🌈20─1─山岳信仰 日本文化の根底を探る。修験道。~No39No.40 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2022年8月7日 MicrosoftNews FNNプライムオンライン「久しぶりに本が読みたくなる書評『山岳信仰 日本文化の根底を探る』(鈴木正崇 著・中央公論新社
 © FNNプライムオンライン
 8月11日の「山の日」で、2022年は木曜日が祝日となる。8月は学生・生徒・児童・園児は夏休み期間中なので直接的な恩恵は受けないが、働く人々にとって灼熱地獄といっていい日本の夏を一日でも多く休めるのは、とてもありがたいことではないだろうか。
 【画像】室堂平から見た立山連峰
 この祝日は2014年に制定された。日本山岳会などの働きかけで超党派による「山の日制定議員連盟」の結成が制定の発端になった。議連は当初、お盆休みの連携も考えて8月12日を考えていたようだ。ところが、その日は日本航空123便が「御巣鷹山」に墜落した日(1985年)だったため、12日を「山の日」の祝日にするのは適切ではないという意見が出て、一日前倒ししたという経緯があったらしい。祝日を制定するのもなかなか大変である。
 「信仰の対象」から「修行の場」へ
 さて今回の書評は、山にちなんで『山岳信仰 日本文化の根底を探る』(鈴木正崇 著・中央公論新社)を取り上げようと思う。新書版だがなかなか充実した内容で、民俗信仰の概観図といった趣がある。序章のほか、出羽三山大峰山英彦山、富士山、立山、恐山、木曽御嶽山石鎚山の山々の山岳信仰が説明されている。
 序章では山岳信仰の全般的な説明がなされていて、この部分だけでもかなり読み応えがある。
 山岳信仰は、自然を崇拝するアニミズムがその底流にある。なので、山岳信仰の中に日本の原初的な宗教の片鱗も見出すことができる。たとえば「山中他界観」がある。死者の霊魂が山中に集まるというものだ。この本によると、東北の恐山・月山、関東の相模大山、中部の白山・立山、近畿の高野山、伊勢の朝熊(あさま)岳、那智の妙法山などがそれにあたるらしい。山は天に近い。だからこそ、彼岸と現世の境界線になりうるのだろう。
 こういった古代人の死生観に外来の宗教である仏教が加わることによって、山岳信仰は一層の複雑さと深みを増すことになった。仏教の影響によって「山中他界」は仏菩薩の居地とされた。阿弥陀如来観音菩薩がおわす極楽浄土や補陀落浄土とみなされたのである。
 一方、飛鳥時代奈良盆地三輪山の大神(おおみわ)神社では、三輪山そのものが聖域とされた。そのため神社には拝殿はあるが本殿はなく、ある地点以上は禁足地とされた。山そのものが拝む対象なのである。この時代までは「山」は自然の猛威の象徴であり、祟りを人々に投げかける神であった。だが、奈良時代に入ると山岳信仰に対する考え方が変わり始めてくる。
 (以下引用)
 「奈良時代には、山を里から遥拝するだけでなく、山に入って自然の霊力を身につけようとする修行者が現れた。聖(ひじり)、禅師(ぜんじ)、優婆塞(うばそく)などの半僧半俗の人びとで、私度僧(しどそう・正式な官許を得ていない僧)も含まれ、彼らは山中で神霊と交流して一体化するシャーマン(巫者・ふしゃ)でもあった」
 (以上引用)
 山を神として、畏れ、崇拝し、奉る対象から、その霊力を「利用」しようとする考えが生まれたのである。これは何気ないようでいて、日本人の精神史にとって画期的な出来事ではないだろうか。山の神と一体化しようという発想は、恐れおののき奉ることに終始する態度から一歩踏み出している。
 時代はさらに進んで平安時代に入ると…
 (以下引用)
 「平安時代初期に最澄(767~822)は比叡山を開山して天台宗を、空海高野山を開山して真言宗を開き、山林修行を取り込んだ」
 (以上引用)
