🎑94)95)─1─古典文学における日本人の恋と性。春画。艶本。ポルノ文学。夜這い。艶歌。不倫。梅毒などの性病。~No.199No.200No.201No.202 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 江戸時代における性の乱れで、日本中に梅毒などの性病が蔓延していた。
 明治政府はお抱え外国人顧問等の忠告を受け、梅毒などの性病を根絶するべく、夜這いや混浴、神社仏閣の夜祭り・宵宮、盆踊りなど、見ず知らずの男女が出会い性交渉につながる可能性のあるもの全てを禁止した。
 庶民には、梅毒などの性病に対する嫌悪感がないどころか、むしろ誉として自慢していた。
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 2016年2月号 新潮45 「新春艶笑対談 日本のエロスは底なしだ!
 大塚ひかり・まんしゅうきつこ 
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 性=政=生
 まんしゅう 大塚さんの本を読むまで、古典てがちがちにお堅い高尚なものだと思ってたのが、夜這いの習慣だの、セックスしまくる兵亜貴族の姿だの、古典で追う日本の歴史が全編これエロばかりというのが本当に衝撃でした。
 大塚 昔の人は性にゆるいと思われがちなんですけど、ゆるいというより、性を重要視していたんだと思うんですね。性=政=生でもあったわけですから。政略結婚なんて、いわばセックスで氏族同士が仲良くしましょうというのも。平亜貴族の外戚政治になると、娘が天皇の息子を産むことに一族の繁栄がかかっている。必死だったわけです。だからこそ性について堂々と書いていたんじゃないかなと。伝統芸能にしてもほとんどが性的な絡みで生まれています。歌舞伎の始祖として知られる出雲の阿国は、10歳前後の少女に色っぽい歌を歌わせ踊らせる『ややこ踊り』出身だったわけで、AKBどころじゃない。12歳の世阿弥が、17歳の将軍・足利義満に見初められて男色関係を結んだからこそ、能も発達しました。
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 平安貴族は恋が仕事
 まんしゅう 平安時代はエロい方が偉かったというのも衝撃でした。
 大塚 日本は母系的な時代がそれまで長かったんですね。当時は母から娘へ土地や建物などの財産が継承されることが多かった。そういう社会では父親は極端なことを言うと誰でもいい。そうなると基本的に性の締め付けがゆるくなる。
 まんしゅう それが武家社会、父から息子へ財産が受け継がれるようになると・・・。
 大塚 厳しくなります。誰の子か分からないのでは困ると。大体、戦争とかが始まると父系的社会になってくるんです。
 まんしゅう 平和な平安時代までエロい社会だったのが、武家社会になると厳しくなる。
 大塚 そうですね、でも放っておくと大体エロい方、エロい方へといくのが日本の特徴です。日本の坊さんがなぜ妻子をもてるのかも、おかしな話ですよね。
 ……
 エロの危機
 まんしゅう この間沖縄に行ったら、アマミキヨという女神が兄と性行為を行って子供を産んだのが国の始まりと看板に堂々と書いてあってびっくりしました。
 大塚 堂々と、というのが、いいですね。きょうだい婚の話はエジプト、ギリシャ神話にもありますが、日本のイザナギイザナミの兄妹婚の場合は『日本書紀』、のように国の正史とされる書物に堂々と書かれているのが特徴です。ただ、日本の古代においても、同母のきょうだい婚はタブーで、それが許されるのは神々に限られていました。実の親子もタブーで、他は獣姦、牛婚(たわけ)、馬婚(たわけ)などと呼ばれるものは罪とされています。他は言うなれば何でもあり、『源氏物語』なんて不倫文学ですから。
 まんしゅう 光源氏は人妻にも手を出してますか?
