関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
滅びの美学と朽ち果てる美学。
・ ・ ・
朝倉宗滴(1477〜1555年)「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」
幕末から明治新政府樹立まで活躍した勤皇の志士や尊皇派浪人の大半が、二本差しの下級武士か一本差しの百姓や町人や博徒上がりの剣豪であった。
・ ・ ・
現代の日本人は、江戸後期・幕末・明治維新を命を賭けて戦って生きた武士・サムライ・浪人でもなければ庶民とも違う。
武士・サムライ・浪人そして庶民が命を捨てても守ろうとしたのは、天皇であり、民族であり、国(領土・領海、離島)であった。
・ ・ ・
*幕末の江戸には剣術道場が大小合わせて約600ほど存在していた。
剣術修行をしたのは、特権階級の上級武士ではなく、差別され虐げられてきた下級武士や庶民達であった。
明治新政府樹立まで活躍した勤皇の志士の大半が、百姓や町人上がりの剣豪であった。
・千葉周作…獣医の次男‥北辰一刀流
・斉藤弥九郎…越中国射水郡仏生寺村組頭の子‥神藤無念流‥靖国神社
・清河八郎…出羽の百姓‥靖国神社。
・近藤勇…武州の百姓。若年寄格。
・ ・ ・
身分が低い者ほど、天皇への忠誠心と皇室への尊崇の念が強かった。
天皇と皇室は、社会の底辺で生活する卑しい貧困階層によって守られてきた。
社会的に差別されていた者達が、天皇と皇室の守護者であった。
・ ・ ・
勤皇の志士・尊皇の浪士である下級武士や百姓・町人・博徒が起こした明治維新は、外敵の侵略から祖国日本を護るべく国民皆兵とすべく四民平等を成し遂げた。
大名や公家、中級以上の武士が明治維新を行っていたら、徳川家康が作った身分制度は廃止される事なく存続していた。
・ ・ ・
甲野義紀「幕末の道場では、竹刀と防具を用いた打ち合いが主流となり、熟達しても、真剣勝負の場では怯んで力が発揮できない者も多かったようです。竜馬暗殺犯といわれる京都見回組の今井信郎(直心影流)は〝真剣勝負では、免許や目録を得た者を斬るのは容易〟という言葉を残したほどです」
・ ・ ・
・伊藤博文…父親は小作人で足軽・伊藤家の養子となる。夫人は、芸者。初代内閣総理大臣。束荷神社。
・吉田稔麿…足軽の子。幕府と戦う為に、被差別部落の若者を集めて屠勇隊を組織した。靖国神社。
・大村益次郎…周防の村医師‥靖国神社。
・ ・ ・
エタ・非人の俄浪士達は、本物の武士を殺せるとあって容赦なく殺した。
戦いで死んだ俄浪士達は、靖国神社の祭神として祀られた。
明治維新政府は、俄浪士達を闇から闇へと葬った。
1976年 萩の乱。
1878年 竹橋事件。近衛兵の一部による反乱事件。
・ ・ ・
薩摩や長州の下級武士や百姓・町人出身の浪人達は、明治政府の役人や軍人となって権力を手にして栄達した。
・ ・ ・
土佐藩の郷士は、長宗我部家の家臣で、百姓町人と区別する為に名字帯刀を許して武士の身分を認めた、
藩を出れば土佐藩士として扱われたが、藩内では上士から「肥(こえ)臭い郷士」と差別され、百姓町人からも中途半端な存在として見られていた。
土佐藩は、郷士に俸禄を与える余裕がなかった為に役人となれば多少に手当を出した。
郷士は、俸禄も役料も当てにならない為に、農業や商業で稼いでいた。
薩摩藩は、石高から俸禄を与えた武士を上士として城下に住まわせ、俸禄を与えられない武士を下士として郊外に城構え村落「外城」に住まわせた。
下士は、役職についても役料が低い為に、家族の食い扶持を農業で稼いでいた。
同じ武士と言っても、薩摩の下士は島津家の家臣であったが、土佐の郷士は山内家の家臣ではなかった。
・ ・ ・
野村望東尼(もとに)「武士のやまと心をよりあわせ ただひとすぢのおほつな(大綱)にせよ」
・ ・ ・
高杉晋作「おもしろきこともなき世をおもしろく」
野村望東尼「すみなすものは心なりけり」
・ ・ ・
サムライは、全力を尽くして潔く散るという「滅びの美学」を信条としていた。
庶民は、やれるだけの事はやって後は運を天に任せて定めに従うという無常観に囚われた「朽ち果てる美学」で生きてきた。
自然災害を相手にした時、如何に努力しようともダメな時はダメで有り、しょせん夢は夢にすぎず、希望しても叶わず徒労に終わる。
百姓は、無駄と分かっていても、何かをやらなければ始まらないし、前に進めない。
・ ・ ・
儒教的上下関係を絶対視していた朝鮮は、下層階級から成り上がってきた日本のサムライを軽蔑し差別していたので、真面に付き合うこと拒絶した。
・ ・ ・
サムライは、藩の財政を増やす為に商人の様に活動し、地場の特産品・名産品を行商人のように売り歩いた。
・ ・ ・
*武士となって立身出世した百姓・町人達。
×旗本御家人になった百姓・町人。
・河村瑞賢…伊勢国度会郡東宮村の極貧の百姓出身。一説には、部落民出身。下級人足から幕臣となった。
