🎑114)─2・A─ゴジラはダーク・ヒロイン(メス)である。~No.256 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年10月31日22:10 YAHOO!JAPANニュース ひとシネマ「元祖「ゴジラ」生みの親、本多猪四郎監督 「-1.0」公開でよみがえる作品に込めた思い「戦争の犠牲は庶民」
 ゴジラ人形と本多猪四郎氏=東宝撮影所で1992年
 ゴジラの生みの親は誰か? 特殊技術の円谷英二監督を挙げる人は多いだろうし、映画製作に詳しい人はプロデューサーの田中友幸と答えるかもしれない。そして、もう一人、忘れてはいけない人がいる。第1作の「ゴジラ」(1954年)で本編を演出した本多猪四郎監督(93年2月死去)だ。筆者は本多監督が亡くなる約3カ月前の92年秋、ロングインタビューを行った。シリーズ最新作「ゴジラ -1.0」の公開を前に、特撮・SF映画の名監督が最晩年に語ったゴジラへの思いを、30年ぶりに振り返る。
 【動画】終戦直後の日本に現れたゴジラゴジラ-1.0」予告編
 被爆地の光景と重なった「G作品」
 本多監督に、田中プロデューサーから「G作品」という名の企画が持ち込まれたのは54年の春のこと。これが「ゴジラ」だった。作家、香山滋によるプロットを読んだ本多監督の脳裏に、ある光景が鮮烈によみがえったという。「昭和21(1946)年、戦場から復員して東京に帰る途中、広島を汽車で通ったのです。その時、窓からチラリと見えた、あの悲惨な光景はね……」
 「今後70年間は草も生えない」とまで言われた、すさまじい被爆地の惨状。ゴジラを原爆の象徴として捉えた本多監督は、「あのすごさをゴジラを通じて表現できないか」と考え、それが演出の基本姿勢となった。
 「ゲテモノ」扱いにもひるまず
 実は本多監督のもとに来るまでに「G作品」は複数の監督から断られていたという。「『こんなゲテモノ』と思ったみたいだね。けれど、僕には気恥ずかしさとかは全然なかったな。それよりも『ゴジラをどう表現するか』『主人公の科学者の性格はこれでいいか』とか作品に対する興味が次々と湧いてきた」
 とはいえ本邦初の「水爆大怪獣映画」だ。何から何まで初めてのことばかりで、スタッフもキャストも戸惑うことが少なくなかった。その中で、本多監督が細心の注意を払ったのは「リアリティー」だった。
 「あんなスゴいモノが現れたら人々がどう対応するかを、きちんと描くこと。自衛隊が出動するのも、ああいう怪獣が現れたら、やはり自衛隊が出て行くだろうと思って出したんです。特撮に関しては円谷さんに任せて、僕は特撮部分と本編部分が違和感なくつながることに気を使いました」
 病院の惨状に重ねた空襲後の焦土
 リアリティー重視の意図が最もよく表れているのは、ゴジラによる東京襲撃後の病院のシーンだろう。廊下に所狭しとばかり並ぶけが人と被災者たち、親を亡くして泣く幼子、そしてガイガーカウンターによる検査で子どもが放射能に汚染されたことがわかる場面。それは映画公開のわずか10年前に、日本の各地で起きていた出来事を容易に想起させる。
 「ゴジラの東京襲撃シーンが戦争中の空襲を思い起こさせると言われれば、そうかもしれない。戦争で一家のあるじを失った母子が出てくるところとか、病院のシーンには、特に戦争や空襲のイメージが強いかもね。それは演出上、意識したものです」
 軍隊生活8年「犠牲は庶民」思い強く
 リアリティーを支えたのは、本多監督自身の戦争体験だろう。本多監督は東宝(当時PCL)の助監督だった35年を皮切りに、計3度も陸軍に召集され、日中戦争に従軍した。「合わせて約8年間の軍隊生活ですからね。職業軍人以外で、こんなに務める人は少ない。耐えられたのは『戦争なんかで死んでたまるか。何としても国に帰って映画を撮るんだ』という気持ちですよ」
 中国では、戦火に翻弄(ほんろう)される庶民の姿を間近で見た。終戦は現地で迎え、約半年の中国軍の捕虜生活の末に日本に引き揚げてきた。「戦争は庶民が一番犠牲になる。これが僕の戦争体験から得た気持ちですね。だから『原爆は戦争を終わらせるための必要悪』という意見には絶対反対だね」