 大塚 出しまくりです。光源氏が父親の桐壺帝の妻、いわば義母にあたる藤壺に産ませた子が帝になるわけで、皇統乱脈文学です。それを当時の貴族階級は喜んで読んでいたわけです。
 まんしゅう 何でこんなに日本は厳しくなっちゃったんでしょう。
 大塚 本にも書きましたが、日本は外の目を意識すると厳しくなるんです。歴史上それは3回ありました。
 まず律令制度が導入された飛鳥・奈良時代。人妻とセックスすると罰せられるという法が中国から入ってきて、『人妻』という概念が浮上する。しかし結局、それも日本的なエロくなるというか、『万葉集』にはやたら『人妻』という語が出てくるんですが、そそる感じ、エロい文脈で使われている。
 それからキリスト教が伝来した戦国時代です。宣教師に離婚してはいけないと言われて日本人は驚くんです。前近代の日本人はばんばん離婚していて、当時もそうだったんです。が、これも教会が認めれば離婚を許すことになった。
 そして西洋化の進んだ明治維新。歌舞伎のエロい演目は禁止されたり、混浴が禁止されたり、男性器を象った神様も猥褻(わいせつ)とされ破壊されたりしました。
 戦後のアメリカの視線を入れれば、厳密には4回かもしれませんね。どんどん厳しくなっていますから。
 まんしゅう 現代の方がエロいんだろうなと思っていました。今は風俗とかAVとかもありますから。昔の人はお堅いのだろうと。
 大塚 時代、階級にもよるんですが、昔の貴族や町人、農民はまずエロかったと思っていいでしょうね。不義密通した者は斬ってよいとする武士階級は、実は全人口の1割以下しかいなかった。それが時代劇などの影響で、一般的だったと捉えられがちなのではないでしょうか。でも放っておくと、日本はエロい方へエロい方へと進むんです。日本に来た外国人はまずラブホテルの存在にびっくりするし、それを娼婦じゃない普通の人たちが使うことにも驚くそうです。
まんしゅう そういえばこの間、ラブホテルに女同士で入ってカラオケやったんですけど、そういう設備も含めた進化の方向がサービス精神旺盛ですよね。そこに、男性同士の入店はご遠慮下さいとあるのも驚きました。
 大塚 日本は意外とゲイの人が住みにくいという統計があるそうです。
 まんしゅう 本にもあるように、弥次喜多が男色カップルだというのに。
 大塚 今のゲイと違って彼らは両性愛者なんです。それから男色には、年長者の男が年少者を犯す、児童性愛の面もあります。
 ……」
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 2013年 日本では評価されない「春画」が、イギリスで芸術作品として評価された。
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 春画は、江戸の町人文化の重要な芸術である。
 浮世絵師の最高傑作は春画である。
 浮世絵師の技量がわかるのも春画である。
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 幕府は、倹約令を出して極彩色で描かれていた浮世絵を贅沢品に指定し、色数を制限するように命じた。
 版元や浮世絵師は、御上の命を「ご無理ご尤も」と平伏して聞き流し、色数を減らしながら図柄や構図で美術性・芸術性の高い浮世絵を制作していた。
 儒教倫理を広めようとした幕府は、春画が出回る事で風紀・人心が乱れると厳しく取り締まった。
 地下出版物として人気のあった「春画」は、葛飾北斎喜多川歌麿、鈴木春信ら著名な浮世絵師らが腕を振い、性表現に趣向を凝らし描写を変化させながら取り締まりをかわすかわした。
 浮世絵師は、庶民文化や町屋の流行を牽引しているという意地から、幕府の儒教的前例踏襲や武士の質素倹約に反抗心を燃やしていた。
 当代屈指の浮世絵師といえども、請け負った仕事が下品下劣な春画であっても、絵師の名にかけて、真剣にして糞真面目に創作に取り組み高尚にして品の良いお色気満載の快感溢れた春画を描き上げた。
 浮世絵師達にとって、信仰の山である霊峰富士も秘め事である春画も同レベルの画題で、御上のお達しであっても「ハイそうですか」とスンナリと従う気はなかった。
