🎑114)─2・L─『ゴジラ-1.0』は昭和前期を扱った時代劇だからこそ描ける現代の問題点。~No.256 

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 日本のゴジラは低額予算で制作され、ハリウッドのゴジラは高額予算で制作される。
 日本の特撮映画は、何時消えてなくなるかわからない「崖っぷち映画」である。
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 2023年12月8日 MicrosoftStartニュース デイリースポーツ「新作ゴジラ全米の歴代邦画実写興収を更新 わずか5日で34年ぶり大記録 「子猫物語」超え
 全米での新記録を樹立した映画「ゴジラー1.0」
 © (C)デイリースポーツ
 映画「ゴジラ-1.0」が、北米で現地時間1日から公開され、全米における累計興収が同5日(火)までに1436万ドル(Comscore調べ)を突破した。邦画実写作品の全米興収は「子猫物語」(89年公開)の約1329万ドルが歴代1位だったが、34年ぶりに更新。上映開始から5日間で大記録を軽々と踏み越えた。
 北米では邦画実写史上最大規模となる2308館(うちラージフォーマット750館)で初日を迎え、週末3日間(12月1日~3日)のオープニング興収(先行上映含む)で約1100万ドル(約16億円)を記録。日本製作のゴジラシリーズ全米最高興収で「子猫物語」に次ぐ歴代2位だった「ゴジラ2000 ミレニアム」(99年公開)の約1003万ドルを3日間だけで上回った。
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 12月7日 MicrosoftStartニュース JBpress「ストレスゼロの大傑作『ゴジラ-1.0』時代劇だからこそ描ける現代の問題点
 2023年11月1日、東京国際映画祭より ©️rodrigo reyes marin/zuma press wire/共同通信イメージズ
 © JBpress 提供
 (歴史家:乃至政彦)
 『ゴジラ-1.0』のくさいセリフ
 いつも戦国時代をメインとする歴史ものばかり記事を掲載して頂いているが、今回は『ゴジラ-1.0』から、「過去との対話」という歴史的テーマについて書かせてもらいたい。
 上映から一ヶ月ほど、ネタバレを避けるため遠慮していたが、ある程度のことまでならもう大丈夫だろう。
 今回テーマとしたいのは、佐々木蔵之介演じる秋津淸治船長の印象深いセリフ「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」についてである。
 本作は昭和22年(1947)の戦後を舞台とした作品である。
 もう70年以上も前のことを映像化するのだから、時代描写は困難を極める。言葉遣い、大道具、小道具、歴史事件をどのように再現するか、無数の問題がある。
 昭和を舞台とする作品に定評のある山崎貴監督の作品であるから、本作の時代考証は緻密で、文句のつけどころがない。
 事実の「歴史そのまま」にするのではなく、適度に「昭和ぽさ」を組み合わせていて、我々を異世界へと連れていってくれている。
 よって、オーバーで“クサい”演出が目立つことになる。このため本作を一種の「時代劇」と感じた人もあるようだ。
 私もいくらかはそう思うのだが、特に秋津のセリフは、戦後昭和という特殊な時代らしさが強いと感じた。
 現代を舞台とする作品ではちょっと出てこない言葉なのである。
 ここにこの映画を現実の我々と無関係なファンタジー作品と見るか、現代に通底する価値観を打ち出すリアルの作品と見るかの分岐点がありそうに思う。
 ストレスゼロの大傑作
 最初に言っておくと、『ゴジラ-1.0』は本当に素晴らしい。正直言ってこれまでの邦画ゴジラには、どの作品においても特撮シーンのどこかで、心の目をつぶらないといけないところが必ずあった。
 今の技術で可能な限り、普通の人生では我々が見られないはずの驚くべき光景を見せてくれている──という感動と同時に、映像技術の限界を感じさせられてきた。初代ゴジラも観客たちは、着ぐるみのゴジラが登場するたび、笑いが出ていたという。
 昭和なら、怪獣の尻尾や航空機を操演するためのピアノ線が見えてしまったり、平成でも海外のコンピュータグラフィックスと比較にならない作り物感がはっきりしていて、「ここは理性を押さえ込んで/理性を使って、納得することにしなければならない」と自分の情感をコントロールする必要があったのだ。
 それが、本作にはない。ストレス・ゼロだ。
 ここに『ゴジラ』(1954)、『シン・ゴジラ』(2016)と並ぶ万人向けゴジラ映画がもう一作できた。長年のゴジラファンとして喜ばしい限りだ。
 さて、今回の記事はゴジラを持ち上げるためのものではない。
 歴史と解釈の話をしたい。
 本作『ゴジラ-1.0』はちょっとした時代劇臭がある。もはや歴史と化してしまった昭和前期の雰囲気を、当時の映像や発声を意識しながら、近年蓄積されてきた映像的な「昭和らしさ」を念入りに作り込んでいる。
 前世紀に大量に作られた江戸時代ものの映像作品もそうで、緻密な時代考証よりも「みんながこれまでのフィクション作品で見慣れてきたシェアードワールド」を舞台に作り込んでいる。 
 山崎貴監督の作品は、戦前戦中戦後の昭和前期を舞台とする作品が特に高い評価を集めている。観客をこのフィールドに見事引き寄せて、フィクション昭和を心地よく見せてくれている。
 誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!
