💄74)─1─天皇による田植え。大嘗祭。新嘗祭。日本の食文化の原点は神饌。〜No.147No.148 ⑰ 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 昔の日本人と現代の日本人は別人のような日本人である。
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 キリスト教聖母マリアは、イエス・キリストの生母であって神・女神ではない。
 聖母マリアを信仰する事は、唯一の神・絶対神への冒瀆である。
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 女神は、宗教より神話に多く、ローカルな日本中心神話よりグローバルなギリシャ神話や北欧神話の方が多い。
 女性神が有名な宗教は、シヴァ神ヒンドゥー教である。
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 第72話 大淀と鶴の稲のお話
 『日本遺産 祈る皇女斎王のみやこ 斎宮』を構成する文化財の中に「カケチカラ発祥の地」というものがあります。説明では「神嘗祭に初穂の稲束を伊勢神宮の内玉垣に懸け、国の永遠の繁栄を祈る懸税(カケチカラ)行事の発祥の地」とあります。
 この伝説の根拠は、鎌倉時代に編纂された『倭姫命世記』という文献にあります。つまり伊勢神宮に関わる中世の神話です。
 この神話では倭姫命崇神天皇の時代から35年ほど各地をさまよい、ついに垂仁天皇二十六年に伊勢神宮を定めたことになっているのですが、その翌年のこと、鳥が大きな声で鳴くので、大幡主命らを派遣して調べてみると、志摩国の伊雑(志摩市磯部町あたり)の葦原の中に、根元は一本で千本の穂が実っている変わった稲があり、白いマナヅルがそれをくわえて飛んでいた。それを伊佐波登美神に抜かせて、伊勢神宮の御前に懸けさせ、伊雑には摂宮(伊雑宮)を設けたとあります。そしてその翌年の秋、やはりマナヅルが皇太神宮(内宮)に北の方から飛んできて日夜鳴いているので、倭姫命が調べざると、「佐佐牟江宮の前の葦原」に、やはり根元が一本で八百の穂がある稲をくわえて鳴いていたので、吉祥として皇太神(アマテラスオオミカミ)の御前に懸けさせ、鶴のいた所に、八握穂社を造らせた、というものです。
 つまり、「カケチカラ発祥の地」というのは、伊雑と多気で見つかった不思議な稲のうち、多気の稲が見つかった所なのです。葦原に稲が生えるということはまずありえず、実に神話だなぁ、という話なのですが、葦(ヨシ)はヨシズをはじめ様々な道具に加工できるので、古代・中世において生活のために絶対に必要な植物で、稲と形が似ていることや、稲刈りとともに芦刈りが重要な季節の集団作業だったことなどもあり、「葦原中つ国」とか「豊葦原瑞穂の国」なんていう日本(正確には東北南部から九州南部まで)の古名もできたわけですね。
 さて、この神話、『日本書紀』や『古事記』の中には出てきません。また、九世紀初頭に編纂された『皇太神宮儀式帳』(伊勢神宮から朝廷に提出された神宮の運営マニュアル)の神宮起源伝承にも出てきません。しかし、実はさらに原典ともいうべきものがあります。天暦三年(九四九)に神祇官村上天皇に上奏した「新嘗祭月次祭神今食の忌火御饌」の起源神話です。
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 天皇が行う宮中祭祀は、女性神崇拝である。
 日本の女性神崇拝は、縄文時代の母体崇拝が原初である。
 縄文の母体崇拝は、原始的な自然神・大地母神・精霊神崇拝である。
 その象徴が縄文の土偶で、人形土偶の大半が女性像である。
 日本民族は、女性崇拝から生まれてきた。
 何故か、それは5~6人乗りの手漕ぎの小舟で移動して生きていた南方系海洋民の子孫だからである。
 日本の祭りで神様を載せる神輿や山車(だし)の原型は舟で、ユダヤ教が「モーゼの石板」や「律法書(トーラー)」を納めて運ぶ「契約の箱(アーク)」とは違し、エジプト神話などに出てくる太陽の舟や月の舟とも違う。
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 天照大神(あまてらすおおかみ)、または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に主神として登場する神。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』において、アマテラスは太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。
 太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名。
 名称
 『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)。神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)、大日孁(おおひるめ)、大日女(おおひめ)とされている。
 『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。伊勢神宮においては、通常は天照大御神の他に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う。
 なお、「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)などわずかしか見られない。
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 天照大神の血を正統に受け継ぐのは、男系父系皇族のみであって、女系母系皇族ではない。
 男系父系の女性皇族は、正統な血の継承者である。
 女系母系の人間には、天照大神からの血の正統性がない為に天皇に即位する事はできないし皇族にもなれない。