 春画は、年寄りから若者までの男女、男色、自慰を、身分や家柄や職種に関係なく、卑猥や淫靡やグロテスクさを排し、人が持っている性愛の姿を包み隠す事なく有りの儘に、素直に楽しみ、喜びとして大らかに描いている。
 百姓・町人は、道理に合わない禁令や筋が通らない取り締まりには面従腹背として従う気はなく、如何にして見つからないように誤魔化して役人を出し抜くかを楽しんでいた。
 中国や朝鮮のように儒教の徳によって雁字搦めに規制された窮屈な生活を嫌い、神道的な伸び伸びとした生き方に憧れていた。
 それ故に、現代の日本人とは違って、御上の規制・禁止に対して悪戯ぽく逆らって捕まるか捕まらないかのスリルを楽しんでいた。
 捕まって咎められれば、その事を酒の肴にして面白おかしく話し合ってバカ騒ぎした。
 庶民の江戸文化には、儒教の道徳に汚染された所が少なかった分、御上の権威を戯けて滑稽に笑い飛ばす強かな明るさがあった。
 春画の原型は、平安時代から有ったと言われている。
 ゴッホやモネなどの印象派パブロ・ピカソなどは、浮世絵や春画を高く評価している。
 三宅秀和(永青文庫学芸課長)「多くの絵師は春画で人が愛し合う姿を正面から描きました。性愛は人間の生きる根本であり、春画は人間の根本的な生命力の表現と言えます」
 「豊穣な性の営みが描かれた春画は、子孫繁栄の願いを込めた嫁入り道具として使われました。戦勝祈願のお守り『勝絵』として武士が鎧櫃(よろいびつ)に入れて出陣する事や、商家が『火除け』として蔵に納める事もあった。江戸の人々は、大名から一般庶民まで、年齢や性別を問わず、春画に楽しんだのです」
 「江戸時代の性文化は、現在より奔放かつ大らかでした」
 明治時代。文明開化としてキリスト教倫理が教育に取り入れられる事によって、春画は卑猥で風紀を乱すとして徹底して排除された。
 日本の性風俗を排除しようとした動きは、キリスト教が伝来した戦国時代でも起きていた。
 宣教師達は、聖母マリヤの処女性を守る為に、女性に対して純潔や貞淑を求め、不倫はもとより再婚も禁止した。
 春画はもとより浮世絵も日本独自の画法であって、朝鮮や中国の画法とは根本的に異なる。
 江戸の庶民は、観念的で屁理屈に近い儒教などの漢書や古典を学ぶ事を嫌い、面白おかしく生きる為に滑稽本や物語本、若しくは仕事に役立つ実用書や技術書を好んで読んだ。
 この軟弱性、いい加減、曖昧さという民族性ゆえに、日本には数多くの教育者はいたが、世界的な学者や哲学者や思想家は生まれなかった。
 石上阿希(国際日本文化研究センター特任助教)「現代の日本では『わいせつ物』として扱われている春画ですが、江戸時代は『笑い絵』と呼ぶのが一般的でした。顔と同じ様な大きさで誇張されて描かれる事もある男女の性器は笑いをを誘います。各地に性にまつわる祭りがたくさん残っているように、元来、日本には性の力を信仰し、またそれを笑う文化があるのです。春画もその芸術性はもちろん、ユーモアという観点から見てみると皆さんの認識や感覚も変わるのかなと思います」
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 白倉敏彦「春画には、多くの老爺、老婆が登場する。これは、日本春画の一つの特徴であって、世界のエロチックアートにはほとんどあり得ない事実である」(『春画に見る江戸老人の色事』)
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 三宅秀和(永青文庫学芸課長)「春画にはいろいろな役割があります。武士が出陣前に見たり、戦に持って行くと勝利すると考えられていた事から勝絵とも呼ばれていました。また、嫁入り時に持参する子孫繁栄の縁起物だったり、性教育の本だったり、蔵に入れておくと火災に遭わずに済むというお守りとして珍重されました」
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 2014年 10月号 SPIO
 「夜這い、姦通罪、遊女、赤線、春画‥性意識の変遷から見えてくる私たちの姿
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 当時、浮気した妻と相手の男は刑事罰の対象で、詩人の北原白秋は逮捕され、作家の有島武郎は姦通罪を恐れて心中死した。気軽な不倫が横行する現代とは隔世の感がある。また、昭和の初めまで村社会には『夜這い』の風習が残っていたが、いま実行したらそれこそ刑務所行きだろう。
