🎑114)─2・K─『ゴジラ-1.0』は男達のご都合主義。 初代『ゴジラ」は恋愛映画。~No.256 

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 2023年11月30日12:17 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「男たちが立ち上がる『ゴジラ-1.0』のご都合主義
 <個の力をアピールして高揚させるが、しょせんは敗戦国の敗者復活戦に過ぎない>
 主役を演じる神木隆之介 (C)2023 TOHO CO., LTD.
 *若干のネタバレあり
 11月3日から公開されている映画、山崎貴監督『ゴジラ-1.0』を鑑賞した。この作品のゴジラは、これまで観てきた「ゴジラ」シリーズの中でも屈指の恐ろしさで、第一作目の『ゴジラ』を彷彿とさせる。【藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)】
 <画像>生誕65周年、ゴジラの顔はこんなに変わってきた(写真15点)
 一方でストーリーに関しては、筆者がかつて批判した「現場プロフェッショナルロマン主義」的な要素がある。それに基づいて戦後日本の歴史に新たなナショナリズムを与えようとするかのようなテーマになっていることには違和感を覚えた。
 舞台は終戦直後の日本
 今回のゴジラ映画は、戦中から終戦直後にかけての日本を舞台としている。1954年に公開され、同時代を舞台とした初代『ゴジラ』に年代設定は近い。ゴジラの描写も、原点回帰ともいえる、純粋に人々に恐怖を与える怪獣として描かれている。
 この時代を舞台にしているだけあって、戦争というテーマはこの映画の内容に密接に関わってくる。主人公である敷島(神木隆之介)はいわゆる「特攻崩れ」であり、戦時中にゴジラと戦うことから逃げたため、ほとんどの味方が虐殺される中で生き残ってしまったというトラウマをもつ。彼は物語の後半、命を捨ててゴジラを倒すことを決意するが、「命を捨てる」ということについては最終的に考えを改める。
 この命の価値をめぐる議論は、映画を通したメインテーマの一つだ。戦前・戦中の、多くの人々の命を軽く扱いながら誰も責任を取らない国の姿勢を、登場人物たちは事あるごとに非難する。そして国への対抗意識から、対ゴジラ作戦を行う際も、命を大切にしようと主張する。ゴジラとの戦いは、戦前の軍国主義体制と決別し、新たな日本の基盤をつくるための戦いでもある。
 結局は国家を追認
 しかし極めてご都合主義的な理由でで、GHQ本部や日本国の中枢が壊滅する危機が迫っているにも拘わらず、政府やGHQゴジラに対して何もしない。それらに代わってゴジラに対応するのが、志願した「民間」の人間たちだ。彼らは一人一人が自分たちの家族や生活に責任を持っており、この責任意識がゴジラに立ち向かう動機となる。「民間」の活躍は、先述の軍国主義体制との決別にも関連している。古い社会は国家中心だったのに対して、新しい社会は民間が中心となるのだ。
 映画を貫く「現場プロフェッショナルロマン主義
 この映画で語られている「国家」に対する「民間」の礼賛は、戦後日本の歴史を知っている現在の視点から逆算して創られた一種の起源神話だ。この神話は、戦後日本人のナショナリズムを喚起する、ある種の信念によって支えられている。それは、この社会を良くするのは政治的な運動などではなく、「一人一人が自分に与えられた役割を全うすること」であるという信念だ。以前筆者は、この信念を「現場プロフェッショナルロマン主義」というイデオロギーとして、批判的に取り上げたことがある。
 確かに登場人物たちは、口々に国家の悪口を言う。しかし一方でそれは、ゴジラに対して国家に立ち向かわせるという方向には向かわない。彼らは国家の危機を自分たちで引き受ける。そして各々に出来ることを全うしようとする。
 この意味で、日本でつくられたゴジラ映画としては前作にあたる庵野秀明監督『シン・ゴジラ』との共通点を見いだすこともできる。『シン・ゴジラ』は主に国家の官僚が活躍する話で、民間が活躍する『ゴジラ-1.0』と対になる作品として扱われているが、「国家の危機に際して、現場の一人一人が自分に与えられた役割を全うする」というテーマとしては共通性があるともいえる。『シン・ゴジラ』も、結局ゴジラを倒す計画を練るのは、通常であれば国家の意思決定には関われない下っ端官僚たちであり、それを実践するのは警察や消防、自衛隊といった現場の部隊だからだ。
