💄73)─1─古事記の食物起源神話。穀物は殺された女神の身体から新たな命を得て生まれた。食べ物への感謝。〜No.146 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本民族は、日本列島の自然災害と異常気象による凶作で食糧を失い、度々飢餓が発生し、数多くの餓死者を出していた為に、石器時代縄文時代から食べる事を神聖視し、弥生時代古墳時代から食べ物を大切にした。
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 真言宗豊山派仏教青年会
 命をいただく
 澁谷快阿 本覚院副住職(新潟県燕市)/越後仏青 越後仏青太鼓隊【天鼓雷音】代表
 世の中は様々な食べ物であふれています。ファミリーレストランや、コンビニエンスストアに入れば大抵のものは食べられますし、手に入れることが出来ます。しかしその反面、賞味期限の切れた食べ物などはすぐさま捨てられてしまいます。食の安全を考えれば、仕方の無いことかもしれませんが、素直に納得できないところがあります。三度の食事が当たり前の様になり、食べ物に対しての感謝の念が薄れつつあるのではないでしょうか。
 私達は食前に、いただきます、と言います。何気なく言っているように感じますが、とても大事な意味が込められています。一体何を頂いているのでしょうか。言うまでもなく、目の前にある数多くの命です。どのような加工をされ、如何なる料理になろうとも、もとは動物や野菜で、私達と同じ瞬間を生きていたのです。多くの命の上に立たせて頂いてこの命がつなげられることに対して、いただきます、と言うのです。
 また食後には、ごちそうさま、と言います。ご馳走とは、馳せ走ると書きます。昔は食べ物が中々手に入らなかったそうですね。自分が口にしているものは誰かが馳せ走り、用意して下さったものなのです。その事に対する感謝の気持ちを込めて、ご馳走様と食後に言うのです。とても麗しい風習だと感じます。
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 洛慈社
 第36回 食と宗教(信仰)①食前・食後の言葉
 2018年5月10日
 ジャーナリスト 内田正幸
 「いただきます」と仏教
 生きるための基本である食(事)。人類史を営々とつなぎとめてきたと同時に、様々な宗教伝承において神聖な行為としての意味を担ってきた。食物や飲物はまず神などに供え物として捧げられ、それを共同体のメンバーが同じ食物を分かちあい共に飲食する。こうした食事を通して人と神が交わり、人と人も交わってきたのである。
 それは、日本の食前の挨拶「いただきます」にも表れている。『語源由来辞典』には、
 {中世以降、上位の者からもらった物や神仏に供えたものを飲食する際にも頭上に乗せるような動作をし食事をしたことから、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ、食事を始める際の挨拶として「いただきます」と言うようになった。}
 とある。挨拶として広く慣習化されたのは恐らく昭和とされ、古くからの伝統であるかは疑問視され由来も諸説あるが、いまでは定着している。
 現在、この言葉には2つの意味が込められていると考えられている。肉や魚だけではなく、野菜や果物にも命があると考え、「○○の命を私の命にさせていただきます」とそれぞれの食材と、食事に携わってくれた人々への感謝の心である。
 また、言葉の背景には仏教用語の「凡夫(ぼんぷ)」が隠れているとの捉え方もある。凡夫とは「煩悩にとらわれて迷いから抜け出られない衆生」のこと。人間は迷いや欲を持って生活しているが、これが自他ともに傷つけたりする人間の罪悪の元となる。せめて意識できる目の前の悪に対しては懺悔し、感謝の気持ちをもって生活する。その現れとして、合掌しながら「いただきます」と発し、頭を下げる動作を生み出したというのである。
 話は逸れるが、最近、「給食費を払っているから、子どもが『いただきます』という必要はない」と主張する親がいるらしい。とんでもない話だが、この親は恐らく、凡夫そのものなのかもしれない。
 ところで、諸外国には「いただきます」とはニュアンスは異なるが、食前の言葉として「Guten Appetit!(ドイツ)」、「Bon appétit(フランス)」、「¡Buen provecho!(スペイン)」など、「良い食事を」を意味する言葉がある。その一方でキリスト教などには食前のお祈りがある。カトリックの神父に聞いたところ、「すべての命の重さは同じというのが我々の根本です。ですから与えられたものに感謝するということは、これは日本の『いただきます』と基本的に同じ」だという。
 「食前のお祈りは、『父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン』というもの。最後に『アーメン』と祈るのは、私たちはこの世のすべてのものは神から与えられたものと考えているからです」。
 ちなみに食後の祈りは、
 「父よ、感謝のうちにこの食事を終わります。
 あなたのいつくしみを忘れず、すべての人の幸せを祈りながら。
 私たちの主イエス・キリストによって。
 アーメン」となっている。
 これも感謝の念と言えるだろうし、感謝に限れば日本の「ご馳走様」と相違はほとんどないのかもしれない。
 「馳走」は本来、「走り回ること」「奔走すること」の意。 一度の食事のために奔走してくれたすべての人への感謝の気持ちを表した言葉で、食事だけではなく、他の人のために奔走して功徳を施して救うこと、苦しんでいる人を助けることを表す仏教用語である。
 このように宗教(信仰)は食と密接な関係があることが多く、それが文化として受け継がれてきたと言える。次回は宗教色が特に強い「食のタブー」を取り上げたい。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 國學院大學國學院大學メディア食物の始まりは、殺された女神から? ―古事記穀物起源神話を知る―
 ARTICLE
 食物の始まりは、殺された女神から?
