🕯101)─2─日本の祖先の魂・霊魂は子孫の身近に留まって見守っている。~No.220  ⑳

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 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 2019年10月13日号 サンデー毎日「支社は行き続ける・・・
 宗教学が読み解く『死の向こう側』の世界   島薗進
 多くの犠牲者を出した東日本大震災を経た今、日本人の死生観は変わったのだろうか。映画やアニメの世界では霊魂の存在を扱う作品があふれ、『死後の世界』は世の大関心事とも映る。宗教学者島薗進氏が『死の向こう側』の現在を縦横に綴る。
 科学的知識が普及して、学校では世界のは物理的現象から成り立っていると教えられる。このような現代世界では『死後の生命』『死後の世界』を信じる人はどんどん減っていくのではないか。あるいはそう考える人も多いのではないかと思うが、必ずしもそうはなっていない。
 世界全体を見渡せば、イスラム教徒の人口が増加し続けている。そのイスラムにおいては、死後の救いを信じることは必須である。終末の日がくるとアラーによる最後の審判があり、信仰をもって正しく生きた者は天国に復活する。そうでなければ地獄へ落ちる。コーランクルアーン)には天国や地獄についてかなり具象的(ぐしょうてき)な叙述(じょじゅつ)もなされている。美酒・美食で性的にも満たされ、快楽があって苦痛がない天国、燃えさかる炎に包まれ苦痛に満ちた地獄が描かれている。
 西洋キリスト教世界や日本など東アジアでは、多数の住民が死後の至福の世界と苦痛に満ちた地獄をリアリティーをもって信じていたのは、近代化以前の時代だった。東アジアでは儒教的教養の広まりによって、近代科学に先だって来世信仰の抑制が始まっていた。19世紀以降、近代科学に基づく学校教育が普及し、天国・地獄のような死後世界の実在は信じにくくなっていく。
 ただし、原理主義的なキリスト教徒の間では、今も死後世界の実在が強く信じられている。たとえば、米国ではそのような信仰をもつキリスト教徒が今も一定の割合を占める。
 伝統的な来世観を捉え返す
 では、それ以外の人々はどうか。欧米諸国でアンケートを実施すると、『死後の魂の存続』については肯定的な答えがかなりの割合を占める。では、死後の魂はどこにあるのか。これはあまり明確ではない。『神のみもとに帰る』といった表現があり、その神は空間上のどこかに指定できるような場所にいるわけではないという受け止め方もある。この場合、『死後の生命』『死後の世界』はやや漠然としたものになっているが、まったくないというわけではないことになる。また、地獄にあたるような懲罰的な来世という像はたいへん影が薄くなっている。
 近代以前の日本では、阿弥陀仏の浄土である西方極楽浄土に往生するという信仰が有力だった。だが、近代の浄土教、たとえば浄土宗や浄土真宗ではこれをどう捉えるか。日本では江戸時代から心のなかに阿弥陀仏があり、また浄土があるといった考え方があり、現代では浄土は空間上に指定できるどこかではなく、異なる次元に『ある』といった表象が広がった。
 それはまた、『死後』という特定の時間において『往生』するというのではなく、阿弥陀仏への信仰が成り立つ『とき』において、そこに浄土が生成しているといった考え方ともつながっている。この場合も『死後の生命』『死後の世界』はやや漠然としたものになりつつ、主観的体験的な真実を反映した何かとして表象されることになる。
 死者が近くにいるという感覚
 ところが、死後のゆくえについて日本の大人に気楽に答えてもらうと『天国』という答えが返ってくることが多いという。たとえば、身近な人が死んだとき、大人は子どもに『おばあちゃん、天国からみんなのこと見ているよ』などと言ったりする。この場合の『天国』は、むしろ日本の農山漁村のような伝統社会の他界観に近いのではないだろうか。
 お盆には迎え火をたいて死者を他界から迎え、盆が終わると送り出す。この場合、他界には山にあったり、『草葉の陰』だったり、あるいは海の向こう側だったりする。地下のようでもあるが、地上の空間と隣り合った『幽界』のようでもある。これを言葉で説明しようとするととまどうが、季節の行事として自然に他界の死者と交流を行っているのだ。
 こうした民俗的な他界観は現代の都市住民には縁が薄いものだろうか。身近などこかに死者がいて、さまざまな機会に現実世界に現れるという感覚は、現代世界では失われたのだろうか。そうとも言えない。実際、死者に向かって手を合わせ、心のなかで言葉をかけるという人も多い。それは仏壇やお墓を前にして行われることだ。祈り念ずる場所に死者が現前するという経験もそれほど珍しいことではない。
 災害や事故事件、戦地・爆撃被災地などでは、犠牲者となった死者に祈る場が設けられる。その場に死者が現前すると感じる人も多い。そこは新たな聖地の様相を呈し、何ほどかの世を超えた何かが出現するのだ。
 『千の風になって』の死後生
 このように考えると、日本では2006年ごろから広く知られるようになった『千の風になって』という歌が、なぜ多くの人に親しまれているのかも理解しやすくなるだろう。
 
