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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
江戸時代は、抜け出せない貧困、陰湿で陰険な差別、解消されない格差が蔓延る、息苦しい閉塞したブラック社会であった。
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江戸時代の日本人は、頻繁に神社仏閣を参拝していたがそれは建前だけで、本音では神や仏を信用せず、本心では信仰心はなかった。
日本で宗教が原因した、差別、対立、迫害、弾圧が起きなかったのは、宗教に対して寛容だったのではなく、無関心であったからである。
神や仏の為に殺し合う事などは、江戸時代の日本人には理解できなかった。
神や仏の為に死ぬ事・殉教する事は、気違い、馬鹿な人間だと嘲っていた。
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2019年4月25日号 週刊文春「『へんちくりん江戸挿絵本』 小林ふみ子 インターナショナル新書
日本絵画
評者・成毛眞
府中市美術館の企画展『へそまがり日本美術』(5月12日まで)が予想外の人気だという。禅画からヘタウマまで、傑作とは言い難いが、個性的な絵画を集めた展覧会だ。
なかでも必見は三代将軍徳川家光の『兎図』。切り株の上にちょこんと乗った一匹のウサギがこちらを見つめている。ふわふわでなんとも愛らしいのだ。上様はじつは心優しい人だったのかもしれないと感心しつつ、脱力してしまう。
『へそまがり』というよりも『ゆるい』のだ。この『ゆるさ』は日本美術だけがもつ特徴なのかもしれない。平安時代の『鳥獣戯画』や江戸前期の『円空仏』などは、同時代の西洋美術にはない、全く緊張感を覚えさせない素晴らしい宝物である。
『へんちくりん江戸挿絵本』は山東京伝、葛飾北斎、大田南畝らの手によるへんちくりんな挿画をあつめて、上手に解説した本だ。
たとえば品川宿の悪所で遊ぶ釈迦如来と地蔵菩薩たちの図。焼き魚を肴に宴会をしているのだが、全員後光を背負っているのが笑える。
やがて床が敷かれ、遊女から『(後光を)とって寝なんし』と言われた釈迦は布団に入り込む。なにしろ寝釈迦なのだ。しまいには地蔵が釈迦の長唄に合わせて踊っていると、どこからかおひねりが飛んでくるという図。いやはや神も仏もないものだ。
神仏、学問、文学、文様、怪異など、9つの章に分類されて解説されているので、ゆるい絵を見ながら、根底にながっる江戸文化を体験的に解説できるという仕掛けになっている。
現代人の江戸時代に対する憧憬は侮りがたいものがある。長くつづいている落語や時代小説ブームはもとより、NHKは『ぬけまいる』や『ブシメシ』など、新しい時代劇に力をいれはじめている。それに共通するのは『ゆるさ』だ。」ネット文化が世知辛くなったいま、ゆったりとした江戸時代の雰囲気を味わいたくなったのかもしれない。」
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日本文化と中国文化・朝鮮文化は別物である。
日本の文化は、時代によって世界中の文化が流れ込んで何らかに影響を与えて生まれた、多様性に富んだ文化であった。
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中国の文化は士大夫・読書人文化で、朝鮮の文化は両班文化で、両者の共通は科挙合格者もしくは科挙受験資格者が主体であった。
日本の文化は時代によって担い手が異なり、戦争や暴動など人為的な原因によって殺される危険がなくなった江戸時代は、文化の担い手は百姓や町人などの身分が低いその日暮らしに近い庶民達であった。
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江戸時代の庶民は、キリスト教が支配する西洋の民衆・大衆ではないし、天帝・天が統治する中華の人民・民草でもなかった。
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日本は、欧米や中華(中国)に比べて国家としては富んではいなかった。
庶民の文化度においては、欧米や中華(中国・朝鮮)に比べものにならないほど多様性があり、多方面で豊かであった。
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日本の文化度の高さは、庶民が好んで買っていた浮世絵や春画などの絵画が証明している。
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日本の絵画は、高額で取引される貴重な美術品ではなく、自然災害や大火で燃えて灰になっても惜しくない安価な絵にすぎなかった。
浮世絵は、木版印刷によって大量生産され大量販売されていた、薄利多売商品であった。
日本の絵画は、面白ければいい、楽しければいい、驚きがあればいい、のである。
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日本には、西洋のような弱者・貧者を救済し保護するキリスト教会や修道院のような慈善組織はなかった。
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江戸時代の庶民は、心に穢れのない素直・正直を好んだが、心にもない偽善を最も嫌った。
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