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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本民族にとって、桜は「若さ」で、梅は「老い」である。
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梅は公家であり、桜は庶民で、武士は松であった。
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日本民族にとって桜とは、自然であり、文化であり、宗教である、そして人生観・死生観・生命観、つまり「生き方」である。
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2023年3月28日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「桜を科学的認識と宗教的認識で見たときの違いとは
桜は日本の国花。全国の花見の名所では3年ぶりに花見会場が設置され、桜祭りなどが催される
世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし
(世の中に桜がなければ、春は心のどかに過ごせましょう)
古今和歌集や伊勢物語に収録されているこの歌は、平安時代の歌人・在原業平が「桜の開花と散り際が気がかりで仕方がない」と、その心持ちを詠んでいる。
古来から愛でられてきた桜は、いまも日本国中の人々が一つの花の開花を待ち望み、また、散る時期には心寂しさ感じるものである。
奈良時代の貴族たちは花見を催したが、当時の花見は、桜ではなく梅の花であった。
中国から桜が伝わったことで、平安時代以降に桜を見る習慣が徐々に浸透していった。
日本で初めて桜の花見をしたのは嵯峨天皇で平安時代のこと。
天皇が地主神社を訪れた際、一重と八重が同じ枝に咲いているのが目に入り、その美しさに惹かれて車を引き返させた。
翌年、地主神社の桜の枝を京都御所に献上させて、宮中の庭で弘仁3年に桜の花見を催したと『日本後記』「花宴之節」にある。
国語の教科書に広く採用され、『百人一首』の中で最も有名な歌の一つ、
久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
は、平安時代歌人で36歌仙の一人・紀友則の代表歌である。
久しぶり太陽の日差しがのどかな春の日に、美しく咲く桜は、静かに落ち着いた心のままで散っていく、という、のどかでうららかな春の日という情景描写と短い期間に一瞬咲き誇り、あっという間に静かな心持ちではかなく散る、という桜の内面を描写している。
■ 見るというより心で知ること
私たちは2つのものの見方がある。
一つは科学的認識で、もう一つは宗教的認識である。
もし、いま、目の前に桜の花が咲いているとしよう。
この時、桜を認識するのに花弁や雄蕊、雌蕊を分けて調べ「桜の最も基本的な形である一重咲きで花弁が5枚、雌蕊は1本、雄蕊は30~50本になるので、これはソメイヨシノである」と判断するのが科学的認識である。
この場合、観察される桜と分析する人間とは個別なものという立場であり、人は桜を観察しながら分析して、その存在を認識する。
科学とはこうした手法により判断するものだが、科学的知識には限界があるといわれている。
その理由は、時間と空間の内に入り来る桜の部分的な特徴を一つのカテゴリーにして一般化し、桜の形骸を見るだけに留まりその本質に触れていないためとされる。
俳聖・松尾芭蕉は「さまざまのこと思ひ出す桜かな」と、桜と自分自身を重ね合わせて投影し、心の眼を開いて見ることで桜をとらえている。
「識」とは、意識、生命力、心、洞察力を意味し、認識対象を区別して知覚することである。
大乗仏教では分析的に認識する「識」ではなく、観法により直接的な認識である「般若(はんにゃ)」で、見る側も見られる側もない、人と桜が主客一如となる。
それが、心の眼を開いて見る宗教的認識の手法であると明かす。
ならば桜という一個体を見るのではなく、宗教的認識では宇宙全体をどのようにとらえるのか。
『大日経』の内容を解説した『大日経疏』には「心自から心を証し心自から心を知る」とある。
それは眼で見るというより心で知るという神秘的な世界を洞察する手法である。
つまり、純粋で清浄な気持ちで宇宙を認識して感じることで、人は宇宙を我が内に感じられる。
その様態として、すべての相対を超えて一如となる。そして、ただ神秘的霊妙の充満するのを体認する、と密教は示している。
心を統一することで即身成仏を促すと説く『発菩提心論』では、この境地を次のように表現している。
修業者をして内心の中に於いて日月輪を観ぜしむ。此の観を作すに依って本心を照見するに湛然として清浄なる事猶し満月の光虚空に遍じて分別する所無きが如し
(修行する者は心の内に日輪と月輪を観想せよ。この観想で、自身のほんとうの心を照らして見よ。もし、それが静かで清らかであれば、まるで月の光が虚空(宇宙)を遍く照らしたかのように明暗の区別がない)
そうした状態は、すべての知覚・思慮を離れたものであり、真理を悟るための智慧の実践の手法であると空海は『発菩提心論』で明かしている。
この「満月の光虚空に遍じて分別する」にある「分別」とは、心、心所が対象に対して働きかけ、認知することをいう。
仏教用語の「分別」とは、自身の主観と相対する事物といった見地に立つことから、ありのままの姿の認識ではない。
一方、「分別する所無きが如し」、つまり仏教用語の「無分別」とはどういう意味か。
一般的な「無分別」の用法は「思慮が足りないこと」を意味するが、仏教の「無分別」とは主客の対立を超越した真理をとらえる智慧を「無分別智」と称し、一般とは反対の用法をとっている。
■ 生命はどのようにして誕生するのか
宗教には宗教的な生命観があり、そうした観点からすれば、生命には目に見えない何かが宿り、その何かを「心」「精神」「魂」と称する。
死後の世界について、多くの宗教では、輪廻、転生などが行なわれていると信じられ、生命の主体の本質は「魂」「霊魂」と呼ばれている。
私たち人間は、どこから生まれてきたのかといえば、両親の和合により托胎し生まれた、というのが一般的な認識である。
それは生まれて来た経過といえるかもしれないが、それで生の由来が明らかになったことになるのだろうか。
すべての両親は、もともと必ず子供を産まねばならないと和合に及んだわけではないわけで、父母は互いの世界の相互作用の中で一つになったのであろう。
その背景には何ものかが、父と母を駆って和合に至らせた。
