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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
なぜ日本には「神様」がたくさんいるのか?
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日本の宗教観の象徴は、多様性に富み多文化多宗教の七福神を同一格神とする宝船である。
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現代日本人は、民族的な文化力・伝統力・歴史力・宗教力がない。
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2026年6月25日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「神道で人が神になる『鎮魂の神社』とは?怨霊信仰の歴史と菅原道真のルーツ
怨みをもって死んだ人や道半ばで亡くなった人を祀った神社とは
鎮魂の神社
もともと神道では神と人間は厳密に区別されていました。神が人間の娘のもとに通って子どもをつくることはありましたが、人が神になることはなく、神のように祀られるということもありませんでした。ところが、奈良時代頃より強い怨うらみをもって死んだ者は疫病を流行らせるといった祟たたりをなすと信じられるようになりました。こうしたことの背景には、奈良時代後期から平安初期にかけて政争が続いたことと、過密化した都での衛生環境の悪化があるといわれます。
疫病を怨霊の祟りだと信じて恐れた当時の権力者たちは、怨霊を御霊と呼んで鎮魂の祭りを行ないました。これを御霊会といいます。祭りを行なうだけではなく、神社も建てられました。それが京都の上御霊神社・下御霊神社です。怨みをもって死に、神として祀られた人のなかで、もっとも有名なのが菅原道真でしょう。学者・漢詩人として有名で宇多・醍醐天皇に重用されながら、無実の罪で太宰府に左遷され任地で死した道真は、死後、天神になって政敵に神罰を与えたとされます。
しかし、菅原道真が御霊として恐れられ祀られたのは最初の一時期だけで、その後は学芸の神様として信仰されるようになりました。道半ばで倒れた者も神として祀られることがあります。その代表がヤマトタケル(倭建命・日本武尊)*です。 各地に遠征をして熊襲などの反逆的な部族を討ったヤマトタケルですが、伊吹山の神を退治しに向かったところで病を得て32歳で没しました。その御霊を祀るために創建されたのが滋賀県大津市の建部大社とされます。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 神社の話』
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日本神道は、物部氏の御霊を人神として祀っている。
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石見国一宮物部神社
鎮魂祭(みたましずめのまつり)
(写真・猿女の鎮魂法を行う巫女。古事記の中の天の岩戸開きの際のアメノウズメの姿にならい矛と笹の葉を携え、頭には美男葛、身体には日陰葛を身に付ける)
日時
11月24日 午後8時(石見神楽奉納午後6時半)
場所
拝殿
鎮魂祭は物部神社の起源ともいえる祭典で、当社の御祭神・宇摩志麻遅命様が神武天皇御即位のときに、天皇のために鎮魂宝寿を祈願されたのが始まりとされ、以降連綿と神代より受け継ぎ現代まで続いている物部氏最大最古の神秘の祭です。
身体と魂魄を結ぶいのちの糸{たまのお}を古来より受け継がれる秘事(物部氏の呪術のひとつ)を以て結ぶことにより身も心も健全で健康な状態にし、さらには強運・勝運を与える神事です。
古代より伝わる「たまふり」*魂を直接揺り動かして本人の元の気・運気の巡りを円滑にし病や邪気を祓い、健全な魂に戻す物部氏の秘事*を行い御参列頂いた方の健康と勝運を宮司以下祭員一同御祈念致します。
鎮魂というと一般的に霊を弔うための言葉と解釈されていますが、本来はその逆で活力を与える・復活を促す・甦る・悪影響をもたらすものを払拭するなど総ての好転的な意味を持つものです。また神道行事の根幹を為す"祓いの本義"であるとおもわれます。
