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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日露戦争は、江戸時代後期から存在していたロシアの日本侵略に対する軍国日本が起こした専守防衛の積極的自衛戦争であった。
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日本軍は、戦争しながら、戦場で戦争犯罪と人道貢献・平和貢献を同時に行っていた。
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明治の日本人と現代の日本人とは別人のような日本人であり、明治の日本人がおこなった自己犠牲の人道貢献は現代の日本人とは無関係である。
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2024年6月24日 YAHOO!JAPANニュース 山陰中央新報「かつてロシア船の乗組員を住民が救助 「ロシア祭り」で助け合いの精神、大切さ学ぶ 島根県江津市
「イルティッシュ号」と題した曲を合唱する高角小学校5年生=江津市和木町、和木地域コミュニティ交流センター
日本とロシアによる日露戦争の日本海海戦(1905年5月)で、船が沈没し江津市の海岸に漂着したロシア兵を住民が救助した歴史を伝えようと、江津市和木町の和木地域コミュニティ交流センターでこのほど、ロシア祭りが開かれた。住民たちの人道的な行動に思いをはせ、助け合いの精神を継承する大切さを認識した。
ロシア艦隊の輸送船「イルティッシュ号」が対馬沖で被弾し、漂着した乗組員200人以上を地元住民が救出したとされる。総合的な学習の一環で学ぶ江津市嘉久志町の高角小学校の5年生29人が、傷ついたロシア兵を救助する歴史を読み上げ「イルティッシュ号」と題した曲を合唱した。
同小5年の生徒(10)は「助け合いの素晴らしさを示した先人の行動を伝えられて良かった。戦争は良くないけど、傷ついた人がいたら同じようなことができる大人になりたい」と話した。
ロシア祭りは先人の行動をたたえて後世に語り伝えようと毎年、地元住民団体でつくる実行委員会が開催。住民らによる飲食と体験ブースもあり400人が訪れた。
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ロシア人、中国人、朝鮮人は、日本人とは違い、助けられても感謝せず、恩義を感じず、恩を仇で返しても恥とも思わない。
同じ人間といっても、日本人とロシア人、中国人、朝鮮人は正反対の人間である。
日本人の善意、思いやりは、ロシア人、中国人、朝鮮人には通用しないどころから新たな逆恨み、敵意、憎悪を生み出しただけであった。
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日本人は、中国古典文学とロシア近代文学が好きである。
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2021-05-24
🎺81:─4─佐渡の人びとは敵であった英軍輸送機「ダコタ」を助けた。昭和21年1月。~No.364 (51)
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日本人は、元寇で日本人を虐殺した高麗兵(朝鮮人)を許さず助けず惨殺したが、強制されて日本に侵略してきた南宋人は助けた。
2021-06-28
🏹22〕─1─日本人は捕虜にした蒙古兵と高麗兵を殺さなかった。~No.70No.71No.72
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武士道精神を具現化したのは、軍人勅諭であり、靖国神社の心である。
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伝統日本には、人種差別主義はなく、外国人への偏見・差別・排斥はなかった。
尊皇攘夷とは、日本を侵略し天皇と国と民族を滅ぼそうとした敵国・敵軍・敵国人に対してであって、全ての外国・外国人を排除するものではなかった。
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日本軍人は、中国人や朝鮮人そしてロシア人とは違い無駄な殺生を嫌い、戦闘終わって日が暮れれば戦場に残った負傷した兵士は敵味方関係なく救護して助けていた。
それが、武士の情けの一面である。
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戦争と死を覚悟して生きていた昔の日本人と戦争を嫌い命を大事にする現代日本人とは、別人のような日本人である。
その意味においても、現代の日本人には江戸時代まで生きていた武士・サムライ、百姓・町人でもない。
特に、エセ保守やリベラル左派の反天皇反民族反日的日本人はそれが言える。
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ソ連軍・ロシア人共産主義者は、日ソ中立条約を破棄して満洲・南樺太・北朝鮮を攻め込み、逃げ惑う数十万人の日本人避難民(子供・女性・老人)を虐殺していた。
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6月23日 YAHOO!JAPANニュース 南海放送「秋山真之はなぜ英雄になったのか?坂の上の雲ミュージアムで講演会
秋山真之はなぜ英雄になったのか。
日露戦争研究の第一人者が松山市で講演し歴史の舞台裏を語りました。
松山市の「坂の上の雲ミュージアム」で行われた講演会。
日露戦争を研究するイスラエルのハイファ大学ロテム・コーネル東アジアセンター長らが登壇し、松山生まれの旧・日本海軍の軍人秋山真之らがなぜ英雄として語り継がれているのかについて講演しました。
コーネルセンター長は真之は日本海海戦で連合艦隊の参謀として勝利に貢献したものの当時は英雄ではなかったと説明。
しかし、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」で主人公の一人となり、学生運動が盛んな時代に、優秀さや人柄などが再評価され、英雄として語られるようになったとしました。
その上で、英雄という存在はその時代の社会情勢の変化やニーズによって流動的に変わるものだとして、訪れた人たちに歴史の舞台裏を紹介していました。
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2023年6月19日 山陰中央新報デジタル「イルティッシュ号救助の歴史継承 江津・和木でロシア祭り
日露戦争中に沈没したロシア艦隊輸送船の乗員を住民が救助した歴史を語り継ごうと、江津市和木町の地域コミュニティ交流センターで18日、ロシア祭りが開かれた。住民と児童が敵国の兵士を助けた先人の勇気と行動...
