🎑114)─2・C─『ゴジラ-1.0』に込められた想い「神様と怪物、その両方を兼ねた存在」。~No.256 

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 2023年11月12日 YAHOO!JAPANニュース Lmaga.jp「シリーズ最新作『ゴジラ-1.0』、山崎貴監督が込めた想い「神様と怪物、その両方を兼ねた存在」
◆「作り終わってから『これは神事だな』と」
 映画『ゴジラ-1.0』で脚本・監督・VFXを担った山崎貴監督
 日本に強烈なインパクトを与えた、1954年の初代『ゴジラ』(監督:本多猪四郎、特殊技術:円谷英二、音楽:伊福部昭)。特撮映画としてあまりにも完璧すぎたため、以降の映画人はその呪縛からずっと逃れられずにいたが、2016年に庵野秀明が『シン・ゴジラ』で60年ぶりにその呪縛を解いたのは記憶に新しいところ。
 その『シン・ゴジラ』の次作はどの監督が担うのか。誰もが二の足を踏みそうな重圧のなか、オファーを真正面から受けきったのは、卓越したVFX技術と演出力で、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ、『海賊とよばれた男』などを手がけてきた山崎貴監督。ゴジラフリークの評論家・ミルクマン斉藤が話を訊いた(取材・文/ミルクマン斉藤)。
──今回の『ゴジラ-1.0』、面白かったです。ゴジラ映画のなかでは格段にドラマ性があって。
 初代のゴジラがそうですからね。怪獣映画って、怪獣と人間とで話が分かれがちなんですよ。なんとかそれをリンクさせようと意識しました。
──怪獣映画はどうしてもバトルの話になりがちなんで。ゴジラも、シリーズの初頭から平成ゴジラまでそうなっちゃった。やっぱりゴジラの登場というのは、水爆実験で安住の地を追われた結果なので。
 そうそう。核実験があって生まれた生物というのがまずストーリーとしてありますよね。
──ちょっと感慨深かったんです。核時代に突入してしまった恐怖、戦争で無念にも亡くなった方の怨念が具象化して、それでゴジラというものが成り立っているわけで、やはりゴジラって、いみじくも「GODZILLA」とも書かれますが、まさに「怒れる神」的側面が強い。
 やっぱり神様と怪物、両方を兼ね備えている存在が日本のゴジラだなと。ハリウッド版ゴジラは、怪物(モンスター)としての要素が強い印象があります。
──ただ怪獣王じゃなくてね。
 どこかに神様の素質があるというか、言うなれば「祟り神」ですよね。だから、核によって生まれたんだとしたら、本来日本に来るべきではないのに、祟り神になって暴走して、日本にやってくる。『もののけ姫』の祟り神も、全然関係ない村に来て荒らしまわるじゃないですか?
 ああいう昔から人間が恐れていた、すごい怨念を持ってしまったものが、こっちに来たらどうしようみたいな感覚って日本人じゃないと持ち得ない。そして、倒すというより鎮める。作り終わってから、「ああ、これは神事だな」と思ったんです。ゴジラという災厄をみんなで一生懸命鎮めて帰ってもらうのがゴジラの物語だと改めて感じましたね。
◆「3代目なんです、僕のゴジラとしては」
 映画『ゴジラ-1.0』 (C)2023 TOHO CO., LTD.