 性の規範、性のタブーは時代とともに大きく移り変わった。
 ……
 日本人の『タブー』はこんなに変わった。
 日本人と性愛
 『古事記』『万葉集』『源氏物語』『伊勢物語』・・・・・古典文学が描いた『愛』を読む
 歴代の天皇も恋を歌った伝統
 性愛にこそ『日本人の本質』がある
 『古来、日本人にとって性愛はタブーなどではなく、何の屈託もなく大らかに享受すべきものだった──これこそが、日本文化を理解する最大のポイントである』
 作家で国文学者林望氏は、日本の古典文学が描いてきた『愛』の中にこそ、日本人の本質があると語る。
  *
 林望
 農耕文化の日本において、農作物が豊かに実るには、太陽の光と雨の水が過不足なくもたらされることが必要だった。ここから、光と水、陽と陰が『和合』して睦み合うことで初めて実りがもたらされるのだと古の日本人は信じた。
 さらに夫婦が『和合』して子供が生まれることの喜びと、農作物の豊穣への祈りを重ね合わせ、そうした『生産』をもたらす性愛を、神聖なるものとして崇拝した。
 実際、日本最古の歴史書と言われる『古事記』は、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦の契りを結び、男の身体の成り余れる処(男根)を女の身体の成り合わざる処(女陰)に刺し塞ぎ、国を作る『国産み神話』を官能豊かに描く。日本では神代の時空から、セックスがあからさまに物語られたのである。
 『万葉集』やそれ以降の和歌でも、日本人はひたすら色恋の歌を綴った。本音と建前の差が甚だしく、表向きは『政治』を論じる中国や、『道徳』を描くことを重んじられてきた韓国の文学とは、趣が全く異なる国民性なのだ。
 『源氏物語』『伊勢物語』などの中古文学を読んで欲しい。夜半、男性が女性を訪れ、夜明け前に帰るという描写が繰り返しされる。恋愛はすなわち、性愛だった。夜、男女が将棋を指すはずはなく、挿(さ)すものを挿す。実に結構ではないか。
 光源氏に代表される『色好み』が男性の美徳として持て囃され、女性の『色好み』も悪い意味ではなく、貞淑や処女性といったものへの賞賛などはほとんどなかった。何人も男が通ってくれば、父親が誰か分からない子供が次々と生まれてくるが、そんなことは気に留めない。母系社会の日本では母と子の紐帯が極めて強く、父親は『推定関係』に過ぎない。父系社会である中国や韓国が夫婦別姓なのは、ある意味『女は家に入れない』という思想で、女が広く主導権を握り(かぐや姫が男たちの求愛をいなす『竹取物語』からも窺える)、男の選択権を握っていた日本の世情とは対照的だ。
 戦国時代を経て江戸時代になっても、現代のエロ小説に近い『好色物』やポルノそのものである『春本』が興隆し、農村や漁村では夜這いの風習があった。この時期、武家や寺社などを除く大半が農民であり、男女が共に田畑で汗を流し、青天井の下で時に『和合』した。
 時代が下がって現代。不倫や少女売春などのニュースが世を騒がせてると、『日本人の性のモラルが崩壊した』と嘆く者がいるが、古典を学べば違った面が見えてくる。夫婦関係は今みたいにはっきりしたものではなく、初潮がくれば女性が性関係を持つのは自然なことだった。
 女子高生がだらしなくなったのではなく、現代は性愛を享受できる年齢の人間の多くが学校で学べるありがたい時代になったということ。
 虚心に文学や歴史を見つめると、日本人は本当に穏やかで優しく、男女の仲睦まじい社会を築いてきたことかが如実にわかる。実に結構な御国であるまいか。
 明治時代は日本性愛史のベルリンの壁
 そんな性愛の姿を大きく変えたのが明治時代だった。
 歴史上、武力で民を統治する西欧の覇王とは異なり、日本の天皇は『祈り』と『恋の力』で霊的に世を治めてきた。畢竟、歴代天皇も『恋の歌』を多くお詠みになられた。
 しかし、富国強兵を唱え、西洋型の絶対君主制をめざした明治の治世になると、天皇は白馬に跨がり陸海軍を指揮する大元帥となられた。このため、『好いた、惚れたの軟弱な歌は相応しくない』と判断した政府元勲たちの野暮天的意向により、明治10年ごろ、明治天皇が詠んだ夥しい恋の歌を隠匿したとされる。以降、天皇陛下がゆかしく色恋を綴る、古きよき和歌の伝統が途絶えたのである。