 本多監督だけではない。終戦から9年後に作られた「ゴジラ」は、製作スタッフもキャストも誰もが戦争経験者だった。主演の宝田明は、11歳の時に旧満州(現中国東北部)のハルピンで終戦を迎え、侵攻してきたソ連兵に右腹を撃たれるなど、壮絶な体験をしている。そんな人々が核兵器の恐ろしさを描こうと真摯(しんし)に取り組んだから、「ゴジラ」は映画史に残る傑作となったのだろう。
 怪獣中心にならざるを得なかった
 54年11月3日に公開された「ゴジラ」は大ヒットした。観客動員数は800万人とも900万人ともいわれ、同じ年に東宝が公開した「七人の侍」(黒沢明監督)や「宮本武蔵」(稲垣浩監督)と興行成績トップを争った。しかし本多監督によれば、当時の批評家筋の評判は良くなかったという。やはり「怪獣映画なんてゲテモノ」という偏見が抜きがたくあったのだろうか。
 「『人間が描けていない』とか『人間関係が型どおり』とかの批判を受けた。けれど僕にしたら、そんなに人間を描き込むと作品全体のバランスを崩すと思うんだよね。大変な怪獣が現れたのだから、作品中のすべてのものが、それを中心に動くのは仕方がないですよ。そのあたりが批評家の人たちとは意見が違ったんだろうな」
 「ゴジラ」の成功によって、本多監督は東宝の特撮SF・怪獣路線のエースとなり、その後、数々の傑作・佳作を生み出していく。「もちろん『ゴジラ』は真剣に撮りましたが、自分にとって特別な作品だという意識はなかった。けれど、これがきっかけとなって僕の専門みたいになるジャンルと出合ったのだから、運命的なものを感じますね」
 元祖の思いは「ハイテク描き込む」だったが……
 インタビューの終盤、本多監督に「今(92年)、ゴジラを撮るとしたら?」と聞いた。「衛星監視システムとか、クローンとか、バイオテクノロジーとか、ハイテクをしっかり描き込むだろうなあ。それらとのゴジラの関係、絡みが面白いかもしれない」。本多監督は新作を作るなら、当時の最新の状況にゴジラを置き、最先端の科学と対峙(たいじ)させようと考えていた。
 ところが最新作「ゴジラ -1.0」は、まったく逆の方法を選んだ。歴史をさかのぼり、終戦直後の日本に舞台を設定した。もちろん製作スタッフ、キャストには、太平洋戦争も、戦後の過酷な状況も、経験した者はいない。その中で、いかにして焼け野原の東京にゴジラが現れる状況にリアリティーを与えるのか。そして昭和の過去を舞台にしながら、令和の現代にどんなメッセージを伝えようとするのか。山崎貴監督の挑戦を、天国の本多監督は興味深く見守っていることだろう。
 毎日新聞元運動部編集委員 神保忠弘
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 同じ怪獣であってもゴジラは、ガメラとは違って人類・日本人の敵であって味方ではない。
 ガメラは、童話「浦島太郎」に出てくる竜宮城からの海ガメをイメージされる。
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 ダーク・ヒーローのゴジラは、日本人によって殺されている。
 その意味で、現代のヒロイン・ゴジラが日本を破壊するのはヒーロー・ゴジラを科学の力で惨殺した日本人への復讐物語である。
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 ゴジラ映画とは、正義は必ず勝つという勧善懲悪の物語ではなく、メスの復讐物語である。
 つまりは、日本的な鬼子母神か夜叉神の物語である。
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 2023年10月27日21:31 YAHOO!JAPANニュース MOVIE WALKER PRESS「庵野秀明監督、山崎貴監督最新作『ゴジラ-1.0』の感想は?「本当によかった。これで『ゴジラ』は続くから大丈夫」と笑顔!
 『ゴジラ-1.0』について絶賛するも、庵野節も炸裂!
