⛹12〕─1─自然災害多発地帯で生きる日本民族日本人は、不安遺伝子が多く神経神経質で、臆病と小心でストレスに弱い。その対処法は。No.41No.42No.43  *   

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・   
 新約聖書ヨハネによる福音書)「私はどこから来たのか、何処へ行くのかを知っている」
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 人間の脳神経細胞は、30歳頃から1日に10万個が死滅し、記憶力が低下して新しい情報を覚えられなくなる。
 ただし、頭の使い方によっては神経ニューロンを増やし記憶力を維持する事ができる。
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 正気を保ち道理をわきまえ正常に考える者にのみに、人としての品格・品位・品性が与えられる。
 自分の愚かさを欺瞞で隠し、インターネットに隠れ匿名で正義面して他人を非難中傷する者には人としての分別は存在しない。
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 日本民族日本人は、絶対神に憎まれ見捨てられるように、荒れ野の如き自然災害多発地帯に撒かれた「悪い種」である。
 日本民族日本人は、絶対神から愛される事がない劣った種族である。
 日本民族日本人は、自然災害多発地帯という最悪な環境に放り出された憐れな人間である。
 絶対神は、奇跡や恩寵で日本民族日本人を自然災害から救済せず見放している。
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 孤独を恐れて、寄り添って泣き、慰め、癒やし、励まし合う、哀れな集団的日本民族
 何時かは死滅する定めの寂しい日本人。
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 日本人は、苦しい時辛い時不安な時困った時は神頼みとして、生活の中に宗教を利用するのが上手い。
 絶望に向き合う精神的勇気がない為に、神仏に丸投げして逃げ出していた。
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 林房雄「仏教には入山と出山という言葉がある。人に道を説くためには、まず山にはいって仏陀に問い、おのれ自身に問う時間と修業が必要である。……日本民族はいましばらく歴史の舞台から退き、入山して天に問い、おのれ自身と対話する資格と権利がある。あわてることはない」(『大東亜戦争肯定論』)
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 日本の心は、物事を白黒や勝敗や優劣など二者択一でハッキリさせない曖昧さにある。
 自力と他力を融合する、「自他一如」である。
 あるがまま、あるがまま。
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 日本人は、大陸や海洋を逃げ回りながら日本列島に逃げてきた為に、ストレスを起こす不安遺伝子量が多い。
 ストレスをもたらす不安を解消する為に、身体を動かし、人や動物と接して楽しみ、好きな事に拘って、好きなモノを作っていた。
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 宮崎駿「雑木林の中を大水が流れると、ゴミがいっぱい来るが、その後は植物が明らかに元気になる。水はゴミだけではなく色々な物をものをもたらしている。そういう見方で、自然や災害の事も考えなければいけない」
 自然界は、人間の淺知恵では知り得ない奥深さが存在する。
 日本の複雑な自然は、恵むと災害という死と再生の繰り返しである。
 日本の鬱蒼とした山林の奥深くには、得体の知れない闇が広がっている。
 日本神道は、絶えず闇と光が交錯する時空に神を見出す。
 日本の神々は、ハッキリとした考えを持って人に高尚な説教をせず、何を考えているのか読み取る事ができず、自然の光と闇の中にたたずんでいる。
 日本民族日本人は、死と再生の自然から目を逸らさず、逃げる事なく光と闇に対峙していた。
