🕯99)─2─日本仏教は「ガラ仏」?しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている!~No.216 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 中華儒教は、仏教を天帝・天子の皇帝一君独裁体制を滅ぼす革命宗教として弾圧していた。
 中国仏教は、宗教弾圧から逃れて地方の山中や日本に逃げ込んできてた。
   ・   ・   ・   
 2023年11月15日7:04 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」? しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている!
 中国、楽山大仏。photo/gettyimages
 日本のお葬式や法事で耳にする「お経」が、チンプンカンプンでまったく意味が分からないのはなぜだろうか? 「仏教」とは、本来そういうものなのだろうか――。日本人が知っているのは、「仏教」のほんの一部分にすぎないことを教えてくれるのが、講談社選書メチエの新刊『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエル・ロベール著、今枝由郎訳)だ。
 【写真】仏教の歴史
 「日本のアショーカ王」は誰か?
 奈良、東大寺の盧舎那大仏と如意輪観音。photo/istock
 本書によれば、中国・朝鮮やチベットはもちろん、東南アジアやヨーロッパでもまったく違う姿を見せることこそが、仏教の大きな特質だ。
 〈仏教について何かを語るときには、それがどの時代の、どの国の、さらにはどの宗派のことなのかを限定する必要がある。(中略)仏教は多様性を含んだ宗教であり、ある事柄に関して〔仏教ではこうであると〕決定的に断言することが非常に難しい。〉(『仏教の歴史』p.27)
 そのなかで、「日本仏教」はどう位置づけられるのだろうか。日本の天台宗の研究で国際的に高く評価されるロベール氏は、日本仏教について多くのページを割いている。
 550年頃に百済から公式に日本に伝来した仏教は、聖徳太子(574-622年)の働きによって本格的な発展を始めた。
 〈十七条憲法は仏教を国教として宣明したものと見なされるが、実際にはこの中には仏教的要素以上に儒教的要素が含まれている。しかしながら日本史においては、聖徳太子は仏教を保護した治世者として、日本のアショーカ王的存在として記憶されている。〉(同書p.110)
 その後、奈良時代東大寺唐招提寺など「南都仏教」の発展、平安時代天台宗真言宗の誕生を経て、鎌倉時代には新たな動きが起こる。日本の教科書で「鎌倉新仏教」と呼ばれる浄土系宗派や禅宗の創始だ。
 〈こうした潮流の全てに共通しているのは、膨大な大蔵経に説かれている極めて複雑な教義、実践、儀式の抜本的単純化である。実際のところ、大蔵経全体を読んだと自慢できるのはほんの一握りの僧だけである。民衆、貴族、武士に自らが実際に、そして有効的に仏教を実践しているという気持ちを抱かせたことが、こうした単純化された教えが、さまざまな階級に受け入れられ、普及した理由である。〉(同書p.115)
 そして、江戸時代の一種の国教化、明治時代の〈中国の文化大革命にも匹敵する徹底的な排斥〉(同書p.116)すなわち「廃仏毀釈運動」が吹き荒れた後――
 〈終戦と共に、神道はそれまでの地位から失墜したが、仏教が返り咲くことはなかった。ここで出現したのは、「新興宗教」と呼ばれるかなり独自な現象である。その中では、日蓮を祖と仰ぎ、『法華経』を崇拝する在家宗教が数多く見られる(創価学会立正佼成会など)。しかし一層革新的な運動もあり、伝統を無視して、外国─―中には西洋もある─―の仏教を直接導入したりする、正直なところ軌を逸したと言えるものもある。こうした中で、もっとも過激な集団であるオウム真理教による1995年春の東京メトロでの襲撃事件は記憶に新しい。〉(『仏教の歴史』p.116)
 日本仏教が「偏食」になった理由
 チベット仏教の僧侶たち。photo/gettyimages
