🎑114)─2・N─「ゴジラ-1.0」と敗戦後日本の時代考証。~No.256 

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 2023年12月27日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「ゴジラ-1.0」、じつは「時代考証」の観点から見ても「ものすごい映画」だったといえるワケ
 神立 尚紀
 私はこれまで、30年近くにわたって元日本海軍を中心に、戦争体験者や遺族へのインタビューを重ね、一次資料を蒐集し、あるいは目を通して、何冊かの本を上梓してきた。このことが縁となって、テレビ番組や映画の考証、監修を依頼されることも時々ある。だが、携わった作品の細部を見て考証的な誤りや矛盾をつぶしていくことを繰り返すうち、自分が関わっていない映画やドラマを見ても、登場人物の経歴を逆算して見る困った習慣がついてしまった。
 今回は、話題の旧海軍軍人が活躍する映画「ゴジラ-1.0」の登場人物を中心に、それぞれの経歴について重箱の隅をつついてみる。(一部ネタバレを含みます。未見の方はご注意ください)
 映画『ゴジラ-1.0』公式サイトより
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 「ほんとうらしく見せる」
 皆さんは「ゴジラ-1.0」をご覧になっただろうか。これはすごい映画だ。私のように1960年代のゴジラ映画を見て育った世代から、昔のゴジラを知らない世代、あるいは怪獣映画に興味のなかった人でも十分に楽しめると思う。
舞台は終戦直後の日本。敗戦で無(0)に帰してしまった東京にゴジラが上陸し、さらに破壊し尽くす。軍事力を失い、冷戦構造を背景に孤立無援の日本は、そのゴジラに、いまは民間人となった旧軍の軍人たちが、持てる力と知恵を振り絞って立ち向かう。CGのゴジラはもちろん、人間ドラマの部分もしっかりしていて、登場する旧軍人や兵器の描写にもぬかりはない。
 「海神作戦」で活躍した駆逐艦欅(けやき)
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 映画そのものについては多くの評論や論考がすでに発表されているから、ここでは深く触れないが、ゴジラと戦う主要登場人物について、映画から読み取れるそれぞれの経歴をひもといてみよう。
 私がこれまでに考証や監修という形でお手伝いした映像作品には、NHK朝ドラ「おひさま」(2011年・軍事考証)、NHKドラマスペシャル「真珠湾からの帰還」(2011年・監修)、NHK零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争」(2013年・監修)、NHK世界のドキュメンタリー「チャーチルを裏切った男たち」(2012年・日本語版監修)、近年では2021年のNHK池上彰零戦講座」(監修)、2023年のNHK-BS「特攻4000人 生と死 そして記憶」(取材協力)、中国・台湾共同制作のドキュメンタリー「天水空戰」(出演、日本側考証)などがある。映画も、山崎貴監督の作品「永遠の0」(2013年)などの作品で、戦時監修、考証をさせていただいた。

 ドキュメンタリー作品の場合は番組の流れに沿って、当事者の証言や一次資料をもとに、用字用語の端々まで正確を期して考証メモを作成、気づいた点をディレクターに直接進言する。反対に、そもそもがフィクションであるドラマや映画の場合は、物語に説得力を持たせるために「ほんとうらしく見えるよう」、ドキュメンタリーとはまた違ったアプローチをする。
 史実を参考に決定