 日本の自然とはそうした自然であり、日本の神々とはそうした神々である。
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 日本列島に最初に渡ってきたのは人間は、4万年前と言われている。   
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☆柳の様に「しなやか」な日本民族日本人 
 日本は、幾たびも外敵に侵略されたが、一度たりとも、占領されて植民地になった事はない。
 日本民族は、一度たりとも、征服者である異民族の奴隷となった事はない。
 日本人は、外圧に屈し、祖先が命を賭け寝食を忘れて開墾した土地を、寸土でも奪われた事はなく、租界として献上した事もない。
 涙もろい日本人の心は、ひ弱にみえても、柳の様に、強風が吹こうとも容易く折れない「しなやかさ」があった。
 日本人の本性は、一元的な画一された絶対的価値観による「堅固」ではなく、多種多様な相対的価値観による曖昧な「柔軟」である。
 日本は、世界一自然災害の多い地帯である。
 日本人は、気が弱いだけに「思いやり」を持って「人の絆」を大事にし、柔軟に対処して災いを福に変え、生き残り、起ち上がってきた。
 弱い日本人の貴重な財産は、思いやりを持った「優しさ」である。
 日本神道は、全ての祖先を平等に氏神として祀っていた。
 災害で亡くなった人々を神として平等にムラの神社に祀り、生き残ったムラ人全員で心から冥福を祈った。
 優しい日本人の本質は、柳の様な「柔軟」である。柳の枝は、折れずらく、切れずらかった。
 日本人は、風に揺られる柳の枝である。故に、決して挫けないし、絶望して諦めなかった。
 どんな悲惨な状況にあっても、お互いに「思いやり」を持って逃げ出さずに踏ん張って復興してきた。それも、以前よりも全てにおいて進歩させて。
 事に当たって、臨機応変に対応していた。その変幻自在は、水に似ていた。
 日本の支えと日本人の心の拠り所は、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)を中心とした日本神話にある。
 土着した日本人にとって、神の裔である歴代天皇の祈りほどありがたいものはなかった。
 日本人は、恵み多い太陽の光の下で、緑豊かな大地と栄養豊かな清き水を愛する。自然こそが、神道的信仰の「まごころ」の源泉であった。
 故に、災害多い自然に対して、「したたか」となって、逃げる事なく前向きに向き合ってきた。
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 時間と空間を超越した「希望」がなければ、ひ弱な人間は生きてはいけない。
 精神的弱者である人間は、自力ではどうにもできない不幸や悲哀や苦悩や絶望に追い詰められたとき、一条の光として「希望」を胸に抱いき心の支えとして生き抜こうとした。
 希望を失ったとき人間は人間として死に、希望を持たない動物のように欲望のままに生きて何も考えずに死ぬだけである。
 人間は、自分に何かが足りない欠けているという不安から、それを満たそうという希望から文明と神話を作り、それを補いたいという思いから文化と宗教を生み出した。
 人の進化は、渇望感による不幸や不安や不満によって前に進んできた。
 つまり、ハングリー精神が「希望」である。
 現実に満足した、ハングリー精神のない所には「希望」はない。
 そして、不安や恐怖を克服し豊かになり満ち足りたと感じた幸福感を得たとき、人は堕落し、民族は衰退した。
 エミール・シオラン「民族の凋落は、集団の正気が頂点に達した時に一致する」(『涙と聖者』)
 サルトル「希望だけが、未来を創る事ができる」
 アポリネール「夜よ来い、時よ鳴れ。日々は流れゆき、私は残る」(詩『ミラボー橋』)
 私という自己の命は、過去と現実の絶望を抱きしめながら未来の為に「希望」と共に残る。    ・   ・   ・   
☆混血で雑種民族である日本人の祖先とは。
 日本中心の天皇心神話を共有する排他的閉鎖的自閉的日本民族か?
 最初の生命体である、単細胞生物のシラノバクテリか?
 最初の人類である、類人猿の親戚であるアフリカのトゥーマイ猿人か?
 全てが宇宙で一つしかない命であり、全ての遺伝子は途切れることなく続いている。
 日本人とは、いったい誰か?
