🎑114)─2・F─日本のゴジラは「怒れる〝タタリ神〟を人間が鎮める宗教物語である」~No.256 

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 ゴジラは、自然精霊であり自然神である。
 ゴジラ・ストーリーは、ギルガメシュ叙事詩に匹敵する神話物語であるが、人類文明を築く世界神話的な自然王を退治して自然を征服する英雄伝ではなく、日本神話的な怒れる〝タタリ神〟を人間が鎮める宗教物語である。
 その意味で、大映の「大魔神」(昭和41年)は似ているがシリーズは3作で終了した。
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 2023年11月18日22:10 YAHOO!JAPANニュース ひとシネマ「日本的宗教観映すゴジラ 「怒れる〝タタリ神〟を人間が鎮める物語なんです」 山崎貴監督
 「ゴジラ-1.0」で登場したゴジラの模型を手にする山崎貴監督=東京都千代田区東宝本社で2023年11月3日、手塚耕一郎撮影
 「ゴジラ-1.0」が公開以来快進撃を続けている。ゴジラファンを自任する山崎貴監督が満を持して登板、持てる全てを投入したシリーズ30作目。コンピューターグラフィックス(CG)の第一人者として、昭和を描いた「三丁目の夕日」シリーズ、第二次世界大戦を題材とした「永遠の0」(2013年)、「アルキメデスの大戦」(19年)で培ってきた映像技術を総動員。「自分にとっての理想形」のゴジラを生み出した。ゴジラに込めた思いを語ってもらった。
 【動画】終戦直後の日本に現れたゴジラゴジラ-1.0」予告編
 撮り終わっちゃった、寂しい……
――念願のゴジラ映画、ようやくですね。完成して、どんな気持ちですか。
 本当に、ようやくです。ずいぶん時間はかかっちゃいましたけど、やるならやっぱり、満足のいく技術でやりたかったんです。今はちょっと、寂しいですね。ああ、ゴジラを撮り終わっちゃった、と。思い入れのある時間がすごく長かったから。ずっと一緒にいた娘を嫁に出したお父さんの感じですかね。こんなの、普段はないです。
――「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(2007年)の冒頭でもゴジラが登場しています。今回は終戦直後、復興中の東京に現れました。そこは決めていたのですか。
 というより、ゴジラを「昭和」に連れて来られないかと、早いうちから考えていました。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」でゲスト出演してもらった時に、やっぱり昭和が似合うなって。
 終戦直後の、あらがうすべが何もない状態の日本にゴジラが出てくれば、人は一生懸命、知恵を絞って戦う。いろいろそろっている時よりも何もなくて工夫して何とかしようとする姿に、人は感動するんじゃないですかね。物語として面白くなるし、映画的でもある。
――主人公の敷島をはじめ、戦争を生き残った人たちが再びゴジラとの戦いに臨みます。
 「永遠の0」を作る時に、元特攻隊員の方に話を聞いたり本を読んだりして、「生き残ってしまった」という感覚を持っている人がたくさんいることが分かりました。その思いが、一つのテーマだと考えています。自分の中の戦争が終わらなかった人たちが後始末を付けて、戦争を終わらせる。今回のゴジラの襲撃は、もう1回、理不尽な戦争が来ちゃったみたいなもの。だから、登場人物の中に矛盾があるんです。戦わなきゃいけない、でも戦争はしたくない。戦争は本当にもういやだと思っている人たちが、どう感じてどう動くか。映画でしか伝えられないなと。
 初代と同じ「戦争」「核」のメタファー
――初代ゴジラは米軍によるビキニ環礁での核実験や、その時に付近で操業中だった第五福竜丸被爆した事件の直後に作られ、「戦争」や「核」の恐怖の象徴として受け止められました。今回のゴジラに込めたものは。
