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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
現代日本では、日本の神殺しが行われている。
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2020年8月8日・15日号 週刊現代「日本の聖地を歩く熊野 閃(ひらめ)きを授かる旅
畏(おそ)れを感じるほどの圧倒的な自然がいまも息づいている。
それに触れると人は瞠目して目を覚まし、やがて閃きを得る。
巨岩に力が宿る
幅は500mにおよぶ古座川の一枚岩
538段の石段の先に現れる神倉神社のごとびき岩
高さ45mのご神体 花の窟(いわや)神社
山頂に鎮座 天狗倉山(てんぐらさん)の巨岩
植島啓司
かつて熊野は訪れるというよりも、籠(こ)もるための場所であった。
熊野でのお参(まい)りの基本が『籠もり(インキュベーション)』であるのは、重要なことだ。籠もりとは神の加護を求めて聖所(せいしょ)に行き、そこで眠って夢の中でお告げを得るという行為である。そうした修行を支えるのは、大地に根ざした女性神格であるおとが多く、それは高野山における丹生都比売神(にうつひめのかみ)であり、伊勢神宮の天照大神、豊受気毘売神(とようけひめのかみ)などがその代表である。
では、熊野における女性原理を代表するのは、いったい何か。それはおそらく伊弉冉尊({いざなみのみこと}イザナミ)ではなかったかと思う。
熊野本宮大社の現在の主祭神は、男性神の家津御子神(けつみこのかみ)となっているが、イザナミはかつて本宮の中心をなす證誠殿(しょうじょうでん)に一時的に祀られていたという言い伝えが残されている、と九鬼家隆宮司も語っている。
熊野のすごさは、何度行っても奥が深くてよくわからないところにある。熊野三山だけではなく熊野全体を俯瞰(ふかん)して眺めてみると、いにしえより祀られて多くの磐座({いわくら}信仰の対象となる岩)が姿を現すことになる。神倉神社のごろびき岩も素晴らしいが、そこに達するまでの急峻な538段の石段もみごとだ。
イザナミが葬られたとされる花の窟(いわや)は、『日本書紀』の神代巻(じんだいかん)で、熊野において最初に登場してくる聖域である。神内神社({こうのうちじんじゃ}南牟婁{みなみむろ}郡)や丹倉神社({あかくらじんじゃ}熊野市)の巨大な岩の壁ともいうべき磐境(いわさか)も見てほしい、那智大滝を遠くから見るのではなく、滝壺まで近づくと、大滝を神体とする飛瀧神社(ひろうじんじゃ)が姿を現し、自然石のみごとな光景が見えてくるようになる。
これほど野性的な岩が数多く崇拝の対象になっている聖域は、熊野以外にはないだろう。しかも、そこで崇拝されている神は、イザナミを除けば、どれも『古事記』『日本書紀』の神々とは違うのだ。
神を感じるとは、何かが自分のなかに入りこんでくる経験ではないかと思う。それは現在の日本では、もはや熊野でしか得られない経験かもしれない。」
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ウィキペディア
熊野三山は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。熊野権現も参照のこと。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。
熊野信仰
熊野の地名が最初に現れるのは『日本書紀』の神代記で、神産みの段の第五の一書に、伊弉冉尊が死んだとき熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)というところに葬られたという記述がある。国家が編纂した歴史書(『正史』)に熊野の名が登場するのは日本三代実録からである。
古来、修験道の修行の地とされた。延喜式神名帳には、熊野坐神社(熊野本宮大社)と熊野速玉大社とあるが、熊野那智大社の記載が無いのは、那智は神社ではなく修行場と見なされていたからと考えられている。3社が興ってくると、3社のそれぞれの神が3社共通の祭神とされるようになり、また神仏習合により、熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)または家都美御子神(けつみこのかみ)は阿弥陀如来、新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)または速玉神(はやたまのかみ)は薬師如来、熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)または夫須美神(ふすみのかみ)は千手観音とされた。熊野の3神は熊野三所権現と呼ばれ、主祭神以外も含めて熊野十二所権現ともいう。
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反宗教無神論の日本人には、意味不明な話以上に唾棄すべき戯れ事である。
そうした日本人が増え、特にグローバル志向の強い高学歴出身知的エリートに多い。
その証拠が、「穢れ忌避」という宗教性神秘性による殺傷禁止・女人禁制・男性禁制・入山禁止・立ち入り禁止などの減少である。
それは同時に、日本の自然が破壊されている事を意味する。
信仰の山であった霊峰・富士山は、物見山の登山の山となり、ゴミの山・糞尿の山となっている。
日本古来の民族的宗教性は、金儲けのレジャー、人集めのイベントと化し、生命溢れる神秘な尊きものから死んだ残骸・騒々しい騒ぎになり下がっている。
それは、神殺しである。
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日本のローカル宗教には、祈りと崇拝はあるが、信仰としての経典・聖書・聖典、教義・教理はない。
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女性神・伊邪那美命(いざなみのみこと)は、火の神を生んだ為に死に黄泉(よみ)国に住み、会いに来た夫神・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が約束を破った事を怒り、人々を殺すとの呪いの言葉を告げた。伊弉冉尊
日本民族日本人は、伊邪那美命に呪われた穢れた人間である。
日本民族日本人を救ったのが伊邪那岐命で、呪い殺された人数以上の人を生むと告げたからである。
伊邪那岐命から生まれたのが、天照大神、月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。
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日本神道の民族宗教には、縄文時代の自然崇拝、神秘崇拝、大地母神崇拝、巨岩・巨木・大川崇拝などが母体となっている。
崇拝される日本の自然には、花鳥風月と虫の音、苔とよい菌が生み出すマイナス・イオンや1/fの揺らめきなどが充満している。
日本列島は、雑多な自然災害、疫病、飢餓・餓死、大火が複合的に頻発する災害多発地帯である。
崇拝の対象となっている巨岩や大川や深淵な渓谷は、雑多な自然災害が縄文人や動植物を大量に殺して生み出したものである。
つまり、崇拝対象物の下には「死」があり、死と生の狭間・境界・中間・縁(へり)に存在し、それゆえに日本民族日本人は冒してはならない神性を言葉、理屈、合理、理論ではない生の五感で感じ思わず恐懼して頭を垂れて祈念する。
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雑多な自然災害、疫病、飢餓・餓死、大火が複合的に頻発する災害多発地帯で生き残るのは、賢さや優秀さ、家柄や身分や地位、金持ち・資産家によって選ばれているからではないし、必然でもなく、単に幸運と偶然と勢いに過ぎない。
逃げて、助かる事もあれば、助からない事もある。
何が幸いするか幸いにならないか、誰も知らない。
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日本の最高神は、女性神の天照大神(伊勢神宮、天皇家・皇室の祖先神)であった。
天皇即位の必須条件が、天照大神からの直系の血筋・血統であった。
天皇の正統性は、天照大神を源とする血統と皇統の二本立てであり、血統あるいは皇統の一方だけでは成立しない。
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