🌏10)─6─勝海舟による江戸開城の真意は挙国一致・国民皆兵国家(強制的徴兵制度国家)の創設であった。~No.32 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現代の日本人は、自分が読みたい知りたい架空・創作の時代劇は好きだが、自分が理解できない知りたくない現実の事実に基づいた歴史劇は嫌いで見向きもしない。
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 昔の日本人と現代の日本人とでは別人のような日本人である。
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 日本の人口比では、武士・サムライとその家族を含めても10%未満であり、庶民(百姓や町人)は90%強であった。
 巷で言われる武士道は、日本社会には存在しなかった。
 現代日本で流行っている武士・サムライ、武士道とは、大正時代以降に歴史小説家・時代劇作家が創作した架空の絵空事の物語である。
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 2021年6月25日号 週刊朝日司馬遼太郎もうひとつの幕末史
 『花神』から『胡蝶の夢』へ
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 これは医学とは関係ありませんが、ポンペ先生と一緒に長崎に来た人でカッテンディーケという海軍少佐がいました。のちに海軍大臣になる人です。ポンペ先生が医学を教えてくれと頼まれたように、カッテンディーケ少佐は、幕府から海軍を教えてくれと正式に招かれた人でした。
 ……
 江戸開城の真意は国民国家の創設
 そのカッテンディーケさんが日本に来て、情熱的に海軍を教えたのですが、その生徒会長役だったのが勝海舟でした。
 カッテンディーケには長崎時代の回想録があります。
 海舟のことをずいぶん褒めてますね。革命的な人物だと、好意を込めて危険人物のようにも書いています。
 この当時の海舟は、世の中に対して非常に不満があったんでしょう。
 幕臣としては取るに足りない身分でありながらも、学問の力でのしあがってきた。しかし幕藩体制には大変な不満をもっていた。
 カッテンディーケの回想録には、ある富裕なる町人が登場します。カッテンディーケが町人に質問しています。
 『この長崎はほとんど無防備ですね。もしヨーロッパの強国が軍艦一隻と陸戦隊100人を連れてきたら、1日で占領できる。そのとき、あなたたちはどうなさいますか』
 町人は答えました。
 『私どもは町人です。それは幕府のなさることです』
 カッテンディーケは腰を抜かすほど驚いた。一国の防衛をまったく考えない、無責任でいる階層があると書いている。彼は毎晩のように勝海舟に会っていたようですから、この話を海舟にしないわけがありませんね。
 カッテンディーケは語ったと思います。オランダは国民国家なんだ。国民国家とは、憲法があって、デモクラシーがあって、みんな平等なんだという意味だけれども、国民全部でオランダを防衛しているという意味もあるんだと。
 海舟の後年の江戸開城は、カッテンディーケの思想があったと思います。
 薩長はまだ何をするかわからない勢力であったけれど、ここは江戸を清算する。国民国家ができあがることを希望するというのが、江戸開城の真意だったのではないか、私はそう考えています。」
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 日本人はブラックな人間で、心穢く強者、勝者、権力者に対して卑屈なまでに媚び諂いお零れを有難く頂戴し、弱者、敗者を軽蔑し馬鹿にし差別しイジメて奪えものは何でも暴力的に奪っていく。
 例えれば、羅生門の鬼女である。
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 明治時代まで、合戦・戦争をするのは正規の武士や足軽と臨時雇いのサムライや雑兵のいくさ働きで、百姓や町人は安全な山・丘の上や大きな川の反対岸・堤上に陣取って観戦し、時には宴会を開きながら見物し、勝敗が付けば戦場荒らしとして死者を丸裸にして大穴に埋め、負傷者で勝った側は助けて恩を売り負けた側は殺して褒美を貰い、山野に逃げた敗残兵は落ち武者狩りで殺して報奨金を得た。
 敗残者を殺すのは、武士・サムライではなく、金目当ての庶民であった。
 百姓や町人を雑兵・人足で駆り出すと、戦いが始まれば一目散に逃げ、勝ち戦となれば乱取りを行って女子供を捕まえて奴隷として売って金儲けをしていた。
 中世キリスト教会や白人キリスト教商人は、戦場で乱取りを行った庶民から日本人奴隷を買って海外に輸出していた。
 武士・サムライにとって、神妙に土下座をして控える庶民(百姓や町人)は何を考えているからわからに得体の知れない不気味な人間で、いつ一揆を起こして寝首を掻きにくるか判らない恐怖の対象で、その怖さ故に軽蔑し差別し虐げ、助けず、見放し、見捨てた。
 幕府は、百姓一揆を失政・悪政の理由にして大名を改易し藩を取り潰し領地を召し上げようと狙っていた。
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 明治新政府は、庶民(百姓や町人)が新政府軍の攻撃から領地を守る為に領主・大名と共に戦わない事を痛切に感じたのは、会津戦争からであった。
 会津藩は、藩祖・保科正之以来名君が領地を治め、領民の為に善政を施してきたが、それでも領民は戦えば負けると分かっていたも戦おうとした会津松平家を助けず見捨てて逃げた。
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 国家・政府は、国民を信用せずいざとなれば国を裏切る可能性、強力な敵に靡く危険性がある事を実感し、その事を考慮し強権を持って国民を縛る為に大日本国憲法教育勅語軍人勅諭、その他を公布した。
 明治憲法は、国家・政府を監視する為ではなく、天皇の自由を縛り、国民を監視する為につくられた。
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 日本民族は、武力で政治権力を手に入れ日本を支配し統治する国家や政府を信用せず、非力だが利他の陰徳を積んできた天皇を信用していた。
 同時に、教団を組織する宗教権威も信用していなかった。