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2022年9月26日 山陰中央新報デジタル「弔い、世紀を超えて ロシア兵追悼の心 島民受け継ぐ 国家間複雑でも人道的行動を
隠岐諸島は、日露戦争(1904~05年)でロシアとの接点が生まれた。対馬沖であった日本海海戦(05年5月)の後、島に漂着した20人を超えるロシア兵の遺体を、島民たちは手厚く葬った。弔いは1世紀以上たった今も続き、国家間の複雑な問題とは一線を画し次代へ継承しようとする姿は、混迷の中、人道とはどうあるべきかを問いかけてくる。 (隠岐支局・鎌田剛)
島根県西ノ島町美田の大山地区にある墓地に来待石でできた古い墓がある。潮風で風化し、墓標を読み取ることはできない。それでも佐倉真喜子さん(86)は「ここがロシア兵の墓です。幼い頃からこの場所にあって、来るたびに拝ませられた」と手を合わせた。
「ここにロシア兵が流れ着いたんだ」-。第2次世界大戦の終戦直後、祖父から聞かされた。「手を合わせて拝んであげよう」と促されたのを覚えている。
出征し、終戦から3年後に帰国するまで父の坂本菊次郎さん(1905~99年)はソ連に抑留された。祖父はよく、父親不在の一家のために、離れた集落から米を持って来た。そして、頭をなでてくれながら「自分の国の土に帰られなかった人たちだ。拝んであげなさい」と言った。
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佐倉さんは県職員として保健所で勤務。退職後の2005年、...
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2022年11月22日 山陰中央新報デジタル「【朝刊先読み!】かつてロシア船の乗組員を住民が救助、江津の高校生が平和の大切さ学ぶ
ロシアとウクライナのクイズに答える高角小児童=江津市江津町、江津工業高校
ロシアのウクライナ侵攻が続く中、江津工業高校(江津市江津町)が22日、高角小学校(同市嘉久志町)の5年生を招き、両国にまつわるクイズや国旗の色を組み合わせた和菓子づくりを通して平和の大切さを再確認した。
高角小は日露戦争中に江津沖で沈没したロシア船の乗組員を地元住民が救助した歴史学習を続けている。児童31人が、傷ついたロシア兵を救助する場面を読み上げた後、「イルティッシュ号」と題した歌を江津工業高校3年生15人の前で合唱した。
江津工業高生は、両国の国旗や民俗衣装▽伝統料理▽ロシアがウクライナを攻めた背景▽平和に生きるために大切なこと|といったクイズ38問を出題。児童は歓声を上げながら答えた。
高校生が指導役になり、両国の友好を願い、国旗色の赤、青、黄、白の色あんで黒あんを包み、和菓子の練り切りを仕上げた。
高角小出身で江津工業の佐々木颯(そう)さん(18)は「両国のことを学び、互いの立場を理解することが大事。ロシアと江津の関係性も広く知られるきっかけになってほしい」と願った。高角小の青木愛花(まなか)さん(11)は「二つの国の共通点を初めて知ることも多く、平和の大切さが実感できた」と喜んだ。
(村上栄太郎)
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2021年9月2日 山陰中央新報デジタル「イルティッシュ号 映画に モスクワで試写会 江津でも撮影
【モスクワ共同】日露戦争の日本海海戦で沈没したロシアの輸送艦「イルティッシュ号」の乗組員全員を、江津市和木町の住民が救助した逸話を題材にしたドキュメンタリー映画「イルティッシュ号の来た日」の試写会が8月31日、モスクワの在ロシア日本大使館で開かれた。
バ...
