⚔54)─1─純粋にして熱烈な愛による共感は救いではなく排他と分断をもたらす。~No.233No.234No.235 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 愛とは残酷であり、日本人には真の愛が理解できない。
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 愛の共感は、正の救済と同時に負の偏見・分断そして排他・排除を生み出す。
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 2022年4月28日号 週刊新潮「人間、この不都合な生きもの 橘玲
 愛は世界を救うのか
 近年、『共感』の重要性がますます強く唱えられるようになった。みんなが高い共感力をもてば、戦争や差別など多くの深刻な問題が魔法のように解決するのだという。
 だがこの楽天的な主張は、二つの疑問に答えなくてはならない。一つは、『共感力は教育や意志のちからで高められるのか』で、もう一つは、『共感を高めれば、ほんとうに社会をよくなるのか』だ。
 最初の質問への答は、『いまはできないが、将来的には可能かもしれない』になる。
 わたしたちの脳は、さまざまな神経伝達物資やホルモンによって駆動している。ドーパミン報酬系を活性化させて『どうしても手に入れたい』という渇望を生み出すことや、性ホルモンのテストステロンが攻撃性や競争、性的欲望に関係することはよく知られている。
 オキシトシンは共感にかかわる神経伝達物質で、『愛と絆のホルモン』とも呼ばれる。女性では子宮頸部への刺激によってオキシトシンが分泌され、性交でオーガズムに至ると相手への愛着が形成される(男性では射精時に分泌される)。妊娠した母親の脳は高濃度のオキシトシンに晒され、出産時には子宮頸部が強く刺激されることで大量のオキシトシンが放出される。オキシトシンは授乳によっても分泌されるから、これによって母と子の愛着が『生理学的に』つくられていく。
 恋人同士や親子だけでなく、オキシトシンは他者との共感もはぐくむ。
 匿名のパートナーに金銭を一時的に預ける実験は、被験者の鼻にオキシトシンを噴霧するとパートナーをより信用するようになった。これとは逆に、相手の信頼を感じるとオキシトシンの濃度が上がることもわかっている。人間は徹底的に社会化された動物と共感しあうように脳を進化させてきたのだ。
 共感の基礎に生物学的な要因(オキシトシンという神経伝達物質)があるのなら、教育によって共感を高める努力には限界がある。意志のちからで共感力をもつようにするのも難しそうだ。
 『道徳のジレンマ』
 社会には生得的に共感力が高い者と低い者がいて、幼児期に環境の影響を受けたとしても、思春期以降はその傾向はほぼ変わらない。オキシトシンの濃度は女が高く(共感力も高い)、男性は低い(共感力も低い)という性差も顕著にある。これは、テストステロン(『男性ホルモン』とも呼ばれる)がオキシトシンの効果を抑制するかららしい。とはいえ、脳内のオキシトシン濃度を簡単に高める手法の開発はさきほど難しいものではないだろう。
 そこで次の問題は、『誰もが一日に数回、オキシトシンを吸入するようになると、いまよりずっとよい世の中になるのか』だ。このことを調べたのが、オランダの心理学者カルステン・ド・ドルーたちのチームだ。
 トロッコ問題は『道徳のジレンマ』として知られている。
 ──暴走するトロッコの先には5人の作業員がいる。それに気がついたあなたの横には分岐点の切り替えスイッチがあり、それを使えばトロッコの進路を変えることができる。ところがその線路にも1人の作業員がいて、大声を出しても気づかず、あなたにできるのは切り替えスイッチを押すことだけだ。あなたは1人を犠牲にして5人を救うべききか?
 この思考実験には多くの哲学者が挑戦し正解はないが、ド・ドルーらはこれにちょっとした工夫を加えた。5人を救うとき犠牲になる作業員に名前をつけたのだ。ここではそれを、ペイター(オランダ人)、アフメド(アラブ人)、ヘルムート(ドイツ人)の3つのグループとしよう。
 被験者は全員がオランダ人の男性で、ペイターが内集団(俺たち)、アフメドとヘルムートが外集団(奴ら)になるが、アラブ人よりドイツ人に親近感があるだろう。こうしてつくられた内集団と外集団で、切り替えスイッチを押すかどうかの選択が変わるかを調べるのが実験の目的だ。
──スイッチを押せばペイター/アフメド/ヘルムートは死ぬが、国籍不明の作業員5人は助かる。
 その結果はというと、ペイター(オランダ人)とヘルムート(ドイツ人)では差はなく、ペイターとアフメド(アラブ人)でもわずかに(オランダ人えお助ける)内集団びいきが見られただけだった。リベラル化したいまのオランダ人は、人種や国籍でほとんどひとを差別しないのだ。
 ここまではよい話だが、研究者は次ぎに、被験者に『愛と絆のホルモン』であるオキシトシンを噴霧してみた。すると今度は、ヘルムート(ドイツ人)よりペイター(オランダ人)の生命を助ける割合がすこし高くなった。だが驚いたのは、アフメド(アラブ人)よりペイターの生命を救おうとする割合がものすごく高くなったことだ。
 この結果からド・ドルーらは、『オキシトシンは内集団びいきの郷党的な利他主義者にする効果がある。』と結論した。敵対する集団にそれぞれオキシトシンを噴霧して『愛情』を高めると、かえって対立が激化するのだ。
 この実験が示すのは、オキシトシンが外集団(奴ら)に対する憎悪を煽ることである。オランダ人の被験者はアラブ人への敵意からではなく、自分たちのメンバー(ペイター)への『愛と絆』が増したことで、結果的に排他的になったのだ。
 ヒトは旧石器時代から、部族に分かれて限られた資源を争ってきたのだから、すべてのひとへの共感=愛が進化したとは考えにくい。
 共感を高めたら
 共感力の負の効果は、『致命的な病気にかかり、苦痛を緩和するための治療を受ける順番を待つ10歳の少女』の記事を読ませられるいと別の実験でも確認されている。
 このとき、たんに『何をすべきか』を訊かれた被験者は、治療を必要とする他の子どもたちがいる以上、少女を特別扱いして先頭に割り込ませるべきではないと答えた。ところが、少女がどう感じているかを想像するように促すと、同じような病気で治療を待つ他の子どもたちを差し置いて、少女を先頭に割り込ませることが多くなった。共感を高めたことで、被験者は公正さを無視し、道徳に反する判断をするようになったのだ。
 なぜこんなことになるのかというと、共感の効果がスポットライトのようなものだかららしい。熱愛中の恋人同士や、幼い子どものいる母親は、愛着の対象に強いスポットライトが当たっているので、その周囲がよく見えなくなる。このスポットライトは内集団や(かわいい)子どもに向けられやすい。だからこそ人為的に共感を高めると、同じ国籍の作業員を助けようとしたり、たまたま記事を読んだだけの少女の治療を優先させようとするのだ。
 共感はもちろん素晴らしいもので、それを否定するつもりは毛頭ない。親しくつき合うなら、相手の気持ちがわからない〝冷たい〟サイコパスより、共感あふれる〝あたたかな〟ひとの方がいいき決まっている。
