🌈59)─2・C─日本は怨霊の幸う国。源氏物語のもう一つの読み方とは死霊と生霊。~No.97 

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 2024年3月17日 YAHOO!JAPANニュース「怨霊の幸う国・日本 源氏物語のもう一つの読み方とは?
 [写真]太宰府天満宮(GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)
 主人公・紫式部吉高由里子さんが演じるNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されています。紫式部によって書かれた日本を代表する古典文学「源氏物語」ですが、建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「ストーリーにモノノケの力が作用していることを意識しながら読むと、エンターテインメントとしても面白く読める」といいます。若山氏が独自の視点で語ります。
 純文学でもありサスペンス小説でもある
 [イラスト]源氏物語はエンターテインメントとしても面白く読めるという(アフロ)
 『源氏物語』は恋愛を主題とする小説であり、本居宣長が評したとおり「もののあはれ」という美意識を基本に展開される。その意味において現代の純文学的価値観にも合致し、世界的にもきわめて高い評価をえて、まちがいなく日本文化の至宝である。僕もそういう頭で読んでいた。
 しかしもう一つの読み方もあるようだ。専門家が指摘するとおり、この物語は「モノノケ(物の怪)」と呼ばれる「怨霊」が重要な役割を果たすのである。科学的世界観を基本とする現代人は、モノノケの力をあまり意識せず、それに憑依された人物の精神的問題として読む傾向があるのだが、逆に、そのストーリーにモノノケの力が作用していることを意識しながら読むと、あたかもサスペンス小説のような臨場感が生まれ、エンターテインメントとしても面白く読めるのである。当時の人々の感覚に立つとすれば、むしろそちらの方が正しい読み方であるのかもしれない。
 サスペンスとしてのストーリーを動かすのは主として六条御息所の怨霊である。彼女は次の天皇となるべき東宮の妻として高い地位にあり、容貌も教養も優れていたが、その東宮が早逝して未亡人となる。プレイボーイである光源氏は彼女と関係をもつが、ひとりの女性にとどまってはいない。六条御息所は、恋する源氏が他の女性と深い関係をもつことに強い嫉妬と怨念を抱く。その生霊(いきりょう)は、車争いなどの事件を経て源氏の正妻である葵上(あおいのうえ)に取り憑いて死に至らしめる。またその死霊(しりょう)は、源氏がもっとも愛し大事にするヒロイン紫上(むらさきのうえ)を苦しめる。
 この物語は、源氏の死後を描く宇治十帖まで、怨霊がストーリー展開の大きな役割を果たすのであり、その生霊あるいは死霊と、その力を調伏しようとする仏教者の読経や加持祈祷との戦いが、現代ドラマのアクションシーンのような役割を果たすのだ。
 血の怨霊・地(武)の怨霊・知の怨霊
 [写真]東京・大手町の将門首塚(GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)
 一般に、菅原道真平将門崇徳院の怨霊が、日本の三大怨霊とされる。これについては前に「鬼滅の刃」ブームを機会に論じたので、重複する部分もあるが、ごく簡単に紹介する。
 菅原道真はきわめて聡明で、文章博士(もんじょうはかせ)となり、いくつかの漢詩集や歴史書を編み、政治にも深く関与した。しかしその知的能力を恐れた藤原氏によって罪を着せられ、遠く大宰府に左遷される。その死後に続いた都の災厄が道真の祟りとされ、神として祭り上げることによる鎮魂(たましずめ)が図られた。「天神」である。以来、道真は学問の神として、太宰府天満宮、京都の北野天満宮、東京の湯島天神(正式には湯島天満宮)などに祀られている。
 平将門は、桓武平氏の血を引き、武力によって関東の争いを征し「新皇」と称して独立国のように治めようとしたが、都の勢力によって撃たれ晒し首とされた。近親者も皆殺しにするなどあまりにも酷いやり方だったので、将門の首が夜空に飛び去ったとする伝説があり、東国を中心に怨霊伝説が広まった。現在も、東京の大手町には将門の首塚が祀られ、再開発計画でも手が出せずにいる。
 崇徳院は、父とされる天皇の子ではなく実はその祖父(崇徳の曽祖父)である院の子という負目があり、天皇となっても院となっても実権を握れず、保元の乱で讃岐へ流される。『保元物語』によれば、崇徳院は舌先を噛み切って「日本国の大魔縁となる」と血書し、髪と爪を伸ばしたままに生きたとされる。その後、怨霊伝説が広まったが、歴史学者山田雄司氏によれば、これは隠岐へ流された後鳥羽院の怨霊と重ねられたと考えるべきだという。
 藤原という血の権力が、知の象徴たる道真を「知の怨霊」とし、武の象徴たる将門を「武の怨霊」とし、血の象徴たる崇徳院を「血の怨霊」としたといえる。少し前に「血の権力・地(武)の権力・知の権力」を論じたが、怨霊にもその三つがあるようだ。