 『ゴジラ-1.0』(11月3日公開)の公開を記念して行われている「山崎貴セレクション ゴジラ上映会」の最終回が10月27日に池袋HUMAXシネマズで開催され、山崎貴監督と庵野秀明監督が登壇。お互いへのツッコミを含むにぎやかなトークで、大いに会場を盛り上げた。
 【写真を見る】MCも務めた庵野秀明監督。進行説明で台本を読んだ
 本作は1954年に初めて姿を現して以来、日本のみならず世界中を魅了し、衝撃を与え続けてきた怪獣「ゴジラ」の70周年記念作品であると共に、日本で製作された実写版ゴジラの30作品目という特別な節目の最新作。神木隆之介が敷島浩一役、浜辺美波が大石典子役で出演する。
 全4回にわたり山崎監督が自ら厳選した「ゴジラ」過去作を上映し、各作品にゆかりのある人物を招いてトークショーを実施する特別イベントの最終回となったこの日。「ゴジラ」シリーズの前作にして興行収入82億円超の大ヒットを記録した『シン・ゴジラ』のモノクロ版、その名も『シン・ゴジラ:オルソ』が初上映され、さらにフィナーレを飾るゲストとなったのが、『シン・ゴジラ』(16)の脚本、編集、総監督を務め、今回のモノクロ版企画の提案者でもある庵野監督だ。
 ゲストでありながら、ステージでは庵野監督がMCも務めた。イベントスタート時間になると庵野監督がおもむろに姿を現し、会場からも大きな拍手が上がった。「本日のMCを務めさせていただきます、庵野秀明です」と切りだしてさっそく爆笑を誘いつつ、「しばらく台本を読むんで」とイベントに中継が入っているという説明や、「録音、撮影は禁止」と注意事項までを読み上げ、「長いな」と台本にぼやく場面も。「じゃあ山崎くん、どうぞ」と呼び込まれた山崎監督は、「この上映会の最後に、ついに庵野さんを迎えられて非常に楽しみにして来ました」と笑顔を見せていた。
 「東宝の宣伝部から、『山崎くんはいつも普段着で来るから、普段着で来てください』と言われた。騙された。ちゃんとスーツあるんですよ」とセーター姿の庵野監督が、ジャケットを着て来た山崎に愚痴をこぼす場面からトークはスタート。
 「『シン・ゴジラ』好きなんですよ」という山崎監督は、「どんなのができるんだろうと思って観たら、まあおもしろくて」と惚れ込んだという。同作のVFXは山崎監督も所属する映像制作プロダクション「白組」が参加していたが、「庵野さんに『白組がいい仕事をしていたので、誇らしかったです』と言ったら、庵野さんは『だいぶ鍛えましたから』と言っていて」と同作の完成試写会での会話を暴露して、会場も大爆笑。庵野監督は「かなり鍛えた」と笑顔で認めた。白組には調布チームと三軒茶屋チームがあるそうで、山崎監督は「三茶はどうなっちゃうんだろうと思ったら、ボロボロに疲弊していた」と振り返りつつ、「でも全部終わった時に、庵野さんが『本当にありがとうございました!』とみんなに言ったらしいんです。それでみんなキュンとなっちゃって。『庵野さん、いい人かもしれない』って」と庵野監督が一気にチームの心をつかんだと続けると、庵野監督は「基本いい人なんですよ」とニンマリとしていた。
 そして『ゴジラ-1.0』への道のりを回想した山崎監督は、「『シン・ゴジラ』は本当にすばらしかった。『すごいな。三茶のチームをよくここまで奮い立たせて、すごいものを作ったな』と思っていたら、東宝さんから『そろそろ、次の『ゴジラ』どうですか』と言われて。『シン・ゴジラ』のあとかよ!と思って」と相当なプレッシャーがあった様子だ。庵野監督は「よくやったよね」と目尻を下げて、観客も爆笑。山崎監督が「撮影の途中に、庵野さんが陣中見舞いに来てくれた。その時に『本当によくやるよね』と言われた。『シン・ゴジラ』の後にはぺんぺん草も生えない。誰もやらないですよ。相当なバカヤロウじゃないとやらない」と覚悟して挑んだことを明かすと、庵野監督は「さすが山崎くん」と引き受けた山崎監督に笑顔を見せ、「よくできていた。本当によかった。これで『ゴジラ』は続くから大丈夫だよ」と『ゴジラ-1.0』の出来栄えを称えた。