 さて、秋津淸治船長の「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」についてである。
 これは、実にいい言葉だ。
 とてもかっこいいセリフで、日本人なら、なんとなく共感してしまうところがある。
 お互いがお互いを思いやり、明るい社会のため、ある程度の自己犠牲を許容する。ここには、現代社会を舞台とする作品ではもうほとんど見られない価値観がある。
 こういうセリフを現実に言うことは、まずないだろう。
 例えば、あなたの上司が受注した商品の生産をスケジュールギリギリで進めていたと考えてもらいたい。
 みんな時間外労働協定のもと、限られた時間の限界まで働いていた。
 だがここでメイン技術者の芹沢スタッフが倒れた。過労だった。
 このままでは納期に間に合わない! そしてもはや法的に許される時間外労働が残されたスタッフもいない。
 そこで上司はいう──。
「このまま納期を守れなければ、全ての努力が無駄になる。だから明日から3日間、俺はタイムカードを切らずに仕事をやる。俺一人で終わらせるわけじゃないがな。でも誰かが……誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!!」
 そう言って、あなたたちの顔を見たらどうするだろうか。
 たとえ上司が佐々木蔵之介の顔をしていたとしても、ちょっと反応に詰まるだろう。
 昭和の思考と行動
 秋津淸治よろしく「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」というセリフが、美しく響くには条件がある。
 それは、相手と自分が、ともに個人の都合より何らかの大いなるものを優先する価値観を共有していなければならないことだ。
 その大いなるものとして考えられるものは、国家、信仰、思想だが、秋津艇長の思いはそこにない。官なるものが消失して、それよりも個別の「家族」という小さな共同体への思い、それが繋がりあっているのだろう。
 本作の秋津艇長は、個人主義者ではない。
 今は薄くなった"押し付けがましさ"が色濃く残る「昭和の男」らしい価値観の持ち主である。
 本作後半に登場する堀田辰雄艦長は、もと軍人でありながら、重要な場面で、「皆さん、良く聞いてほしい。これは命令ではありません。個々の事情がある方は帰ってもらって構わない。それを止める権利は我々にはない」と言っていて、秋津艇長と少し違った現代的な価値観に基づく言葉を発している。
 どちらも相反するような考え方であるが、監督は両方の主張を肯定的に描き、感動的に見えるように仕立てている。
 ここに本作の人間ドラマの真髄を感じる。
 突き詰めれば、みんな思いは違っていて、矛盾する思いを抱えているが、考え方の違いから対立することなく、最善を尽くしている。
 現実の問題と向き合える時代劇
 先の堀田艦長に「俺達だけがなぜ貧乏くじをひかねばならんのですか?」と言い放った者もいたが、最終的には、その「貧乏くじ」を進んで受け入れる民間人の戦力が結集して、最後の大作戦に挑む展開となっていく。
 こちらをチラチラ見ながら「無償でタイムカードを使わずに労働しようじゃないか」という令和上司は画面映えしないが、戦後日本の秋津艇長が「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」と喝を入れるシーンは名場面になる。
 なぜだろうか?