そして、新しい生命が生まれ出たとしたならば、両親はただ何となく交わりたい衝動に催されて性交したに過ぎない。
しかし、その妙適の当処に新しき生命の種子は宿る。
稲は春に芽生え、夏に茂り、秋枯れても、稲の生涯は籾(実)に結晶して後に残り、再び翌年それがどこかに蒔かれて芽生える。
ならば、人の命も稲の籾(実)も、その生命はいかなる存在によって創られたか。
人類はいまだ完全にゼロから生命を創り出せてはいない。
田に蒔けば芽の出る米一粒の生命も人智や科学では創ることがかなわないのならば、生命はどこから来るのか。
生命とは、「物質」と「生物」、もしくは「生きた存在」と「死んだ存在」とに線引きする概念で、生物の個体には外部環境と線引きする細胞膜があり、代謝しながら成長し、自己複製しながら増殖し、進化するのが、その特徴として挙げられる。
19世紀になり自然科学が発達すると、生命の起源を科学的に説明しようと多くの科学者たちが試みた。
チャールズ・ダーウィンの進化論をもとに、多くの生物学者は最初に単純で原始的な生命が生まれ、より複雑な生命へと変化することが繰り返されたと主張する。
生命はどのようにして、いつ地球に出現したのか。その仮説は3つに分けられる。
まず、第一は、超自然的現象として、たとえば神の行為により、生命は無生物から発生したという説。
次に、宇宙空間には生命の種のようなものが遍万しており、隕石などの落下により、地球に生命が誕生したという説
最後に、無生物的な有機物質が化学反応を繰り返すことで生命となる有機体が形成されたと考える説。
この3つの仮説のうち、最後の仮説、地球上での化学反応の結果、生物が誕生したという説が現在では広く受け入れられている。
生命は海底火山の熱水がメタンや水素、アンモニアなどの無機物からアミノ酸などの有機物が生成され、その有機物の科学変化により生じた、というのである。
だが、日々の自然現象を観察する膨大な数の研究者たちは、地球上で生物が実際に無機物質から発生するのを、自然界において、過去に一度も観察したことがない。
また、実験室で太古の環境を想定した条件で無数の実験が行われたが、無機物から生命が誕生するプロセスは、一度も確認されていないのである。
■ 地球上の生命の元は一つ
生命が無生物と決定的に異なる特質としては、自己を維持する代謝と成長、自己と同型の複製の生産、外界への適応などの活動がある。
生物は有機分子を変換し細胞、器官などを構成し、代謝しながら外界から物質を吸収し、外界へ排出することで個体の更新が行われ、その働きによって生命が維持される。
そうした活動は生命にとっては不可欠であり、代謝の停止は生物の死をあらわす。
また、生命の普遍的な特徴の一つに、自らとよく似た子孫を複製し、増殖する能力をもっていることが挙げられる。
すべての細胞は細胞から生まれ、あらゆる生物は細胞でできている。
自己の複製は1つの細胞が2つの細胞へと分裂するもので、次の世代への遺伝により細胞の連続性が維持される事を生命の連続性という。
この自己複製の過程は遺伝と呼ばれる。
生命は遺伝子自体の複製によって遺伝情報が伝達されることで、その特徴が次世代へと伝えられる。
また、生きている存在はすべて、他の生物を拠所にしている。私たちが摂取する食料は魚や肉、米や麦といった他の生物がその元になっている。
生命は他の生命を摂取する。そうした相互の繋がりによって生命活動は維持されているのだ。
地球上の生物は同一の先祖から発展してきたと、生物学では考えられている。
つまり、地球における生命の元はたった一つの単細胞生物から進化したと言われ、地球の歴史上、生命の始まりは、この単細胞生物からの進化という、たったの1回のみという。
旧約聖書《創世記》の人間誕生の神話に「生命の樹」が言及されている。
その「生命の樹」に、地球上の生命をなぞらえれば、幹から幾重にも伸びた枝は、動物も植物もすべて同じ幹であるたった一つの単細胞生物へと繋がっているというのだ。
■ 生物と鉱物の違い
生命の考察に生気論と機械論の2つの概念がある。
生気論は生物を非生物から区別し、生命の本質には何らかの存在があることを主張する。
その存在とは大いなる存在であり、その生気が地中、水中、大気中の至る処に潜んで世界を支配していると考えられた。
機械論は、生命のあらゆる現象は化学と物理学における過程と現象によるもので、生物は原子と分子で構成されたものと主張する。
科学的認識では、生命とは物質の集合で機械的な相互作用により形成されるとしている。
宗教的認識では、たとえばヨーロッパなら旧約聖書の創世記による、神が自然も人間も、動物・植物もすべてを造ったと信じられてきた。
18世紀の博物学の分類体系は「動物」「植物」「鉱物」と3つに分類された。
鉱物は成長する。植物は成長し、花が咲いたり果実が実ったりするなどの動きがある。
動物は成長し、活動し、コミュニケーションをとり、感覚を持つ。
生物と鉱物の決定的な違いは、生物が活動することである。
環境に適応し、代謝し、成長し、活動することは鉱物にはない特性である。
だが、有機分子・アミノ酸がどのようにして、無数の細胞の中に広がる化学的、生化学的な複雑で組織化した生物となり、また、自己複製を促す生命へと変貌を遂げたのか、その疑問はいまだ解明されてはいない。
人類の進化が、他の動物よりも加速した要因として、感覚と感情を持っていることが挙げられる。
感覚とは肉体に体験される感覚刺激であり、人間は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚といった感覚とともに、内なる精妙な世界での感覚も具えている。
感覚そのものは肯定的でも否定的でもなく中立なものだが、この感覚に加え、それに関する思考が合わさったものが感情である。
見る、聞く、触れる、嗅ぐ、味わうなど感覚の情報により、感じたり、思ったり、考えたりするのである。
たとえば、私たちは、「雪が降れば肌寒い」と感覚的に感じる。
その寒いという情報が、もし、寒さに弱い人が、肌寒いという感覚を否定的に感じて、それが思考となれば、憂鬱といった感情が芽生えるというものである。
■ 覚るが先か、死が先か
仏教の説として古来より業感縁起が説かれている。
現世に生を受けたのは前世の宿業によるところというのだ。すべては生まれ変わり死に変わり、生命は再生するというのが輪廻転生の考え方である。
宇宙に蔓延する法性の実在より、森羅万象がことごとく生み出されることを『即身成仏義』で空海は「六大能く一切の仏及び一切衆生器界等の四種法身三種世間を生ず」と説いた。
六大とは地水火風空識で、全てのものを生み出し、すべての存在に備わっている。