元来存在するもの総てに生命が存在すると考えられています。存在そのものが生命といって過言ではないでしょう。そのものが存在し続ける上で最も必要なものが魂魄です。この魂魄を振り動かし、結びつけ、鎮め置く、そのものの存在を本来の姿に立ち戻らせる祈祷法こそ、「鎮魂」本来のあり方なのです。その狭義の一部分に霊を弔うことも含まれてはいるが大儀はあくまでも存在を存在たらしめることであり、より大きな存在へ導くものです。
この鎮魂祈祷を初めて斎行したのが御祭神宇摩志麻遅命です。このことについては江戸期まで古事記・日本書紀と並び称された「先代旧事本紀」に記述されています。それによると「(前略) 蒼生及萬物の病疾のことあらば 神寶を以て御倉板に鎮置て 魂魄鎮祭を為して 瑞寶をふるべ (中略) 如此祈祷せば死共更に蘇生なんと おしえたもう (後略)」とあります。たとえ死んでも鎮魂祭を斎行し、十種神寶を振ることによって蘇生するというのですから、とんでもない祈祷法です。 この鎮魂祭を古くから伝承し斎行しています神社は奈良県石上神宮(物部の鎮魂法)・新潟県弥彦神社(中臣の鎮魂法)・島根県物部神社(物部・猿女の鎮魂法)の三社です。特に物部神社の鎮魂祭は宮中において斎行される鎮魂祭に最も近いものです。
また物部神社が祈祷専門の神社として天皇の勅命により社殿が建てられ、現在も年間百件の祭事を斎行し続けております根幹は、蒼生(人間)や萬物のために鎮魂祈祷をなさんが故の御祭神宇摩志麻遅命の御意志の継承でもあります。
物部神社で行われます祈祷の総てにはこの鎮魂祭の本義が存在し、より大きな御神徳が発揚されています。
鎮魂祭に御参列される方へ
鎮魂祭に御参列・御祈祷を希望される方は、参列申込用紙と祭典で祈念するための撫で札を無料で送付致しますので事前に当社まで郵便番号、御住所、お名前をメール又はFAX、郵送等でお知らせ下さい。(下記連絡先参照)
遠方からで直接祭典に参列できない方も撫で札を依り代に用い祈念致しますのでお気軽にお問い合わせ下さい。
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歴代天皇は、宗教的神の血筋を唯一の根拠として、日本国に渦巻き害をなす数多の怨霊を鎮め、日本民族に取り憑き苦しめる怨念・呪いを癒やしてきた。
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八百万の神々に正統な神格を与えて神体として祀る事を承認してきたのは、不変の民族神話を根拠とする血筋・世襲の正統性男系父系天皇である。
天皇は、神の裔として祭祀王である。
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血統主義とは、政教一致で、神話を正統とする血筋・世襲の天皇である。
皇統主義とは、政教分離で、憲法・法律を正当とする非血統・非世襲の天皇である。
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皇統主義は、反宗教無神論である。
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民族宗教の日本神道とは、ある特殊な意味で創作された民族神話であり、古事記と日本書紀、高天原神話と天孫降臨神話を起源としている。
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ヤマト大王は、弥生の大乱を鎮め大陸・半島からの侵略から日本国と日本民族を守る為に存在した。
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7月10日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「高市政権の主張する「皇位継承の本質=男系男子」は大ウソ…次の天皇には「愛子さま」がふさわしい歴史的な理由
皇族数の確保策を盛り込んだ皇室典範改正案は、今国会中に成立する可能性が高い。歴史評論家の香原斗志さんは「そもそも男系男子による皇位継承は、日本史上で長く意識されてきたものではない。男女を問わず第一子に皇位継承権をあたえるのが、いちばん合理的で、皇統が途絶えるリスクがもっとも低い」という――。
