🌺2:─1─人類学は自然人類学、先史考古学、社会人類学で構成されている。~No.2No.3

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 日本民族大和民族は、明治の近代化で急遽作られた分類で江戸時代まではなかった。
 「日本民族単一民族である」はウソである。
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 2024年4月9日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本中の職場に溢れる「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれた…人類学者だけが知っている「経済の本質」
 奥野克巳
 「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。
 ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。
 サファリルックで「未開の地」へ?
 そもそも、人類学とは何でしょうか。みなさんは人類学という言葉を聞いたとき、どのようなイメージを思い浮かべるでしょう。サファリルックのような服装で「未開」の部族に入り込み、フィールドワークをつうじてその人たちの文化を明らかにする学問? たしかにそれもひとつの見方です。ただ、それはある意味で固定化されたイメージにすぎません。
 たとえば最近では、デヴィッド・グレーバーによる『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(2018年)が話題となりました。誰も読まない文書の作成、いつまでも結論が出ない会議の連続……。現代にはやりがいもなく、無意味な仕事が蔓延しています。読者のみなさんも、「なんでこんな無駄な仕事があるんだろう」と感じる場面が多いかもしれません。効率化が進んだ現代において、「無駄」な仕事はどんどん淘汰されていくと思われていました。ところが、そのような無意味な仕事は逆に増えていくばかりです。それらをブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)と断言したグレーバーの研究は、社会の中での生産や分配、消費などの人間の経済生活を考察するという点で経済人類学として位置付けられます。それだけではなく、いまや人類学は、芸術人類学や医療人類学、観光人類学、映像人類学、心理人類学、宗教人類学など多岐にわたっています。
 このようにずらりと並んだ下位分野を見ると、人類学とは何をやっているか分からない、正体不明の学問のようにも思えるでしょう。
 ですが、人類学が誕生して以来、この学問が問い続けてきた本質は何も変わりません。それは「人間とは何か」という問いです。
 人間とは何か。その根源的な問題を追い続けて、人類学者たちは悩み、悪戦苦闘してきたのです。そして彼らが見つけ出してきた答えは、今を生きている私たちのものの見方や生き方を変え、現実を生き抜くための「武器」にもなり得るのです。
 人類学100年の歴史とは
 4人の超重要人物
 記念碑的な著作が出版された1922年に近代人類学が誕生してから100余年、これまでに数々の人類学者たちが世界中を駆け回り、幾多の学説を唱えてきました。それらをひとつひとつ取り上げ、トピックや人名別に整理して辞典的にまとめた本はすでに世の中にたくさん出されています。ですが、この本ではあえてそのような形はとりません。ズバッと人類学の要諦を掴むための、「はじめての人類学」としての一冊を目指します。
 誤解を恐れず言えば、人類学には「絶対にこの4人は外せない」という最重要人物がいます。ブロニスワフ・マリノフスキ(1884―1942)、クロード・レヴィ=ストロース(1908―2009)、フランツ・ボアズ(1858―1942)、ティム・インゴルド(1948―)です。彼らは19世紀後半から現代に至るまで、それぞれの時代を生きながら人類学において重要な概念を打ち出してきました。
 先回りして言えば、マリノフスキは「生の全体」を、レヴィ=ストロースは「生の構造」を、ボアズは「生のあり方」を、インゴルドは「生の流転」を突き詰めた人類学者と捉えることができます。
 人間の生にまつわるこの4つの考え方は、そのまま人類学が歴史の中で勝ち取ってきた学問的な成果です。つまり4人の人類学者を取り上げることで、人類学の歩みが一掴みにできると言えるのです。本書ではこの4人を中心に、人類学の「真髄」を押さえます。
 さらに連載記事〈「ミンゾクガク」は「民族学」?「民俗学」?日本人が大好きな「河童伝説」の研究が生まれた「本当の理由」〉では、人類学の超重要ポイントを紹介しています。
