🕯137)─1─日本民族が伝承した伝統的道徳観念の源は武士道ではなく地獄絵図であった。~No.293No.294 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2018年8月14日 MAG2NEWS「寺で地獄絵図を見て恐れる事がいじめを防止してた時代があった
 ライフ2018.08.14 45 by 『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』
 いじめられっ子のび太が主人公の『ドラえもん』が始まったのは1969年、つまり半世紀前からいじめは存在していたわけですが、現代のように陰湿ではなかったとよく言われます。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では、暴走を抑え切れない最近のいじめに警鐘を鳴らし、どうすれば歯止めを効かせられるのかについて論じています。
 伝えたい「天知る 地知る 我知る」
 日本の夏と言えば、お盆の季節でもありますが、50年近くも前、私の田舎では8月のお盆の頃に「施餓鬼(せがき)」というものがありました。施餓鬼とは、地獄の餓鬼道におちて苦しむ衆生に食事を施して供養する仏教の行事(法会)のことです。
 当時、そんなことを知るはずもなく、強制的に子どもたちはお寺に集められ、お墓の掃除をさせられ、意味不明のお経を正座で長時間も聞かされるという苦痛以外のなにものでもない行事でした。
 特に「怖かった」と印象に残っているのが、地獄絵を見せられての話でした。体から吹き出る血、奇妙に膨れたお腹、真っ赤な炎の中を鬼に追いかけ回される半裸の亡者や餓鬼の姿。
 小学生にとって「死」というものはめちゃくちゃ怖いものでした。その「死」に直結したお寺で「地獄絵図」を見せられ脅されるという、子供からみると、とんでもない行事があったのです。
 小学校も中学校も廃校になった現在の田舎では、そんな行事も、もう思い出でしかありませんが、当時は、悪いことをしたら「鬼が来る」、「地獄に落ちる」というのは、「当たり前」のこととして教えられていました。
 現代の子どもたちは「あの世なんかない」と思っている子が多いようですが、私の田舎では「あの世」と「この世」はある意味一体化していました。うちの父もこのような体験をしています。 
 ある夜、親戚の家を訪ねた帰り道のこと、いつもの道を歩いていたはずなのに、ふと気がつくと、何キロも離れたところにいることに気付きました。父は大慌てで夜道を駆けて家にたどり着くと「狐にだまされた~」と大声で家族に訴えていたものです。本人は驚いても村では大きな話題にはなりませんでした。「人魂が飛んでいた」とか「死んだ婆さんが訪ねてきた」、「戦死した叔父が家に入ってきた」とかの話は日常茶飯事なので、村では「へーっ、そうだったか」くらいですまされてしまう程度の話なのです。
 そんな伝説や昔話の世界に住んでいたのですが、かといって小学校時代が、「みんな仲良し」というわけでもなく、現代とはかなり違いますが時にはいじめもありましたし、ケンカもありました。それでも、心の何処かには「悪いことをしたら地獄に堕ちる」という感性を持っていたように思います。
 現代の「いじめ問題」が重い理由の一つには「節度がない」という点が挙げられると思います。
 不登校になるまで攻め続ける
 精神科に通うまで追い詰める
 葬式ごっこ
 自殺の練習させる
 目を覆いたくなるような事件が続いています。それは限度を「知らない」子どもたちというより、「限度が分からない」子どもたちが増えているからだと思うのです。その背景には日本に風土に根づいていた「あの世と結びついた価値観」というものが失われていったことも影響しているのではないでしょうか。
 仏教だけでなくキリスト教にも天国、地獄や煉獄という考え方がありますし、NHKの「西郷どん」の西郷隆盛が大切にした「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)という言葉もありますが、儒教にも「天が見ている」という考え方があります。「天知る 地知る 我知る 人知る」との言葉もありますが、目に見えない存在が、「必ず見ている」という感覚は、悪いことをしてはいけないという心のブレーキとして働いていたように思います。
 結局、道徳やモラルと呼ばれる考え方の背景には、仏教やキリスト教、あるいは儒教と言った考え方が根底にあり、そこから「何が善で、何が悪なのか」という規範が生まれ、何千年にも渡って語り継がれてきたと言えます。若いお母さんの間で『絵本 地獄』(風濤社)が人気だと聞いています。この絵本を見せると子どもたちが「いい子」になるというのです。
 対処療法的にみれば「いじめ解決」は学校に委ねるしかないのが現実です。学校に見放されたならば、「転校する」か、「学校に行かない」という選択肢をとるしかなくなってしまいます。
 しかし、もっと大きな視点で考えた場合には、子どもたちの「心」に訴えていくことがより重要なのだと思います。そのためには「家庭」や「社会」において「善なること」、「悪なること」を教えると同時になぜ、その考え方が大切なことなのかを伝え続けることが必要だと思います。
 そのためには、古い考え方だという方もいらっしゃるとは思いますが「天国や地獄がある」という考え方は、子どもたちの暴走を抑止する考え方としては効果があるのではないでしょうか。
 そして、大人である私たち、親や保護者、教師が、子どもたちのお手本となる生き方を示すことが何よりも重要なのだと思います。
 いじめの相談も夏休みに入って少なくなってきました。しかしながら、いじめられない状況になっても、いじめにおびえている子もいます。新学期のことが頭によぎって苦しんでいる子もいます。何か不安なことがありましたら、ご遠慮無く、ご相談ください。
 一般財団法人 いじめから子供を守ろうネットワーク
 代表 井澤一明」
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 現代の日本人は、民族的な歴史力・伝統力・文化力・歴史力そして宗教力がないので、武士道・士道を理解できない。
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 江戸時代の日本人の心と行動を道徳的精神的に縛り付けたのは、武士道ではなく地獄絵図であった。
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 江戸時代の子供達は幼い頃から、世にも恐ろしい地獄絵図を見せられ、身の毛がよだつ地獄の話を聞かされて育っていた。
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 日本の地獄絵図のルーツは、中国や朝鮮ではなくインドであった。
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🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ② 
 日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教イスラム教の絶対神でもない。
 お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
 日本民族は、お天道様崇拝者である。
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 トライイット
 ホーム社会中学社会中学歴史江戸時代武士による支配
 中学歴史
 身分別の人口の割合 幕末のごろ
 総人口約3,200万人
 百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
 江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
 一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
 その次に多いのが7%の 武士 です。
 3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
 町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
 そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
 公家・神官・僧侶、その他1.5%。
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 江戸時代は庶民の時代で、武士道は社会の片隅であった。
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 現代日本人が憧れ持て囃す武士道は、江戸時代後期、ロシアの軍事侵略危機までは存在しなかった。
 武士道は、外敵の侵略から天皇・国・民族を守る為に民族主義愛国心の中から生まれた。
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 ビジネスワード
 2022.06.24
 「地獄絵図」とはどんな絵?意味や日本に伝わった由来・類語を解説
 「地獄絵図(じごくえず)」と聞いて、どのような光景を思い浮かべますか?少なくとも幸福の広がる美しい世界ではないと思いますが、「地獄絵図」とは具体的にどのような状況を表しているのか、よくわからないという人もいるでしょう。ここでは「地獄絵図」の意味をはじめ、現代における使い方や例文、類語や英語を解説します。
 目次 [非表示]
1 「地獄絵図」とは?