 日本の常識を持った日本人は、間違っても、絶対神が自らを模してチリや土から日本人を創造したとは思わないし、信じない。
 また、多神教の相対神話には、天地創造絶対神の話は存在しない。
 日本神話に基づく由緒ある神社にも、そんな絶対神の伝承は皆無である。
 昔からある古い民話や寓話にも、絶対価値観を押し付ける様な絶対善的なおとぎ話はない。同様に、絶対救われないという絶対悪の絶望的な物語もない。
 あるのは、気候変動や自然災害の少ない大陸で誕生した、一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教などの普遍宗教世界のみである。
 天皇心神話の神道は、民族中心宗教として普遍宗教とは異質な閉鎖宗教であり、水と油の様に共通点はあまりない。
 2000年以上の時空をかけて、逃げ出せない閉鎖的空間の狭い島国で独自に発展させてきた民族中心宗教・神道は、開放的空間の大陸で生まれた普遍宗教・キリスト教から、神憑り的呪文による自然崇拝の邪教であると弾劾された。
 絶対神の真理を信仰するキリスト教会は、正しい心を持った善人を悪の道に導く邪悪なカルト・悪魔教であると断定し、「神の名」によって抹殺すべき対象であるとした。
 明治に入り。時の権力者は、キリスト教の宗教侵略から神の裔である天皇の神格を守る為に、天皇を現人神とする話を意図的にこしらえた。
 天皇を現人神とする神話は、明治になって急きょ創作された作り話であり、目的は日本固有の祖先神・氏神信仰を宗教侵略から守る為の精神的防波堤であった。
 キリスト教徒や反宗教無神論マルクス主義者らは、日本の精神を破壊する為に、天皇の神格性を否定し、2000年間続いてきた神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)制度を廃止しようとしている。 
 トインビー「宗教を抜きにしては、民族の歴史は成立しない」
 国木田独歩「宗教心なき人間は、最も劣等なる人間である」
 ハンチントン「人類の歴史における主要な文明は、世界の主要な宗教とかなり密接に結びついている。そして、民族性と言語が共通していても宗教が違う人びとはたがいに殺しあう」
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☆「緑と水と光」に包まれた、風光明媚な、閉鎖空間である島宇宙・日本列島。
 島宇宙という、閉鎖的空間の安全・安定・安心を保障する多神教神道は、国内外の八百万の神々を上下なく等しく祀った。
 各地の神社は、尽きる事なき多種多様な価値観で、戦いや争いや諍いを避け、恨みや憎しみや妬みを鎮め、柔軟に物事を見据えて善悪・正邪をはっきりと二分する事なく、なるべく遺恨を残さない様に曖昧に中道で治まる事を願って、天皇の神霊に祈り続けた。
 荒れ狂って災難をもたらす荒魂の自然神を鎮め、穏やかで恵みをもたらす和魂を持ったもとの自然神に立ち戻る様に祈った。 
 悪しき心や卑しい心や歪んだ心を持った心醜い日本人が、反省し感謝する穏やかに浄められた美しい心を持った日本人に立ち返る事を祈った。
 日本の信仰心とは、絶対神の前で跪き罪を告白し悔い改めて生まれ変わるのではなく、祖先神の前でうな垂れて自分のいたらなさを自覚し恥じ入り反省して前に進む事である。
 絶対神の「罪」基準は、自分の外に不寛容な絶対善を求める外向的である。
 祖先神の「恥」基準は、自分の内に曖昧な相対美を求める内向的である。
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 島国の日本文明は、利益の為に手を加えて自然を破壊せず、私欲の為に人を騙して奪い殺さず、全てのモノと「補完共生」を心がけて助け合いながら生きる事をめざしていた。
 逃げられない閉鎖された狭い自然環境ゆえに、自己犠牲と相互譲歩を美徳とし、相互補完を目的として共生と共有と共育を大事にした。
 ムラの和を乱す個の我が儘・我欲を穏やかに鎮めて浄め、わずかしかない資源を個人利益に為に独占する事なく公平に分け合った。
