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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
バチカン、カトリック教会、ローマ教皇は、日本天皇の神聖を認め、皇室を尊重し、日本神話、日本神道の宗教性を受け入れた。
カトリック教神父は、靖国神社でミサを上げる。
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韓国キリスト教会は、アメリカ・プロテスタント系でローマ・カトリック教の異端派で、土着のシャマンの影響を強く受けていた。
教祖は、聖書を独自に歪曲し、自分は神・救世主の生まれ変わりと自称して信者を集め、金集めを許容し、集金力ある信者を幹部とし、集められない信者を奴隷のようにこき使った。
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日本には、絶対神の恵みや恩寵も救世主の奇跡も無縁であった。
日本の自然災害は、神や仏に関係なく発生し、善人であろうと悪人であろうと、信仰があろうがなかろうが、女性も男性も、大人も子供も、全てに襲いかかり命を奪っていた。
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韓国・キリスト教会は、プロテスタント系アメリカ・キリスト教会の影響を強く受け、狂信的な反天皇反神道反日であった。
キリスト教系朝鮮人テロリストは、日本人共産主義テロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺するべく付け狙っていた。
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関東大震災では、被災地で朝鮮人惨殺事件が起きていた。
上海のテロ集団・大韓民国臨時政府は、多数のキリスト教系朝鮮人テロリストを大混乱している日本に潜入させた。
ソ連は、援助物資を届ける名目で共産主義工作員を日本に送り込もうとしていた。
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1980年代頃から、日本のキリスト教会の一部は、反天皇反神道反日運動を強める韓国・キリスト教会に協力し歴史教育問題・従軍慰安婦問題・靖国神社問題などに深く関与し、日本批判を強め始めた。
一部の日本・キリスト教会と韓国・キリスト教会は、日本をキリスト教国に生まれ変わらせ、日本人を邪悪な天皇支配から解放する為に協力関係を強めた。
昭和天皇の戦争責任と戦争犯罪、日本の戦争犯罪に対する謝罪と賠償を世界に向けて訴えた。
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2007年7月17日 オンヌリ教会機関誌オンヌリ新聞「この日の礼拝で現地の日本人聖徒300人余は、聖霊が導く感動によって、日本が過去に韓国に犯した過ちに対する赦(ゆる)しを求め、跪(ひざまず)いて涙を流し、ラブソナタのスピリッツである、信仰と和解に一致が起こりました」
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2011年3月11日 東日本大震災。一部のキリスト教会は、大震災は邪教を信奉するという大罪を冒した日本人への天罰だと公言している。
カルト系韓国・キリスト教会の公式コメント。
オンヌリ教会教祖・河用祚(ハンヨンジョ)「日本が地震に見舞われるのはサタンの国」
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韓国人宣教師や信者は、被災地における布教活動をする為にボランティアと称して大量に入り込んで来た。
ヨナ祈禱会「クリスチャン人口が0.2%の日本は韓国教会にとって霊的にニネベと言えるでしょう」
日本人被災者は、キリスト教布教をする上から目線の韓国人キリスト教関係者を嫌悪し、差別的態度を見せた。
つまり、被災地にとって大きなおせわお世話、有り難迷惑であった。
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日本民族日本人は、布教活動を行うキリスト教とイデオロギー革命を目指す共産主義を被災地から排除した。
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3月12日 ネット新聞ニュース・ミッション
汝矣島教会・趙鏞基「(震災は)偶像崇拝と物質主義に明け暮れ神様を遠ざけてきた日本への神様からの警告」
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3月13日 江南教会・金聖光(キムソングオン)「日本には偶像は800万ある。天皇は津波を防げなかった。天皇を祀(まつ)る罪を見て神様が大地を揺さぶったのだ」
米・アリゾナ在住の左永振(チャヨンシン)宣教師「迷信と800万個の偶像に仕える日本人たちが、神を知らずに死んでいく魂になるのを捨て置けない」
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中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として売買して大金を稼いでいた。
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京都大学学術情報リポジトリ
KURENAI紅
京都大学
Title 日帝統治下における神社参拝と朝鮮キリスト教
Author(s) 金, 文吉
Citation アジア・キリスト教・多元性 (2003), 1: 65-82
Issue Date 2003-03
URL https://doi.org/10.14989/57672
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
日帝統治下における神社参拝と朝鮮キリスト教―朝鮮教会の神学思想と神社参拝―
65
アジア・キリスト教・多元性 現代キリスト教思想研究会
創刊号 2003 年 3 月 65~81 頁
日帝統治下における神社参拝と 朝鮮キリスト教 -朝鮮教会の神学思想と神社参拝-
金 文吉
1.序論