すべてを生み出す大いなる存在が、時空を超えて主観客観となり色心(物質と非物質)とに分かれて大自然を織り出し、この世界を形づくっている。それは空海が示す密教の宇宙観である。
人間は肉体を持って、この世に生まれ出る。
しかし、肉体は如来の自性である仏性(覚性)を、この世に開き顕わす機関として生み出されたものと仏教はとらえる。
それは仏陀の教えに従い修養努力することで、真理を理解し、それを体得しうることを目指すのである。
「生得仏性」、仏性はすべての人々に内在している。だが、肉体には老病死がある。
人は覚るが先か、死が先か、その命は動きつつ変わりゆく泡の如く儚い。
桜は、のどかな春の日に一瞬、咲き誇り、やがてはかなく散ってしまう、それは人も同じなのだ。
これまでの連載一覧は次ページにあります。
一文字に畳み込まれた宇宙の真理:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74114
誰もが有する幸せになる宇宙の法性:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73698
煩悩を抱えたままでも人は幸せになれる、その方法とは:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73225
釈迦の言葉なき説法「心を以て心に伝う」その内容とは:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72815
仏陀の「悟り」と異なる密教の「覚り」、その終着点:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72207
人間を元気にも病気にもする「気」とは何か:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72027
原爆・焼夷弾で日本人大虐殺の米国と終戦後に国土略奪のソ連:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71276
仏教の教え:人はなぜ他人と比較したがるのか:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71082
6月15日は弘法大師生誕1249年、空海の密教とは何か:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70535
仏教と科学が示す輪廻と転生:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70126
本日4月8日は釈迦生誕2646年、その生涯を振り返る:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69594
春分の日、お彼岸の先祖供養の方法と意味:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69283
厄年に災難が起きるは本当か、厄除け・厄払いの正しい方法とは:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68812
キューバ危機に学べ:台湾有事は指導者の慢心が引き起こす:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68565
除夜の鐘、人間の煩悩の数はなぜ108なのか:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68235
中露海軍日本一周の意図:北海道はロシア領、沖縄を中国領に:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67637
原因不明で治療が困難な病気の実体は何か:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67309
中国やアフガニスタンで民主主義が不可能なわけ:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66888
日本人大虐殺を命じた米大統領と靖国問題:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66423
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仏教が教える人間が生きる意味と意義:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65546
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眞子さまと小室圭さんにお伝えしたい仏陀の言葉:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65090
宗教に共通する教え:幸せの本質とは何か:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64793
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恨みを晴らす妖術、邪術、その手法と歴史:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63717
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苦行により人は救われるのか、苦行とは何か(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60394)
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弘法大師空海:一指を以って招けば星月も落ち来たり(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59804)
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修験道と密教の違い:継承される力とされない力(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59475)
池口 恵観
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