 平安末期から鎌倉初期に怨霊が多いのは、政治の実権が、天皇と貴族の手から武家の手に移ることへの衝撃だろう。僕は承久の変における北条政子の演説を重視している。後鳥羽上皇が鎌倉を攻め、天皇と貴族の世をとりもどそうとしたときに、関東武士団をふるい立たせ、逆に京に攻め上ることによって江戸期に至るまでの武家の世を確定させたのだ。「時代を変えた」という意味で、日本史上最大の演説ではなかったか。政子には、短期にして滅んだ源氏の怨霊、特に天才的軍人であった義経と天才的歌人であった実朝の怨霊が乗り移ったとも考えられる。
 政治的ではなく、文化的な怨霊もある。世阿弥足利義満に寵愛され,怨霊を主役とする能を大成したが、最後には罪を着せられ佐渡へ流された。能というきわめて禁欲的な形式が日本の舞台芸術のもととなったのは世阿弥の怨霊が作用したのだともとれる。千利休は信長と秀吉に重く用いられたが、最後には切腹しなければならなかった。侘び茶というこれも禁欲的な形式が、後世の日本文化として広がったのは、利休の怨霊が作用したともとれる。
 仏教と神道と怨霊と天皇の役割分担
 平安時代神仏習合が進み、仏教と神道の境が曖昧であった。しかしそれなりの役割分担があったようだ。モノノケを制圧(調伏)するのは主として仏教者の役割であったが、神事の最中であれば、仏教者は遠慮し、その災厄が神によるとなれば、仏教者も調伏をあきらめたようだ。どちらかといえば仏教は、怨霊を普遍性の力で抑え込む傾向にあり、神道は、怨霊を祭りあげて善神とする傾向がある。
 仏教の読経や加持祈祷によって怨霊を調伏するさまは、ヨーロッパにおいて魔女や吸血鬼を十字架によって退散させるさまに似ている。仏教という国際思想が日本土着の神道と葛藤し融合する過程は、ヨーロッパにおいてローマ帝国という普遍性の文明から出現したキリスト教という思想が、北上するに従って、ゲルマンやケルトなどの土着の信仰と葛藤し融合していく過程と似ている。
 また当時、怨霊を退散させる役割をもつ陰陽師という職業があった。有名な安倍晴明陰陽寮に属するいわば役人であり、天皇を頂点とする律令体制に組み込まれていた。天文(空間)と暦(時間)に関する学問の専門家で、方角(空間)と日にち(時間)の吉凶を占う役割がある。中国的な天の概念と道教が背景にあり、天皇制の理論的一翼をになう存在であった。
 僕は、日本文化における精神世界には、基本的な四つの要素があると考えている。「仏・神・鬼・天」である。怨霊は鬼でもあり、天は中国的な道教的な概念であるが日本の天皇制にもつうじる。
 詳述すれば長くなり本記事の趣旨を外れるので、ここでは僕の解釈を端的に表現する。「仏」とは人が到達すべきものであり、「神」とは福をもたらすものであり、「鬼」とは禍をもたらすものであり、「天」とは時空の運行を司るものである。日本の精神世界では、この四要素が絡み合っている。いつか詳細に論じてみたい。
 また山田雄司氏は、日本にある「怨親平等」という思想を紹介している。死んで霊となれば敵も味方も平等に弔うということだ。鎌倉の円覚寺は、元寇で命を落とした元側の兵をも鎮魂し菩提を弔うために創建されたという。近代になっても日清戦争日露戦争日中戦争の犠牲者は、東亜のために命を落としたものとして、敵味方なく忠霊鎮魂の碑が建てられたという。そう考えれば、日本の怨霊思想は、ある種の国際主義につながるのだ。
 怨霊の幸わう国
 日本文化の歴史は怨霊に満ちている。抜群の才能をもちながら、日本社会に顕著な、突出者を嫌う論理=和の論理によって、政治的に排斥された者が怨霊となる。しかしまたその「和の論理」によって神として祭り上げられ、その才能が残した思想あるいは流派が隆盛をきわめる傾向がある。
 とはいえ僕は、自然科学を基本とする工学部で教鞭をとってきた身であり、工学博士でもあり、きわめて科学的な世界観をもつ人間である。この世には怨霊が存在し、その力が人とその世に禍をもたらすと主張するオカルト論者ではない。そういった主張で利を上げようとする組織や個人には嫌悪感を覚える。
 しかし「都市化のルサンチマン」というテーマを考えつづけてきて、人間がその心に嫉妬や怨念を抱くのは必然であると考えるようになった。世の道徳家は常に感謝して生きなさいなどというが、それは表面的なことで、人は深いところで嫉妬と怨念を抱くものだ。しかも、パレスティナなどの紛争を考察すれば、人間集団の怨念は、歴史的に蓄積するものと思われる。
 そう考えると、人間の怨念が凝り固まった怨霊というものを仮定し、調伏し、祭り上げ、そのエネルギーを昇華させることによって、現実の災厄とならないようにするのもひとつの方法ではないか。
 神の存在を科学的に証明することは困難であるが、神の不在を証明することも困難である。同様に、怨霊の存在を科学的に証明することは困難であるが、怨霊の不在を証明することも困難である。考えようによっては、一神教絶対神を仮定するより、怨霊を仮定する方が穏健であるかもしれない。
 日本は「和を尊ぶ国」であると同時に、その裏返しとして「怨霊の幸(さき)わう国」ではないか。
 アインシュタインはいった。「知性の過信は危険である」と。
 人は、物語の中に出てくる人物を愛する。人は人を愛するが、それは「人の物語」を愛するのではないか。怨霊とはその「人の物語」が反転した結晶体であろう。
 参照
 藤本勝義 『源氏物語の〈物の怪〉 文学と記録の狭間』 笠間書院1994
 山田雄司 『怨霊とは何か 菅原道真平将門崇徳院』 中公新書2014
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