 ここを考えていくと、昭和と違う時代を生きる我々が担っている問題と、乗り越えるべき道とが見えてくる。
 我々は、"強者が「やりがい」をもって弱者を搾取する社会構造には、強く「否」を唱えるべきだ"とする時代に生きている。
 だが、「逃げろや逃げろ」にも限界がある。全員が「逃走」ばかり望んでいては、共同体そのものが滅びてしまう。我々は個人同士を尊重する必要があるが、同時に共同体を失っては生きてはいけない。
 初代ゴジラが上映された同年に公開された名作映画にも、「他人を守ってこそ自分も守れる。己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ」というセリフがあり、人々の共感を集めた。
 秋津艇長のセリフは、現代劇で美しく見せることは難しいが、昭和を舞台とする作品では、人の心を強く惹きつけるところがある。
 フィクションのスーパーヒーローが、その文化圏のロールモデルとなることもあるように、我々はフィクションの中に人間の理想を感じ取って、今の問題と向き合う勇気と緊張を背負うことができるのではなかろうか。
 秋津艇長と堀田艦長ふたりの言葉を同時に受け入れることで、『ゴジラ-1.0』は、我々を「未来を生きるための戦い」へと進む力を与えてくれるだろう。
【乃至政彦】ないしまさひこ。歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(ともにJBpress)、『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。現在、戦国時代から世界史まで、著者独自の視点で歴史を読み解くコンテンツ企画『歴史ノ部屋』配信中。
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 12月8日 MicrosoftStartニュース Pen Online「養老孟司山崎貴が初対談! 生誕70周年を迎えるゴジラを、映画とアートから考える
 ゴジラ生誕70周年を迎える2024年に向け、2つのプロジェクトが始動した!
 一つは大ヒット中の『ゴジラ-1.0』の公開。もう一つはアーティストの我喜屋位瑳務、NOH Sanghoら国内外の表現者たちを迎え、それぞれの手法でゴジラを表現して高い評価を得たアート・イベント『GODZILLA THE ART』の開催だ。
 勢いをそのままに、『ゴジラ-1.0』は全米でも公開され、1436万ドル(約21億円)を突破、歴代邦画実写作品の中で1位となり、『GODZILLA THE ART』第2弾の開催も決定! 果たして、国内外のファンを70年にもわたって魅了する「ゴジラ」とはなんなのか。『GODZILLA THE ART』ゼネラルプロデューサーの解剖学者・養老孟司と海外でも高い評価を得た山崎貴監督に、ゴジラの魅力と正体をさまざまな角度で語っていただいた。
 ©2023 TOHO CO., LTD.
 © Pen Online
 時代の描写は「その人がどう受け取ったか」に尽きます
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 養老孟司●1937年、神奈川県県生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。著書に『唯脳論』『バカの壁』『手入れという思想』『遺言。』『ヒトの壁』など多数。池田清彦との共著に『ほんとうの環境問題』『正義で地球は救えない』など。
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――養老先生は『ゴジラ-1.0』をご覧になっていかがでしたか。
養老 一生懸命に観ました(笑)。細かいディテールも気になるし、とにかく一生懸命に観てしまう映画でしたね。とてもよくできてるんじゃないでしょうか。
 山崎 ああ、良かった! 先生は、あの時代の東京や神奈川をご存じですよね。東京の風景などはいかがでしたか。
 養老 非常に懐かしかったですね。
 山崎 当時の銀座は、空襲で焼け残ったところは、しっかりとした良い建物ですが、焼けちゃったところはベニヤのにわかづくりの建物になっていたんです。歩道には日用雑貨が売ってる露店が並んでいて――という街並みは、47年のある時期だけにあった特殊な風景なのですが、当時の写真を助監督が見つけてきちゃった(笑)。写真を見つけたからには、映画でも再現しなきゃいけないんで苦労しました。こうした風景も、ご存じですか。
 養老 うん、知ってますよ。あの映画の通り、露店が並んでました。露店の古本屋で本を探していましたから。
 山崎 そうですか! 本物の風景を見てらした先生の証言がいただけて良かったです。時代の描き方はいかがでしたか。
 養老 昭和20年代の日本が最初の舞台になっていますが、ぼくの周りの大人が登場人物と同じくらいの世代でした。実の兄貴は予科練(海軍飛行予科練習生)で終戦を迎えて帰ってきたとか、同級生はあの場所で逝っちゃったとか、いろいろなことを思い出しました。いまの人が持っている特攻に対するイメージも、『ゴジラ-1.0』に描かれているような形で、解釈が落ち着いてきたのかなと感じましたね。
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 『ゴジラ-1.0』の劇中で、ゴジラによって破壊される銀座の街。©2023 TOHO CO., LTD.