 ところで、この「現場プロフェッショナルロマン主義」は、国家と対立しているようでいて、結局は国家の価値観を追認する方向に働く。この映画でも、「現場」の努力でゴジラを何とかしようというやり方では、結局のところ戦前の日本のやり方との決別はできない。命が粗末に扱われた戦時中とは違い自分たちは一人の犠牲も出さないのだと演説する元技術士官の野田は、一方で対ゴジラ作戦に参加する者たちに死を覚悟させている(おとりとなる部隊などは、実際に犠牲者も出している)。対ゴジラ作戦に参加する民間人も、そのほとんどは旧軍出身者で固められている。彼らは旧日本軍の兵器を頼りにしており、重巡洋艦や幻の戦闘機に喝采するのだ。
 男たちの敗者復活戦
 従って、この映画でのゴジラとの戦いから受ける印象は、作中でしつこいぐらい強調されている戦後日本の新たな希望の勝利ではない。むしろ戦前の日本に対する未練を引きずった男たちの敗者復活戦なのだ。対ゴジラ作戦に関わるのは、見事に男性しかいない。数少ない女性登場人物であるヒロインは、フェミニズム批評でいう典型的な「冷蔵庫の女」である。
 「冷蔵庫の女」とはアメリカのあるヒーロー物のコミックスで、主人公の恋人が殺され遺体を冷蔵庫に詰められたことに由来し、男性キャラの成長のためだけに唐突に殺される女性キャラクターのことをいう。この映画のヒロインもまた、消沈している主人公にゴジラを倒す動機をあたえるために死ぬ(ラストシーンで生存が発覚するのだが)。このように、この作品は常に男性視点で進んでいくのだ。
 主人公を含む男たちがゴジラと戦うのは、日本や家族を守りたいからだけではないだろう。日本は連合軍に徹底的に打ちのめされ、国土を焦土にされた。これは男性的な価値観にとっては極めて屈辱的であり、「日本男児」は去勢されたにも等しい。しかしここでゴジラと戦い勝利する体験が得られれば、男たちは再び「立ち上がる」ことができるのだ。この映画の冒頭が、ある南洋の島から始まるにも関わらず、かの戦争は日本の侵略戦争だったという観点がまるでなく、敗戦という悲劇しか描いていないことも影響している。
 『ゴジラ-1.0』は日本人のナショナリズムを高揚させる。そのナショナリズムは、確かに表向きは、先述の通り個人の礼賛という「政治的正しさ」に準じたものとなっている。しかしこの戦いが男たちの敗者復活戦であることは、古いナショナリズムもまた喚起する。
 映画のクライマックスで、主人公たちの危機に、おびただしい数の民間船が救援に表れるというシーンがある。このシーンは明らかにクリストファー・ノーラン監督『ダンケルク』のオマージュであり、観客の気分を盛り上げる。だが、ダンケルクの戦いで連合軍兵士を救援するために多数の民間船が向かったのは、(いかにそれがナチス・ドイツに対する抵抗であったとしても)命の危険を冒して「国家」のための戦争に貢献するためだったことは忘れてはならない。
 国家と民間、生命の軽視と尊重、無責任と覚悟、これらの二項対立は、簡単に切り分けることができない。筆者は、『ゴジラ-1.0』が高揚させる「政治的に正しいナショナリズムの背後に、「ニッポンを、取り戻す。」という、あのスローガンが見え隠れしてならないのだ。
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 11月30日 MicrosoftStartニュース マグミクス「三角関係に苦悩するヒロイン! 初代『ゴジラ」は切ない「恋愛映画」だった?
 LUIS FIELD
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 巨大怪獣の出現の影に戦争が生んだ悲恋が
 1954年に公開された「ゴジラ」シリーズの1作目『ゴジラ』は、日本の怪獣映画の元祖です。怪獣映画でありながら恋愛ドラマ的な要素もあったため、幅広い層に受け入れられました。人知を超えた大怪獣の出現に騒然となる日本列島と同時に、ふたりの男性の間に揺れるヒロインが描かれています。今回は、第1作目『ゴジラ』の恋愛映画としての側面に迫りましょう。
