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・ ・ 【東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博】・
現代日本では、反宗教無神論による政教分離の原則と信教の自由で日本古来の神々が殺されている。
氏子のいない神社には神はいない。
現代日本人は、事実としての歴史より架空の時代劇が好きであり、神秘に惹かれるが宗教には興味がない。
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神社と祭神を守るのは、神と血で繋がる子孫の氏子、神と神社の領域に住む地元住民、神を崇拝し神社に参拝する崇敬者の三者であり、そこに信仰者・信者・教徒はいない。
神社には、やってはいけない定めや掟はあるが、神の教えを伝える経典や聖典、教義や教理はない。
本来、神社の祭りは人を集めて金を儲けるイベントではないが、現代の祭りは欲得のイベント化している。
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儒教やキリスト教は、日本の怨霊信仰を否定し、迷信、怨霊による祟り、亡霊・幽霊・悪霊の呪いを認めなかった。
儒教は天命と徳で、キリスト教は愛と奇跡で、邪悪すべてを消し去った。
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世界で、日本は愛され、日本人は信用されているとは、嘘である。
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不幸に死んだ彷徨う魂・霊魂を、怨霊・亡霊・幽霊・悪霊、荒魂・鬼に変わらないに封じ込め、怨念や恨み辛みを鎮静させ鎮魂する最大の宗教施設が、靖国神社である。
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2019年6月21日号 週刊ポスト「逆説の日本史 井沢元彦
近現代編 第六話 明治の文明大変革 Ⅱ
演劇そして芸術一般の変革 その⑩
冷酷非情な大久保の心のなかにも生きていた『怨霊の祟り』への恐怖
要するに、西南戦争の翌年1878年(明治11)2月に『西条高盛(さいじょうたかもり)』を主人公とした『西南雲晴朝東風(おきげのくもはろうあさごち)』が上演され大成功を収めたばかりか、大久保利通が最高権力者であった政府から何の『お咎(とが)め』も無かったことは、世界の常識では到底考えられないことであり、この異常な事態を説明するには『日本の非常識』、この場合は『宗教』についての知見が必要だということだ。
それは怨霊信仰である。日本人は偉大な人物が『無実の罪』で不幸な死を遂げた場合、それが怨霊になる可能性が高いと考える。菅原道真が典型的な例だが、それを防ぐためには何らかの形で鎮魂しなければならないと考える。その鎮魂の手段が日本の芸術や芸能を発展させてきた。『源氏物語』が『平家物語』がそうであり、能楽もそうだ。その伝統を、この場合は明治という新しい時代に直面して方向性を模索していた歌舞伎が復活させたということだろう。能楽はすでに遠い昔に、現実の事件を舞台の上に取り入れるという手法を捨てていた。しかし歌舞伎は違う。幕府という政府の干渉があった時代も、現実の赤穂事件を換骨奪胎(かんこつだったい)した『忠臣蔵』で大当たりをとった。あれも主君の無念を家臣が晴らすという、怨霊信仰に沿(そ)ったものであることを思い出していただきたい。
……
