🎑114)─2・E─日本のエリート偏重社会とゴジラの戦い(『ゴジラ-1.0』論)。ゴジラの怒りとは。~No.256 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2023年11月17日 MicrosoftStartニュース Pen Online「日本のエリート偏重社会とゴジラの戦い(『ゴジラ-1.0』論)
 Pen Online によるストーリー • 3 時間
 (c)WARNER BROS./Allstar/amanaimages
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 『ゴジラ-1.0』が公開中。戦後直後の東京が襲われるとは予告編からもわかっていたが、戦争直後のどん底の日本で太平洋戦争の2回戦に挑む者たちの話だと知って驚いた。なるほどそうきたか。
 敗戦で軍隊は武装解除、政府もGHQの統治下に置かれている。となればゴジラ対策はなし崩しで民間でということになる。立ち上がるのは、大日本帝国陸海軍の残党たち。この話をナチスに置き換えるとやばさが伝わるだろう。戦争の結果に不満を抱える元軍人たちが謀議を企てているのだ。すなわち再軍備。そんな話が『ゴジラ-1.0』である。
 主人公たちは、皆一様に「自分の戦争はまだ終わっていない」と思っている。情報を国民に隠蔽するような政府が主導した戦争。補給を軽視し、人命を無視した兵器開発、特攻作戦を実行した軍の上層部。将校も兵士も現場で戦った者たちが、これでは勝てないと考えていたのはもっともな話だ。かつて「ベンチがあほやから野球でけへん」といって阪神タイガースを去った江本孟紀を思い出す。
 エリートたちが現場をかえりみないでものごとを進めて行き詰まる。今でもそこかしこに見られる普遍的な構図である。そもそも日本の社会は、学歴エリートをもてはやし、過剰な期待を寄せるところがある。問題は、エリートを重用することではなく、エリートのみの多様性のない組織を作るところだろう。
 例えばこの10月の番組改編されたばかりのキー局の夜の看板ニュース番組のウェブサイトを見てみる。トップページにキャスター、記者たちの写真が貼られている。意地悪く出身大学を調べてみた。「上智、明治、慶応、慶応、慶応、東大、明治、慶応」となる。ここにさらに「東大」と「慶応」を中心としたコメンテーター陣が加わる。エリートだけを並べるニュース番組はつまらない。
 歴史を見ると、エリート偏重社会が行き詰まり、反動としての大衆が力を取り戻す時代が何度も登場してくる。その典型は、太平洋戦争だ。陸軍のエリートたちが大陸で先走って始まった戦争。さらに陸軍と海軍のライバル競争も、エリート主義同士の張り合いをしているうちに行き詰まった。この戦争には、国民が戦争を支持し、それに迎合した政治が生まれたというポピュリズム的側面もあった。エリート主義とポピュリズムは、基本的には交互に訪れるが、たまに両者が両輪となった事態が行き詰まることもあるということだろう。
 野球もエリートだけが勝つわけではない。ジャイアンツやホークスが、膨大な資金でエリートを集めて強いチームを作るが、それに対抗して生え抜きでコツコツ戦うタイガースが日本一になることもある。4番打者でも次につなぐバッティングが功を奏して日本一をつかむことがあるから野球はおもしろい。
 さて、思い返せば『シン・ゴジラ』は、理系のエリート官僚たちがゴジラの進撃を止める話であった。"巨災対"の面々は、はみ出したオタクたちではあるが、対策本部は恵まれた環境で無限の装備を手に入れることができた。特権的な行政執行機関の話。つまり、エリートたちの戦いだった。一方、『ゴジラ-1.0』は、独立愚連隊、いわば民間組織がゴジラを退治する話。エリートとポピュリズムが繰り返す構図は、庵野秀明山崎貴ゴジラの違いを示すキーワードでもあるのだ。
