⛩49)─1─日本民族と百姓の神様。怨霊信仰と鎮守の森。~No.115No.116 * ⑩ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の百姓(庶民)は扱いづらい民草で、中華(中国や朝鮮)の家奴・小人ではなかったし、西洋の民衆・大衆、奴隷・農奴でもなかった。
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 伝統的民族宗教の人神・百姓神は、排他的で不寛容なキリスト教と反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルクス主義共産主義と対立しそして拒絶し排除した。
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・小浜領新道村等訴願(1639年):第109代明正天皇(女帝)
 庄屋・松木荘左衛門。
 松木神社…福井県遠敷郡
・福岡領津屋崎、勝浦村漁場争論(1640年)
 庄屋・作左兵衛。組頭・七良兵衛、甚兵衛、作右兵衛、孫右兵衛。
 六之神社(六社宮)…福岡県宗像郡
・秋田領上到米越訴(1645年):第110代後光明天皇
 肝煎役・遠山治兵衛。百姓・佐藤甚助。
 甚助神社…秋田県雄勝郡
佐倉惣五郎一揆(1653年)
 庄屋・佐倉宗五郎と子供4人。
 口之宮神社…千葉県佐倉市
 宗五郎大明神…長野県飯田市
・二斗八騒動、松代領越訴(1674年):第112代霊元天皇
 百姓・助弥(19歳)。
 天神社(二斗八様)…長野市
・幕領青島村検地反対(1681年)
 庄屋・川口一郎兵衛。
 礫八幡神社静岡県富士市
・仙石領釘子村越訴(1682年)
 肝煎役・昆野八郎右兵衛。
 八郎右兵衛神社…岩手県磐井郡
・上田領入奈良本村越訴(1682年)
 増田与兵衛親子3名。
 与兵衛明神社…長野県小県青木村
・加助騒動、松本領強訴(1686年)
 庄屋・多田加助。その他、27人。
 加助神社…長野県南安曇郡
丹南領板倉村越訴(1741年):第115代桜町天皇
 庄屋・堀江六之丞と妻よね。
 堀江神社…栃木県足利市
・姫路領強訴、打ち壊し(1748年):第116代桃園天皇
 参加者約1万人
 百姓・滑の甚兵衛、塩田利兵衛ら7名 死罪。遠島、5名。
 置塩神社…兵庫県飾磨郡
・西讃岐一揆(1750年)
 参加者約4万人。
 庄屋・大西権兵衛親子。百姓・甚右衛門、金右衛門、弥一郎、嘉兵衛、兵次郎。
 七義士神社(権兵衛神社)…香川県三豊郡
・西条三万石騒動(1753年)
 庄屋・村上平兵衛、高橋孫兵衛、高橋孫市左衛門。
 平兵衛神社…愛媛県新居浜市
・宝暦郡上一揆、郡上領強訴、越訴(1754年)
 百姓・籐吉、喜四郎、定次郎、四郎左衛門、由蔵ら10名。
 籐吉稲荷神社…岐阜県郡上八幡
 藩主、改易。家老3名、遠島。寺社奉行根尾甚左衛門と寺社下役片重半助、死罪。その他数十人、処罰。
・徳島領五社宮騒動(1756年)
 庄屋・山口吉右衛門山口市左衛門、後藤常左衛門、佐藤京右衛門、宮崎長兵衛。
 五社神社徳島県名西郡 
・重清騒動(1758年)
 百姓・与右衛門の妻お秀。与右衛門は自殺。 
 秀塚神社…徳島県美馬郡 
・籾摺騒動、宇都宮領強訴、打ち壊し(1764年):第117代後桜町天皇(最後の女帝)
 庄屋・鈴木源之丞、増淵六平。百姓・太郎兵衛。
 喜国神社…栃木県宇都宮市
・富山領四方浦訴願(1806年):第119代光格天皇
 町年寄・栂野彦六。
 四方神社…富山市
・平戸領可須村越訴(1819年):第120代仁孝天皇
 百姓・源三。
 源三神社…長崎県壱崎郡
・その他。
 <参考文献・『日本神社名辞典』神社新報社。『近代義民年表』保坂智。『百姓一揆総合年表』青木虹二> 
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 百姓の神社は、犯罪者を祀るがゆえに否定された。
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 鵜飼秀徳「日本全国の寺院のうち、35.6%が消滅の可能性がある」(『寺院消滅』)
 少子化によって檀家の減少と墓じまいで、浄土真宗本願寺派の寺院の約45%が年収300万円以下に過ぎない。その為に、幼稚園や保育園の経営以外の副業を行う僧侶が急増している。
 無住職となった寺院も増え、そうした寺院を維持できない本山は「寺院じまい」を始めている。
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 百姓一揆の首謀者として処刑された百姓は、百姓の英雄となり、村社会の神(人神)として祀られた。
 それが、地方・農村でキリスト教が根付かず、百姓(庶民)がマルクス主義共産主義)を排除した理由である。
 日本には、キリスト教マルクス主義共産主義)も、そして中華儒教も馴染まなかった。
 百姓(庶民)は、キリスト教が説教する「迷える子羊」や「罪深き人間」ではなかったし、マルクス主義共産主義)が叫ぶ「搾取され虐げられている人民」でもなかったし、中華儒教が唾棄する「教養なき小人」でもなかった。
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*騒動や一揆で処刑され、その後、日本の神として神社に祀られた身分卑しき百姓達。
 信仰心篤い日本人は、氏子として、偉業に関係なく、犯罪者であっても、全ての祖先を氏神として平等に神社に祀り、家の神棚で神の裔・天皇の祖先神と共に敬っていた。
 百姓は、御上の言う事は信用せず、自発的に考え、責任から逃げる事なく、主体性を持って行動した。
 日本の百姓は「庶民」であって、大陸の支配階級から鞭で打たれる下層階級である「民衆(ピープル=被支配者)」ではなかった。
 日本の庶民とは、マルクス主義による階級闘争の人民ではないし、資本家・ブルジョアと対立する労働者・プロレタリアでもない。
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 百姓一揆の首謀者として処刑された重罪人の怨霊を鎮める為の人神神社は、御上に対する百姓の声なき意思表示であった。
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 処刑された百姓を神として祀ったのは怨霊信仰からである。
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 江戸時代、全国で約3,200件の一揆が起きていた。
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 江戸時代までの日本の神々に神格を与えていたのは、祭祀王・天皇のみである。
 祭祀王・天皇の皇統は、天孫降臨神話に基づく神の血縁をもって正統な後継者とされている。
 神の裔である天皇が神としての位を与えなければ、日本の正式な神とはされなかった。
 最高の格式を持つ神は、稲荷神社に祀られている正一位の「キツネ」であった。
 天皇制度を廃止すれば、神の裔・天皇が承認した日本の神々は消滅する。