ここはしつこいようで申しわけないが、もし同時代の朝鮮国で洪秀全({こうしゅうぜん}太平天国の乱の首魁)や金玉均({きんぎょくきん}甲申事変のリーダー)を主人公にした芝居など上演したら、関係者全員が死刑になってもおかしくない。なぜなら、彼らは皇帝や国王に反逆した『賊徒』であるからだ。西郷隆盛もこの点ではまったく同じである。このとき伊藤博文や松田道之は彼らに、『西洋の演劇は殺人も無く、男女の恋愛も淫(みだ)らではない』などという半可通(はんかつ)の説教はしたが、今回の芝居は朝敵を賞揚するものでケシカランとか、直ちに上演中止せよなどとは決して言っていない。そしてこれも繰り返しになるが、このとき大久保利通は病気でも無く健在であった。殺されたのは翌5月の14日である。そして明治政治史を知る者には常識だが、このときの伊藤は大久保の『子分』だ。大久保の意向には絶対に逆らえない。もちろん内務卿の大久保がこの芝居のことをしらなかったということもあり得ない。帝都で大評判をとっていたのだから。維新の志士時代から大久保は希に見る情報通であり、江藤新平の評判を下落させることでもわかるように情報操作の達人でもある。つまり、その大久保が『西南雲晴朝東風』上演については黙認したということだ。それ以外には考えられない。ここにまず注目しなければならない。
ではなぜ大久保が、清国や朝鮮国では関係者が全員死刑になるほどの芝居の上演を黙認したのか?『賊徒の汚名』を着せられながら天皇に至誠(しせい)を貫いた西郷隆盛という偉人を、明治の日本人の理想像にしようとしたのだ。だから政府も黙認した。このような見解もあるが、それは結果論というものだろう。確かに、そののち西郷という人間はそういう形で尊敬の対象となっていくのだが、この時点の国家の判断ではあくまで西郷は『朝敵』であり『賊徒』であった。これも繰り返しになって恐縮だが、この時点では墓を建てることはおろか法要を営むことすら不可能だったのである。
むしろ、こう考えるべきだ。西郷という明治維新を成し遂げた偉大な英雄が、『朝敵』という形でもって不幸な死を遂げた。これは何とか鎮魂しなければいけない。そうしないと西郷は怨霊になり新生国家にあらゆる不幸をもたらす存在になってしまう。しかし新しい法治国家の仕組みでは、藤原氏が菅原道真を生前の右大臣から太政大臣に『昇進』させるような『法的措置』を取ることは不可能だ。唯一残された鎮魂手段が芸能である。古くは藤原氏が『源氏物語』で自ら追い落とした源氏一族を鎮魂し、怨霊を恐れない武家の源氏が平氏を滅ぼしたときは、朝廷勢力の一員である天台座主慈円がプロデュースとなって『平家物語』を作成し平氏の鎮魂に努めた(『逆説の日本史 第五巻 中世動乱編』参照)。その伝統が、この時代にも受け継がれたのだ。
誰もが天皇に憚(はばか)り公式には西郷への鎮魂の言葉を口にできなかった時代に、いち早くその慰霊碑を建立した西郷の盟友勝海舟が、それ以前に最初にしたことは何だったか?『城山』という琵琶(びわ)歌つまり鎮魂歌を作ることだったではないか。歌と言えば、『朝敵西郷軍』と戦った政府軍を讃える『抜刀隊(ばっとうたい)』を作詞した外山正一は、西郷と西郷軍兵士のことを何と呼んでいたのか。思い出していただきたい。一番の出だしはこうだ。
吾(われ)は官軍我が敵は
天地容(い)れざる朝敵ぞ
敵に大将たる者は
古今無雙(むそう)の英雄で
これに従うつわものは
共に剽悍(ひょうかん)決死の士
(以下略)
確かに『天地容れざる(絶対に許されぬ)朝敵』という前置きがあるものの、西郷のことは『古今無雙(双)の英雄』であり、彼に従う兵士は『剽悍決死の士』と讃えている。これも外国と比べればよくわかると思うが、金玉均のことを『反逆の徒には違いないが、真に国を思う忠臣であった』などと讃える詩や歌を作れば、間違いなく閔妃(みんぴ)や取り巻きの官僚によって極刑に処せられただろう。そもそも、頭のなかに朱子学しかない朝鮮の官僚や学者にはそんな歌を作ろうとする発想すら無かったどろう。国王に反逆した人間は極悪人と決まっており、それ以外に考えようが無いからである。それが朱子学体制というものだ。日本は再三言うようにそうでは無かった。ではどこが違うのかと言えば、『志を貫けず不幸に死んだ人間の魂は、それが丁重に鎮魂されなければ祟る』という怨霊信仰が日本人の心のなかに生きているからである。だからこそ冷酷非情な大久保利通ですが、『西南雲晴朝東風』の上演を黙認したのである。
『英霊』は『怨霊』の近代的表現
