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ロシアの諺「歴史を見ない者は片目を失い、見すぎる者は両目を失う」
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2022年3月12日・19日号 週刊現代「リレー読書日記
『人間らしく』生きるとは何か。
進化論を捕らえ直すことで新しいアイディアを得る
毛内拡
偏った認知、すなわち『認知バイアス』の一つに『目的論的思考』よ呼ばれるのがあります。これは、何か大いなる意志のようなものがあって、その目的や意図、願望に適うように物事が進んでいると信じるという人間らしい考え方です。
吉川浩満の『理不尽な進化』では、人間がこの目的論的思考を持つが故に拗(こじ)れてきた『進化論』をあらためて捉え直す試みがなされています。進化論というと生物学と思われがちですが、本書では、人間が世界をどう認識しているかを最も色濃く反映した思想として、進化論を取り上げ、再吟味しています。
そもそも、私たちの脳は、目の前にいる人は当然のこと、他の生き物にも自分と同じような心の働きがあると考える妙なクセを持っています。これは『心の理論』と呼ばれており、私たちに生まれつき備わった能力の一つです。愛するペットがヘマをして申し訳なさそうにしていると感じるのはその能力のおかげです。しかし、この能力は、生き物だけではなく、モノやコトにさえ意図や目的があると感じてしまうという少し困った一面もあります。コンピューター上でお互いに近づいたり遠ざかったりする幾何学模様や光のドットを思い浮かべてみてください。それにさえ、目的を持ったコミュニケーションを感じ、ストーリーを見出してしまう。そんな経験はないでしょうか。
進化論についても同じです。通常、『進化』という言葉は、一方向的な発展や進歩と同義と捉えられがちです。キリンの首がなぜ長いかというと、高いところの葉っぱを食べられるように(意志を持って)進化した。アフリカの草食動物たちは牙を持たない代わりに速く走るように(戦略的に)進化した。こう解釈している人が大多数なのではないでしょうか。
実は、生物の進化には一方向的な目的や意図などまったくありません。そのような性質を持った生き物が、その環境でたまたま生き延びたということにすぎません。それが最適だったというわけでもないので、もし環境が変われば、また別の生き物が生き残りやすくなる、ひいては子孫を多く残せる、ただそれだけのことなのです。
進化には一方向的なゴールがあるのではないかという考え方は、まさに目的論的思考に陥った例と言えるでしょう。しかし、ご安心ください。そう考えるのが人間らしさなのです。
したがって、そんな誤謬(ごびゅう)を理解した上で、ここは一つ人間らしく。あらためて生物が多様な変化を〝試行錯誤〟し、環境変化に〝適応〟してきたと考え直すと、それは新しいアイディアの宝庫のように思えます。そこから得られるヒントもあるのではないでしょうか。
生物の生死にヒントを得る
そんな生物の生き方、生き残り戦略にヒントを得た、創造的思考法を網羅的に紹介する太刀川英輔の『進化思考』です。
私たちの考え方が、さまざまなバイアスにまみれていることはすでに述べた通りです。現在当たり前だと思っていることも実はそんな思考の偏りによって規定されているだけなのかもしれません。固くなった頭を柔らかくして、実現可能性、お見積もり、お伺い、いったんそれらのことは忘れて自由に発想してみましょう。『未来の当たり前』を創るのです。
そのヒントとなるのが生物の進化です。このように何か身近なものからアイディアを得る発想法を『アナロジー(類推)思考』と言います。イノベーションという言葉は便利で多用されますが、実際まったくのゼロから生み出されるものは、ほとんどありません。いっぽう、生物の進化から類推される、数億年〝生き残る〟ような創造のための重要なキーワードが『変異』と『適応』であると著者は述べます。
さて、ヒントを得るのは、生物の生き方からだけではありません。人間、散り際が肝心。生きとし生けるものに必ず待ち受ける死。その死に方にも、善く生きるためのヒントが隠されています。
小林武彦の『生物はなぜ死ぬのか』では、生物はむしろ死ぬために生まれてくるのだと主張します。死ぬことあるいは絶滅することで生じる入れ替わり(ターンオーバー)こそが、生物の進化を促し、生命の進化を促し、生命の多様性を持ちイキイキと活動する原動力となっていると主張しています。死こそが生命の連続性の原動力であり、進化や多様性を加速するのです。私たちは生まれた以上死ななければならないと著者は述べます。
『葉っぱのフレディ』という絵本を読んだことがあります。そこでは、死は季節が移ろうように自然なものとして語られています。死は恐ろしいものですが、死や絶滅を肯定的に捉え直す必要があるのかもしれません。
ここでいう死や絶滅は、別に生物的な死に限りません。根絶やしにすべきは、私たちの心の奥底に根付いている無意識のバイアスです。考えをあらためたり、過ちを認めたりすることは決して敗北や恥ずべきことではなく、新しいアイディアを生み出すための原動力なのではないでしょうか。多様性を認め、受け容れる姿勢を生物に学ぼうではありませんか」
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