⛩12)─1・C─外国生まれの神様でも日本の神様として神社で祀られている。~No.23 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の伝統文化でる宗教界には、蔑視や敵視はなく偏見や差別による対立はなく、不寛容・排他による排除としての迫害、弾圧そして戦争は起きず、狂信的教条的偏狭的なカルトや原理主義による宗教テロなどは無縁であった。
 日本の民族宗教とは、「あるがまま、見た目のまま、そのままでいいという自然体」という美徳の哲学であり、全てを受け入れて共に生きて死ぬという「相互補完共生」思想であり、「八紘一宇」の皇道主義=大家族主義で、多様性、多元性、多種性に富んでいる。
 つまり、惟神の道(かんながらのみち)である民族宗教民族主義ナショナリズム愛国主義の源泉である。
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 2023年1月10日 YAHOO!JAPANニュース ラブすぽ「外国生まれの神様でも神社で祀られているの?外からきて「八百万の神々」に仲間入りした神様とは【図解 神道
 外国生まれの神様でも神社で祀られているの?外からきて「八百万の神々」に仲間入りした神様とは【図解 神道
 外来の神様も神道に取り入れられている
 神道は日本固有の宗教だから、崇拝されている神様も日本固有のもの、と思われているのではありませんか。概略では間違っていないのですが、「すべての神様が日本生まれ」というわけではありません。たとえば、神社によっては境内に七福神の社や像を祀っているところがありますが、七福神のうち純粋な日本の神様は恵比寿だけです。
 毘沙門天弁才天・布袋は仏教(インド)、福禄寿と寿老人は道教(中国)の神様です。大黒天はオオクニヌシのこととすれば日本の神様になりますが、大黒天という名前は仏教由来です。七福神は中世以降の信仰ですが、『古事記』『日本書紀』の神話まで遡っても外来の神様は登場しています。記紀(『古事記』『日本書紀』)の神話に登場する外国生まれの神様の代表がアメノヒボコ天之日矛命)です。
 アメノヒボコ朝鮮半島新羅の国の王子で、赤い玉から生まれた美女を妻としていました。美女はさまざまな美食をつくって夫に食べさせたのですが、驕り高ぶったアメノヒボコは妻を口汚く罵りました。すると美女は怒って「私はあなたのような者の妻になるべき女ではないのです」と言い、父が住むという日本の難波に渡ってしまいました。
 あわてたアメノヒボコはその後を追って難波に入ろうとしましたが、港の神に妨害されて中に入ることができません。そこで但馬国に鎮座したとされ、出石神社などで今も祀られています。アメノヒボコは渡来部系の氏族が祭祀を始めたのではないかと思われますが、このほか新羅明神のように留学僧などが伝えた信仰もあります。
 出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』監/渋谷申博」
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 現代の日本人は、民族的な歴史力・伝統力・文化力・歴史力そして宗教力がない為に、昔の日本民族が理解できない。
 そうした日本人は、マルクス主義の超エリート層である高学歴の政治的エリートと進歩的インテリに多い。
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 数万年前の縄文祭祀から生まれた神道祭祀は、海の外から伝来した客人(まれびと・まろうど)である渡来神や渡来仏を日本の神・仏として取り込み同化させ一体となってリノベーションを繰り返しバージョンアップしてきた。
 伝統的日本神道とは、時代によって海の外から渡来した数多くの宗教、神話、哲学、思想を新しい心・精神、悟り・真理として取り入れ、取り入れたモノを使って更新してきたバージョンアップ宗教である。
 日本神道は数万年前からの自然崇拝原始宗教であって、ユダヤ教イスラム教・儒教のような初期モデル宗教ではないしキリスト教のようなイノベーション宗教でもない。
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 日本民族は、海の外から流れ着いた漂流者と乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族であり、海外からの善悪の影響を受けてリノベーションを繰り返したバージョンアップ民族であった。
 そこには、破壊的イノベーションは存在しない。
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 日本の八百万の神様は、形があって形がなく、姿があって姿がない。