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 山崎 僕らの世代はあの時代を体験していないので、映画で描いたことが本当はどうだったのかはわからないですけれども、本で調べただけでなく、特攻隊に入りながら終戦を迎えた方の話なども脚本には入っているんです。僕らは戦争を経験している方たちの話を直接、聞くことができるギリギリの世代かもしれないので、間違いなければいいなと気にしながらつくっていました。
 養老 いやいや、気にしなくても、根源的にはそういうことに正しいとか、間違いとかないんじゃないかと思います。その人がどう受け取ったかに尽きます。学問をやると正しいか間違いかにうるさくなるんですが、僕はそういうの嫌いなんですよ。
――山崎監督は『続・三丁目の夕日』でゴジラを登場させました。また養老先生は『ガメラ2』にもご出演されています。お二人は怪獣映画がお好きなんですか。
 養老 ぼくは子どものころから恐竜が大好きでね。今でも、しょっちゅう図鑑などの絵を見ているんですが、それが映画になって立体で動き出すと実に楽しい。でも恐竜ファン寄りの立場で、怪獣を生き物として観るから、あそこが悪い、ここが違うと思ってしまうんです。
 山崎 先生は、ゴジラのソフビ・フィギュアを見て、もう少し頭が大きい方がいいな、とかおっしゃってましたね (笑)
 養老 この目つきがなあって、文句言ってたんです(笑)。
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 二人の真ん中にあるのは、『ゴジラ-1.0』に登場するゴジラを再現したフィギュア
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 ゴジラは神様とも獣ともつかない、両方を兼ねた存在
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 山崎貴●1964年、長野県生まれ。幼少期に『スターウォーズ』や『未知との遭遇』と出会い、強く影響を受け、特撮の道に進むことを決意。阿佐ヶ谷美術専門学校卒業後、1986年に株式会社白組に入社。『大病人』(93)、『静かな生活』(95)など、伊丹十三監督作品にてSFXやデジタル合成などを担当。2000年『ジュブナイル』で監督デビュー。CGによる高度なビジュアルを駆使した映像表現・VFXの第一人者。『ALWAYS 三丁目の夕日』(05)では、心温まる人情や活気、空気感を持つ昭和の街並みをVFXで表現し話題になり、第29回アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞など12部門を受賞。『永遠の0』(13)、『STAND BY ME ドラえもん』(14)は、それぞれ第38回アカデミー賞最優秀作品賞ほか8部門、最優秀アニメーション作品賞を受賞。日本を代表する映画監督の一人として数えられる。
山崎貴●1964年、長野県生まれ。幼少期に『スターウォーズ』や『未知との遭遇』と出
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――養老先生は1954年の初代『ゴジラ』もご覧になっているんですか。
 養老 映画館で観たかどうかは覚えていないけれど、そういうの大好きですから観ているに違いないと思います。
――監督がご覧になった最初のゴジラ映画は?
 山崎 僕は小さいころキングコング対ゴジラ』をTVの雨傘番組で見たのが最初だったと思います。雨傘とは、野球が雨天中止になるとTV中継が別の番組に差し替える編成なんですが、怪獣映画が多かったんですね。そこで見た『キングコング対ゴジラ』が最初だったと思います。でも自分的にもっと衝撃だったのは、幼稚園か小学生の低学年のころ、神社に落ちていた少年雑誌。見てたら特撮の裏側を見せる特集が組まれてて、怪獣の中に人が入ってミニチュアの建物を壊して撮影しているという図解が載っていたんです! 怪獣という仕事があるんだと!