【写真をみる】母・雅子さまの「30年前の黄色スーツ」をお召しになられた愛子さま。
■女性天皇について議論さえしなかった高市政権
敬宮愛子内親王、すなわち愛子さまには皇位継承の資格がない。日本国憲法で〈皇位は、世襲のものであって〉と定められているが、世襲のための具体的なルールは皇室典範にゆだねられている。その皇室典範は、第1条で〈皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する〉と定めている。
〈男系の男子〉とは父方の血筋を引く男子で、愛子さまも父方の血を引くが、女子なので該当しない。皇室典範のこの規定をあらためないかぎり、愛子さまが天皇になられる可能性はなく、今回の皇室典範改正の議論では、この点の改訂に関しては議論さえされなかった。
高市早苗内閣は男系男子による皇位継承にこだわっており、議論を拒んで方針を堅持した恰好だ。しかし、各メディアの世論調査では、愛子さまが天皇になられることを支持する人の率は、60%から時に90%にまで達している。高まる愛子天皇待望論に目もくれない政府に対しては、「国民の総意を無視している」という批判も湧き上がっている。
筆者も愛子天皇が望ましいと思っている。「国民の総意」という議論に即していうなら、国民の支持率が高い人が即位したほうが、国民と皇室の関係が良好にたもたれ、象徴天皇制の安定に寄与すると思う。だが一方で、皇位継承は人気投票ではない。人気を優先して天皇を決めていたら、皇位継承のルールが歪みかねず、そうなれば将来に禍根を残す。
■「愛子天皇」が望ましい合理的理由
それでも筆者が「愛子天皇が望ましい」と考えるのは、それがいちばん合理的だからである。もっといえば、愛子さまが即位できる環境をつくらないと、世襲による皇位継承そのものが危うくなりかねない。
その最大の理由は、男系男子による皇位継承がきわめて困難なことにある。現状でも男系男子の皇位継承者は、秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまの3人しかおられず、次世代で継承権をお持ちなのは悠仁さまだけ。今後、増えるかというと、きわめて心もとない。
長い歴史において、天皇は多くの側室に子を産ませ、そこから男子を選んで即位させてきた。しかし、大正天皇が拒んでからは天皇に側室はおらず、現行の皇室典範では、側室は完全に禁じられている。そうでなくても、いまのご時世に側室は社会が許さない。
しかも現在、予想を超える速度で少子化が進んでおり、むろん、皇室もその流れから逃れられない。少子化は女性の地位向上や権利の高まりと無縁ではないからだ。
昔なら女性は周囲から「子供を産め」と、当たり前のようにプレッシャーをかけられたが、いまそんなことをいえば、明確なハラスメントと認定される。現代の女性は自分の生き方に照らして、結婚も出産も自由に選択でき、周囲が強要することは許されない。皇室においても、皇位継承者の妻に出産を強要したりすれば、それはハラスメントになる。
■歴史学の成果を無視した発言
それでも皇室に嫁いだ女性は、いくら周囲が気を遣っても、子供を産まなければならないというプレッシャーを受けるに違いない。しかも男子を生むことが事実上の責務だとなれば、プレッシャーの強さは想像に余りある。一般社会に生きるのとくらべて、比較にならないほどの重圧をかかえる道であり、そんな道を率先して選ぶ女性が現れるのだろうか、と大いに心配になる。
しかし、男系男子による皇位継承が、その支持者が訴えるように、日本の歴史や伝統の根幹を支えるものであるなら、ギリギリまでそれを守ることに意味があるだろう。実際、男系男子にこだわる論客は、国民が愛子天皇を支持するのは「皇位継承の本質が理解されていないから」だと訴えるが、男系男子は本当に皇位継承の本質なのだろうか。
高市総理は今年4月の自民党大会で、「126代にわたって、男系で皇統が継承されてきたという世界でも比類がない歴史的事実こそが、天皇の権威と正統性の源だと考えております」と述べた。これは歴史学の成果をまったく無視した発言である。
初代とされる神武天皇は実在しなかったというのが定説だが、それだけではない。そもそも第15代の応神天皇より以前は、神話や伝説である可能性が高いと考えられ、考古学的に実在が確認できるのは、第21代の雄略天皇以降である。現在の皇室の起点とされるのは第26代の継体天皇だが、その当時はまだ、即位にあたって血縁より実力が優先されたと考えられており、血縁による皇位継承の傾向が定まったのは、第34代の舒明天皇からだとされる。