 さらに列強に追いつくため男女の教育を分断し、家制度を維持する純潔教育を強いた。やがて軍国主義が勃興すると男は外で戦い、女は家を守るという分業体制が築かれた。子供を生み、家に尽くす良妻賢母が重んじられ、貞淑や処女性が有徳とされた。
 同じ頃、アダムとイブの性愛を「The Origin Sin(原罪)」としてタブー視し、純潔な精神的愛を「プラトニック・ラブ」として尊ぶキリスト教思想も入ってきた。従来の日本には存在しなかった性愛抜きの「純愛」が広がり、セックス全般が秘するもの、タブーとなった。明治時代は、日本の性愛史において現代と過去を隔てる高き〝ベルリンの壁〟なのである。
 日本は本来、個人の性愛を規制せず、人間が正直に生き抜くことを男女問わず認める進歩的な社会だった。国の行く先が見えず暗い雰囲気が蔓延する今こそ朗らかな性愛の国・日本のあるべき姿を思い起こそうではないか」
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 2016年2月号 SAPIO 『春画展』大盛況の背景
 今の女性は昔の『性のタブーなき時代』に回帰したいという願望がある 橋本治
 かつての日本人にとって、恋とは『やる』ことだった。つまり、セックスです。『古事記』や『源氏物語』などの古典を読めば明らかですが、江戸時代まで、日本に性のタブーは存在しなかった。
 『源氏物語』の中で、光源氏は何度となく夜、女の部屋に忍び込み、合意なしにやっちゃっています。今でいう強姦ですね。この時代の『逢う』『見る』という言葉とは、イコール性交渉ですから。にもかかわず、否定的な書かれ方は一切していない。
 平安時代、貴族階級の女は、顔を見せないことを原則にしていたので、男は顔も知らないまま性交渉に及ぶわけです。当時、オッパイに触れることは、性行為の中に含まれていません。
 その証拠に、春画では、性器は着色してありますが、乳首や乳輪には色がない。関心が低いわけです。もっとシンプルに、穴があったら突っ込め、なんです。
 ただし、人妻が他の男と肉体関係を持つと姦通の罪に問われたように、モラルは存在しています。喜多川歌麿葛飾北斎などの春画が変名で描かれたり、無署名なのも、浮世絵師の中にイヤらしいことを描いているという羞恥心があったせいでしょうね。タブーはなかったけど、道徳観は持っていたわけです。今と逆ですね。現代はタブーはあるけど、モラルはほとんど失われてしまった。
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 性表現がタブー視されるようになったのも、明治に入ってからです。明治時代は異常なまでに風紀を気にする時代で、刑法174条と175条で『猥褻の罪』を取り締まりました。
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 女はポルノ好きになっていている
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 最近の若い子は、オスっぽさがあまり感じられないですものね。男は『草食化』する一方、逆に、女はポルノ好きになっています。
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 女性は昔の性のタブーなき時代に回帰したいという願望があるのではないでしょうか。男性は、もう戻れませんけどね。現代はそういう社会になってしまった。
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 そもそも女は全身で性的興奮を覚える生き物でした。その点、男は視覚で感じるでしょう。性行為の最中も目を開けていることが多い。ところが今は、女性が男性化してきて、女性でも視覚で喜ぶようになってきました。
 ただ、女向けの性表現の解放の先に、幸福な未来があるとは思わない方がいい。男どもがAVばかり見てセックスをする気がなくなったことと同じ現象が、女の中でも起きる可能性があります。仮想現実はあくまで仮想ですから。そんなの、ちっとも幸福ではないと思いますよ」
