🌈8)─2─日本民族の宗教的自然観が世界自然遺産を生み出していた。〜No.16 

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 昔の日本民族は、原始的アニミズムを信じていたが故に自然の内に八百万の神を見、神である自然を崇拝していた。
 現代日本人は、無宗教無神論からその素養がない。
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 日本の山林・樹木は、日本民族心神話と皇室天孫降臨神話(古事記日本書紀)で守られていた。
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 2023年12月10日 MicrosoftStartニュース TABIZINE「【日本三大美林】青森「青森ヒバ」・秋田「秋田スギ」・長野「木曽ヒノキ」の歴史と見どころ
 「美林」とはその名の通り、美しい林のことです。日本の国土の3分の2は森林で覆われていますが、森林には人工林と天然林の2つがあります。日本三大美林に挙げられる青森県の「青森ヒバ」、秋田県の「秋田スギ」、長野県の「木曽ヒノキ」はいずれも天然林です。昔から質の良い木材として使われてきました。今回は、そんな日本三大美林の魅力や歴史をわかりやすくご紹介します。
長野県・木曽ヒノキ
 © TABIZINE 提供
 不思議な立ち枯れたヒバの埋没林も! 昔から建築材料として重宝されてきた「青森ヒバ」(青森県
 薬研渓流
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 青森ヒバやブナが繁る「薬研渓流」 ©︎青森県
 青森県の木に指定されている「青森ヒバ」は、樹高30m、直径80cmに達する日本特有の針葉樹高木です。青森ヒバは「ヒノキアスナロ」という種類で、1901年に日本で最初の林学博士である本多静六が、従来のアスナロ青森県アスナロに違いがあることを見つけ、日本の植物分類学の父とされる牧野富太郎が、アスナロの一変種「ヒノキアスナロ」と命名したもの。
 木曽地方を中心に九州鹿児島県に掛けて分布するアスナロも、青森県を中心に北海道南部から関東北部にかけて分布するヒノキアスナロも、どちらも一般的に「ヒバ」と呼ばれていますが、アスナロが南方系のヒバ、一方のヒノキアスナロは北方系のヒバとされています。そして、青森県内に日本国内のヒバ蓄積量の8割以上が集中しており、青森県内に生育しているヒノキアスナロは「青森ヒバ」と呼ばれているのです。
 また、ヒバは古くから神社仏閣などの建築材料として重宝されていて、なかでも平泉の「中尊寺金色堂」、弘前の「弘前城」は代表的な建築物です。なお、今でもヒバは住宅の建築材料として使用されています。
 さらに青森県下北半島猿ヶ森にはヒバ埋没林も。なんと数百年前から数千年前に立ち枯れたヒバが猿ヶ森砂丘の砂に埋もれて残っているのだとか。かつて下北半島はヒバの大森林地帯だったそうです。しかし、数千年前から海から砂が打ち上げられ、立ち枯れたヒバが砂に埋もれたといいます。その一部の埋もれたヒバを埋没林として現在、見ることができるのです。
 立ち枯れたヒバの周りを松林が覆うという不思議な光景を眺めに、訪れるのもいいかもしれませんね。ヒバ埋没林へのアクセスは、青森県むつ市内から国道338号線に入り、案内標識を見ながら車で40分。駐車場から松林の中を歩いて5分です。
 530万年前から生育していた!日本各地で使われてきた歴史がある「秋田スギ」(秋田県
 秋田県・秋田スギ
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 古くから住宅用の建築材として使用されてきた「秋田スギ」は、特に秋田県の北部を流れる米代川流域に分布しています。標準的樹齢は200~250年といわれ、年輪幅がそろい、木目が細かく強度に優れているのが特徴です。
 美しい柾目を利用した高級内装材、天井板に使われたり、曲げわっぱや桶・樽といった伝統工芸品としても利用されたりしています。