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 日本神道の本質は、白黒をハッキリつけない「曖昧さ」、善い意味での「いい加減」「いい按配」であり、神々は「軽い絆」であり「淡い繋がり」であり「緩やかな関係」であった。
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 日本家屋の絶対条件は、家主義としての祖先の神棚と家族の仏壇であった。
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 日本神道を許し難い敵として滅ぼそうとしたのは、キリスト教マルクス主義共産主義であった。
 日本には、反宗教無神論・反天皇反民族反日のリベラル左派日本人が存在する。
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 日本の最高神は、皇室の祖先神である女性神天照大神伊勢神宮)である。
 皇室とは、女性神天照大神を祀る特別・特殊な血族・一族の事である。
 日本の神様を祀る事ができるのは、その神様の血を引く子孫(氏子)だけで、血の繋がらない他人には祀る資格がない、それが日本神道の正統性であり世襲制であり文化・伝統である。
 その象徴が、現・皇室である。
 男系父系と女系母系の違いは、ここにある。
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 世界的普遍宗教であるキリスト教が禁教とされ、「隣人愛信仰」のキリシタンが弾圧されたのは、中世キリスト教会が白人キリスト教徒商人の日本人奴隷交易に関与し寄付金を得ていたからである。
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 現代日本では、反宗教無神論信奉者であるリベラル左派のマイノリティ・ファシズムエコ・テロリストヒューマニズム原理主義による「神殺し」が静かに行われている。
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 曖昧さ回避 クトゥルフ神話の用語については「蕃神 (クトゥルフ神話)」をご覧ください。
 日本の七福神はそのほとんどが外来の神、つまり蕃神である。
 蕃神(ばんしん、あだしくにのかみ、となりのくにのかみ)とはその国、その土地の外部(外国、異国)からやってきた神。単に外国の神という意味ではなく、外来の神、つまり、外から入り込んできた後に定着し、その国、その土地で既に信仰の対象とされるようになってきている神を指していう。蕃神が信仰されるようになる経緯としては、意識的に布教される、あるいは、その国の人々が蕃神の存在を知り、自発的に信仰を始める、などが考えられる。
 もともと神道が信仰されていた日本においては、仏教伝来当初は仏を蕃神(となりのくにのかみ)と呼ぶなどしていた。
 概要
 日本では、仏教伝来当初、仏を蕃神(となりのくにのかみ)と呼び、日本でそれまで信仰されていた神道の神(国津神)と区別した。この区別の仕方は、仏教における仏が、外からやってきた「まれびと(客神)」として強く認識されていたことを示すとされる[3]。また、仏教の仏を「蕃神」あるいは「仏神」などとして、神道の神と併存させていく神仏習合の流れからは、世界各地で見受けられる習合主義が、日本においても無意識的・かつ顕著に発現していたことを確認できるともされる。
 以上のように、「蕃神」という語は、日本では神仏習合の歴史の中で論じられることが多い。一方で、現代の日本においては、「蕃神」という語は一般的ではなく、もはや「通用していない」とする説もある。
 語意
 「蕃」の字は、「(草木が)しげる」「ふえる」のほか、「えびす」つまり異民族の意を表し、異民族の意が転じて、外国人一般を指すようになった。なお、「蛮」の字も異民族を表すものであり、「蕃神」を「蛮神」と表記することもできる。もちろん、「蛮」の字を「蕃」に変えることもでき、たとえば「蛮族」を「蕃族」と表記できる。
 歴史
 日本では、仏教公伝直後、引き続き神道の神を信仰すべきだとする保守派と、今後は仏教を信仰すべきだとする革新派との間で激しい争いが展開された。それら、保守派には物部尾輿中臣鎌子が、革新派には蘇我稲目らが属していた。このとき、神道古神道)の神は「国津神」、仏教の仏を「蕃神」として区別されたという。 この区別の仕方は、上述のとおり、日本において、後世に「仏」をまさに「ほとけ」という言葉で呼び始める以前の、一般の人々の仏教への認識を示しているともされる。