 私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 千の風
 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています
 秋には光になって 畑にふりそそぐ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
 夜は星になって あなたを見守る
 (ASRAC 出 190827─901)

 この歌では、死者は『空(そら)』にいるが、親しい生者(『あなた』)のすぐ近くにもいる。『天国にいる』というのと、あまり違いがないとも言えるだろう。日本人にとってあまり違和感がない歌詞ではないだろうか。ただ、従来の民俗的他界観では生活空間に近い山や草葉の陰や海の彼方や幽界だったものが、『天』にも通じる『空』になっている。少し遠く、かつ個人的になり、自由になったようでもある。
 実際、この歌はドイツから移住してドイツで亡くなった親のことを思う友だちのために、米国の女性が作ったものだと聞いたことがある。移動の自由が著しく拡充した現代世界で、しかし死者は身近にいるという感覚は必ずしも日本や東アジアの文化特有のものではなく、世界的にも広がってきているのかもしれない。
 日本では仏壇やお墓で死者と交流すると先述した通り、家庭に死者の写真が置いてある例は多く、それは仏壇とは限らない。日本人だけのことではない。写真や形見の物体を通して死者との交わりを経験するという事態は、世界的に広がっていると見てよいだろう。
 死者はある意味で実在する
 こうした経験に注目すると、死者はある意味で実在すると言ってもよいのではないか。『ある意味で』というのは、人が死んでもその死者と生者との交わり、絆は存続するというような意味においてだ。年齢を積んでいくと、自分が親しく交わった人たちが死んでいく。祖父母が亡くなり、父母やおじおばが亡くなり、師や先輩が亡くなっていく。きょうだいや子どもが先に死んでしまった大人や高齢者にとっても同様である。生き残っている人にとっては、先に逝った人たちとの交わりや絆は今も生きている。年齢が高いほど、人は死者たちとともに生きている側面が多くなっていく。
 これを単に、『死者は記憶のなかで生きている』というのでは、真実を尽くしていないように感じられる。親や師から受けた影響はからだや心のなかにさまざまに生き残っていて、それが感じられたり、それに応答したりする経験も珍しくないだろう。同様に精神的な意味での指導者が自分の『心のなかに生きている』と感じている人も少なくない。たとえば、イエス・キリスト親鸞聖人の言葉が心に鮮明に刻まれている人にとって、特定の死者が今もリアルに生きているという言い方に違和感はないのではないだろいか。
 少し前の日本では、祖先から子孫へのいのちを受け渡していくという感じかたが強かった。世代を超えてのいのちの共存が信じられていたと言える。しかし、現代では特定の家・親族や地縁に関わる共同性は弱まっている。しかし、さまざまな縁でつながっている人たちを通して広がる結びつき、絆を通して死後の生が表象される傾向が強くなってきている。
 生き残った人々とともに生きる
 生者は死んでも、生き残った人々とともに生きていく。このことのリアリティーを印象深く語った人のひとりに内村鑑三がいる。内村鑑三は『後世への最大遺物』のなかで、『志を後世に遺(のこ)す』という考え方を提示している。お金や事業や思想を遺して死んでいくこともできるかもしれんしが、どんな人にでもできることではない。どんな人にでもできることは、良き生を送ろうとし、それを後世に遺していくことだという。これは諸宗教が教える来世をのみこみにくいと感じている現代人にも受け入れられやすい『死後の生命』の考え方かもしれない。
 現代人に受け入れられやすいもう一つの『死後の生命』考え方は生まれ変わりということだろう。インドから広まった輪廻転生の信仰は、現代では仏教などインド起源の宗教の枠を超えて世界に広がっているようだ。ただ、伝統的な六道輪廻では、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの生まれ変わりの可能性があると信じられていたが、現代の輪廻転生観ではもっぱら人間として生まれ変わるという考え方が強まっている。
