⛩51)─1─隠れたパワースポット、貧乏神神社。~No.119No.120 

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 2024年4月16日 YAHOO!JAPANニュース「「貧乏神神社」は長野県に実在する!ここで頭を下げたり、手を合わせて拝んだら大変なことに…
 旅人間はらぺこライター
 はらぺこライターの旅人間です。今回は運気を改善したい方は朗報です!と言うのは”貧乏神”を払うことが出来る神社が長野県茅野市あるからだ。
 え?そんな神社があるの?と思うでしょ!あるんです。その名も「貧乏神神社」という。しかも味噌蔵の中に…。それでは詳しく解説しよう。
 貧乏神神社とは?
 そもそも貧乏神について知っているだろうか?
 簡単に言えば、「貧乏神」とは取りついた人間やその家族を貧乏にする神のこと。例えるなら『桃太郎電鉄』でプレイヤーを不幸のどん底に叩き落す”ボンビー”をイメージすれば分かりやすい。とにかく厄介な存在なのだ。
 貧乏神は倒せない!追い払うしかない!
 しかし、仮にも神なので倒すことは出来ない。追い払うしか方法はない。それが出来るのがココ!「貧乏神神社」と言うワケだ。
 貧乏神は平安時代の辞書『和名類聚抄』では「窮鬼(きゅうき)」と呼ばれていたそうだ昔は神ではなく、鬼だった?それなら時の流れと共に格が上がったのか?一体なぜ?なんて思ったりもするが…。
 その姿は、痩せこけて青ざめ、すだれ眉毛に金壺まなこ、頭に角が1本生え、体が隠れるマントを被り、壊れた渋団扇を持っている薄汚れた老人の姿をしているらしい。これが一般的にイメージされている姿だそう。
 とにかく、気に入られたら大変なのだ!
 「絶対にこっちに来るな」「寄って来るな」「家にも近づくな」と断固とした態度を取らねばならない。だから、間違っても頭を下げたり、手を合わせて拝んではいけない。
 貧乏神神社の参拝方法
 この貧乏神神社では、独特の参拝方法がある。それは…
○叩いて
○蹴とばし
○豆を投げつける
 そして、「貧乏神出てけー」と叫ぶと効果が高い。
 なんとユニークな!興味深い。やってみよう。
 まずは豆代として100円を壺に入れる。ここはお賽銭ではなく”退散料”となる。
 そして、目の前の張り紙には「皆さまの貧乏神を預かります」と書かれている。実は、ここが重要なポイントだ。
 貧乏神は前述した通りの薄汚れた容姿で、家の押し入れに住みつくイメージが強いが、実は私たちの”心の中”にいる場合も多くある。
 それは、ネガティブな気持ち、悩み、クヨクヨした感情なのかもしれない。
 だから、それも追い払う!
 「貧棒」という名の棒を手に持って、貧乏神の前にあるご神木を3回叩く!
 ガン!ガン!ガン!と。
 あまり勢いをつけると棒が跳ね返り危ないので要注意。
 更に、ご神木を3回蹴る!
 そして極めつけは、豆を握りしめ…
 樽の中の貧乏神に向かって豆を1回投げつける。
 尚、この参拝では「貧乏神出てけー」と大きな声を出し、最後に笑い飛ばすとさらに効果的だという。いわゆるストレス解消だ。
 自分自身の弱い心を見つめ直し、叩いてストレス解消させる。ネガティブな心は樽の中の貧乏神に預かってもらい、そして隣にある鈿女(おかめ)神社に参拝し福をもらって、スッキリして帰る。これが参拝方法となる。
 それにしても一体なぜ、味噌樽なのか?