──確かに儀式的なもの、鎮魂的なものを感じますね
 国産のゴジラを作るという意味が、意外と日本に属するものなんだなという感じがしたんですよ。ハリウッドのゴジラは日本とは桁違いな製作費をかけて作られていますが、やっぱり本質は日本にあるんだなと。「ゴジラにおいてはそこは譲れんよ」というのを、作り終わってから感じたんです。
 1954年の初代ゴジラが、まだ戦争の傷跡も残ってるのに核実験もたくさんおこなわれてしまって、日本はどうなるんだろうという人々の不安がゴジラという形でやってきたから、いろんな人たちの心に刺さったと思うんです。
──不安の時代という意味では、現在まさにその最中に我々はいますね。
 いろいろと世界情勢、キナ臭い問題もありますよね。あと、作っている最中に世界がコロナになって、どんどん映画の内容とリンクしていって。『シン・ゴジラ』が3.11のメタファーだったように、これも今の不安なんかが怪獣となって現れて、それが祟り神を鎮めるという意味なのかなと思いましたね。
──今回、主人公・敷島(神木隆之介)が、戦争でのトラウマを克服するために奔走します。山崎監督は、これまで『永遠の0』(2013年)や『アルキメデスの大戦』(2019年)など、戦争映画を何本か撮ってられるじゃないですか。東宝的に見てみると、監督なりの8.15シリーズ(※註)という感じがすごくしたんです。
 ※岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』(1967年)など、東宝が手がけた一連の戦争映画
 8.15シリーズ+ゴジラですからね(笑)、本丸中の本丸です。僕の戦争映画は事実を描くだけじゃなくて、違った切り口をもっていると思うんです。例えば『永遠の0』なら、おじいさんが何を思ってるかを現代の若者たちが探っているうちに真実が浮かび上がるみたいな、いわゆる戦争映画じゃなかったじゃないですか。
 『アルキメデスの大戦』に関しても、大和の沈没を前提として、大和を作ることの是非を問う映画でしたからね。同じ列に並んでいる。ちょっと違う切り口で戦争を描きたかったんです。そういう意味では今までと同じですね。戦争が終わって生き残った人たちの想いを映画のテーマにしたというか。
──まさに東宝らしく、8.15シリーズのなかにスポッと今回のこのゴジラが入っている気がします。しかしドラマ性は強いんだけど、ゴジラの出し方にはためらいがないですよね(笑)。
 はい(笑)。オープニングからそうですね。
──山崎監督が手がけた『ALWAYS 続・三丁目の夕日』でフルCGのゴジラを見たとき、あまりの格好良さに、きっとゴジラ好きに違いないと。フォルムといい動きといいアングルといい、おそらく山崎監督はゴジラを撮りたいんだろうなと。
 そういう意味で言うと、『続・三丁目の夕日』があって、「西武園ゆうえんち」で『ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦』というアトラクションをやって、で、今回のゴジラですからね。3代目なんです、僕のゴジラとしては。満を持して本編。ようやくここに辿り着いたという感じですね。
◆「あれは本来、人間側の反撃のテーマ」
 映画『ゴジラ-1.0』 (C)2023 TOHO CO., LTD.
──今回の造形にも直接関わられていますが、どんなところを重点的にデザインされましたか?
 立体でもデザインしたし、絵もいっぱい描いたんですけど、「『ゴジラ・ザ・ライド』のゴジラが一番良いんじゃねぇか?」となって。というのが、『ゴジラ・ザ・ライド』は究極のゴジラを作ろうと始めたものだったんです。それに対してのカウンターで作っていたんですが、最終的には『ゴジラ・ザ・ライド』をベースに、さらに映画用にブラッシュアップしようと。「俺たちのゴジラはこれだ!」と。
──『続・三丁目の夕日』のゴジラは、オリジナルのフォルムに近かったですよね。今回ちょっとガタイがデカいというか。
 マッシブですよね。ゴジラのカッコいいところを集めて作った感じです。いろんな時代のゴジラがあるけど、でも、誰が見てもゴジラだねって思えるようなゴジラで、それでいて凶暴で恐ろしいものを見たくて。
──そして、海のシーンが多い。
 もう、大変だったんですよ(苦笑)。特にCGの時代は、1カットごとに全部シミュレーションしないといけないから、海はメチャクチャ大変で。でも、今までと違う感じを出したかったんです。あと、軍艦も出したかったから(笑)。あの時代を調べていくと、機雷処理の人たちがすごく活躍したということが分かってきて、そんな人たちなら貧しい船でも機雷の力でゴジラと戦えるんじゃないかと。
──そして、抜群のタイミングで伊福部昭さんの音楽が出てくる。もちろん、佐藤直紀さんの音楽もシンフォニックで素晴らしいんですが。
 佐藤さんが作ってくれた部分はかなりストイックだったんです、音の使い方が。最初聴いたとき、もっとメロディアスな感じになると思っていたら、わりと現代音楽に近かったんで大丈夫なのかな? と。でも、音をつけてみたら、ものすごくゴジラの品格が上がって。
 で、ここいちばんというシーンでは、伊福部サウンドじゃないですか。僕はもっと違う曲を想定してたんですけど、佐藤さんが「いや、ここはやっぱり伊福部先生でしょう」と、あえて当てたところなんですよ。
──佐藤さんも伊福部ファンなんですかね?