 山の持つ凛と張りつめた空気は修行にもってこいの「場」なのだろう、日本仏教界の二大巨頭の最澄空海が「山」を修行の場として選んだのである。
 ここで面白いのは、比叡山延暦寺の立ち位置だ。古代中国の陰陽五行説を出自とする「北東の鬼門」を、平安京の北東の比叡山延暦寺を置くことによって邪気払いをしようとした。古代中国の宗教哲学の不吉を、インド北東部発祥の仏教で清めようとする発想は、おおらかな宗教観をもつ日本独特のものだろう。
 富士山信仰
 さて、個別の山々の信仰もそれぞれ個性がありいずれも面白いが、ここでは「富士山」を取り上げてみたい。さすが富士山ぐらいになると、信仰の古さも半端ではない。それは縄文時代中期にまで遡るらしい。
 静岡・富士宮市の千居遺跡や山梨・都留市の牛石遺跡では富士山を拝むような配石遺構になっているという。たしかに、あのなめらかに山裾へ流れる稜線や、自然な左右対称の山姿は、縄文人の崇拝心を大いに刺激したことだろう。
 さて、本地垂迹(ほんじすいじゃく)という仏教用語がある。神仏習合にかかわる言葉で、本地である仏が仮に日本の神に姿を変えて衆生救済を行うというものである。富士山の場合、本地は大日如来垂迹は浅間大菩薩である。そして「富士山縁起」によれば、あの「かぐや姫」との関わりがあるのだという。
 (以下引用)
 「日本最古の物語とされる『竹取物語』(平安時代前期)は、『竹取の翁(おきな)』が竹の中から見出して育てたかぐや姫が、貴公子の求婚にも帝(みかど)からの召し出しにも応じず、富士山に登り八月の満月の夜に『月の都』へ帰る。しかし、『神道集(しんとうしゅう)』『富士浅間大菩薩事』では、竹林から生まれた『赫野姫(かぐやひめ)』は国司の娘として育ち、成長して富士山の仙女と名乗り、神となって出現する。仙女の表現には神仙思想の残滓(ざんし)がある」
 (以上引用)
 ということらしい。正直言って、富士山の出てくる「竹取物語」を初めて知った。しかしそれもあってかぐや姫は、中世では富士山の祭神になっていたという。
 さて、宝永4年の最後の大噴火が落ち着いた江戸時代中期以降、富士山への登拝が江戸庶民のブームとなった。いろいろな富士講(富士山を崇拝する人々によって組織された団体)が江戸で生まれ、富士参詣を目指した。
 旅行日程の一例をあげると、
 (以下引用)
 「江戸から吉田は健脚で片道三日、御師(おし)の宿で一泊し、強力(ごうりき)を雇って七合目まで丸一日、翌日は夜中に出て山頂でご来光を拝んで、下山後は山麓で宿泊する。そして翌日に帰途につく。時間と費用がかかるので、講の成員がお金を集めて代表を選び、祈願を託して登拝させる『代参講』が発達した」
 (以上引用)
 富士登拝は、かように大がかりなプロジェクトなのである。
 富士講あるいは浅間(せんげん)講は、宗派によって各種の講があったが、小谷三志(こたにさんし)の作った講では、
 (以下引用)
 「男女平等の精神に基づき、身禄百年忌にあたる天保三年(1832)旧暦九月に江戸深川の鎌倉屋十兵衛の娘『たつ』を連れて女人の初登拝を敢行した。江戸時代には女性の登拝は表口(村山・大宮)は中宮八幡、東口(須走)は中宮小室社、北口(吉田・船津)は二合目御室浅間神社(本宮)まで、御縁年の庚申年には北口の女人登拝は四合五勺の御座石(ございし)浅間神社までとされていたので、この禁制を打破したのである」
 (以上引用)
 上に見る身禄(しんろく)は、富士講の開祖・角行(かくぎょう)の法脈を引き継ぐ人で、この人の思想は『一字不説之巻(いちじふせつのまき)』に「階層や身分を超えた平等思想を説く富士信仰の特徴が伝えられている」とされているので、小谷三志はその思想を実現化したのである。これ以降、女人解禁はなし崩し的に進み、明治5年に正式に解禁となった。
 民俗的な山岳信仰は宗教としてみた場合、超絶的な権威や指導者がいないだけに、既存の宗教よりもはるかに柔軟性に富んでいたのである。
 【執筆:赤井三尋(作家)】」
