💄68)─1─日本民族中心神話(天皇神話)と女性尊重の文化。生理と血の穢れ。月経小屋とケガレ観念。〜No.137No.138 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ローカル民族神話における主要な神の多くは女性神である。
 八百万の神々や日本の食べ物は、天皇の女性神が命を犠牲にして生み出していた。
 日本の草木は、天皇の男性神が日本列島・日本国の津々浦々に植えた。
   ・   ・   ・   
 天照大神:日本の最高神。日本神話の中心に存在する主神。皇祖神。皇室の祖先神。太陽神、農耕神、機織神。伊勢神宮内宮。天皇は神の裔。
 豊宇気毘売神(とようけびめ、豊受大神):食物・穀物を司る女神。豊受大神宮伊勢神宮外宮。
 大気都比売神オオゲツヒメ、オホゲツヒメ、オオゲツヒメノカミ):保食神(うけもちのかみ)。
 弟橘媛(おとたちばなひめ):
 伊邪那美命(いざなみのみこと):
 神功皇后(じんぐうこうごう):
 玉依姫(たまよりひめ):
 豊玉姫トヨタマヒメ):
 宗像三女神(むなかたさんじょしん):
   ・   ・   ・   
 惟神(かんながら)の道とは、自然と神の道であり、全てが日本民族心神話(天皇神話)に繋がっている。
   ・   ・   ・   
 日本の神話は、「食べて生きる」事を神聖視し、食糧を確保する農耕、採取、漁労と養蚕の機織りを神事と位置づけていた。
 血筋血統世襲神話における正統な万世一系の男系父系天皇による宮中祭祀大嘗祭新嘗祭、神田の稲作、養蚕。
 何故「食べて生きる」事が神事とされたのか、それは、日本列島は中国大陸やヨーロッパに比べて食糧事情が悪く、最悪な自然環境の為に周期的な飢饉に襲われる慢性的な食糧不足地帯で、日本民族は食べられる食用草木を探し出して料理し食べて空腹を満たしていた。
   ・   ・   ・   
 マタイによる福音書4・4「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
   ・   ・   ・   
 江戸時代はブラック社会で、男尊女卑が行き渡っていて女性が一人で生きるには過酷な時代であった。
 女性への偏見・蔑視・差別は、現代日本でも根強く残り、女性の自活を妨げそして虐げて不幸にしている。
 この意味において、現代日本は反女性、反天皇、反民族、反神話、反宗教、反日本的マルクス主義社会である、といえる。
   ・   ・   ・   
 男尊女卑・家父長主義・男性至上主義など女性に対する偏見・差別・蔑視は、大陸から渡って来た渡来人が持ち込んだ宗教や哲学・思想・イデオロギーなどによって日本国が侵食され、日本人を毒し男性を傲慢(亭主関白)にさせ、日本社会は女性が生き辛いブラック社会へと変貌した。
   ・   ・   ・   
 BizClip
 人材活用
 経営者のための女性力活用塾(第5回)
 江戸時代から色濃くなる男尊女卑を脱却できず
 2017.02.15
 「日本国内における『女性力』の変遷を歴史的な流れとともに説明する」、後半は江戸時代から現代までを見ていきます。前回、戦国時代までは一概に女性の地位が低いとはいえなかったことを解説しました。しかし、それは江戸時代前後で大きく変化します。そして、その影響が明治以降も強く残り、現在へとつながっていきます。
 江戸時代:男性至上主義が広まる
 近代史の入り口、江戸時代は「これぞ男尊女卑だ」と誰しもが思う時代だったようです。戦国時代の「男児によるお家相続意識」がより色濃くなったこの時代は、「男児が生まれなければお家断絶・取り潰し」が行われました。そのため名の知れた家は男児を持つことに必死であり、その家の嫁や娘へのプレッシャーはかなりのものだったと考えられます。
 当時の風俗史・女性観を知る上で欠かせない書物に、儒学者貝原益軒」による「和俗童子訓」というものがあります。全5巻から成るこの書物は基本的には良い家庭や良い子を育むための教育論書なのですが、その中には「いい女とは、主人や舅姑に慎みを以て仕える・子どもを産める・男の言うことをなんでも聞くなどの女のこと」や「悪い女とは、子どもを産めない・悪い病気になる・おしゃべりが過ぎるなどの女のこと」といった具合に、現代ではにわかに信じられないような女性評の記述がありました。
 仮にも教育論を語る書物の中で、平然と「子どもが産めない女性は悪い」などと書き、それが評価されたことを考えると、やはり当時は「女性蔑視」の意識が社会全体に根付いていたと考えられます。
 また、現代でも言葉として使用される「三くだり半(みくだりはん)」が生まれたのもこの頃。当時の三くだり半といえば「男性が別れたいと思ったらいつでも自由に別れられるが、女性がいくら別れたいと思っても絶対にだめ」というひどいものでした。その理不尽さは、夫があまりにひどい場合の救済策である「駆け込み寺」の建立に表れています。
 これらのことから見て、当時の社会や人々の意識がいわゆる「男性至上主義」「男尊女卑」の下にあり、上流階級や一般庶民に関係なく女性が虐げられていた時代だったと考えられます。
 明治時代から戦前:「女性解放運動」… 続きを読む

 執筆=坂本 和弘
 1975年栃木県生まれ。経営コンサルタント、経済ジャーナリスト。「社員の世代間ギャップ」「女性社員活用」「ゆとり教育世代教育」等、ジェネレーション&ジェンダー問題を中心に企業の人事・労務問題に取り組む。現場および経営レベル双方の視点での柔軟なコンサルティングを得意とする。