 秋田スギのはじまりは古く、化石から530万年前にはスギが生育していたことが明らかになっています。平安初期には、払田柵跡(ほったさくあと)の外郭の柵木にスギの角材が使われています。さらに『万葉集』には、人が植えたスギについて詠んだ歌が載っており、すでにこの時代にスギの植林が行われていたことがわかっているのです。
 そして、戦国時代には天下統一を果たした豊臣秀吉が、造船や伏見城建築を行う際、秋田スギに注目し、伐採された秋田スギは、船や伏見城に使われました。その後も徳川幕府から上納されたり、江戸や上方(大阪)で販売されたり、日本各地で使われてきました。
 そんな秋田スギの迫力が間近で感じられるのが、秋田県能代市の「仁鮒水沢スギ植物群落保護林」です。ここには、秋田県天然記念物の日本一高い秋田スギ「きみまち杉」があります。駐車場から100mほど森の中に入ると、天然秋田スギの巨木が林立していて圧巻です。
 林道は整備されていて、歩きやすいため、旅行ついでに森林浴をしに訪れるのも良さそうですね。
 伊勢神宮遷宮用材にも、江戸時代から守り続けられている「木曽ヒノキ」(長野県)
 長野県・木曽ヒノキの林
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 日本で最もヒノキの分布が集中しているのが、長野県木曽地域から裏木曽地域(飛騨南部、東濃地域)にかけてです。この地域に分布するヒノキは「木曽ヒノキ」と呼ばれています。ヒノキは優れた耐久性や抗菌作用があるため、日本最古の木造建築物、法隆寺、五重の塔にも使われていますが、木曽ヒノキは、木目が緻密で美しいのが特徴的です。伊勢神宮遷宮用材や高級建築用材としても使用されています。
 また、木曽の山々の美林は「木曽五木」が主体となって形成されています。木曽五木の歴史は江戸時代にさかのぼります。木曽谷の森林は、尾張藩直轄の領地でした。当時から良質な木材として知られており、江戸城の築城や造船、土木用材などに使われていたのです。
 ところが、約100年間に渡り、伐採され続けたため、木材資源が枯渇してしまいます。そのため、尾張藩は森林保護政策として「停止木(ちょうじぼく)制度」を設け、ヒノキのほか、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキの伐採を禁じました。ヒノキの保護が目的だったので、ヒノキに外観が似た樹種も保護の対象になったのです。このようにして保護された樹種は「木曽五木」と呼ばれ、今では木曽谷の名産品に。
 樹齢300年以上の天然木曽ヒノキが林立する見事な光景が眺められるのが、長野県木曽郡上松町の「赤沢自然休養林」です。この場所は、森林浴発祥の地でもあります。尾張藩が設けた制度により守られ続けてきた木曽ヒノキの森をぜひ見に行きたいですね。
 [参考]
 東北森林管理局
 下北ジオパーク推進協議会事務局
 上松町観光サイト
 [Photos by Shutterstock.com]
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 12月12日 MicrosoftStartニュース 朝日新聞デジタル(地域)「白神山地世界自然遺産登録30年 未来に向け自然と文化守るには
 整備が中止された「青秋林道」=1987年6月、秋田県八峰町朝日新聞社機から
© 朝日新聞社
 青森県秋田県にまたがり、原生的なブナ林が広がる白神山地は11日、ユネスコ世界自然遺産に登録されてから30年を迎えた。未来に向け、かけがえのない自然とその場で育まれてきた文化を守れるのかが今、問われている。
 昨年8月の大雨の影響で、路面が崩れたままの大川林道=2023年11月、青森県西目屋村、古庄暢撮影
 年間500万人が押し寄せる――。
 白神山地が1993年に世界自然遺産に登録された直後、そんな見通しを伝える報道もあった。
 ところが、ふたを開けてみると、入山者数は環境省が調査を始めた2004年度の約8万1千人がピークで、22年度は過去最少の約1万6千人まで減った。
 みんなで大家さん
 その要因とみられるのは、アクセスの悪さだ。
 秋田県藤里町にある小岳の山頂からは、世界遺産地域の中央部「核心地域」を望むことができ、観光客に人気が高いが、登山道へ向かう粕毛林道は脆弱(ぜいじゃく)だ。
