🌈10)─2・A─知性とは「立ち直る力」である【世界を驚嘆させた「森の科学者」が語る】〜No.20 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本民族の祖先は、森の民である縄文人(日本土人)であった。
 縄文人は、海の民(ヤポネシア人=旧石器人)の子孫である。
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 2023年1月15日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「知性とは「立ち直る力」である【世界を驚嘆させた「森の科学者」が語る】
 スザンヌ・シマード,三木直子 の意見
 森林は「インターネット」であり、菌類がつくる「巨大な脳」だった──。樹木たちの「会話」を可能にする「地中の菌類ネットワーク」を解明した『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』がいよいよ日本でも発売された。刊行直後から世界で大きな話題を呼び、早くも映画化も決定しているという同書だが、日本国内でも養老孟司氏(解剖学者)、隈研吾氏(建築家)や斎藤幸平氏(哲学者)など、第一人者から推薦の声が多数集まっているという。本書の発刊を記念して、本文の一部を特別に公開する。
 Photo: Adobe Stock
© ダイヤモンド・オンライン
 生態系には「変化する力」がある
 生態系というのは人間の社会とよく似ている──関係性でできている、という意味で。
 関係性が強ければ強いほど、その生態系は回復力が強い。
 そして、この世界の生態系は個々の生き物によって構成されているものであるから、生態系には変化する力がある。
 私たち生き物は環境に適応し、遺伝子は進化し、私たちは経験から学ぶことができるのだ。
 一つの生態系はつねに変化している。なぜならその構成要素──木、菌類、人間──は絶え間なく、互いと、そして周囲の環境と、反応し合っているからだ。
 生態系も、脳も、家族も…
 すべては「つながりの強さ」次第
 共進化に成功し、生産的な社会として成功できるかどうかは、ほかの個体、ほかの生物種とのつながりの強さ次第なのである。その結果としての適合と進化から生まれる行動様式が、私たちの生存、成長、繁栄を助けてくれる。
 オオカミ、カリブー、木、菌類からなる生態系がつくり出す生物多様性は、木管楽器金管楽器や打楽器や弦楽器の演奏者がオーケストラとしてまとまって、交響曲を奏でるようなものだと思えばいい。
 それはニューロンと軸索と神経伝達物質で構成される私たちの脳が思考や思いやりを生み出すようなものでもあるし、兄弟姉妹が手を取り合って、病気や死による心の傷を乗り越えるようなもの、と言ってもいい。
 『 マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険 』本文口絵より
 © ダイヤモンド・オンライン
 全体は、それを構成する個々の部分を足し合わせたものよりも大きくなる。
 森の多様な生物は、オーケストラのミュージシャンのように、会話やフィードバックや思い出や過去の失敗を通じて成長する家族のメンバーのように、結束して、混沌とした予測のつかない世界のなかでもわずかなリソースを活用して繁栄できるのだ。
 森は「知性」を持っている
 この結束によって森の生態系は、包括的で、何があってもしなやかに立ち直れるものになる。
 森は複雑で、自己組織力を持っている。
 知性と呼ぶのが相応しい特徴を備えているのだ。
 森の生態系は人間社会と同じようにこうした知性の要素を備えている、と認めれば、木々はじっと動かず、単純で平面的でありきたりなもの、という古い概念を捨て去ることができる。
 そうした古い概念がこれまで、森の急速な搾取を正当化するのに役立ってきたのであり、それが、森林における将来的な生物の存在を危険にさらしてきたのである。
(本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』からの抜粋です)
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 1月28日6:01 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「【第一人者が明かす】森そのものが「思考」する驚くべき知的メカニズム
 養老孟司氏、隈研吾氏、斎藤幸平氏らが絶賛している話題書『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』──。樹木たちの「会話」を可能にする「地中の菌類ネットワーク」を解明した同書のオリジナル版は、刊行直後から世界で大きな話題を呼び、早くも映画化が決定した。待望の日本語版が刊行されたことを記念し、本文の一部を特別に公開する。
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● 森の地中でも「シナプス」を介して 情報伝達が起きている
 菌根ネットワークは実際のところ、私たちのニューラルネットワークとどれくらい似ているのだろう?