 養老 それは衝撃的だ(笑)。
 山崎 凄いうらやましかったですね。怪獣ゴッコをして暮らしている人がいるんだと(笑)。うちのお父さんはサラリーマンで面白そうなことしていない感じがしていたんで、なぜ怪獣ゴッコで遊んでいるだけなのに給料がもらえるんだ!?と。それで監督になりたいと思ったんです。
――そんな怪獣ファンのお二人が考える、生誕70周年を迎えるゴジラの魅力とは? なぜつくり続けられているんでしょうか。
 山崎 『ゴジラ-1.0』を作り終わったとき、ゴジラは神様とも獣ともつかない、両方を兼ねた存在なんじゃないかなと感じました。ただのエンタメだと、70年も残っていないような気がします。これだけの時間を乗り越えてきたのは、日本人特有の宗教観とどこかでつながっていて、ゴジラ映画をつくる行為は、海から祟り神が出てきちゃったから、みんなでお祀りして鎮める神事なんじゃないかなと。
――海外のモンスター映画とは違いますか。
 山崎 アメリカのシナリオのシステムでいうと、怪獣がなぜ襲ってくるかを説明しないといけないんです。アメリカの核実験で焼かれて怪物になった生物が、なぜ日本にくるのか。それを説明するのがハリウッド的脚本なんですが、日本の怪獣映画は「来てしまいました」と素直に受け入れる。
 養老 まったく、その通りだと思います。宗教そのものじゃなくて、宗教的なものですね。宗教だと、なにについても定義するところがあるんだけれど、そうじゃなくて、怪獣には日本人が心情として持っている視点が込められている。形がハッキリしていて目に見えるものじゃなくて、災害の歴史や歴史的に日本にある空気のような、うまくいえない形にならないものがゴジラになった。そんななんとも言えないボンヤリしたものがゴジラです。
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 養老孟司山崎貴が初対談! 生誕70周年を迎えるゴジラを、映画とアートから考える
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 山崎 ああ、ボンヤリした存在ですね。
 養老 それでも、みんな素直に受け入れている。それでいいんじゃないですか。現代って物事をボンヤリさせないという悪い癖がある。なんでもキチンと説明しようとするから、疲れちゃうんです。ゴジラは、「ゴジラみたいなもの」という漠然とした説明で良いんじゃないですか。
 山崎 たしかに説明できないのは大事かもしれませんね。
 養老 ゴジラをつくり続けているのはなぜ? というのは、なんでお祭りをやってるんですかと質問するようなものです。やらなくてもいいんだけれど、やっぱりやろうという人が一定数いるし、参加する人もいる。だからお祭りをやる。お祭りをして、怒る人はあんまりいないと思います。
 山崎 『ゴジラ-1.0』の製作を始めたら、コロナ禍があったりウクライナの戦争が起きたり、祟り神が憑いている感じがしたんですよ。ですからぼくには、撮影は祟り神を祀って鎮めているような思いもあったんです。いま、お話を聞いていて、日本人にはそういう感覚が備わっているのだなと思いました。
 勢いで作っているから、逆に純粋なものができた初代『ゴジラ
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 養老孟司山崎貴が初対談! 生誕70周年を迎えるゴジラを、映画とアートから考える
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――ゴジラには、海外に発信する日本文化としての側面もあると思うのですが。
 山崎 「GODZILLA THE ART」には確かにそういう側面があって、海外の人はゴジラをアートとして捉えている感じがあるんです。今回、映画に関する海外メディアの取材をいくつか受けたんですが、「日本人は気づいていないかもしれないが、ゴジラはアートなんです」と言われました。
 養老 他の文化圏の人がどう見ているかは、当事者には分からないんですよ。それを先回りして説明することができない。日本人がゴジラをさんざん作ってきて、気がついたら、外側から、こんなもの他にはないよって言われたという話ですね。
 山崎 それは初代『ゴジラ』にも当てはまる話ですね。『ゴジラ』は世界に認めてもらおうとかじゃなくて、気がついたら、こんなものできちゃったという作品です。もともとは当時、海外との合作映画を作ろうとしていたんですが、政治的な理由でお蔵入りしてしまった。それで急遽、埋め合わせる映画を作らないといけなくなって、アイディア段階から公開まで8か月しかない中で、勢いで作ったのが初代『ゴジラ』です。
 養老 ああ、そうなんですね。