 その意味で、女性神からの血の正統性を神聖不可侵とする天皇制度・皇族制度は、法の前での平等を侵害する人間差別ではあるが、性別に基づく女性差別ジェンダーフリーではない。
 天皇制度・皇族制度とは、日本独自の伝統文化としての家制度・血縁制度・血族制度である。
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 縄文の母体崇拝は、男尊女卑の中華思想を持った弥生系帰化人が移住して変容した。
 その象徴が、弥生の埴輪である。
 日本における男尊女卑の定着は、夫婦共同作業である稲作農耕の広まりと食糧をめぐる殺し合いの常態化(弥生の大乱)してからである。
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 天照大神の稲神勅とは、弥生時代に発生した気候変動による食べ物不足・飢餓・餓死そして食糧をめぐる殺し合い(弥生の大乱)を教訓としている。
 日本の稲神話とは、食糧を確保して飢えない為であった。
 食べ物を神聖視して祀るは、ここから来ている。
 天照大神に仕える女性神豊受大神(トヨウケノオオカミ、伊勢神宮外宮)は、神格は食物神、穀物神で、神徳は農業、漁業で、体内から有りと有らゆる食物を生み出した。
 日本では、神々から授かった食べ物を有り難く、そして神々と共に食卓を囲んで頂く事が尊い神事とされていた。
 キリスト教では、人は、天地創造の創り主たる唯一の神の御言葉で生きるのであって「パンで生きる」のではないと説いている。
 儒教は、人として信義を貫く為ならば武器も食べ物も捨てろと説いている。
 天照大神の弟神・素戔嗚尊スサノオノミコト)は、日本列島に樹木を植えて緑豊かで実り多き島へと作り変えた。
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 日本民族の女性神崇拝の源流は、揚子江流域に栄えた南方海洋系長江文明である。
 漢族中国人、朝鮮人・韓国人は男性優位の源流は、黄河流域に栄えた西方草原系黄河文明である。
 好戦的強欲な黄河文明は、武力を用いて争いを好まない無欲な長江文明を滅ぼした。
 滅ぼされた長江文明は、日本列島に逃れて新たに独自の日本文明を生み出した。
 が、滅ぼされた長江文明の正統な後継者である日本民族は、滅ぼした黄河文明を受け継ぐ漢族中国人、朝鮮人・韓国人に恩を感じる必要はないし、感謝する必要など「まったく」ない。
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 大嘗祭(だいじょうさい、おおにえまつり、おおなめまつり)は、日本の天皇皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。
 新天皇が即位(現代では国事行為となる即位の礼の各儀式が終了)した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである。
 古くは「おほにへまつり」「おほなめまつり」とも訓じたが、現代においては「だいじょうさい」と音読みする。
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 新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつ。大祭。また、祝祭日の一つ。
 新嘗祭は、天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ)に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式である。毎年11月23日に宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる[2]。同じ日に全国の神社でも行われる。
 なお、天皇即位の礼の後に初めて行う新嘗祭を特に大嘗祭という。
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 2020年5月18日7時00 朝日新聞デジタル天皇陛下、代々受け継がれる田植えに 皇室18~24日
 紅葉山御養蚕所へ行くため、半蔵門から皇居に入る皇后雅子さま=11日午前、皇居
 天皇、皇后両陛下や皇族方の予定を毎週更新します。皇室の方々は様々な行事や式典、宮中祭祀(さいし)などで多忙な日々を送っています。紙面では掲載しきれない公務も紹介します。
 宮内庁は5月18~24日の予定を発表した。
 天皇陛下は19日、皇居内の水田で田植えをする。苗は4月に陛下がまいた種もみを栽培したもの。稲作は昭和天皇上皇さまと受け継がれている。
 皇后雅子さまは、歴代皇后が継承してきた皇居・紅葉山御養蚕所での養蚕に今月から取り組んでいる。例年は数種類の蚕を扱うが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で養蚕所の職員を減らしているため、純国産種「小石丸」のみを飼育している(宮内庁発表に準じます。予定は変更されることがあります)。
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 2019年5月20日 日本経済新聞天皇陛下、即位後初の田植え  皇居の水田で
 天皇陛下20日、皇居内の生物学研究所脇にある水田で、即位後初めて田植えをされた。皇居での稲作は昭和天皇の時代から続く恒例行事。今回は代替わりに伴い、上皇さまが退位前の4月にまいた種もみから育った苗を陛下が植えられた。
 陛下は水色の長袖シャツにグレーのズボン、黒い長靴姿で宮内庁職員から苗を受け取って水田に入り、腰をかがめて作業をされた。この日はうるち米のニホンマサリともち米のマンゲツモチ計100株を植えられた。
 今後は春の種もみまきや秋の稲刈りも含め、陛下が行われる。例年秋に収穫されるコメは皇室の神事などに使われる。
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 料理王国
 日本の食文化の原点。「神饌」をご存じですか?
