➰4)─6・E─関東大震災で被災者の命救った日本郵船「三島丸」の鐘。日本社会の根本は『天災』が変えてきた。~No.18 

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 関東大震災が、良くも悪くも、日本人を変え、日本国家の進路を決めた。
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 2023年10月30日 YAHOO!JAPANニュース カナロコ by 神奈川新聞「命救った貨物船の鐘
 日本郵船「三島丸」(横浜みなと博物館蔵)
 「MISHIMA MARU 1908」と刻印された大きな鐘の表面には無数の傷が刻まれていた。関東大震災では横浜港に停泊していた日本郵船の貨客船「三島丸」がこの号鐘を打ち鳴らし、岸壁に逃れた市民らは港に響く鐘の音に導かれるように船へと避難した。傷だらけの号鐘は、火の海と化した横浜で船乗りたちが多くの人命を救った歴史を今に伝えている。
 【写真で見る】表面に無数の傷が付いた三島丸の号鐘
 1923年9月1日。欧州航路に就航していた三島丸は横浜港・新港ふ頭(横浜市中区)9号岸壁に停泊中、激しい揺れに襲われた。横浜貿易新報(神奈川新聞の前身)は「あの大震災の瞬間、波止場に逃れた市民多数が劫火(ごうか)に逐(お)はれ海中へ投じた折港内にあつて逸(いち)早く救助してくれた」と三島丸の活躍を記事で紹介し、「大震災の恩人」との見出しでたたえた。
 市がまとめた「関東大震災 横浜市震災誌」などによると、三島丸は岸壁が崩れて係留索が切れたため港内に避難。船長は乗組員を指揮して救命ボートを下ろし、縄ばしごをかけるなどして避難者を収容した。三島丸への避難者数は最大3千人を超え、1日から9日までの間に延べ1025人の傷病者が船医による治療を受けた。
 火災による旋風にあおられ、市街地が瞬く間に火の海と化す中、避難者を船へと導くために港内に響き渡ったのが三島丸の号鐘だった。34年創刊の写真報道誌「横浜グラフ」(国際写真通信社発行)は「三島丸がこの鐘を打ちならし、海へ飛込む人々を救助したと云(い)ふ」と記している。
 三島丸の号鐘は、横浜みなと博物館(同市西区)で開催中の企画展「関東大震災100年 船と港から見た関東大震災」(11月5日まで)で展示されている。担当した三木綾学芸員は「号鐘の傷は関東大震災のすさまじさが分かる第一級の震災資料。多くの人命を救った三島丸の象徴といえる号鐘が現在に残っていること自体が奇跡的」と高く評価する。
 現在、この号鐘を所蔵している市八聖殿(はっせいでん)郷土資料館(同市中区)の相澤竜次館長は「号鐘は普通、外側に傷は付かないが、これは周囲が傷だらけなので半鐘のように相当な力を込めてハンマーでたたき続けたのだろう。切迫した状況で命懸けで人命を救ったことが伝わってくる」と語る。
 貴重な震災資料である号鐘がなぜ、どのように残されたのか。相澤館長の説明から、号鐘がたどった数奇な運命が浮かび上がった。
 神奈川新聞社
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2022-01-26
🏕目次)ー12ー日本列島は甚大な自然災害多発地帯と豊かな自然。祈る天皇里山。神社の森林破壊。江戸の災害。~No.1 * 
2023-09-10
🏕15)16)─1─日本人はなぜ「震災美談」や「奇跡」をありがたがるのか?~No.27No.28No.29No.30 
2023-08-28
🍙29〗─4・B─敗戦直後の南海トラフ巨大地震と大正の関東大震災は違う。昭和21年12月21日~No.192 
2023-09-09
🍠9〗─2─明治の浜田地震は大正の関東大震災とは違っていた。備荒儲蓄法布告ノ件。明治5(1872)年2月6日。〜No.31No.32 
2023-09-08
🍙24〗─4─鳥取地震。犠牲となった朝鮮人労働者とその家族28人。昭和18年9月10日。~No.150 