 壮大なフィクションをほんとうらしく見せるためには、細部であってもひと目でバレる嘘をついてはいけない。なかでも最初にやらなければいけないのが、登場人物の設定、つまり「履歴書づくり」だ。というのは、特に軍人の場合は進級があるので、履歴の設定が決まらないとシーンごとの服装が決まらないのだ。企画段階から携わるか、脚本ができてから携わるかによって関与の度合いは違ってくるが、あとは舞台設定に応じて、創作の余地のない部分を極力精密に詰めていく。
 ドキュメンタリーにせよドラマにせよ、他人の作品だからモチベーションの持ち方は自分の本を書くときとは違うけども、それでも引き受けたからには手も口も出して最善を尽くす。
 「考証」は、作品に、見る人が見て気になるような粗が出ないようにするための裏方だから、基本的に表に出てはいけない。その意見を取り上げるかどうかは監督にかかっているが、考証をおろそかにした作品に名作はないというのも事実である。
 たとえば、原作のないオリジナル脚本だった朝ドラ「おひさま」軍事考証のときは、ヒロイン(井上真央)の2人の兄がのちに海軍に入る設定だったから、私が設定上の年齢と史実を組み合わせて、兄たちの履歴を最初につくった。
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 具体的にいえば、上の兄(田中圭)は名古屋帝国大学医学部を出て海軍に入り、潜水艦で戦死するが、同じ軍医でも旧帝大慶應義塾大学の医学部卒業者は海軍に入ったその日から軍医中尉になり、それ以外の旧医専卒業者は軍医少尉からのスタートになる。
 そこで履歴は、設定年齢と同じ軍医、しかも潜水艦乗組だった実在の人物(梶原貞信氏)の奉職履歴を参考にして、最初から軍医中尉にした。
 下の兄(永山絢斗)は、戦前に予科練を志願、戦闘機乗りとなって戦争を生き延び帰ってくるが、設定上の年齢と学歴で自ずと予科練の期が決まるので、該当する甲種予科練四期の生還者の履歴をもとに履歴をつくった(もっとも、甲飛四期の戦闘機乗りは21名中19名が戦死、1名は捕虜となり戦後生還しているから、モデルになり得るのは佐々木原正夫少尉1人だけ)。
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 登場シーンごとに服装と階級章が変わり、復員するシーンでは、少尉で復員した人がじっさいに着ていた、階級章を剥がした跡も生々しい軍服を衣装部に貸し出し、それを再現してもらったりもした。
 時代考証の重要さ
 原作のある作品は、極力原作を尊重するが、細部の詰めが甘い原作を映像化するときには、史実に照らして矛盾のないよう生まれ年を変えたり、さまざまな部分で微修正を進言し、同年の実在する人物の履歴をもとに履歴書をつくる。
 ではそんな「考証」が入らなかったり、考証の意見を聞かなかった作品がどうなるかというと……。あえて作品名は出さないが、旧海軍では絶対に存在しない海軍兵学校出身の「少尉」の戦闘機乗りが真珠湾攻撃のシーンで出てきたり(これはよくある。海兵出身者は飛行学生を卒業する前に中尉になって部隊に出るからあり得ない)、階級章が左右逆についていたり、士官の短剣が時代劇の脇差のように本来とは逆向きに吊られていたり、零戦に本来とは反対の機体右側から乗り込んだり、海軍士官が軍服姿で雨傘を差したり(明治5年の太政官布告「海軍武官手傘禁止ノ件」で禁じられている。現代の自衛隊や警察なども同様)、短剣を吊ったまま椅子に座って会議をしているなど、あくまで「見る人が見れば」だが、興ざめしてしまうシーンがてんこ盛りになっていたりする。
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 そういう目で映画やドラマを見るクセがついてしまうと、フィクションとわかっていても気になるシーンにいちいちツッコミを入れながら見ることになるので、素直に作品世界に没頭できなくなって楽しめないのは因果なことだ。しかし「ゴジラ-1.0」に関しては、フィクションでありながら、そんな細かい部分にツッコミを入れるスキがほぼないのだ。
