🌏41)─5・D─北海道の歴史は、幕末と第二次世界大戦の勝者によって2重に歪められた。〜No.134 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
2022-06-13
🏞90)─1─徳川幕府統治権者としてロシアの軍事侵略から神の国日本と蝦夷地・北方領土を守っていた。~No.371No.372 
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 江戸時代後期、徳川幕府はロシアの軍事侵略から蝦夷地・北方領土南樺太を防衛する為に東北諸藩に出兵を命じた。
 東北諸藩は、戦争を覚悟して約4,000人を蝦夷地・北方領土南樺太に送って防衛任務に当たった。
 尊王攘夷派は、神国日本と蝦夷地や北方領土をロシアの軍事侵略から守る為に北に向かい、イギリス・アヘン戦争アメリカ・ペリー黒船艦隊は二次的外圧にすぎなかった。
 尊王攘夷派や勤皇派には、下級武士や身分の低い庶民が多かった。
 外圧に弱いのは、現代の日本であって昔の日本ではなかった。
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 日本の大陸戦争は、積極的自衛戦争であった。
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 数万年前の旧石器時代縄文時代から、日本民族は日本列島を中心として北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、南は琉球(沖縄)、西は朝鮮半島南部を手漕ぎの丸木舟で移動しながら生活していた。
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 日本の敵国とは、ロシア、中国、朝鮮の近隣3カ国である。
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 江戸時代の、日本商業を支え発展させたのは北前船航路の出発地であった蝦夷地であり、食文化や商業活動の大動脈は日本海に建設された海上輸送路であった。
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 日本の近代化は、北からの外圧であるロシアの日本軍事侵略から始まった。
 現代の日本人は、本当の歴史が理解できない。
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 2023年11月15日17:00 YAHOO!JAPANニュース 夕刊フジ「「蝦夷地は日本ではない」かのような異様な刷り込み 文科省の教科書修正報道 執筆動機「誰もやらないのであれば私が」
 北海道松前町の松前城
 【江戸幕府の北方防衛】
 拙著『江戸幕府の北方防衛』(ハート出版)が発売された直後、ロシアがウクライナ侵略を始めた(昨年2月24日)。このため、本書は注目を集め、アマゾンのベストセラー1位(分野別)となり、現在3刷りとなっている。
 【画像】中村氏の著書『江戸幕府の北方防衛』
 執筆動機の1つ目は、北海道の郷土資料館や博物館の歴史年表で、江戸時代の蝦夷地(現北海道)が「アイヌ時代」となっていることに気が付いたことである。蝦夷地の歴史から、江戸幕府松前藩などがすっぽりと抜けている北海道の時代年表を素直におかしいと思ったのである。
 なぜなら、江戸幕府松前藩、東北6藩(仙台藩秋田藩庄内藩南部藩津軽藩会津藩)による、「北方防衛の事実」を知っていたからである。
 私は、北海道内にある、史跡・松前城や、江差町郷土資料館、江戸幕府がロシア、諸外国から2度、蝦夷地・樺太・千島を守るために直轄にしたときの政庁史跡・五稜郭内の復元箱館奉行所、警備していた仙台藩白老元陣屋跡、秋田藩増毛元陣屋跡、庄内藩ハママシケ元陣屋跡、南部藩室蘭陣屋跡、津軽藩斜里陣屋跡、野付半島会津藩士北方防衛顕彰碑などを訪ね歩いていた。
 執筆動機の2つ目は、あたかも「江戸時代の蝦夷地が日本ではない」ことを刷り込むかのように、文科省教科書検定によって、東京書籍小6『新しい社会歴史編』の教科書が修正されたとの報道があったからだ。
 2019(令和元)年4月13日の産経新聞は、「来年度から使用される小学校の教科書で、江戸時代初期の日本を赤く塗った地図が文科省の検定により、北海道以北を白くする修正が行われた結果、北方領土を固有の領土とする政府見解と矛盾しかねない内容になっていることが13日分かった」と報じていた。
