🌺13:─1─日本民族の信仰は「シンクレティズム」(混淆的信仰観)で一神教でも多神教でもなかった。~No.24No.25 

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 日本列島とは、同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
 日本列島には、排他的不寛容な一神教や反宗教無神論イデオロギーは有害無益であった。
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 2024年4月17日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「日本」は「一神教の国」でも「多神教の国」でもない…あまりに不思議な「その実態」
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 日本文化はハイコンテキストである。
 一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する!
 *本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
 多神多仏の国
 日本は一神教の国でもなく多神教の国でもなく「多神多仏の国」です。神国でもなく、仏国土でもありません。そのように主張した人々はいましたが、その思いや狙いはべつとして、結果として多神多仏なのです。
 その「結果として」は、けっこう昔からのことでした。8世紀や9世紀に神宮寺ができて、神前読経が始まったころから(神の前で仏教の経典を読んでいたのです)、多神多仏なのです。八百万の神々がいるだけではなく、そこに仏教、道教民間信仰のイコン(聖像)たちがまじりあってきた。石ころも鰯のアタマもまじってきた。
 そのせいか、「日本人の宗教観はよくわからない」「はっきりしない、どうもあいまいだ」とはよく言われてきたことでした。たしかに一人ひとりの宗教観はわかりにくいし、家の宗教(宗旨)もはっきりしない。神道なのか仏教なのかと聞いても「ま、両方ですかね」などという答えです。
 しかし、こんなふうになっているから「多神多仏の国」だというのではありません。もとより多神多仏なのです。
 多くの日本人は結婚式では神主さんの前で三三九度の杯をかわし、葬式ではお坊さんを呼んでお経を誦んでもらって、仏式になります。神棚と仏壇が両方ある家も少なくはない。また仏壇がなくとも、たいていの家にはお数珠は用意されている。
 年末年始になると、きっとあまり意識せずにそうしているのでしょうが、日本人は大胆な行動に出ます。クリスマスをやって商店街のジングルベルを何十回も浴び、年の瀬には煤払いをしてお節を用意し、門松を飾って、除夜の鐘を聞き、正月には初詣で神社やお寺に行くのです。その初詣の人口は平成年間平均で8000万人を超えています。統計データでは平成20年(2008)が9818万人の最高記録になっている。
 ちなみに平成20年の全国初詣トップテンは、(1)明治神宮(東京)、(2)成田山新勝寺(千葉)、(3)川崎大師平間寺(神奈川)、(4)伏見稲荷大社(京都)、(5)鶴岡八幡宮(神奈川)、(6)熱田神宮(愛知)、(7)住吉大社(大阪)、(8)浅草寺(東京)、(9)武蔵一宮氷川神社(埼玉)、(10)太宰府天満宮(福岡)、というふうになっています。
 けれども残念ながら、それらの神社仏閣の御祭神や本尊について言える人は少ないはずです。熱田神宮は? 氷川神社は? そういうことには無頓着なのです。信心深いのか、テキトーなのか、どうにも一貫していない。
 寛容? 信仰心がない?