 これはかなり凄いことである。ツッコミを入れるどころか、終戦後もなお心のなかに戦争を引きずる人々の悲哀や葛藤、民間人が集結し、あるものだけでゴジラに立ち向かう姿に思わず引き込まれてしまった。
 スタッフロールを見ると、軍事監修に後藤一信氏、零戦監修に宮崎賢治氏、軍事所作指導に元自衛官の越康弘氏、長谷部浩幸氏、震電計器板製作に中村泰三氏、さらに取材、資料協力に旧海軍機に詳しい坂井田洋治氏、「甲飛喇叭隊 第十一分隊」(旧海軍関係者存命中に直接、海軍ラッパや所作、服装などの指導を受けた原知崇氏が主宰)と、いずれも私が存じ上げている、現在の日本でこれ以上は求められないような第一人者たちが揃っていて、なかには出演までしている人もいる。
 呉の「大和ミュージアム」や「筑波海軍航空隊記念館」など、国内の主要な資料館もこぞって協力している。監督以下、俳優やスタッフのなかにも「永遠の0」以来の名前がいくつもあって、軍人を描くノウハウが蓄積されていたのだろう。
 主要登場人物の経歴を独自に推測
 前置きが長くなったが、「ゴジラ-1.0」の、海軍、旧海軍の主要登場人物の経歴を、本編から読みとれる範囲で勝手に逆算して推定してみよう。ノベライズ本(『小説版ゴジラ-1.0』山崎貴著、集英社)でもそのあたりのことはほとんど語られていなかった。
 まずは神木隆之介演じる「敷島浩一少尉」。特攻出撃を命じられた敷島は、エンジン故障と偽り、零戦の腹の下に爆弾を抱いたまま大戸島に不時着するのだが、この零戦がとてもよくできている。50番(500キロ爆弾)の懸吊金具や、爆弾の安全装置の風車押さえ、重い爆弾を抱いたままの着陸で主脚のオレオ(緩衝装置)が縮みきった状態でガタガタしながらの地上滑走など、ここまで細かく再現した映画はこれまでなかったのではないか。じっさいに500キロ爆弾を抱いたまま着陸したことのある元零戦搭乗員をインタビューしたことがあるが、まさにあの場面のとおり。零戦監修の宮崎賢治氏の面目躍如といったシーンである。
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 敷島少尉は「少尉」という階級から、海軍兵学校出身ではあり得ない。また、模擬空戰の成績はよかったが実戦経験がないと自ら語っているということは、兵から累進したベテランの特務少尉でもない。学窓から海軍に身を投じた予備士官の少尉であることは間違いない。
 当時、予備士官の少尉といえば、海軍飛行専修予備学生十三期(昭和18年10月入隊、志願)、十四期(同年12月海兵団入団、徴兵)の両方の可能性があるが、整備員に訓練部隊である筑波海軍航空隊での腕の確かさを記憶されているということは十三期だろう。十四期になると、整備員の記憶に残るほどの空戰訓練はできなかったはずだからだ(「模擬空戰」という言葉が使われているが、これは「空戦訓練」のほうが適切だろう)。
 ただ、昭和19年5月31日付で揃って少尉に任官した予備学生十三期は、成績順に昭和19年12月、20年3月、6月、残りは終戦後の9月と分かれて中尉に進級しているから、仮に敷島少尉の出撃が昭和20年4月以降だとすれば進級に2度漏れていることになり、「操縦の腕はいいが、予備学生としての成績は並」だったと思われる。出身大学までは判断できる材料がない。
 お手本となる見事な着こなし
 また、胸に「六〇一空 敷島少尉」とあることから、第六〇一海軍航空隊で編成された特攻「御楯隊(みたてたい)」の一員という設定なのだと推定できる。ということで、六〇一空の出撃記録をあたってみると、昭和20年2月21日、硫黄島周辺の敵艦船を攻撃目標に八丈島を発進した「第二御楯隊」から終戦の日の8月15日、勝浦沖の敵機動部隊を目標に木更津基地を出撃した「第七御楯隊第四次流星隊」まで継続的に特攻隊を出している。