 神道は、独占しようとする物欲的卑しさを神に対する「罪」ではなく、人の和を乱す「恥」とした。
 地域の協調性を守る為に、「恥」を持って戒めとした。
 資源豊富な大陸とは違って全てにおいて不足している列島では、今ある物で「事足れり」と納得するしかなかったし、不足を嘆かず貧しさを満足する心の豊かさを養った。
 昔の日本人は、欧米人や中国人・朝鮮人と比べて生活は貧しかったが、心・精神は卑屈ではなかった。
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 信仰心篤き日本人は、山岳の高い峯を神々しく敬い、森と河川と海を愛おしんで共に生きていた。
 日本民族日本人は、自然の中で自然と共に生き、自然の中で自然に死んで行った。
 絶海の孤島に住む閉じ籠もった日本人は、心ゆたかになる「緑・水・光」の自然の静寂の中で、譲り合いながら穏やかに、穢れなき無垢な心をいとおしく育んできた。
 神道の人生観では、人や自然を「あるがまま」に受け入れ、頼って信じきり、人の怒りや憎しみや恨みを心からの和で水に流した。
 人智ではどうにもならない幾多の天災などの、立ち直りが不可能に近い絶望的苦難には、仕方がないと諦めて「忍」の一字で堪えた。
 明日の為に今この時を大事にし、ふて腐れて自暴自棄にならず、無力に落ち込んで萎縮せず、とにかく我慢して踏ん張り、明日のお天道様を信じて立ち上がって前に進む様に諭した。
 人に対しては、騙されても、裏切られても、命があれば何とかなると割り切り、「お人好し」にも自分にも悪い所があったと納得し、自己逃避として相手に責任を擦り付ける事はしなかった。
 決して恨み辛みを残さず、過ぎ去った事はくよくよ思い煩わず、綺麗さっぱりと忘れて前に踏み出した。
 思い煩わない様に、後ろを振り向いて考えず、目の前にある事のみに集中し、一心不乱にへとへとになるまで働き続けた。
 日本人は、逃げ出せない閉鎖空間に生活する為に、働ける事に感謝する、休む事を知らない仕事中毒である。
 働くとは、他人の為、地域の為、社会の為に身を粉にして尽くしきる事である。
 仕事とは、自分の為、家族の為に金を稼ぎ一家を養う事である。
 公的な働きと私的な仕事をこなしてこそ、人間は一人前の人と認められると信じていた。
 現代日本では、人との絆はもちろん、祖先と子孫と自分をつなぐ、公的な働きが軽視されている。
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 逃げ出せない島宇宙島国根性とは、和と忍と忘却であり、良くも悪くも物事を清濁に関係なく大らかに受け入れ、明日を信じ希望と夢と期待を持って生きる事であった。
 神道とは、民族のみの救世主を待望する奇跡の宗教ではない。
 その信仰とは、民族の救世主によって苦難から無条件に救済を願うものでもない。
 ただひたすら、死んだ祖先を神とし祀り、身近に生きているが如くかしずき賑やかに祭った。神となった祖先の思いを、子々孫々に伝える事を神聖な使命とした。
 生まれ持った原罪は存在しないがゆえに、絶対神の前でへりくだって罪を悔い改めるという、悔悟の信仰は存在しない。
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☆自然の脅威に対する「無力感」と「絶望感」そして依存する「安心感」
 天災の絶える事がない島国では、いくら神に祈ったとこで、自然災害が無くならないし減りもしなかった。
 ゆえに、普遍宗教の様な奇跡をもたらす神性を持った教祖はいないし、教祖が絶対神の啓示で記した教典や聖典や聖書の類もない。
 日常生活での穏やかな決まり事やゆるやかな約束事はあったが、信仰における絶対不可侵の教義や命を捨てても守るべき厳格な律法・戒律はなかった。
 祖先神の血を引く子孫である氏子と神の特性・職能を敬う崇敬者はいたが、絶対神への敬虔で盲信的信者やテロを行う狂信的信徒はいなかった。
 島国には、大陸で頻発した様な、流血を伴う不寛容な宗教弾圧や殲滅を伴った排他的な宗教戦争もなかった。
