壊されてしまえば当事者の心は大きく傷つきます。
 ふだん「自分は差別しているつもりはない」という人でも、いざ身内の問題になると正しい判断ができなくなることがあります。結婚差別問題は、まさしく一人ひとりの人権尊重意識が試される問題と言えます。
 就職差別
 1975(昭和50)年ごろ、全国の同和地区の所在地などを記載したとされる冊子が発行され、相当数の企業が購入していたことがわかり、大きな社会問題となりました。
 採用選考にあたり、同和地区出身かどうかを調べたりすることは、まさに重大な人権侵害です。能力と適正に応じて自由に職業を選ぶ権利は、すべての人に保障されています。
 公正採用は企業にとって、人権に対する取組への第一歩です。
 差別表現
 同和問題に関して起こっている問題として、結婚や就職問題のほかに、「差別的な言動をすること」「インターネットを利用して差別的な情報を掲載すること」「差別的落書きをすること」などを挙げる人も多くいます。
 特に最近は、インターネットを利用した差別表現の流布が大きな問題となっていますが、差別的な落書きも含めて、匿名でそうした行為が行われるところが悪質です。
 えせ同和行為
 いかにも同和問題の解決に努力しているように装って、不当な寄付を募ったり、高額な書籍を売りつけたりといった行為を、「えせ同和行為」といいます。示談金などと称して不当な金銭を要求することも同様です。このような行為は、同和問題に対する誤った認識を植え付ける大きな原因となります。
 同和問題の解決に向けて
 2003(平成15)年に内閣府が行った「人権擁護に関する世論調査」で、「同和問題に必要なことはなんですか」という問いに対し、一番多かった答えが「同和問題を解決するための教育・啓発活動を推進する」でした。地域や家庭、学校、職場のそれぞれで、同和問題をはじめとした人権問題を正しく理解していくための啓発活動に取り組んでいくことが必要です。 
 そして、私たち一人ひとりが、同和問題について避けて通ろうとせず、自由に意見を交換し合い、偏見を持たずに正しい知識を持つことが大切です。同和問題の解決は憲法基本的人権の実現を目指すことであり、すべての国民にとって自分自身の課題であることを忘れてはなりません。
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 東京都総務局人権部
 6同和問題
 わが国固有の人権問題です
 「生まれたところでなぜ差別するの?」 そんなの許せないよ!
 同和問題とは
 同和問題(部落問題)とは、日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた身分制度や歴史的、社会的に形成された人々の意識に起因する差別が、様々なかたちで現れているわが国固有の重大な人権問題です。
 現在もなお、同和地区(被差別部落)の出身という理由で様々な差別を受け、基本的人権を侵害されている人々がいます。
 封建時代において、えた、ひにんなどと呼ばれていた人々は、武具・馬具や多くの生活用品に必要な皮革をつくる仕事や、役人のもとで地域の警備を行うなど、生活に欠かせない役目を担っていましたが、住む場所、仕事、結婚、交際など、生活のすべての面で厳しい制限を受け、差別されていました。
 それらの人々が、住まわされていた所が「同和地区(被差別部落)」、それらの人々に対する差別が「部落差別」といわれています。
 就職や結婚等での差別
 この問題を解決するため、国や地方自治体は様々な取組を行ってきました。
 しかしなお、企業が採用時に調査会社に依頼して、応募者の家族状況などを調べるという、就職差別につながるおそれの強い身元調査事件が起きています。このような身元調査は、本人の仕事をする能力とは直接関係のないものであり、基本的人権の尊重を保障した憲法の精神に反するものです。また、調査会社などからの依頼を受けた行政書士などが、職務上の権限を悪用して、戸籍謄本などを不正に取得する事件が起きています。