 たしかに、ネットワークの形状や、そのネットワークを通じてノードからノードに微分子が送られるという点は似ているかもしれない。
 だがシナプスはどうだろう──ニューラルネットワークにおいて信号が伝達されるには、シナプスがあることが必須であるはずだ。そして、木にとってもまた、近隣の木にストレスがかかっているか健康かを検知するためにはシナプスが重要なのではないだろうか。
 人間の脳内で、神経伝達物質シナプス間隙を越えて一つのニューロンから別のニューロンに信号を伝えるのと同じように、もしかすると菌根の内部でも、菌類の皮膜と植物の皮膜が接合するシナプスを越えて信号が拡散されているのかもしれない。
 菌根ネットワークのなかでも、私たちの脳で起こっているのと同じように、情報がシナプスを越えて送られているのだろうか?
 アミノ酸、水、ホルモン、防御シグナル、他感物質(毒)、その他の代謝産物が、菌類の皮膜と植物の皮膜のあいだにあるシナプスを越えるということはすでにわかっていた。ほかの木から菌根ネットワークを通ってやって来る分子はみな、同じくシナプスを通って送られるのかもしれない。
● 「森という脳」もまた 問題解決のために「考えている」のでは?
 私はいいところに気づいたのかもしれなかった。ニューラルネットワークと菌根ネットワークは共に、シナプスを通過させて情報分子を送るのだ。
 分子は単に隣り合う植物細胞の隔壁やびっしり並んだ真菌細胞の隔壁孔を通って伝わるだけでなく、異なった植物の根や異なった菌根の先端にあるシナプスを越えても伝わるのである。
 シナプスに化学物質が放出されると、その情報は、人間の神経系のメカニズムに似た形で、菌類の根の先端から先端へと運ばれるに違いない。
 菌根ネットワークのなかでは、人間のニューラルネットワークで起こっているのと同じ基本的なプロセスが起こっているように私には思われた──私たちが、問題を解決したり、重要な決断をしたり、人との関係を調整したりするときに閃きをくれるあのプロセスが。もしかするとどちらのネットワークからも、つながりとコミュニケーションと結束が生まれるのかもしれない。
● 森は「知性=インテリジェンス」を持っている
 植物が、神経系に似た生理機能を使って周囲の環境を認識するということは、すでに広く認められた事実だった。植物の葉、茎、根は、周りの状況を感知し理解して、それに合わせて自らの生理機能──成長率、養分を集める能力、光合成速度、水分の蒸散を防ぐための気孔閉鎖など──を変化させる。
 そして菌糸もまた、周囲の環境を認識し、自らの構造や生理機能を変化させるのだ。
 ラテン語の動詞intelligereは、理解する、気づく、という意味だ。
 インテリジェンス。知性。
 菌根ネットワークには、知性と呼べるものの特徴があるのかもしれない。
 森のニューラルネットワークのハブにはマザーツリーがあり、もっと小さい木々にとっての中心的な役割を果たしていた──娘たちの幸福にとって私がそうであるように。
 (本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』〈三木直子訳〉からの抜粋です)
 スザンヌ・シマード/三木直子
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 世界史の窓
 ギルガメッシュ叙事詩
 シュメール人の英雄叙事詩メソポタミア文明の代表的文学。『旧約聖書』に先立つ「大洪水」が見られ、世界最古の物語とされている。
 シュメール人叙事詩
 シュメール人が残した英雄叙事詩(神話)。ウルク第1王朝時代の実在の王ギルガメシュを主人公に、シュメール語で物語られていた伝承が、その後のメソポタミアバビロニアアッシリアヒッタイトなどの諸民族のことばに翻訳され、楔形文字で粘土板に書かれたものが残されている。人類最古の物語であり、メソポタミア文明を代表する文学であるが、特にこの中に『旧約聖書』の大洪水(ノアの箱船)の話の原型が含まれていることが判明し、キリスト教世界に衝撃を与えた。
ギルガメシュ叙事詩のあらすじ
 主人公ギルガメシュウルクの王。英雄であると共に暴君であり、都の乙女たちを奪い去るという悪業で住民に恐れられていた。ウルクの人びとが神々に訴えると、大地の女神アルルは粘土からエンキドゥという野獣のような猛者を造り上げた。ギルガメシュとエンキドゥは長い間取っ組み合った末、互いに相手の力を認め、抱き合う。ここに二英雄の友情が生まれた。二人は連れだって遠くの森に住む恐ろしい森番フンババを倒した。ウルクに帰ると女神イシュタルがギルガメシュの英姿に魅せられて誘惑する。ギルガメシュがその誘いを断ると、怒ったイシュタルは天の神アヌに強要して、天の牛を送ってウルクを滅ぼそうとする。ギルガメシュとエンキドゥは今度も力を合わせて戦い、天の牛に打ち勝つことができた。しかし神々はエンキドゥにフンババと天の牛を殺した償いに死を宣告、エンキドゥはギルガメシュに見守られて息を引き取る。残されたギルガメシュは永遠の生命を求め、古都シュルッパクの聖王ウトナピシュティムのみが不死でいることを知り、彼を訪ねて旅に出る。苦難の末に尋ね当てたウトナピシュティムは「大洪水」が起こり、四角い船を作って危機から逃れたことを物語る。最後にギルガメシュに、海底にある永遠の若さを保つ植物のことを教える。ギルガメシュは海に潜ってその植物をとり、喜び勇んでウルクへの帰途につくが、とある泉でホコリを落とそうと水浴びしている間に蛇がやって来てその植物を食べてしまった。失望したギルガメシュは疲れ切ってウルクにたどりつき、その後はどのようにくらしたことだろうか。<矢島文夫『ギルガメッシュ叙事詩』1998 ちくま学芸文庫 p.13-16>