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 #歴史
 日本の食文化の原点。「神饌」をご存じですか?
 2021年10月19日 #歴史, #食文化
 会席料理和食
 真心をこめて御調理する「神様の食事」が日本料理の原点
 日本人は古来、四季折々の祭りを大切にしてきました。祭りというと、氏子が神輿を担いで町内を練り歩く光景を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。しかし、祭りで最も重要なのはその前に執り行われる「神事」。その神事は神に食べ物を供えること、すなわち「神饌しんせん」から始まります。
 神様と人間をつなぐ重要な役割を持つ「神饌」
 祭りとは、神々を崇め尊び、慰めながら除災を願い、豊作豊漁を祈る儀式。日本人は「神は自然の中に宿る」という信仰を持っていますから、祭りを始めるにあたってはまず、食べ物を供え、神様をお招きしなければなりません。
 そして、一連の儀式の後、お供えした食べ物を神様とともに食するのが「直会なおらい」。神様と同じものをともにいただくことで、神との一体感を持ち、霊力をいただき、神の御加護と恩恵にあずかります。
 このように、祭りにおいて神饌は、神様と人間をつなぐ非常に重要な役割を果たすものです。
 神饌は、古くは煮炊き、調理を行った、「熟饌じゅくせん」あるいは「特殊神饌」と呼ばれる、人々の日常の食事と同様のものでした。しかし、1871年(明治4)の神社制度改革によって祭式次第が改められ、神饌は「生饌」と呼ばれる、素材そのものを献供する「丸物神饌」に変更されました(現在、多くの神社で「生饌」が行われています)。こうして、一度は姿を消した「熟饌」でしたが、明治17年明治天皇の旧儀復興の命により、賀茂御祖神社賀茂別雷神社石清水八幡宮などで再び献供されるようになりました。こうした旧儀の神社の神饌には、四季折々の旬を煮炊きしていただいてきた、日本人の食文化が映されてます。
 一番おいしいもの、美しいものを神様に
 身を清めた神職によって丁寧に御調理される神饌は、見た目も美しく、真心のこもったもの。まさに日本料理の原点を見るようです。
 すべての神社に共通の御物は御米、御酒、御塩。そのほか、海川山野の、その季節に最もおいしいものが供えられます。各神社に特有の御物も見られますが、その心は同じ。
「出来る限りおいしいもの、美しいものを供えたい」という気持ちです。
 例えば、日本の総氏神と仰がれる存在の、伊勢の神宮(正式名称は「神宮」)で、神饌に欠かせない御物といえば鰒あわびです。なぜ、鰒をお供えするようになったかには諸説ありますが、一説によると、およそ2000年前、倭姫命やまとひめのみことが天照大御神あまてらすおおみかみにお供えする御贄みにえ(神饌)を求めて、舟で志摩の国を巡った際、鳥羽の国崎くざきで海女が差し出したのが鰒。それが「あまりにおいしかったため」、以降お供えし続けているそうです。
 また、神宮で毎日行われる日別朝夕大御饌祭(常典御饌ともいう)でお供えする神饌は、朝夕の食材が重ならないよう配慮。朝が葉物野菜なら夕方は根菜に変え、海藻も朝と夕では違うものにします。その常典御饌には、トマト、ブロッコリー、メロンなど、日本では比較的新しい野菜や果物も登場しますが、それは「珍しいものはまず神様に」という心の表れではないでしょうか。
 また、石清水八幡宮では、勅祭の日に金海鼠きんこ(ナマコの一種)をはじめ、珍しい神饌があげられていました。こうしたものを供える理由を尋ねると、宮司は「これらは露骨な言い方をすれば精力剤。お疲れの神様にお元気になっていただきたいという願いからです」とのお答えが。
 そして、翌日のお供えが、広島菜と梨だけだったことについては「、前日に精力のつくものたっぷりだったので、翌日はあっさりしたものに」とのこと。たいそう人間的な配慮なのだと、興味深く感じました。
さらにどの神社の神饌も、見た目の美しさに目を奪われます。「思わず神様もにっこりなさるのでは」と、微笑ましいくらい可愛らしく盛り付けた神饌もありました。
 こうしたことすべてが、「神様によかれ」と思うものを、できる限り真心を尽くして供えるということ。それは、日本料理のもてなしの心、そのものではないでしょうか。