 すると庵野監督の感想が気になっていた山崎監督が「そもそもどうなんですか!」とうずうずする気持ちを抑えられなくなったように質問し始めたが、庵野監督は「いろいろツッコミどころは満載なんですよ」と素直に回答。山崎監督が「うるさいよ!」と食い気味にツッコむと、会場も拍手をしながら大笑いだ。庵野監督は「それはもう全部横に置いておいて」と前置きして、「おもしろいです。特に銀座!銀座を見てください。銀座、すばらしいです。あと後半に僕は、すごく好きなところがあって。キュンとくる」とネタバレを気にしながら熱弁し、「山崎くんを応援しなければいけない。これは多分大丈夫だと思うけど、大儲けしてくれないと次につながらない」と「ゴジラ」愛を語る。山崎監督は「『ゴジラ』はちゃんとヒットしないと…。『シン・ゴジラ』のあと。ヒットしなければいけない」とまたプレッシャーが顔をのぞかせていたが、庵野監督は「これはおそらく大丈夫」と太鼓判を押していた。
 『ゴジラ-1.0』について「褒めてばかり」と庵野監督が語ると、山崎監督は「もうちょい」とおねだりする場面もあり、山崎監督は「あそことか多分、好きだろうなと思った」と庵野監督が好みそうなシーンを思い浮かべようとしていたが、庵野監督は「僕の好みは、山崎くんには伝わらない。ものすごい狭いところ。そこなの!?と思うようなところが好き」だという。
 山崎監督は「それを聞くのが楽しみだな。軍艦とか作っている時に、『ちょっと庵野さん、悔しがるんじゃないかな』と思った」とニヤリとすると、庵野監督は「その辺はね、ぬるい」とバッサリ。観客や山崎監督も大笑いとなったが、とはいえ庵野監督は「山崎くんがいままでやっていた、いろいろな映画の集大成。上手だなと思った」と絶賛を続け、山崎監督が「いままでこのためにやってきたような」、さらに庵野監督が「そう言っても過言ではないくらい。いままでの培った技術が無駄なく、全部集約されている。その技術力はすばらしい」と応えるなど、お互いにリスペクトをにじませながらトーク。山崎監督は「『シン・ゴジラ』でいい仕事をした人を、連れて来ちゃった。庵野さんに鍛えられた人にお願いした」と告白し、庵野監督は「ちゃんとバトンを渡しましたね」と技術の継承を喜んでいた。
 取材・文/成田おり枝
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 11月1日 YAHOO!JAPANニュース TOHO CO., LTD.「樋口尚文の千夜千本 第206夜『ゴジラ-1.0』(山崎貴監督)
 樋口尚文映画評論家、映画監督。
 (C)2023 TOHO CO., LTD.
 ゴジラの王道にブラック・レインが降りそそぐ
 今度のゴジラは戦後間もない、ようやく復興が始まった頃の東京を蹂躙するらしいと聞いて、それは紛らわしいのではないか、初代ゴジラは昭和29年に出現したのだから、いっそ同じ年のパラレルワールド的な話でもいいのではないかと思ったのだが、実際に本作を観てみると、映画を面白くするためにはゴジラはどうしても戦後ほどなくして現れなくてはならず、厳密に言えば昭和26年にサンフランシスコ平和条約が批准され、同時に日米安保条約が発効する以前に出現してもらいたい、おそらくそんな作り手の意図になるほどと思った。
 なぜそうなのかはあまり詳しく記さないが、要はでかい軍隊が出てきて抽象的な戦争の画が始まるよりも、それこそ『白鯨』や『ジョーズ』のようなレベルでの具体的な戦闘のディテールが描かれたほうが映画はだんぜん面白くなるだろう。事ほどさように前作『シン・ゴジラ』のゴジラはどこか生物的な設定を超えてとこん無敵な、動く原子炉のメタファーに変貌していったが、本作のゴジラはあくまで具体性を帯びた怪獣そのものであり、『シン・ゴジラ』が狂人的なマニアによる壮大で異色な二次創作だとすれば、本作は真摯な名うての職人による原典の王道アダプテーションというべきだろう。
 つとに知られることだが、山崎貴監督はあたかも本作のパイロット・フィルムのようなゴジラ描写を2007年の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の冒頭でやってのけていた。ここでは「鈴木オート」に近い竹芝からゴジラは上陸し、都電を次々に吹っ飛ばして三田付近を残骸にしたあげく、白熱光でお約束の東京タワーまでへし折ってしまう。おまけに堀北真希の六ちゃんがおめかしして出かけるのは日劇で、山崎監督はもうここで「ゴジラ」「日劇」のVFX表現のレッスンを大変な精度で敢行していた。