 また、今の人生のあり方は生まれる前に自分が選び取ったものだと考え方も広まっている。苦難を経験するのは、他者によって背負わされたのではなく、自らが魂の成長のために選び取ったのだという。また、この世でたまたま出会った人と深い相互理解ができるようになるのは、前世にすでに出会っているなどの縁があったからだと説かれることもある。
 こうした考え方の特徴は、この世の血縁や家族関係が軽くなっていることだ。生まれ変わりを繰り返している魂は孤独であり、孤独な魂が長い時間を繰り返し人間として生まれて、次第に魂を高めていくと考えると、この世での親子の縁は自(おの)ずから軽いものとなる。また、魂が向上していくと最後にはこの世の物質的次元を超えていくという考え方にもつながる。これはかつてグノーシス主義の思想系譜に見られた考え方と親和性がある。家族だけでけでなく、この世の人間関係そのものを束縛と感じるような考え方にも通じている。
 いのちのふりさとへ帰る
 他方、家族の縁を再確認しようとすることにもなる『死後の生命』の考え方が、新たに注目されるようになってきてもいるすでに他界した死者が生者に会いにきて、あの世での再会などについて語るという『お迎え』の経験に注目するものだ。このような『死後の生命』『死後の世界』の観念は、伝統的な民俗的来世観を継承するものだ。だが、死にゆく者のケアやグリーフケアが広がる時代になって、新たに関心を集めている。『お迎え』の経験が広く見られることに改めて気づき、それが安らかな死に、また死者とのリアルな交わりに通じると捉えられている。
 『お迎え』現象は臨死体験とも似ている。科学的合理的世界観を好む人に対しても、『死後の生命』『死後の世界』が存在するかのような経験が、人間性の一つの側面であることをともに認めようではないかと訴える力をもった事柄である。
 『お迎え』の経験と相通じるように思われるもう一つの考え方は、『いのちの源に帰る』という考え方だ。死を前にした人が聴くのを好む歌の一つが唱歌『故郷(ふりさと)』である。『うさぎ追いしかの山』で始まる歌だが、3番の『志を果たして いつの日にか帰らん』を、死んでいのちの源に帰ることと感じ取る人が増えているという。『故郷に帰る』歌や望郷の歌は、また自らを生み出した母の懐へ、さらには大いなる大地へ帰るという表象にも通じている。1960年ごろ、死を間近にした詩人の高見順は、『帰る旅』と題して、次のように歌っている(『詩集 死の淵より』抜粋、1964年)

 この旅は
 自然へ帰る旅である
 帰るところのある旅だから
 楽しくなくてはならないのだ・・・
 大地へ帰る死を悲しんではいけない
 肉体とともに精神も 
 わが家へ帰るのである
 ともすれば悲しみがちだった精神も
 おだやかに地下で眠れるのである
                
                 」
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 日本民族日本人とは、死者・祖先の魂・霊魂と寄り添って共に生きる民であった。
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 世界では、祖先は神の国・天国か亡者の国・地獄の何れかに存在して身近には存在せず、身近で細部まで存在するのは絶対神の手・御心である。
 身近に存在する魂・霊魂は、それが祖先でも滅ぼすべき悪魔に魅入られた悪霊・亡霊・幽霊であった。
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 世界の宗教は、絶対神との信仰契約で確実な恩寵・奇跡を受ける。
 日本の宗教は、祖先との絆・繋がりで成功保証のないあやふやな御利益を受ける。
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 日本の死後の世界では、罪穢れた亡者が責め苦を受ける地獄はあっても、安穏とできる神の国・天国や仏の国・極楽浄土はない。
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