🌺6:─1─日本の歴史は大きな歴史ではなく小さな歴史である。~No.10No.11 

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 2024年1月5日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本の村落が「閉鎖的」というのは本当か…「大きな歴史」からは見えてこない「日本人の本当の姿」
 『忘れられた日本人』で知られる民俗学者宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは? 
 「宮本の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が5刷と話題となっている。
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 ※本記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。
 なぜ「庶民の歴史」なのか?
 全国すみずみまで歩いて、多くの人びとから話を聞いた宮本常一
 なぜ、庶民の歴史を構想するようになったのだろうか。
 〈歴史に名前を残さないで消えていった人びと、共同体を通り過ぎていった人びとの存在も含めて歴史を描き出しえないものかというのが、宮本の目標とするところだった。
 また「進歩」という名のもとに、私たちは多くのものを切り捨ててきたのではないかという思いから歴史を叙述することを試みた。〉(『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』より)
 「大きな歴史」から零れ落ちたり、それが切り捨ててきたものがある。
 宮本は、「小さな歴史」の束から、世間や民主主義、多様な価値、さらには「日本」という国のかたちをも問いなおしたのだった。
 「共同体の民俗学」から「公共性の民俗学」へ
 では、宮本常一の思想とは、具体的にどのようなものだろうか――。
 『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』では、「『共同体の民俗学』から開かれた『公共性の民俗学』へという意志と思想が潜在しているのではないか」と指摘されている。
 〈宮本は庶民の歴史を探求するなかで、村落共同体が決して共同性に囚われてきただけではなく、「世間」という外側と絶えず行き来し流動的な生活文化をつくってきたことも明らかにする。そしてそれは、公共性への道が開かれていたと解釈することができるのだ。
 また近代を基準にみたとき、さまざまな面で遅れているとされてきた共同体の生活、あるいは慣習のなかに、民主主義的な取り決めをはじめ、民俗的な合理性があったことも裏づける。〉(『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』より)
 〈宮本常一民俗学には閉ざされた「共同体の民俗学」から開かれた「公共性の民俗学」へという意志と思想が潜在しているのではないか。成員を統合する価値だけで結びつくのではなく、絶えず外側から価値を導入し、変化していくのだ。
 また主流に対する傍流を重視すること、つまりオルタナティブの側に立って学問を推し進めていったことも特筆すべきであろう。〉(『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』より)
 つづく「日本全国「80歳以上の老人たち」の話が教えてくれたこと…幕末生まれと明治生まれの人の「決定的な差」」では、宮本のフィールドワークの手法にはどのような特色があったのか、それは彼のどんな体験から編み出されたものだったのか、「よい老人」とは誰か、などについて掘り下げている。
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 日本民族の歴史は、キリスト教史観、中華儒教史観、マルクス主義史観、イスラム教史観、ユダヤ教史観では理解できない。