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 日本では被災者が暴徒化して強奪、殺人、強姦などの凶悪犯罪を起こさなかったし、日本の被災地が凶悪犯罪者によって地獄地帯と化す事はなかった。
 日本の常識は、中華の非常識であったし世界の非常識でもあった。
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 日本の甚大なる被害をもたらす自然災害では、逃げ延びた日本人被災者達を助けるのは生き残った日本人被災者達であった。
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 被災者には、賤民として差別されたいた部落民や非人・ えた(穢多)も含まれ、部落民や非人・ えた(穢多)はもちろん異人種・異民族・異教徒・異文化人だからといって救済から排除される事はなかった。
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 キリスト教世界では、キリスト教会とボランティアが宗教活動の一環として被災者を助けていた。
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 日本人は、自然宗教の相対的無宗教多神論者であって、啓示宗教の絶対的有宗教唯一神論者ではなかった。
 目の前の人を救うのは人であって、全知全能の神はない。
 現実に起きる奇蹟や恩寵や恵みは、自然であって神ではない。
 つまり、究極の実在主義的ヒューマニズムは日本にある。
 が、現代の日本人は昔の日本民族とは違う。
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 日本民族の歴史とは、合戦の戦史や権力闘争の政治史などの正史・表史ではなく、庶民の生活史や天災の災害史などの外史・裏史である。
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 「日本では、大きな地震など災害が発生するたびに、大小のフェイクニュースが広まることがあった」は、ウソである。
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 昔の日本民族には、大正時代の関東大震災現代日本のような被災地で被災民を苦しめ追い詰める流言蜚語、デマ、フェイクニュース風評被害などの悪意の愉快犯や善意の正義の味方はいなかった。
 被災地で暴動や強奪、暴行、殺人、強姦など重犯罪を起こすのは、日本人ではなく朝鮮人や大陸系中国人であった。
 日本の被災地を支配したのは、集団主義個人主義同調圧力や場の空気・空気圧であった。
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 5月24日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「養老孟司「日本社会の根本は『天災』が変えてきた」 35年先の未来を読み解く
 養老孟司(ようろう・たけし)/1937年生まれ。近著に『ものがわかるということ』(祥伝社
 © AERA dot. 提供
 1988年5月の創刊から、AERAは今号で35周年を迎えた。35年前と現在では、社会も人々の生活も大きく変わった。これから先、35年先の未来には何が待ち受けるのか。解剖学者・東京大学名誉教授・養老孟司さんが語る。AERA 2023年5月29日号から。
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 長い歴史を見ると、日本の社会を根本から動かしてきたものは、天災ではないか。最近、そう考えるようになりました。