 神道は、戦闘的な世界宗教の常識を逸脱した、死と血を忌み嫌うひ弱な民族中心宗教である。
 大陸の大砂漠を旅する者が、飲み水を無くし、喉の渇きに苦しみながら絶対神に救いを求めて歩き続けたとする。幸運にも天候が変わって雨が降り、あるいは地形の変化でオアシスや川に辿り着いた時、死にかけていた人は単純に「絶対神の奇跡」「唯一神の救い・愛」として感動して信仰に目覚めた。
 大陸の信仰とは、不運な我が身のみの救済を求める個人信仰である。そこには、仲間や集団は関係ないし、祖先や子孫へのつながりも持たない。
 重要なのは、生きている自分と絶対神との個人的な契約関係であった。
 島の信仰には、そうした単調な自然条件がない為に、人智を越えた絶対神の奇跡や御技を当てにするところは薄い。
 よって、防備(城塞)都市的個人信仰ではなく無防備村的集団信仰となる。
 同じ様に、神道ユダヤ教は、水と油の様に全く異なる特性を持った宗教である。類似点が数多くあっても、正反対の宗教である事には変わりがない。
 砂漠・オアシスの民・ユダヤ民族と森・小川の民・日本民族とは、共通点の少ない異質な民族である。
 遊牧のユダヤ民族にとっての神の恩寵とは、こんこんと湧き出る泉と周辺の草である。
 農耕の日本民族にとっての神の恵みとは、せせらぎの小川とその流域の森林である。
 現代の日ユ同祖論は、個人益の為にユダヤ人国際資本に媚び諂うという、富の分け前を得たいという利己的なえげつない戯れごとに過ぎない。
 寛容で相対主義神道は、血と死を嫌う、おとぎ話的民族中心神話を愛していた。
 不寛容で絶対主義のユダヤ教は、絶対神との個人契約で、異教徒異民族を血と炎で根絶やしにする凄惨な英雄物語である「旧約聖書」を信仰した。
 自然を守る為に植林して森を育て水の清浄に努めたのは、民族中心宗教・神道のみである。その中心にあるのが、「神の裔」という万世一系男系天皇神話(最高神は、女性神)である。
 人は、自然の一部で有り、自然の恩恵で生かされているに過ぎない。
 大陸の城塞都市宗教は、鬱蒼とした森林を悪魔や魔女や盗賊の巣窟として嫌悪し、薄暗い自然環境を人の為に切り開き開放・破壊する事で誕生した。
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 自然災害の多発地帯では、計画を立て、目標を定めて、それに邁進しても予想した結果を得る事は限らない。
 単調ではない環境においては、状況の変化に合わせ、ひたむきで健気に働いていた。
 複雑な自然ゆえに、いつ災害に合うか分からない仲間として、犠牲的精神で触れ合った。
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 ユダヤ教キリスト教イスラム教などの大陸的普遍宗教での最高神は、全知全能の創造主であり「父」の様な畏怖すべき男性神である。
 「父」なる絶対神は、信仰を契約した者のみに奇跡や御技で救済し、その魂を永遠に不滅のものとして天国で保護した。
 信仰を持たない者には、怒りを持って滅ぼし、その魂を地獄に落としてけっして救済しなかった。
 絶対神は、厳格な神として、生前も、生きる今も、死後も、全ての時間と空間を支配していた。
 そして、生きている者を大事にし、死んだ者には関心を示さず、生まれていない者にも興味がなかった。
 狩猟牧畜社会では、逞しい男性が外に出て家族の為に食べる動物を捕獲するからである。そして、農業や酪農などの肉体的重労働は、男性の所有物である女性や教養のない下層階級や卑しい奴隷の天罰とされた。
 大陸では、汗水たらして働く事を苦役として最も嫌い、苦労は全て奴隷に押し付けた。
 泥に塗れて重労働する事は、絶対神から与えられた天罰であると信じられていた。
 神の国・天国に召された「正しい人」は、善人であるがゆえに苦労して働く事はなく、父なる神と共に食べきれないほどの御馳走に包まれて、平穏にしてすこやかに過ごすと信じられていた。
 大陸社会では、絶対神に愛された神聖な身分・階級・階層は、下層の貧困階級以上の祝福を受けていた。