   ・   ・   ・   
 ウェジー
 昔の女性も「経血コントロール」はできてない~民話好き視点からの三砂ちづる批判
 【この記事のキーワード】フェミニズム ジェンダー 社会
 私は民話や神話がかなり好きです。以前、この連載でもシンデレラをとりあげて、もともとはこの物語が世界中で昔から語り継がれている民話だったことを解説しました。もともと子供の頃から昔話が好きだったのですが、私が研究しているシェイクスピアなどの英文学はヨーロッパの神話や民話からの影響が大きく、大人になってもこうした物語に触れる機会がたくさんありました。今でも口承文学の語り部にちょっと憧れているところがあり、文章を書くのが好きなのはたぶんそのせいかもしれないと思っています。
 以前の記事ではシンデレラを商業化したディズニーを批判しましたが、私が不満を抱いているのはディズニーだけではありません。今回の記事で民話好きとしてツッコミを入れたいのは、疫学者の三砂ちづるの著作です。三砂ちづる復古主義的・反フェミニズム的な主張については田中美津斎藤環などがいろいろ批判しているのですが、民話をめぐる観点からの批判は人目に触れる形で行われたことが比較的少ないように思います。
 ヤマトタケルと経血コントロール
 三砂ちづるの著作に『昔の女性はできていた』(宝島社、2004)というものがあります。これは、「昔の女性は月経血コントロールができた」(p. 213)ので、それを復活させようということを主張する本です。つまり、昔の女性、具体的に言うとこの本が書かれた2004年に90歳以上くらいだった女性は、月経の時に生理用品を使わず、経血を膣にためてトイレなどで出すコントロールができたが、そうした「大切なからだの知恵」が現代では失われたので「日本の女性のからだはどんどんだめになってしまう」(p. 12)のではないかと危惧しています。
 経血コントロールに医学的な根拠がないことはたびたび言われており、wezzyにも問題を指摘する記事が出ていますし、『生理用品の社会史』の著者である田中ひかる産婦人科医の宋美玄など、専門家による批判もあります。しかしながら、私がこの話を聞いて最初に思ったのは「昔の女性もできてないじゃん」ということでした。
 日本神話の宝庫である『古事記』には、月経が登場する挿話があります。ヤマトタケル尾張のミヤズヒメと結婚した時、ミヤズヒメの着物の裾に「月經(つきのさわり)著きたりき」(倉野憲司校注版、p. 124)、つまり経血が付着しているということがありました。これを見たヤマトタケルは「襲(おすひ)の裾に 月立ちにけり」で終わる歌を作り、ミヤズヒメはヤマトタケルを太陽にたとえ、あなたを待っているうちに月が出てしまったというような意味の歌を返します(倉野版、p. 125)。月が出たというのは月経を指します。生理の大出血がきっかけにしてはずいぶんと雅やかなやりとりですが、この後ヤマトタケルとミヤズヒメは「御合(みあひ)したまひて」(倉野版、p. 125)ということで、ちゃっかりセックスはしたようです。
 経血コントロールのことを聞いた時に私が最初に思い出したのはこの『古事記』の神話です。たまたまですが、私が高校の時に受けた国語の授業で、上代の日本語の例としてヤマトタケルの話が現代語訳つきで全部のっている資料が配られたことがありました。私はその時から神話好きだったのでちゃんと資料を全部読んだわけですが、この経血の話はちょっとインパクトが強すぎたのでよく覚えていました。『古事記』のお姫様だってできてないのに何が「昔の女性はできていた」だ! この人は昔の日本の習慣を大切にしたいらしいのに、日本の神話も読まないのか! と思いました。
 まあ、ミヤズヒメは古代神話の登場人物なので、2004年に90歳以上だった女性に比べるとちょっと昔の人すぎるかもしれません。そうはいっても、山田ノジルなどが既に分析しているように、実は『昔の女性はできていた』には経血コントロールができていたらしい女性がほとんど登場しないのに、なぜかうやむやのうちに昔の人は経血をコントロールしていたことになっている、という問題があります。この著者は本気で昔の女の人のことを調べる気があるんだろうか……と私は思いました。
 オニババは超多産
 三砂ちづるが同年に刊行した『オニババ化する女たち』(光文社、2004)は、「日本の昔話には、よくオニババや山姥が出てきます」(p. 3)という文章から始まり。オニババが小僧などを襲う昔話についての説明があります。そして次の段落にはこんな指摘が書かれています。
 社会のなかで適切な役割を与えられない独身の更年期女性が、山に籠もるしかなくなり、オニババとなり、ときおり「エネルギー」の行き場を求めて、若い男を襲うしかない、という話だった、と私はとらえています。
 この「エネルギー」は、性と生殖に関わるエネルギーでしょう。(中略)それを抑えつけて使わないようにしていると、その弊害があちこちに出てくるのではないでしょうか。 民話好きの私はこれを読んでビックリしました。というのも、山姥とか鬼婆は子持ちに決まっていると思っていたからです。金太郎は山姥の子供だというお話がありますし、元祖鬼婆と言えそうな鬼子母神は極めて多数の子供を持つ母親でしたが、他人の子供を食うということで恐れられ、ブッダに諫められて出産の神に生まれ変わりました。