 ―古事記穀物起源神話を知る―
 古事記の不思議を探る
 文学部全ての方向け国際文化
 文学部教授 谷口 雅博 2018年10月18日更新
 (※画面の右上のLanguageでEnglishを選択すると、英文がご覧いただけます。This article has an English version page.)
 日本最古の書物『古事記』。世界のはじまりから神様の出現、皇位の継承まで、日本の成り立ちがドラマチックに描かれています。それぞれの印象的なエピソードには今日でも解明されていない「不思議」がたくさん潜んでいます。その1つ1つを探ることで、日本の信仰や文化のはじまりについて考えていきます。
 五穀の起源神話は、穀物のはじまりとともに、「おもてなし」の概念が当時からあったことを示唆しています。
 穀物の起源神話は、穀物のはじまりとともに、「おもてなし」の概念が当時からあったことを示唆しています。
 食物は神様の死体から生まれたもの?
 私たちが日頃何気なく口にしている食物。その起源が、『古事記』に神話として描かれています。ある時、天上界の神々がオオゲツヒメという女神に食物を所望した時(スサノオが所望した、という解釈もあります)、その女神は自分の鼻と口と尻から、様々な美味なものを取り出し、それを調理し盛りつけて神々に差し上げました。その様子を見ていたスサノオは、汚い方法で料理を出す女神だと思ってその女神を殺してしまいます。その殺された女神の頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が生じました。その時、女神の身体に生じた種を、天上界の神であるカミムスヒが、スサノオに取らせた、という話です。これが地上界に穀物がもたらされた起源であると考えられます。
 スサノオの成功話として位置づけされる
 この話はスサノオが乱暴行為を働いたことで高天原から追放された後、出雲に降ってヤマタノオロチを退治する話の直前の場面に挟み込まれるようにして記されています。スサノオの乱暴な姿を示しつつも、穀物起源神話はその暴力性がプラスに作用する話として位置付けられ、次のヤマタノオロチ退治神話に繋がって行くのかも知れません。
 日月分離の始まりとも重なる穀物の起源
 『日本書紀』でも同様の神話がありますが、こちらではツクヨミ(月の神)がウケモチという女神を殺します。穀物を生み出す部位、生じるものも、『古事記』と少し違って描かれています。ツクヨミはアマテラス(日の神)に命じられてウケモチのところに派遣されていたのですが、この女神殺しに激怒したアマテラスはツクヨミとはもう同じ天空には居たくないといいます。これが太陽と月が交互に出現することの起源であると説いています。穀物起源の神話に日月分離の起源も重ねられているのです。
 広く世界に見られる穀物起源神話
 このような、殺された女神の身体から食物が生じるという話は、インドネシアメラネシアポリネシアからアメリカ大陸にかけての広い地域に分布しています。ドイツの民族学者イェンゼンはそれらの神話を、インドネシアのセラム島の神話の主人公の名にちなんで、「ハイヌウェレ型」と名付けました。これらの神話は元来芋栽培文化の起源神話として成立したとされますが、『古事記』の場合は稲の他に複数の穀類、蚕も含まれており、より複合的な神話となっているようです。
 ~國學院大學平成28年文部科学省私立大学研究ブランディング事業に「『古事記学』の推進拠点形成」として選定されています。~
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 2018年10月15日付け、The Japan News掲載広告から
 谷口 雅博
 研究分野
 日本上代文学(古事記日本書紀万葉集風土記
 論文
 香山と比婆山(2021/03/10)
 イザサの小浜とタギシの小浜-葦原中国平定神話の地名-(2021/03/01)
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 國學院大學國學院大學メディア伊勢神宮に祀られる食の神ートヨウケ
 ARTICLE
 伊勢神宮に祀られる食の神ートヨウケ
 古事記の不思議を探る
 文学部全ての方向け国際文化
 研究開発推進機構教授 平藤 喜久子 2019年9月12日更新
 (※画面の右上のLanguageでEnglishを選択すると、英文がご覧いただけます。This article has an English version page.)