 しかし、機種はおもに艦上爆撃機、艦上攻撃機で、零戦による出撃は、4月11日、15日、16日、17日に沖縄方面に向け第一国分基地を発進した第三御楯隊の計9機だけである。うち15日の2機は銃撃のみで、残りの7機は25番(250キロ)爆弾を装備していたと記録されている。
 大戸島は架空の島だが、小笠原諸島にあるとされているから、沖縄とは方角違いなことと、零戦に500キロ爆弾を搭載していたことも合わせて、そこはハラハラさせるための創作と割り切ってよい。ちなみに戦時中、海軍飛行場のあった小笠原諸島の島は、八丈島、父島、硫黄島南鳥島の4島だった。
 考証的な見地から特筆すべきは、敷島が終戦後、実家の焼け跡に帰るシーンでの、階級章を外した海軍の第三種軍装の着こなしのみごとさである。これは映画を見たNHKの考証担当者も賞賛していたが、今後、戦中を描くドラマや映画のよきお手本となるだろう。
 劇中、ゴジラと戦った重巡高雄
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 次に敷島少尉が不時着した大戸島の整備員、青木崇高演じる橘宗作。細かいことを言えば、不時着場とはいえ基地に下士官兵の整備員しかいないというのは不自然だが(士官が指揮する対空砲台など根拠地隊の派遣隊や、主計科、軍医または看護科の衛生兵は最低限いるはず。あるいはすでに全滅していたのだろうか)、橘の存在が物語に深みを持たせたのは間違いない。
 橘は、ノベライズ本では「整備員の上官らしき男」とあるし、映画でも部下の整備員の取りまとめ役のような存在だったから、おそらく階級は上等整備兵曹で、筑波海軍航空隊で敷島少尉と会う以前は、ラバウルなど南方の激戦場にいたであろうことは容易に推察できる。
 リアルな整備員の心情を表現していた
 しかも、ゴジラ退治にあたって、終戦後放置され、ガタガタになっていた局地戦闘機震電(しんでん)を修復できる腕を持つ人材として白羽の矢が立ったということは、昭和19年2月にラバウル零戦隊の大部分がトラック島に引き揚げたあともラバウルに残され、破損機を修復しつつ少数機でゲリラ的に戦い続けた経験をもつような、歴戦の整備員なのだろう。
 私は、ラバウルブーゲンビル島ブイン基地に零戦隊の撤収後もごく少数の搭乗員とともに残留し、破損機を修復して飛ばしていた整備員をインタビューしたことがある。おそらく橘もそんな整備員の1人で、予備学生13期が訓練中の昭和19年のうちに運よく内地に転勤できたのだろう。
 私が取材してきた経験では、整備員は総じて、搭乗員に多少なりとも不満や反感をもっていた。搭乗員のほうが航空加俸などの手当てがついて収入がよく、また、「食べ物の恨み」というべきか、「航空増加食」と称して、整備員の口になかなか入らない卵や牛乳の割り当てがあるなど優遇されていたこと、苦労して整備した飛行機を、未熟な搭乗員が簡単に壊してしまうことなどが積み重なったせいだと思われる。
 じっさい、空母や航空隊の戦友会に元搭乗員と元整備員が同席するような場合、両者の間には目に見えない「壁」があるように感じられたものだ。青木崇高の橘宗作は、そんな搭乗員に対する整備員の反発のまじった微妙な心情をも感じさせる好演だった。
 「海神作戦」で、旧型艦ながら活躍した駆逐艦夕風
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 では、吉岡秀隆演じる元海軍技術士官・野田健治はどうだろう。海軍の技術士官は基本的に大学の理・工学部や高等工業学校を卒業した者のなかから採用された。野田の年齢と、軍隊ずれしない雰囲気、そして戦中は兵器の開発に携わっていたという台詞からみれば、大学の造兵学科を卒業後、軍人としての技術士官(造兵科士官)ではなく文官の海軍技師となり、戦時中に技術士官に任用され、終戦時は技術少佐あるいは技術中佐あたりだったかと思われる。