 佐々木文明町長によると、大雨などで災害が起きると2~3年通行止めになり、30年のうち半分も通れていないという。
 「遺産登録当初は旅行会社が小岳へのツアーを企画してくれたが、アクセスの悪さから、旅行会社が敬遠するようになってしまった」と嘆く。
 外から人を引きつける力が弱い要因として、世界自然遺産屋久島にある「縄文杉」のような分かりやすいシンボルがないことや、受け入れるガイドの不足を指摘する声もある。
 日本山岳ガイド協会認定ガイドで、秋田県が養成する認定ガイドの講師を務める後藤千春さんは、それらの課題に取り組む前提として、国や県の方針のあいまいさを挙げる。
 「人を呼びたいのか、呼びたくないのか。観光なのか、保全なのか。根本的な方針を先延ばししているようにも映る」
 弘前大学名誉教授の牧田肇さん(82)は、青森県西目屋村でガイドを長年務めてきた。「山地の魅力を伝える発信力が不足している」と指摘する。
 理由として挙げるのは、山地がまたがる自治体の多さだ。山地中央部の世界遺産地域だけでも、青森県側は深浦、鰺ケ沢、西目屋、秋田県側は藤里と計4町村に及ぶ。
 さらに、登山道やトイレの整備は各自治体が個別に行っているといい、「一体的な整備がしにくく、PR活動も連携できていない」と話す。
 こういった課題を受け、4町村と周辺の弘前能代、八峰の3市町は2011年、「環白神エコツーリズム推進協議会」を設立。だが、事務局を藤里町に置き、連携に向けた取り組みを本格的に始めたのは19年になってからだ。
 加えて施設整備に必要な財源不足も課題だ。
 西目屋村では昨夏の大雨で被災した「暗門の滝」の遊歩道や周辺のキャンプ施設を、約4千万円の費用のうち700万円をクラウドファンディングで調達して復旧。一方、利用者の少ない林道は復旧の見通しが立っていない所もある。
 屋久島など国立公園に指定された世界自然遺産は、環境省が設けた交付金制度を施設整備に利用している。だが、国立公園ではない白神山地には、支援の枠組みがなく、協議会は21年度から支援を求めて陳情を続けている。
 ただ、牧田さんは、白神山地世界遺産に登録されたあと、外から訪れる人が増え、山菜や貴重な植物を根こそぎ採ってしまう問題も起きたと指摘。「入山者を増やしていくなら、自然と向き合う正しいマナーや知識の普及が必要だ」と話す。
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 白神山地への関心を高めつつ、自然と文化を守るにはどうすればいいのか。
 青森大学SDGs研究センター長の藤公晴教授(環境学)は、県外からの観光客を中心としたこれまでのエコツーリズムのあり方を変え、「県内のより身近な人たちに、山地の魅力を体感し、理解してもらう取り組みが必要だ」と言う。
 白神山地世界遺産に登録されたのは、青森、秋田両県の住民が、自然の価値や人と共存してきた歴史を再評価し、国の青秋林道の建設計画に反対したことがきっかけだったとする。
 ただ、今は関心が薄れつつあり、学校の授業や企業研修の場を活用し、山地の歴史を学んだり、訪れたりする機会を増やすべきだという。「その価値や将来像をまず両県でしっかりと共有する。そのことが、地域の連帯や外部への発信につながっていく」と述べた。(滝沢隆史、古庄暢、野田佑介)
白神山地の歩み
 1982年 青森側と秋田側を結ぶ「青秋林道」整備に着工
  87年 青森県知事が青秋林道建設の見直しを表明
  90年 青秋林道の整備計画が中止に
  92年 環境庁(当時)が白神山地を自然環境保全地域に指定
  93年 世界自然遺産登録が決定
  97年 連絡会議が秋田県側の核心地域を原則入山禁止、青森県側は許可制での入山方式を決定
 2003年 青森県側からの入山方式を許可制から届け出制に変更
  18年 青森県西目屋村にあるブナの巨木「マザーツリー」が台風で折れる
  22年 秋田県藤里町の「400年ブナ」が倒れているのが見つかる
  23年 世界自然遺産登録から30年
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