 とはいえこうした実験は、『愛は世界を救う』のではなく、『愛』を強調すると世界はより分断されることを示している。」
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 「キリスト教の隣人愛信仰が広まれば世界は平和になり人々は幸せになる」、と言うのなら中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人が「神の御名」によって正当化した日本人とアフリカ人の奴隷交易は何だったのか?
 豊臣秀吉徳川幕府は、キリスト教による宗教侵略から日本を守る為に、キリスト教邪教してと禁止し、キリシタンを弾圧し、キリスト教を国外追放して鎖国を行った。
 が、世界はキリスト教の宗教侵略から日本を守った事は悪として断罪し、異教徒日本人によって処刑されたキリシタンを殉教者と認めて聖人・福者と称え、奴隷として売られ異国で死んだ哀れな日本人を無価値な人間として切り捨てている。
 どちらに、愛があり、正義があるのか?
 世界は歴史記憶遺産に、キリシタン弾圧を認定したが日本人奴隷交易は認定しない。
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 キリスト教を排除した徳川時代、日本は国内外で戦争そして国内での宗教を原因とする内戦や内乱がない平和な時代であった。
 この間、愛が説かれていた世界では国家、政治・経済、民族、家族・親族、宗教、領土、哲学・思想・イデオロギーなど数多くの原因による戦争が絶えなかった。
 昔の日本は、現代日本とも世界とも違っていた。
 違いがハッキリわかるのが、日本人奴隷交易を否定するか黙認するかである、昔の日本は否定し、現代の日本と世界は黙認している。
 どちらが、非人間的非人道的不道徳なのか?
 特に、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、学者・教育者らに問われている。
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 日本民族は、一人の天皇の命と数百万人の日本国民の命と何方を選ぶかと二者択一を迫られた時、数万年前の石器時代縄文時代、数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた天皇の命を選び、今この時に生きている数百万人の日本国民の命を捨てた。
 それが、江戸時代後期から昭和初期にかけての軍国主義政策であり積極的自衛戦争であった。
 つまり、それが日本民族の愛であった。
 現代の日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がない為に日本民族の愛が理解できない。
 天皇の命とは、天皇の正統性の事であり、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度の事である。
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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 仁徳天皇「私はすっかり富んだ。民が 貧しければ私も貧しい。民が豊なら私も豊ななのだ」(かまどの逸話)
 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。 
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 紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性世襲男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
 日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
 ゆえに、日本民族日本人は天皇・皇族・皇室、国體=天皇制度を守る為ならば死を厭わず、武器を取って戦った。
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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
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 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
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 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
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 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
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 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
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 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
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 日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
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 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
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 日本民族の言霊信仰とは、民族中心神話に基ずく自然崇拝であり、宗教的精神的な自然への畏怖つまり畏れと敬い事である。
 それは、数千年前の弥生時代古墳時代から断絶する事なく繰り返されてきた正統世襲男系父系天皇による一子相伝宮中祭祀、さらには数万年前の石器時代縄文時代からの日本民族が受け継いだ自然の精霊と生命の永遠に対する崇拝宗教につながっている。
 日本民族伝統宗教とは、精霊崇拝宗教、八百万神の神話宗教、祖先祭祀宗教であって、信仰宗教、啓示宗教ではない。
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 小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
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