 同じように大学を卒業して海軍技師になっても、身体壮健で大学での教練検定に合格し、徴兵検査で「甲種合格」になった者のなかには、海軍工廠や航空技術廠に在勤中であっても在営10ヵ月の幹部候補生として陸軍に召集され、陸軍少尉に任官したばかりに海軍の技術士官になれず、技師のまま終戦を迎えた人もいた。
 野田の場合は甲種合格のイメージとはほど遠いから、陸軍に召集されることなく海軍技師から技術士官へ、スムーズに任用されたのではないだろうか。物語から推察するに、海軍時代の専門は機雷で、だから掃海艇に乗り組んでいたのだと捉えれば辻褄があう。「思えば、この国は命を粗末にしすぎてきました」という言動から推察すると、戦争末期には特攻兵器の開発にも、ある程度責任のある立場で携わっていたのかもしれない。
 秋津晴治が放った言葉の重み
 初見のときと2度目以降で印象が変わったのが佐々木蔵之介演じる掃海艇長・秋津晴治である。はじめは、軍艦の操舵手なども経験した、兵から叩き上げた特務中尉か大尉かと思ったが、掃海艇で浮上させた機雷を処分するときの射撃の下手さ、ゴジラ退治の「海神作戦」のさいの、元中佐の雪風駆逐艦長にも遠慮しない態度、なおかつ指揮にも加わらないところからみると、戦時中は海軍に徴用された民間船の乗員だったのではないか。
 ノベライズにも、〈ずっと海を住処にしてきたことが一目でわかるような男〉とあって、元軍人とは書かれていない。船舶会社の乗員は、有事の際には海軍に充員召集できるよう「海軍予備員」として、年数に応じて階級が付与されたが、秋津は召集されないまま、船員として敵潜水艦が潜む太平洋で船に乗り続け、幾度も死線を乗り越えた男なのかもしれない。
 「海神作戦」で活躍した駆逐艦
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 陸海軍に徴用された民間船の船員は、全体の43パーセントにあたる6万名あまりが戦死したとされ、その戦死率は軍人を大きく上回る。武器を持たず抵抗力のない民間船の船員たちには、戦争の悲惨さが本職の軍人以上に身に沁みていたはずである。そう捉えれば、秋津が後述の水島四郎に放った、
 「小僧、戦争に行ってないっていうのはとても幸せなことなんだぞ」
 という台詞にも実感がこもっている。
 細やかな考証が光る
 次に、山田裕貴演じる水島四郎。軍人に憧れていた元軍国少年というわかりやすいキャラだが、それにしては少し歳がいきすぎているようにも思える。操船ができるところをみると、漁師の息子で小さい頃から海に馴染んでいたのではないか。
 もしかすると、終戦直前に志願して横須賀海兵団に入団、二等水兵として教育期間中に終戦を迎えたぐらいだろうか。いや、海兵団に入団していれば罰直(少しのミスでも連帯責任、主に樫の木の棒や野球のバットで尻を思い切り叩かれる)の嵐で軍国少年のイリュージョンなど簡単に吹き飛んでしまうから、やはり海軍に憧れながらギリギリ志願できなかった、終戦時15歳ぐらいの少年の設定なのだろう。
 山田は映画のパンフレットのなかで、「水島は今現在の戦争を知らない人たちを象徴したキャラクターだと思いました」と語っているが、映画のなかでその役割は十分に果たしていると思う。
 映画の台詞で感心したのが、物語後半でゴジラ退治のために、いまは民間人になっている旧海軍軍人が集められた場面で、田中美央演じるリーダー格の堀田辰雄が、自己紹介のさい、正しく「元雪風駆逐艦長の堀田です」と言っているところだ。
 「海神作戦」の中心となった駆逐艦雪風
 © 現代ビジネス