 一神教では、同じ宗教の信者間に連帯や友愛の感情が生じるが、仏教徒には「すべての仏教徒」を代表して語る人や、中心的組織が存在しない。ダライ・ラマでさえ、〈その宗教的権威は自らがその長である宗派の域を越えるものではない。〉(同書p.26)という。日本仏教ももちろん、御多分に洩れない状況にある。
 〈仏教が最も深く浸透した極東の一つの国である日本の例を取ってみよう。仏教には数多くの宗派があり、全仏教界を統一しようとする試みはあるものの、近代社会が直面する大きな道徳的問題に対して、仏教を代表して一つの立場で見解を述べることができないし、その必要性すら感じていないのが現実である。〉(同書p.26)
 そうした日本仏教の歴史と現状については、訳者の今枝由郎氏が巻末で解説してくれている。なお、今枝氏はチベット歴史文献学の第一人者で、フランス、ブータンで長く研究に携わり、2023年、第57回仏教伝道文化賞を受賞している。
 以下、今枝氏の解説によると――
 インドから各地に伝播した仏教は、大別すると、スリランカ、東南アジアに伝わったテーラワーダ系(南伝仏教)と、中央アジアチベット、中国、日本へと伝わった大乗系(北伝仏教)の二系列があり、さらに大乗系は、大きくチベット系と中国系の二つに分けることができる。
 このうち、テーラワーダ系仏教ではすべての経典が大蔵経として一まとまりで伝承され、スリランカミャンマー、タイをはじめすべての国に共有されている。文字は国ごとに変わるが、言語的には古典語であるパーリ語のままで伝承され、注釈書や僧侶による法話は現地の言葉が用いられる。
 また、チベット系は、八世紀後半にチベットが仏教を国教として取り入れ、国家の一大事業として、当時インドで入手できた大乗仏教経典がすべて数十年の間に組織的にチベット語に翻訳されたという。こうしてテーラワーダ系仏教とチベット系仏教は、その教義、修行体系は大きく異なっているものの、各々が一つのまとまった大蔵経を共有しており、本来の僧侶の集団も存続し、仏教本来の姿が見失われていない。
 ところが中国系仏教では、仏教経典全体が一まとまりとして翻訳されることはなかった。インド、中央アジアの僧侶が、自らが精通しているいくつかの経典を単発的に中国語に翻訳してきたのである。
 〈こうした翻訳活動が数世紀に及び、結果的には膨大な経典が訳出されたが、けっして整然と組織的に行われたわけではなかった。いってみれば、仏教はアラカルト的に単品ごとにしか紹介されることはなく、仏教全体がセットメニューとして提供されることはなかった。すなわち中国人僧各人は、大蔵経全体からすればごく一部の経典だけに基づいて仏教を理解する、いわば「偏食」することになったわけである。〉(同書「訳者解説」p.168-167)
 そして、中国仏教の延長線上にある日本仏教は、この偏食――仏教用語で「専修(せんじゅ)」の傾向が一層高まったという。
 日本の各宗派は、もっぱら特定の経典を専門に修め、しかも経典そのものは漢訳仏典のままで、近代にいたるまで日本語に訳されることもなかった。
 結果的に「お経」は一般信者にはチンプンカンプンになり、日本の仏教は「信仰」というよりは、葬式、お彼岸といった「行事」「法要」としてのみ存在している感がある。
 〈かつて日本の携帯電話は、国際標準仕様とは異なる進化を遂げたがゆえに、生物が南米大陸から西に離れた赤道直下のガラパゴス諸島において独自に進化したのになぞらえて、「ガラパゴス携帯電話」(略して「ガラ携」)と評された。これにならえば、アジア大陸の東の海に浮かぶ日本列島に孤立して、千五百年近くにわたって特異な進化をたどった日本仏教は「ガラパゴス仏教」すなわち「ガラ仏(ぶつ)」ということができるのではないだろうか。〉(同書「訳者解説」p.169-170)
 しかし、だからといって、日本仏教が「本来の仏教から逸脱した誤ったものであると一蹴することはできない」と今枝氏はいう。ロベール氏が本書で述べているように、〈多様な文化に対する並はずれた適応能力によって、特異な豊かさを呈している〉(同書p.27)のが仏教なのである。
 ※著者・ロベール氏の詳しい経歴については、〈日本研究国際賞受賞! フランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史入門、待望の日本語版刊行。〉を、さらに、〈ユダヤ教キリスト教イスラム教との決定的な違いとは? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。〉もぜひお読みください。