 【画像】初代『ゴジラ』のポスターのなかには、「ヒロインがゴジラに鷲づかみされてる」絵もあった? 三角関係に揺れた170cmの高身長美女・山根恵美子を見る(3枚)
 第1作でゴジラ退治の鍵となる水中酸素破壊剤「オキシジェン・デストロイヤー」は、水爆以上の破壊力を持っています。
 開発した芹沢大助博士(平田昭彦さん)はゴジラの存在を国会で発表した山根恭平博士(志村喬さん)の愛弟子で、かつてはひとり娘の山根恵美子(河内桃子さん)と婚約していました。ところが、戦時中の大怪我によって片目を失明して、芹沢は一方的に婚約を破棄、研究に没頭してオキシジェン・デストロイヤーを開発します。
 その後、恵美子は芹沢の旧友である尾形秀人(宝田明さん)と恋人になります。しかし、尾形は芹沢が恵美子に対する未練があるのを知ってか、ふたりの仲を公言できないままでした。
 そんな折、芹沢は「ふたりだけの秘密」として、恵美子だけにオキシジェン・デストロイヤーの存在を打ち明けます。芹沢は悪用されるリスクのあるオキシジェン・デストロイヤーをこのまま封印するつもりでした。はからずも恵美子は、尾形に言えない秘密を抱えてしまいました。決して芹沢に浮気した訳ではないのに、擬似三角関係のような状態に恵美子は苦しみます。
 しかしゴジラが上陸し、町が破壊された人びとが犠牲になる姿を見た恵美子は罪悪感に耐えきれず、芹沢を裏切り、尾形にオキシジェン・デストロイヤーの存在を明かすのです。当初、オキシジェン・デストロイヤーの使用を拒否していた芹沢ですが、恵美子と尾形の説得に折れ、使用を認めます。恵美子が秘密を暴露した時点で、恵美子の心はすでに自分にはないと覚悟していたのかもしれません。
 芹沢は尾形に「幸福に暮らせよ」と言い残して、オキシジェン・デストロイヤーによって海中でゴジラとともに消滅します。開発者である自らを葬り去ることで、オキシジェン・デストロイヤーを完全に封印したのでした。
 国内外を含めて30作以上制作されたゴジラ映画ですが、恋愛がドラマの根幹になったのはこの第1作だけでした。見方によっては、ゴジラの存在よりも哀しい三角関係の結末の方が印象に残った人もいるでしょう。恋愛ドラマに比重が置かれるとゴジラの存在が霞んでしまうため、娯楽映画としてシリーズ化されるにあたって、恋愛要素は少なくなってしまったのかもしれません。
 関連するビデオ: 【ゴジラ-1.0】浜辺美波、歴代ゴジラと本作ゴジラの違いを明かす!『ゴジラ-1.0』初日舞台あいさつ (シネマトゥデイ)
 さらに、第1作でゴジラを唯一完全に倒せるオキシジェン・デストロイヤーを芹沢博士が封印したために、その後に次々と後続のゴジラや他の大怪獣が出現して、大暴れすることになってしまいます。
 その後、1995年公開の『ゴジラVSデストロイア』では、芹沢博士が使ったオキシジェン・デストロイヤーの影響で古生代の微小生物が復活してデストロイアになり、平成ゴジラと対決します。そして、山根恵美子(同じく河内桃子さん)が41年ぶりに再登場しました。劇中では詳しくは語られていませんが、山根の姓のままだったため、結局、尾形とは結ばれず独身を通したようです。
 (LUIS FIELD)
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 12月1日0:10 YAHOO!JAPANニュース ねとらぼ「「ゴジラ」歴代シリーズ作品人気ランキング! 第2位は「ゴジラvsビオランテ」、1位は?【12月1日は映画の日
 本日12月1日は「映画の日」です。1956年に制定された記念日で、1896年11月25日~12月1日にかけて映画が初めて「神戸」で上映されたことが由来。この時は、現在の映画館のスタイルではなく、エジソンが発明した1人ずつ見る「キネトスコープ」を輸入する形で作品が上映されていたとのこと。1896年から数えて60年目にあわせ、映画を普及させるために「映画の日」が制定されました。現在では各地の映画館などでイベントやキャンペーンが開催されています。
 【画像:ランキング29位~1位を見る】
 今回は「映画の日」にあわせて、「『ゴジラ』歴代シリーズ作品人気ランキング」(2023年4月ねとらぼ調べ・回答数1620票)を紹介します。
 投票対象は、初代「ゴジラ」から「シン・ゴジラ」までの歴代シリーズ29作品。ねとらぼ読者がもっとも好きなのは、どの「ゴジラ」作品だったでしょうか?