 もうすこし話をつづけると、日本各地にはお地蔵さんがいて、観音巡礼の札所が津々浦々にあって、鎮守の森にはたいてい八幡さまが朱色の鳥居をかまえています。多くの日本人がそのいずれにもそれなりの敬意を払い、お賽銭も上げ、手も合わせます。
 けれども地蔵信仰のことも観音信仰のことも、八幡さまのこともあまり知ったことじゃない。地蔵は仏教的には地蔵菩薩で、観音さまは観音菩薩のことです。だからこれらはインド由来の菩薩信仰のヴァージョンなのですが、日本人は自分たちが菩薩信仰をしているなどという意識はもちません。
 八幡さまは必ず八幡神を祀っているのですが、それが鎌倉時代以降に奉られた武神であって、誉田別命すなわち応神天皇と同一視されてきたことなど、やっぱり知ったことじゃないのです。
 お稲荷さんや七福神をありがたがってもいる。けれどもその由来も気にしない。念のためいうと、お稲荷さんは稲荷神社のことですが、その御神体はウカノミタマ(宇迦之御魂神)と稲を担いだ神さま(稲荷神)とキツネが習合したものです。
 インド仏教の夜叉(やしゃ=ヤクシャ)に属する荼吉尼天(ダキニ天)との関係もわかっています。でもそのお稲荷さんは日本では商売繁盛にしっかりむすびついていて、会社の敷地に小さな稲荷社を置いているところもあるほどです。
 一方の七福神は「恵比寿・大黒天・福禄寿・毘沙門天・布袋・寿老人・弁財天」ですけれど、これらはインドの神や禅僧や日本の海神など、ごちゃまぜです。恵比寿は日本古来の漁業の神、大黒天はヒンドゥー教シヴァ神の異名、福禄寿は道教の神さま、毘沙門天は仏教の四天王の一人……。
 それでも多くの日本人は、この七福神がたのしそうに宝船に乗ると、これをおもしろがり、町の七福神めぐりもする。おそらく中国の福神思想が長崎あたりに流れてきて、近世に七福神化したのだろうと思います。
 これらはまさに多神多仏の現象です。ではいったい、なぜこんなふうになったのか。何かがもともとでたらめだったのか、あるいは寛容なのか。実は無宗教なのか、信仰心がないのか。それとも日本人は宗教に関して考えることが苦手なのか。
 日本の信仰はシンクレティズム
 歴史をふりかえれば、日本人が無宗教であったとか、信仰心がなかったとはとうてい言えません。聖徳太子の「唯仏是真」宣言や東大寺大仏開眼このかた、日本人は仏教や仏像を愛し、読経に親しみ、その一方で伊勢や出雲や各地の鎮守の八幡さんをはじめとする神祇神道にも親しみ、さらには数々の民間信仰にも関心を寄せてきたのです。つまりもともと神仏習合的だったのです。
 中世には熊野信仰が流行しました。近世には富士信仰が流行しました。こういったことはずうっと続いているのです。だから日本人が無宗教だとか無信仰だとかとは、とうてい言えません。それなのにあいまいで、自分自身の宗教性は語らない。信仰力を大事なものと見ない傾向がある。どうしてなのでしょうか。
 阿満利麿は話題になった『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)という本のなかで、日本人は「創唱宗教」にもとづく信仰には全般的に無関心なのであって、それをもって必ずしも信仰心がないとは言えないだろうと書きました。創唱宗教というのは教祖・教義・教団がはっきりしている宗教のことです。そういう創唱宗教を各自がもっているわけではないが、みんながそれぞれ勝手な信仰心をそれなりに発揮してきたというのです。
 つまり日本人は宗教を拒否しているわけでも、否定しているわけでもなく、そのつど「信仰の向き」を選択しているのではないかというのです。欧米の宗教学者たちは、こうした日本人の信仰は「シンクレティズム」(混淆的信仰観)だと言います。まあ、当たらずとも遠からずです。ただし、日本のシンクレティズムは宗教だけにはかぎりません。いろいろな場面で混淆的です。リミックスが得意なのです。このことはまた話します。
 ともかくも、たしかに親鸞や座禅や初詣が好きなのは、その依ってきたる浄土真宗の教義や禅の清規や初詣をした神社の御祭神のせいではなくて、おそらくはたんに「ありがたい気分」がするだけからかもしれません。その一方で、たくさんの人々が伝統宗教や八十八ヵ所巡りや新宗教にかかわって、今日も仏前にロウソクを灯し、神棚の水をとりかえているのも事実なのです。
 というようなことで、私たち日本人にとって神道と仏教は実はわかるようでいて、なかなかわからないものの代表のようです。それでも、日本の神と仏はずうっと習合しようとしつづけた、と言うべきです。神と仏を分離しようとしたのは、明治政府が神仏分離令を発布して行われた廃仏毀釈のときだけです。この痛手はのちに影響をのこしたものの、大きくは今日にいたるまであいかわらず神仏習合が主流になってきたのです。