 そこは初代と同じ、ゴジラは核とか戦争のメタファーです。ただ、映画を作っている間にコロナ禍に見舞われ、仕上げの段階でウクライナで戦争が始まった。公開前の宣伝期間になったら、イスラエルハマスの武力衝突も起きた。世の中の災厄、しかも天災というより、人の引き起こした災厄の象徴になったように思います。
――「永遠の0」「アルキメデスの大戦」で第二時世界大戦を舞台に、戦争とは何かを描きましたし、「海賊とよばれた男」(16年)でも戦争が大きく関わっていました。どうして繰り返し、戦争を題材にしているのでしょう。
 こうしたインタビューに答えている間に明確になってきたんですが、ぼくは戦争が怖いんだと思うんです。もともと怖がりだし、子供のころは戦争体験者が身近にいた。話も聞くし8月15日が近くなると、戦争に触れる機会も多かった。そうして知った戦争は怖くて、だからこそその正体を見極めたい。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」じゃないですけど、そうしないと、怖くて怖くてしょうがない。それが原点にあるんじゃないかなと思ってます。
――戦争の正体は、分かりましたか。
 いや、全然。むしろ、どんどん見えなくなってます。ものすごく複雑で、いろんな人たちの思いがあって、ボタンを掛け違えずれていって、戦争に至る。その正体をつかもうとするほど分からなくなる。でも相変わらず怖い。だから必死になるんじゃないかな。
 特攻とか原爆もそうだし、兵士は戦闘よりも、戦地で病死したり飢餓で死んでいったりした。映画を作るとその状況を含めて、恐ろしいものの本当の姿が、うっすらと見えてくることもある。だから繰り返しているのかなと思いますけど。自分が戦争を考えた時に思うことを詰め込んでいます。見た人たちに何か感じてもらえればいい。
マシンのスペックが追いつくのを待った
――元々「白組」でデジタル合成やCGを手がけてきました。「三丁目の夕日」シリーズで建設中の東京タワーや昭和の町並みを造り、「永遠の0」で零戦が飛び、「アルキメデスの大戦」では戦艦大和を沈没させました。「ゴジラ-1.0」ではその全てが凝縮されています。
 「続・三丁目の夕日」の時に、ゴジラに町を破壊させて、昭和に連れてこられるじゃんと思ったんです。同時にこんなに大変なのかと思い知ったんです。冒頭の2分のシークエンスなんですが、2分でこれだけ大変だったら、本編を全部作るのは今は無理だと。CGの技術もマシンのスピードも、全然追いつかない。マシンのスペックが上がるまで待とうと。最初に言ったように、一番いい形で作りたかったので、時期を見定めていた。
 海を映像にする技術の開発が、すごく重要でしたね。「永遠の0」で海の映像を作った時は、本物の船を撮影して、その素材を使ったんです。CGでは白波を立てて動く船の映像は作れなかった。その後「アルキメデスの大戦」で、海を行く船に挑戦してみたら、技術的にもいけるかなというくらいになっていた。
 ただ、一瞬だけならまだしも、「ゴジラ-1.0」では海のカットが大量にあるし、ゴジラが海の中で立ち上がるような動きは、船では作れない。シミュレーションで波を作れるようになるまでは、海がたくさん出てくる映画は無理だよなと思っていました。でも、そうこうしてるうちに「シン・ゴジラ」(16年)ができて、やばいことになったなと(笑い)。違うことしないと、と思ったらいっそう昭和に出そうという思いを固めました。
 ディス・イズ・ゴジラ
――歴代ゴジラ、日本でもスタイルが変わっていますし、ハリウッドでも独特の〝進化〟をしています。長年思い続けた「山崎ゴジラ」の造形には、どんな思いを込めたのでしょう。