 旧海軍では戦艦や空母、巡洋艦など、艦首に菊の御紋がついた「軍艦」と、駆逐艦、潜水艦その他の艦艇ははっきりと区別されていた。軍艦の艦長は「艦長」と呼ぶが、たとえば駆逐艦、潜水艦の艦長は「駆逐艦長」「潜水艦長」と呼ぶ。軍艦の艦長は原則として大佐、まれに少将があたるが、駆逐艦長潜水艦長は(ドイツに派遣された伊号第八潜水艦長内野信二大佐を唯一の例外として)、中佐または少佐、さらに小型の艦では大尉が務めることもあった。駆逐艦、潜水艦は基本的に4隻一組で「駆逐隊」「潜水隊」を編成し、駆逐隊、潜水隊を率いる司令を、軍艦の艦長と同格の大佐が務める。
 ということで、「雪風駆逐艦長」というのは正しい言い方なのだが、ノベライズでは「『雪風」元艦長の堀田です」とあるから、これはおそらく、脚本の段階、撮影に入る前に考証の言い分が通った例なのだろう。ついでに言えば、堀田の容貌は、戦艦大和以下の沖縄特攻に参加したさいの雪風駆逐艦長・寺内正道中佐を意識して似せているように感じられる。
 実在した雪風駆逐艦長・寺内正道中佐
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 ひと目でバレる嘘をつぶす
 ノベライズと映画版で似たような差異は私の気づいた限りでもう1ヵ所ある。敷島の家の新築祝いに秋津、野田、水島が集い、野田がカメラを取り出して浜辺美波演じる大石典子の写真を撮るシーンだ。
 ノベライズではそのカメラを〈自慢のカメラ、ライカM2〉としているが、ライカM2の発売は1958年で、1946年の時代設定には合わない。それが映画では旧型のいわゆるバルナック型ライカに変更しているあたり、壮大なフィクションをほんとうらしく見せるために、ひと目でバレる嘘を丁寧に潰してリアリティを持たせていることが伝わってくる。
 リアリティの追求では、ゴジラと戦う重巡高雄や、武装解除された4隻の駆逐艦の造形もみごとだ。物語最後のクライマックスで活躍する旧海軍の異形の局地戦闘機震電」の作り込みもすごい。震電の計器板を制作したのは、「永遠の0」でも零戦計器板をつくった旧軍機の復元、保存の第一人者である中村泰三氏だが、使われている計器の多くは当時モノの実物なのだ。
 私は27~8年前、震電設計者の鶴野正敬(まさよし)氏(1917-2000)とお会いしたことがある。結果的に実戦には間に合わなかったものの、震電についてはかなりの自信作のようだった。
 終戦直後、新聞紙上で初めてベールを脱いだ「震電」。元零戦搭乗員のスクラップブックより
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 鶴野氏は海軍空技廠の技術士官(昭和17年10月末までは造兵科士官)でありながら飛行機の操縦訓練を受けた、いわばエンジニアパイロットである。終戦時28歳。横須賀海軍航空隊で、ライフジャケットの背中に描かれた「鶴野造兵大尉」の文字を見て、造兵科(のちの技術科)士官が飛行機の操縦をするとは思いもよらなかった隊員たちは、鶴野氏のフルネームが「鶴野造兵」だと思い込んでいたという、笑い話のような当事者の回想(元零戦搭乗員・大原亮治氏)もある。
 1997年、東京の学士会館で行われた旧海軍空技廠関係者の会合で。2列め右端が震電設計者の鶴野正敬氏、その隣は零戦の実用化に貢献した高山捷一氏。2列め中央は零戦の振動問題を解決、戦後は0系新幹線の開発に携わり、台車部分を設計した松平精氏。前列中央はテストパイロットとして紫電改や烈風を担当した志賀淑雄氏(撮影/神立尚紀
1997年、東京の学士会館で行われた旧海軍空技廠関係者の会合で。2列め右端が震電設計者の鶴野正敬氏、その隣は零戦の実用化に貢献した高山捷一氏。2列め中央は零戦の振動問題を解決、戦後は0系新幹線の開発に携わり、台車部分を設計した松平精氏。前列中央はテストパイロットとして紫電改や烈風を担当した志賀淑雄氏(撮影/神立尚紀