じつは鎮魂手段、いや死者に対する措置が鎮魂だから正確には鎮魂手段と言えないかもしれないが、怨霊の出現を防ぐための『手段』がもう一つある。それは『本人が生きていることにする』ことである。死ぬから怨霊になるので、死ななければ怨霊になりようが無い。だから『あの人はじつは死んでいない。いまもどこかで生きている』と『信仰』すれば、怨霊の祟りへの恐怖を逃れることができる。だから怨霊信仰という信仰がある世界、つまり日本では民衆のなかからこういう『英雄不死伝説』が生まれやすい。
このことは、すでに20年以上前にこの連載で指摘している(『逆説の日本史 第五巻 中世動乱編』に収録)。源義経のことである。非業の最期を遂げた源義経に対し、日本人は『義経は死んでいない。無事に蝦夷地に逃れた』という北行伝説を生み出した。『死ななければ怨霊にならない』という、もっとも簡便で安上がりの怨霊『対策』である。そして、江戸時代には中国の金王朝の武将として義経が活躍したという話が劇作家沢田源内によって創作された。そこまでは前出の第五巻で述べたところだが、そのあと私は『この(後の)過程については幕末から近代にかけての編取り上げたい』と予告している。今、その予告を果たそう。
明治になると、義経はじつは元王朝の祖チンギス・ハーンだったという『説』が生まれた。この『伝説』を英文にして世界に広めた人物をご存じだろうか?政治家にして文筆家だった末松謙澄であり、彼はじつは伊藤博文の娘婿であり前出の外山正一とともに演劇改良運動の同志でもあった。『義経ジンギスカン説』(当時はそう呼ばれた)を世界に広めた目的はとりあえず中国への対抗意識で、国民の中国に対する対等意識を育てるためであっただろう。しかし、それを国民が信じるためには、そもそも『義経は死んでいない(あるいは不幸な死を遂げたとは思いたくない)』という民衆の強い思いがなければ不可能であり、末松も義父の伊藤もそうした日本民族の嗜好やその対策の効果については政治的におおいに利用できる、と認識していたということだろう。
それゆえ、明治の日本では『西郷不死伝説』が根強く語られるようになる。日本初の本格的なSFシリーズ『海底軍艦』の作家でもあり、今年のNHK大河ドラマ『いだてん』に登場した『天狗倶楽部』の創設者でもある作家押川春浪は、ロシアに潜伏していた西郷が日本に帰ってきて大歓迎されるというストーリーの作品を発表しており大人気を博したが、注意すべきはこの作品も決して政府によって発禁処分にされていないということだ。また1891年(明治24)の大津事件の際、来日中のロシア皇太子(後の皇帝ニコライ2世)に斬りつけるという凶行に及んだ巡査津田三蔵は西南戦争に政府軍兵士として参加したが、ロシアとかつての敵西郷がつるんでいたと考えており、それが犯行の動機だったという説を唱える者まで現われた。またすでに紹介したように、芥川龍之介は『西郷は現在も生きているかもしれない』という内容の短編小説『西郷隆盛』を1918年(大正7)に発表している。これは鎮魂行為とはいえないが、西郷不死伝説が後々まで語り継がれていたことの証拠にはなるだろう。
怨霊信仰の原則をもう一度確認して置こう。『怨念を抱いたまま死んだ人間は鎮魂しなけば怨霊になる』が、『丁重に鎮魂しお祀りすれば善なる霊的存在になる』。それを『御霊(ごりょう)』と呼ぶ。御霊は基本的に神であり『天神(てんじん)』となった菅原道真がその典型だが、大日本帝国は国のために戦って死んだ兵士を『英霊(えいれい)』と讃えた。戦死したのだから基本的に不幸な死であり、それを国家が丁重に祀ることによって怨霊化を防ぐ、という考え方である。当然丁重に祀るのだから彼らの霊は『善なる霊的存在』になる。つまり『英霊』とは『御霊』の近代的表現なのである。
それを認識していれば、1941年(昭和16)に昭和天皇ですら難色を示していた日米開戦に踏み切った内閣総理大臣東條英機が言ったという『英霊に申し訳ないから撤兵できない』という言葉の恐ろしいほどの重みがわかるだろう。日本が日清戦争、日露戦争を勝ち抜き中国大陸に利権を獲得するまでどれほど多くの兵士が死んでいるのか。いまアメリカの要求に従って中国から撤兵すれば、これらの英霊がすべて怨霊と化してしまう。いくら天皇の意向とは言えそれはできない、というのが怨霊信仰の信者でもある日本人東條英機の信条である。