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日本の中国ヘの救援・支援。
2019-05-11
💖3)─1─華北大旱魃を救った明治天皇と明治政府。義和団事件。中国は西原借款の善意を踏み倒した。〜No.6No.7No.8No.9・
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日清戦争。
2019-07-06
💖4)─1─諸外国は観戦武官や新聞記者を日本に派遣して日清戦争を観察していた。~No.10No.11No.12No.13・
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日露戦争。世界ゼロ次世界大戦。
1900年7月 アムール川(黒竜江)事件。ロシア人兵士が清国人(満州族)約2万5,000人を虐殺した。
日本の世論は緊張し、反ロシア大集会が日本各地で開かれるに至った。ロシアは次に朝鮮を蹂躙して日本へ侵略してくるに違いない、というのが世論の見方であった。
そして、日露戦争は不可避となった。
2017-08-15
💖5)─1─金沢の市民は、日露戦争で身内をロシア軍に殺されたが、怨みを忘れてロシア人兵士捕虜の面倒を見た。~No.14・ @
2021-02-15
💖5)─2─日露戦争と習志野の捕虜。~No.15
2018-01-24
💖5)─3─明治の日本人は、撃沈したバルチック艦隊の特務艦イルティッシュ号から敵兵235人を救助した。~No.16No.17・ @
2021-09-01
💖5)─4・A─日露戦争で沈没の輸送艦、映画に 「イルティッシュ号の来た日」。~No.17
2024-06-24
💖5)─4・B─日本海海戦とロシア祭り。ロシア人敗残兵を助けた日本人の人道貢献。~No.17
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2020-06-27
💖5)─5─日本人は朝鮮人やアイヌ人を感染症から救っていた。~No.18No.19No.20No.21
朝鮮、
アイヌ、
江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大約2万6,800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
琉球、
台湾、
満州。
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2020年6月27日号 週刊現代「佐藤優 ビジネスパーソンの講座 名著、再び
現代社会に蘇った、『コロナ禍』の背景にある『黄禍論』の正体を知れ
……
池上氏は、このようなアジア人に対する差別を過去、欧米で深刻だった『黄禍論』とのアナロジー(類比)で解釈する。〈これで私が思い出したのが、『黄禍論』という黄色人種に対する人種差別です。19世紀から20世紀にかけて、欧米で中国人や日本人などの黄色人種に対する差別が燃え盛りました。日清戦争や日露戦争での日本の勝利を見た白人たちが、『黄色人種の脅威』を訴え、差別が広がったのです。新型コロナウイルスパニックでまた黄禍論が復活したような格好です。〉日露戦争(1904~05年)のときにロシアが日本の脅威を訴えるために『黄禍論』を宣伝した。その影響は北米大陸にも及んだ。第一次世界大戦後、日本が急速に国力をつけるとアメリカで急速に『黄禍論』が拡大し、日系アメリカ人が不当な差別を受けた。コロナ禍との文脈でトランプ大統領の白人至上主義者が『黄禍論』を蘇らせたのだ。」
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シベリア出兵。集団的自衛権発動。
2017-08-14
💖6)─1─日本陸軍は、シベリアからポーランド人戦争孤児765人を武力で助け出した。~No.22No.23No.24No.25・ @
2019-10-27
💖6)─2─日本外務省・日本大使館の反ドイツ派は、帰国したポーランド孤児をナチスから助けた。~No.26・
2021-02-07
💖6)─3─ポーランド人蜂起部隊イェジキの子供兵士を陰で支えた反ドイツ派日本外交官。~No.27
2023-10-20
💖6)─4─親日国ポーランドと日本。知られざる歴史と友好の絆。~No.28
2024-01-30
💖6)─5・A─国会の記録に残る〝日本陸軍がポーランド孤児を救出した〟発言。No.29
2024-06-08
💖6)─5・B─皇室が繋ぐポーランドとの絆「支援が無ければ我々の生活なかった」~No.29
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2017-08-17
💖7)─1─日本人軍国主義者は、シベリアのロシア人戦災児童約800人をロシア人共産主義者から救出した。~No.30・ @
2021-02-11
💖7)─2─ロシア人避難学童救出活動と日本シベリア派遣軍諜報機関。~No.31No.32No.33
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2020-03-13
💖8)─1─平明丸事件。日本陸軍はシベリアで救出したトルコ軍人捕虜約1,000人を本国に送り届けた。~No.34・
2023-10-05
💖8)─2─シベリア出兵時。日本軍は友軍チェコスロヴァキア人傷病兵を治療した。~No.35No.36No.37
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