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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
札幌神社は、国家神道として明治2(1869)年に創建された新しい神社であった。
札幌神社とは、北海道(アイヌ人の土地)入植和人を加護する為の開拓神社であり、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略を神の力で粉砕する尊皇攘夷神社であった。
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札幌神社は別名・北海道神社で、現代では明治天皇を合祀して北海道神宮と改称された。
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現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力そして宗教力が乏しいか、歴史嫌い・宗教嫌いから全くない。
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2021年9月23日 MicrosoftNews ダイヤモンド・オンライン「北海道在住なら一度は行っておきたい北海道一の神社
© ダイヤモンド・オンライン 提供 Photo: Adobe Stock
私たちの生活には、いろいろなところで神様の存在を感じられることがあります。身近なところでは、「初詣」。受験生なら「合格祈願」。ビジネスパーソンなら「商売繁盛」。名だたる経営者も、日本の歴史をつくった戦国大名や歴代天皇も、神様を信仰し、力を借りて成功を収めてきました。漫画やゲームのキャラクター名でつかわれていることもあります。もしかしたら、ヒットの要因は、神様のご利益かもしれませんね。
日本には、八百万(やおよろず)の神様がいると言われています。膨大な神様の中から100項目にわたって紹介する新刊『最強の神様100』には、古代から現代まで、めちゃくちゃ力のある神様が登場します。最強クラスの神様なので、ご利益も多種多様。
今回紹介する神様はオオナムチ・スクナビコナのコンビです。オオナムチは出雲大社に祭られている神様オオクニヌシの別名であり、スクナビコナは一寸法師のモデルとなったといわれています。北海道開拓の守護神でもあり、北海道在住なら一度はご参拝ください。
日本国をつくった凸凹コンビ
日本の国づくりの神といえば、オオナムチ(大己貴・大那牟遅)と小人神スクナビコナ(少彦名)の大小コンビです。スクナビコナはカミムスビの子で、一寸法師のモデルとしても知られます。日本書紀などによれば、両神は全国を回り、人間と動物の医療、農業における鳥獣害・虫害対策、温泉治療、酒造りなどを伝え、国の基礎を築きました。医薬品業界や酒類業界からの信仰は現代でも篤いものがあります。
オオナムチはオオクニヌシの別名。それをまた紹介するのは、オオクニヌシはいろいろな神様が合わさってできているようだからです。
オオナムチの名は、スクナビコナとのコンビで、多くの文献・伝承にて語られています。「大+ナ」「少+ナ」と明らかにセットで、国づくりの神はこの大小コンビなのでしょう。
もし「経営の神様」を選ぶなら、オオナムチ・スクナビコナでしょう。日本書紀によると、両神は心をひとつに力を合わせて「経営天下」、つまり天下を経営しました。国づくりとは天下をつくることで、両神は経営者のお手本です。それだけに歴代の天下人は、両神を篤く信仰しています。
私が神社を「仕事」としてお伝えするようになったのは、両神を含む開拓三神と明治天皇を祭る札幌市の北海道神宮がスタート。それまではただ趣味で神社が好きなだけでしたが、突然パワースポットの旅行ガイド制作の依頼がきて、「北から順に書こう」と参拝したのです。両神は、北海道開拓の守護神で、「始めたことを形にする」「事業を発展させる」ご利益があります。私の神社関係の仕事も、おかげさまで発展しました。
他に両神を祭るのは、茨城県ひたちなか市の酒列磯前(さかつらいそさき)神社、東京都千代田区の神田神社(神田明神)、和歌山市の淡嶋神社などがあります。事業発展や、長所を伸ばし、欠点をカバーする、そんなお互いを補い合える人間関係のご利益を期待できるでしょう。
【主なご利益】商売繁盛、身体健全、立身出世
【こんな人にオススメ!】
起業家や経営者、何か事業を起こした人
*本原稿は、八木龍平著『最強の神様100』からの抜粋し、再編集したものです。
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日本の歴史における北海道は、江戸時代からはじまる。
日本・徳川幕府とロシアの蝦夷地・北方領土を巡る対立は地球規模の世界史的意味があった。
日本の戦争は、祖国防衛の積極的自衛戦争であった。
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徳川幕府は、1800年代後半からロシアを日本を侵略してくる敵と認識し、日本を防衛する為に蝦夷地(北海道)と北方領土を国防の最前線として軍隊を配備していた。
水戸藩や吉田松陰・宮部鼎蔵ら尊皇攘夷派・勤皇派は、野蛮な夷狄の軍事侵略と日本人を奴隷にした非人道的キリスト教の宗教侵略から天皇・神国を守るべく北へ走っていた。
つまり、攘夷の敵は、アヘン戦争に勝利したイギリスやアメリカなどの西洋ではなくロシアとキリスト教であった。それ故にオランダを通じてキリスト教抜きの西洋を受け入れていた。
