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魚食ホモ・サピエンスにとって、魚介類の種類と数量が豊富な日本近海は理想的な漁場で、日本列島の山野でも食べられる動物や植物も溢れていて、命を賭けて食べ物を奪い合う競争相手は少なく、弱肉強食の頂点に立つ大型捕食獣はクマ以外になく、日本は安心・安全な天国の様な「神の島」であった。
ゆえに、魚食文化とは惟神の道である。
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日本民族の伝統的和食・日本料理は、揚子江流域=南中国(長江文明)、東南アジア、南アジアなどの海洋を経由してアフリカのホモ・サピエンスの魚食に繋がっている。
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日本の魚食文化のルーツは、朝鮮、黄河流域=北中国(黄河文明)、シベリアなどの北東アジアやバイカル湖、中央アジアなどの草原大陸にはない。
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2021年2月25日号 週刊文春「文春図書館
私の読書日記
鹿島茂
ホモ・サピエンスと魚食
×月×日 世界的ベスト・セラーになったユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』のバンド・デシネ(漫画)化がフランスで進んでいるという話は聞いていたが、こんなに早く日本語版『漫画サピエンス全史 人類の誕生編』(原案・脚本ユヴァル・ノア・ハラリ 脚本ダヴィッド・ヴァンデルムーレン 漫画ダニエル・カザナヴ 安原和見訳 河出書房新社 1,900円+税)が出るとは思わなかった。ただし、『ハラリ原案・脚本』とあるように、原書に基づいたメタ物語化といったほうがいい。つまり『サピエンス全史』の内容をハラリ自身が、ときに姪のゾーイに向かって語ったり、生物学者のサラスワティ先生の教室を訪ねたり、あるいは『先史時代人ビル』というバンド・デシネを劇中劇として用いたりして、ナラティブを多角化しているのだ。とくに興味深いのは、原作の核に当たる《認知革命》を図解するのに、アフリカ系のスーパーウーマン『虚構博士(ドクター・フィクション)』が宇宙から飛来して解説を加えるところだ。
『サピエンスが世界を支配してるのは、自分で生み出した虚構を信じるなんて、そんな動物がほかにいないよ』『みんなが同じ虚構を信じていれば、同じ規則に従うことができるわけ』。たしかにこのように図解されると、国家、宗教、金銭、法人も『虚構』であると理解できるような気がする。
では、その『虚構』をホモ・サピエンスがどうやって作り出したのか?この根源的疑問についてハラリは原書と同じく『たまたま遺伝子の変異が起こって、脳の配線が変わったんだろね』と答えるだけで、『科学ではわからないと認めほうがいいんですよ。虚構を作り出すより』と科学者らしい態度に終始している。
私のような漫画リテラシーに乏しいオールド・ジェネレーションにはけっこう読むのに時間がかかるが、若い人には読みやすいかもしれない。卒業・入学おお祝いに最適である。。
×月×日 『サピエンス全史』の冒頭に掲げられた歴史年表では250年前にアフリカでホモ(ヒト)属が進化して200万年前にアフリカを出てユーラシア大陸に広がったのが第一段階で、第二段階は20万年前に東アフリカで進化したホモ・サピエンスが7年前に認知革命を起こしてユーラシアに進出したという大まかな見取り図が示されるが、これに異を唱えるのがニホンザルの研究者として知られる島泰三の『魚食の人類史 出アフリカから日本列島へ』(NHKブックス 1,400円+税)。
筆者が注目するのは霊長類が魚を食べる例はごくまれであるのに対し、人類の元祖であるホモ・エレクツスはトゥルカナ湖の遺跡から魚を食べていたことが確認されていること。この魚食がDHAやEPAを増加させ、ホモ・エレクツスの脳容量を拡大させたのではないかというのが第一の仮説である。
第二の仮説は、ホモ・エレクツスの後裔であるネアンデルタール人についてのもの。ネアンデルタール人は大型草食獣はおろかライオンなどまで投げ槍を使わずに捕獲する『陸の王者』だったが、魚を食べていた痕跡がほとんどない。著者はこうした食生活がネアンデルタール人絶滅の原因ではなかったかと推測する。すなわち、ネアンデルタール人は魚食をしていなかったため、最終氷期の寒冷化による大型獣の減少で絶滅したのだと。
これに対してホモ・サピエンスは肉食のほかに魚食も行っていたおかげで最終氷期も生き延びることができたのだ。これが第三の仮説である。ホモ・サピエンスのサバイバルは動物の中で唯一魚好きのヒグマのそれとパラレルな関係にあるという。
『ホモ・サピエンスの食性はヒグマと似ているが、ヨーロッパで最終氷期を生き残った大型食肉獣はそのヒグマだけで、これを「ベアーケース」と呼ぶ(注略)。そして、そのクマとほとんど同じ食性をもつホモ・サピエンスもまた最終氷期を生き残ることができた』
