🌏52)─1─明治初期はリベラルで、人材登用は身分ではなく才能を優先していた。~No.177No.178No.179 ⑱ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 明治維新戊辰戦争を行ったのは、貧し下級武士や庶民である。
 近代化・軍国化に成功したのは、支配者として権力に胡座をかいていた武士の身分を廃止し、武士から俸禄を奪い失業させ、働かない元武士=士族を貧困に追いこんだからである。
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 明治初期の政治家、官僚、軍人は、日本を守る事を目的として欧米列強に留学し、助けてくれる支援者が少ない中、実地で外国語力と国際交渉力を磨いていた。
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 2021年10月3日号 サンデー毎日「これは、アレだな  高橋源一郎
 お(祖)父さんは総理大臣
 ……
 『狼の義』(林新・堀川恵子 角川書店)は、犬養毅の伝記本だが、その中で評論家大宅壮一は『明治の政治的性格は、初期にさかのぼるほど、かえってよりリベラルであった』として、犬養毅大隈重信原敬高橋是清らの名をあげている。明治から戦前にかけて、実は、ある意味で現代よりも、原書を読み海外の事情を深く知り、海外に知己も多い政治家がたくさんいたのである。犬養毅が、亡命中の『中国建国の父』孫文の世話をしたことは有名だ。」
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 小作人出身の伊藤博文は、頭脳明晰で分析力・決断力・行動力があり、英語会話能力と国際交渉能力が高い事が認められて総理大臣となって、日本を前近代的農業国家から近代的軍事国家に大改造し、日清戦争で台湾を領土とし、日露戦争南樺太を領土とし、日本に大国との対外戦争を強いる陰謀を巡らしてきた敵日派の大韓帝国保護領にして監視を強化し、両国の平和と安全、安定と発展の為に反日勢力を政治、経済、外交、軍事から締めだして親日派政権を樹立させた。
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 天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者とは、日本民族であり、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少ない。
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 日本の主敵は、白人キリスト教のロシアとロシア人であった。
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 日本の近代化の目的は、対外戦争を戦う為の軍国主義化であった。
 日本の開国・幕末・明治維新戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事力による軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
 日本をロシアから救ったのは、戦争も辞さずのイギリスの軍事力・海軍力であった。
 軍事を否定し信用しない国家・国民・民族には、現実世界で生きる資格はなかった。
 熱狂的天皇主義者(現代の右翼・右派・ネットウハ、一部の保守派とは無関係)である尊皇派・勤皇派による攘夷運動は、間違った愛国主義民族主義ではなく、正しい国粋主義・好戦主義、正義の戦争・聖戦であった。
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 1841~42年 清国の阿片戦争
 1851~64年 キリスト教徒の反乱である太平天国の乱で約2,000万人が虐殺された。
 1853年 アメリカのペリー黒船艦隊の浦賀来航は、であった。
 1856年 ビルマ王国はイギリスの侵略で滅亡。
 国王は国外追放後に殺害し、王子は皆殺し、王女は奴隷・娼婦・下層民の妻にした。
 1858年 ムガル帝国はイギリスの侵略で滅亡した。
 イギリス女王がインド皇帝に即位し、インド人皇帝は国外追放後に殺害し、男子皇族は皆殺し、女子皇族は奴隷・娼婦・下層民の妻にした。
 1898(明治31)年 ハワイ王家はアメリカ移民とキリスト教会の侵略で消滅した。 日本海軍は、アメリカの侵略を警戒した。
 日本の戦争は、攘夷で、外国の侵略に対する積極的自衛戦争であった。
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 明治から昭和初期までに起こした戦争は、領土拡大の侵略戦争ではなく、現人神天皇、神国日本、神仏の子孫である日本民族を、外敵である夷狄(ロシア・中国・朝鮮)の軍事力と邪教キリスト教)の信仰力から守る為の積極的自衛戦争であった。
 が、現代日本はおろか、中国、韓国・朝鮮、ロシアを含む全ての国々、国際世論は、日本を血に飢えた邪悪・凶悪・残忍な戦争犯罪者と認定・断定している。
 それが、東京裁判史観=自虐史観=日本人凶悪・残虐・極悪・非道の重犯罪人史観である。
 日本民族が最も恐れたのは、石器時代縄文時代から数万年かけて先祖が護ってきた日本らしさ・日本の国柄・日本の有り様を根底から消滅させる意図を見せていた信仰宗教のキリスト教マルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 が、現代日本歴史教育に深刻な影響をもたらしているのが、そのキリスト教マルクス主義共産主義である。
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 現代の日本人は歴史が嫌いで、昔の日本人とは違って民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、現実に起きていた歴史的事実を認めない。
 高学歴のマルクス主義者の中に、残忍な殺人者であるレーニンを信奉する日本人が多数存在する。
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 レーニンは、搾取されている貧しき人民を解放する為には世界の共産主義化しかないとの信念から、日中戦争と日米英蘭戦争(太平洋戦争)をプロデュースし、中国共産党日本共産党ディレクションした。
 スターリンは、屈辱的日露戦争敗北の復讐としてレーニンの対日陰謀を実行し、ピョートル1世(大帝)の日本征服の夢を叶えるべく北海道と北方領土4島を武力で強奪しようとした。
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 日本人共産主義者テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に人道貢献と平和貢献をおこなった昭和天皇を惨殺するべく付け狙っていた。
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 軍国日本は、戦場で人を殺す戦争犯罪をおこなったが、同時に、戦場で自己犠牲で人を助けるという人道貢献や平和貢献をおこなっていた。
 東京裁判は、国際法の正義で、戦争犯罪者と同時に人道貢献や平和貢献をおこなったA級戦犯の陸軍軍人・政治家・官僚を見せしめ的縛り首で殺し、遺灰は遺族に引き渡さずゴミのように尊厳を否定して海に捨てた。
 それが、靖国神社問題である。
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 明治維新とは、ロシアの軍事侵略から如何にして神国日本を守るかという体制選択であった。
 伝統的な徳川将軍家を中心とした諸国・諸藩連合の地方分権体制か、革新的な天皇を中心として一国中央集権体制かである。
 佐幕派は前者であり倒幕派は後者であった。
 つまり、日本の生き残りを賭けた、佐幕派の継続的変革か倒幕派の破壊的創造かの選択戦争であった。
 何れにせよ、世界が大きく激変する時代において、継続的変革には未来はなく滅亡し、破壊的イノベーションのみが未来で生き残る。
 それは、現代でも変わる事のない普遍的大原則である。
 日本の近代的軍国主義政策は、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、そして最も恐ろしいマルクス主義共産主義イデオロギー侵略が原因であった。
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 弱小国日本、財政赤字で破綻していた明治新政府の国際的信用の根拠は、天皇の存在であった。
 天皇の存在で、近代日本は普通の国家として世界に受け入れられた。
 それが、天皇国家元首としての統治権であった。
 欧米列強は、殺しのプロである武士集団ではなく、日本民族の主権者であり祭祀王の天皇の存在ゆえに日本を侵略しなかった。
 そこが、日本国とムガル帝国の違いである。
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