 日本最古の書物『古事記』。世界のはじまりから神様の出現、皇位の継承まで、日本の成り立ちがドラマチックに描かれています。それぞれの印象的なエピソードには今日でも解明されていない「不思議」がたくさん潜んでいます。その1つ1つを探ることで、日本の信仰や文化のはじまりについて考えていきます。
 穀物と関わりが深い“トヨウケ”
 食べること、それは人間が生きていく上でもっとも重要なことといっていいでしょう。その「食」に関わる神がトヨウケという女神です。
 『古事記』によると、国土や自然に関わる神々を生みだしたイザナミは、最後に火の神を産みます。その出産で大やけどを負って苦しんでいるときに、排泄物からワクムスヒという神が生まれました。ムスヒとは、「生み出す力」を意味します。そのワクムスヒの子がトヨウケです。トヨは豊かであること、ウケは食物を意味します。
 アマテラスの孫のホノニニギとともに地上に下り、伊勢神宮の外宮に祀られたとあります。『古事記』がトヨウケについて語っているのは、これだけです。
 伊勢神宮の神々に食事を提供するために
 後世の資料によると、第21代の雄略天皇の夢で、伊勢神宮に祀られているアマテラスが、一人で食事を十分に取ることができないので、食事の神であるトヨウケが必要だと伝えます。そこで、それまで丹波国(今の京都府)にいたトヨウケを伊勢の外宮にお祀りするようになったといいます。
 伊勢神宮では、いまも日別朝夕大御饌祭という儀式が行われています。この儀式は、朝と夕の食事をアマテラスをはじめとする神々にお供えするもので、その神饌はトヨウケの祀られる外宮で用意されています。
 火と水、そして穀物
 さて、トヨウケの親であるワクムスヒは、火の神の誕生がきっかけで生まれました。ワクムスヒと同じときにミツハノメという水の神も生まれています。火と水の神、そして生み出す力の神が登場した後に生まれていることから、トヨウケは食物のなかでもとくに米をはじめとする穀物と関わりが深い神だと考えられます。
 伊勢神宮で神々に供えられる食事もご飯が中心です。火と水が生まれた後に穀物が誕生するという神話の語りは、とても理に適っていることがわかります。
 日本以外にもいる穀物の神様
 穀物に関わる神というと、ギリシャ神話のデメテルやその娘のペルセポネがいます。麦を広める女神です。北米の神話にはCorn MeidenやCorn Motherと呼ばれるトウモロコシ栽培を教える女神たちが登場します。
 作物を生み育てる大地が女神とされることが多いように、穀物神にも女神が多いようです。謎の多いトヨウケを理解するには、こうした世界の穀物の女神たちの神話が参考になるでしょう。
 ~國學院大學平成28年文部科学省私立大学研究ブランディング事業に「『古事記学』の推進拠点形成」として選定されています。~
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 2019年8月5日付け、The Japan News掲載広告から
 平藤 喜久子
 研究分野
 神話学 宗教学 宗教史
 論文
 神話学と大嘗祭―神話儀礼論の系譜―(2019/07/25)
 ”史”から”話”へ―日本神話学の夜明け(2018/03/01)
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 ウィキペディア
 日本神話における食物起源神話(にほんしんわにおけるしょくもつきげんしんわ)では、日本神話における、食物の起源に関する神話について記述する。
 日本神話における食物起源の記述には、東南アジアでよく見られるハイヌウェレ神話の特徴が見られる。即ち、排泄物から食物などを生み出す神を殺すことで食物の種が生まれたとするものである。
 また、天から食物の種を携えた神が天降って来たとする記述も見られる。これはギリシャデーメーテール神話に類似している。[独自研究?]
