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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
御上や権力・権威に弱いのは、現代の日本人であって昔の日本人ではなく、ましてや日本民族ではない。
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幕府は、歌舞伎や落語が反体制、前衛的、革新的の演目を物語を誤魔化しながら掛ける為に、時折、見せしめ的に禁制という弾圧を行っていた。
歌舞伎で取り上げられる怨霊の多くは、帝(天皇)や朝廷(藤原氏)に弓を引き非業の死を遂げ恨みを遺した反逆者・不忠者・朝敵の敗北者である。
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巷には、御政道や老中などの権力者を批判する落首・落書が流布していた。
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2022年9月4日 読売新聞「文化欄
『江戸の怪談がいかにぢて歌舞伎と落語の名作になったのか』
櫻庭由紀子 著 笠閒書房
評・宮部みゆき
著者は、『噺家(はなしか)の女房』として知られる現代の劇作家。落語への愛情溢(あふ)れるその語り口と、ポップで可愛らしいイラストの御利益で、本書は怪談が苦手な方にもお勧めできる正統派の『江戸怪談エンタメ入門』である。
今年は記録的な猛暑だが、気候としては現代よりも遥(はる)かにしのぎやすかったはずの江戸の夏も、当時の人びとにとってはなかなかハードなものだったようだ。エアコンも扇風機も冷蔵庫もない。アイスクリームどころか、私たちが気軽に消費している氷でさえ、将軍家に恭(うやうや)しく献上されるほど特別なものであって、江戸の庶民には縁がない。そんな夏を乗り切るための秘策の一つが、怪談を楽しむことだった。怖い話でぶるりとして涼むのだ。
『四谷怪談や皿屋敷、牡丹灯籠、耳なし芳一の原話が生まれたのは、江戸初期から中期にかけてだ』。鶴屋南北の『東海道四谷怪談』は、文政8年に中村座で初演された。江戸のエンタメは、文化文政の化政期、南北などの芝居によりエンタメとして完成したと、著者は言う。エンタメは需要のないところでは成立しない。江戸の怪談が確実に商売になったのは、それだけ怪談を求める庶民の声があったからである。
本書では、300年ほどある江戸時代を『室町から江戸初期』『中期から化政期』『幕末から明治』の3つに分け、歴史による変化の流れがよくわかるように構成してある。江戸の四大怪談(全部ご存じですか?)の解説から、狐や猫、蛇や蛙(かえる)という、化かし化され生きるもののエピソード。怪談なかでスーパーナチュラルな存在として語られるようになった史上の有名人たち(平将門、崇徳院、菅原道長、蘇我入鹿)。幽霊になった花街の悲しい女たち。怪談のなかの勧善懲悪。章を追って読み進み、開化の明治に知識人たちによって怪談が否定されるようになったと思ったら、あの三遊亭圓朝が登場して大人気を博する。怪談は不滅なのだ。」
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乱取り。
日本とくに日本民族では、マルクス主義・共産主義・無政府主義による人民革命は起きない。
もし人民革命が起きるとすれば、日本人から日本民族が消滅もしくは少数派となり外国移民の日本国民に入れ替わるもしくは多数派になったときである。
何故なら、マルクス主義・共産主義・無政府主義とは反天皇反民族反日本だからである。
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庶民にとって、領主・大名・主君が誰であったも関係ない。
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戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などの陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として買って世界中に輸出して金儲けしていた。
日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
一説によると、ポルトガル商人による日本人奴隷の被害者は5万人以上。
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現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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日本人は、悪人、悪党、罪人である。
故に、親鸞はそうした救われない哀れな日本人は阿弥陀仏(阿弥陀様)が救ってくださると、「悪人正機説」で他力本願を説いた。
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日本の総人口は、江戸開府の1600年頃では約1,200万人~1,800万人で明治5(1872)年には約3,295万人(琉球人とアイヌ人を除く)に増加していた。
人口増加は、慢性的な乳幼児死亡率が高い中で起きていた。
江戸時代の人口増加を支えていたのは、伝承としての継続的変革と一新する破壊的イノベーションであった。
江戸時代は人口が微増して、人生50年といわれ、年齢的人口構成は若者が多く老人が少なかった。
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🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ②
日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教やイスラム教の絶対神でもない。
お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
日本民族は、お天道様崇拝者である。
お天道様とは、天皇家の祖先神である女性神の天照大神である。
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トライイット
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身分別の人口の割合 幕末のごろ
総人口約3,200万人
百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
その次に多いのが7%の 武士 です。
3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
公家・神官・僧侶、その他1.5%。
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江戸時代は庶民の時代で、武士道は社会の片隅であった。
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現代日本人が憧れ持て囃す武士道は、江戸時代後期、ロシアの軍事侵略危機までは存在しなかった。
武士道は、外敵の侵略から天皇・国・民族を守る為に民族主義と愛国心の中から生まれた。
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現代の日本人は、歴史・文化・伝統・宗教を持って生きていた昔の庶民(百姓や町人)でもなければ武士・サムライでもない。
特に、反天皇反民族反日本の左派系、リベラル派・革新派の日本人は「そうだ」と言える。
彼らに、1847(弘化4)年のマルクスとエンゲルスの知識しかない為に、数万年前から生きてきた日本民族を語る資格はない。
そうした日本人が、民族否定の戦後民主主義教育で急増している。
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日本の昔ながらの伝統的エンタメは、世界では理解されづらく、中国や朝鮮では絶望的である。
特に違う点は、日本のエンタメは体制派娯楽として、時の権力者・実力者、例えば将軍や大名に媚び諂い特権を得て私腹を肥やそうという俗欲・強欲さが少ない。
歌舞伎は、寺院・神社での奉納歌舞伎はあっても将軍や大名に見せる御前歌舞伎は少なかった。
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江戸時代の怪談と勧善懲悪とは現代日本とは違って、庶民による幕府や大名に対する政治性を含んだ否定的命題であった。
幕府や大名は、庶民の感情を代弁するが如く、「お上」の行う御政道に異議を申し立て批判を含んだ演目を掛ける反骨の歌舞伎伎を時折弾圧していた。
江戸時代の庶民の娯楽には、世界の娯楽の王道ともいうべき普遍的価値を持て進むべき道を示し導く宗教、神話、英雄・豪傑、美談の話は少ない、そして時折、時の権力者である将軍や大名よりも帝(天皇)が重要な意味を以て登場する。
その代表的演目が、『仮名手本忠臣蔵』である。
忠臣蔵の意味は、昔の日本人と現代の日本人とは全然違う。
仮名手本忠臣蔵の本当の意味は、幕府の御政道批判であった。
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歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義やマルクス主義に染まっていった。
江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
マルクス主義・共産主義の階級闘争史観やキリスト教の最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行や勘定奉行などの役職について出世した。
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数千年前の弥生時代・古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義・共産主義のイデオロギーであった。
そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
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世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
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戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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