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 さらに連載記事<じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」>では、「稲・鉄・漢字」という黒船が日本に与えた影響について詳しく語ります。
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 シンクレティズム(英語: syncretism)とは、別々の信仰、文化、思想学派などを混ぜ合わせること。異なる信念や実践の組み合わせ。異なる複数の文化や宗教が接触して混交している状態や現象。違った背景をもち、互いに異質の宗教、哲学的立場、神学的立場を妥協させようとする行為、またその結果生まれる考え方。「混合」(混合主義)、「習合」(習合主義)、「諸教混淆」(しょきょうこんこう)ともいう。また「融合」「混交」「複合」「重層」などの訳語も使用されている。
 シンクレティズムという概念や用語は、異なる芸術や文化が合体・融合するさまを指すのにも使われる(「折衷主義」とも)。政治の分野でも使われている(政治的シンクレティズム)。
 概要
 あらゆる文化でシンクレティズムの現象は起きている。
 アリストテレス学派とプラトン学派などを調和しようとする努力、中国でのイエズス会典礼論争、キリスト教宣教師らによるキリスト教の「土着化」の努力などは、いずれもシンクレティズムの一種といえる。
 17世紀には、プロテスタントカトリックの対立を超える「全世界の教会の一致」が「シンクレティズム」と呼ばれた。その後、初期キリスト教に対する異教のさまざまな影響があった事実が明らかにされるなか、比較宗教学も発展してゆき、宗教や文化一般を論じる言葉・概念として定着した。
 宗教におけるシンクレティズム
 宗教、神学、神話におけるシンクレティズムは、元来別々であった宗教を合体させたり融合させることである。
 たとえば仏教、イスラム教、インドの宗教、中国の宗教などでもシンクレティズムは見られる。
 中国におけるシンクレティズム
 中国における三教すなわち儒・仏・道の三教合一。
 日本におけるシンクレティズム
 日本におけるシンクレティズムの代表格は神仏習合である。
 日本におけるシンクレティズム
 日本の宗教におけるシンクレティズムの典型例としては、中世以降の神仏習合がある。また修験道も、それが成立するには、仏教・道教・神祇信仰など、諸宗教間の相互接触が不可欠だった(つまり修験道は、日本におけるシンクレティズムの産物である)。
 日本では、「修験道神道と仏教のシンクレティズムだ」とか「土着宗教とキリスト教シンクレティズム」などという言い方でしばしば用いられ、様々なレベルにおける諸宗教間の融合、混淆、相互作用を意味する概念として定着している。
 『ただし、「[要検証 – ノート]この概念が前提とする「純粋なもの」対「そうでないもの」という二分法」の妥当性については[誰?]研究者から疑義が呈されている』と主張する人がいる[誰?]。
 大本教の例
 大本(大本教)は天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ(『古事記』)、大本内では大国常立大神(おおくにとこたちのおおかみ))をキリスト教などに言う「万物の創造神」としており、この神は世界の各宗教にいう阿弥陀如来、ゴッド、エホバ、アラー、天、天帝などの名称で呼ばれているものすべてと同じである、とする。
 皇祖皇太神宮は「すべての神々を祀る神宮(たましいたまや)」「ユダヤ教道教儒教キリスト教・仏教・イスラム教すべてを包含する万教帰一の神宮」であるという。天皇は元々「万国の棟梁、世界天皇」、また「世界の五色人もまた皇孫」であり、モーセ・釈迦・老子孔子孟子・キリスト・モハメットが皆来朝してこの神宮で修業した、と由来記に述べ、モーセやキリストに関する物品や古文書(『竹内文書』。超古代文献と称するもの)と称するものまで有していた。
 他、補足など
 異なる宗教の折り合いをつける方法としては、複数の宗教的伝統に「通底する部分が大いにある」とか「見方を変えれば、統一性がある」などと説明する方法がある。
 なおキリスト教プロテスタント福音派シンクレティズムを退けている。日本伝道会議は第1回日本伝道会議 宣言文において「イエス・キリストでなくても救われると教える異教や混合宗教、ならびに、イエス・キリストが救い主なる神であることを否定する異端をしりぞける」としている。
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