 山に住んでいて人を食うような女性の怪物は山姥、鬼婆、山母、山女、山姫などいろいろな呼び方で呼ばれますが、かなり複雑怪奇な存在です。単に破壊的であるだけではなく、しばしば非常に多産で、幸運をもたらすこともあり、自然がもたらす危険と豊穣の両方を象徴するようなところがあります。柳田国男は『山の人生』で山姥と出産をめぐる民話をとりあげていますし、吉田敦彦『昔話の考古学』第2章では、異常に多産な山姥の民話がいくつも紹介されています。国際日本文化研究センターが提供している怪異・妖怪伝承データベースにも、鬼婆に子供がいる話とか、子持ちの山姥が安産祈願のため祀られている話とかが複数登録されています。
 こういう昔話を眺めていると、鬼婆とか山姥というのは「性と生殖に関わるエネルギー」を持て余している「独身の更年期女性」どころか、生殖エネルギーをフル活用して子供を産みまくっている女性です。地母神系の女神が凶暴で破壊的なのは神話の世界ではとくに珍しいことではなく、山姥が多産で人食いなのも驚くようなことではありません。三砂ちづるは「昔話でいうオニババというのは、(中略)女の人というのはある程度に時期になったら、きちんと相手を与えて、子どもを産ませて…とどういうことさせておかないと、こんなふうになっちゃうぞ、というメタファー」(p. 231)だなどと言っていますが、これには根拠がありません。むしろ鬼婆は、荒ぶる母性のようなものを象徴する姿で出てくることのほうが多いのです。
 民話を翻案・再話して新しいフィクションを作り出すのは全く問題ないと思いますし、むしろクリエイティヴなことです。しかしながら、三砂ちづる『オニババ化する女たち』は、民話の鬼婆の姿を完全に無視し、自分の頭の中で勝手な鬼婆像を作って、そこから導き出した道徳を現代女性に対して説こうとしています。「日本人は、昔はすぐれたからだを持っていたのに忘れるのが早い」(『オニババ化する女たち』、p. 248)などと言っていますが、日本語で語りつがれてきた面白い民話については、忘れるどころか調べもしないのです。
 三砂ちづるに限らず、昔の日本をことさらに称賛する人々は、日本の神話や民話、古典などの文化を保存することには無頓着だったりします。民話や神話は過剰な愛国心を煽るために使われやすいものなので、度が過ぎた礼賛などには注意する必要がありますが、『昔の女性はできていた』や『オニババ化する女たち』はそれ以前の問題を抱えています。昔のことを礼賛しているわりに、全く昔の物語を大事にする気がないのです。
 参考文献
 上野千鶴子他『バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』双風舎、2006。
 倉野憲司校注『古事記岩波文庫、1977。
 鈴木菜穂「金太郎と民間説話」『口承文芸研究』21 (1998):48-62。
 高島葉子「山姥とハッグ妖精の比較研究―日本とブリテン諸島における民間信仰の女神 とその源流」、博士論文、大阪市立大学、2014。
 田中ひかる『生理用品の社会史-タブーから一大ビジネスへ』ミネルヴァ書房、2013。
 田中美津『かけがえのない、大したことのない私』インパクト出版会、2005。
 蓮田善明訳『現代語訳古事記岩波書店、2013。
 三砂ちづる『オニババ化する女たち』光文社、2004。
 三砂ちづる『昔の女性はできていた-忘れられている女性の身体に“在る”力』宝島社、2004。 
 柳田国男遠野物語・山の人生』岩波文庫、1976。
 吉田敦彦『昔話の考古学-山姥と縄文の女神』中公新書、1992。
 若尾五雄『鬼伝説の研究-金工史の支店から』大和書房、1981。
   ・   ・   ・    
 YAHOO!Japanニュース「森氏の発言に考える 女性尊重の文化をもちながら、女性の社会進出を阻む日本
 2021年2/28(日) 9:02配信
 Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE
 女性蔑視発言で森喜朗氏が東京オリンピックパラリンピック組織委員会の会長を辞任しました。後任の会長には、スピードスケートや自転車競技でオリンピックに出場した橋本聖子氏が就くことになりました。
 【中継録画】五輪組織委の森喜朗会長「女性蔑視」発言を説明
 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「日本は本来、女性蔑視どころか女性尊重の文化」としたうえで、「現在の社会制度と日本人の意識が、急速に変化する国際感覚から取り残されている」ことが問題の本質だと見ているようです。若山氏が独自の視点から論じます。
 日本文化は女性蔑視か
 自身の発言がきっかけとなり、東京オリンピックパラリンピック組織委員会の会長を辞任することになった森喜朗・元首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
 森喜朗氏発言への批判は、燎原の火の如く燃え広がった。
 政治家の失言は野党やマスコミの餌食となるものだが、今回はまったく様子が違っていた。女性はもちろん、味方であるはずの自民党からも、財界からも、海外からも、ボランティアからも、スポンサーからも批判が相次ぎ、世界をあるいは時代を敵にまわした格好だ。本人が目を丸くしている様子が見て取れる。気の毒な印象もあるが、時代の変化に鋭敏とはいえない人物が、平等の理念を掲げる国際的な大イベントにかかわる組織のトップに居座り続けていたことに、日本(特に自民党)政治の錆びつきが現れているのではないか。新型コロナウイルスによって行政機構の錆びつきが明らかになったのと同根の現象だろう。