 たとえば今から100年前、1923年の関東大震災の後、大正デモクラシーの雰囲気が消え、田中義一の軍事内閣が成立しています。さらに遡れば、1853年のペリー来航の翌年以降、東南海地震と首都直下地震が併発する「安政の大地震」が起こります。平安時代源平合戦後、武家政治に転換しますが、ここでも地震がありました。鴨長明の「方丈記」に東南海で大地震が起こり、京都でも地震が半年続いたと書かれています。
 一般には黒船来航が明治維新に進む契機とされ、地震はほとんど表には出てきません。ですが、僕は災害により、その後何年にもわたり人々の日常生活が大きく変わったことが、社会を変容させたと考えています。
 では、今後起こるだろう社会を変えうるほどの大災害は何かというと、南海トラフ地震でしょう。ある専門家は2038年と予測しています。もし安政のように、首都圏直下型地震も同時に起これば、あるいは富士山噴火も起これば、多くの人々の日常生活が変わらざるを得なくなります。
 防災面での対策は各所で進んでいます。しかし、その後、人々の生活や社会をどう再構築するかという議論は、ほとんど聞いたことがありません。
 効率化で進んだ首都圏への一極集中は、天災時は最悪です。物流が断たれ、人々の食料とエネルギーの確保が困難になります。復興には莫大な資金が必要です。がれきなど大量に出る「災害ごみ」の処理も問題です。
 僕は日本の地域は比較的小さく分割し、自給自足に近い暮らしをするようになると予想しています。内田樹さんがかつて「廃県置藩(はいけんちはん)」と言ったように、藩ぐらいの単位です。これは現実的に動かせる社会でもあります。現代社会では見失いがちな自分の役割がはっきりします。他人も役割を果たしてくれないと困るという状況にたやすくなるし、したがって人と仲良くせざるを得ない。
■答えのない問題が残る
 おそらく問題は、それが国際的に許容されるかどうかでしょう。アメリカに支援を要請するか、中国が日本を買うか、そういう未来もあるかもしれません。
 ただ、現代社会はすでに人間にとって生きやすい環境ではなくなっていると思います。日本では少子高齢化が進み人口減少が続いていますが、これは先進国に共通した特徴です。生きづらさゆえでしょう。
 条件をもとにシミュレーションして結果を予測し、それに従って効率的に動くという近代化以降の考えは、軍事と経済には向いています。軍事と経済が加速した結果を、私たちはすでに見ているでしょう。あとに残るのは、答えのない、解決できない問題ばかりです。
 不幸なことに、人間にもそう考える癖がついてしまった。それがそもそもおかしかったのではないか。若者の死因に占める自殺の割合の高さを見るにつけ、そう思います。
 この20、30年の日本の状況を、経済では「失われた」といっていますが、確かにGDPは増えていません。実質賃金は上がっておらず、その負荷を国民が背負っている。けれども、エネルギーという視点で考えれば、この20年日本はエネルギーの増加を止めていたんです。自然を破壊してこれ以上の発展を望まなかったともいえます。それは、日本人が無意識に選択したことかもしれません。
 35年後ですか? 嫌な未来を考えればきりがありませんが、僕は未来を前向きにとらえています。生きているとはどういうことか、人生とはなんだ。昔ならヒマな学生が考えていたようなことを、大真面目に大人が考えなければならない時代になる。そして、そういう日常こそが、人間を決めるのだと思います。
 (構成/編集部・井上有紀子)
 ※AERA 2023年5月29日号
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 5月21日 YAHOO!JAPANニュース RAVO MOUNTAIN「世界の火山の約1割! 常に“噴火”の危険性に晒されている「日本の現実」
 鹿児島・桜島は吹き上がる煙とセットでイメージされている方も多い。地元では日常的な光景となっている
 日本には様々な美しい山と、素晴らしい景観がある。その理由のひとつに、「この国が世界有数の火山国だから」というのがあるのだ……。
■【画像】これぞ火山の恩恵!「安達太良山」のすり鉢状の景観と蔵王の火山湖「五色沼
■世界の火山の約1割が日本列島にある現実