朝鮮(以下韓国と呼ぶ)キリスト教は、神社参拝の問題という大きな試錬に直面したのは 1910 年から 1945 年の間の韓国植民地時代であった。この神社参拝は皇民化改策の一環であり、韓 国民族を所謂「内鮮一体」思想によって鼓吹するものであったが、この「内鮮一体」思想を鼓吹する方法は日本神社への参拝を強制することであった。当時神社参拝に関して攻撃的たたかいがはじまったのは、韓国キリスト教の教理においてであった。日本帝国主義が韓国キリスト教界を抹殺しようとしたことは、直ちに韓国民族を抹殺することであると考えられた。(1)このような見解は日帝統治下の韓国教会が民族キリスト教へと転換したことを意味している。日本帝国統治下の韓国の神社はソウルをはじめとして 1919 年から 1932年まで各所に 51 余社が 建立され、(2)祖先を祖神とする熱烈な信仰をそのまま皇室を尊崇することへと、氏族祖神を 皇室尊崇へときりかえ、天皇を現人神するものであったのである。
神社参拝が最初に強要されたのは、平安南道(現在は北朝鮮)の安武知事が満洲事変の際に、戦投将兵慰霊祭への参席を要求したときであった。1938 年 9 月 10 日、韓国基督教長老派第 27 回総会においては、日帝官憲の弾圧的不法行為によって全キリスト教信徒は神社参拝をする よう義務づけられた。(3)本論文においては、神社参拝に関して、日本帝国統治下にあった韓国キリスト教界の思想を解明し、同時に自らの生命を懸けて神社参拝を受けつけなかった人々の信仰を考察したいと思う。一方に、神社は宗教ではないと主張して神社参拝を受け入れた教団ならびに多くの人々が存在した。しかしまた他方、神社参拝が宗教であり偶像崇拝であるとの立場をとったために投 獄され殉教した人々が多く存在し、1945 年 8 月 15 日に獄中から解放されたのである。さらに、以上の動向との関わりで、今日の韓国キリスト教がどのようになっているかについても論じたい。
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1937年12月23日 総督府は、各学校、公官署、各職場に天皇の御真影を配付し、礼拝を強要した。
朝鮮各地のキリスト教会は、人である国家元首・万世一系の男系天皇(直系長子相続)を現人神とする事に嫌悪し、絶対神への信仰から異教徒の神を祀る神社への参拝を拒否した。
朝鮮人キリスト教徒も、侵略者日本人への不服従から御真影への礼拝を拒絶した。
アメリカ系宣教師は、自由と平等を掲げて、朝鮮人キリスト教徒の信仰を支持し、朝鮮人の独立運動を支援した。
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ウィキペディア
祖国に対する信者のつとめは、カトリック教会の当時の教皇庁布教聖省が、日本のカトリック教会あてに送った1936年5月26日付の「第一聖省訓令」で述べられている指針である。神社への参拝は、「愛国心と忠誠心の表現である」とし、靖国神社参拝も認めている。教皇庁が何らかの手違いや間違いでそう言ってしまったのではなく、1951年11月27日付の「第二聖省訓令」でも再び確認されている。 内容
以下が、この指針の結論としてまとめられている部分である。
{日本帝国の司教たちは次のことを、信者たちに教えるべきである。政府によって国家神道の神社として管理されている神社において通常なされる儀式は(政府が数回にわたって行った明らかな宣言から確実に分かるとおり)国家当局者によって、単なる愛国心のしるし、すなわち皇室や国の恩人たちに対する尊敬のしるしと見なされている。また、文化人たちの共通の見解も同様なものである。したがって、これらの儀式が単なる社会的な意味しかもっていないものになったので、カトリック信者がそれに参加し、他の国民と同じように振る舞うことが許される。ただし、自分の振る舞いにまちがった解釈を取り除く必要があると思われる場合には、信者たちは自分の意向を説明すべきである。}
議論
このローマ教皇庁福音宣教省の公式見解に対し、現在の有効性を含めた議論が、日本のカトリック教会内部で存在している。
日本カトリック司教協議会(カトリック中央協議会)
カトリック中央協議会は、教皇庁(バチカン)の出した、1936年の「第一聖省訓令」の中で、靖国神社への参拝は「愛国心と忠誠心の表現である」との理由でこれを認めており、以後、現在までこの見解に対する修正はなされていないとしている。しかしこのことを考えると同時に、この見解が出された当時の日本は、政権内の多くのポストを軍人が占め、また軍の意向が政権運営に大きく影響していた、いわゆる「軍国主義国家」であり、また、軍や文部省が神社参拝について「愛国心と忠誠を表すだけであり、教育上の理由として行い、宗教的慣行ではない」としていたこと、また、教会は、信者たちを軍国主義国家の政府による迫害から守ろうとして、いかに苦悩し努力したかなど、その「時代性」に十分留意して考える必要があるとしている。
この指針は、カトリック信者の学生たちが靖国神社への参拝を拒否した(上智大生靖国神社参拝拒否事件)ことから、各学校に配属されていた配属将校がこれに抗議して引き上げるという、当時としては大学および学生たちの将来において重大な影響を与えうる大事件に対してどう対応するか、ということについて教皇庁の指導を受けたものであって、今日国家神道は存在せず、神社参拝は国民の義務ではないことなど、指針の前提が大きく変わってしまった以上、そのまま適用することはできないことが述べられている。
日本カトリック司教団
日本のカトリック教会を指導する、日本カトリック司教団は、この指針について、戦後に日本国憲法が制定されたこと、国家神道が解体され靖国神社が一宗教法人になったこと、教会も第二バチカン公会議を経たことなどから、当時の指針をそのまま現在に当てはめることはできないとの考えを表明している。
{教会は当時の布教聖省の指針に基づいて、「学生が神社で行うように政府から命じられた儀式は宗教的なものではない」とし、天皇に対する忠誠心と愛国心を表す「社会的儀礼」であるとして、信徒の神社参拝を許容しました。こうして、あの戦争に協力する方向へと向かってしまったのです。しかし戦後に日本国憲法が制定されたこと、国家神道が解体され靖国神社が一宗教法人になったこと、教会も第二バチカン公会議を経たことなどから、当時の布教聖省の指針をそのままでは現在に当てはめることはできません。}
参考文献
『信教の自由と政教分離』(日本カトリック司教協議会 社会司教委員会・編、カトリック中央協議会発行、2007年)
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