 ぼくの思うゴジラの、王道の正解みたいなものですかね。これぞゴジラ。理想のゴジラを作れたと思ってるし、すごく気に入ってます。もっともいろんな人たちの思い入れがあるから、そこで争いは起こしたくないですけど(笑い)。
――体高は初代と同じ50メートル。足が大きくて頭は小さいですね。そして背びれがおどろおどろしい。
 体を支えるために、バランスが崩れない程度に足はでかく太く。でも頭は小さく。下から見た時にパースペクティブが強調されて、巨大に見えるようなバランスにしています。しっぽの長さとか体形は、今までのゴジラのいいとこ取りの総集編。
 恐竜もハリウッドのゴジラも、首が背中から直線的につながって前傾姿勢です。日本のゴジラは垂直に立って、首がバチッと90度折れて曲がっている。初代の不気味さとか不安な感じを出したかったから、そういう部分はこれまでの造形を踏襲しています。「シン・ゴジラ」もそのあたりをうまくやっていたので、違う方向に作りたいなと。かっこよくて、しかも怖いゴジラを作りたかった。
 コスパ悪かった海上撮影の大迫力
――ゴジラ、怖かったですね。人間に肉薄してきます。
 初代ゴジラを見た当時の人たちは、本当に怖かったと思うんですよ。その怖さはゴジラ映画には大切で、現代の人たちにもそれに近い感覚を味わってもらいたかった。そのために、できるだけ人に接近させました。状況的にも映像的にも。逃げている人のすぐ後ろに巨大な足が現れるとか、海の上でゴジラに追いかけられて、今にも船ごと食われちゃいそうとか。「怖いゴジラ」を視覚的にどう見せるかを考えました。
――残留機雷回収の仕事をしていた主人公の敷島たちが、日本に向かうゴジラを食い止める任務を任される。木造のオンボロ船のすぐ後ろにゴジラの巨大な口が迫ってきました。
 予告編にもとられた場面ですけど、手前に船があって、その奥にゴジラが迫っているという画(え)。あそこはどうしても望遠レンズで撮りたかったんです。距離感が圧縮された画面の中に、船の直後に迫る巨大なゴジラの頭を見たかった。でも海の上で望遠レンズを使って撮影すると、ものすごくコストがかかるんです。プロデューサーに、どうしてもってお願いして。ほんの数カットなんですけど、大がかりな撮影になりました。
 岸で撮れればいいけど、海の色を求めると沖合に出るしかない。ぶれやすい望遠レンズのために足場を安定させないといけないし、その上にクレーンも立てたから、巨大タグボートが必要だった。逆算して準備したらえらいゴージャスなことになってて「うわ、やばいことした。1日いくらかかんだろうなと」(笑い)。しかも、撮影当日は晴れなくて。1日待ったのかな。次の日もまだ曇ってたけど、あとで処理すればいいからと。
 効果的だったと思いますよ。あのショットが入るか入らないかで、だいぶ印象が違う。予告編に採用されたのも、編集者に感じるものがあったんでしょう。やったかいがありました。ただ、コスパは悪かった(笑い)。
 空飛ぶ戦車も実物大で再現
――対ゴジラ作戦では「震電」という戦闘機が大活躍します。戦争末期に開発されながら実戦では使用されなかった、幻の戦闘機ですね。米軍のB29戦闘機に対抗するための高速高性能を有していました。
 震電も、どうしても映画に出したいものの一つでした。戦記ファンには人気があるから、テンションが上がると思いますよ。あれも実物大で作ったんです。最初はとてもそんな予算がないと言われたんですが、どこかの博物館が撮影後に購入してくれるならできると言われて。一生懸命探してもらったら、引き取ってくれるところが見つかった。
 震電は、無駄を省いて設計されているので小型のイメージがあったんですが、実はバカでかい。小型化するために、通常の戦闘機とは違って機体前部に機銃を装備して、エンジンは後ろに載せている。でも、B29を撃墜するために30ミリの機銃を4門も積んでいる。空飛ぶ戦車なんですね。30ミリ4門の戦闘機としては小さいけど、零戦よりもよほど大きい。みんなびっくりしてました。