 これほどまでに、食べ物を大切に神様に捧げる国は他にはありません。食べる喜びや、食への感謝の心が希薄になり、ただ空腹を満たすだけの食が増えている昨今。神饌には、現在の日本人が忘れている、自然の恵みへの感謝が、脈々と受け継がれています。神饌が、日本料理の原点であり、基本であるということは、日本人の食文化の精神性の高さを物語っていると思います。
 御神酒おみき
 神饌には欠かせない「御神酒」。神様に酒の原料、米を与えていただいたことに感謝の意を表し、その出来栄えをみていただくために供えます。白酒しろき、黒酒くろき、清酒すみさけ、濁酒にごりざけなどの種類があり、醸造法も多様。
古くは、神社もしくは氏子が神酒を自家醸造していましたが、現在は酒税法の規制があるため、できません。ただし、伊勢の神宮のように清酒醸造免許や、税務署からのどぶろく醸造許可を得ている神社もあります。
 稲穂
 神道と深い関わりを持つ稲作。豊作を祈り収穫に感謝する
 上御霊神社(京都)で11月に行われる「火焚祭」。秋の収穫、五穀豊穣、厄除け、地域の安全などを願いつつ、護摩木に書かれた諸々の願いを祈願する。撮影:中田昭
「瑞穂の国」とも称される日本。稲作は神道と深い関わりを持っています。『日本書紀』神代巻に記された「斎庭ゆにわの稲穂の神勅」によると、天照大御神は、高天原たかまのはらでお育てになっている稲穂を皇孫こうそんの邇々芸命ににぎのみことに渡し、「これで国民を養うように」とお授けになったと記されています。よって、地上で人間が稲作を行うことが神の道とされます。早春の予祝儀礼、春の豊作祈願、夏の除疫祭、秋の収穫感謝祭と、米の豊作を祈り、神に感謝を捧げる稲作を中心とした祭りが多く行われているのです。
 御塩
 塩は生命の源。穢れを祓い浄化する力も持つ
 昔から塩は、穢れを祓い清める力を持つとみなされてきました。写真は、製塩法を伝えたとされる鹽土老翁神しおつちおぢのかみを祀る、鹽竃しおがま神社の末社御釜おかま神社(宮城県)で、7月に行われる、古代製塩法を伝える藻塩焼神事。製塩用鉄製平釜の上に竹の棚を設け、ホンダワラを広げた上から海水を注ぎ、煮詰めて塩を作ります。
 鮑あわび
 神宮の神事で供される鰒は2000年間、国崎から
 2000年以上前から、伊勢の神宮で神饌として供えられてきた鰒は、鳥羽市国崎の鎧崎のもの(現在、国崎漁協組合が生、熨斗鰒、合わせて年間約660キロを奉納)。桂剥きにした後ぬるま湯でさらに長く伸ばしたのが熨斗鰒。
 石清水八幡宮 奉幣之儀
 仏教と深い関わりを持つ石清水八幡宮。奉幣之儀とは、八幡大神が年に一度、男山山麓の仮宮である頓宮殿に渡御され、上卿の御祭文奏上により、国家安泰、国民の平和と繁栄が祈願される祭り。八幡神とは綿津見わたつみの神で海の安全を守る海の神様。神饌には海のものも多く、海藻の他、金海鼠なまこのような珍しいものも。
 談山神社 嘉吉祭
 嘉吉祭で献じられる「百味御食」はすべて氏子の手によって作られている。その色鮮やかさと精巧優美さは、「神饌の代名詞」と称されるほど。赤、黄、緑に彩色した米もちごめ粒を1粒1粒用いて伝統の文様を描いていく和稲。糯米もちごめと古代米、赤米の芒のぎの長い籾を用いて作っていく荒稲がとくに美しく有名。
 ジャーナリスト南里空海さん Kumi Nannri
 ジャーナリスト、編集者。マザー・テレサ、アウン・サン・スーチー、ミヒャエル・エンデオノ・ヨーコなどのインタビューやルポルタージュを数多く手がける。著書に『伊勢の神宮』『ヴァチカン』『シルクロードを行く』(以上、世界文化社)など。
本記事は雑誌料理王国第234号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第234号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。
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 十社大神 じゅっしゃ おおかみ
 献穀田の取り組み
 天照大神 天照大御神 斎庭稲穂の神勅
 「私が高天原で育てた神聖な稲穂を あなたに授けましょう」
 天照大神様は、こう話され、日本の国を統治するために地上へ降りてゆく孫の神様に、稲穂を授けられたといいます。
 このエピソードは、今から1300年前(養老4年・西暦720年)に成立した日本書紀(日本最初の公式の歴史書)に書かれているものです。