   ・   ・  ・   
 11月13日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本研究国際賞受賞! フランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史入門、待望の日本語版刊行。
 学術文庫&選書メチエ編集部
 「世界三大宗教」といえば、キリスト教イスラム教、仏教だ。しかしなぜ、この三つが世界に大きく広がったのだろうか。なかでも、日本人にもっとも馴染みのある仏教は、日本以外の国々ではどんな歴史をたどったのだろう――。新刊『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(講談社選書メチエ)は、「日本仏教」の枠を超えた〈世界標準〉の仏教史入門だ。著者は日本文化の研究で業績を積んだ、フランスの研究者である。
 「彼の頭の中は外国語のスーパーマーケットだ!」
 「仏教の歴史」というと、昔ながらの仏教学者やお坊さんが書いた、「なんだか古臭い本」とイメージしてしまうかもしれない。しかし、本書は従来の日本の「仏教史」とは全く違っている。第一章の冒頭には、こう書かれている。
 〈ユダヤ教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、唯一神を中心とした「一神教」の宗教伝統の中だけでずっと生活してきた者にとって、仏教は常軌を外れた奇怪なもの、さらには馬鹿げたものにさえ映る。〉(『仏教の歴史』p.19)
 本書をこのように大胆に書き起こす著者は、どんな研究者なのだろうか。
 インド、アジャンタ石窟寺院の涅槃像
 ジャン=ノエル・ロベール氏は、1949年生まれ。フランス随一の研究・教育機関コレージュ・ド・フランスで日本文明講座を担当してきた東洋学者だ。現在は名誉教授である。
 手がけてきた研究テーマはきわめて専門的で、たとえば、最澄の直弟子・義真の『天台法華宗義集』の研究、鳩摩羅什訳『法華経』のフランス語訳、慈円の「釈教歌」の研究…などが国際的に高く評価されている。また、日本文化を古今東西の文化史の文脈から捉えることを提唱し、1988年には第5回渋沢・クローデル賞を受賞、2021年には第3回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞している。
 ロベール氏の研究の特質は「言語」に対する着目と、その並外れた語学力にある。
本書の翻訳を手掛けた今枝由郎氏は、「訳者解説」でロベール氏の興味深いエピソードを紹介している。なお、今枝氏はチベット歴史文献学の第一人者で、ロベール氏とは学生時代からの旧知の仲だ。
 〈ある時、母国語であるフランス語は別として、中国語、日本語以外に何語ができるのかと尋ねてみると、朝鮮語サンスクリット語チベット語ラテン語ギリシャ語、ドイツ語、英語、イタリア語、スペイン語は一応困らない程度に使えるとのことであった。こうした彼の語学的才能を評して、友人たちは「彼の頭は外国語のスーパーマーケットだ!」と驚嘆していたとのことである。〉(『仏教の歴史』「訳者解説」p.165)
 また、フランス国立東洋語学校に在学中には、当時の日本語教授陣の一人森有正(1911―1976)は、ロベール氏をまさに「不世出の語学の天才」と称賛したという。
 日本の仏教研究者には欠如した視点
 この語学力を武器としたロベール氏の仏教研究とは、どんなものなのだろうか。
 〈仏教をモンゴル、東トルキスタンから日本、ジャワ島まで、さらにはチベットからベトナムにいたるさまざまな言語、文化の統合要素として捉えることで、一つの限定的な宗教史研究をすることは可能であった。と同時に、仏教に限定したとしても関連する言語の数はとてつもなく多く、それらをすべてを習得するのは不可能であることも事実であった。〉(同書p.11)
 つまり、〈手に負えないほど数多くの言語圏〉を股にかけて、その〈統合原理〉ともいえる仏教が、どのようにその地域に溶け込み、変化して新たな姿を見せるかを検証していくのである。