 気がかりなのは、海外からの反応が非常に強いことだ。もともと欧米には「アジアは遅れた社会」という偏見があるが「中でも日本は女性蔑視の封建的な国」という意見が広がり、日本製品が嫌悪されるようなことになれば、われわれの経済生活にも影響を及ぼしかねない。
 たしかに今の日本では、女性が社会的地位を得る比率が低いようだ。大学に勤めていたので、女性の成績と能力の高さを目の当たりにしてきたが、にもかかわらず、政治、行政、公共機関、大企業などに、旧態たる男性社会的な慣習が残っているのは大いに改善の余地がある。僕自身、今の日本は中枢組織の大改革が必要だと書いてきて、デジタル化と女性の活躍がその鍵となる可能性があると考えていた。
 しかしこのことから、日本文化そのものが女性蔑視だという意見が広がるとすれば、それは違うといいたい。ここで、海外の人や若い人に誤解されないよう、本来の日本文化はむしろ女性尊重の文化であったこと、そしてなぜ今回のようなことが生じたのか、これから日本はどういう道を歩むべきかを論じておきたい。
 女性神から始まる国
 日本文化史の原典ともいうべき『古事記』『日本書紀』における神話の主役は、いうまでもなく「アマテラス(天照大神天照大御神)」という女性神である。あまねく世界を照らす太陽神であり、高天原を統括する主神であり、皇室の祖神ともされている。スサノオ(素戔嗚)という乱暴者の弟がいるが、この姉と弟が日本の女性と男性の性格の原型をなすともいえる。つまり日本社会では、いかにもヤンチャな弟のような男性が上位に立つように見えながら、実のところは賢くて優しい姉のような女性が世の中を上手に運営していることが多いのだ。
 たとえばギリシャ神話の主神ゼウスは男性神であり、西洋における神のイメージの原型となっている。またキリスト教のイエスイスラム教のマホメッド、仏教の釈迦、儒教孔子など、世界的な宗教の、神格を帯びた祖師たちはことごとく男性である。もちろん世界には女性神も多くそれを崇拝している社会もあるが、日本はそもそもの創世神話において、女性神の国として出発したという文化的特徴があるのだ。
 仏教において、あまねく世間の苦を救うとされる観音菩薩は、もとは男性神であったというが、中国、日本では慈悲深い女性として現れる。天草や五島などの隠れキリシタンにおいては、この観音信仰がマリア信仰とつうじている。また、子を想う母親の情を神格化した鬼子母神も、日本人の親子の情に同調して人気がある。
 こうしたことを考えれば、日本は、女性蔑視どころか女性崇拝的な文化をもつ国だといえるのだ。
 日本社会の底に流れる女性尊重の文化
 優れた歌人として知られる美智子上皇后(写真:つのだよしお/アフロ)
 古代、中国文化の影響を強く受けた時代から、一転して日本的な文化が発達したのは、菅原道真遣唐使を廃止して以後、いわゆる国風文化の時代である。「仮名」という日本製アルファベット(音標文字)が発明されたことが大きかったが、これは女性の文字とされたのだ。
 そこに王朝文化における女性文学の花が咲いた。清少納言の『枕草子』、紫式部の『源氏物語』といった、世界にも類例を見ないレベルの随筆と長編小説が登場したのは、日本文化のもっとも誇るべきところである。遅れていたどころか、日本は世界でもいち早く女性文化が成熟した国なのだ。明治以後も、樋口一葉与謝野晶子から美智子上皇后に至るまで、文学(特に短歌という日本文化の正統)において、女性がその高峰をきわめていることはいうまでもない。
 中世は「武の論理」と「家の論理」で構成された封建社会であったから、他の多くの国と同様「男系」が表向きの社会秩序を形成したが、戦場で失敗すれば命を落とすのであるから、男尊といってもあまりいいものではなかっただろう。
 日本文化論の古典ともいうべき『菊と刀』において、ルース・ベネディクトは次のように述べている。「日本の婦人は他の大部分のアジア諸国に比べれば大きな自由をもっている」「日本では妻が一家の買い物をし、一家の財布を預かっている」「婦人は召使いを指揮し、子供たちの結婚に当たって大きな発言権をもっている…姑になると…断固たる態度で家庭内の一切の事務をきり回す」(長谷川松治訳・現代教養文庫)これは戦前までの伝統的な日本社会についての分析である。日本は本来、女性尊重の国ではないか。逆に見れば、家の内の女性の立場がきわめて重要なものであったことが、外に出て働くことを控えさせていたのかもしれない。
 そう考えると、問題は、近代的都市化の過程で、特に最近の工業社会から情報社会への変化の中で、他の国ほどには女性の社会進出が進んでいないという現象ではないか。
時代に取り残される日本
 僕は歳の離れた末っ子で、生母も継母も叔母たちも姉たちもかなり古い世代に属するのだが、彼女たちの人生は、男尊女卑どころかむしろ逆で、進歩的で、教養もあり、しっかりとした意見をもって、社会に羽ばたき家庭をリードしてきた。特に篠田桃紅という叔母は、伝統的な書道に革命を起こし、単身渡米して世界的な抽象美術に達した芸術家で、その断固たる意志が作品の力となって現れている。彼女に女性であることのハンデについてたずねると「抑えられても抑えられても出てくるのが才能というものだ」と答える。要するに、孤高の創作に立ち向かう一人の人間として、人種や性別など問題にしていないのである。そういう環境で生きてきた僕は、現在よりむしろ戦前から戦後を生き抜いた女性の方が、社会進出に意欲的であったような気もするのだ。