 神勅は「斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅」と言われ、皇祖・天照大神様の重要な御言葉(三大神勅の一つ)とされています。
 この神勅は、日本の祭りや食文化と分かち難い稲作が神代から受け継がれてきたことを示していて、だからこそ、天皇陛下も稲作や大嘗祭を重んじていらっしゃるのです。
 こうした中、十社大神では、イセヒカリという米を伊勢の神宮から分けていただき、十社大神の献穀田で栽培し、収穫、奉納する取り組みを続けています。
 この取り組みを大事にする理由は、十社大神の歴史にあります。
 十社大神の主祭神は、天照大神様。
 もとは、応永7年(西暦1400年)に、伊勢の神宮から分祀されたと伝わる伊勢領神明社の御祭神です。
 以来、十社大神では、伊勢の神宮から遷宮御用材や御神宝を下げ渡していただき、神宮との結びつきを大切に神社運営を行ってきました。
 イセヒカリは、コシヒカリが突然変異したもので、伊勢の神宮の神田で発見されました。
 十社大神は、これを毎年わけていただき、献穀田に植えています。
 毎年5月には田植え。
 地元の子供たちが早乙女になり、昔ながらの手植えです。
 この取り組みは、多くの方々のご協力で成り立っています。
 育苗や圃場の整備、田植えや稲刈りの運営など、幅広い面で汗をかいてくださっている地元のファームの方々、そして、趣旨にご理解くださり、土地を貸してくださっている地権者の方の協力なしでは成しえません。
 また、行事のたびに集まってくださる子供達や保護者の方、氏子さんや崇敬者の方々、気にかけてくださっている多くの方々のお力添えがあってこそ、毎年実施できているのです。
 秋には、手刈りで収穫しています。
 機械を使えば作業が早いのですが、手刈りを大事にしています。
 収穫した稲穂は、伊勢の神宮に奉納しに行っているほか、十社大神の秋季例祭にも奉納しています。
 収穫した稲穂のうち、稲わらは、その後、しめ縄づくりに活用しています。
 実った米だけでなく、稲わらも、重要な役割を果たしているのです。
 記紀の時代から伝わる天照大神様の重要な神勅。
 日本書紀の成立1300年の節目を迎える今、あらためてその価値を再認識し、未来につなげたいと考えております。
 十社大神 じゅっしゃ おおかみ
 【鎮座地】 
 富山県 射水市 三ケ(高寺)1753 
 【宮司宅・社務所】 
 富山県 射水市 三ケ(高寺)870
 電話 0766-55-0059
 FAX 0766-55-5273
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 出雲大社紫野教会 〒603-8216 京都市北区紫野門前町44-43 TEL:075-491-2943 
 由庭稲穂の神勅
 日本の神道において、「天壌無窮の神勅」「宝鏡奉殿の神勅」「由庭稲穂の神勅」は三大神勅と言われています。
 その最後は「由庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅」です。 これは「宝鏡奉殿の神勅」の続きの文章となっています。日本書紀における記述です。
 また勅して曰(のはま)はく「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなのほ)を以て、また吾が児に御(まか)せまつるべし」
 またおっしゃられたのは「高天原で育てられている神聖な稲穂を我が子に与えます。」
 という意味です。
 その稲穂を撒いて地上で稲作をしなさい、ということですが、高天原でも稲を育てているのが日本の神話らしいところです。地上で行われている事は天上でも行われているのです。
 また、それほど稲が珍重されていたという事を意味します。 麦や粟など穀物は他にもたくさんありますが、その中でも稲だけが特別に神聖視されたのは、おいしいという事もありますが、面積あたりの収穫量が特に大きい、ということでしょう。日本の歴史を見ると、ずっと米の収穫量=田んぼの面積=養える人口でした。
 これが変わったのは数十年くらい前の話です。米も商品の一つになりましたから、無理矢理作っても余るだけになります。減反などの農業政策は難しい問題となっています。稲作については、日本人は新時代に突入したということでしょう。