 差別や格差は、社会秩序を維持する為に不可欠な要素であった。
 厳格な性差別的家父長制度から、女性は男性の所有物とされた。故に、女性の権利をことさらに言い立てるレディーファーストやジェンダーフリーは、男性優位のキリスト教世界で生まれた。
 人類史の常識として、権利の主張は、それがないところで発生する。
 信仰の対象である聖母マリアは、処女でありながら神の子イエス・キリストを生んだが、主神ではない。
 同様に、大陸の各神話でも女神は脇役か、男神の引き立て役に過ぎなかあった。
 ヨーロッパのギリシャローマ神話北欧神話でも、アジアの中国神話や朝鮮神話さえも、雄々しく活躍するのは男性神のみで、女性神は付け足しに過ぎない。
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 日本民族は、死ぬのが怖い民族であり、死んでからも家族の側に寄り添っていたいと願う寂しがり屋の民族である。
 寿命が来たら肉体が朽ちて滅びるのは仕方がないと諦めるし、霊魂が再生・輪廻転生・生まれ変わるの為に死後の世界に戻るのも仕方がないと諦めたが、自分の念いは愛する家族の側に寄り添っていたいと切に願っていた。
 日本人の死後の世界とは、家族の側ではなく、はるか遠くにある神の国・天国・極楽・浄土ではなかった。
 日本人は、死ぬと、今いる世界から別の世界に「避る(さる)」だけだと安易に考えていた。
 生き残った遺族は、死にたくなかったのに死なねばならなかったという思いで荒れ狂っている死者の「荒御魂」を、家族の身近に引き留めておく為に落ち着かせるべく「忘れる」事なく供養した。
 現世への未練や生への妄念を浄化し、善悪・正邪を超越して、無我の境地に至った「和御魂(にぎみたま)」を、人並み外れた神威を持つ存在とみなし、家族を守る祖先神・氏神として家の中や地域の神社に祀った。
 家族は、最愛なる故人を身近に感じて安心していた。
 日本民族の死とは、故人の念いが、その場を「去る」のではなく、その場に「留まる」事であった。
 日本の神社とは、祖先神・氏神信仰であった。
 現代の一部の日本人は、御霊の神社崇拝を否定し、人神の神社拝礼を拒否している。
 中国人も、韓国人・朝鮮人も、戦前から祖先神・氏神信仰としての神社参拝に反対している。
 本居宣長「尋常なあらず何事によらず優れたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を神とはいう」
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 自然災害で生き残る為に重要なのは、逃げない、隠れない事であり、間違いや勘違いであっても自分で考えて動く事である。
 自然災害は刻一刻と休む事なく変化して、今おこなう対処・対応が良いと思っても次の瞬間ではとんでもない間違いかもしれないし、間違ったと思う事が正しかったりと、これが正しい唯一の方法という手立ては存在しない。
 自然災害における被害を完全には食い止められない以上、被害を最小限に止め、犠牲を少なくする事が重要である。
 自然災害の対処は、全てが後手に回る。
 後手の回る以上は、失敗を恐れず攻撃的に対処するしかない。
 重要なのは、自然災害は必ず又起きると覚悟して、前向きに考え失敗を教訓として次に生かす事である。
 日本民族が自然災害多発地帯の日本列島で生きて来られたのは、災害という現実から目を逸らさず、消極的にならず、事なかれ的に先送りしなかった事である。
 昔の前例主義は、現代の責任逃れの卑しい前例主義とは本質が全く異なる。
 自然災害では、「事なかれ」や「長いものには巻かれろ」は無意味どころか有害である。


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巨大災害時代 災害列島日本の危機 -地震・津波・火山・異常気象・原発リスクにどう備えるか

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