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 2016年1月号 歴史通「そこはかとなきエロスの香り 亀山早苗
 イザナギイザナミの国産みの物語をもつわが国の幽艶なる性をみる」
 春画とは、人間の性愛を描いた浮世絵(肉筆、版画、版本)の総称。日本における起源を遡れば平安時代、中国から来た医学書の房中術解説書だとか。江戸時代になって鈴木春信、勝川春章、喜多川歌麿葛飾北斎などの浮世絵師たちによって描かれて大人気となった。版画技術の発展によって安価になったことで庶民も手に入れることができたのだ。江戸時代には2,000点から3,000点が描かれたと言われている。その後、幕末から明治にかけて春画も他の浮世絵とともに海外に流出。フランスの美術家たちがいちはやく高く評価し、ピカソロートレックらにも多大な影響を与えた。
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 別名『笑い絵』
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 春画は日常の中の性を描いている。授乳しながらの性行為で、女性の顔は深い歓びに満ちている。子どもを排除せずに描いているところが、単なるエロティックアートとは違う。
 内容は多岐にわたる。同性同士の性行為もあれば、高齢者の性愛、後家と養子、はたまた蛸と女性、狐と女性など、何でもありなのだ。江戸時代まで日本人は性におおらかだったと言われる証左だろう。また、どこまでも性を追求していく絵師たちの心意気、あちこちに見られる洒脱と粋の精神に驚かされる。これらを江戸の人たちは笑いながら見ていたのだろう。春画は別名『笑い絵』とも呼ばれているのだ。確かに見ていると、クスリと笑わせる作品が多数ある。
 春画にはそこはかとなくエロティックな香りが漂う。だが断じて下品ではない。絵師たちが精神と感性と技術を駆使して作り上げた作品。そこに描かれた性は非常にオープンで生命力に満ちあふれ、江戸の人間たちの躍動感が伝わってくる」
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 古来から男性が女性にモテる必要条件は、世界共通に高い地位と豊かな財力と健康な体力、それに加えて日本では類い稀な教養と情感溢れた和歌を詠む才能である。
 教養のない日本人男性は、高い地位・豊かな財力・健康な体力があろうとも「つまらない男」として差別され、軽蔑な目で見られ、後ろ指を刺されて悪評が広まった。
 日本人女性もまた、心のひだを細やかに和歌で詠み上げる教養がなければ「つまらない女」として差別され、卑猥な目で見られ、ヒソヒソと陰湿に悪口を言われた。
 日本は、昔から「差別」が大手を振って横行していた。
 特に、女系相続優位の平安時代は「差別」が酷かった。
 家と資産を守る為に、男性よりも女性の方が既婚・未婚に関係なく不倫を積極的にしていた。
 男は、表社会で、自己満足の為に権力をめぐって政治を行った。
 女は、奥社会で、家と資産を守るべく優れた遺伝子を子供に残す為に数多くの男性と恋愛に走り、不倫を楽しんでいた。
 子供の親は、母親しか知らない。
 父親は、子供の親を知らない。
 妻が自分達の子だと言い張れば、夫はそれを信じるしかない。
 それを信じて家庭が平穏で家・家名が存続し資産が守られるのであればそれでいい、というのが平安時代であった。
 雅な「内助の功」とは、そういう意味である。
 そえゆえに、女性による自由恋愛や不倫は罪ではなかった。
 日本の女性は賢く、日本の男性は単純馬鹿であった。
 所詮、男女の仲や夫婦の仲とは化かし合い騙し合である。
 日本人女性が、慎み深く、純潔と貞淑で操を守るとは、平安時代に於いては嘘である。
 恋愛と不倫を楽しむ必要条件は、人の心を掴む和歌を、控え目に、奥ゆかしく、情感を秘めて詠める教養があるかどうかであった。
 つまりは、「教養」である。
 恋愛や不倫の日本文学が世界的な古典文学として認められたのは、動物的強欲やえげつない性欲が卑猥に丸出しに溢れていたからではなく、高度な「教養」が雅さをまとってヒッソリと奥ゆかしく隠されていたからである。
 現代日本平安時代の日本とは、全く違う日本である。