 つまり問題は、日本社会が女性蔑視の文化に根ざしていることではなく、現在の社会制度と日本人の意識が、デジタル・トランスフォーメーションはもちろん、気候変動や新型ウイルスの脅威、人種や性による差別などの点で、急速に変化する国際感覚から取り残されていることではないか。今、目指すべき改革は、社会制度の改革であるとともに国民意識の改革でなければならない。またそれはこれまでのように欧米だけを追いかければいいというものではなく、むしろアジアを重視し日々変動する世界全体に目を開くものでなくてはならない。決定的な外圧によらず自主的に大改革を断行するには、女性も男性もよほど覚悟を決める必要があるように思える。
 いずれにしろ、政治家あるいはそれに準ずる立場の人の公的発言は、時代の社会力学によって思いもよらぬ大きな反響を呼ぶ。情報のグローバリズムが進行する現代、インターネットも含めメディアの増幅力が大きくなって「国際炎上」ともいうべき状況を招きやすい。公的な人間には、自己の思想信条に忠実であることとともに、その時代の力学を鋭敏に感知し的確に応じる能力が必要とされる。
 たまたまオリンピックによって、日本の公的分野における人材不足が露呈された格好ではないか。
   ・   ・   ・   
 クオリティ埼玉
外交評論家 加瀬英明 論集
 なぜ日本の最高神は女性なのか
 2017年09月06日
 日本神話は日本民族のものであって、優しいという大きな特徴がある。神話は、民族の姿を映す鏡である。神話が編まれた時代から、日本人のかぎりない優しさが、表われている。
 日本神話では、なぜか、女神のアマデウス(天照)大御神が、最高神である。至上神が女であるのは、他の主要な文明の神話に見られないものだ。
 男は従うものに厳しい規律を課すが、女は優しく守ってくれる。
 中国の最高神である天帝は、男だ。朝鮮の檀君神話の至上神は上帝桓因であるが、やはり男性神である。
 ギリシャ神話では、男性神のゼウスが最高神である。ローマ神話ユピテルも男であって、ゼウスと同じように雷を武器として、高天から世界を支配する。
 北欧神話の主神であるオーディンも、男性神である。風がことさらに強い地域だから、オーディンは風の神である、「吹く」という意味だ。神話も、民芸品なのだ。 
 古代エジプト最高神のラ―も、男性神であって、太陽神である。頭部は鷹で、頭上に日輪を戴いている。バビロニア神話と、ペルシア神話のそれぞれ主神であるマルドゥクと、アフラ・マズダ―も男性神である。
 アマテラス大御神の弟神のスサノオノ(素戔鳴)命が酔って、大御神が高天原で丹精してつくった稲田である営田をめちゃくちゃに壊し、そのうえ神聖で、清浄な宮殿に、大便と尿をして、汚してしまう。だが、アマテラス大御神は、「屎なすは、酔いて吐き散ら」したのだからといって、ゆるした。
 それでも、スサノウノ命は改悛することがなかった。
大御神が祭りのために、衣服を織らせていた服屋の屋根に穴をあけて、こともあろうに、皮を剝ぎ、血みどろの野馬の死体を投げ込んだ。アマテラス大御神は弟神を罰することなく、天岩屋戸のなかに閉じこもって、姿を隠してしまった。
 ギリシャ神話をはじめとする他の神話は、酷くて、残酷きわまりない。
 ゼウスは神の1人であるプロメテウスが、天井から火を盗んで、人間に与えたために、罰としてコーカサスの岩山の頂きにはりつける。そして大きな翼をもつ鷲を送って、腹を割かせて、内蔵を食い散らかせた。
 それも、毎日である。プロメテウスは不死であるから、鷲が日没とともにねぐらへ帰ると、体が回復してしまうために、耐えられない苦痛を味わった。
 北欧神話も、聞くに耐えないような、血腥い物語りによって、彩られている。
 神話は作り話だといって、斥けてしまってはなるまい。
 神話は古代人が、世界観を述べた物語である。古代人は幻想的であるからこそ、それが真実だと思って、神話を伝えたのだった。神話には、それぞれの民族のありかたと、性格が表れている。
 ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか  四章 日本神話の独特な世界
   ・   ・   ・   
 女性自身TOP > ライフ > 健康 > 権力が作り上げた「血穢」という意識…「生理」の歴史を振り返る
 権力が作り上げた「血穢」という意識…「生理」の歴史を振り返る
 ここ最近、よく話題に挙がる「男性はげたを履かせてもらっている」説。今夏発覚した東京医科大学の不正入試問題では、男子学生に加点するいっぽうで、女子学生は減点していたことが明らかになった。
 平成も終わろうとしているこの時代に、「男性にげた」どころか、いまだに女性というだけで「逆げた」を履かされる残念なニッポン。そんな「逆げた」の存在について考えるときに見過ごせないのが、女性にだけ訪れるアレ――。そう「生理」だ。
 女性活躍がしきりに叫ばれるいっぽうで、「出産」という生命の一大イベントと密接に関わる「生理」は、「逆げた」の大きな要因になっているにもかかわらず、なぜかタブー視され続けている。
 あまりに身近な存在のため女性自身も無自覚になりがちだが、その苦労を女性が「自己責任」であるかのように背負わされ、男性は「知らなくて当たり前」とされるのはいったいなぜ? 改めて考えると「シンプルに不思議」!