 今枝氏は、〈この鳥瞰的な視点こそが、従来の日本仏教に、明治以降の仏教研究者に、そして現代の日本人仏教徒に致命的に欠如しているものである。〉(同書「訳者解説」p.166-167)と述べている。 
 北京のチベット仏教寺院、雍和宮。photo/Ren.K
 本書の原著は、フランス語版で100ページ足らずの教養書シリーズの1冊だ。ユダヤ教イスラム教、キリスト教、仏教という、人類の主要な宗教を紹介する4冊のうちの1冊として2008年に刊行された。
 フランスで高い関心を持たれながらも、まだまだ未知の宗教である仏教の一般向け教養書として、できる限り専門用語を避けて平易に記述されており、日本語版ではさらに、今枝氏による懇切な注と解説、索引を完備している。
 ロベール氏自身、〈フランス語で書いた仏教についての拙著が、いつか日本語に翻訳されるとは、夢にも思わなかった。〉(同書「日本語版のための序文」p.9)という。
 「世界宗教としての仏教」のスケールの大きな歩みに、思いを馳せてみたい。
 ※引き続き、〈ユダヤ教キリスト教イスラム教との決定的な違いとは? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。〉さらに、〈中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」? しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている!〉もぜひお読みください。
   ・   ・   ・   
 11月13日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「ユダヤ教キリスト教イスラム教との決定的な違いとは? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。
 学術文庫&選書メチエ編集部
 約2500年前のインドに生まれた仏教が、アジアに生まれた他の無数の宗教とは異なり現在の世界に広がっているのは、なぜなのだろうか? 唯一神を信仰するユダヤ教キリスト教イスラム教との大きな違いとは? 講談社選書メチエの新刊『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエル・ロベール著/今枝由郎訳)は、多言語に通じた著者の視点で、「仏教の強さ」を明らかにしている。
 コーランアラビア語カトリックラテン語、では仏教は?
本書の著者、ジャン=ノエル・ロベール氏は、仏教を中心とした日本文化の研究で国際的に高く評価されるフランスの東洋学者で、2021年、第3回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞している。
 ロベール氏は、母語であるフランス語のほかに、中国語・日本語・英語はもちろん、朝鮮語サンスクリット語チベット語ラテン語ギリシャ語…などに通じた「ポリグロット(多言語話者)」で、学生時代から「不世出の語学の天才」と称されていたという(本書「訳者解説」)。
 そして、その能力は、仏教研究においても存分に発揮されてきた。ロベール氏は、さまざまな言語の仏典と言語資料を読み込むことで、仏教の世界的な広がりと多様性を明らかにしてきたのである。
 ではなぜ、仏教には「さまざまな言語の仏典」があるのだろうか? 
 チベット語の仏典写本
 実は、「さまざまな言語に翻訳されてきた」ということこそが、世界宗教としての仏教の大きな特徴なのだ。一方、一神教であるキリスト教イスラム教、ユダヤ教は、必ずしもそうではなかった。
 〈言語の問題は経典と切り離すことができない。コーランはその原語であるアラビア語でしか学習されないし、ヘブライ語モーセ五書だけが今日でも書写されるということを知らない人はいないだろう。また今から数十年前までは、カトリックでは聖書はラテン語で読まれていた。言語と宗教は密接に繫がっている。〉(『仏教の歴史』p.25)
 仏教と同じくインドに生まれたヒンドゥー教でも、〈神々と人間の完全な言語〉としてサンスクリット語が尊重されてきた。ところが仏教は――
 〈諸々の精神的伝統の中で、仏教は開祖がその教えをある特定の言語に限定してはならないと規定した最初であり、ブッダは各々の民族の言葉で教えを伝承することを推奨した。仏教の伝道者たちが、その教えをインドの内外に伝えた時、彼らの最初の仕事は受け継いだ教えをまずは口頭で、次いで文字で翻訳することであった。〉(同書p.25-26)