 大戦末期に、戦いに参加できなかった者たちというのは、今回のテーマにつながるかなという気がしましたけど、8割方、自分が実写で空飛ぶ震電を見たかったんです。(笑い)
〝怖い〟も〝かわいい〟も内包 なんでもあり
――ゴジラは誕生から70年。どうしてこれほど長く作られ続けているのでしょうか。
 ゴジラは非常に幅広い存在で、良い者でも悪者でも成立するし、〝怖い〟から〝かわいい〟まで内包している。超越的な存在にもなりうるし、悪意を持っていてもいなくてもかまわない。世界のキャラクターはだいたい善か悪かのどちらかですが、ゴジラはフォルムと巨大さだけを担保できてれば、どうやってもゴジラなんです。これほど立ち位置を決めていないキャラクターは珍しい。いろんなアプローチの仕方があると思います。
――そのあいまいさは、どうして可能になったと思いますか。
 先人が「エイヤ」ってやっちゃったことが。何でもありの土壌を作ったんじゃないですかね。1作目は怖かったけれど、2作目の「ゴジラの逆襲」(55年)からちょっとかわいいですから。抵抗感はあったかもしれないけど、そこでタガが外れたんじゃないですか、これもありなんだと。
 そして、モンスターであり神様であることが、日本のゴジラの特徴だと思うんですよ。ゴジラは「もののけ姫」に登場する「タタリ神」なんです。そもそもアメリカの核実験で目覚めたものが日本をめちゃくちゃにするって、冷静に考えるとおかしな話じゃないですか。でも、タタリ神だと捉えれば納得できる。タタリ神の襲撃を、みんなで鎮める話。そういう意味では、日本人の宗教観に合致していて、日本のゴジラはハリウッド版とはまた違うものを背負っているのかなという気がしています。
 ひとシネマ編集長 勝田友巳
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 11月18日9:06 YAHOO!JAPANニュース 日刊ゲンダイDIGITAL「映画「ゴジラ-1.0」の奥深さ 怪獣映画のセオリーを無視、“盲点”を突いた舞台設定
 (C)2023 TOHO CO., LTD
 東宝ゴジラ70周年記念として送り出した映画「ゴジラ-1.0」が2週連続興行収入1位となり、大ヒットの予感だ。
 【写真】茉城まみは“浜辺美波”に似てる? セクシー美女のデジタル写真集
 すでに累計で観客動員数135万人、興収21億円を超えており、これは興収82.5億円を記録した「シン・ゴジラ」に匹敵するペース。
 傑作の誉れ高い「シン・ゴジラ」の印象が強すぎて、東宝は新作の企画に苦労したそうだが、1954年の1作目の約10年前を舞台にするアイデアにより、かつてないタイプのゴジラ映画を実現させた。
■盲点だった舞台設定
 映画批評家前田有一氏はこう語る。
「『シン──』も含め、怪獣映画はまず軍隊や自衛隊が迎え撃つのがセオリーですが、この時代の日本はGHQによる占領下で反撃手段を持っていません。しかし、蹂躙されるがままの人々は、家族を守るため、やがて連帯して立ち上がります。まともな武器などない中で、知恵と勇気を振り絞って無敵のゴジラに立ち向かう物語は、思わず胸が熱くなります。これまで盲点だった、見事な舞台設定といえるでしょうね」
 口コミは絶賛の嵐
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 特攻隊の生き残りである敷島浩一(神木隆之介)は、戦中の混乱の中で出会った大石典子(浜辺美波)、戦災孤児の少女と3人で家族のように暮らしていた。そんな時、東京にゴジラが出現。破壊の限りを尽くす大怪獣に対し敷島は、同じく東京の片隅で生きていた“死にぞこない”の元軍人らと協力し、決死の覚悟で対峙する──。