 これからの時代に、女性はもちろん、男性も知っておきたい「生理」のこと。「生理」が“穢れ”と見なされた歴史を振りかえろう。
 その歴史をひもとけば、日本人の総氏神天照大神という女神であり、最初の国家・邪馬台国の首長は卑弥呼――。
 このように女性を長としていただいてきたはずの日本だが、生理(月経)はいつしかタブーな存在となり、女性は穢れと見なされるようになっていった。その理由はいったいどこにあるのだろう。そのルーツを、歴史社会学者の田中ひかるさんに解説してもらった。
「太古の昔から血液への恐れがあったことと関連して、もともと世界各地に『月経禁忌』は存在しています。なにしろ、『タブー』そのものの語源が、ポリネシア語で『月経』を意味する『タブ』であるほどですから。ちなみに、世界の三大宗教とされるキリスト教イスラム教、仏教は、みな月経を穢れと見なしています。いっぽう、古代日本では月経はタブー視されていなかったと考えられています。『古事記』(712年)には、ヤマトタケルノミコトがミヤズヒメのもとを訪ねると、彼女の月経が始まっていたことが、2人の歌とともに記されています。それでも2人は『婚合した』とあることから、少なくとも律令制(中央集権制度)成立前の日本では、女性の穢れという概念はなかった、というのが、一般的な解釈です」(田中さん・以下同)
■時の権力が作り上げた「血穢」という意識
変化が訪れるのは、平安時代。中国(唐)の律令格式という法典を取り入れ、伝統的な母系社会から唐伝来の家父長制へと転換していく過程で、「女性は穢れ」という概念も輸入されたと見られる。
「平安初期に施行された『弘仁式(820年ごろ)』で初めてお産が穢れと規定され、さらに『貞観式(871年)』や『延喜式(927年)』が規定されました。こうした考え方は、当時はまだ宮中祭祀などに限られたものでしたが、やがて仏教の世界にも広がり、徐々に貴族社会にも定着していったようです。さらに中世以降には、神社でも血穢について規定がなされ、女性の穢れは広く浸透していくことになります」
室町時代に入ると、またも大陸から、『血盆経』なる偽経が伝来。
「これは、女性は月経や出産の際に経血で地神や水神を穢すため血の池地獄に落ちるが、血盆経を信仰すれば救われるというものです。『さてあさましく/つきのやく……(中略)三世の諸仏を汚すなり』といったお経も残されています」
■’70年代まで続いた時代錯誤な「月経小屋」
こうした「穢れ」の意識は江戸時代に入ってもなお連綿と続き、ついには、庶民の暮らしとも密接に関わるように。
「その代表的なものが『月経小屋』。火が穢れをうつすという考えにもとづき、生理中の女性はほかの人たちと同じ火を使わないよう、専用の小屋に入ることを義務付けられたという記録が各地に残っています。この月経小屋は地域によってさまざまな名称がつけられていましたが、『不浄小屋』『よごれや』などという名もありました」
そして驚くべきことに、この月経小屋、’70年ごろまで日本に存在していたというのだ。
「表向きには1872年(明治5年)に政府が発布した太政官布告によって、産穢・血穢は廃止されました。きっかけは、開国当初、大蔵省(当時)を訪ねた西洋人が、妻の『産穢』を理由に欠勤した役人に『文明開化の時代に、何をしているんだ』と抗議したことだといわれています」
それでも、月経小屋は長く存在し続けた。ほかにも、軒下で過ごしたり、食事を外でとらさたといった不文律は各地で継承され、「まるで罪人扱い」「子どもにまで差別されて悲しかった」という証言が残されている。
「つい数十年前まで、生理に対する『穢れ』の意識は生活に深く根ざしていたのです」
■歴史を動かしたのは一人の「主婦」だった
千年以上も続いた「穢れ」の意識。しかし、’61年に誕生した「アンネナプキン」が、女性自身の生活も意識も、大きく変えた。
「これが日本で初めて生まれた使い捨てナプキンです。生みの親である坂井泰子さんは、もともと専業主婦。この商品の登場によって、それまでカット綿や脱脂綿を使ってしのいでいた女性の生理が格段に快適になっただけでなく、おしゃれなパッケージと商品名で、生理そのもののイメージをも一変させたのです。それまで『月経』という言葉を口に出せなかった女性たちも、『アンネ』という代名詞で語られるようになったのですから。高度経済成長期を経て女性の社会進出は飛躍的に進みましたが、もしこの使い捨てナプキンが誕生していなければ、その歩みはもっと遅れていたことでしょう」
宮廷権力の強化をはかった、時の為政者により生み出された「血穢意識」。千年の時を超え、その意識の払しょくに大きな役割を果たしたのは、市井の一人の主婦だったのだ。
 光文社]
   ・   ・   ・   
 Japaaan Japaaanマガジン ライフスタイル
 女性差別?女性を守るため?かつて日本に生理中の女性を隔離する「月経小屋」が存在した理由
「恥ずかしい」「穢れ」そんな考えのため多様化が遅れた日本の生理対策
以前日本の生理用品の歴史についてご紹介しましたが、現在日本女性の使用している生理用品は「ナプキン」がほとんどです。ナプキンと同じくらい古くから使用されている「タンポン」は、2割程度の女性にしか使用されていません。
 日本の生理用品にも歴史あり!昔の女性は「生理の日」どうしていたの?