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 4月10日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「くだらなすぎる現実から抜け出したい…100年前、ひとりの人類学者が発見した「ある答え」
 奥野克巳
 「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。
 ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。
 現場主義の人類学者
 どのような分野であれ、人は何かを知りたいと思ったとき、まずはこれまで先人たちが残してきた書物を探します。そして目的のことが書かれている本や文献、資料にあたれば、たいていのことはイメージが掴めるでしょう。
 しかし、それで本当に知りたいことの「すべて」が理解できるわけではありません。異国の人々を知ろうとする人類学ならば、なおさらです。遠く離れた場所に住む人たちのことは、本だけでは分かりません。どうしても理解できない部分がモヤモヤと残ります。それならば実際に現地に行って、見てみることで、謎は解決に向かうはずです。そして現地での滞在は短期ではなく、長期に及ぶほど理解は深まるでしょう。
 © 現代ビジネス
 そのことを人類学の中で突き詰めた人がいます。ポーランド生まれのブロニスワフ・マリノフスキです。彼はフィールドに出かけて長期間にわたって現地に住み込み、その土地の言語を身につけて調査を進めました。
 マリノフスキは現地の人たちが行っている行事や儀礼、仕事、その他の様々な出来事に参加(参与)しながら観察を行う「参与観察」という手法を編み出しました。この参与観察は、現在でも人類学において非常に重要な研究手法として受け継がれています。彼は現場主義に徹した最初の人類学者だったのです。
 安楽椅子学者への強烈なアンチ
 そもそも前章で触れたように、19世紀から20世紀にかけての人類学では、文化を直進的に進化発展するものとして捉える「文化進化論」が優勢でした。19世紀の人類学者たちが「安楽椅子の人類学者」と揶揄されたように、彼らは探検家や旅行者、宣教師などによって記録された二次資料に基づいて、机の上で仕事をしていたのです。
 文化進化論の目的は、文化の諸要素を当該社会の全体性から切り離して比較し、時間的な前後関係に並べ替えることでした。要するに、文献で得た情報をつなぎ合わせるパッチワークです。
 ですが、頭の中だけの世界に終始するそうした方法には限界があります。これまでの研究手法を退屈に感じ、不満を抱いていたマリノフスキは実地に調査に出かけて、文化をより深いところで捉えようとしたのです。
 マリノフスキは、共同体を外から眺めて「ここの社会はこうなっている」と表面的に断じることをしませんでした。むしろ内部に潜入して、自分の目の前で起きていることの細部にこだわりながら記録し、人間が生きているさまを生々しく描き出したのです。彼の生み出したやり方をひとつのモデルとして、20世紀の新しい人類学のスタイルが切り拓かれたのです。
 目の前で繰り広げられている出来事をその場でわしづかみにするフィールドワークは、社会が儀礼や経済現象、呪術などが複雑につながり合ってひとつの統合体として成立していることを教えてくれます。そしてマリノフスキはその複雑なつながり合いを「機能主義」として理論化し、旧来の人類学を打ち破りました。マリノフスキは、人間の生きている全体をまるごと理解することを提唱したのです。
 さらに連載記事〈日本中の職場に溢れる「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれた…人類学者だけが知っている「経済の本質」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。
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 4月10日7:03 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「ミンゾクガク」は「民族学」?「民俗学」?日本人が大好きな「河童伝説」の研究が生まれた「本当の理由」

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 「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。
 ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

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 【写真】多くの人が間違っている「人生の終わり方」