つまり、高市総理が主張する「天皇の権威と正当性の源」は、歴史学の観点からは否定されてしまうのである。
■明治時代につくられた「男系男子による万世一系」
歴史学の成果を尊重するか否かは個人の自由だろう。しかし、行政の最高責任者たる内閣総理大臣が、自国の学問の成果を無視して、「126代にわたって、男系で皇統が継承されてきた」のが「歴史的事実」だと断定してしまうことには、大きな問題がある。
これでは、神話を歴史的事実と偽って教えた戦前の歴史教育と変わらない。学問的な成果への国民の目をふさがせたまま、議論を避けて法律をあらためようという姿勢は、非常に危険だといわざるをえない。
そもそも男系男子による皇位継承は、日本史上で長く意識されてきたものではない。皇位は男系男子が継承するとはじめて明文化したのは、明治22年(1889)に交付された皇室典範で、「男系男子」という言葉自体、そのころはじめて使われている。「万世一系」という言葉も、慶応3年(1867)10月に、岩倉具視が「王政復古議」でなかで言い出したにすぎない。
この時代に、こうした言葉が使われるようになった理由は明白だ。薩摩と長州の出身者を中心とする明治維新の先導者たちは、権威がまったくない自分たちの権力を正当化するために、天皇の権威を利用した。さらには、天皇の権威を政治的な次元から超越させ、だれも手が届かない次元から、藩閥政治家たちに正統性をあたえてもらうために、皇室典範を制定し、日本の天皇の血統は「男系男子」による「万世一系」だと強調したのである。
■女系による継承が否定された証拠はない
現在、男系男子による皇位継承にこだわる人たちは、男系男子こそが日本の歴史や伝統の正統性を保証する命綱であるかのように説く。だが、実際には、男系男子とは明治の政治家の命綱だった。
もっとも、天皇家の歴史において男系は意識されてはいた。古代の律令の基本法典のひとつで近世まで効力があった「継嗣令」も、男系による継承を前提としている。ただし、女系による継承が否定されていたわけでもなかった。
だから歴史上には、古代の推古天皇にはじまって江戸時代の後桜町天皇まで10代8人の女帝が存在する。男系男子にこだわる人たちは、それは男系のつなぎにすぎなかったと主張するが、過去にそう意識されていたと証明する手立ては存在しない。
たしかに、宮内庁が厳重に管理している「皇統譜」では、現在に至るまで皇統が、例外なく男子で継承されてきたことになっている。これについては、前近代の日本においては、家系図とは一般に、その家の権威を高めたり家格を維持したりするために、意図して創作されることが多かった、という事実だけを記しておく。
■分家が皇統を継いでいいのか
男系男子にこだわる人たちは、今後、ほんとうに男系による皇統を守ることができると思っているのだろうか。それが難しいからこそ、旧11宮家出身の独身の男系男子を養子として迎え入れる制度が、皇室典範の改正案に盛り込まれたのだろう。
だが、ずっと一般国民として自由を謳歌してきた人が、いまさら養子として皇室に入ろうとするだろうか。そういう人がいたとして、その子が即位すれば、約600年前の室町時代に分家した旧宮家の人が皇統を継ぐことになるが、その天皇を国民は自分たちの統合の象徴として尊重するだろうか。それが男系男子だからといって、皇統が継がれたことになるだろうか。
過去にも養子の例はある。たとえば、安永8年(1779)に後桃園天皇が急死した際、傍系の閑院宮家から養子が迎えられ、光格天皇として即位した。だが、血筋の隔たりは7親等にすぎず、600年前の血筋とは意味がまったく異なる。そして既述したように、こだわる人がそうまでしてこだわる男系男子には、さほどの歴史的根拠がないのである。
だったら、男女を問わず第一子に皇位継承権をあたえるのが、いちばん合理的で、皇統が途絶えるリスクがもっとも低い。だから「愛子天皇が望ましい」のである。
男系男子にこだわる人たちは、126代にわたって男系で継承されてきたことが、世界からの尊敬の対象になっている、と主張する。しかし、その根拠が神話に依拠していると知った途端に、世界が日本を蔑むリスクも考えたほうがいい。