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山岳信仰 - 日本文化の根底を探る (中公新書)
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「山岳信仰」の解説
 山岳信仰 さんがくしんこう
 山岳に宗教的意味を与えて崇拝し、種々の儀礼を行うことをいう。古来、山岳は世界各地で精霊、神々、悪魔などの居所として畏敬(いけい)されてきた。さらに祖霊のすみか、天と地を結ぶ軸、宇宙そのものと信じられた。山岳は修行・祭り・啓示・託宣などがなされる場所でもあった。こうしたことから山頂や山麓(さんろく)などには、祭場・寺社・祠(ほこら)・墓などがつくられ、巡拝者が訪れることも多かった。
 山岳信仰は世界の諸宗教にみることができる。未開社会では山岳は神霊のすみかとされ、雨乞(あまご)いや豊饒(ほうじょう)の祭りが行われた。古代宗教でも、山岳信仰は、ゼウスをはじめとする神神がいるとされたギリシアオリンポス山の信仰、バビロニアで山を築いてエンリルを祀(まつ)る祭り、エジプトの死者の国への道としての山岳の信仰などにみることができる。また東洋では、中国の泰山(たいざん)・霍山(かくざん)・華山(かざん)・恒山(こうざん)・嵩山(すうざん)の五岳(ごがく)の信仰、道教の他界である崑崙(こんろん)山、仙人のすみかとされた蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)の三神山の信仰、インドの聖なる山ヒマラヤ、チベットカイラス山信仰などが広く知られている。ヒマラヤの信仰は仏教に摂取されて、須弥山(しゅみせん)中心の宇宙観を生み出した。須弥山は宇宙の中心をなす山岳で、高さ800由旬(ゆじゅん)、山頂には帝釈天(たいしゃくてん)、山腹には四天王が住み、日月がその周囲を回り、人間は九山八海を隔てた周囲にある四つの島に住むとされたのである。わが国でも妙高(みょうこう)山、弥山(みせん)などの山名はこの須弥山を意味している。山岳信仰は、ユダヤ教モーセ十戒を授かったシナイ山信仰、キリスト教のイエスが磔(はりつけ)になったゴルゴタの丘の信仰、イスラム教の聖地メッカ近くのアラファト山の信仰などのように、他の普遍宗教にも認めることができる。
 [宮家 準]
 日本の山岳信仰目次を見る
 日本でも古来、山岳は神霊の住む霊地として崇(あが)められた。その神霊は農民たちには水田稲作を守る水分(みくまり)の神や祖霊とされ、山中の猟師たちには獲物を授けてくれる山の女神と信じられた。そして農民は山麓で、猟師たちは山中で祭りを行った。農民たちの山の神祭祀(さいし)はやがて神社神道(しんとう)に引き継がれ、村の背後の小丘を神の居所として山麓に祠をつくって祀る神社祭祀となっていったのである。さらに大神(おおみわ)神社(奈良県)、金鑽(かなさな)神社(埼玉県)、諏訪(すわ)神社(長野県)などのように、山自体を神体として、拝殿から直接拝する神体山信仰の形態をとるものも現れた。
 奈良時代には、仏教や道教の影響を受けて入山修行をする者も多かった。そして最澄(さいちょう)、空海により山岳仏教が提唱されるにつれて、山岳寺院がつくられ、山岳はとくに、天台、真言(しんごん)の密教僧たちの修行道場となっていった。こうした密教僧のうち、とくに験力を修めた者は修験(しゅげん)とか山伏(やまぶし)とよばれた。修験者は大和(やまと)(奈良県)の大峰(おおみね)山などの山岳で修行した。やがて、古代末ころになると、修験者たちは奈良時代の優れた山岳修行者役小角(えんのおづぬ)を開山にいただいて修験道とよばれる宗教をつくりあげていった。中世期には修験者は、吉野(よしの)(奈良県)、熊野(くまの)(和歌山県)、羽黒(はぐろ)(山形県)、英彦山(ひこさん)(福岡県)、白山(石川・岐阜県)など各地の霊山を拠点として、山野を跋渉(ばっしょう)し、宗教面のみでなく、政治・軍事の面でも大きな力をもっていた。しかし近世以降は村々に定着し、呪術(じゅじゅつ)宗教的な活動に従事した。