1.1 「地獄絵図」の意味は”極めて惨い状況のこと”
1.2 「地獄絵図」の由来は”インドの六道輪廻”
1.3 「地獄絵図」はなぜ人々に広まったのか?
2 「地獄絵図」の使い方と例文とは?
2.1 悲惨な状況を比喩的に表す時に使われる
2.2 「地獄絵図」を使った例文
3 「地獄絵図」の類語とは?
3.1 「地獄絵図」の類語は”おぞましい”や”惨烈”など
3.2 「地獄絵図」の四字熟語での類語は”阿鼻叫喚”
4 「地獄絵図」の英語表現とは?
4.1 「地獄絵図」は英語で”a picture of hell”
4.2 「地獄絵図」を使った英語例文
5 まとめ

 「地獄絵図」とは?
 「地獄絵図」の意味は”極めて惨い状況のこと”
 「地獄絵図」の意味は、“極めて惨い状況のこと”です。そもそも「地獄絵図」は、地獄で死者がもがき苦しむ様子を表し、状況は極めて悲惨、見る意絶えないような凄まじいあり様を示す言葉です。
 「地獄絵図」の「地獄」とは仏教の世界において、生前に悪事を働いた者が死後に身をやつす場所です。「地獄に落ちる」というように、悪いことをした人が次の世界で「苦しみ」という裁きを受ける場所が「地獄」となります。その状況やあり様を表す言葉が「地獄絵図」です。
 「地獄絵図」の由来は”インドの六道輪廻”
 「地獄絵図」とは、もともとインドの”六道輪廻(天人界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)”を描写したものとして日本に伝わったと言われています。つまり、遠い昔、お釈迦様の時代にインドから伝来した仏教と一緒に日本にやってきたのが「地獄絵図」です。
 「地獄絵図」はなぜ人々に広まったのか?
 「地獄絵図」は地獄界を表したものですが、人々が悪いことをしないようにという教えが軸となります。生前に悪事をすれば死後の世界でもがき苦しむ、身動きすらとれない泥沼の世界がある、という教えが効力を持っていたことから広がったとされています。
 「地獄絵図」は罪を犯した人が落ちる場所として伝えられている、仏教に基づく教えの一つですが、現代ではその教えを信じる人は少なくなったと言われています。しかし「地獄絵図」は、現代では心のあり方を指導する「良き教訓」として残っています。

 まとめ
 「地獄絵図」とは、”極めて無残や悲惨な状況や地獄変相”を表す言葉です。インドから仏教の伝来ともにやてきた六道輪廻の一つ「地獄界」が語源で、生前に悪事や罪を働いたものが落ちる地獄のあり様を表現したものとなります。
 「地獄絵図」は、昔は犯罪や悪いことをすると地獄に落ちるという教訓が説得力を持っていましたが、現代では「悪いことをしないように自分を戒める」という教えや心のあり方として残っています。
 「まるで地獄絵図のようだった」「地獄絵図さながらの凄まじさ」というように、現場や状況の悲惨さを比喩的に表す時に使いましょう。
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 ウィキペディア
 地獄は、宗教的死生観において、複数の霊界(死後の世界)のうち、悪行を為した者の霊魂が死後に送られ罰を受けるとされる世界。厳しい責め苦を受けるとされる。素朴な世界観では地面のはるか下に位置することが多い。
 各宗教の地獄
 主な宗教における地獄は、以下の通り。
 仏教
 詳細は「地獄 (仏教)」を参照
 六道の最下層。閻魔の審判に基づいて様々な責め苦を受けるとされる世界。対比されるべきは、本来なら六道の最上層・天界のはずだが、実際には、成仏した者が行く六道のいずれでもない浄土(浄土は数多くあり、極楽はその一つ)と対比させられることが多い。
 ヒンドゥー教
 聖典のひとつである『ヴィシュヌ・プラーナ』によれば、生前に行った行為に因って陥る地下世界が28か所あり、全体でナラカと呼ばれる[1]。責め苦の内容が各世界の名となっており、審判者となるヤマ神の存在など、仏教の地獄と共通する要素も多い[1]。
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