 <このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
 昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
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 白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)
  神道講話 385号
 神道講座 「神社とお米」 平成27年11月社報385号
 宮司 村山和臣
 はじめに
 神社神道では、天孫邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原からこの国土に天降られるに際し、天照大神から賜った三大神勅の一つに「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」があります。
 この斎庭の稲穂の神勅とは、日本書紀に「吾が高天原にきこしめす斎庭の稲穂を以て、また吾が児にまかせまつるべし」と書かれてあり、この稲穂とは単なる稲穂ではなく、大嘗の斎庭に於いてきこしめされた稲穂であり、この稲穂を以て皇祖の大神に捧げ奉るという精神に基づいて、新嘗祭が執り行われてきているのであります。
 豊に生い茂るあの端々しい聖なる国は、これわが子孫が代々治めるべき地である。我が子よ行って治めなさい。お前たちのその王たる御位は、天地と共に永遠に栄える事でありましょう。
 神饌
 神様に供する飲食の総称を「神饌」といい、祭(まつり)は神様への饗応の形をとっているため、神饌を奉ることは、その中心となる大切な行事であります。 神饌には海・川・山・野の産物を数多く奉るのが習わしでありました。それも清浄で新鮮な物が尊ばれます。
神饌の種類は、調理法や献り方から分類すると、
 (一) 調理法より ①熟饌または調理饌 ②生饌または丸物(まるのままで奉るもの・通常神饌) ③生贄(鳥・魚など生きたまま奉るもの)などがあり、
 (二) 献る作法から ①案上に奉るもの ②懸けて奉るもの ③まき散らして奉るもの ④地中に埋納するもの ⑤水中に投げて奉るものなどがあります。
 神饌の品目として第1に上げられるものが稲米であります。
 稲=和稲・荒稲・頴(かい)・懸税(かけじから)など。
 米=白米・玄米・糯米・洗米・染米など。
 飯=白飯・赤飯・強飯・小豆飯・粟飯など。
 粥=米の粥・小豆粥・七種粥・粟粥・稗粥など。
 そして、第2番目が酒類で、3番目が餅類と続きます。初物は、まず神様に供えるという習俗は古くからありました。
 延喜式践祚大嘗祭の条に、先づ初抜四束を割き取りて[四把を束と為せ。]供御の飯に擬せ・・・とあって、初穂を神様に奉るのであります。 また江戸のことわざにも「初物を食べると75日寿命がのびるというのがありますが、まず神様にお供えし、そのお下がりを家族全員で、その霊性を頂戴するのが「直会(なおらい)」であります。
 おこめとごはん
 「こめ」とは、稲のもみがらを除いた種のことで、そのもみがらを取り去っただけのものを玄米と言い、玄米をついて精白したものを白米または精米と言います。
 さらに「うるち」は炊いて飯とし、「もちごめ」は蒸して餅を作ります。
 最近、若い人々が食事の時に「コメ」を食べると言う人が多くなってきており、放送番組でも司会者や出演者が食べ物の会話の中で「コメ」を食べるという言葉を聞くたびに、この人々は煮炊きした「ごはん」を食べていないのではと不思議に思います。私共ある程度の大人は、昔から「ごはん」を食べると言っておりました。
 「コメ」とは、まさに調理をしない玄米や白米のことで、米や麦を炊いて調理したものを「めし」と言い、めしの丁寧語を「御飯」と言います。 また、冷たくなった「めし」を暖めるための器を御飯蒸しとも言います。
 その昔は、この「ごはん」を干したものを「乾飯(ほしいい)」と言い、飯を乾かして蓄えて旅行用の食糧としたものでした。
 それと同じ製法のものが、今では災害時の非常食として再び脚光を浴びてきました。
関西地方では、食堂の店先に、大きな文字で「めし」とか「めしや」の提灯が掲げてありますが、これは手軽な飲食店という意味があります。
 むすび