 『ゴジラ-1.0』で繰り広げられるゴジラ相手の戦争の2回戦は。かなりポンコツなものだった。作戦も装備も人材もみな素人芸の域を出ない。ただエリートが使いものにならなかったのだから仕方がないといったところ。
 ゴジラは、何度も何度もリメイクされ、シリーズが続いている。ゴジラ文化の中に、エリート寄りの知識偏重、作家至上主義的なマニア受けの要素もあれば、大衆受けの側のゴジラもある。そもそもゴジラは、都市を壊す。権力や富の集中する場所である都市を壊すのは、大衆願望の表れのようなところがある。次にゴジラが壊すのは、どこだろう。万博会場か神宮外苑か。
 関連するビデオ: 安藤サクラ、夫・柄本佑ゴジラファンっぷりを明かす『ゴジラ-1.0』初日舞台あいさつ (シネマトゥデイ) 
 シネマトゥデイ
 安藤サクラ、夫・柄本佑ゴジラファンっぷりを明かす『ゴジラ-1.0』初日舞台あいさつ
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 11月15日 YAHOO!JAPANニュース ひとシネマ「<ネタばれ注意>対ゴジラ戦闘で大活躍のあの兵器は理にかなっている 現代史記者が読み解いた「-1.0」の教訓
 「ゴジラ-1.0」と同時代の、東京・新宿のヤミ市。戦闘帽が目立つ=1946年11月
 1954年の初登場から70年目、30作目にして「ゴジラ-1.0」の舞台に選ばれたのは、敗戦間際と敗戦後の日本。「大日本帝国」は、敗戦によって明治以来度重なる戦争で広げてきた植民地をすべて失い、「固有の領土」だった北方領土まで奪われ、かつ「一等国」の地位から敗戦国となり、多くの軍人らが連合国の裁判で「戦犯」とされ死刑になった。「新生日本」は「ゼロからの出発」どころか、まさに「マイナスからの出発」だった。筆者は日本の近現代史を20年以上取材、執筆している。本作で描かれている、特攻で出撃しながら帰還した元兵士や、空襲によって孤児になった人たちも取材してきた。そうした史実に照らして映画を見てゆこう。
 【写真】プロペラが機体の最後尾にあるのが特長の局地戦闘機震電」の試作1号機。
 ※物語の結末まで触れています。
 「十死零生」の邪道作戦 特攻
 神木隆之介演じる主役の敷島浩一少尉は、零式艦上戦闘機零戦)に乗った航空特攻隊員。特攻は、搭乗員が爆弾を抱いた航空機もろとも敵艦に体当たりする「作戦」だ。成功すれば搭乗員は100%近い確率で戦死する。いかに戦時中といえども、兵士に「死んでこい」というような作戦は邪道中の邪道だ。パイロットを育てるには相当の時間がかかる。特攻を続ければそうした戦力が枯渇するのは当然で、兵士の士気が下がるのも必然だ(拙著「特攻 戦争と日本人」中公新書)。
 その特攻は敗色濃厚な44年10月、フィリピン戦線で海軍が始めた。5機の爆弾を装着した零戦が米艦船を攻撃。護衛空母「セント・ロー」を撃沈した。当時、航空機が爆弾や魚雷で敵艦を沈めることが難しくなっていたが、わずか5機が大戦果を上げたのだ。作戦を主導した大西瀧治郎中将自らが「統率の外道」と言った「作戦」だが、この「大戦果」の影響もあってか、敗戦まで続いた。
 「九死に一生」どころか「十死零生」(映画の中でも敷島が口にしている言葉)の「作戦」を米軍が想定していなかったこともあり、当初は戦果を上げた。陸軍も特攻を始めた。だが米軍が日本側の意図を知り、対策を整えるにつれて(レーダー網を駆使して、かつ迎撃用の艦船や航空機を配置するなど)、期待したほどの戦果は上がらなくなった。日本側としては熟練のパイロットが少なくなっていたことと、特攻に投入する航空機の不足があった。
