🕯114)─2─ゴジラ映画は祟り神のゴジラによる破壊と新生の物語、終われない神事である。〜No.246 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 昭和29年 初代「ゴジラ」映画を、当時の総人口約8,800万人の内約961万人が映画館という暗闇の中で鑑賞した。
 憎めない妖怪と恐ろしい恐竜の要素を加えた「あやしき生命体」が、破壊王ゴジラである。
 ゴジラとは、人が生み出した科学の常識を越え、人が生きてきた歴史の前例を覆す、人智では図る事ができない不思議な存在である。
 ゴジラとは恵みを与える温和な風土と奪い去る過酷な風土というの二面性を持つ日本列島の自然環境そのものであるがゆえに、世代を超えて日本人に愛されている。
 ゴジラは生み育む和魂と破壊して奪う荒魂を持つ存在であるがゆえに、日本人は安定した傲慢時代と混沌とした閉塞時代にゴジラを求める。
 ゴジラは、ネガティブでありポジティブである。
 破壊と新生。
 ゴジラは、日本神道から生まれた日本人の精神文化を実像化可視化した「まぼろし」である。
 ゴジラの猛威が大地震や火山噴火や雷雨や竜巻のような甚大な被害をもたらす自然災害であるがゆえに、日本人は自然災害に勝てないと同じようにゴジラを倒せない。
 日本人は、人智では自然災害を食い止められない事を、ゴジラの破壊で再認識する。
 ムダな事を知りながらも、思いつく限りの知恵を絞り出し、精も根も尽きるほどの体力を振り絞り、生きる為に皆で協力して襲い来るゴジラに立ち向かっていく。
 外国人には「ゴジラ」を理解できないとは言わないが、日本人と外国人ではゴジラ映画の見方は異なる。
 「ゴジラ」は、日本の多様性ある宗教観から生まれたが故に、寛容として、見る者がどう考えどう思おうとも否定せず、解釈の優劣を付けず、こだわらず、あるがままに見る事を望んでいる。
 ゴジラ映画は、破壊の奥底に已むに已まれぬ「究極の愛」が秘められている。
 逃れられない過酷な極限状態に置かれた日本人の無力という悲劇ではない。
 懸命に生きようとする中で見せる、賢さと愚かさ、悲観と滑稽さ、慟哭と爆笑。
 空想力・想像力・発想力がもたらす好奇心こそが、生きる上で大切であると。
 それは、日本国語力である。
 ゴジラは、善でも悪でもなく、例外なく全てを破壊する脅威ではあったが、都市を破壊して命や財産を奪って行く悪役・敵役ではない。
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 ゴジラは、核兵器放射能で生まれ変わった荒ぶる自然神であり、恐怖の破壊王であり、永遠に続く命の根源でもあり、生きる為に諦めずに戦う勇気の象徴であった。
 同じような映画は、大映の『大魔神』である。
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 2023年10月29日 YAHOO!JAPANニュース AERA dot.「ゴジラ映画とは「終われない神事」である 山崎貴監督が語る“神様兼怪物”の本質
 山崎貴(やまざき・たかし)/1964年、長野県生まれ。主な監督作に「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ、「永遠の0」「アルキメデスの大戦」など。監督・脚本・VFXを担当した「ゴジラ-1.0」が11月3日から全国公開(撮影/植田真紗美)
 世界的に人気のキャラクター、ゴジラの誕生70周年を記念する映画「ゴジラ-1.0」(ゴジラマイナスワン)が11月3日から公開される。山崎貴監督はゴジラ映画を「神事」と位置付ける。AERA 2023年10月30日号の記事より。
 【写真】昔のゴジラは目がちがう?70年前の第1作目のゴジラがこちら
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──どんな経緯で監督を引き受けられたのですか。
 ずっとゴジラはやりたかったのです。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(2007年)にゲスト出演してもらったことがあるのですが、それが大変すぎてとても全編を満足のいくレベルで描くのは難しい、と一旦封印していました。
 「シン・ゴジラ」(16年)も公開され、少しライバル心が燃えまして。技術的にも、思っているゴジラを作れる段階にきたので、満を持してやらせてもらいます、と。
──和製ゴジラ29作のうち、影響を受けたのは?
