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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本民族は、人を呪い殺した怨霊を御霊にすり替えて崇拝していた。
日本神道においては、災いや不幸をもたらす疫病神、貧乏神さらには死神さえも敬うべき神様であった。
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2024年4月8日 YAHOO!JAPANニュース mi-mollet(ミモレ)「この春、絶対に「縁切り」したい人必見! 日本三大怨霊の「崇徳天皇」への参拝をすすめる理由
良縁祈願だけでなく、なんとか「悪縁」を断ち切りたい、と願う人も少なくないのではないでしょうか。わずわらしい人間関係、直したい自分の悪い習慣など……断ち切りたい「ご縁」は様々かもしれません。
そうした、人にはなかなか打ち明けづらい「縁切り」の願いを叶えてくれる神様を教えてくれるのが、社会心理学者にして神社参拝のスペシャリストでもある八木龍平さんです。著書『愛される人はなぜ神社に行くのか?』では、絶対に縁切りしたいときにおすすめの神様と神社を紹介! 知っておきたい参拝の基本とあわせて、本書から特別に紹介します。
「絶対に縁切りしたい!」なら崇徳天皇
ひとり思い詰めた顔をして参拝する人をよく見かける神社があります。
「縁切り」で知られた神社です。
人のご縁は結ぶだけでなく、切ることを迫られるときもあります。深刻なケースもあり、大っぴらに話せないことも多いですが、縁切りを願う人は少なからずいます。
「人の縁を切るって、一体どんな神様が担当されているのだろう?」
京都市内に縁切り神社の代名詞・安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)があります。ご祭神を見て、納得しました。日本三大怨霊のおひとり崇徳(すとく)天皇です。父の鳥羽天皇に嫌われた不遇の天皇として知られ、鳥羽天皇が法皇となって最高権力者の時は意地悪をされ続け、鳥羽法皇が崩御した直後、鳥羽法皇に優遇された後白河天皇に戦争をしかけられて負け、讃岐国(今の香川県)へ流罪になります。天皇・上皇の配流は、およそ四百年ぶりの出来事で、二度と京の地に戻ることなく、崩御されました。そりゃ恨みますよね。
安井金比羅宮の起源は、崇徳天皇が上皇になってよく訪れていた藤寺(ふじでら)です。上皇は藤寺に寵愛していた女官を住まわせ、たびたび訪れていたのです。上皇が讃岐国で崩御すると、悲嘆にくれた女官は出家して尼になり、上皇自筆の尊影を藤寺の観音堂に奉納し、墓を築いて遺髪を埋め日夜ひたすらお経を読んだとか。その後、ある僧が参拝すると上皇の霊があらわれたことから、崇徳上皇を流罪にした後白河法皇の命で崇徳上皇を祀る寺が建立され、明治時代より安井神社になりました。
怨霊は、災難を避ける厄除けや縁切りの神様に
怨霊を祀る神社は、かつてひどいことをした相手を神様に祭り上げて、「どうか祟らないでください」と、怒りの心を鎮めていただくようお祈りする場所です。崇徳天皇は生前、悪意ある意地悪をされ続けました。神様になると、生前の挫折や苦しみが逆転してご利益になります。怨霊なら災難を避ける厄除けや縁切りの神様として人々に頼られます。崇徳天皇は三大怨霊ですから、最強の厄除け・縁切り神でしょう。
崇徳上皇が讃岐国に配流された時に金毘羅権現(通称こんぴらさん)を信仰したことで、こんぴらさんの総本宮・金刀比羅宮(ことひらぐう)や前述の安井金比羅宮で、崇徳天皇がこんぴらさんと一緒に祀られています。
「怨霊の神社に参拝するなんて、ちょっと怖い……」
ご安心ください。崇徳天皇が恨んでいらっしゃるのは、鳥羽天皇や後白河天皇およびその一派なので、あなたを恨んではいません。
「崇徳天皇って普通の人間だよね。なのに神様っておかしくない?」
神道の神様は2タイプいて、自然神とご先祖さまです。自然神は太陽や月、風、土、海、山、水など自然物です。一方、ご先祖さまは普通の人間です。同じ人間の大先輩だからこそ、我々の悩みや苦しみに共感し、希望を理解してくれます。また我々の方が神様に共感し、「崇徳天皇は私みたいだ!」と神様に自分を投影したりもします。
「崇徳天皇」をお祀りする神社は?
人からの嫌がらせや人間関係のトラブルを断ち切るのに、崇徳天皇の冷気のようなエネルギーがサポートします。あなたの悪縁や大事な人が困っている悪縁を、こっそり断ち切りましょう。
悪縁を断つと、金運など運気全般上昇しますので、何もなくとも定期的に縁切りするのが良さそうです。
<崇徳天皇をお祀りする神社>
●虎ノ門 金刀比羅宮(東京都港区虎ノ門1丁目2‐7)
●安井金比羅宮(京都府京都市東山区下弁天町70)
●白峯神宮(京都府京都市上京区飛鳥井町261)
●金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町892‐1)
●崇徳天皇宮(香川県香川郡直島町618)
難しい決まりや作法は何もない――参拝の基本
ひとり神社仏閣参拝なんかもおすすめですね。
そこで参拝の基本についてお伝えします。
私はお寺よりも神社の方がくわしいですが、まず特に決まりやルールはありません。神社もお寺も、かつては字の読めない人たちが沢山参拝していましたから、難しい決まりや作法は何もないのです。
手を合わせて、頭を下げる。これが神仏への祈りの基本です。
浄土宗・浄土真宗なら、手を合わせて「南無阿弥陀仏」と(心の中で)唱えればそれで十分です。ただ一心に「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽往生すると浄土宗の開祖・法然は主張しました。他のことはしなくとも、ただひたすら南無阿弥陀仏を唱えればいいというわけですね。
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