 「日本政府はもちろん、GHQも“知らんぷり”で米軍を出撃させない展開が何より衝撃的です。亡国の危機に為政者が無力・無責任でまるで役立たず、というモチーフは製作中に見舞われたコロナ禍を念頭に置いたものでしょう。しかし、今見ればそれは集団的自衛権日米安保、防衛費増の欺瞞性を象徴しているようでもあり、大いに考えさせられます。もともと山崎貴監督とそのVFX制作を担う白組は、西武園ゆうえんちのアトラクション『ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦』でゴジラそのもの、『永遠の0』(13年)や『アルキメデスの大戦』(19年)では旧日本軍など、本作でも再利用できるCGのモデルを多数保有しており、経験値も豊富です。映像面で不安がない分、脚本の深掘りや改良にリソースを注ぎ込めたわけで、それが本作の奥深い魅力につながっています」(前田氏)
 プレミア公開された米国を含め、観客の口コミは絶賛一色。異色のゴジラ最新作、どこまで快進撃が続くか。
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 11月18日9:30 YAHOO!JAPANニュース ねとらぼ「これを読めば「ゴジラ -1.0」の背景が分かる ~終戦時における旧海軍艦艇動向~
 艦船特定班クラスタを騒然とさせた予告編の1シーン
 本編のみならず、予告編が公開された時点から既に巷の艦船特定班クラスタの間で話題になっている映画「ゴジラ -1.0」だが、そういう熱気とは全く関係なく、超私的な好奇心に従って、終戦直後における日本海軍の状況とその後の経緯についてまとめてみた。
 【動画】艦船特定班が騒然となった「ゴジラ -1.0」の予告映像
 どんなフネが残っていたのか
 1945年の終戦直後における日本海軍の残存勢力は、空母、戦艦、重巡軽巡といった大型艦船においては、以下のごく少数に過ぎなかった。
航空母艦:鳳翔、葛城、龍鳳、隼鷹
・戦艦:長門
重巡妙高、高雄
軽巡:酒匂、鹿島、北上
 以上の他にも、かろうじて船体が海面の上にあってその姿が視認できる大型艦船として戦艦「伊勢」「日向」「榛名」、重巡「青葉」「利根」、軽巡「大淀」があったが、これらは終戦直前の7月末に米艦載機による呉軍港の大空襲によって大きな被害を受け、姿が水面上に見えているものの船体は海底についていて、実質沈んでいるのと同じ状態だった。
 また、妙高と高雄は航行不能状態でシンガポールに係留されており、北上も呉軍港空襲の被害で航行不能のまま。同じ呉大空襲で中破した龍鳳と、1944年12月の輸送作戦中に米潜水艦の雷撃で損傷した隼鷹も、動けるものの外洋航海には耐えられないと判断されていた。
 駆逐艦以下の小型艦艇は駆逐艦が41隻、潜水艦が58隻、海防艦(その形態と分類は時代によって多岐にわたるが、太平洋戦争中期以降は護衛用の小艦艇として建造された)が100隻、水雷艇(といっても実質的には小型駆逐艦に相当)が3隻、駆潜艇28隻、掃海艇11隻、敷設艇6隻、哨戒艇6隻(以上は実質的に小型の護衛“艇”として使われた)などが残っていた。
 ただ、駆逐艦41隻の中で、行動可能状態で残っていた “第一線”級の大型駆逐艦は陽炎型の「雪風」と特型吹雪型)の「響」「潮」(ただし潮は片舷機関のみ稼働)、秋月型の「花月」「夏月」「宵月」「春月」、そして戦時急造小型駆逐艦(実施的には護衛任務に特化した護衛艦)の松型21隻(損傷して航行不能な艦も含む)だった。ただし、秋月型の4隻は竣工が終戦直前で実戦経験はなく、太平洋戦争を生き残った“艦隊型”駆逐艦雪風と響、潮の3隻のみといえる。
 なお、戦後、横須賀軍港近辺で撮影された小型艦艇の写真では、駆逐艦「澤風」(峯風型)に「初桜」(松型)、海防艦「生野」(鵜来型)、砕氷艦「大泊」、敷設艇「巨済」、第28号駆潜艇(当時、横須賀方面には第44、47、51、52号艇が在泊していた)、第1650号曳船(元第52号駆潜艇)、第1651号曳船(元第53号駆潜艇)、第1658号曳船(元第51号駆潜艇)、第1648号曳船(元第43号駆潜艇)、第26哨戒特務艇などの姿が残されている。