 近世期には一般庶民たちも講(こう)を結んで山岳に登るようになっていった。とくに富士山、木曽(きそ)の御嶽(おんたけ)山、出羽(でわ)三山、大峰山、三峰(みつみね)山(埼玉県)、石鎚(いしづち)山(愛媛県)、英彦山などは多数の信者を集めていった。明治期になると政府は神仏を分離し修験道を廃止したので、修験者は天台か真言の仏教教団に所属した。このおり神職になったり帰農した修験者も多かった。しかし第二次世界大戦後は修験教団が独立し、各地の山岳霊場にも数多くの登拝者が集まっている。
 [宮家 準]
 『和歌森太郎著『山岳宗教の成立と展開』(1975・名著出版)』▽『桜井徳太郎著『山岳宗教と民間信仰の研究』(1976・名著出版)』 
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 2019年11月26日 ecotopia編集部「エコトピアその他山岳信仰とは?人が山を神とした理由や対象の山をご紹介!
 山岳信仰とは?人が山を神とした理由や対象の山をご紹介!
 山岳信仰とは?人が山を神とした理由や対象の山をご紹介!
 日本には「八百万の神」という言葉があるように、様々なものに神が宿っていると考えられていました。 その多くは自然現象に対する信仰や畏怖からくるもので、中でも有名なものは「山岳信仰」ではないでしょうか。
 山岳信仰とは、日本人にとって、どのような役割があり、なぜ根付いたのでしょうか。 山岳信仰の意味と、山岳信仰として有名な山々をご紹介します。
 山岳信仰とは?山を敬う自然崇拝
 山岳信仰とは、自然崇拝の一種で、特に山岳と関係の深い民族が、山の自然環境に対して畏怖する気持ちや、山の自然から得られる恩恵に感謝する気持ちから発展した宗教形態です。
 山岳信仰がある地域では、山から流れる川、周辺の森林などに衣食住を依存した生活を送り、一方で険しい山の地形や自然環境に命を奪われることを恐れていることから、山に霊力があると信じ、自らの生活を律するためにも、山の圧倒感を利用する傾向にあります。
 日本でも狩猟の場、鉱山や森林から得られる恵みと、険しい地形、火山などに対する畏敬から、神が宿る、もしくは降臨する場所と信じられています。 死者の魂は山に帰る、という考えもあり、イタコの口寄せをはじめ都市、先祖霊供養の場としても、山岳信仰は発展しました。
 また仏教の世界観でも、世界の中心に須弥山(しゅみせん)という高い山がそびえていると考えられていて、真言宗の開祖である空海高野山天台宗の開祖である最澄比叡山を開くなど、山への畏敬の念が見られます。
 現在では、交通機関や道具の充実から登山が容易になり、観光やスポーツ利用などで、山に人々が入り込むことが多くなり、ゴミの放置や環境汚染など、山岳信仰からすると禁忌を破った行為が増えています。
 しかし、このような行為が増えたことで、山をなだめるための大規模な祭事を行うこともあり、逆に自然と共存する精神が見直されているケースもあるようです。
 日本の山岳信仰として有名な山とは
 日本には多くの山岳信仰の対象となった山が存在します。 その中でも有名なものをいくつかご紹介します。
 富士信仰
 日本を代表する山、富士山も富士信仰として崇拝されていました。 富士山はその美しさから神々しさを感じられますが、それだけではなく太古から噴火により人々が畏敬を抱いていたことも、信仰される原因の一つになったことでしょう。
 富士山の周辺には、縄文時代の祭祀遺跡が発掘されていることから、かなり昔から富士信仰の原型が存在したと考えられています。 関東甲信、東海地方には「浅間神社(あさまじんじゃ、せんげんじんじゃ)」が複数存在しますが、これは富士山に対する信仰の神社です。