 というか、学校の先生らしいです。実際に伊福部さんの教えを受けてるんですって。
──え、そうなんですか!? どうりで、使い方をよく分かってるなぁと。僕みたいな伊福部マニアにはグッとくる(笑)。
 ですよね(笑)。
──作戦のシーンは伊福部さんが自ら編んだ『SF交響ファンタジー第1番』冒頭をほぼそのまま使って、ゴジラ出現時には12音技法的なゴジラのテーマで。人間が立ち向かうタイミングで例のテーマが流れる。
 あれは本来、人間側の反撃のテーマですからね。そこであのテーマ曲を当てるというのは非常に正しい使い方だと思います。実際、あそこは盛り上がりますよね。テーマ曲の強さは時間を超えますね。『ミッション・インポッシブル』でも、いざとなったらあれがかかる。
◆「シーンとしてはオマージュが結構ある」
 映画『ゴジラ-1.0』 (C)2023 TOHO CO., LTD.
──そういうマナーに則りながら、主となっているのは敷島と典子(浜辺)の人間ドラマ。ゴジラvs軍隊ではなく、いわば戦争でさまざまな傷を負った庶民の物語ですね。
 臆病だったが故にたくさんの仲間を死なせてしまった、そういう後悔を抱えた男がなんとか人間らしさを取り戻そうとした瞬間、その怒りがすべてゴジラに向かっていくという物語を軸にして、僕なりのゴジラを描きたかったんです。
 やっぱり人間ドラマがゴジラという存在にどうリンクするかが大きなテーマだったので。それは初代ゴジラが人間のドラマと怪獣のドラマをちゃんと相対峙させていたからなんですね。そこがないと初代を目指した意味がないなぁ、と思ったんです。
──意図的だと思いますが、初代ゴジラの登場人物は一切出てきませんよね。例えば、芹沢博士とか。
 そうですね。どこかのゴジラの話と繋げるつもりはまったくなかったので、これはこれでひとつのゴジラの物語として作りました。
 なのでリンクはさせてないですが、シーンとしてはオマージュが結構あるんですよ。ゴジラが電車を咥えたりとか、塔が倒れたりとか。
──中継のアナウンサーに「みなさん、さようなら」(初代ゴジラの名セリフ)とは言わせられないまでも、塔が倒れるシーンはちゃんと入れているという。
 さすがに言わせられなかったですね(笑)。だけど、初代の報道魂だけは残しました。それに、ゴジラが咥えた電車のなかの乗客はどんな恐怖に晒されてたんだろうか、と。それをぜひやりたくて。だったら、典子を乗っけちゃおうと思って。電車の運転手も顔の似てる役者さんを探してきて。並べて見ると面白いですよ。
──こんな風に初代と繋げるんだ、と感激しました。
 もう、ゴジラは電車を咥えてナンボだろうと(笑)。予算の都合で電車が作れないかもって話になったけど、「お願いだから作ってくれぇ!」と頼み込んで。「電車の一部だけでも。あとはデジタルでなんとかするから」と言ったら、そこだけは本当に動くセットを、ちゃんと重力もかかるように作ってくれて。
──もともと監督はVFXをやっておられるから。今回もかなりガッツリやられたんでしょうか。
 はい、もうガッツリと(笑)。デジタルネイティブの若手がだんだん力をつけてきてて、彼らがすごいんですよ。生まれたときからCGがあって、息を吐くようにCGを作るんです。今まで見たことないようなのを作ってくれたんで、楽しかったですね。これまでの技術屋たちが焦ってますよ。
 中堅どころが「それは難しいです」って言うと、若手が「できますよ、やってみましょうか?」と作っちゃう。今までの技術に胡座かいていられない時代が来たんですよ。でも、うちの会社の良いところは、中堅が若手に対して、「それ、どうやってやるの?」と一緒になって作ってる。ああ、良い会社だなと思って僕なんかは見てます。
──山崎監督が所属する「白組」って、もともと創立者の島村達雄さんが実験的なアニメーションを作っておられましたしね。進取の気概がある。
 それは喜びますよ、島村会長が。もう完全に引退すると言ってましたけど、まだ自主制作で謎のアニメーションを作ってますからね。昔は相原信洋さんらとも実験映画を作ってましたし。
──CGといえば、今回、町中がものすごい爆風にのみ込まれるシーンが出てきますよね。
 恐怖心というか、ゴジラは本来そういう存在だと思うんです。初代の『ゴジラ』は第五福竜丸の話もあるなかで作られたから、そこは切っても切り離せないものがある。やはり核については少しメタファーとして感じさせないとゴジラにならないんじゃないかなと。
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 11月12日 YAHOO!JAPANニュース オリコン「『ゴジラ-1.0』で光った山崎貴監督の手腕 VFXの達人のルーツとは 【篠宮暁の特撮ヤベーイ!】第48回
 『ゴジラ-1.0』(C)2023 TOHO CO., LTD.