 私はてっきりこれで『ゴジラ』次回作は山崎監督に決定かと思いこんでいたのだが、意外や16年を経て山崎監督が日進月歩のVFX技術をもってのぞんだゴジラ」と「日劇」の場面は音楽も含めて圧倒的な原典愛が炸裂する名場面となった。日劇前の晴海通りという花道を歩く破壊神の威風堂々。さまざまな初代『ゴジラ』の細部にもオマージュを捧げつつ、技術的にブラッシュアップされたこの場面の王道表現を観ていると、おそらくこういう迫力とダイナミックさを構想しつつも、当時の技術ではかなわなかった円谷英二特技監督本多猪四郎監督の夢を、孫の世代が最新技術で実現してみせているように思われた。
 それは特撮面に留まらず、いわゆる本篇=ドラマ部分における神木隆之介の元日本兵の表現についても言えるのではなかろうか。私は本多猪四郎監督の批評的評伝を生前の本多監督への長いインタビューをもとに上梓したことがあるが(1992年筑摩書房刊/2010年国書刊行会復刊『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』)、本多監督は『ゴジラ』を決して反戦反核の主題のために撮ったのではなく、かつて観た『キングコング』のような娯楽スペクタクル映画を撮りたかった、と私に語った。三度も召集されて大陸の戦地に赴き苦労した本多監督にとって戦争などというものは商業的な映画で到底描き得ないものであろうし、また熱心な映画少年であった本多監督にとっては、狭量なテーマ主義よりも映画の娯楽性こそが何よりも豊かな宝物であったに違いない。
 実際『ゴジラ』をテーマ主義で見ようとするから「人間が描けていない」などという筋違いな批評を呼んでしまうことになるわけだが、本多監督の言うように『ゴジラ』は純然たるエンタテインメント作品なので、人物が大きな比重で深刻に描かれる必要はなく、その人物表現の匙加減は全く間違っていない。ただ『ゴジラ』の宝田明河内桃子を見ていると、この娯楽映画としてのおさまりをはみ出ないかたちで、もう少し人物に陰翳を与えることができたのでは、といったうらみはあったのではないかと推察する(殺人兵器の発明を死で抹消した平田昭彦の芹沢博士にはある程度そういう工夫があった)。そして、『ゴジラ-1.0』の神木隆之介の表現には、そのことの解があったような気がする。
 神木は戦時中の特攻とゴジラにまつわる深甚なトラウマを背負い、懊悩する生き残り組として荒廃した戦後を生きている。ところがこのずっとベトナム帰還兵のような虚無的な表情をしていた神木が焼跡のヒロインの浜辺美波と出会い、ゴジラに改めて立ち向かう展開のなかで変わってゆく。あくまで怪獣映画というジャンルにはまる範疇でこの特攻崩れの神木の扱いがうまく行っているのは、山崎監督が『永遠の0』というレッスンを通過しているからかもしれないが、これもまたVFX同様、「人間が描けていない」と揶揄された本多監督の孫世代が頑張って試みた怪獣映画なりの最適解かもしれない。事ほどさようにVFXと人物描写の両面で、山崎貴監督ははるか円谷英二特技監督本多猪四郎監督からバトンタッチされた課題を誠実に打ち返している。
 そしてゴジラのブレストがアメリカンな逞しさで、白熱光発射前の背びれのギミック(これは観てのお愉しみ)も今どきなテイストであるのに、美しいメカのフォルムの艦船や飛行機の雄姿にはあたかも往年の『日本海大海戦』のような趣がある。これはちょうど佐藤直紀伊福部昭という異質な音楽の対比にも通ずるのだが、大枠の王道的な展開のなかで随所に、こうした自在なレファレンスも感じさせるところが好ましい。そう言えば、あの浜辺美波の包帯姿はまさか『愛と死をみつめて』だろうか。いやそれは東宝ではなく日活作品なので違うのではと思われるかもしれないが、山崎監督は『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の日劇の映画館の場面で東宝作品ではなくわざわざ日活の『嵐を呼ぶ男』を選んでいたではないか。と、そんなふうにさまざまな細部が愉しませてくれるわけだが、それにしても『黒い雨』や『ひろしま』ではなく『ゴジラ』に「黒い雨」が降ったのはエポックな瞬間であった。
 記事に関する報告
 樋口尚文
 映画評論家、映画監督。
 1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭芸術選奨キネマ旬報ベスト・テン毎日映画コンクール日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。
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