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 3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 縄文時代 1万2000年~2000年前。縄文人(日本土人)。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
 この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族アイヌ民族は生まれていない。
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 日本土人である縄文人(日本土人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 日本の価値観には、白(イエス・生)と黒(ノー・死)とその間に灰色(中間)の多元論による三層構造であった。
 世界の価値観は、イエス(白・生・正・善)とノー(黒・死・邪・悪)の二元論による二層構造であった。
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 日本神道・日本神話とは、狭間・境を神聖視する自然崇拝宗教である。
 隙間・境とは、生と死、平地と山・森林・海、天と地、光と闇、明と暗、そして神と人、人と動植物である。
 人は、地上界、平地・平野で生き働き家族とともに生活している。
 八百万の神々は、天・天界(高天原)、山・森林・海におられる。
 神々の世界・天上界と人間界・地上界を繋ぐ狭間・境には、神社仏閣を建て穢してはならない祈りの場として掃き清めていた。
 狭間・境に立つ事ができる人が、男系の正統天皇御一人であり、女系の正当天皇ではないし皇族でもない自称天皇の紛い物でもなかった。
 狭間・境は、宗教的パワースポットであっても、カルト的神秘ではなく、科学でもなく、イデオロギーや哲学・思想でもなかった。
 にたような神霊スポットは、琉球の御嶽である。
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 世界文明・世界宗教キリスト教ユダヤ教イスラム教なども啓示宗教は「平野と森の対立文化」から発生した為、人は神に祝された命溢れる平野・平地に住み、山・森林・海は神と敵対する悪魔、魔物、獣、犯罪者などが巣くう魔窟であり、神の平野・平地を離れて魔窟がある山・森林・海に少し入った所は魔女・異端者・追放者が潜んでいると信じられていた。
 つまり、自然とは悪魔、魔物、獣、犯罪者が蠢いている魔窟であり、聖なる火で焼き滅ぼすべき汚れた土地であった。
 それ故に、普遍宗教である啓示宗教・都会宗教は自然宗教である田舎宗教・土着宗教を「神の御名」によって滅ぼし、人間文明は生活を邪魔する自然を破壊してきた。
 人類最古の神話とは、半神半人の英雄が森林の守護神(魔物)・大地母神(大蛇)を倒し、森を切り開き、開墾して農地を拡げ、城塞都市を造って王国を打ち立てる物語である。
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 日本民族は、高温多湿で病原菌(悪玉菌)・有益菌(善玉菌)・雑菌(日和見菌)などの細菌が多い自然環境・住環境で生きてきた為に衛生観念が高く片付け上手で綺麗好きであったが、現代日本人の様な神経質で異常な病的潔癖性ではなかった。
 それを言い当てた狂歌が「白河の 清きに魚も棲(す)みかねて もとの濁(にご)りの田沼恋しき」である。
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 日本の宗教的価値観から生まれた境・隙間、灰色、中庸とは、善・正であれ悪・邪であれ相手を逃げられない所まで追い詰めない為であり、曖昧な所・いい加減な所を残して言い訳可能な状況を残して助ける為であった。
 それが村八分である。
 昔の日本で、絶対価値観による不寛容な異端審問、魔女狩り、異教徒虐殺、人種差別・民族差別・人間差別が起きなかったのはこの為であった。
 善悪・白黒を付けないという多種多様な宗教性から、日本の物の怪・妖怪、幽霊・亡霊、怨霊は世界の悪魔、魔物、獣とは違う。
 つまり、日本には生き返って無差別に無関係な人々を虐殺するゾンビは無意味である。
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、旧石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の旧石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族は、旧石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
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