 ピン芸人オジンオズボーン篠宮による大好きな特撮に特化したコラム『オジンオズボーン篠宮暁の特撮ヤベーイ!』。第48回は、山崎貴監督の手腕が光ったシリーズ最新作『ゴジラ-1.0』について語る。
 【画像】山崎貴監督が庵野秀明監督に『ゴジラ-1.0』の評価を直撃
 公開直後から早速高評価の声があちこちから聞こえ、大ヒットした前作『シン・ゴジラ』の興行収入をも上回るかもしれないと言われている『ゴジラ-1.0』。もし本当にゴジラが東京に現れたらを徹底的にリアルに追求、約2時間の作品にパンパンに詰め込んだ相当量の情報、それまでに発表された怪獣映画の魅力の数々を凝縮し最大濃度にまで上げた庵野秀明監督がこだわりにこだわった『シン・ゴジラ』は、特撮ファンのみならず普段特撮を見ないお客さんをも熱狂させました。
 そんな最高傑作の後、誰がどんなゴジラを作るのか。ペンペン草も生えないくらいやり尽くされた『シン・ゴジラ』から早7年、ついに日本発の新作が。まず、戦後の日本にもしゴジラが現れたら?という設定が秀逸すぎます。第一作目のゴジラが発表されたのが1954年。終戦からたった9年しか経っておらず、画面からは戦後の空気感を感じることもできるのですが、今回の時代設定はその一作目よりも前。つまり誰も見たことがないゴジラを生誕70年にして見ることができるという無茶苦茶幸運にして幸福なタイミングがまさに「今」なわけです。
 監督は『アルキメデスの大戦』『永遠の0』『海賊とよばれた男』『ALWAYS 三丁目の夕日』など第二次世界大戦の前、最中、後、復興の日本を描いてそのどれをも大ヒットさせてきた山崎貴監督。『ゴジラ-1.0』を撮るためにこれらの作品を製作してきたのではないかと思うほど今作は山崎監督のこれまでの要素が詰め込まれており、これらの作品を経てるからこそ『ゴジラ-1.0』の設定の着想を得られたのかもしれません。
 ゆえに、このゴジラを今の日本で山崎監督以外に撮れる人はいないと言っても過言ではありません。山崎監督は周知の通り、世界にも通用する日本最高レベルのVFXの達人で、これまでにすごい映像で驚かされてきたこと数知れず。そして山崎監督のすごいところは映像のみならず人間ドラマを撮ることにおいてもトップクラス。今作に出演する俳優さん方もこれまで山崎組に出演されて遺憾無く実力を発揮されてきた方たちばかりで、ドラマパートでもしっかり心をわし掴みされ目頭を熱くさせられます。
 数分おきに展開される目が離せないシーンの連続。これまでの映画でも多用されてきており、山崎監督の得意とするところでもあるんですが、自分が初めてこの山崎監督のテクニックに魅了されたのはもう20年も前のこと。当時飛ぶ鳥を落とす勢いがあった金城武さん主演の『リターナー』という作品があったのですが、この時に自分は山崎監督の虜になりました。
 『マトリックス』の弾丸の映像に世界が驚いた2000年代初頭、その『マトリックス』にも負けないような映像を日本発で見せてくれたのがこの『リターナー』。圧倒的な金城武さんのかっこよさ、まだあどけない鈴木杏さんの好演、そして先ほども書いた通り見どころが次々とやってくる演出。
 『ゴジラ-1.0』の布石はもうこの時にすでに打たれていたのかも知れません。ゴジラ生誕70周年にして最高傑作となった『ゴジラ-1.0』。100周年に向けてより盤石になったことは間違いありません。
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 日本神話とは、自然崇拝である。 
 日本の神は、幸いと恵みをもたらす和魂、御霊、善き神、福の神と不幸と災いをもたらす荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 日本の神には、崇拝・崇敬はあっても信仰はなかった。
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