・川崎 定孝…武蔵国多摩郡押立村の名主の長男。農政家。旗本に取り立てられて美濃国代官、勘定吟味役、石見銀山奉行を歴任した。川崎神社の祭神。
・榎本武揚…祖父は百姓‥下級の御家人。
・最上徳内…出羽国の百姓。江戸に出て下男となり、後に幕臣となる。
・間宮林蔵…常陸国筑波郡の百姓。間宮海峡を発見し、樺太は島である事を証明して日本領であると定めた。樺太を日本領とした。
・中浜万次郎…土佐国の貧しい漁師出身‥直参旗本。
・勝海舟…曾祖父は越後の貧農で、祖父は金貸しとして蓄財して御家人男谷家の株を購入した。父親の小吉は、無役で貧乏な勝家の養子となる。
・川路聖謨…父吉兵衛は、甲斐国の身分低き庶民で、御家人株の御徒を買って幕臣となり、内藤吉兵衛と名乗った。聖謨は幼名を弥吉といい、90俵3人扶持(石高105石に相当)の川路三左衛門の養子となる。勘定奉行。外国奉行。
・井上清直…川路聖謨の実弟。幕臣井上新右衛門の養子。江戸南町奉行。勘定奉行。外国奉行。
・神尾春央…伊豆国三島の百姓出身。700俵の御家人の徒士の株を買って下級幕臣となる。勘定奉行。
・根岸鎮衛…相模国若柳村の百姓の子供。幕臣根岸衛規の養子となる。江戸南町奉行。勘定奉行。佐渡奉行。
・松田伝十郎…越後国の貧農の子。幕臣松田伝十郎の養子となる。箱舘奉行。
・樋口為之助(則義)…甲斐国山梨郡中萩原村重郎原(現:山梨県甲州市塩山)の長百姓。則義は、江戸に出て、蕃書調所勤番所使用人となり、1867年(慶応3年)には同心株を買い、運良く幕府直参となり、明治維新後には下級役人として士族の身分を得て東京府庁に勤めた。樋口一葉(本名は夏子、戸籍名は奈津)の父。
・松浦武四郎…伊勢国の郷士。
ウィキペディア
江戸幕府から蝦夷御用御雇に抜擢されると再び蝦夷地を踏査し、「東西蝦夷山川地理取調図」 を出版した。明治2年(1869年)6月に「蝦夷開拓御用掛」となり、蝦夷地に「北海道」(当初は「北加伊道」)と命名した。 更にアイヌ語の地名を参考にして国名・郡名を選定している。
また、武四郎は単なる地理や自然の記録に留まらず、アイヌ民族やその文化に対しても敬意を表しており、民族と文化を守るために、まずアイヌ文化を正しく知って、理解してもらうことが必要として、アイヌ民族・文化の紹介を熱心におこなった。武四郎が出版した『蝦夷漫画』ではアイヌの文化がありのままに紹介されている。また、武四郎は、圧政に苦しむアイヌ民族の窮状を見聞きしたことで、幕府に対し、開発の必要性はもちろん大事であるが、それよりもまず今日のアイヌ民族の命と文化を救うべきであると、調査報告書の随所で訴えた。
・ ・ ・
×大名の家臣となった百姓・町人。
・二宮尊徳…相模国小田原の極貧の百姓出身。二宮報徳神社。
各藩の改革派の多くは、下級家臣か百姓・町人であった。
・藤田幽谷…水戸城下で古着商藤田屋を営む与右衛門の次男。水戸学者。
・会沢正志斎…会沢家は代々久慈郡諸沢村(常陸大宮市諸沢)の農家。水戸学者。
・ ・ ・
ヤクザやエタ・非人もちろん女性さえも、勤皇関係の書籍を読み、ロシアなどの侵略情報を聞き、江戸幕府の弱腰姿勢に激怒して庶民出身の倒幕派に協力した。
彼らは、外敵の侵略から日本と天皇を守る為ならば、武器を取って戦う決意を持ち、日本と天皇を守る為ならば死ぬ事も覚悟していた。
日本と天皇を守る為ならば、戦争も辞さなかった。
それが、日本人であった。
植民地にされ、奴隷にされてまで、生きたいとは思わなかった。
生き恥をさらすより、潔い死を選んだ。
・ ・ ・
ヤクザ達は、サムライに成れる事を期待して幕府軍に参加した。
天領や藩領の一般庶民は、戦争に巻き込まれたくない為に先を争って逃げ出した。
幕府軍にいた百姓達は、官軍から大金を貰うや進んで官軍に味方した。
一般庶民にも、百姓にも、国家意識はなく、愛国心もなく、金が貰えれば喜んで将軍や大名を裏切った。
天皇や官軍さえ裏切る可能性があった。
主家の為に全滅を覚悟で徹底抗戦したのは、サムライ・士族出身者のみであった。
もし。外国軍が侵略してきたら、日本人の多くは戦わず抵抗せず降伏した。
国民とは、愛国心を持ち、武器を取って侵略者から国を守る為に戦争をする者達である。
国の為に進んで戦争をするのが、国民である。
幕末期の日本人には、国家、国民という帰属意識はなく、自由を縛る日本国籍も持たず、国境で閉じ込められた日本への愛着はなかった。
日本天皇や皇室への愛着や尊崇の念も薄かった。
ゆえに、、愛国心があやふやな無国籍の幕府を打倒し、愛国心と一体の国籍を持った新政府を急いで樹立する必要があった。
・ ・ ・
歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義やマルクス主義に染まっていった。
江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
・ ・ ・
現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
・ ・ ・
・ ・ ・