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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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7月10日 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「「男系男子」は本当に“伝統”なのか…歴史学から見えてくる“神話と明治のイデオロギー”
皇統が途絶えてしまっては元も子もない
いよいよ加熱する国民の「愛子さま人気」…女性天皇を望む声は多い
「女系天皇を認めるしかないのではないか」と話すと、筆者のスタンスが「反日」だと決めつけられることがある。男系男子による皇位継承が途絶えるとは、すなわち「万世一系」と異なる血筋が皇統に混ざることを意味し、それでは2000年以上も純粋性が維持されてきた血統の歴史的な正統性や神聖性が失われてしまうのだそうだ。だから「女系天皇」を推すのは、日本の歴史を否定し、伝統を破壊する行為だと批判される。さらには、皇室の権威を弱体化させようと目論む意図的な主張だ、と断じられることさえある。
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こうして「反日」のレッテルが貼られてしまうのだが、レッテル貼りをしているかぎり言葉を共有できないので、前向きで生産的な議論はできない。むろん、男系男子による皇位継承にこだわる人たちが、みな議論を拒んでレッテル貼りをするわけではない。しかし、政府が閣議決定した皇室典範の改正案が、大した議論もないまま、男系男子による継承にこだわる人たちにからめ取られてしまった内容であることには、危惧せざるをえない。
最初に、「女系天皇を認めるしかない」と考えるのは、「反日」どころかその正反対の思いからであり、男系にこだわった結果、皇統が途絶えてしまっては元も子もないという、強い危機感の表れであることを明らかにしたい。
現在、日本では激しい速度で少子化が進んでいるが、皇室の方々も現代日本に生きる人間である以上、少子化の流れと無縁でいられない。少子化は簡単にいえば、女性の地位が向上し、権利が認められるのに比例して進んだ。日本国憲法では男女の平等と同権が定められているが、当初は女性を差別したり、権利を制限したりする傾向は根強く残っていた。結婚するようにプレッシャーを受け、結婚すれば出産への期待がかけられた。
しかし、いまでは女性はそれぞれのライフスタイルに照らして、結婚も出産も自由に選択できる。「なぜ結婚しないのか」「子供を産め」などといってプレッシャーをかければ、明らかなハラスメントと認定される。そういう環境では、是非は別にして少子化が進むのは避けられない。この状況は皇室の方々にとっても変わらない。そのうえ、天皇家の人間も昔と違って側室をもてないのだから(側室は皇室典範で完全に禁じられている)、今日において皇統をつなげるのは至難の業である。
皇室典範の目的は薩長藩閥の権威づけ
それでも皇室に入った女性は、周囲がどんなに気を遣ったところで、子供を産まなければならないというプレッシャーを受ける。社会全体ではそうしたプレッシャーが弱まっているだけに、皇室に入った女性が受けるそれは、相対的により強いものになる。しかも、男系男子による継承につなげるために、男子を産まなければならないとなれば、受けるプレッシャーの強さはいかばかりだろうか。
また、そんな状況に置かれるとわかって、皇室に嫁ぐ女性が果たしてどれだけいるだろうか。そう考えたとき、男系男子による皇位継承にこだわるのはまったく現実的ではなく、男系どころか世襲自体が危うくなるように思えるのである。
続いて、男系男子による皇位継承が、はたして本当に日本の伝統で、是が非でも守るべきものなのかどうかを考えたい。「男系男子」による皇位継承をはじめて明文化したのは、明治22年(1889)に制定された皇室典範だった。戦後にGHQの影響下でつくられた現行の皇室典範もそれを継承し、第1条に「皇位は、皇統に属する男系の男子たる皇族が、これを継承する」と記されている。
筆者がまず違和感をいだくのは、明治の皇室典範に定められた内容を、「伝統」のように語って絶対視する姿勢である。