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 キリスト教会などの一神教は、神に神格を与える天皇の神性を否定し、人を神として祀り崇拝する事にも猛反対した。
 功績を挙げた偉人でもなく、ましてや罪人として処刑された庶民を人神として祀る事が理解できなかった。
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 皇室神道神社神道も元を辿れば、数千年前の弥生時代古墳時代から始まり、その原型を遡れば数万年前の石器時代縄文時代にあった。
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 仁徳天皇「私はすっかり富んだ。民が 貧しければ私も貧しい。民が豊なら私も豊ななのだ」(かまどの逸話)
 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。 
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 紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性世襲男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
 日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
 ゆえに、日本民族日本人は天皇・皇族・皇室、国體=天皇制度を守る為ならば死を厭わず、武器を取って戦った。
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 皇室の血族優先(ネポティズム)は、血縁・地縁による依怙ひいき、縁故、身びいきとは違う。
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 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
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 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
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 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
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 日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
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 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
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 日本民族の言霊信仰とは、民族中心神話に基ずく自然崇拝であり、宗教的精神的な自然への畏怖つまり畏れと敬い事である。
 それは、数千年前の弥生時代古墳時代から断絶する事なく繰り返されてきた正統世襲男系父系天皇による一子相伝宮中祭祀、さらには数万年前の石器時代縄文時代からの日本民族が受け継いだ自然の精霊と生命の永遠に対する崇拝宗教につながっている。
 日本民族伝統宗教とは、精霊崇拝宗教、八百万神の神話宗教、祖先祭祀宗教であって、信仰宗教、啓示宗教ではない。
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 小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
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 靖国神社の心・志・精神は、戦前の軍国日本にはあったが、戦後の平和国家日本にはない。
 が、1980年頃まではあったが、1990年以降から消え始め、2020年以降には消滅した。
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 諫山創「人はいずれ死ぬ。ならば人生には意味がないのか?死んだ仲間もそうなのか?あの兵士たちも、無意味だったのか?いや違う‼あの兵士に意味を与えるのは我々だ‼あの勇敢な死者を‼哀れな死者を‼想うことができるのは生者である我々だ‼我々はここで死に、次の生者に意味を託す‼」(『進撃の巨人』)
 同じ自殺行為といっても、カミカゼ特攻とイスラムテロリストの自爆テロとは根本的に意味が違う。
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 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
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 H・P・ラヴクラフト「人類の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である」
 人類は、恐怖に打ち勝つ為と真理を究める為に宗教を編み出した。
 最強の恐怖とは「死」であり、究極の真理とは「生」である。
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 マンガ「アシュラ」 原作 ジュージ秋山
 私は お前に教えられた。
 それは
 命喰らわずして生きられぬ人の性(さが)である。
 海に生まれた命を奪い
 野山に育つ命を奪い
 人は生きて行く。
 罪を背負い
 それでも与えられた命の限りを生きようとあがく。
 だからこそ 
 この世は美しい。
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 石原慎太郎「(靖国神社参拝について)根本を云えば、民族としての〝垂直の情念〟をどう認識するかということなんだ。国の礎として斃(たお)れた死者の存在を抜きにいて今生きている我々の価値観だけで国家民族の命運を決めていいのか。その慮(おもんばか)りと畏怖が今の日本人にはない。
 〝死者の不在〟ということを強く感じるね。今の日本には死者の居場所がない。それぞれの家庭を見ても仏壇なり、神棚なり、壁に掛けた写真でもいい、死者たち、亡くなった両親や祖父母、曾祖父さんや曾祖母さんの占める場所があるかね。核家族が当たり前になって家の中で身内の死を見取ることもない。死は病院の中にしか存在せず、家の中には生者しかいない」
 「靖国参拝は政治じゃないんだよ。参拝は殊更(ことさら)なことじゃないし、褒められる事でもない。ただある少年の日に米軍機を追撃して私を守ってくれた、芋畑で仰ぎ見た戦闘機のパイロットがそこにいるかもしれず、確かなことは女房の親父や多くの親戚が私にとってあそこにいるといことなんだ」
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