 貧乏神は”味噌”が好物で、団扇を手にしているのはこの味噌の芳香を扇いで楽しむためとも言われているという説もある。
 大阪には面白い話が伝わっている。それは江戸時代に富豪の家では毎月晦日に”貧乏神が好むという焼味噌を二つ”作って座敷から店へと家内中を持ち回り川へ流していたそうだ。
 ここは丸井伊藤商店の味噌蔵である。創業100年を数える。お店の方にお話を聞くと、この味噌蔵に「貧乏神様がご降臨されている」という。
 「貧乏神がいて大丈夫?」と聞けば「樽の中に封じ込めているから大丈夫」と笑顔でニッコリ答えくれた。
 実際にこの貧乏神神社は同社社長の「貧乏はお金ではない、心の問題」という自身の経験から、当社に足を運んでくれた皆さんがプラス思考になるキッカケになれば嬉しい。そんな気持ちから創建されたそうだ。
 訪れる人の「貧乏神を預かってくれる」なかなか出来ることではない。エンターテイメントっぽくも見えるが、これはスゴイことだと思う。
 丸井伊藤商店
 尚、同社では色々なタイプの味噌が販売されている。一番人気は「塩分控えめ味噌」で少し珍しい甘口の信州味噌だ。
 私は関西人で、東海地方を含め甲信越地方の味噌は味が濃いといった印象を持っていたが、この味噌で味噌汁を作って食べると本当に美味しかった。家族からも「食べやすい」と大好評だった。本当におすすめである。
 最後に、私は「貧乏神神社」の存在を知った時「なんだそれ?」と好奇心の塊で足を運んでみたが、実際に来てみると学ぶべきことは多かった。結局は心の持ちようなんだ。前向きに頑張ろうと思えたからだ。
 それに、私についていた貧乏神は叩いて蹴って、散々な目に合わせて、とどめに豆を投げつけ「丸井伊藤商店」の味噌蔵の奥の奥にある樽に置いていった。もはやスッキリ爽快だ。
 最後に、もう一度言うが…
 この神社では頭を下げたり、手を合わせて拝んだらダメ。貧乏神神社は、お願いではなく、叩いて蹴飛ばして追い出すという「鬼は外、福は内」の発想だ。
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 貧乏神神社
 住所:長野県茅野市宮川4529丸井伊藤商店(味噌蔵の中)
 電話番号:0266-72-2272
 営業時間:8:30~17:15
 公式サイト(外部リンク)
 地図(外部リンク)
 旅人間
 はらぺこライター
 アメリカや東南アジア、インドなどへの一人旅、タイの首長族の村に泊まった体験談など2005年から始めたブログをキッカケに旅行サイトから声がかかる。トラベルjpでは新人賞、年間アクセス1位賞、SNSで拡散されたソーシャル賞を受賞。またグルメサイトで連載、吉本興業の公式ライターなどを経て現在に至る。 当Yahoo!ニュース エキスパートでは主観的な目線で旅やグルメをテーマに記事を書いている。
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 日本民族は、ネガティブ、ポジティブ、そしてその中間の三つが好きである。
 日本神道には、「禍転じて福となす」信仰があり、怨霊qお御霊に、貧乏神を富裕神に、死神を生神に、疫病神を治療神・薬草神にそれぞれ正反対の神に転換させ、人々に害を為す禍・災は神として祀られている。
 鬼も、嫌われる顔と好かれる顔という2つの顔を持っている。
 故に、多神教の古日本では、完全な悪・邪がないと同様に完全な善・正もない。
 そうした曖昧な民族性は、白黒はっきりさせる「二項分断を良し」とする現代日本にはない。
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 東スポWEB
 密かに閉鎖していた長野貧乏神神社 人気博した“ユニーク説法”の中身 2018年1月7日
 長野県飯田市内にあった「貧乏神神社」が閉鎖されていたことが分かった。同社は、祭主の櫻井鉄扇さんがプライベートなものとして1998年に建立したもので、拝殿の中央には、貧相な顔をしている「貧乏神」の木像が祭られていた。