 「故障」装って帰還 実際にあった
 さて映画の中で敷島少尉は、特攻に飛び立ったものの機体の不調を訴えて大戸島(第1作から登場する架空の島)に着陸する。ところが、整備班が調べても敷島機に異常は見つからない。整備兵は敷島に疑いの目を向ける。
 大戦末期は航空戦力の不足が深刻だった。このため旧式機も多数投入され、実際にエンジントラブルで引き返す例が続出した。そして、機体に異常がないにもかかわらず、出撃して何度も帰って来る、敷島のような特攻隊員もいた。
 たとえば「特攻基地 知覧」 (高木俊朗著・角川文庫)に陸軍の例が記されている。教員だった川崎渉少尉は陸軍に召集され、特攻に出撃するも「飛行機がだめでした」と帰還する。整備兵が確認すると、異常はない。そんなことが何度か続いた。川崎少尉の妻が出撃前に訪ねて来たために「みれんが出て、死ねない」と打ち明けると、整備隊長から「死んでしまえ」とののしられた。その後、川崎少尉は一式戦闘機(隼)で飛び立った。特攻ではなく、鹿児島県隼人町(現霧島市隼人町)にある日豊線の線路脇の土手に突っ込み、即死した。自宅のすぐそばだった。
 敷島らのいる基地をゴジラが襲った。零戦の機銃で撃つよう、整備班リーダーの橘宗作(青木崇高)が求めるが、敷島はおじけづいて何もできない。この時点のゴジラは、その後出てくるよりも体が小さい。もし敷島が零戦の20ミリ機銃を撃ち込んでいたら、撃退できたかも?とも思う。
 澄子の子どもと敷島の両親を奪った空襲
 戦争末期、米爆撃機B29の執拗(しつよう)な爆撃で東京の街は崩壊していた。特に被害が大きかったのが、45年3月10日の東京大空襲だ。東京東部、隅田川沿岸を300機以上のB29が襲い、およそ10万人が虐殺された。敗戦で敷島は東京に帰る。だが敷島の両親も死んでいた。隣人の太田澄子(安藤サクラ)も子ども3人を空襲で亡くしており、敷島も「軍人のせいだ」などと責められる。
 映画には出てこないが、この爆撃を指揮した米軍の指揮官はカーチス・ルメイ。前任者は民間人の住宅街を避けて軍事施設を攻撃する「精密爆撃」を行っていた。だが期待通りに戦果が上がらない中、民間人を巻き込む無差別爆撃に戦術転換した。アメリカにとっては成功だが、日本にとっては残忍な戦術転換となった。
 戦後、空襲被害者や遺族は、このアメリカの将軍を「鬼畜」「皆殺しのルメイ」と呼んだ。そして64年、日本政府はそのルメイに勲一等旭日大綬章を贈った。「航空自衛隊の創設に貢献した」という理由だ。日本人なら閣僚経験者が叙勲される高位勲章である。焼夷(しょうい)弾で焼き殺された庶民の多くは、今も収容されず、東京のどこかに埋まっている可能性が高い。勲章を贈られるどころか、だれからも手を合わせられないまま(拙著「遺骨 戦没者三一〇万人の戦後史」「東京大空襲の戦後史」ともに岩波新書)。
 戦災孤児 ノリコの幸運
 空襲で生き残った者たちにも地獄が待っていた。たとえばいきなり保護者を失った戦災孤児だ。映画の中にも登場する。空襲のさなかを逃げ惑う母親から、血のつながりのない大石典子(浜辺美波)に託された赤ん坊、ノリコだ。闇市で知り合った敷島と一緒に育てることになる。敷島につらくあたった隣人の太田も育児を助ける。
 親切な大人たちに巡り会ったノリコは幸運だった。多くの戦災孤児が、大人でさえ生きていくのに苦労した状況で辛酸をなめた。筆者が取材を続けている女性(82)は東京大空襲で孤児になった。「3歳で住む家がなくなりました」。親戚に引き取られたが、虐待された。「親と一緒に死ねばよかった」といった言葉の暴力。食事を十分に与えない肉体的な虐待もあった。「死ぬことも考えました」。そう振り返る女性は、今も心に傷が残る。