 古くより日本の国のことを瑞穂の国と言いますが、古事記では「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」とあり、日本書紀では「瑞穂之地」、万葉集では「美豆保国」と出てきます。
 瑞穂の国とは、日本の国を美しく称えてみずみずしい稲穂の国ということです。
 ちなみにアメリカの国を「米国」と記したのは、誰なのかわかりませんが、日本人は主食の「お米」を大切に、そして、外国の人々とも仲良くお付き合いしたいものです。
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 白山比咩神社
 菊理姫(ククリヒメ):女性神
 別称:白山比咩神(シロヤマヒメノカミ)
 神格:農耕神、白山の神
 神徳:五穀豊穣、縁結び、安産・育児、命名、生業繁栄、家内安全、厄除け、開運招福、交通安全、入試合格
 祀られている神社:
 白山咩神社(石川県石川郡鶴来町)
 白山神社(新潟市一番堀通町)
 白山長滝神社(岐阜県郡山郡白鳥町)
 白山神社(高知県土佐清水市足摺岬)
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 女神とは、女性の姿を持つ神のこと。
 解説
 多神教においては、往々にして神にも性別が存在し、そのうち女性の神を女神と称する。対して男性の神を男神(おがみ)と呼ぶ。
 女性は子供を産むという属性ゆえに原始宗教・神話の世界では「母神」として表現されることが多い(NEUMANN・p.95、後述論文)。日本の土偶もヨーロッパからシベリアに至るユーラシア大陸において後期旧石器時代以後、広く分布する狩猟・採集・漁労民の女神像の一環と捉えられている(後述論文)。狩猟・採集・漁労民の女神信仰は、農業民の女神信仰と根本的に異なり、農業社会では地母神信仰が顕著に見られるが、前者の信仰では大地の生産性や生命力に対する認識・信仰はない(後述論文)。前者の信仰で重要なのは、獲物が取れるかどうかであり、それは超自然的な力に左右される(後述論文)。土偶も出産や多産を願う気持ちから作られた「お産の女神」の性格をもち、子供は老後の支えとして必要であり、土偶はお産の女神と同時に「家神」としての性格ももつ(『古代学研究 159』 古代学研究会 2002年12月、p.1に所収、角林文雄 『土偶と女神』)。角林文雄は、土偶はあくまで多産信仰が基本であり、「食べ物を産み出す」性格と「食べ物(作物)の成長を守る」性格を有した女神の信仰は、農耕社会(日本では、弥生・古墳時代以降)からであるとする(『古代学研究 159』 p.4)。そしてイザナミに関連した神話に関しても、稲作農業との接点がないことから(地母神的性格はみられるものの)、原神話は縄文時代に東南アジアから伝えられたもので、のちに高天原神話に取り込まれたとする(『古代学研究 159』 p.7)。一方で、天照大神の方は食べ物を産み出す農業社会の女神としての性格をもち、農耕の守護者である天照大神と農耕の妨害者であるスサノオの対立という信仰が成立する(『古代学研究 159』 pp.8 - 9)。
 美しい若い女性や、ふくよかな体格の母を思わせる姿のものが多い。中にはモイライの様な年老いた女神や、カーリーの様な恐ろしい姿の者もいる。大地や美や性愛を司る神は、各地においてたいてい女神である。それらは往々にして母性と結びつけられ、まとめて「地母神」と呼ばれる。神に人間のような性別があるかどうかは神学においては議論や研究の対象であり、神には性別が無いとする立場からは、単に外見が人間の女性に酷似する神とされる。
 アブラハムの宗教のような一神教においては、唯一の存在である神には性別は存在せず、従って女神も存在しない。父なる神という呼び方も、「父」とは力の象徴とされ、さらにキリスト教においてはイエス・キリストが「アッバ」(ヘブル語で「お父ちゃん」という意味の幼児語)と神を呼んでいたことから、親しさ、親密さを表すものとされ、性別を指してはいないとされる。一方、フランス革命以降のフランスにおいては、キリスト教から脱する考えにおいて、信仰の対象ではなく単なる象徴として、女神が奉られた(自由の女神)。またヨーロッパの多神教時代の民話などを、近代以降に翻案するにあたっても、具体的な神から単なる女神へと置き換えられる場合が多い(金の斧など)。このためヨーロッパでは各地で女神像を散見する。また、カトリックにおいては聖母マリアは崇敬の対象とされ、女神的に扱っていると見られることもある。