 イギリス、アメリカ、フランスの違い
 いわゆる「人類学」と呼ばれるこの学問分野は、成立の背景の違いから、国や地域によって名称が少しずつ違っています。あるいは同じ名称が国によって別の意味で使われたりしているので、紛らわしいのです。
 人類学(Anthropology)は、ギリシア語の「人間anthropos(アントロポス)」と「学logy」からなり、「人間についての研究」を意味します。イギリスでは、人類学は「自然人類学」、「先史考古学」、「社会人類学」の3つによって構成されます。
 まず「自然人類学」は、皮膚や眼の色、身体各部のサイズや骨格、指紋や血液型などの身体的特徴を比較分類しながら、系統関係や変化を考える分野です。理系的な分野だと言えるでしょう。「先史考古学」は、遺跡から出た土器やそれと一緒に発見された動物の骨や植物の種子などを調べて、先史時代の人間を再構成するものです。そして「社会人類学」は、文字通り地球上に存在する諸民族の社会や文化の研究を行う分野です。イギリスの社会人類学では、伝統的に家族、親族、婚姻や集団の問題に重点が置かれてきました。
 これがアメリカに渡ると、これらの3つの領域の他に言語学(言語人類学)が加わります。言語学は、人間の持つ言語の能力やそれぞれの言語の特徴に関する研究です。アメリカでは、イギリスで社会人類学と呼ばれている分野を「文化人類学」と呼びます。私たち日本人にとっては、この文化人類学という言い方のほうが、なじみがあるかもしれませんね。
 これに対しフランスでは、社会人類学文化人類学は一般に「民族学」と呼ばれてきました。日本語だとミンゾクガクという同じ音で「民俗学」という学問もあって紛らわしいのですが、フランス語では民族学をEthnologie、民俗学をFolkloreと呼ぶので間違いようがありません。
 人類学の起源
 民族学とは自民族以外の民族(ethnos)を研究する学問で、民俗学は自民族の言語や社会生活を調査・研究する学問です。民俗学は、日本においては河童の伝説を取り上げたことで有名な『遠野物語』の著者・柳田國男によって始められた学問として知られています。
 このように、イギリスやアメリカでは諸民族の文化だけではなく、生物学的なヒトの形質も含めて探究する学問が人類学と呼ばれてきました。隣接し合った学問どうしの総合化という意識を持っている研究者は、いわゆる文化人類学を中心にやっていても、自らを「人類学者」と名乗ることもあります。私自身も、そっちの範疇に入ると思っています。
 人類そのものや人間の文化を扱う研究領域がどの時期に、どのようにして現れたのかに関しては諸説あります。ですが15世紀以降、ヨーロッパがそれまで経験したことがなかった規模で「外の世界」と出合ったことが契機になったのは間違いありません。
 ヨーロッパで絶対主義国家が興隆し、重商主義が発展したことで、15世紀末に大航海時代が始まりました。ヨーロッパは、海の向こうの未知なる「他者」たちに出合ったのです。その意味で人類学は、その歴史の始まりからして「他者」についての学問という性格を持っていました。
 人類学の起源に関して、もうひとつ重要なこととして、ヨーロッパにおける人間の本質や人間社会の成立への関心の高まりが挙げられます。
 ルネサンス期後半(16世紀)から啓蒙主義時代(18世紀)にかけて、国家というものが存在しない自然の中に置かれたら、人間はどのように暮らしていくのかという、「自然状態」に対する関心が高まったのです。
 17世紀を生きた哲学者トマス・ホッブズは、自然状態に近い社会では、人間の本性がむき出しになり「万人の万人に対する闘争」が起きると唱えました。そして、その状態を治めるために社会契約を結んで、国家がつくられたのだと説きます。これを「社会契約説」と呼びます。この言葉を聞いたことがある読者もいるでしょう。
 一方、18世紀の政治哲学者ジャン=ジャック・ルソーは、自然状態の人間とは、自己愛と同情心以外の感情は持たない無垢な精神を持つ存在だと捉えました。
 ルソーよりも20年あまり早く生まれたのが、啓蒙思想家のシャルル・ド・モンテスキューです。1721年の『ペルシャ人の手紙』は、架空の2人のペルシャ人の旅を描いている点で、後の「民族誌」の先駆けであったとも評されることがあります。1748年の『法の精神』は、政府の形態や諸国民の気質に気候が与える影響に関して、世界中の事例を用いて考察しています。
 さらに連載記事〈日本中の職場に溢れる「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれた…人類学者だけが知っている「経済の本質」〉では、人類学の超重要ポイントを紹介しています。
 奥野克巳
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