🌈8)─3─SDGsは平安時代から日本に存在していた。宗教都市「高野山」。〜No.17 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 弘仁7(816)年 空海弘法大師)は、高野山嵯峨天皇からが下賜され、密教の道場として開いた。日本仏教における聖地の1つである。
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 日本の神道と仏教は、他の宗教とは違い、自然崇拝として「自然と共生する」教義を中心核として持っている。
 日本民族にとって、自然そのものが神話であり宗教であった。
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 2024年3月15日 YAHOO!JAPANニュース 講談社FRaU「日本最古の宗教都市「高野山」には、1200年前からSDGsがあった!
 平安時代から1200年、日本の聖地として今も多くの人々の信仰を集める和歌山県高野山。「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界遺産にも認定されている場所です。弘法大師空海によって開かれた山頂の修行の場には、117もの寺院が密集。そのうち51ヵ所が宿坊として国内外からの旅人を迎え、疲れを癒し、同時に地域を存続させるための重要な観光ツールになっています。今回、聖なる山で花開いた仏教文化と山びとたちの暮らしを、旅ライターの仁田ときこさんが訪ねました。
 いまも昔も、森とともにある暮らし
 標高約1000m級の山に囲まれた山上盆地の高野山。1200年前に空海が修行の場所に開山した真言密教の聖地だ。約2kmにわたる「奥の院」の参道を歩くと、樹齢数百年の大杉が頭上を覆う。江戸時代に全国の大名から苗木を寄進され、いまに至る信仰林だ。その下には、歴史に名を連ねた戦国武将の供養塔(墓石)が、なんと20万基も連なっている。
 感慨深いのは、戦国時代は敵対していた武将たちが、死後には墓石となって仲よく並んでいること。参道を歩きながらこの風景を見ると、この世のすべては「諸行無常」なのだと思わずにいられない。
 奥の院には1200年間受け継がれている儀式がある。朝6時と10時半に、お堂で世界平和を祈るとされる弘法大師空海)に食事を運ぶ「生身供(しょうじんぐ)」だ。
 あの世とこの世の境目と呼ばれる「御廟橋(ごびょうばし)」を渡って、灯籠堂へ食事が運ばれる。風の日も大雨の日も、さらには戦時中も、それは欠かされることがなかった。
 そんな高野山には、古くより「一山境内地(いっさんけいだいち)」という言葉がある。「山のいたるところが境内」という意味だ。平安時代の初頭、弘法大師によって高野山が開かれたときから、ここは深い森林とともにあった。山の上をあえて修行場所に選んだのは、俗世と離れる場所が必要だったからだそう。華やかな京都や奈良といった都のそばではなく、人里離れた聖域を彼は求めたのだ。
 「自然と共生できる場所だからこそ、仏と対峙できる」。そんな大師の思いは、ここで暮らす人々に深く根づき、森を育てていくことに重きを置く。
 その答えとして、高野山の「金剛峯寺」には「山林部」がある。寺院に山の森林を守る部署がある寺は、日本では高野山だけ。「高野山SDGs」をテーマに森林と向き合い、豊かな自然を未来へ継承する部署だという。植林を行い、山をつくる活動を続けている。
 さらに、山林部の他にも「寺領森林組合」があり、ここに所属する森のエキスパートたちが、職人として高野山の2000ヘクタールにおよぶ森林を管理している。寺院の修復が必要なときは、これらの木々を建築用材として使うのだ。
 昔からたびたび落雷があった高野山では、修繕のための材木が何より重要。1本の木を育てるには途方もない時間がかかるため、森を守ることは寺院が継続するための「共生の道」なのだ。
 杉、檜(ヒノキ)、高野槙コウヤマキ)、赤松、モミ、ツガを「高野六木」に制定し、寺院や伽藍(がらん)の修繕用途以外の伐採を禁止しているのもその貴重さを物語っている。
 そんな高野山の森のことを深く知ってもらうため、寺領森林組合では「森林セラピー体験ツアー」を実施している。森の音を聴き、木に触れ、自然の色を見て、森林の匂いを嗅ぎ、最後に野山の幸を味わう。まさに、五感で高野山の自然を捉える森林浴は、高野山の歴史深い寺院とはひと味違う側面から心身がリフレッシュでき、癒やしを得られると人気だ。
 寺院のひとつ、「西室院」では霊木の御廟杉を御神体にしてお守りがつくれるサービスも。約30 種ある金襴(きんらん)の袋と吉祥結びを組み合わせて、自分だけの1体が制作できる。地産地消の愛らしい贈り物として話題を呼んでいるのだ。
 墓前に備える仏花にもサステナブルな試みがある。高野山の仏花は、古くから常緑針葉樹の高野槙のみ。境内には仏花の無人販売所が点在するものの、花はひと束も置かれておらず、高野槙しか並んでいない。冬には雪が積もるエリアなだけに、そもそも仏花の栽培には適さない。そこで、水に強い高野槙が選ばれたというわけだ。高野山という土地の特徴を活かした持続可能な風習が見てとれる。
 そういう土地だから、米の栽培もできない。つまり稲藁が手に入らないから、高野山では正月にしめ縄を飾らない。その代わりに干支や縁起物をかたどった切り絵が飾られる。これは「宝来」と呼ばれるもので、神棚や床の間、玄関などに掛けてある。毎年、正月に掛け替え、そこから1年じゅう掛け続けられる。高野山を歩きながら、いろいろな形の宝来を見つけるのはとても楽しい。
 見どころは寺院そのものだけではない高野山。1200年前から自然と共生するサステナブルな場所──。次はそんな視点で、この日本最古の宗教都市を巡ってみるのも新しい。
 森林セラピー高野山寺領森林組合https://www.forest-koya.com/
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