日本側の最大の懸念は、日本とロシアの間で生活する数万人~十数万人のアイヌ人(アイヌ民族)の動静であった。
ロシアはアイヌ人を野蛮な人間以下の獣と認識し、千島列島を戦場にする為にアイヌ人達は邪魔者と判断し、千島列島に住んでいたアイヌ人達をカムチャッカ半島に強制移住させて無人の島にかえた。
ロシアが千島列島を南下したのはラッコ猟による高価な毛皮を収穫する為であったので、ラッコがいない樺太には興味がなかった。
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当時のロシアが国家的最重要な課題としていたのは、アラスカ開発と北米大陸の植民地化で日本をその為の補給基地・軍事基地にする事であった。
ゆえに、ロシアはアジア・中国への侵略には消極的で、日本へは水・少量・資材確保の交易が目的であって不凍港を求めての南下ではなかった。
結果的に、ロシアのアラスカ開発と北米大陸の植民地化という国家計画は、徳川幕府の頑迷な拒絶で失敗してアラスカを失った為に、アジア・中国への侵略に本腰を入れ軍隊を派遣した。
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日露戦争は避けられない戦争であった。
日露戦争は避けられた戦争であったと主張する現代日本人には歴史力がなく歴史が理解できない為、彼らの話を真に受けて聞くとさらに無能・バカになる。
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北海道神宮社務所
所謂的神道(中国語翻訳)
神道は自然の信仰に由来するので、「人間と神との共存は従うべき道」と言えます。古代人は、人間の知性が理解できる存在(御魂)を超えて神として崇拝しました。そして、神々の存在は、日本のことわざ「八百万の神」で述べたように、非常に多く存在します。神社の原型は、神宮の「御魂」が存在する聖域と俗世を区別するために作られています。
所謂的神社
神社では自然神と人間神を祭る。神社の特徴は、中庭の入り口に鳥居(境内)があり、聖職者や魔女(神社で聖職に従事する未婚の女性)がいます。比較的、寺院では仏像が奉献されていますが、仏教の伝来から江戸時代まで、神仏が調和し、2つの信仰が混じり合った時期なので、一部の寺院には「鳥居」があります。
日本人の生活、文化、神社の間には密接な関係があります。
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ウィキペディア
北海道の神社の歴史
本項では北海道の神社、神社行政について、主に歴史的な観点から概説する。
明治の神仏分離以前は神道と仏教は混淆しており、古い寺社について仏寺と神社を明確に弁別することはできない。例えば現在は厳島神社と称する神社の多くは、仏教的な弁天堂や弁天社と呼ばれていた。後述する脇澤山神社の鰐口には弥陀信仰の銘が刻まれている。
ここでは神仏分離後に神社として存立したものを神社とみなし、神仏分離以前のものについても「神社」と表現する。
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北海道神宮は、北海道札幌市中央区にある神社(神宮)。円山公園に隣接する。1964年(昭和39年)までは札幌神社。旧官幣大社であり、現在は神社本庁の別表神社。また、全国一の宮会より蝦夷国新一の宮に認定されている。
概要
北海道の開拓当時樺太・千島に進出を進めていたロシア帝国に対する守りということで、大鳥居が北東を向いている。末社である開拓神社には間宮林蔵などの北海道開拓の功労者が数多く祀られている。
北海道神宮崇敬奉賛会がある。
『北の志づめ』という小冊子が社務所から発行されている。
祭神
大国魂神(おおくにたまのかみ)
大那牟遅神(おおなむちのかみ、大国主命〈おおくにぬしのみこと〉の別名)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
明治天皇(めいじてんのう)
開拓三神
北海道の開拓は明治初年から懸案事項となっていたが、開拓にあたって、明治天皇は北海道鎮護の神を祭祀するよう勅を発した(明治2年9月21日)。北海道開拓の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の開拓三神が奉遷されることになった。北海道鎮座神祭が行われ、開拓長官の東久世通禧以下23名らが参列した。神祇伯中山忠能によって祭祀が行われ、三面の神鏡が東久世通禧に託された。
仮社建設まで
これより古く、安政4年(1857年)から福島出身の早山清太郎が札幌に住み着いていた。早山清太郎は豊平街道と元村街道の辻に小祠を建て、周囲からは当時一般的な山神を祀るべきだと言われるにもかかわらず、出雲神を祀っていた。
札幌に着任した島義勇は、明治天皇から預かった開拓三神を既に早山清太郎が札幌で祀っていたことに感銘を受け、1870年(明治3年)5月に北海道 (令制)石狩国札幌郡の創成川河畔に仮社殿を造り、官舎から神代を移して開拓神勅祭社とし、北海道一宮と称した。
札幌神社の成立
1871年(明治4年)6月14日に勅旨によって札幌神社と命名され、国幣小社に列せられた[8][4]。当時の東久世通禧の日誌によると、明治天皇の勅命によって奉斎されたことから、札幌神社は勅祭社と同様の扱いとされた。
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明治天皇は、北海道の開拓と守護の為に出雲系神(大国魂神、大国主命、少彦名)を奉遷した。