 圧倒的に1954年の1作目のゴジラです。人間ドラマとゴジラが離れていないところが本当に素晴らしい。本多猪四郎の実写と、円谷英二の特撮班が精緻を凝らして競い合っています。
■現代の写し絵のように
 第五福竜丸が被曝するなど当時の不安な状況そのものが、ゴジラという姿でやってきたという作品だと思うので、今回もその精神を受け継ぎたい、と思いました。
 また、最近のきな臭さというか、世の中が戦争に向かって転がり落ちているという感じは意識しないといけないと思った。現代の写し絵のように、我々の抱える不安感がゴジラになってくるものなのかな、とも感じました。
 さらに、19年にオファーを受けて、企画を練っている間にコロナ禍が深刻化していった。政府はあてにならず、民間で何とかしなければならないなど、世の中に不安が広がった。そういうものが映画にも反映していると思います。
 だから、日本が危機になるとゴジラは作られるという気さえしました。「シン・ゴジラ」も東日本大震災の影響を受けている感じもしましたけど、今回も僕らが漠然と感じている不安がゴジラという形になってやってきているという感覚です。
──タイトルの「-1.0」の意味を改めて教えてください。
 敗戦下のゼロ状態の日本がさらにマイナス状態に追いやられる中、わずかなもので、人がどうやってゴジラに立ち向かうのか、という物語でもあるし、主人公が陥るマイナスワンの状態も示唆しています。初代ゴジラよりさらに前に戻るという意味もあります。
──時代設定などはどのように決めていったのですか。
 オファーを受ける前から、ゴジラを作るなら、昭和の世界がいいなと思っていたんですよ。昭和の街に立っている時にこそゴジラは映えますし、戦争や核とか、あの時代の空気をまとっているのがゴジラだと個人的には思っていて。最初からあの時代に連れて行こうと思っていました。
──今回、主人公たちが絶望に絶望を重ねていきます。
 やっぱり、負け犬、ルーザーが好きなんですよ。負け犬が立ち上がる話が好きなんです。今回は復讐というネガティブな立ち上がりかもしれませんが、最初は地に落ちて、精神的にもボトムからスタートするのが好きな話の作り方です。
──血のつながりのない家族の愛も描かれますね。
 決して血のつながりだけでなく、お互いのことを思う集団があればそれは家族と思っています。一緒にいなきゃいけない人たちじゃないのに、一緒にいる。そうなると、非常に強い絆が逆に際立ちます。
■意識した距離の「近さ」
──庶民の人間関係を描く中で、「閉じない輪」のようなものを感じます。
 きれいにちゃんちゃんと終わらない方が、映画的と思うんですよ。続編を作るということじゃなくて、お客さんの中で、映画のキャラクターたちが生き続けてもらうためでもあるんです。
──VFXの効果で「恐怖」そのものが近づいてくるようでした。
 「近い」ですね。距離の近さは意識しました。デジタル合成技術を使う以上、今までと同じことをやっていてもだめです。かなり近くにゴジラがいるという絵を入れ込むように意識しました。
──一方で、昨春からの海上ロケでは、船酔いが大変だったといいますね。
 機雷処理船が出てくる場面は、デジタルではなく本当の海です。小さい船は、現場で撮ると、すごく現実感が出ます。ドキュメンタリー感を出すには海で苦労して撮った絵が効くんだよと、周囲の制止を振り払って海に出たのですが、海に出た瞬間に、僕が一番後悔しました。でも、行っただけのことはあったと思いますね。太陽の光、本当の海に翻弄される船、とてもVFXでは簡単にはいかない。
 それに、ゴジラの恐怖を現実化するのは、どんなにVFXで頑張っても、役者の芝居がちゃんとしていないとできません。みなさんの演技で、ゴジラがちゃんと召喚できたなと思います。
──今回のゴジラは新デザインですか。
 そうです。西武園ゆうえんちのアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド」(21年オープン)を手掛けた時のゴジラをベースにバージョンアップして作りました。
 日本のゴジラの姿勢っていうものがあるんですよ。直立して、首がまっすぐ伸びている点がそう。“神様兼怪物”というところが、和製ゴジラのはずしてはいけないポイントです。ハリウッド版のゴジラは前に傾いて、戦う気満々のモンスター。自分で言うのも何なんですが、やはり、ゴジラは日本製がいいですよね。
──海外での上映もあります。どんな抱負をお持ちですか。