 結婚においても根深い差別意識が残っています。結婚は結婚するふたりの意思によるものですが、自分の子供の結婚相手が同和地区出身者であることがわかった場合、結婚に反対するという親もいます。
 また、公共施設などに差別的な落書きや貼り紙をする、同和地区出身者やその住居の周辺住民に対し、誹謗・中傷・脅迫する内容のはがきなどを大量に送りつける、インターネットに悪質な書き込みをするなどの差別行為や、不動産取引に際し、同和地区に関する問合せを行うなどといった、差別につながるおそれのある行為も後を絶ちません。 最近では、インターネット上で、不当な差別的取扱いを助長、誘発する目的で特定の地域を同和地区であると指摘するなどの事案も発生しています。
 このような差別をなくすためには、私たち一人一人が、まず同和問題を理解し、差別について知るとともに、差別をしたり、見逃したりすることのないよう行動していくことが大切です。
 差別解消に向けて
 「部落差別の解消の推進に関する法律」が平成28(2016)年12月に公布・施行されました。 
 この法律は、「現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題である」と示すとともに、部落差別の解消に関し、基本理念、国及び地方公共団体の責務を明らかにし、相談体制の充実、教育及び啓発、部落差別の実態に係る調査といった具体的施策について定めています。(詳しくはhttp://www.moj.go.jp/content/001236563.pdf
 東京都は、同和問題への理解と差別意識の解消に向けた教育・啓発のほか、就職差別をなくすための企業などへの啓発や、差別につながる調査をしない、させないための啓発など、様々な取組を進めています。
 差別をなくすためには、私たち一人ひとりが、まず同和問題を理解し、差別について知るとともに、差別をしたり、見逃したりすることのないよう行動していくことが大切です。
 6月は「就職差別解消促進月間」です
 就職は、生活の安定確保や労働を通じた社会参加など、人間が幸せに生きていく上で基本となるものです。このため、採用選考は応募者の適性と能力に基づき公正に行われなければなりません。
 しかしながら、面接時に本籍地や思想・信条等を聞くなど、就職差別につながるおそれの強い事例が現在もあります。
 東京都では、6月を「就職差別解消促進月間」とし、就職差別をなくし、就職の機会均等を確保するため、東京労働局及びハローワーク等と連携して様々な啓発活動を展開しています。
 えせ同和行為について
 「えせ同和行為」とは、同和問題を口実として、何らかの利益を得るため、企業や行政機関などに不当な圧力をかけることです。このような行為は、これまでの啓発効果を一挙にくつがえし、同和問題に対する誤った認識を植えつける原因となります。
不当な要求に対しては、はっきり断ることが大切です。えせ同和行為を受けたときは、総務局人権部や東京法務局などにご相談下さい。
 詳細はこちらをご参照ください。
 「同和問題に関する専門相談」のご案内
 同和問題に関する相談をお受けしています。
 <電話相談>
○相談日 毎週火曜日・金曜日(祝日・年末年始を除く。)
○時間  9時~12時、13時~17時
○電話番号 03-6240-6035
<来所相談>
必要に応じて実施。要予約。
○相談日 毎週火曜日・金曜日(祝日・年末年始を除く。)
○時間  9時~12時、13時~17時
○電話番号 03-6240-6035
   ・   ・   ・   
 品川区
 みなさんは、同和問題をご存知ですか?
 同和問題は、生まれた場所(被差別部落)や、そこの出身というだけで差別される、根拠も無く著しく不合理な 部落差別問題をいいます。
 私たちの社会にある、人種の違いによる差別、宗教の違いによる差別、性の違いによる差別、障害者差別などは 世界各地で見受けられる差別です。
 このような差別ももちろん許されませんが、同和問題は、日本人がとらわれやすい死や血などに関するケガレ意識のほか、 家意識、世間体などが根底にある、簡単には拭いさることのできない日本固有の差別なのです。
 同和問題はどうして起こったのでしょうか?