 「仏」は、『日本書紀』の欽明天皇13年(552年)10 月の条で「蕃神」と書かれ、敏達天皇14年(585年)3月の条では「仏神」と書かれている。その後、200年近く過ぎた後も、依然として、「仏」は『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(天平19年(747年))で「他国神」・「仏神」とされ、最古の仏教説話集として知られる『日本霊異記』でも、「隣国の客神」とされたのである。
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 日本人の宗教観、海外と違うけど変じゃない?米メディアが探る日本人の心根
 Sep 22 2015
 Luciano Mortula - LGM / shutterstock.com
 お正月には神社に詣り、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、お葬式は仏教に則る。こういった、生活の中にいくつもの宗教が混在する日本人の宗教観を、一神教を基調とする欧米人は理解し難いと感じているようだ。その背景にあるものを、いくつかのアメリカメディアが探っている。
◆宗教が生活の一部として存在している日本
 クリスチャン・サイエンス・モニター紙(CSM)は、宗教と信仰が大部分において乖離している日本の状況について論じた記事を掲載した。同紙は、世界の宗教に関するニュースを幅広く取り上げている。
 CSMはまず、調査会社WIN/Gallup Internationalが発表した信仰心に関する調査結果を引用し、日本は62%もの人が信仰はないとしているにもかかわらず、多くの人が寺社仏閣などに参拝している日本の状況を説明する。つまり、ある参拝者が述べるように「神社にお詣りするのは、宗教を信じているのとは別」であり、宗教が生活の慣習の一部として存在しており、「聖と俗が分かちがたい状況にある」ということだ。
 その理由の1つとして、CSMは日本人の神社へのお詣りが現世利益主義的な側面が強いことを指摘する。明治神宮に飾られた絵馬には、さまざまな願いごとが書かれている。病気治癒や職場での昇進に、嵐のコンサートのチケットまで。宗教は、個人の信仰としてあるわけではなく、絵馬に書かれたように「願いごとがすべて叶いますように」と祈るためにある、というわけだ。
 またCSMは、2013年の伊勢神宮式年遷宮の年には過去最高の1400万人もの人を集めたことに注目する。その理由として、特に若い世代での参詣者の増加について、将来への不安が背景にあるのではと推測する。伊勢神宮の神宮司庁広報課員の音羽悟氏は、20年もの不況で多くの人が目的を失い、将来について不安を感じているため「スピリチュアルな癒やし」を求めている、と同紙に述べている。
八百万の神でもってして異国の神を受け入れる
 米公共ラジオ放送(PRI)は、日本の土着の信仰である、八百万の神を祀る「神道」に日本人の宗教観の背景を見出している。PRIに詳細を語っているのは、東京都の渋谷に位置する金王八幡宮の田所克敏宮司。彼の言によれば、「ある日、仏陀と呼ばれる神がアジア大陸からやってきた。その後、キリストと呼ばれる神が船でやってきた。すでにいた八百万の神にもう2つ加わった、というだけのこと」。田所氏はさらに、こういった日本人の受容性の高さを、天ぷらを使って説明する。もともと天ぷらはポルトガルから伝えられたものだが、日本人は受け入れ、文化の一部としている。
 田所宮司はさらに、次のように述べる。「人々は宗教を、何を信仰しているのかという観点ではなく、儀式の観点から見ている」。つまり、「この儀式(冠婚葬祭)はどう執り行うのか」が重要であるため、子どもが生まれれば神社にお宮参りし、結婚式はキリスト教の教会で挙げながら、問われれば即座に「仏教徒」と答える状況になっている、とPRIは論ずる。
◆荒ぶる神を受け入れ、内面の糧とする日本人
 しかし、この高い受容性が別の面で発揮されているのを、別のアメリカのメディアPBS(Public Broadcasting Service)が伝えている。ケンタッキー州にあるベリア大学のジェフリー・リチー准教授が、2011年の東北大震災に見舞われた人々が見せた忍耐強さを、宗教的観点から論じている。
 宗教学の准教授で、同大学のアジア研究プログラムの責任者であるリチー氏はまず、日本の『ゴジラ』やマンガ『アキラ』に見られるように、日本人の災禍に対する考えは、日本の伝統的な宗教文化に見られるような荒ぶる神としての姿に根付いている、と述べる。そして、本居宣長の『古事記伝』に記した「神(古事記伝では「迦微」)」についての論述を引用して、日本の神は善いものも悪いものもさまざまおり、その心も行いもとりどりであり、人の小さな知恵では計り知れないものだ、とする日本人の宗教観を示した。