 重巡洋艦「高雄」の実力
 ゴジラは米軍が太平洋のビキニ環礁で行った核実験で被爆し数倍に巨大化、日本近海に現れる。木造船に乗って機雷除去の仕事に当たっていた敷島たちは、ゴジラの足止めにかり出された。敷島らは機銃や、回収した機雷で立ち向かうが太刀打ちできない。あわやという時、旧海軍の重巡洋艦「高雄」が現れる。ごう沈処分待ちだった高雄がシンガポール沖から救援に来たという設定だ。高雄の20センチ主砲弾は、当たれば鉄の塊を粉々にする威力だが、直撃されたゴジラはびくともせず、かえってパワーが増すかのようだ。高雄はあっけなく「撃沈」される。
 実際の「高雄」はシンガポールで敗戦を迎えた。イギリス海軍が接収したが、46年10月27日、マラッカ海峡で同海軍によって沈められた。
 これも映画では触れられていないが、第二次世界大戦では日本人310万人が命を落とした(厚生労働省の推計)。うち30万人は海没、つまり海で亡くなった人たち。政府は戦後、日本近海などで収容を進めたが、99%以上が未収容、行方不明だ。近年、厚労省は海外での収容にも力を入れはじめたが、それでもほとんどは海で永眠することになるだろう。米軍の爆撃などにより一瞬で亡くなった人もいただろう。また海に投げ出されておぼれ、最期まで苦しみ抜いた人も多かったはずだ。
 震電が登場したのは理由があった?
 さてゴジラは暴れ回り、ついに東京に上陸。ようやく再建された街を破壊し尽くし、戦争で生き残った人たちを殺してゆく。旧海軍軍人が集まり、元技術士官の野田健治(吉岡秀隆)が「わだつみ作戦」を立案。再度現れたゴジラを洋上におびき出し、「太平洋戦争」における日本海軍最高の武勲艦と言われる駆逐艦雪風」などが作戦を決行するが、もろくも失敗する。
 ここで大活躍するのが、旧海軍の局地戦闘機震電」だ。戦争末期にB29を迎撃するために開発された、機体の後部にプロペラを配した特殊な構造の戦闘機だ。史実では実戦に間に合わなかった。それがなぜ、ゴジラ迎撃に選ばれたのか。どうして乗り慣れた零戦ではないのか。実は、前プロペラの零戦は機体前部が緩衝となり、特攻の効果を十分に上げられなかった。爆弾を積んでゴジラに〝特攻〟するには、震電が最適だった――というのが筆者の謎解きである(考えすぎかもしれないが)。
 戦没者遺骨100万体以上が行方不明
 特攻や海軍の兵器、あるいは焼け野原になった東京など、「ゴジラ-1.0」は史実を押さえている。戦争に知識や関心がなかった人たちが興味を持ついい機会にもなるだろう。ただ、映画の中で「自分たちの戦争を終わらせた」という敷島たちと違い、現実の世界では戦争はまだ続いている。戦争被害で苦しんでいる人は、「戦後78年」の今も多数存在するのだ。さらに、前述の戦没者遺骨は今も100万体以上が行方不明。肉親の遺骨を探している遺族もいる。戦闘は終わっても戦争被害は終わらない。広義の戦争は続いている。
 その暴虐ぶりに「何をこんなに怒っているのか」とも思ったが、ゴジラ大日本帝国の政略も戦略も戦術も間違った戦争によって命を落とした人たち、あるいはアメリカの原爆によって殺された人たちの怒りと恨みと怨念の塊と考えれば、納得もいく。
 「戦没者310万人」という概数ではなく、家族がいて、あるいは豊かな未来があったはずの一人一人が命を失ったこと。さらには戦争被害に苦しんでいる人が今もたくさんいること。本作が、そうした戦争の実相を知るきっかけにもなればと願う。
 毎日新聞専門記者 栗原俊雄
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