 当然、現代を生きる日本人と平安時代を生きた日本人とは違う日本人である。
 現代日本では、男性が不倫をしても許されるが、女性が不倫をすると許されない。
 現代の不倫の多くが、雅にして高度な教養の欠片もない、動物的性欲や金銭目的の強欲に塗れた卑猥なだけである。
 和歌には、色恋歌が多い。
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 2016年5月22日号 サンデー毎日「読んでたどる歴史 本郷和人
 『こころはどう捉えられてきたか』田尻祐一郎 平凡社新書
 道徳も政治も届かない深層で震えるもの
 私たち日本人は、恋や愛のあり方にそれなりに寛容だったはずなのだ。不倫が存在を許さぬものであったなら、『源氏物語』は成り立たない。
 本書の著者によれば、本居宣長は、人を好きになるというのは、人間の力ではどうにもならないに不思議な振る舞いである、と考えた。心は道徳も政治も届かない深層において、弱く・はかなく・愚かしい。その心が震え、時に倫理や秩序にぶつかりながら立ち現れる、それが恋である。恋をして、弱く・はかなく・愚かしい心と向き合うことが『物の哀れをしる』ということであり、それを体現する光源氏は、単なる漁色家ならざる『よき人』である。そして『よき人』の魂の遍歴をつづるがゆえに『源氏物語』は古典の最高峰と評価できる。
 いまは宣長について述べたが、この本は他に熊沢蕃山や山崎闇斎伊藤仁斎荻生徂徠などを例に取りながら、『こころ』を縦横に語り尽くす。『こころ』をめぐる思索をたどるにつれ、主として江戸時代の思想家たちの特徴が解き明かされ、さらに儒教(とくに朱子学)・仏教・神道の社会におけるありようが端的に示される」
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 5月27日号 週刊ポスト「セックスの『日本一(ひのもといち)のツワモノ』決定戦
 『性豪』は誰だ!
 『夜這い』の習慣や『春画』『艶本』などの文化に代表されるように、日本人は古来、豊かな性生活を営んできた。後世に名を残す偉人たちの中にも、色事に関して『豪の者』と呼ばれた人物が多くいた。『愛欲の日本史裏絵巻』の著者・山科薫氏の協力のもと、数多の歴史資料を紐解き、『性豪ランキング』を作成した!
 一位 在原業平
 3,733人を抱いた元祖・好色一代男
 小野小町にも〝猛アタック〟
 『古今和歌集』に多くの歌を残した平安期の貴族、在原業平井原西鶴が著した『好色一代男』のモデルといわれている。
 『関係を結んだ女性がとにかく多い』と山科氏はいう。
 『彼の性遍歴は江戸期に〝1,000人斬り〟といわれていたようですが、その後の文献研究によって、55年の生涯で下は10代から上は99歳まで、ありとあらゆる世代の女性3,733人を抱いたという記録が発掘されています。
 業平の凄さは気に入った女性への積極的なアプローチです。『伊勢物語』には、世界3美女に数えられる小野小町に和歌を送って言い寄り、あえなく撃沈する話も出てきます。史実かどうかは議論の残るエピソードですが、その〝情熱〟を含めて性豪ナンバーワンに相応(ふさわ)しいと思います』
 二位 小林一茶
 24歳下の妻との性交を俳句に記録
 妻一筋で『死ぬまでSEX』を実践
 『やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり』
 雌蛙を奪い合う2匹の雄蛙のバトルを、弱い蛙に同情しながら詠んだ一茶の有名な句だが、実生活での一茶は晩年に〝やせ蛙〟を卒業すると、精力の強さを存分に発揮した。
 『52歳の晩婚でしたが、24歳も若い妻を娶(めと)るとひたすらセックスに耽(ふけ)り、俳句の脇に「晴3交」などと、その日の天気とセックスの回数を記していました。この妻とは数年で死別しましたが、後妻を娶るとまさに〝死ぬまでSEX〟に励み、世を去った翌年に第五子が生まれました』
 1位の歌人在原業平と対照的な『妻一筋の性豪』である」
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 2016年9月号 SAPIO 「日本の官能小説の世界 鹿島茂
 永井荷風から団鬼六まで
 文豪たちは『性』を目指す
 日本ではポルノ文学が独自に進化を遂げてきた。