 この報道は、検定委員に、日本から北海道を分断しようとする勢力を背景にした者が就任している可能性が推測された。
 今のままでは、蝦夷地を統治していた江戸幕府松前藩、分治警備した東北6藩のことは忘れ去られ、蝦夷地に江戸時代がなかったかのようにされると思った。「江戸幕府の北方防衛」の事実を広く国民に知ってもらうことにより、江戸時代の蝦夷地・樺太・千島が日本の領土であることを、日本人の共有知識とすべきであると強く感じた。
 だが、歴史学者や政治家、官僚の動きはない。「誰もやらないのであれば私がやろう」と、決然と実行することにし、この本を上梓した。
中村恵子(なかむら・けいこ) 札幌市生まれ。北海道大学大学院法学研究科修了。医療法人を経営する傍ら、長年にわたり一般社団法人、廃棄物資源循環学会(現在フェロー、元理事)に所属し、ライフワークである循環型社会構築のための執筆や講演、研究活動を行ってきた。1995年度リサイクル推進功労者等表彰通産大臣賞。一方、北海道の開拓と歴史を調査し、先人たちの名誉を守り、自虐史観から脱却した「北海道の開拓、歴史の事実」を伝える活動を続けている。著書に、第5回アパ日本再興大賞優秀賞を受賞した『江戸幕府の北方防衛』(ハート出版)、編著に『これでいいのかごみ行政』(横山出版)、『災害廃棄物分別・処理実務マニュアル』分担執筆(ぎょうせい)など。論文も「ごみ処理有料化の実態及び市民意識」(92年、廃棄物学会誌)など多数。
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 11月15日11:00 YAHOO!JAPANニュース ZAKZAK江戸幕府の北方防衛
 幕末と第二次世界大戦、勝者によって2重に歪められた北海道の歴史 認識を誤らせている元凶は「専門家」たち
 1945年8月、神奈川・厚木飛行場に降り立ったマッカーサー司令官。GHQは「日本が悪い」という自虐史観を押し付けた(ACME)
 北海道の歴史年表で、江戸時代の蝦夷地(北海道)が「アイヌ時代」となっていることを、私はおかしいと思った。郷土研究家の知人に尋ねてみたが、「専門家が言っているからそうだよ」と言うのである。
 だが、この「専門家」こそが、日本人の歴史認識を誤らせている元凶と知ることになる。
 江戸時代を「遅れた時代」とし、江戸時代の功績を語らない明治維新派の策謀もあり、明治以後の歴史で扱われる江戸時代は「勝者薩長史観」で語られることになる。それが最も顕著に表れた地域が北海道であった。
 北海道の歴史は、明治以後の開拓からという開拓史観である。それ以前の江戸時代の北方防衛の事実、松前藩アイヌとの共生による物々交換で繁栄した北前船交易など、江戸時代の蝦夷地の歴史は無視された。
 江戸幕府とロシアとの千島、樺太をめぐる国境画定交渉なども知る人は少ない。かくして、北海道の歴史は明治以後の開拓からで、それ以前はアイヌが住んでいたというイメージが普及した。
 第二次世界大戦以後は、歴史学者の発言・研究は、GHQ(連合国軍最高司令部)のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム=戦争への罪悪感を日本人に植え付ける宣伝計画)に沿う「日本が悪い」という自虐史観が押し付けられた。加えて、マルクス主義階級闘争史観で、「統治者・支配者・強者は悪、被支配者・弱者は善」という枠組みの中で、日本、北海道の歴史を分析した説明が、マスコミや学会で大手を振るってきた。
 自虐史観で事象を説明する歴史学者、教職員により、蝦夷地では統治者・支配者・強者の江戸幕府松前藩の和人は侵略者、アイヌは弱者で搾取された者という構図で教材が作られた。
 そこには、江戸幕府アイヌに対するまなざしが「慰撫(いぶ=なぐさめいたわること)と介抱」で、松前藩、分治警備した東北6藩もそれを踏襲し、「オムシャ」と呼ばれる懇親会開催、ほぼ全員のアイヌに種痘を行ったことには触れない。
 シャクシャインの戦いが、初めはアイヌ間の戦いで、中立だった松前藩に支援依頼に行ったアイヌの使者が帰路死亡したことから、松前藩にぬれぎぬをかけ、和人400人近くが殺されたことは、あまり伝えられない。クナシリメナシの戦いでも、最初に和人71人をアイヌが殺したことから始まったことには触れない。悪いのは和人だから日本人の被害は伏せられる。
 この教材で教育を受けた子供たちは、和人はアイヌから北海道を奪ったと信じて疑わなくなる。北海道の江戸時代の歴史は、幕末の勝者と第二次世界大戦の勝者によって2重に歪(ゆが)められた。