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現代日本の歴史教育は、ロシアの日本侵略と蝦夷地、北方領土、アイヌ人を現実・事実に基づいて正しく評価していない。
それどころか、アイヌ人を日本民族とは血の繋がらない別種の先住民族とし、アイヌ人の目線から和人(日本国・日本民族)を侵略者・犯罪者と子供達に教えている。
悪いのは加害者である日本国と日本人で、アイヌ人は良い人・善人で被害者である、と。
その象徴が、明治2(1869)年に北海道開拓の鎭守として創建された札幌神社である。
昭和39(1964)年に、昭和天皇は、北海道開拓を勅許した明治天皇を合祀して北海道神宮に改称した。
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天皇家・皇室にとって、南の沖縄と北の北海道・北方領土4島には重要な意味がある。
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北海道と北方領土4島を日本国土としてロシアから死守する為には、土地勘のあるアイヌ人を味方にする事が絶対条件であった。
それは、南の沖縄でも同じ事で、琉球人が敵に味方して日本を攻撃してくれば沖縄は奪われた。
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現代の日本人には、北方領土4島全島を取りもどそうという本気度は少なく、2島だけでも構わないという妥協案を抱く日本人さえ存在する。
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日本の近代化は、北から侵略してくるロシアから日本国・日本民族そして日本天皇を軍事力で防衛する為の国家改革であった。
ロシア軍の物理的侵略を撃退する為に、東北諸藩の派遣兵士に替えて旧武士団の屯田兵及び庶民志願者の開拓団を蝦夷地・北方領土に送り込んで半永久の防禦陣地を築いた。
日本の屯田兵・開拓団は、北米大陸やオーストラリアなどへの先住民からの国土強奪目的移民ではなかった。
ただし、先住民であったアイヌ人が日本と共にロシアと戦ってくれるのか、ロシアの味方して日本を攻撃するか、それが判断できなかった。
キリスト教(ロシア正教)の精神的侵略を撃退する為に、国家神道として札幌神社を創建し、屯田兵・開拓団らの地域神社創建を促した。
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アイヌ人にとって、日本政府の蝦夷地開拓と国土防衛は生活圏を侵害する犯罪行為であった。
明治新政府は、ロシアの侵略に備えて、アイヌ人に対する土人保護法を制定した。
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徳川幕府や当時の日本人がキリスト教を怖れ嫌ったのは、中世キリスト教会が白人キリスト教徒商人の日本人奴隷交易を仲介して布教活動費を稼いでいたからである。
それ故に、ロシアとキリスト教に対する尊皇攘夷運動が下級武士や庶民(百姓や町人)・賤民・部落民・芸能の民など貧しい下層民の間に広がり、彼らが天皇崇拝の狂信的な尊皇派・勤皇派となり祖国防衛戦争を訴えた。
幕府・大名・上級武士、豪農・豪商らは、日本を崩壊させる対ロシア戦争の原因となる尊皇攘夷運動には反対もしくは消極的であった。
開国派の井伊直弼は、対外戦争を防ぐ為に、安政の大獄で天皇を担ぎ出そうとした尊皇攘夷派を弾圧した。
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明治維新、戊辰戦争は、ロシアの侵略に対する日本防衛選択戦争であった。
佐幕派は、徳川将軍家を中心とした地方分権の諸大名連合体制国家を目指していた。
倒幕派は、近代天皇を中心とした挙国一致の中央集権体制国家を目指した。
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日本が教訓とすべきは、清国の中国ではなくムガル帝国のインドであった。
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明治新政府は、日露戦争において軍国主義中央集権体制と国民軍=日本軍は戦力差のあるロシアの大軍と一ヵ国で孤独に戦い、苦しい戦争の末、夥し犠牲者を出しながら辛勝(しんしょう)し、ロシアの侵略から日本を守った。
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見方によっては狂信的な尊皇派・勤皇派は天皇主義テロリストであったが、だが、世界の、現代の宗教テロリストと違っていたし、共産主義のイデオロギー革命家とも違っていた。
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江戸時代後期。ロシアは、極東アジアに領土を広げ新たな植民地を獲得し、太平洋へ侵出するべく日本に侵略してきた。
徳川幕府は、ロシアの侵略から日本を守る為に、東北諸藩に蝦夷地と北方領土・樺太南部への派兵を命じた。
ロシアは、ナポレオン防衛戦争とオスマン・トルコ侵略戦争に主力軍隊を派遣していて日本侵略に差し向ける軍隊がなかった。
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反日派・敵日派の清国(中国)と李氏朝鮮は、極秘にロシアの日本侵略に賛同し協力していた。
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