●第2位:ゴジラvsビオランテ
 第2位は、得票数186票の「ゴジラvsビオランテ」。得票率は11.5%でした。1989年に公開されたシリーズ第17作で、ゴジラ細胞(G細胞)を巡る争奪戦が繰り広げられている世界が舞台です。遺伝子工学の博士がバラの種子にG細胞を組み込んだことにより、巨大怪獣化しビオランテが誕生。三原山で目覚めたゴジラとの戦いを描いています。
 コメントには「ゴジラの細胞から生まれた怪獣というのが衝撃的でしたし、姿も神秘的に思えて初めて見た時から忘れられない作品です」「個人的に歴代ゴジラでNo.1イケメンは『ゴジラvsビオランテ』のゴジラ(通称・ビオゴジ)か『ゴジラvsデストロイア』のゴジラ(通称・バーニングゴジラ)の2択」といった声が寄せられていました。
●第1位:ゴジラ(1954年)
 第1位は、得票数204票の「ゴジラ(1954年)」。得票率は12.6%でした。1954年にシリーズ第1作として公開された作品です。原水爆実験の影響で復活した伝説の怪獣ゴジラが、東京に上陸。放射能をまき散らすゴジラの脅威と人々の攻防、核の恐怖が描かれています。
 日本映画界に「特撮怪獣映画」と呼ばれるジャンルを誕生させ、ゴジラの名を知らしめた記念すべき作品。コメントには「初代は別格」「初代『ゴジラ』の完成度の高さに1票」といった声が寄せられていました。
 高橋マナブ
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 11月30日17:00 YAHOO!JAPANニュース サンケイスポーツ「映画「ゴジラ―1.0」は米ハリウッドでも大盛況 神木隆之介「泣きそうなくらい感動」/芸能ショナイ業務話
 映画「ゴジラ―1.0」の北米上映会でスタンディングオベーションを受ける左から山崎貴監督、神木隆之介=米ロサンゼルス・ハリウッド
 米ロサンゼルスのハリウッドで11月10日(日本時間11日)に行われた映画「ゴジラ―1.0(マイナスワン)」の北米上映会を現地で取材した。主演の俳優、神木隆之介(30)と山崎貴監督(59)は約600人のファンと一緒に客席で鑑賞。上映終了直後から約48秒間のスタンディングオベーションがわき起こる盛況ぶりだった。
 【写真】米ハリウッドを訪れた神木隆之介山崎貴監督
 今作は1954年に誕生した実写版映画「ゴジラ」の誕生70周年記念作で、戦後まもない日本でゴジラが暴れ、人々を恐怖に陥れる。神木は戦争の特攻隊から生き逃れた後、ゴジラに立ち向かう民間人の敷島役を熱演している。今回は上映会後のトークイベントでのやり取りを紹介する。(取材・構成=山内倫貴)
――この映画のスケールの大きさと感情的な重さを感じた。米国のファンと映画をみた感想は?
 山崎監督「(上映中の)素晴らしい反応に感無量です」
 神木「みなさまから拍手をいただいたときに、泣きそうなくらい感動しました。そして、みなさまがゴジラを愛してくださるレベルが、愛しているではなく、崇拝しているんだなと分かりました」
――映画を通じて知ってもらいたいこと
 山崎監督「(劇中では)日本が苦しかった時代にゴジラが暴れるということで、本当にひどい奴といわれるんですけど(笑)、でも、本当に苦しい中で民間の力で(ゴジラに)立ち向かう姿で勇気を与えられたらいいなと思います」
 神木「もちろん、ゴジラそのものを楽しんでもらいたい気持ちはあります。ただ、それと同時に、人間として生きていたいとか、生きていてほしいという、一番大事な気持ちというのは、すべての人間が同じように思っていること、それが一番大事なことだと感じてほしい」
――ゴジラが普遍的に愛されている理由は
 山崎監督「世の中にいろんな不安とか恐れが蔓延していて、それをなんとか沈めるという意識のところで、日本にはたたり神という概念がある。みんなが世の中の不安が高まったときに、その正体を見極めようとしてゴジラという形をとったものがやってきてそれを鎮めるという…この意識が必要ではと思う。だからゴジラは70年も愛され続けていると思う」
 神木「僕も監督と同じような意見ですけど、その時代その時代、ゴジラの作品がつくられて、その時代の抱えている不安、恐怖、少しの希望というのが表現されている。なので、今作には、今生きている人たちが抱えている不安や恐怖を投影できると思う」
――ゴジラとの最初の出会いは
 山崎監督「子供の頃にお風呂屋さんに行って、そこに(ゴジラを含めた)3大怪獣のポスターが張ってあって。ポスターには僕の住んでいる町の松本城があって、すごく見たくなって、親にこれをみせてくれたら2度と映画に連れて行ってくれなくていいとお願いして、連れて行ってもらった。自分の住んでいる町が壊されてすごく興奮したんですけど、それ以降、2度と連れて行ってくれなくなりました。悲しい思い出です(笑)」
 神木「小さい頃住んでいた家の隣の家に同い年ぐらいの男の子が住んでいて、よく怪獣のフィギュアを持って僕のことを追いかけていましたが、ある日、ゴジラの人形を持って追いかけ回した日があって、泣きながら逃げていたのが僕の初ゴジラでした」
――ヒーロー的要素と、愛する人の存在によって生きる意味を見出すドラマにひかれました。神木さんの役作りは?
 神木「僕は戦争を体験したことがなかったので、役作りは本当に大変でした。いろいろな資料を調べたりしたけど、敷島を演じるに当たり、いかにその時代を生きた方に近づけるか悩みました。一番意識したのは顔つきと目つきです。映画の最初の方から後半にかけての顔つきが変わるように表現できたらいいなと思ってやってました」
――監督はどのように撮影の準備をしたのか
 山崎監督「僕自身がVFX(コンピューターグラフィックスなどによる実写映像加工)のアーティストなので、自分でゴジラを作りました。いろんなアングルからみて、一番カッコいい、そして怖いゴジラを作りました」
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