 世界には約1500もの活火山があるとされ、そのほとんどがアメリカ、ロシア、インドネシア、日本、チリなど、環太平洋地帯の国に分布している。そして、火山が約110もある日本は世界有数の火山国である。
 気象庁が事務局を担当し、専門家から構成される「火山噴火予知連絡会」は、全国の47火山をA、B、Cにランク付けし、常時観測対象の火山に指定している。Aランクの火山は、主に北海道、伊豆諸島、九州に分布する。
 ただし、Aランクだけが噴火の可能性がある訳ではなく、活火山は全国にあるため、日本は常に噴火の危険性に晒されていると言っても過言ではない。
【ランク分けの基準】
A 100年活動度または1万年活動度が特に高い活火山
B 100年活動度または1万年活動度が高い活火山
C 100年活動度および1万年活動度がともに低い活火山
 国内における火山の噴火で過去50年で最大規模だったのは1990年~1995年の雲仙普賢岳のそれである。このときは、 噴火活動が長期化し、土石流や火砕流等により周辺地域に甚大な被害をもたらした。
 近年は、Bランクに指定される富士山の噴火のリスクも囁かれている。ちなみに富士山は有史以来何度も噴火を繰り返しているが、特に平安時代に二度、江戸時代に一度の大噴火が知られている。
 一方で、富士山のあの美しい山容、見事な稜線は過去の噴火の賜物であるのも事実だ。
 他にも火山の噴火は、各地の山域を芸術的にデザインしてきた。また、火口湖やカルデラ湖は山の風景をより魅力的にする役割も果たしている。温泉の存在や、火山であること自体が観光資源となり、麓に住む人たちの生活を支えているケースも多い。
 犠牲者が出るような噴火はないに越したことはないが、日本はいわば、火山と共存共栄している国だとも言えるのだ。
■日本にある13のランクAの火山
十勝岳
●北海道 十勝岳(2,077m) 噴煙がたなびく十勝岳連峰の主峰 十勝岳連峰の主峰である。日本百名山のひとつで、「花の百名山」にも数えられる。登山道は主に3つあり、いずれも比較的なだらかで登りやすい。80年代には小噴火が目立ち、今も火口から噴煙が上がっているが、近年は目立った噴火活動が観測されていない。
●北海道 樽前山(1,041m) 溶岩ドームを備える北海道南西部の山 支笏湖の南側、苫小牧市の北西部に位置する。登山ルートはいくつもあり、山頂には特徴的な溶岩ドームが存在する。標高の最高点はドームの1,041mで、2013年には地殻変動などが確認されている。
●北海道 有珠山(737m) 支笏洞爺国立公園内にある自然のミュージアム 「洞爺湖有珠山ジオパーク」の一部で、火山活動により形成された自然のミュージアムともいえる。約7000~8000年前に一度、噴火により山体崩壊が起きたことがある。現段階で最新の噴火は2000年に発生。そのときの火口を見学できる展望台がある。
●北海道 北海道駒ヶ岳(1,131m) 渡島半島にそびえる入山規制アリの活火山 函館に比較的近く、渡島半島のシンボル的存在。独特の山容が特徴で、角度によって、なだらかにも、荒々しくも見える。少しずつ緩和されているが入山規制があり、2021年の夏季は森町赤井川登山道のみが解放され、標高約900「馬ノ背」まで登ることができる。
●長野県・群馬県 浅間山(2,568m) 火山活動は活発だが山容は登山者を魅了する 日本百名山に数えられる名峰。噴火と崩壊を繰り返し、円錐形の美しい山容となった。2000年代以降も度々噴火のニュースが流れる。山頂火口からは噴煙が上がり、周りにはカルデラがある。随時入山規制があるので、登山の際は事前に確認が必要だ。
●東京都 伊豆大島(758m) 椿で有名な島は海底火山の陸上部分 文字通り、伊豆諸島最大の島だ。実質は海底からそびえ立つ火山の陸上部分である。1986年の三原山噴火がよく知られているが、90年を最後に噴火は確認されていない。三原山にはいくつもの登山コースがあり、火口を周遊する遊歩道なども整備されている。
