⛩84)─1─神道と仏教各宗派は、靖国神社などで戦没者慰霊の法要を行う。〜No.185No.186 ⑯

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2019年11月14日 産経新聞「宗派超え戦没者慰霊 靖国神社などで法要
 宗派を超え、靖国神社の拝殿で行われた先の大戦戦没者の慰霊法要=14日、東京都千代田区(小林佳恵撮影)
 先の大戦戦没者を慰霊するため、国内各宗派の僧侶らが14日、東京都千代田区靖国神社千鳥ケ淵戦没者墓苑で法要を執り行った。宗派を超えて僧侶が集まり、神社で法要を行うのは異例という。
 法要は、世界連邦日本仏教徒協議会と関西宗教懇話会が主催した。5回目の今年は、天台宗真言宗など仏教各宗派と神道の15団体約120人が参加。神社拝殿で行われた法要では般若心経を唱えて犠牲者の冥福を祈り、その後、僧侶らが本殿を参拝、玉串をささげた。同協議会の叡(え)南(なみ)覚(かく)範(はん)会長は「国のために命をささげて亡くなった方々に対する感謝の気持ちを込めた。これからも続けていく」と語った。」
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 靖国神社は、ロシアの日本侵略から天皇と母国を守る為であった。
 ロシアの日本に対する侵略の脅威は、1700年代後半、江戸時代後期の期田沼意次松平定信から存在していた。
 明治維新は、ロシアの侵略から如何にして天皇と母国を守るかという国防論から始まっていた。
 つまり、尊皇攘夷の敵国とはイギリスやアメリカではなくロシアであった。
 吉田松陰らは、日本を守る為に北海道や東北地方を検分の旅を続けていた。
 アイヌ人達が住む蝦夷地(北海道)や北方領土四島は国防の最前線で、徳川幕府は国土防衛の為に東北諸藩に派兵を命じていた。
 東北諸藩が戊辰戦争で官軍の大敗した要因は、兵士(総兵力数千人)と軍資金を北辺防衛に振り向けていたからである。
 軍国日本は、ロシアに対する自衛戦争・防衛戦争を邪魔する清国(中国)を日清戦争で撃退し、ロシアを利用して日本を滅ぼそうとする朝鮮を日韓併合で消滅させた。
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 反天皇反日的日本人とキリスト教や反宗教無神論マルクス主義共産主義)、中国、韓国・北朝鮮などは反日外国勢力は、天皇を否定し靖国神社を廃絶するべく行動している。
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 靖国神社には、明治・大正・昭和の歴代天皇と皇后そして東条英機松岡洋右A級戦犯達が行った歴史的人道貢献が詰まっている。
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 朱子学が強くなった日本儒教は、日本人の心・精神そして日本社会での神道の影響力を弱める為に、宗教性の薄い国家神道を人工的につくり、誰も異義を挟まないように天皇の勅命で広めた。
 その象徴が、靖国神社であった。
 廃仏毀釈、神社合祀令、国家神道教育勅語軍人勅諭、近代教育そして大日本帝国憲法も、忠君愛国による軍国日本も、その中心に存在するのは朱子学儒教であった。
 朱子学儒教が、天皇を悪用して日本を儒教化した。
 それは、聖徳太子聖武天皇菅原道真空海最澄織田信長徳川家康本居宣長ら先人達が忌避した儒教社会であった。
 明治維新朱子学儒教国家を作ろうとした元勲・元老・重臣達は、下級武士、足軽・小者、庶民など身分低い卑しい者達であった。
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 狂信的過激的な尊皇派・勤皇の志士は、下級武士、賤民、部落民、芸能の民、貧しい庶民達であった。
 旗本などの上級武士は、天皇中心国家には不同意であった。
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 日本儒教とは、異端派の論語儒教であって、朱子学による正統派中華儒教ではなかった。
 朝鮮が日本を毛嫌いし差別し蔑視したのは、日本が官学・朱子学と私学・陽明学及び諸派であったからである。
 つまり、神道・仏教・儒教の多様価値観による日本文明圏で儒教の絶対価値観である中華文明圏を拒絶していたからである。
 日本と中国・朝鮮は、根本から相容れない関係にあった。
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 日本が、中国・朝鮮に接近して友好・善隣を求める事も、中国大陸や朝鮮半島に侵出する事も、全ての結果は悲劇・悲惨・不幸で終わる。
 それは、縄文時代弥生時代から分かりきった事である。
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 国家神道とは、民族の祖先霊と国家を守る為に死んだ英霊に感謝の念で拝礼する事であって信仰ではない。
 靖国神社の拝礼は、正殿の内では正式な神道祭祀が執り行われたが、正殿の外は無宗教で仏教・キリスト教イスラム教など全ての宗教が独自の拝礼を行う事ができた。
 つまり、靖国神社無宗教汎神論であった。
 それ故に、靖国神社に祀られている祭神は、人種・民族、出自・身分・階級・階層、職業、男女年齢に関係なく犬・馬・鳩など天皇の為・国の為に死んだ全ての生き物が祀られ、神道・仏教・キリスト教イスラム教・カルト的新興宗教などの宗教・信仰も関係なかった。
 生前の私的個人的な哲学・思想・主義主張も問わない。
 死ねば全員が、差別なく、偏見なく、公平に、平等に、仏として懇ろに葬られ、神として手厚く祀られた。
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 靖国神社に祀られる条件は、天皇の命令もしくは天皇の為に命を捧げた全ての生き物である。
 よって、戦後の国民主権主権在民アメリカ製日本国憲法下で死んだ日本人は、天皇の命令による死ではない為に靖国神社には祀られない。
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 戦前と現代では、死生観・生命観・宗教観などは正反対に近い程に違う。
 戦前までの日本人は死ねば、天皇の御名によって靖国神社で貴い人で尊い死であったと認められ神として祀られ、日本民族日本人・琉球人・アイヌ人その他(外国人)から顕彰され、現・日本天皇・皇室が存在する限り生きて死んだ記録が残り続ける。
 戦後の日本人は国家・政府の命令で死んでも、単なる不幸な事故死として処理され、日本国民から無駄な死であったとして見捨てられ、生きて事さえ忘れ去れ、魂・霊魂は無に帰して消滅する。
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 靖国神社には明治維新で死んだ、官軍兵士が祀られ、幕府側・佐幕派の戦死者が祀られていないのは当然の事である。
 幕府側・佐幕派の戦死者が賊軍だから祀られないのではなく、天皇の御名・天皇の命令で死んでいないからに過ぎない。
 幕府側・佐幕派の戦死者は、所属した藩があった各県にある護国神社に祭神として祀られているが、日本国民がそれを認めず粗略に扱っているだけである。
 天皇・皇族は、神の裔・祭祀王として全国の護国神社を訪れれば拝礼する。
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