 現在、貧乏神神社のあった場所は更地になっている。その入り口には「貧乏神神社は、祭主健康不良の為に閉鎖いたしました。ご理解お願いします」との看板がある。ホームページは今でも残されているが、そこに書かれている電話番号はすでに使われていない。櫻井さんを知る人に聞いてみると「櫻井さんは認知症になって施設に入った」ことだけが分かった。
 貧乏神神社は一般的な神社とはその趣が異なっていた。毎日行われていた参拝では、まず赤いバットのようなものを握って、「心」と書かれている柱を「貧乏神出ていけーーッ!」と叫びながら3回叩く。その後に「出ていけ、出ていけ、出ていけーーッ!」と叫びながら、この柱を3回蹴る。
 最後にはザルに入っている豆を握って、「貧乏神ーー、出ていけーーッ!」と叫びながら拝殿の奥にある「的」に投げつける。何も知らない人が見たら「何をやっているのだろうか?」と思ってしまうものだ。「参拝料」は100円だった。
 参拝者は老若男女幅広く、大型観光バスが乗りつけるほど人気だった。
 そして、櫻井さんの「説法」はとてもユニークなもので人気があった。
 「私たちにとってお金というのは大事なものです。ここに来て貧乏神と縁を切るのです。お願いじゃだめなんです。自分で勝ち取るのが御利益なんです。日本人は、神社に行くとマイナスのお願いばっかりですよね。『~しませんように』って。この『に』が問題なんです。お願いされた神様の方が困ってしまいます。“何かしてもらおう”と思ってはいけません。貧乏神というのは、心の中にいるんです。心の弱いときに出てくるんです。それを叩くのです」
 パワースポットでも有名となった同神社。「『貧乏』というのはお金のことではないんです。『心』の貧しい人が一番の貧乏人なんです」(櫻井さん)。生説法が聞けなくなってしまったのは残念な限りだ。
 東スポWEB
 1960年創刊の夕刊娯楽紙「東京スポーツ」を発行する東京スポーツ新聞社が運営。驚きと喜び、夢と笑いで世の中を彩る総合エンターテインメントメディア
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ウィキペディア
 貧乏神神社は、長野県飯田市にあった神社。
 歴史
 1998年(平成10年)に創建。拝殿の中央に貧相な顔をした「貧乏神」の木像が祀られており、赤いバットのような棒で「心」と書かれた柱を、貧乏神が出ていく言葉を叫びながら3回叩き、その後に再び「出ていけ」と3回叫びながら3回蹴ることでご利益があるとされていた。祭主はこの行為を参拝者自身の弱い心を叩くものであるとし、貧乏とは金銭的な貧しさではなく、心の貧しさであると説いていた。休日は観光バスなどで200人ないし300人もの参拝客が訪れた。
 2018年(平成30年)初頭までに神社が閉鎖されて社地は更地となっていることが『東京スポーツ』によって報じられた。一方で、長野県茅野市には分社が2023年現在でも鎮座している。
 また徳島県名西郡神山町では当社の影響を受け「幸福神社」が2006年(平成18年)に創建された。静岡県周智郡森町三倉地区にも「災禍転福貧乏神神社三倉分社」が創建され、さらに東京都・大阪府沖縄県にも分社が創建されたという。
 祭神
 祭神は貧乏神。愛知県・静岡県岐阜県といった近隣県からの参拝客が多かった。境内に置かれた雑記帳には疼痛の軽減や良縁・子宝に恵まれた等、参拝客からの喜びの声が多く記され、その数はゆうに200冊を超えていた。
 祭主は櫻井鉄扇。自身の過去の失敗から、自身に貧乏神が取り憑いているとして当社を創建した。夫婦で運営しており、その教祖的カリスマ性から祭主夫婦もまた信仰対象となっているとの指摘があった。当社の閉鎖は祭主の健康上の問題による。
 なお、当社は宗教法人ではなく、祭主についても特定の宗教に属していたわけではなかったという。
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