 だからこそ震災が起きた時に、一神教キリスト教ユダヤ教イスラム教の信者が持つような「震災は神の裁きなのか」という問いではなく、「震災をどう受け止めるべきなのか、震災はどう自分の内面のためにあるのか」という問いを、伝統的な宗教観をもつ日本人は抱きがちになるのではないか、とリチー准教授は問いかける。
 西洋の基準からしてみれば、信仰心がないように見え、また日本人の自覚としても宗教に対する信仰心はないとしている人でも、人智を超えたものを畏れ敬う気持ちが日本人の中にあることは、以上の3つの記事からは示されているようだ。
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 2017年4月11日(火)19:00~20:30
 秦 まゆな(はた まゆな) / 日本文化案内人・ 文筆家
 神話から学ぶ 日本人なら知っておきたい、日本人の信仰の話
 「八百萬(やおよろず)の神々」という言葉があるように、私たち日本人は古来より、自分たちを取り巻く万物に神を見出し、感謝と畏れとともに歩んできました。 日本神話は、そんな私たちの心の有り様を生き生きと伝えてくれている。「日本人は無宗教なのか?」「お寺と神社はどう違う?」など、外国の方に尋ねられたときに困らないために、日本人の信仰の原点を神話を通じて学ぶとともに、高野山伊勢神宮出雲大社熊野古道など、信仰息づく地の情報なども多数ご紹介いただいた。
 神様に近しい気持ちを持っていた日本人
 最近、街で目立つ訪日外国人客。その数は年間約2,000万人にも及んでいる。こうした観光で訪れる外国人の多くが目的としているのは、日本ならではの特色ある文化だ。 日本人は古代の昔から季節ごとの知恵や情緒を育んできた。なかでもその信仰観は外国の人から見ると独特なものとして映るらしい。
 「外国の人から見ると日本人は無宗教に見えるようです。でも本当にそうでしょうか」
 こう問いかける秦まゆな氏は、日本の伝統文化や歴史を正しく伝える活動を行なっている「日本文化案内人」だ。 昨今はパワースポットブームなどで若い女性を中心に人気となっている寺社仏閣。秦氏によれば「神社とお寺の違い」といった基本的な知識にすら欠けている人が少なくないという
 「そういうとき、私は、神社は神様を祀っているところで、お寺は仏様を祀っているところだよ、と言うのですね。すると今度は神様と仏様って何が違うの、と訊かれるんです」
 日本人の信仰の原点は神道。日本人は縄文の昔から神様の存在を感じとり、そこを聖地として手を合わせてきた。対して仏教は6世紀に大陸からもたらされたもの。導入された頃は宗教というよりも学問的な要素が強く、そこから得られる教えや知識は天皇や貴族など特権階級のものだったという。
 「神道の特徴は他の宗教と違って厳しい戒律や教典、教祖といったものがないところです。二礼二拍手一礼といった参拝の方法も、実は明治になって全国的に統一されたものです」
 布教されたわけではない。強制されたわけでもない。しかし、日本人は昔から、見上げるような巨岩や大木、あるいは滝や森といった自然に畏(おそれ)多いものを感じとり、それを聖地として崇めてきた。霊峰である富士山はその代表だ。今と違って人々の命を左右するのが神である自然だったこの時代、神は其処彼処(そこかしこ)に存在し、人々を見守っていた。太陽も神ならば、亡くなった家族も先祖神という神。これが日本独特の八百萬の神だ。そのためか、日本人は他の宗教には見られぬほど神様に近しい気持ちを持っていたという。
 おおらかな日本人の信仰観
 「戒律や教典がないのは日本人はそれを必要としていない道徳心を持った民族だったということ。誰もいなくてもお天道様が見ている。だから悪いことはできない。 神様がいれば自然と手を合わせる。そういう意味で日本人の信仰心はとても強いのではないでしょうか」
 現在でも初詣客などを見てみると、明治神宮の約310万人を筆頭に、浅草寺成田山新勝寺、川崎大師、鶴岡八幡宮伏見稲荷住吉大社などには250万人以上の人が訪れている。これは巡礼月にメッカに集うイスラム教徒と変わらぬかそれよりも多い数だ。その一方で、正月の1週間前には「メリークリスマス」と言いあい、2か月前にはハロウィンで盛り上がるのが日本人。外国人から不思議に思われるのも無理はないが、そこには日本人ならではの宗教に対するおおらかさがある。仏教が受け入れられたのもその証拠。9世紀、空海によって仏教が庶民の間に広まると、人々は神も仏も関係なく手を合わせた。空海自身、仏教の一大聖地である高野山を開くにあたり、まず建てたのは守り神としての丹生都比売(にうつひめ)神社の御祭神を祀る「御社(みやしろ)」だった。その後、明治の神仏分離令までの間、人々は神仏習合を当然のこととしてきた。その一例が「妙見様」だ。仏教で北極星北斗星を神格化した妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、神道では天空の中心にいる天之御中主神(あめのみなかぬし)。人々はそう理解し、ふたつの神をひとつとしてきた。神社と寺に大きな違いがあるとすれば、それが建つ場所だ。日本の寺の多くは時の権力者や裕福な人々が建立したもの。基本的に場所はどこでもいい。それが神社の場合は、そこでなければいけない場所に建てられた。それが人々が尊い者の存在を感じた場所、「聖地」だ。熊野三山で言うならば、大斎原(おおゆのはら)であり、那智の滝であり、ゴトビキ岩でありといった神が降臨された、または神そのもののおられる場所。もとは社殿などもなかった場所だった。