 予定の館数を見ると、ゴジラって世界的なスターなんだなと思う。日本が生み出したものの中で、かなり上位にいる世界に通じる大スター、キャラクターなんだな、と改めて感じますし、根本的な部分で、日本人が作ったゴジラは、見たことのないタイプだと思うんですよ。ハリウッド版のゴジラとは違う和製ゴジラを感じてもらえればうれしいです。
ゴジラ=祟り神
──日本人にとって、ゴジラとは何でしょうか。
 ゴジラの鳴き声って、最後に「エンッ」と上がる。切ないですね。明らかに破壊者だけど、核の犠牲者でもある。そのせいか、撃退シーンでゴジラが可哀想と思う人もいるという、不思議な存在です。
 怪獣と戦う時代のゴジラには、めっちゃかわいいのも出てきます。一方で、人々のダークサイド、世相のネガティブな面、怒りを背負って出てくる初代のようなものもある。核兵器の開発競争や大震災の発生などで、時代の空気が不穏になる時、皆が思っていることが「怖いゴジラ」という形で表れるのだとも思います。本作の制作中も、いろんなことが起きて世の中が悪くなっていく感じとすごくリンクしてしまいました。
 今回のゴジラも強烈な怒りを背負っています。世の中の不安が頂点に達したからこそ、これほど怖いゴジラ映画が誕生したのでしょう。
 作ってみて思うのは、ゴジラ映画とは神事ではないかということ。祟り神が現れ、神は周囲をめちゃくちゃにしますが、最後に鎮まってもらう。荒ぶる神を鎮める神楽を奏するように映画を作っている、とすら思ったほどです。
 祟り神を鎮めてくれる国だからこそ、ゴジラはよりによって日本に出現するのではないかとも思います。
 常に世界を取り巻く不安はあって、世界情勢も変化していて、その中で、ゴジラ映画を神事とするならば、今後も時折、祟り神の鎮めの儀式を厳粛に執り行わないといけないでしょうね。
 ゴジラは終われないのです。
 (構成/著述家・米原範彦)
 ※AERA 2023年10月30日号
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 2014年6月23日 YAHOO!JAPANニュース AERA dot.「「ゴジラ」60年前、なぜ生まれたのか 最新作を機に原点を振り返る
 週刊朝日
 今年はゴジラがスクリーンに登場してから60年のメモリアルイヤー。7月25日にはハリウッドが手がけた最新作「GODZILLA ゴジラ」が全国の劇場で封切られる。
 1971年に公開された第11作「ゴジラ対へドラ」でメガホンを握り、最新作でもエグゼクティブプロデューサーの一人に名を連ねる映画監督の坂野(ばんの)義光氏(83)は、「第1作が強烈だった」と原点を振り返る。
 54年公開の第1作「ゴジラ」は、同年に起きた第五福竜丸船員の被ばく事件をきっかけに作られた。
 「核実験によって太古の眠りから目を覚ました怪獣が、東京を破壊するという映像表現に心を動かされました。戦争の記憶がまだ生々しく残っていた当時の日本人にとって、恐ろしかった空襲や原爆の象徴として受けとめられた一面もあった。第1作は961万人の動員数を記録した、国民的な映画となりました」
 ゴジラの根底にあるのは文明批評の精神だ。
 50年代後半から60年代にかけて、ゴジラシリーズはさまざまな国に輸出され、日本にとって大きな外貨獲得手段の一つにまでなった。
 70年代以降、日本の映画産業が衰退を迎えてからも、怪獣映画の代名詞として映画ファンから愛され続け、2004年にはハリウッドの殿堂入りを果たしている。
 「ゴジラの姿は自然界にはない抽象的なデザインです。そんなところが海外の人にとっては魅力的に見えるのかもしれません」
 役者が着ぐるみの中に入って怪獣を演じる「スーツプレイ」も海外では例が少なく、斬新な表現として受けとめられているという。
 「私が監督を務めていたころ、ゴジラの顔の部分はリモコンで動かしていたのですが、胴体に入った役者さんとのマッチングが大変でした。ヘドラを倒した後、ゴジラが人間にメッセージを語りかけるように振り向くシーンは、とてもうまくいったと思っています」
 これまでに日本で製作されたゴジラは、全28作すべてスーツプレイで演じられてきたが、最新作のゴジラはCGで描かれている。
 「スーツプレイがないのは仕方がありません。技術は新しくなっていくものです。ハリウッド側にゴジラの世界観を壊さないような条件を提出し、最新作では『なぜゴジラが生まれたのか』という原点に立ち戻っています。3Dの臨場感も素晴らしく、大傑作です」
 ※週刊朝日  2014年6月27日号
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