 史料では、すでに鎌倉時代中期の文献に部落差別の原型が記述されています。
 その後、16世紀末に豊臣秀吉は、農民が田畑から離れることを禁じるために、武士と町民・農民とを分けた身分制度を作りました。
 この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は歴史的、社会的な経緯で差別されていた一部の人々を、著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限しました。
 こうして被差別部落の形成が進み、その多くが生活や暮らしが低いレベルにおかれていったといわれています。
 この差別されていた一部の人々は、占術など神秘的な技能を持つ職人や芸人、そして、生き物の死にかかわる職業に携わっていました。そして、科学が未発達であった当時、多くの人が抱いていた「ケガレ意識」の対象として見られてきました。
 神秘的であるが故に、畏怖の念から「ケガレ意識」の目で見られてしまったのでしょうか。
 観阿弥(かんあみ)や世阿弥(ぜあみ)が完成させた能をはじめ、歌舞伎や人形浄瑠璃などの芸能、寺社の庭師、武具や馬具、太鼓などの革製品の生産、竹細工にいたるまで、現在日本の伝統文化といわれるものの多くは、当時の被差別民衆が担ってきたものです。
 1871年明治4年)の解放令によって、こうした差別の身分制度は廃止されました。 しかし、被差別部落が長年おかれてきた厳しい状況は改善されずに形式的なものであったため、周囲からの偏見や差別はそのまま放置されました。
 明治以降の資本主義化による制度や産業の変革により、被差別民が担ってきた皮革産業などの特権は資本家に奪われ、被差別部落の生活や実態はより厳しいものになっていきました。
 1922年(大正11年)の全国水平社の結成は、被差別部落の人達が不当な差別を自らの運動によって解消しようと立ち上がった出来事でした。
 現在、行政、企業、宗教団体、民間団体等、多くの人や団体が部落差別問題の解消に取り組んでいます。
 しかし、今日に至っても、同和問題は結婚や就職など日々の暮らしの中で差別事件として、早急に解決が必要な現実の社会問題となって現れています。
 (注意)権力の関与の程度や成立の時期は現在も研究者の間で議論が進められています。差別は、差別する人の人間性をも損ないますどこにでもいる若い男女がめぐり合いました。
 3年の交際を経て結婚を決意した二人でしたが、男性が女性の両親に被差別部落出身であることを話したところ、二人の結婚に対して猛反対を受けてしまいました。
 2年の歳月をかけて二人は女性の親戚を回って理解を求め、両親に再度話しましたが、最後まで賛成を得ることはできませんでした。
 結婚した二人の間には子どもも生まれ、男性の両親はそんな二人を暖かく見守ってくれました。
 一方、女性の両親とは、その後まったく交際がなく、孫達も母方の祖父母に会ったことがありません。
 二人の結婚を認めないまま、女性の母親は数年前に亡くなりました。
 結婚を認めてもらえなかった二人、祖父母に存在すら認められない孫、実の娘や孫にも会えないで亡くなった母親…差別は、差別される人を傷つけるだけではなく、差別する人をも不幸にするのです。
 結婚差別はこの事例だけでなく、現在でもさまざまなところで起こっています。
 最近の東京でも差別事件があるの?