 日本神話を知っていれば神社が何倍も楽しくなる
 歴史ある神社といえば、まず思い浮かぶのは伊勢神宮出雲大社などだろう。毎年多くの参拝客で賑わうこれらの神社をより楽しむのに知っておきたいのが日本神話だ。 「伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の国生み(くにうみ)」、「天石屋戸(あまのいわやと)」、「八股大蛇(やまたのおろち)、「稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)」、 そして「国譲り」。こうした有名な神話は実はひとつのつながったストーリーだ。そして、その神話には「国譲り」の出雲大社など今も残る神社がいくつも登場する。
 「神話を知らなければ神社はたんなる観光地で終わってしまう。でも知っていれば二重にも三重にも楽しむことができます」
  それだけではない。神話にはさまざまな力を持った神々が登場する。同じ参拝に行くのでも、今の自分が必要とすることに合った神様を祀った神社を訪ねるといった楽しみ方ができる。同時に、こうした神話の知識があれば、日本各地に残る祭事もより興味深く見ることができるはずだ。その第一歩として読みたいのが『古事記』だ。『古事記』は正史ではなくあくまでも神話だが、そこには1300年前の日本人が何をよしとし、何をよくないことと考えてきたかが記されている。そして、代々の日本人はそれを大切に受け継いできた。原文でなくても最近は読みやすい現代語の新訳や漫画なども出ている。現代を生きる日本人であるならば一度は読んでおきたいものだ。神社を訪ねるなら「遠くのお伊勢様より近所の神社」から。土地の神(産土神)を祀った地域の神社は、日々その地に暮らす自分たちを見守ってくれている。
 「できれば毎月1日と15日、余力のある方は旧暦の1日と15日を調べてお参りしてください。参拝するときは、お願いするというよりも神様に向かって誓う、といった気持ちでいるといいでしょう」
 これまでも日本全国の神社を巡ってきた秦氏。感じるのは「神社というのは行くというよりもお招きされるもの」だということ。
 「行きたいと思ってもなかなか行けない神社もあれば、すごい山の中なのに何度も行けてしまう神社もあります。これが神様との御縁なんでしょうね」
 秦氏の「夢」は「自分の子供にきちんと自分の国の神話を伝えることができるお母さんやお父さんをつくること」だ。<br>
 「日本文化案内人の活動を通じて、日本神話を取り戻していきたいなと思っています」
 ※伊邪那岐など、一連の神話の名前などの表記は『古事記』(岩波書店)にならったものです。
 講師紹介
 秦 まゆな(はた まゆな)
 日本文化案内人・ 文筆家
 千葉県市川市生まれ。学習院大学文学部史学科卒。『古事記』『日本書紀』をもとに全国の神社をめぐり、日々取材を進めている。「母国・日本の歴史を正しく知り、我が子に伝えられるお母さんをつくる」ために執筆・セミナーなどで活動中。著書に『日本の神話と神様手帖 あなたにつながる八百萬の神々』(マイナビ)。
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 世界神話の中での日本神話の特徴は「人間の格づけ」にある
 世界神話の中の古事記日本書紀(1)人間の位置づけ
 鎌田東二京都大学名誉教授
 情報・テキスト
 日本神話の特徴とはいったい何だろうか。世界神話と比べた際にもっとも大きな違いは、「人間の格づけ」である。では世界神話の中での人間の位置づけ、さらには日本神話の中での人間の位置づけは、どのようなものだろうか。(全9話中第1話)
 ※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
 時間:16:12
 収録日:2020/10/05
 追加日:2021/03/31
 ジャンル:
 歴史・民族日本史(古代~中世)
 文化・芸術日本文化
 キーワード:
 神話 ユダヤ教 日本神話 日本書紀 古事記 メソポタミア神話
 ≪全文≫
●「人間の位置づけ」が神話によって異なる