そして結局戦争は実行され、何百万人の日本人が死んだ。すると日本人は不幸に死んだそれら犠牲者が怨霊と化さないように、『彼らは平和の礎となったのだ』と考える。実際には『鬼畜米英』を倒そうとして志を果たさず死んだ人もいるのだが、それを無視してすべて『平和の礎』つまり『新しい英霊』と考える。
だからその力によって実現された日本国憲法を変えることは、彼らを御霊化させることだから何が何でも反対する。東條英機に『アメリカと戦争なんてしたら何百万の犠牲が出るかもしれないよ』と言っても聞く耳を持たなかったように、戦後の護憲派は『北朝鮮がミサイルを撃ってきたら何百万人の犠牲が出るかもしれないよ』と言ってもまったく受けつけない。これが日本人の信仰であり、そうした信仰を理解しない限り日本史は決して理解できないのである」
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日本の宗教風土には、人が死んだら行く死後の世界。俗に言う天国、極楽、浄土や地獄、煉獄などはない。
黄泉国は、人ならざる者、悪鬼、邪鬼、妖怪、物の怪など魑魅魍魎が住む世界である。
神の世界と言われる「高天原」は、最高神である女性神・天照大神など天つ神が重労働・仕事をしながら生活する神聖な場所であって、人が死んで魂となって行く場所ではない。
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日本人は、明らかに作り話とわかる占い・神秘談・幽霊話・怨霊話・不死身物語を容易に信じて恐怖する性質を持っている。
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自然の荒魂は、日本列島の空・大地・川・海を駆け巡って天災を引き起こす。
人の怨霊は、日本民族日本人の間を駆け巡って人災をもたらす。
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昔から、怨霊・亡霊・幽霊・悪霊が日本列島・日本国土・日本民族に呪いを掛けている。
日本の怨霊・亡霊・幽霊・悪霊は、虐げられた、哀れな敗者や弱者達であるがゆえに、その怨み骨髄で相手とその家族を呪い祟って殺した。
幽霊や亡霊になるのは女性が多い。
怨霊や悪霊になるのは男性が多い。
怨霊・亡霊・幽霊・悪霊が成仏できるのは、殺したいほど憎い相手とその家族を全員殺すか不幸のドン底に突き落とした時だけである。
日本を支配している空気・空気圧とは、怨霊・亡霊・幽霊・悪霊の呪いである。
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日本の文学・芸能は、怨霊・亡霊・幽霊・悪霊・鬼を反権力・反権威の題材として取り上げ勝利者や強者を懲らしめていた。
つまり、怨霊・亡霊・幽霊・悪霊・鬼らは敗者や弱者の味方とも言えた。
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日本の怨霊・亡霊・幽霊・悪霊・鬼は、西洋や中華のモンスターのように誰彼容赦なく虐殺する殺人鬼ではなく、取り憑いて殺す相手は決まっていた。
ただし、自然の荒魂は違う。
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日本に於ける2大怨霊は、政争に敗れた菅原道真(天満宮祭神)と戦争に敗れた平将門(神田明神祭神)である。
公家・菅原道真は、学識・知識・教養に優れ、天皇に対する忠誠心が人一倍篤かった。
武士・平将門は、人望があり、戦上手であり、関東の人心の支持を受け、天皇に弓を引き、新皇を自称した朝敵であった。
怨霊・亡霊・幽霊・悪霊・鬼は、反権力・反権威であり、勝利者・強者に対する宗教的武器であり、敗者・弱者の守護神であった。
怨霊・亡霊・幽霊・悪霊・鬼を鎮められるのは、天皇の権威のみであった。
それ以外で鬼に変じた人間は、武将であれば源為朝や明智光秀、百姓であれば佐倉惣五郎、奇人であれば平賀源内、盗賊であれば石川五右衛門や鼠小僧次郎吉などである。。