●東京都 三宅島(775m) 本格トレッキング環境も整う伊豆諸島の雄 伊豆諸島のひとつで、雄山を最高峰とする海底火山の一部である。1983年と2000年に噴火している。海水浴はもちろん、ダイビングやシュノーケリング、釣りなどを楽しむ観光客も多い。また、雄山では所要時間7時間という本格トレッキングが楽しめる。
●東京都 伊豆鳥島(394m) 無人島になった天然記念物の島 伊豆諸島の無人島だ。島全体が火山であり、また、国の天然記念物に指定されている。アホウドリの生息地として知られる。戦前までは人が住んでいた。現在は東京都より許可を得た場合のみに上陸が可能だ。最近では、1998年、2002年に噴火が確認されている。
熊本県 阿蘇山(1,592m) 火山が演出するダイナミックな山域 日本百名山のひとつで、世界有数の大型のカルデラ雄大な外輪山を誇るダイナミックさが魅力だ。温泉が点在することもあり、周囲は人気の観光地となっている。登山ルートは一部、通行不可の場合もあるので要注意。2010年代にも小規模な噴火が確認されている。
長崎県 雲仙岳(1,483m) 悲劇を生んだ普賢岳にも新登山ルートが開通 長崎県島原半島中央部に位置する火山である。噴火により形成された最高峰の平成新山をはじめ、妙見岳普賢岳、国見岳など20以上の山々からなる。1991年には普賢岳火砕流で人的被害が生じたが、今は新登山道が開通し、普賢岳のトレッキングも楽しめる。
●鹿児島県 桜島(1,117m) 今も噴火を繰り返す鹿児島湾の名物 鹿児島湾にある火山。かつては独立した島だったが、1914年の噴火により大隅半島と陸続きに。そのときの噴火が、国内では過去100年で最大規模の爆発だった。現在は登山は不可となっているが、その煙を上げた姿は観光コンテンツとして地元に貢献している。
●鹿児島県 硫黄島(703m) 薩南諸島にある温泉も湧く火山島 薩南諸島北部に位置する島で、太平洋戦争における激戦地として知られる島とは異なる。「薩摩硫黄島」とも呼ばれる。人口は100人強。主峰の硫黄岳は常時噴煙を上げている。露天風呂など温泉施設もあるため一定の観光需要はあり、定期フェリーが就航される。
●鹿児島県 諏訪之瀬島(796m) 長く無人島だったが今は人が住む火山島 鹿児島県の吐喇(とから)列島に属する火山島である。噴火により長く無人島だった時期があるが、現在は人が住んでいる。御岳周辺は火山活動が盛んで、2020年代にも噴火の発生が確認されている。そのため周辺地域は立ち入り禁止。島自体には釣り目的で訪れる人がいる。
■【ランクB】に指定される火山一覧
知床硫黄山(北海道)
羅臼岳(北海道)
摩周(北海道)
雌阿寒岳(北海道)
恵山(北海道)
渡島大島(北海道)
岩木山青森県
十和田(秋田県
秋田焼山(秋田県
岩手山岩手県
秋田駒ヶ岳岩手県秋田県
鳥海山秋田県山形県
栗駒山岩手県宮城県秋田県
蔵王山宮城県山形県
吾妻山(山形県福島県
安達太良山福島県
磐梯山福島県
那須岳福島県・栃木県)
榛名山群馬県
草津白根山群馬県・長野県)
新潟焼山新潟県
焼岳(長野県・岐阜県
御嶽山(長野県・岐阜県
富士山(山梨県静岡県
箱根山(神奈川県・静岡県
伊豆東部火山群(静岡県
新島(東京都)
神津島(東京都)
西之島(東京都)
硫黄島(東京都)
鶴見岳・伽藍岳(大分県
九重山大分県
霧島山(宮崎県・鹿児島県)
口永良部島(鹿児島県)
中之島(鹿児島県)
硫黄鳥島沖縄県
【soto2021vol.1より再編集】
 BRAVO MOUNTAIN編集部
 登山、スキー、キャンプなど、幅広いジャンルの外遊びに精通した多彩なライター陣が贈るアウトドア情報サイト『BRAVO MOUNTAIN』(ブラボーマウンテン)双葉社刊行のスキー誌『BRAVOSKI』やアウトドア誌『soto』の厳選記事も掲載。人気の山域紹介や注目ギアの使い方など、山にまつわる魅力溢れたコンテンツを展開します。
 BRAVO MOUNTAIN編集部
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