 フランス文学者・鹿島茂氏は、『世界の文学者も日本の官能小説には一目置く』と語る。
 豊壌な『性表現』の世界に、鹿島氏とともに分け入った。
 鹿島茂 なぜ多くの作家たちが、〝性〟の表現に取り組んできたのか?そこには言葉というものの限界に挑まんとする彼らの思いがあったように感じる。
 言葉とは、多くの人々の間に共有されているものだ。だからこそ文章を書くことは、自分自身の感情や思想を、手垢のついた借り物にのせて発信しなければならないというジレンマが付きまとう。しかも言葉とは、音声が伴っていないと、現実へと働きかける強さがさらに弱まってしまう。それがポルノであれば、文章が現実へと強く働きうる。ショックを与え、生身の身体を揺さぶることができる。作家たちは、そんな希望を抱えて、言葉というものの限界に、抵抗しようとしたのだろう。
 ポルノは文化の指標である。文明が発展して、セックスが単なる生殖や本能充足のためのものに終わらず、想像力がまじりこむようになって初めて、各種の変態が現れる。私はこの現象を『衣食足りて、変態を知る』と呼んでいる。
 日本のポルノ文学の特徴は、マゾヒズムの異常な発展である。その理由として、ヨーロッパでは『自由の行使』に快感を感じる一方、日本では『自由の拘束』に強い快感を感じることが挙げられる。日本は家制度など権威主義的な繋がりを重視する社会の中で、『自由を求めているようで実は求めていない。拘束されることを喜ぶ』という逆説的な悦びを発見したのだ。
 ポルノはその時代の人間の夢想を代弁する、一種の代行業であるだけに当時の世相と密接に結びついている。私が『ヅロウスの法則』と命名する法則がある。世代によって『パンティ』では発情しない。『ズロース』でもダメ。絶対に『ヅロウス』でなければダメというのである。言葉によって喚起されるエロティシズムは、読者が身を置く時代、環境に左右される。だからこそ万人を納得させるポルノ文学というものは存在しない。
 何にエロティシズムを感じるのかは時代や個人で大いに異なる。ちなみに私にとって初めてのポルノは辞書だった。性に関わるいろいろな言葉を引いて、それで発情していたというわけである」
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 2017年7月23日号 サンデー毎日「読んでたどる歴史  本郷和人
 『とんでも春画』 鈴木堅弘 新潮社とんぼの本
 抑圧されて燃え上がる『性』を描く奥深い芸術
 本書に出会って思った。江戸の人々は生を存分に楽しんだに違いない、と。
 彼ら彼女らにとって生、すなわち『生きること』は『性』と同義であった。男と女の、男と男・女と女の。年齢差、身分の差を超えて、人々は大らかに性を楽しんだ。また生は、『怪しいもの』や『淫(みだ)らなもの』、さらには人間存在を超えた『聖なるもの』をも含みこんで展開していった。それゆえに、妖怪や幽霊や動物や神仙が『性』に励む様子が、時に楽しく悲しく、あるいは衝撃的な春画として描かれたのだろう。
 江戸時代が始まるまでの1000年、人口はなかなか増加しなかった。日本列島に住む人、600年には約600万人、1600年では約1,200万人。1000年で600万人しか増えていない計算である。原因は飢え、病気、それに何といってもうち続く争い。ところが江戸幕府が成立してまがりなりにも平和になると、1600年から1700年までの100年の間に人口はなんと1,300万人も増え、約2,500万人にふくれあがった。人々は争うのない世で、『生きること』を謳歌したのである。
 日本人はもともと性に寛容であった。『源氏物語』が良き例を示すごとくに、男女の恋愛の機敏を知り、描写することこそが、日本文化の精髄だとの評価もある。ところがお行儀の良い儒学を国の教えとして採択した幕府は、『日本のお上』としては例外的に男女の交流を厳しく規制した。抑圧されればなおさら燃え上がるのは世の常である。人々は積極的に性の世界を拡大し、驚くべき春画文化を構築していく。それはまさに、世界に誇るべき奥深い芸術であった。本書はそれを懇切丁寧に教示してくれる。実に面白い。夢中になれる大人の一冊である」
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