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言霊の真の力とは、言葉で怨霊・亡霊・幽霊・悪霊・鬼を鎮める宗教的威力である。
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日本国内で死んだと信じられていた英雄豪傑が、実は、中国・朝鮮など大陸で生きていて活躍したという生存説は、根拠のない作り話である。
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怨霊・亡霊・幽霊・悪霊・鬼を生み出さない方法に、悲運の英雄生存説と涙を誘う歌舞伎などの演劇の題目にする方法である。
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怨霊・亡霊・幽霊・悪霊・鬼には、百姓一揆の首謀者として武士によって処刑された身分低い百姓もいた。
百姓の神。
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怨霊の先にあるのが、天皇・皇室である。
最強の怨霊は、崩御された天皇の死穢である。
天皇の死穢を封じ込めたのが天皇陵への土葬であり、仏教伝来後は火葬による仏式葬儀であった。
血筋・血統に基ずく万世一系の男系天皇が行い秘儀とは、天皇の死穢を鎮めて浄化し、天皇の魂・霊魂を日本を守る天皇霊・神霊・御霊に昇天させ、その天皇霊を我が身に取り込む事であった。
この血筋・血統に基ずく一子相伝的秘儀は、男系でこそ効力があり、女系では不可能であった。
血筋・血統の大元は、日本の最高神である女性神・天照大神である。
女性神・天照大神は、伊勢神宮の祭神であり、現天皇・現皇室の祖先神である。
天皇・皇室における特殊な血筋・血統、特別な家系・家族とは、そういう意味である。
それが、民族中心神話と天孫降臨神話である。
それゆえに、万世一系の男系天皇家・皇室における高貴な血筋・血統は神聖不可侵なのである。
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戊辰戦争のおり、官軍は朝敵の戦死者の弔い、埋葬を禁止し、死体を野晒し見せしめとした。
明治維新政府は、キリスト教価値観による近代化を推し進める為に、廃仏毀釈で仏教に、神社合祀令で神道と国学に、宗教弾圧を行った。
国家神道は、民族固有の既存宗教を弾圧してつくられた。
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現代日本人は、無宗教無神者でありながら占いや験(げん)を担ぐのが好きだが、科学的でない迷信、怨霊の祟り、幽霊の呪い、亡霊や悪霊が取り憑くなどを信じてはいない。
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忠臣蔵は、現代日本では人気がなく、現代日本人は関心も興味もない。
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現代日本では、乳幼児の我が子を平然と殺す親や自分より弱い女性や子供を殺す通り魔という陰惨な殺人事件が増え始めている。
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真っ当な事を語り、口で同情するというが、いざとなったら見捨てて何もしてくれない、それが日本の世間であるからである。
所詮、他人、分かち合えないのが日本人である。
日本人とは、御上、権力者や権威者、勝利者や強者に、卑屈なまでに媚び諂い、愛想笑いを浮かべてごまをすり、賢さを認めてもらう為に忖度する、心がねじ曲がった卑しい人間である。
当然、日本社会は薄情で褒められたものではない。
日本は、冷たく、誰も助けてはくれない。
そうした傾向は、高学歴出身知的エリートに多い。
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