中村恵子(なかむら・けいこ) 札幌市生まれ。北海道大学大学院法学研究科修了。医療法人を経営する傍ら、長年にわたり一般社団法人、廃棄物資源循環学会(現在フェロー、元理事)に所属し、ライフワークである循環型社会構築のための執筆や講演、研究活動を行ってきた。1995年度リサイクル推進功労者等表彰通産大臣賞。一方、北海道の開拓と歴史を調査し、先人たちの名誉を守り、自虐史観から脱却した「北海道の開拓、歴史の事実」を伝える活動を続けている。著書に、第5回アパ日本再興大賞優秀賞を受賞した『江戸幕府の北方防衛』(ハート出版)、編著に『これでいいのかごみ行政』(横山出版)、『災害廃棄物分別・処理実務マニュアル』分担執筆(ぎょうせい)など。論文も「ごみ処理有料化の実態及び市民意識」(92年、廃棄物学会誌)など多数。
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 11月17日17:00 YAHOO!JAPANニュース 夕刊フジアイヌへの「非道禁止」命じていた豊臣秀吉徳川家康 日本の領土確保と近代経済発展に寄与した松前藩
 豊臣秀吉との銅像大阪市中央区)。アイヌへの非道を禁じたという
 【江戸幕府の北方防衛】
■日本文化の表徴物に満ちた蝦夷
 北海道各地には、国宝指定された約2万年前の黒曜石の石器などが出土した白滝遺跡群や、世界遺産に登録された北海道・北東北縄文遺跡群など、日本人の文化を示す遺跡がある。
 世界最古9000年前の漆製品は函館垣ノ島B遺跡で、世界最古1万4000年前の煮炊きの跡が残る縄文土器は帯広大正3遺跡、糸魚川翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)はオホーツク海に面する標津町縄文遺跡、国宝・中空土偶は函館箸保内野遺跡から出土した。
 本州以南では、弥生、古墳時代にあたる続縄文時代の遺跡からは、琥珀(こはく)の勾玉、続縄文土器が出土した。奈良、平安、鎌倉中期にあたる擦文時代では、稗(ひえ)、粟(あわ)、黍(きび)が栽培された。江別市恵庭市などに古墳群の跡、蕨手刀(わらびてとう=日本の鉄製刀の一種)、鉄器、須恵器(すえき)、紡錘機、鍛冶場が出土、本州との交流を示している。
松前慶広の頑張りが蝦夷地・樺太・千島を日本領土として確保
 鎌倉幕府は1219年、津軽の安藤氏を蝦夷地管理のために蝦夷管領に命じ、室町時代の安藤氏は日ノ本将軍として関係者を代官に蝦夷地3守護12館の管理をしていた。だが、アイヌの首長、コシャマインの攻撃により11館が壊滅し、花沢舘蠣崎(かきざき)氏に寄寓(きぐう=よその家に身をよせて世話になること)していた武田信広が奮戦し、コシャマインを打ち取った。
 その後、武田信広は蠣崎氏の娘婿となり勢力をつけた。蠣崎氏5代目の蠣崎慶広は朝鮮出兵のために肥前名護屋にいた豊臣秀吉に面会に行き、蝦夷地統治の朱印状を得て、安藤氏の代官から独立を果たした。
 蠣崎慶広は1604年、徳川家康から黒印状を受け、蝦夷地一円統治の公認を得るとともに、名前を松前慶広と改め、松前藩が成立した。
 江戸幕府が、諸国の大名から提出された地図をつなぎ合わせた1644年「正保日本御絵図」には、松前藩が自国領として提出した蝦夷地・樺太・千島を含む「正保御国絵図」が組み込まれている。この地図は、現在も「北方領土を我国領土」と主張する根拠にしている。
 当時、米を収穫できない蝦夷地の藩経営を成立させるため、秀吉と家康はアイヌとの独占交易を保証、アイヌの人々への非道禁止を命じている。蝦夷地の鰊粕(にしんかす)、サケ、昆布、鷲の羽などと、本州以南の米、塩、酒、古着、刀、和紙、石材などの交易は、場所請負人や北前船商人によって日本中に富と生活の向上をもたらした。地場産業を発展させて、近代産業の礎をつくることになる。
中村恵子(なかむら・けいこ) 札幌市生まれ。北海道大学大学院法学研究科修了。医療法人を経営する傍ら、長年にわたり一般社団法人、廃棄物資源循環学会(現在フェロー、元理事)に所属し、ライフワークである循環型社会構築のための執筆や講演、研究活動を行ってきた。1995年度リサイクル推進功労者等表彰通産大臣賞。一方、北海道の開拓と歴史を調査し、先人たちの名誉を守り、自虐史観から脱却した「北海道の開拓、歴史の事実」を伝える活動を続けている。著書に、第5回アパ日本再興大賞優秀賞を受賞した『江戸幕府の北方防衛』(ハート出版)、編著に『これでいいのかごみ行政』(横山出版)、『災害廃棄物分別・処理実務マニュアル』分担執筆(ぎょうせい)など。論文も「ごみ処理有料化の実態及び市民意識」(92年、廃棄物学会誌)など多数。
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