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2022年7月16日 MicrosoftNews AERA dot.「1000年前に誕生した「地獄」の概念 そのきっかけとは
© AERA dot. 提供 神楽坂・正蔵院の閻魔大王像
2022年の夏は、早い梅雨明けと共に激動の季節の様相を呈している。もう何が起きても驚かない気はしているが、それでも古い日本人たちは、平安時代に「この世の終末」に入ったと宣言した。これが「末法思想」といい、釈迦の入滅後の500年は正しい法が行われるが、その後は法も消滅する時代へ入るという考えである。つまり、今はまさにどんどん法滅の時代へ向かっているというわけだ。
○「末法思想」が誕生した背景
この教えにより、人々は危機感や厭世感を掻き立てられ、鎌倉時代にかけて大いに新しい仏教宗派が誕生した。鎌倉新仏教と呼ばれた、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗、時宗などを指す。この時代に多くの新しい宗派が誕生した背景には、戦乱と飢餓に苦しむ一般の人びとが現況から逃れたいという思いがあったが、一方で旧来の仏教の腐敗や一般へ浸透しにくい信仰のあり方もあった。つまり、お金がかかり内容が分かりにくかったのである。
○次第に民衆へと広まっていった仏教
インドで生まれた仏教は渡来した頃から、すでに中国で儒・道教などの影響を受け変化していたが、日本でますます独自の習合を繰り返してきた。もともと日本には八百万の神々がいたし(当時は名前が定まってはいなかっただろうが)、これらの神の性格や行動、あるいは民間信仰とも結びついて生活習慣や規律のひとつとなっていくのである。これが平安時代末期頃から仏教的な視点も一般に広まることとなり、いつの間にか、日本人の常識の中に自然と入り込むこととなった。
○日本人が知るえんまと地獄
さて、7月16日は賽日(さいにち)で、えんまさまの縁日である。この日ばかりは地獄もお休みになるので、地上で働く奉公人たちもお休みをもらうことができ、実家などへ帰省した(藪入りという)。日本人の中で、「えんまさま」や「地獄」について、説明を受けなければ理解できない人は少ないだろう。それほど子どもの頃から、周りの大人たちに自然と教えられる概念である。たぶん、地上に生きる人間で実際にえんまを見たことがある人も、地獄を経験したことがある人もいないだろうが、ほとんどの人は知っているもののように語れるに違いない。
○地獄の概念の誕生は1000年前
これらの概念が誕生したのが1000年ほど前で、これがあったからこそ鎌倉新仏教は一般大衆に大いに広まっていったとも言えるだろう。仏教の経典には、さまざまな場面で死後の世界についての描写があったが、これをひとつにまとめた「往生要集」を、比叡山で修行していた源信(恵心僧都)が記した。今でも比叡山横川(よかわ)には、源信がこもって著述にあたったお堂・恵心堂が残されている。
○無心の僧・源信の一生
源信が「往生要集」を手掛けるきっかけとなったのは、師である良源(慈慧大師/元三大師)が病に臥したことである。恵心堂は藤原兼家が良源のために建立したものだが、源信はこのお堂に籠り、修行と著述をすることで一生を終えた。藤原道長の帰依を受け、僧位を授かるもすぐに辞退し無役のまま過ごしている。それでも七高僧の一人とされているのは、源信の残した著作がこの先の仏教に与えた影響力の大きさゆえであろうか。
○悪行は地獄行き
源信は、死後に行く世界を明快に整理した。浄土(極楽など苦しみのない世界)や地獄、そのほかの六道という人が死後に転生する世界と、これら世界へ行く因果応報の仕組みを「往生要集」にまとめたのである。「六道十界ノ図」「弥陀来迎ノ図」なども併せて著し、これらの概念が浄土宗、浄土真宗の基礎となった。つまり簡単に言えば、この世で働いた悪行によって人は地獄へ行くよ、という観念へとつながったのである。
○同じ仏教でも違う地獄
そういう意味で言えば、同じ仏教を信仰するとはいえ他国とは死後の世界観は違っているということになる。インドにはえんま大王率いる裁判的な場面は登場しないし、儒教や道教の影響を強く受けた中国では死後の世界よりも現世の名誉を重んじる傾向にある。この世の因果をあまり気にしないのはこのためであろう。ある意味、日本人の持つ独特の処世術というのは、源信の残した因果応報の考え方に根ざしているとも言える。
○死後の世界観が意味するもの
例えば、源信が登場する以前の日本では、死者が生者に災いを起こすものと考えられていて、菅原道真、崇徳院などの怨霊が跋扈していた。人に恨まれるような行いは、現世で報いを受けていたのである。ところが、地獄と死後に行われる制裁が明快となって以降、この世に大きな恨みを持つ怨霊はあまり登場しなくなり、おてんとう様が裁いてくれるに違いない、という観念へと移っていったように思う。この仏教的な観念の持つ意味は大きい。
「天網恢恢 疎にして漏らさず」とは老子の言葉だが、道教ではこの世のことだけに限っていたのかもしれない。日本では、あの世まで続く話として語られる。もし、この日本的な考え方が世界中にあったのなら、ただ人を傷つけるための兵器を使用したり、利益のために他人の苦しみを厭わないなどという人はもっと少なくなるだろう。そして、苦しみながらも人のために尽くした人は、苦しみの全くない世界へと転生できると判ればもっと他人に優しくなれるだろう。
えんまさまが裁いてくれる世界があると、ほとんどの日本人が思っているからこそある平和が、このまま続くことを賽日である今日、特に願いたい。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)」
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