 ハイヌウェレ神話型
 詳細は「ハイヌウェレ型神話」を参照
 大気都比売神須佐之男
 『古事記』においては、岩戸隠れの後に高天原を追放された速須佐之男命(素戔嗚尊)が、食物神である大気都比売神(おおげつひめ-)に食物を求めた話として出てくる。
 大気都比売は、鼻や口、尻から様々な食材を取り出して調理して須佐之男命に差しあげた。しかし、その様子を覗き見た須佐之男命は食物を汚して差し出したと思って、大気都比売を殺してしまった。
 大気都比売の屍体から様々な食物の種などが生まれた。頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生まれた。神産巣日神(神産巣日御祖命・かみむすび)はこれらを取って五穀の種とした。
 保食神月夜見尊
 『日本書紀』においては、同様の説話が神産みの第十一の一書に月夜見尊月読命・つくよみ)と保食神(うけもち)の話として出てくる。
 天照大神ツクヨミに、葦原中国にいるウケモチという神を見てくるよう命じた。ツクヨミウケモチの所へ行くと、ウケモチは、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。ツクヨミは汚らわしいと怒り、ウケモチを斬ってしまった。それを聞いたアマテラスは怒り、もうツクヨミとは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
 アマテラスがウケモチの所に天熊人(あめのくまひと)を遣すと、ウケモチは死んでいた。保食神の亡骸の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ると、アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
 稚産霊
 また、日本書紀における神産みの第二の一書には、火の神軻遇突智火之迦具土神・かぐつち)と、伊弉冉尊伊邪那美命・いざなみ)が亡くなる直前に生んだ土の神・埴山媛(はにやまひめ)の間に生まれた稚産霊和久産巣日神・わくむすひ)の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(ほぞ)の中に五穀が生まれたという説話がある。ワクムスビが亡くなる(殺された)かどうかの記述はないが、ハイヌウェレ神話型に分類されるものである。
 縄文の神話
 神話学者の吉田敦彦は、縄文時代中期の土偶の大半が地母神的な女性を表現しており、且つ破壊されている点に注目した。これは「地母神が殺されてバラバラにされ、そこから人々の役に立つものが誕生した」という神話を、女神の表象である土偶を破壊して分割する行為によって儀礼的に再現した痕跡ではないか、と考えたのである[1]。この説によるとハイヌウェレ型神話は芋(あるいは五穀)栽培と共に既に縄文中期に日本列島で知られていた、という事になる。
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 保食神(うけもちのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。神話での記述内容から、女神と考えられる。
 神話での記述
 天照大神月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
 天照大神保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
 解説
 この説話は食物起源神話であり、東南アジアを中心に世界各地に見られるハイヌウェレ神話型の説話である。『古事記』では同様の説話がスサノオオオゲツヒメの話となっている。よって、保食神オオゲツヒメと同一神とされることもある。また、同じ食物神である宇迦之御魂神とも同一視され、宇迦之御魂神に代わって稲荷神社に祀られていることもある。
 神名のウケは豊受大神の「ウケ」、宇迦之御魂神の「ウカ」と同源で、食物の意味である。
 食物神というだけでなく、「頭から牛馬が生まれた」ということから牛や馬の神ともされる。東日本に多い駒形神社では、馬の神として保食神が祀られており、さらに「頭から馬」ということで馬頭観音とも同一視されている。
 食物とそれが生じた体の各部との関係は、朝鮮語に訳すことで説明がつく、とする説がある。一方の古事記にあるオオゲツヒメの説話ではこのような対応関係が見られない。このことから、日本書紀の編者に朝鮮語を解するものがいて、生成物と体部を結びつけたと考える説である(『日本書紀(一)』59頁、61頁)。ただし、現代の朝鮮語と古代の朝鮮語の発音が同一であるという研究は現在まで行われておらず、この説は根拠が希薄であり、極めて疑わしい。