では、クマと似たホモ・サピエンスの食性はどれくらい遡るのか?しかし、その前にホモ・サピエンスの起源を探らなければならないが、最近の研究ではホモ・サピエンスの誕生はハラリの想定している20万年前よりもはるかに古く、35万年前に遡るらしい。居住地域もアフリカ全域だったと考えられるが、だとすると、ホモ・サピエンスはホモ・エレクツスと重なる時代に生き、生活地域も重複していたことになる。にもかかわず、ホモ・サピエンスが競合に勝ち抜いてサバイバルできたのは、これまた魚食のおかげだったのだ。つまり、ワニを主食としていたホモ・エレクツスと異なり、ホモ・サピエンスが魚食に特化したことがサバイバルを導いたのである。
『華奢(きゃしゃ)であったホモ・サピエンスは、体格では太刀打ちできないホモ・エレクツスたちにワニ猟や大型哺乳類の狩猟を任せ、自分たちはより安全な小型獣や鳥類、そしてもっとも安全な魚介類を主食とする方向に進んでいったのではなかったか』
この第四の仮説を支えるのは19万年前のエチオピア南部オモ河の遺跡で、そこではじつは多様な魚の骨が発掘されているのだ。
『少なくとも、ホモ・サピエンスがことさら水辺や水中を好んだことはわかる。ホモ・エレクツスのように重い構造の骨や筋肉の塊のような体では難しかっただろうが、華奢な身体であれば泳ぐことは可能だ』
ホモ・サピエンスが裸であることもこれで説明がつく。ただし裸という不利を逆に生かすように適応が行われたと考えたほうがよい。
『ホモ・サピエンスは、ダーウィン流の淘汰による最適者の保存を行う保守的「進化」というよい、華奢な骨格や裸の皮膚という不適応形質を乗り越えるための不断の苦闘を経て、水辺の生活と魚食というホモ・エレクツスやネアンデルタール人と競合しない新ニッチの創出に至ったと考えるべきである』
このように、魚食と水辺生活がホモ・サピエンスのサバイバルの原因という観点に立てば、7万年前のホモ・サピエンスのアフリカからの脱出も見事に説明できるのである。
『スマトラ島のトバ大噴火と同期する7万年前から始まり最終氷期に、アフリカの気候は激変し、大地溝帯のヴィクトリア湖やタンガニーカ湖周辺さえも乾燥地帯となった』
乾燥で魚が採れなくなったアフリカの環境はヨーロッパよりも厳しかったが、唯一、紅海(こうかい)につながるエチオピア高原の熱帯棘藪林がこれを免れていた。つまり、7万年前にホモ・サピエンスは魚を求めてエチオピア高原から紅海へと逃れ、そこからユーラシア大陸の海岸沿いに拡散を開始したにちがいない。
ここでユヴァル・ノア・ハラリの7万年の認知革命説への疑問が呈(てい)されることになる。
ハラリはホモ・サピエンスのオーストラリア大陸は4万5000年前というが、スティーヴン・オッペンハイマーによるとそれは6万5000年前まで遡るという。
『つまりホモ・サピエンスのニューギニアとオーストラリアへの進出は、東アジアへの進出と同じほど古かったはずである。ハラリのいう「認知革命」がこの時代に本当に起こったかどうかはここでは問わない。だが、このことは少なくとも彼らがすでに舟か遠洋航海用の筏を知っていたことを意味している』
ホモ・サピエンスはほとんど無限に存在する魚に魅せられて筏や丸木舟で大洋に乗り出したのだ。
『これらの海上移動手段の開発によって、人類はそれ以前にはとうてい到達できなかった未知の大陸や島々への道を切り拓いたのである』
ハラリの認知革命説も魚食がホモ・サピエンスのDHAやEPAを増加させたと考えれば島泰三に接続可能ではなかろうか?」
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生物界における生存の大原則は、競争相手が嫌って食べない物を食べ、競争相手が嫌がって住まない所に住む事である。
同じ所に住んで同じ食べ物を食べる時、力強い者が独り占めし、非力な弱い者はそのお零れにあずかるしか生きられない。
つまり、弱者が生き残る術は「ニッチ」戦略として、痩せ衰えた不毛に近い土地に逃げ、乏しくまずい食べ物を僅かに食べて命を繋ぐ事である。
ニッチ戦略は、征服者・遠征者、冒険者・開拓者のフロンティア・スピリットではない。
弱者・敗者が生きる上で大事な事は、「自分は負け犬」と卑下し卑屈になる事ではなく、「自分は弱い」と自覚し「死中に活を求める」行動に出る事である。
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日本列島に流れ着いた日本民族とは、強者ではなく弱者であった。
日本食における多様性とは、弱者が生き残る為に選び抜いた食材である。
それ故に、和食文化は敗者・弱者の食事として、欧米や中華(中国)の勝者・強者・王者を饗応する豪華絢爛とした食事に比べて見劣りするほど貧乏臭い。
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