 開祖であるブッダ自身が、他言語への翻訳を推奨していたのである。
 言語からみた仏教の「意外な歴史」は、まだある。原始仏教といえば「梵語」すなわちサンスクリット語、と連想してしまうが、どうやらこれは日本人特有の「誤解」らしいのだ。
 日本の仏教寺院では、よく「梵字」を見かけるが、ブッダ自身が梵語サンスクリット語)で教えを説いたわけではなかった。むしろ〈サンスクリット語は最初は仏教徒に軽蔑されたが、そのうちに主要な伝道言語の一つとなった。〉(『仏教の歴史』p.26)という。
 〈ブッダ在世当時およびその後の何世紀にもわたって、インドの宗教的、知的で偉大な言語はサンスクリット語であった。ブッダは明言してはいないが、弟子たちに彼の教えをサンスクリット語にしないようにと忠告していたと伝えられており、初期の仏教徒たちは意識的にサンスクリット語を避けてきた。その理由は、サンスクリット語バラモン教との繫がりがあまりにも強かったからであろう。〉(同書p.118-119)
 バラモン教とはヒンドゥー教の前身で、仏教以前からインド宗教の主流だった。しかし紀元1世紀頃から、バラモン教聖典以外でもサンスクリット語が使われるようになると、そうした状況に追随して、仏教もサンスクリット語を用いるようになった。そして――
 〈中国文化圏では、そして不思議なことに日本では、サンスクリット語は「ブラフマー神〔梵天〕の言葉〔梵語〕」として真言を記すのにもっとも有効な言葉となり、それを記すインド文字〔梵字〕も同じように見なされた。〉(同書p.119)
 タイ、バンコクで托鉢するテーラワーダ
 中国語よりヨーロッパ語の方が翻訳しやすかった?
 それでは、初期の仏教では、いったい何語が用いられていたのだろうか。
 最古の仏教テクストとされるテーラワーダ(東南アジア系仏教)の仏典は、「パーリ語」で記されている。パーリ語は、アショーカ王の帝国で用いられていた言語に近いといわれるが、現在は使われておらず、仏典や仏教儀式の用語として伝わるのみだ。しかも、〈パーリ語ブッダ自身が話した言葉ではないことはほぼ確実である。それゆえに、これはすでに翻訳ということができる。〉(同書p.118)という。
 また、仏教は「アジアの宗教」と思いがちだが、それも結果からみた思い込みらしい。
 〈かつて仏教がインドから中国に伝播したことは、文化的には(中略)度肝を抜くことであった。ヨーロッパの諸言語は、中国語、日本語、チベット語よりもインドの諸言語に近い関係にあり、仏教概念の翻訳はそれ以上に難しくはないはずである。〉(同書p.18)
 パーリ語サンスクリット語と同じ「インド・ヨーロッパ語族」に属するヨーロッパの言語のほうが、中国語よりも翻訳しやすかったはずだ、というのだ。
 こうして仏教は、中国語やチベット語、東南アジア諸国の言語をはじめ、モンゴル語、コータン語、トカラ語、西夏語…など様々な言語に翻訳された。そしてその言語に新たな文字文化を誕生させたり、その土地の文法学や論理学、さらに言語文化や文学・思想の源泉にもなった。
 その結果、〈仏教の計り知れない多様性は他の宗教に見られるものを遥かに超えている〉(同書p.18)といい、〈仏教を一律に語ることはほとんど不可能である〉(同書p.27)という。
 〈仏教は、多様な文化に対する並はずれた適応能力によって、特異な豊かさを呈している。それゆえに、仏教徒ではなくても、仏教研究は魅惑的である。〉(同書p.27)
 この巨大な翻訳活動から生まれた多様性こそが、「世界宗教」としての仏教の「深さ」であり、キリスト教イスラム教、ユダヤ教とは大きく異なる「強味」なのだ。
 ※著者・ロベール氏の詳しい経歴については、〈日本研究国際賞受賞! フランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史入門、待望の日本語版刊行。 〉を、さらに、〈中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」? しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている!〉もぜひお読みください。
   ・   ・   ・