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 大宜都比売神(読み)おおげつひめのかみ
 朝日日本歴史人物事典「大宜都比売神」の解説
 『古事記』の神話に出る,食物ことに穀物の女神。大気都比売神とも。高天原から追われて須佐之男命(素戔嗚尊 スサノオノミコト)が,訪れて食物を乞うと,鼻と口と尻からさまざまな美味なものを出し,料理して奉った。スサノオは,その様をのぞき見ていて,汚物を供すると思い,怒ってこの女神を殺した。すると死体の頭から蚕が,目から稲が,耳から粟が,鼻から小豆が,陰部から麦が,尻から大豆が発生した。神産巣日神(神皇産霊尊)が,それらを取ってこさせて種にしたのが,農業と養蚕の起源だという。「粟(=阿波)の国」の女神とされていることから,五穀のなかでも特に粟と関係が深いことがうかがえる。また羽山戸神の妻となって,若山咋神らの子を生んだといわれていることからは,山との結び付きが示唆されるので,もとは粟に代表される山地の焼き畑の作物の女神だったと想像できる。 縄文時代に,土偶や土器に姿を表現され崇められた女神がその前身だが,女神像だったと思われる土偶のほとんど全てが,破片の状態で発見されることから,縄文時代の人々が,土偶を作っては壊すことで,女神を殺してその体から作物を生じさせようとする祭りを繰り返していたことが想定できる。また料理に使われた深鉢形の土器の中には,口の縁に土偶の顔とそっくりな顔の付けられたものがあり,土器そのものが土偶に表されたのと同じ女神の像であるようにみえる。もしそうなら,これらの土器の中で料理された食物を口にするたびに,当時の人々はまさしく,土器に表された女神が,体から出して与えてくれるものを食べていたことになる。つまり縄文宗教の主神だったこの女神は,体から食物を惜しみなく出して与えてくれる一方で,殺されてはその死体が作物などの発生の母体になると信じられていたので,オオゲツヒメや『日本書紀』の神話の保食神らは,明らかにこの縄文女神の性質をきわめてよく受け継いでいる。
(吉田敦彦)
 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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 大気都比売神(読み)おおげつひめのかみ
 日本大百科全書(ニッポニカ)「大気都比売神」の解説
 日本神話のなかに出てくる食物をつかさどる女神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこの女神に食物を求めたとき、鼻や口、尻から食べ物を取り出して料理し、差し出した。そのため尊が怒って女神を殺したところ、女神の頭から蚕(かいこ)、目から稲種、耳から粟(あわ)、鼻から小豆(あずき)、陰部から麦、そして尻からは大豆が生まれた(『古事記』)。五穀の起源が語られており、これはハイヌウェレ(死体化生(けしょう))型神話の一種である。なお、粟や麦、小豆などの穀物が生まれたとする基盤には焼き畑耕作があり、この神話は中国南部から伝播(でんぱ)したとも考えられる。『日本書紀』では保食神(うけもちのかみ)の話として扱われている。
 [守屋俊彦]
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 保食神(読み)うけもちのかみ
 朝日日本歴史人物事典「保食神」の解説
 『日本書紀』に登場する穀物神。「うけ」は食べ物,「もち」は「持ち」の意。高天原からきた月夜見尊(ツクヨミノミコト)を,口から種々の食物を吐き出して饗応したので,汚いことをするといって怒ったツクヨミに切り殺されたが,その死体の各部分には牛馬,繭,五穀が生じていた,と伝えられる。農耕の起源を語るこの神話には,ツクヨミ保食神を殺したと聞いた天照大神(アマテラスオオミカミ)が激怒してもうツクヨミとは会わないといったために,アマテラスとツクヨミつまり太陽と月とは別のときに空に現れることになったという日月の起源を語る話も含まれており,農耕と日月との密接な関係を示す。『古事記』にみえる類話では,月夜見,保食神に当たる神が須佐之男,大宜津比売とされ,話の内容も単純だが,その方が古いだろう。<参考文献>松村武雄『日本神話の研究』3巻,大林太良『稲作の神話』
 (佐佐木隆)
 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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