皇室典範が制定されたのは、大日本帝国憲法が公布された直後だが、それには明確な意図があった。明治維新を先導した薩摩藩と長州藩の出身者は、自分たちにまったく権威がなかったため、政治的な権力基盤を正当化するために天皇の権威を利用した。そして、天皇の権威を政治の次元から超越させ、藩閥官僚による統治に、超越的な場所から正統性を付与してもらうために、皇室典範を制定し、男系男子による万世一系を強調したのである。
そもそも「万世一系」自体、慶応3年(1867)10月、岩倉具視が「王政復古議」のなかではじめてつかった言葉で、天皇家やその周辺で伝統的にもちいられた言葉ではない。「男系男子」はもっと遅く、まさに皇室典範が制定されるころに誕生した言葉にすぎない。ところが、これらの「あたらしい」言葉が、日本の歴史や伝統の正統性を保証する命綱であるかのように語られ、政府の決定もそれに飲み込まれてしまっており、恐ろしい気さえする。
神話を根拠にしていいのか
男系男子による継承にこだわる政治家には、「神武天皇以来」と強調する人が多いが、やはり違和感をいだかざるをえない。歴史学の観点からいえば、現在の皇室の起点とされるのは第26代の継体天皇で、考古学的に実在が確認できるのは、第21代の雄略天皇からである。
15代の応神天皇から前、あるいは10代の崇神天皇より以前は、客観的な史料でたどることができず、神話や伝説である可能性が高い。それに天皇が「大王(おおきみ)」といわれていた時代には、即位にあたって血縁よりも実力が優先されたと考えられている。継体天皇もそうして即位した。血縁による継承の傾向がたしかに定まったのは、34代の舒明天皇からだとされる。
だが、歴史学の成果を尊重しなければならないという法はないので、「神武天皇以来」と個人的な見解を述べるのは構わないだろう。しかし、何代かの天皇は実在すら確認できないことに変わりはない。それなのに、神話かもしれない不確定な言い伝えを根拠に、皇室典範の改正案が閣議決定されるとしたら、日本は物事を事実にもとづかずに決める国家ということになってしまう。
では、実在が確認できる継体天皇以降は、男系男子によって皇位が継承されてきたのだろうか。古代の律令の基本法典のひとつで近世まで効力があった「継嗣令」では、男系による継承を前提としつつ、女系による継承が否定されていたわけではなかった。
宮内庁が管理する「皇統譜」では、これまで例外なく男系で継承されてきたことになっている。だが、一般論をいえば、江戸時代までの日本では、権威づけたり家格を維持したりするために、家系図は意図的に創作されることが多かった。
考えれば考えるほど非現実的
いずれにせよ、明治政権を樹立した薩長の下級武士たちに利用され、憲法や皇室典範によって厳格に位置づけられる前の皇室は、もっと自由だった。江戸時代は徳川幕府によって政治からは切り離され、禁中並公家中諸法度によって手足を縛られてはいた。それでも「万世一系」や「男系男子」という言葉でがんじがらめになることはなかった。
なるべく男系で継承できれば、という程度のゆるい意識のなかで皇統は継承されてきたのに、薩長藩閥に利用され、「神武天皇から一度も血統が途絶えることなく男系で継承されてきた」という、絶対的な国体イデオロギーの体現者にされてしまった。行き着いたところは先の戦争だが、日本の伝統がゆえに戦争が起きたのではなく、日本の伝統を創作したがゆえに戦争が起きたのである。
男系男子による皇位継承にこだわる人たちは、今後、どうやって男系による系統が守れると考えているのだろうか。旧宮家の子孫を養子に迎え、その子が即位した場合には、皇統は室町時代に分家した系統に移ることになるが、それで本当に皇位の継承といえるのだろうか。だが、その前に、望んで養子になる旧宮家の男性がいるのだろうか。その人のもとに男子が生まれるのだろうか。考えれば考えるほど、非現実的な話に思えてくる。
だが、非現実とわかっていても突き進むとしたら、過去の歴史に見られたなにかが想起されてしまうが、その先はやめておこう。「女系天皇を認めるしかない」。それしか皇統を存続させる道はないと思うのだが、同時に、非現実的な要素を除外して考えたとき、それがもっとも皇室の伝統に近い選択だと思うのである。
デイリー新潮編集部
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