 2003年(平成15年)5月、東京都中央卸売市場食肉市場で働く人々を誹謗・中傷する差別はがきを発端に、約400通の差別はがき・手紙が都内を中心に被差別部落出身者やその関係者に送りつけられる「連続大量差別はがき事件」が発生しました。
 犯人は逮捕され、2005年(平成17)年7月に懲役2年の実刑判決が確定しましたが、その後も食肉市場あてに、そこで働く人を侮辱する悪質な差別はがき等が郵送される差別事件はなくなってはいません。
 また、公共施設など大勢の人の目に触れやすいところに、被差別部落出身者や外国人を誹謗・中傷・脅迫する差別落書きが後を絶ちません。
 さらに、不動産会社がマンション建設予定地を「買いたがらない人がいる」とか「何か問題があるといけないから一応調べておこう」といった理由で同和地区かどうか調査する事件が起きました。
 <これは「同和地区」そして「被差別部落出身者」を排除することを前提とした部落差別です。
 このように発覚するのは、実際に起きている差別事件の氷山の一角であることはいうまでもありません。
 こうした差別事件や、結婚や就職がだめになる同和問題は決して過去のことではなく、私たちの住む東京で現在でも起きている人権侵害の問題なのです。解決のためにはどうしたらいいでしょう
 部落差別は生まれによって身に覚えのないレッテルを貼られることで起こります。
 そして、このレッテルは「みんながしている」とか、「昔からしている」といったかたちで、差別を受け入れている人や、無知や無関心のままで、問題を正しく理解しようとしない人がいることによって根強く温存されているのです。
 また、被差別部落の人たちが差別されるようになったのは、「ケガレているから」とよくいわれますが、これに対して「ケガレなど存在しないのだから間違っている」と説明できる人がどれだけいるでしょうか。
 私たちは、ふだん肉を食べ、革製品を身につけていますが、これらを作るために必要なと畜(食肉解体処理)業務をする人に対して「ケガレ」や「残酷」を感じるといった矛盾はないでしょうか。
 このことは同和問題と深く関わっており、正しい認識と理解が必要です。
 私たちは、ふだん何気無く受け入れている迷信や慣習などを、常に問い直す努力が必要です。
 のような努力の積み重ねが、客観的な視点で物事を見極める習慣をつくりだし、ひいては差別へつながる偏見に気づくきっかけとなります。
 また、客観的な視点で判断し根拠がないと気づいたことでも、「みんながしている」からといって従ってしまっては、差別とわかっていても「みんながしているから自分だけやめることはできない」といった、差別がなくならない構造を崩すことはできません。
 正しくないと思ったことは、世間に惑わされることなく従わないといった、毅然とした態度をとれるようにすることが大切です。 ふだん当たり前のように受け入れている言葉や迷信、慣習、世間体といったものすべてが差別につながるわけでは ありません。
 しかし、見つめ直す努力をすることが、私たちの社会から差別をなくしていく道のりにはなくてはならないものです。
 このように、私たち一人ひとりが同和問題の解決を目指し努力することは、偏見を見ぬく力を身につけ、世間体に負けず差別を許さない行動をとることであり、あらゆる差別を解決するための努力でもあるのです。
 食肉・と場問題
 食肉は、私たちが生きていくうえで欠かせないものですが、ケガレ意識や食肉・と畜に関しての長い歴史から、食肉市場やそこで働く人に対する強い偏見や差別が残されています。
 日本は、仏教の伝来による殺生戒と時の支配者の政策的な食肉禁制によって、長い間、肉食はケガレると考えさせられてきました。
 誰もが公然と肉を食べられるようになったのは明治に入ってからです。
 しかし、食肉禁制・殺生禁断の時代でも動物の皮は、馬具や武具の生産には欠かせない重要なものでした。
 そこで、江戸幕府は農耕用や運搬用の牛や馬が死んだときに、その処理を「ケガレた仕事」として被差別部落の人達にしか従事できないものとして担わせ、貴重な皮を独占することができたといわれています。
 明治になって食肉禁制がなくなり、だんだんと食肉文化が普及し、と場が全国各地に増えていきました。
 このような中、被差別部落の人達が中心となって伝統的な技術を伝え、部落産業の一つとして食肉産業を支えてきたのです。
 被差別部落がと畜業務・食肉産業と深くかかわってきたことから、現在もさまざまな問題が起こっていますが、単なる職業に対する差別という次元の問題ではなく、根本に同和問題の存在があるため、解決が遅れているといえます。
 と場で働いている、働いていた、あるいは親せきが働いているというだけで被差別部落出身として就職を拒否されたり、結婚に反対される人権侵害も起きています。
 私たちの社会では、ふだん肉を食べ革製品を身につけています。
 その生産過程で働く人を差別したりと場を忌み嫌うことは、矛盾した許されない行為です。
 この「許されない行為」にも同和問題との関わりの中で「うなずいてしまう」人が決して少なくないことは、残念なことです。
 と畜業務は、私たちが生活するために必要な生き物の命を、高度な技術で活かしてくれている仕事です。
 こうした偏見や差別の実態をなくしていくためにも、同和問題の解決が必要なのです。
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