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 もし、鶴野氏や元特攻隊員の人たちが「ゴジラ-1.0」を見たらどんな感想を抱いただろうか。さまざまな意見が出たことと思うが、おそらく当事者からも受け入れられたのではないか……というのが、私の率直な感想である。続編を期待したい。
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『太平洋戦争の真実』
 太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人々は何を語ったか 単行本(ソフトカバー) – 2023/7/6
 神立 尚紀 (著)
 「戦争は壮大なゲームだと思わないかね」――終戦の直前、そううそぶいた高級参謀の言葉に、歴戦の飛行隊長は思わず拳銃を握りしめて激怒した。
 「私はね、前の晩寝るまで『引き返せ』の命令があると思っていました」ーー艦上攻撃機搭乗員だった大淵大尉が真珠湾攻撃を振り返って。
 「『思ヒ付キ』作戦ハ精鋭部隊ヲモミスミス徒死セシメルニ過ギズ」ーー戦艦大和水上特攻の数少ない生存者・清水芳人少佐が、戦艦大和戦闘詳報に記した言葉。
 「安全地帯にいる人の言うことは聞くな、が大東亜戦争の大教訓」――大西中将の副官だった門司親徳主計少佐の言葉。
 「私は『決戦』と『手柄を立てる』という言葉が大嫌いでした。決戦というのはこの一戦で雌雄を決するということなのに、決戦だ、決戦だとなんべんも。そんな掛け声で部下をどれほど失ったかわかりません」ーー零戦初空戦を飛行隊長として率い、終戦まで前線で戦い続けた進藤三郎少佐。
 「戦後、GHQ占領政策を聞いたときにガッカリしました。なんだ、二・二六の青年将校がやろうとしていたことと同じじゃないかと」ーー日米開戦前に中国戦線からのベテラン搭乗員。二・二六事件の折は、予科練の生徒で鎮圧軍として出動した。角田和男中尉。
 「日露戦争でロシア軍の捕虜になった人が、日本に帰れずにアメリカに渡って浄土真宗の僧侶になっていて、マッコイに会いに来たことがありました。立派な人でしたが、我々も日本がもし勝っていたら帰れなかったでしょうな。負けて、日本に軍隊がなくなったから帰ってこれたようなもんですよ」――戦中、捕虜となって米本土の収容所にいた中島三教飛曹長
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カミカゼの幽霊』
 カミカゼの幽霊: 人間爆弾をつくった父 単行本 – 2023/6/30
 神立 尚紀 (著)
 1994年5月、大阪市東淀川区に住む大屋隆司の父親・横山道雄が突然、失踪した。この失踪騒ぎの後、みるみる衰弱していく父を看病する中で、隆司はこれまで知らなかった父の過去を知る。
 父の戸籍上の名前は「大田正一」といい、死亡により除籍されていた。
大田正一といえば太平洋戦争末期に「人間爆弾」と呼ばれた特攻兵器「桜花」を発案したとされる人物である。大田は終戦の三日後に遺書を残し、茨城県神之池基地を零戦で飛び立ち、そのまま帰ってこなかった。
 ところが、大田は生きていた。「茨城で牧場をやっている」「新橋の闇市に連れて行った」「青森で会った」「密輸物資をソ連に運んでいる」……断片的な目撃談や噂はあったものの、その足取りは判然としなかった。
 1950年、大阪に「横山道雄」となって現れた大田は、結婚した女性との間に三人の子供をつくり、幸せな家庭を築き、94年にその生涯を終えた。
 それから20年後の2014年、大田の遺族を名乗る女性からの電話に興味を持った著者は、大田の謎多き人生について調査を始める。それは隆司ら家族にとっても父を知るための貴重な時間となっていく。
 「本当の父親」を探す旅の結末は――。
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