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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
無宗教の現代日本人や西洋価値観を持つ日本人には、鎌倉時代の「悪人」を理解できない。
ローカルな日本が考える「悪人」は、グローバルな西洋・中華、キリスト教・儒教、反宗教無神論のマルクス主義(共産主義)が滅ぼそうとしてきた「悪人」と全く違う。
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2019年2月10日号 サンデー毎日「五木寛之のボケない名言
万(よろず)の仏に疎(うと)まれて
後生(ごしょう)我が身をいかにせん (今様)
海山(うみやま)稼ぐ者たちの嘆き
今様(いまよう)は平安後期から鎌倉初期にかけて、熱病のように流行した大衆歌謡である。
『道をゆく者、首を振り振り今様をくちずさみつつ歩かぬ者なし』とまで言われるほど一世を風靡した巷(ちまた)の歌だった。
〽遊びをせむとや生まれん
とか、
〽仏は常にいませど
などという秀歌もあり、
〽近ごろ都に流行(はや)るもの
といったラップ調のヒット曲もあった。
しかし、私が忘れることのできない歌の一つは、
〽はかなきこの世を過ぐすとて 海山稼ぐとせしほどに 万の仏に疎まれて 後生我が身をいかにせん
という庶民大衆の嘆きの歌である。
『海山稼ぐ』とは、生きるために殺生や、その他の悪を重ねてきた私たち、という意味だろう。人を欺(だま)し、嘘をつき、生きものを殺して生きてきた自分たち、それが『海山稼ぐ者』である。当時はすべての民衆がそうだった。
それらの人びとが、死んだあと地獄に落ちたくない、救ってほしいと神や仏に頼っても、神仏は無情にその手を振りはらって去っていく。神や仏にも嫌われた、という絶望は、どれほど深いものだったのだろうか。鎌倉仏教といわれる革命的な思想が、そこに登場する。その下地は『海山稼ぐ者』としての自覚にあったのではあるまいか。」
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日本の庶民は、和歌や今様を詩作し口遊む口承文化を持っていた。
それが、日本民族日本人の見えない教養であった。
口承文化とは、「言霊」信仰である。
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日本の死後の世界は、死者が行く黄泉の国と亡者が落ちる地獄があったが、祝福され昇天する神の国や天国はなかった。
黄泉の国とは、この世に生まれ変わり、血縁者の中に甦る為に、魂・霊魂が一時的に立ち寄る死後の世界である。
日本民族日本人は、神道価値観から、仏教の輪廻転生を否定的ではなく好意的に受け入れていた。
日本仏教は、高麗仏教(朝鮮仏教)や中国仏教とは違う。
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日本仏教、特に鎌倉仏教は、下級武士、非人・えたなどの賤民、山の民・海の民・川の民などの部落民など下層民達が信仰した庶民宗教であった。
仏教と深く結びついたのは天皇家・皇室であった。
それ故に、天皇・皇族、天皇家・皇室を護ったのが、下級武士・賤民・部落民達であった。
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中華仏教は革命宗教として、当時の中華諸王朝を滅亡させていた。
儒教は、仏教を革命宗教として弾圧した。
それが、廃仏毀釈である。
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