 出羽三山信仰
 山形県の月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)の総称である出羽三山(でわさんざん)は、山岳信仰の場として現在も多くの修験者や参拝者が訪れます。
 飛鳥時代崇峻天皇(すしゅんてんのう)の皇子である、蜂子皇子(はちこのおうじ)が修行を積んだ場として歴史は長く、国宝である羽黒山五重塔を始め、多くの重要文化財も存在しています。
 麓山信仰
 福島県郡山市にある麓山(はやま)も山岳信仰として有名な山です。
 古くから地元で信仰の対象とされ、福島県指定重要無形民俗文化財の「麓山の火祭り」も有名です。 これは400年以上の歴史がある神事で、五穀豊穣を祈るものであることから、麓山が長く信仰された山であることがうかがえます。
 日光信仰
 栃木県の日光山も信仰される山として知られています。 奈良時代から続く歴史があり、現在も修行の場として峰入りが実施されています。
 また、あの徳川家康が死後、自らが眠る地として選んだ場所でもあります。
 立山信仰
 富山県立山山麓には、岩峅寺(いわくらじ)や芦峅寺(あしくらじ)など、信仰登山の拠点が数々存在します。
 死者の魂や山の彼方へ行くという山上他界の進行があり、立山を巡拝することで、死後の世界を体験し、修行を積むことで法力を身に着けることができると考えられていたそうです。 立山の地獄谷は有名で、近くにある「みくりヶ池」は血の池とし、剱岳は針山地獄とされていました。
 海外にも山岳信仰がある
 日本だけではなく、海外でも山々を敬う気持ちから、山岳信仰がありました。 有名なものをいくつかご紹介します。
 ギリシアのオリンポス
 ゼウスを始めとする十二神で知られる、ギリシアの神々はオリンポス山に住んでいるとされていました。 ヨーロッパで最も高い山であり、植物がとても豊かで固有種の数も多いオリンポス山は、昔のギリシアの人々に畏怖の念を抱かせ、信仰されたに違いありません。
 また、オリンポス山麓の町であるリトホロは「神の街」とも言われています。
 中国の五岳
 中国には泰山、衡山、嵩山、華山、恒山という山々が存在し、これらは五岳として神格化されています。 中国の神話には、盤古(ばんこ)という万物の元となった神が存在し、死の際に五岳となったと言われています。
 特に泰山は聖地として名高く、複数の山岳信仰が残っています。
 アメリカのシャスタ山
 アメリカのカリフォルニア州にある、シャスタ山も山岳信仰があります。
 昔からこの地に住むアメリカ先住民には聖なる山として崇められ、登山家で日本山岳会会長の小島烏水氏によると、富士山に類似した部分があるそうです。
 また、山頂は万年雪に覆われ、雪解け水はサクラメント川の源で、ミネラルウォーターで有名なクリスタルガイザーの源泉としても知られています。
 山岳信仰のように自然を敬う気持ちを忘れずに
 このように、山岳信仰の根底は山から与えられる恵みへの感謝や、噴火を始めとする自然災害への恐れがあります。 文明が進んだ現在を生きる私たちは、自然の中に神が宿るとはなかなか信じられないことでしょう。
 しかし、環境問題が深刻化してしまった今だからこそ、自然との付き合い方を考え直さなければならないはずです。 山岳信仰はそれを教えてくれる考えの一つではないでしょうか。ぜひ参考にしてみてくださいね。
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 西行法師「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮参拝して)
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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