 山崎 戦争が終わって間もないときに、東西冷戦や第五福竜丸の事件など嫌な雰囲気の世相の中ででき上った映画で、いま観ると反戦のメッセージが感じられるんですけども、いろいろメッセージを考えて「込めよう」としたのではなくて、当時の「水爆なんて、いい加減にしてくれ」という厭戦のリアルな気持ちが、自然に「込もっちゃった」作品だと思います。
 勢いで作っているから、逆に純粋なものができたのでしょう。だから海外でも評価された。『ゴジラ-1.0』はアメリカでも公開されるのですが、どう受け取られるか楽しみでもあり、恐ろしくもありますね。アメリカ人にゴジラをどう説明すればいいのか……(注:取材時は全米公開前)。
 養老 ぼくなら説明しないです。現代社会は説明過剰です。説明して分かっているようになるのも嘘だし、説明しているのも嘘だし。言う方も聞く方も、両方で嘘をつくクセがついている。初代『ゴジラ』の成り立ちには、そういうからくりが一切ない。正直に作っているわけで、そういう工程が一番、良い作品ができるんじゃないですか。それが日本流といえるのかもしれない。
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 やってみてどうなるかというのがゴジラなんです
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 養老孟司山崎貴が初対談! 生誕70周年を迎えるゴジラを、映画とアートから考える
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――「GODZILLA THE ART」にも日本流のゴジラが現れそうですか。
 養老 「GODZILLA THE ART」の参加者が、それぞれのゴジラを描き出すことが、その意義で面白みです。「アート」っていろいろな面があるから、思いが結びつくところ、接地点があればやりやすい。ゴジラは日本人の神性に深く結びついているものですから、その接地点からアート作品が出てくれば、いいんじゃないかなと思っています。
 山崎 自分たちの持っているメンタリティで作っていけば、まったく違う価値観の人が見ると不思議な「ゴジラ」が見えてくるのかなと。初代『ゴジラ』は、狙わずに当時のスタッフの思いが怪獣になっちゃった。それが「アート」なのかもしれないですね。
 養老 そうですね。そこがゴジラの一番面白いところです。「同じ」世界を言葉によって生む文明社会と、世界の違いを感覚で呼び戻すアートがある。「GODZILLA THE ART」では説明なし、解釈なし。言葉にしないでゴジラを引き合いにした作品を作るのがいいんじゃないですか。こんなもんができちゃったという出し方ですね。
 山崎 そのまんまのゴジラを描く人もいるし、エネルギーの流れみたいなものを描く人もいるだろうし。ゴジラをどう捉えるか、その人の精神性が表れるでしょう。
 養老 ぼくは子どもが絵を描いてくれれば面白いと思うんだけどな。子どもが自分で考えたゴジラでも、ゴジラがいる風景でもいいからね。子どもはホントにいい絵を描きますよ。全国の学校でぜひやっていただきたい(笑)。
 山崎 キャーキャー喜んで書いてくれそうですね(笑)。
――「GODZILLA THE ART」の今後の展開をお聞かせください。
 養老 そういうことは「やってみないとわからない」んです。先が読めるような企画は、面白くもおかしくもない。やってみてどうなるかというのがゴジラなんです。
 山崎 それでハプニングが起きても……。
 養老 うん、それでいい。銀座がぶっ壊れてもいい(笑)。最近「やってみないとわからない」って、誰も言わないですよね。若い人が怒るんだ。「先生、これやったらどうなります?」「やってみないとわからないだろ」「そんな無責任な!」って(笑)。若い人は、やってみてわかることしかやらない。なんでも「やってみること」が大事です。
 山崎 初代『ゴジラ』もそうですよね。監督を決めるに当たって、東宝のいろんな方に「そんなゲテモノ!」と凄い断られたらしいんです。でも「やってみなきゃわからない」という本多猪四郎監督がいらっしゃったから面白い映画になった。
 養老 よく分かります。
 山崎 それがマスターピースになって、70年も作り続けられる基礎になったわけです。本当に「やってみなきゃわからない」と思います。
 養老 ゴジラは、日本人が忘れがちななにかを教えてくれるんですね。やってみないと分からないのが、ゴジラなんです。
 『ゴジラ-1.0』
 監督/山崎貴
 出演/神木隆之介浜辺美波ほか 2023年 日本映画
 2時間5分 TOHOシネマズ日比谷他にて公開中。
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