海軍の生き残りが活躍した戦後復興
 終戦後、外洋航海に耐えられると評価された艦は、艦載砲や電波兵器などを下ろして船室を増設する改装工事を施したうえで、外地に取り残されていた日本人を日本本土に帰還させる特別輸送艦として終戦直後の1945年10月から航海を再開している。
 先に上げた大型艦船では鳳翔、葛城、酒匂、鹿島が特別輸送艦となった他、雪風、響、松型駆逐艦の18隻、さらに海防艦や掃海艇、駆潜艇、さらには大正時代の初期に建造された旧式の敷設特務艇「測天型」の残存艇などなど多くの艦船が参加した(ただし、測天型の行動海域は佐世保舞鶴、八戸、馬公、佐伯、大牟田、台湾などで関東近海では確認されていない)。この特別輸送艦(そしてそれ以前からの復員兵帰還輸送も含めて)としての行動は終戦直後の1945年9月から1946年第2四半期~第3四半期のピークを経て1948年夏ごろまで続いた。
 終戦時転覆もしくは着底して“実質に沈没”していた艦や、特別輸送艦としての外洋航海に耐えられないほど状態が悪かった艦は1946年初頭から解体に着手している。先に挙げた大型艦艇では、隼鷹、龍鳳も航行できるものの損耗の程度がひどいため解体されている。
 なお、長門と酒匂は外洋航海が可能とされながらも特別輸送艦にはされなかった。この2隻は米国がビキニ環礁で実施した原爆実験プロジェクト「クロスロード作戦」に標的艦として供され、酒匂は1946年7月1日に実施された空中爆発実験で沈没し、長門も同年7月25日に実施の水中爆発実験で船体に亀裂が入り4日後に沈没している。
 また、シンガポールで航行不能のまま係留されていた妙高と高雄は、修理をした上で特別輸送艦として使用する計画もあったが、最終的には海没処分することになり、船尾が切断されていた妙高は1946年7月8日に、比較的損傷の程度が軽かった高雄も同年10月29日にマラッカ海峡の同じ海域で沈められた。
 特別輸送艦任務が終了した艦船は、多くの大型艦が解体作業に着手し、ほとんどが1947年から1948年にかけて姿を消していった。また、潜水艦と駆逐艦をはじめとする小型艦艇は1948年8月から賠償艦として連合国に引き渡されている。雪風中華民国(台湾)に、響はソビエト連邦(現ロシア)に引き渡されてそれぞれ当国海軍で長きにわたって活動していた。
 これらとは別に、戦争中からの作業に従事し続けたのが掃海艦艇による部隊だ。連合軍が日本港湾や航路に敷設した機雷の除去は小型の掃海特務艇、駆潜特務艇、哨戒特務艇によって戦後も作業を継続していた。その作業は日本海軍の解体後は復員庁が引き継ぎ、その後運輸省に移管されて海上保安庁の発足を経て、現代にいたっても海上自衛隊によって継続している。
 敷島は“トップガン”かもしれない
 以上、ゴジラ -1.0には関係なく、終戦直後における日本海軍の艦船動向を紹介してきた。ここで、ゴジラ -1.0の映像に関連した解説を1点だけ(とはいっても予告編で確認できる情報にとどめる)。
 登場人物の敷島浩一が身に着けている名札には「六○一空」の記載が確認できる。六○一空=第六○一海軍航空隊は航空母艦に配属する航空隊で、その所属搭乗員には高い技量が求められるため、海軍航空隊のトップパイロットが選抜される。
 同隊は1944年2月に開隊し、6月のマリアナ沖海戦に参加するも大きな損害を受け、その後は基地航空隊として硫黄島攻撃、沖縄戦、関東防空に従事する。1945年2月の硫黄島攻撃では特別攻撃隊の第二御楯隊として体当たり攻撃を実施している(ただし、零戦で構成する戦闘第三一○飛行隊は直掩機として参加している)。
 ねとらぼ
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