―― 皆様、こんにちは。本日は鎌田東二先生に、「世界神話の中の古事記日本書紀」というテーマでお話をいただきたいと思います。先生、どうぞよろしくお願いいたします。
 鎌田 よろしくお願いします。
―― この講義シリーズでは、『古事記』『日本書紀』について、また世界神話の中での日本神話について、数回に分けてお話をいただきます。
 まず総論として、世界神話という観点から見たとき、古事記神話、日本書紀神話について、世界神話と共通している部分、あるいはそれらが特別な部分など、どのように捉えておられますか。
 鎌田 まず「人間の位置づけ」、神と人間の関係がどうなっているかということが、神話の中での一つの重要なポイントです。私たちがどこから来てどこへ行くのか、この世界がどのように出来上がってきたのか、その中で人類がどのように生まれてきたのか――そういった宇宙の始まり、世界の始まり、人類の始まり、文化の始まりを「創世神話」として語ることが、根本の原型的な物語です。
 神がどのように人間を創造したのか、あるいは神がどのように人間へつながっていったのか。この辺りが、例えば『旧約聖書』の物語と、日本の『古事記』や『日本書紀』の伝承の物語とで、ずいぶん違います。それからメソポタミアの物語ともずいぶん違うのです。
 今回の主要な話としては、シュメール文明などのメソポタミア神話、ユダヤ教天地創造の神話、日本神話の3つを比較しながら、そこにおける「人間の位置づけ」について考えていきたいと思います。
―― これは非常に興味深いテーマですね。
 鎌田 川上さんは、この3つの神話で、「人間の位置づけ」についてどのような違いがあると思いますか。
―― 不勉強ながら、メソポタミアの神話についてはあまり存じ上げないのですが、ユダヤ教の『旧約聖書』では、神が自分を模した創造物として人間を作りますね。対して日本の神話では、神様が次々と生まれてくる描写はあるのですが、人間はどうなのかということが非常に曖昧ですね。
 鎌田 そこなのです。「人間の位置づけ」が、日本の神話では非常に曖昧です。神と人間の連続性、系譜的なつながりの中で、どこからが神で、どこからが人間なのかということが不明確なのです。だから、神も人間的だし、人間も神的です。徳川家康菅原道真も神として祀られているわけですから、神と人間の境界という、はっきりとした断絶線、分裂線がないのです。
―― つくった・つくられたという関係ではないですよね。
 鎌田 樹木などのような生命的なリレーというか、連続線の中にあるわけですね。メソポタミア神話とユダヤ神話の大きい違いは何か。人間がどのような役割で生まれてきたのかについて、ユダヤ教の神話では「神の似姿(イメージ)として作られた」と言います。だから、人間は神様に近い存在です。
―― 人間の姿形が神様のイメージということですね。
 鎌田 神は目に見えないし、超越的な存在なので、神を実体化することはできないにしても、そこで書かれている文言は「人間は神のイメージ(似姿)として作られた」というものです。神の似姿ということで、人間は非常に重要な意味合いを持っているわけですね。
 ところがメソポタミア神話では、人間は下級神の労働の役割を担うためにつくられた、と言うのです。
―― 人間は働くために生まれたということですね。
 鎌田 奴隷やロボットのような存在としてつくられた。しかも粘土からつくられた、と。メソポタミア神話もエジプト神話も、基本的には神道と同様に多神教です。マルドゥク神などのいろいろな神様がいる。天・地・風といろいろな神々ができ、そのような点では日本の神々の生成と似ている面があります。ですが、「人間の格づけ・位置づけ」が大きく違うのです。
―― 人間の位置づけはずいぶん低いですね。
 鎌田 非常に低い。なぜそうなったか。王権を正当化するためには、特別な人間をつくらなければいけません。王様は神の血筋である、神の威力を持っている存在である、と。そのため普通の人間は、そういった特別な王のような存在ではなく、仕事をしなければいけないのです。
―― 初めから奴隷のような存在が前提になっているわけですね。
 鎌田 ジグラートやピラミッド、スフィンクスといったものを造るにあたって、使役されるためにつくられた存在です。上級神、中級神、下級神がいて、その下級神格のさらに下の位置づけとなります。ヒンドゥー教あるいはバラモン教で、バラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラ、そしてアウトカーストといったカーストで例えるならば、人間は一番下の格づけです。下級神の労働を肩代わりする形で、人間がつくられたのです。
 ところが、そのような物語をユ...
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