 日本神話(高天原神話)における役割
 性差が存在することによって、一神教のような男性優位の社会を主張する流れとは異なる物語の形成に繋がっている。例として、イザナギイザナミの婚姻譚において、男から先に声をかけなかったために失敗したといった流れがあり、一見すると男性優位の物語として語られているように見えるが、その後、産まれた男神であるヒルコを廃し(流し)、女神たるヒルメを立てているところは女性優遇といえるものであり、河合隼雄は著書『中空構造日本の深層』において、男性優位と女性優位の物語を交互に語らせることで、カウンターバランスを成立させ、男女が互いに欠点を補い合うことで安定化を図っているとした社会思想を神話によって語らせているとしている。またアマテラスとスサノオの「清い心を示す勝負」では、男神を生み出したアマテラス=女神に対して、女神を生み出したスサノオ男神を勝たせている。一種、女神の存在は、一方の性を優遇するといった一辺倒な社会の否定に繋がっている。
 『神皇正統記』に「陽神(おかみ)陰神(めがみ)」と表記されているように、陰陽思想の下では女神は「陰」に比定される(『神統記』内では陰神の表記が度々用いられている)。また、日本では女神の呼称の他に「姫神(ひめがみ)」という言葉を用い、これに対して男神を「彦神(ひこがみ)」と呼称する(『広辞苑 第六版』岩波書店より)。
 山神と女神の関係
 日本では山神は女神の場合が多く(後述書 p.103)、山神が男神の場合、狩猟・伐採・芸能を司る。水や生命を育む森・山は基本的に女性原理として表現されるため、山に男女で入ると女神が嫉妬したり、女性の入山自体を嫌う話も多いとされ、山神が生産を司る以上、日本語の「ヲンナ」は「ヲミナ」=産むの意であると捉えられている。
 柳田國男は『妹の力』において、霊山における女性の立ち入りを禁じる結界岩は、多くは、山の中腹にあり、本当に入山を禁じていたのなら、中腹に結界岩を置くのは不自然であり、むしろ禁じていたのではなく、足の弱い女性が頂上まで登らずとも参拝できるようにとの配慮からと考察する。
 女神と笑いの関係
 ギリシア神話には悲しみに沈んだ大地の女神デメテルにバウボという女が自らの性器を見せ、笑わせ、大地の生産力を回復させた話があり、日本神話にもアメノウズメが性器を見せ、神々が笑い、アマテラスが口を開いた話が見られ、怒れる自然(デメテルやアマテラス)に豊穣多産を回復させるために行う話の類型であり、自然を再生させることは、女神を笑わせ、機嫌を取り戻すことで、そうした神話(女性器を見せることで女神の笑いを取る)として表現されたものと松本信広は解釈している。関連は不明だが、古墳時代の女性埴輪の中には性器を強調したものがみられる。
 女神の数
 ギリシア神話の女神の数については、ギリシア神話の固有名詞一覧を参照
 『古事記』に記される280柱前後(神武東征以後は除く)の内、無性別の神・性別不詳の神・男神を除いた女神の数は65柱前後である。この内、オオゲツヒメが殺害されており(『紀』ではウケモチ)、またクシナダヒメの姉妹神もヤマタノオロチに殺されているため、厳密な数は不明。全体数の約4分の1とギリシア神話と比較して少ないが、これは日本神話において無性や性別不詳の神がギリシア神話と比べて多いためであり、例として、八種の雷神、因幡の白兎、サヒモチの神=サメなど人外神が豊富にいる。本州(大倭豊秋津島)=天御虚空豊秋津別も『記』における男神女神の書き順からいえば、女神だが、明記されていないなど不明瞭な部分がある。
 備考
・女神も兼ねた柱というのもあり、例えば、神としての四国は、体一つに顔が四つで、顔にはそれぞれ名があり、男名2、女名2で男女対となっていると『古事記』には記述されている(例、伊予国の神名はエヒメと記され、女神として扱われる)。
・元は女神を祀っていたものが、仏教(厳密には空海)の影響によって男神とされるようになった例としては、伏見稲荷神社がある。逆に観音菩薩などのように、男神だったのが女神として信仰されるようになった例もある。
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