 しかし欧米を見てみると「ナプキン」「タンポン」だけでなく、「月経カップ」「ムーンパンツ」など便利で多様な生理用品が使用されていることが分かります。
 日本でも最近は「布ナプキン」など普及してきていますが、人によっては合わないこともあり、やはり選択肢の少なさは否めません。
 日本で生理用品の選択肢が多様化しなかった背景には、日本社会に
 「月経中の女性は穢れている」
 「月経について口にするのは恥ずかしいこと」
 いう考え方が「常識」として存在していたことがあります。
 このことは生理用品の選択の幅を狭めただけでなく、生理中の女性を隔離するための施設「月経小屋」まで作り出しました。
 日本にかつて実在した「月経小屋」とは?
 「月経小屋」とはその名のとおり、生理中の女性が他の家族や地域の人と接することがないように隔離するために使用されていた施設です。
 とは言っても全国各地に必ず設置されていたわけではなく、主に瀬戸内海や伊豆諸島など西南日本の島々に存在するものでした。地域によって「タビゴヤ」「ヒゴヤ」「よごれや」「不浄小屋」などと呼ばれていましたが、いずれにせよあまり「喜んで入りたい!」と思えるような名称ではありません。
 それもそのはず、生理中の女性をこのような小屋に隔離する目的は
 「生理中の女性は不浄である」
 「男性は生理中の女性に接すると危険である」
 という考えにもとづくものだからです。
 このように月経中の女性を「穢れている」として隔離する習慣は、なにも日本固有のものではありません。
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 穢れ
 穢れ、汚れ(けがれ)とは、忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・性交などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる。
 一般の穢れ観念
 手や体を水で洗うことは目に見える汚れを落とすと同時に「穢れを祓う」ことでもあると考えられている。近・現代の自然科学的な説明体系では手や体を水で洗うことは「病原体を洗い流すために洗う」などと説明するが、そうした説明体系・観念体系とは異なった言葉の体系となっている。
 穢れ観念は現代でも禊、灌頂や洗礼を始め様々な宗教儀式に名残を留めている。
 穢れているとされる対象としては、死・病気・出産・性交・女性・怪我・排泄、ならびにこれらに関するものが代表的である。
 自らの共同体以外の人(他県人・外国人・異民族)やその文化、特定の血筋または身分の人(不可触賎民など)、特定の職業(芸能、金融業、精肉業等)、体の一部(左手を食事に使ってはならない等)なども穢れとされることがある。これらは必ずしも絶対的な穢れというわけではなく、行為などによって異なることが多い(例えば、ある動物に触れるのは構わないが食べてはいけない、など)。
 穢れの観念は民間信仰はもとより、多数の有力宗教にも見られる。ユダヤ教では古くから様々な穢れの観念が事細かに規定され、これは食タブーなどに関してイスラム教にも影響を与え、現代でも多くの人々の生活様式に影響を残している。バラモン教の穢れ観念は現代のヒンドゥー教に受け継がれ、また仏教にも影響を残した。月経や女性を穢れとするのは古代インドの思想とその影響を受けた仏教由来のものである。
 「穢れ」に対立する概念は「清浄」または「神聖」であるが、穢れと神聖はどちらもタブーとして遠ざけられる対象であり、タブーであることだけが強調されて、必ずしも厳密に区別できないこともある。例えばユダヤ教では動物の血は食に関する限り「不浄な生き物」と同様に忌まれるものであるが、これはユダヤ教において「血は命であるから食べてはならない」(申命記)と説明される神聖なものであることに起因するものであり、決して穢れたものであるからではない。
 類似語でユダヤ教/キリスト教では罪という言葉で聖書に表されている。詳しくは原罪を参照。
 日本
 仏教、神道における観念の一つで、不潔・不浄等、理想ではない状態のことである。併せて「罪穢れ」と総称されることが多いが、穢れは死・疫病・出産・月経、犯罪等によって穢れた状態の人は祭事に携ることや、宮廷においては朝参、狩猟者・炭焼などでは山に入ることなど、共同体への参加が禁じられた。戦後の民俗学では、「ケガレ」を「気枯れ」すなわちケがカレた状態とし、祭などのハレの儀式でケを回復する(ケガレをはらう、「気を良める」→清める)という考え方も示されている。この点については「ハレとケ」の項目も参照。 類似の観念は他の宗教や民間信仰にもある。これらについては一般の穢れ観念の項を参照。
 日本神話における穢れ