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 現代の日本人は、昔の日本人に比べて民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はなく、そして戦争と平和を知らず戦術・戦略が理解できない。
 当然、幕末、尊皇攘夷明治維新、近代化、大政奉還江戸城無血開城戊辰戦争なども理解できない。
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 日本民族には尚武の気風はなく、気弱ひ弱で非力な人間であるだけに血を穢れとし、死を恐怖して、幾ら金儲けの為とは言え他人と戦う、競う、殺し合う事が苦手であり嫌いな人間である。
 日本民族とは、武士・サムライではなく百姓や町人などの庶民である。
 命優先の現代日本人は、先祖が入りとして、小金を貯めて今の生活に満足して変化を排除した安住する江戸時代の中流以上の愚昧な小庶民になりつつある。
 その最たる日本人が、リベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた優秀・有能な次世代である。
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 日本には、歴史的にアイデンティティなど存在した事がなかった。
 日本国・日本民族・日本人が誕生したのは、明治維新・近代教育以降の事で、それ以前には存在しなかった。
 日本文明や日本文化など日本を現す全ては、明治以降に国家が急いで創り出したに過ぎない。
 日本国語も、国家が対外戦争ができる強力な軍隊を育成する目的で創った新語・造語に過ぎない。
 日本の近代化とは、軍国主義国家建設であった。
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 日本人は自分の生活に害を為さなければ、日本国を支配する権力者や統治者が誰であっても気にはしない。
 それが、アメリカ人やユダヤ人であろうが中国人や朝鮮人であろうと、人ではなく犬や猫、猿や鹿などの動物や巨木の植物でろうと、生き物ではない巨石や大河や霊山であっても構わない。 
 それが日本人の多種多様性である。
 その象徴が、敗戦後にGHQ占領支配された日本である。
 それは、現代日本でも同じである。
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 明治維新・近代化の目的は、ロシアの侵略から日本天皇と神国日本を守る軍事力強化であった。
 当時の世界は帝国主義植民地時代で、日本に味方してくれる友好国、日本に援軍を送ってくれる同盟国、日本を侵略する相手を非難してくれる親善国は、何処にもなかった。
 清国(中国)や朝鮮は、敵日・反日として日本を侵略するロシアに味方していた、味方しないまでも日本が滅びるのを傍観して楽しんでいた。
 徳川幕府は、対ロシア戦略として日本・清国・朝鮮の3カ国攻守軍事同盟を切望していたが、しょせんはムダな、無意味な願望であった。
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 日本の近代的重工業の目的は、軍隊の近代化、侵略してくるロシアの大軍を撃破する最新式武器を装備する事であった。
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 ロシアの侵略軍を撃破するには、従来の武士・サムライと百姓の志願兵・義勇兵からなる少数精兵では不可能で、総力戦としてロシア軍に負けないだけの多くの兵士を戦場に送り出す必要があり、その為には全ての国民を兵士として強制的に徴兵する事であった。
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 江戸無血開城とは、武士・サムライの身分制度時代が終わった事を天下に示す儀式であった。
 外国の侵略から日本天皇と神国日本を命を懸けて守るのは、日本民族の歴史的使命であり、命を捨てて戦う主体が武士・サムライから庶民(百姓や町人)に移ったという事である。
 それは水戸学の攘夷思想と吉田松陰草莽崛起(そうもうくっき)である。
 事実、死を覚悟して日本天皇を守護して戦った尊皇派・勤王派の主流は、「天皇の御威光」を信奉する身分が低く貧しい下層民達であった。
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 当時の日本人は、平和的な近代国家建設の為に攘夷を捨てたわけではなく、「今攘夷」で軍事力差のある夷狄と戦えば確実に日本は敗北して滅亡するため、「後攘夷」として開国・近代化・軍事国家として強力な軍隊をつくって侵略者・ロシアを撃退する、と国防基本方針を定めた。
 自力で日本一国を守るには、日本に侵略して来るロシアに味方・協力する清国(中国)と朝鮮を処分する必要があり、その為に中国大陸や朝鮮半島を攻撃し反日・敵日を一掃して、強圧的強制的暴力的に親日・知日へと大改造した。
 それは、領土拡大目的の侵略戦争ではなく、母国防衛の積極的自衛戦争であった。
 が、国際法は平和に対する犯罪・戦争犯罪と断定した。
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 何故、日本が、江戸幕府が異常なほどに外国勢力に警戒したのか。
 それは、中世キリスト教会と白人キリスト教商人が、非キリスト教徒・異教徒の日本人を奴隷として商船の船底に閉じ込め家畜や獣として扱い世界中に売って金儲けしたからである。
 江戸幕府による、日本の鎖国には正当な理由があった。
 現代日本歴史教育は、鎖国を愚かな行為と否定し、人権侵害の日本人奴隷交易を消し去っている。
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 大正期・昭和初期における日本の存亡の危機とは、天皇制度日本を破壊消滅しようとしたソ連中国共産党・国際共産主義勢力であった。
 そして、反天皇反日本の外国勢力の手先として昭和天皇と皇族を惨殺する為につけ狙っていた日本人共産主義テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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