 日本神話では、天つ罪・国つ罪との言葉で大祓詞に示されている。天つ罪を例にすると、畔放(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、串刺(くしざし)、生剥(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸(くそへ)である。これらは須佐之男命が行った行為であるが、いわゆる禊ぎと祓いと八岐大蛇退治によって名誉を挽回した。
 黄泉の国から復ったイザナギは禊をしている。これは、黄泉の穢れを払う行為であり、その最中に三貴子など何柱もの神々が誕生した。また、祓われた穢れそのものからも神が誕生した。スサノオがアマテラスの屋敷に天斑駒を乱入させた故事において従女の死である「死の穢れ」が初出である(「穢れ」については古事記の黄泉国譚が初。ただし、イザナミが穢れているとの記述はない。穢れたのはあくまでもイザナギである)。古事記の黄泉国譚のイザナギの穢れは、黄泉国へイザナミを追いかけていき連れ戻そうとするなど、タブーを犯したことである。
 神道と仏教
 両者とも穢れに対する意識はあるが、もっとも異なるのは、死そのものに対する考えで、神道では死や血を穢れとするが仏教では神道のようには死を穢れとみなさない[要出典](※下記「穢れ観念の起源」の説明と相違あり)。葬式などは、仏教では寺で行うこともあるが、神道では神域たる神社ではなく各家で行う。これは神聖なものがなんであるかの違いであり、また、清めの塩は穢れた自分を清めているものである。数珠を左手に巻くのは自分の左手を不浄として数珠で浄めているのである。死においてはその精神状態が最も重要視されるため、亡くなった方だけでなくその身内も忌中の間は神域に立ち入ることは一般には許されない。一方で、死者を神として祀る神社があったり、また墓である古墳も神域と見なされる。仏教では、死は次へ転生する輪廻という世界の有り様であり、これを否定するような概念は存在しない。その現象から自ら抜け出そうとする。仏教での穢れは、潜在力として蓄積されることを嫌うものであり、こちらは論理的根拠に基づく。
 日本人にとって神は超自然的な物であり、畏れられると共に敬われもした(御霊信仰など)。また死者は清められ、特定の死者はその魂を神として祀る。これらの神と穢れは相成り得ないもので、神社での手水舎は、外界での穢れを祓うために設置されている。
 日本での仏教は神道との習合がいたるところで存在し、両者での考えが入り乱れていることもある(寺院における鳥居、建築様式など)。穢れも同様である。
 穢れ観念の起源
 平安時代に日本に多く伝わった平安仏教は、この思想を持つものが多かったため、穢れ観念は京都を中心に日本全国へと広がっていった。また、平安時代後期以後、国家鎮護や天皇・貴族のために加持祈祷を行う上位の高僧(学侶)には皇族や貴族出身者など上流階級出身者の子弟が増加し、彼らは神祇祭祀の主催者である天皇に仕えるために身の清さを維持する必要が生じたため、葬儀など穢れに接する可能性の高い行事へは参加をせず、堂衆と称された下級僧侶や遁世僧と呼ばれる聖が行うようになり、僧侶間の階層分化を進める一因となった。一方で、日本における穢れの思想は神道の思想や律令法で導入された服喪の概念とも絡み合って制度化されるなど、複雑な発展を遂げていった。10世紀前半成立の『延喜式』では3巻の「臨時祭」の中に、「穢悪」のリストがあり、死や出産、六畜の肉食が挙げられ、他の箇所でも穢に言及されている。(尚、延喜式の穢れに対する忌みの措置は、参加を禁じるためでは無くその一定期間を過ぎたら出勤するようにと規定しているものである。)藤原実資は日本の穢れは天竺(インド)・大唐(中国)にはないものであると解しており(『小右記』万寿4年8月25日条)、藤原頼長も穢れの規定は(中国からの移入である)律令にはなく、(日本で独自に制定した)格式に載せられていることを指摘している(『宇槐雑抄』仁平2年4月18日条)。
 賎視から不浄視へ
 神道の穢れは禊ぎ祓い等により解除する事が出来るが、仏教の穢れ観は仏陀の女性蔑視と同様に生来のものとして固定されてしまうものであった。
 神道との関連
 学者の網野善彦などの研究により、被差別民と天皇との密接な結びつきが明らかとなっている。天皇を「清め」(不浄なものの浄化)の職能の最高者とみる説もある。高取正男は仏教の不浄観によって「ケガレ」の観念が変容したと見ている(『神道の成立』)。
 また、祓いとの関連においては、祓いは本来穢れを除去するものではなく、穢れをもたらした者などが神に対する謝罪などの意味で財物を捧げる行為(天津罪・国津罪などに対する財産刑)を指し、中世日本の神社においては穢れを理由として祓いそのものが一定期間中止・延期された事例の存在が指摘されている。
 祓詞では、祓戸大神が罪や穢れを清めるとしている。
   ・   ・   ・