🌈11)─1─日本文化は神話物語・崇拝宗教である。トッド理論の家族システム分析。折口信夫の『神』論。〜No.21No.22 

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 日本は、中国や朝鮮とは全然違う。
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 2022年6月2日号 週刊文春「文春図書館
 私の読書日記
 アジアの家族システム分析、折口信夫の『神』論とトッド理論
 鹿島茂
 ×月×日
 エマニュエル・トッドが『』で全面的に依拠したのがマードックの《Ethnographic Atlas》だが、果たしてこのマードック民族誌は現在の社会人類学研究にも耐えられるものなのか?
 この疑問に答えるものとして細谷昂『東アジアの農村 農村社会学に見る東北と東南』(筑摩選書 1700円+税)は最適な一冊である。なぜなら、本書は日本農村社会学の権威が他の研究者と自らの専門分野と比較しながら検討した研究書だが、トッド理論がまったく用いられていないというまさにその理由によってトッド理論の信憑性を逆に保証するかたちになっているからだ。
 というわけで、以下に、本書の分析および引用されている各国の農村の家族類型についての記述を抜き出してみよう。
 まず、トッド分類では日本と同じ父方居住直系家族である韓国との比較から、日本の家族と土地と家屋に強い結びついた農村経営体(家督)であり、《血よりも土地・家屋が大事》が第一原理である。原則的に家督は長男が継承するが、男子がいなければ婿取りもOKだし、夫婦養子も可能である。《血よりも土地・家屋が大事》だからである。これに対し、韓国の家族は《土地・家屋よりも血が大事》とする。それは、日本の『同族』と韓国の『宗族』との違いによく現れている。『家族は個人の血縁関係で結ばれるが、同族は家を単位に、その間の系譜関係である。(中略)同族団は、農業などの生産活動と生活の共同の集団であり、一般に同じ村の中で暮らす事になる。(中略)子供たちの中の誰かが何か職を得て他所に出て生活するようになれば、それは独立であって、分家ではない。だから、親戚ではあっても同族団の一員ではなくなる。これは、韓国の宗族が血縁集団であるのにたいして、日本の同族は生活共同の集団だからである。血縁はよそに出ても切れないが、生活の共同は維持できない』。韓国の宗族は『共同祖上(祖先)に対する崇祖意識と祭祀を媒介に成立する』父系の外戚制の血縁集団だから、次男、三男が、さらには女性が他出しても宗族の一員であり、居住地の遠近は問わない。ゆえに宗族は『外向的に拡大するシステム』である。『人々はどこに居住していても、自己の帰属する父系血統集団を容易に確認できるシステムが形成されている』。 
 なるほどこれで財閥と個人主義(民主主義)が同居する韓国のメンタリティは説明できる。韓国人は地に縛られるが家・村・土地といった地域共同体には縛られないのである。
 では、中国はどうか?トッド分類では中国は親夫婦と複数の息子夫婦が同居し、兄弟が平等の父方居住共同体家族である。『兄弟の多い家庭では、兄弟が結婚すると別々に居住する。しかし、食事や農作業などは共同であった』。親夫婦と複数の息子夫婦が同居するといっても、それは食事と農作業の共同を意味していたようである。では、均分相続についてはどうか?『被相続人は男子に限られ、固定資産は勿論のこと、日常の生活資材まで一切を含めた均分相続を貫徹している』。したがって、中国の分家は日本の分家とは全く違う。日本の分家は本家からその一部の家産を次男、三男に分与するのだが、中国の分家は、父親が死ぬと、男の子たちは文字通り家庭を皆で均等に分けてしまうのである。しからば、残った母親はどうするのかというと、4人息子がいるとすると『1カ月毎に順番に4人の息子の家庭で寝泊まり・食事をとり、家事の手伝いをする』。こうした扶養様式を『輪住』または『輪流管飯』という。
 東南アジアではタイ、台湾、ラオスベトナムインドネシアなどが取り上げられている。まず、トッド分類では一時的母方居住を伴う核家族となっているタイから行くと、『その主な特徴は、第一に妻方居住によって強化されるような親と娘間の婚後も続く強い絆であり、第二に、子供たち間の財産の男女均分相続であり、そして第三に夫婦別財システムである』。しかし、ラーマ4世以後に父系制が導入されて家族の『近代化』『西欧化』が進められたため、20世紀にはこの女系原理と男系原理が入り交じった状態になっているという。
 ベトナムラオスの項目ではあまり家族に光が当てられていないが、トッド分類では一時的母方居住を伴う核家族とされるインドネシアのジャワ島にかんしては家族の記述も多い。『結婚直後は、圧倒的多数(80%余り)が父方妻方のいずれかの親と住居あるいは屋敷地内に同居しており、その同居期間もかなり長い。・・・子供世帯は年と共に親世帯から独立性を強めていく』『相続は男女分割相続が一般的である』。非イスラム地区では均分、イスラム地区では男2女1のイスラム法が適用される。しかし、この均分・分割相続の伝統がインドネシアでは人類学者ギアツのいう『貧困の共有』を生む。『すべての子供に生活基盤を保障するために均分─分割相続が実施され、時には自給規模以下にまで細分化される』。 
 ふーむ。トッドの第二理論が展開する『家族システムの起源 Ⅰユーラシア』は、こと家族関係に関する限り、かなり正確にアジアを把握しているようだ。
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 トッド理論を日本の地理軸(空間軸)に応用すると、原理的には日本列島は、①最辺境が最もアルカイックな一時的双処同居の核家族、②その内側が一時的母方居住の核家族ないしは統合核家族、③中心部が父方直系家族という布置(ふち)はそのまま歴史軸に転換できる。つまり、①→②→③の順番で新しくなるのであるが、確かにこう考えると『源氏物語』に描かれた妻問婚は新しい③が古い②へと浸透していく過程と理解できる。とすると、折口信夫の『神=まれびと』論もこのコンテストで考慮できるのではないか?
 こんな夢想に駆られて取ったのが上野誠折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』(幻冬舎 1,400円+税)。
 著者によると、折口信夫は日本人の学者にしては珍しいバード・アイ(鳥の目)の持つ主で、研究対象を大きく俯瞰して、何が最も根源的な問題かを把握できる人であった。本書の問題設定は、『そんな折口にとって日本文学の研究も、芸能の研究も、神道の研究も、個別のように見えて、みんな一つだったのではないか?』というものである。すなわち、すべての問題は、客人として他界からやって来て、また帰っていく神をどのようにしてもてなしたら満足して帰ってもらえるのかという一点に帰するのであり、これがa建築(神さまにくつろいでもらえる場所)、b茶道や料理(神をもてなす宴の形式)、c語り物、神楽、能、狂言(神に楽しんでもらう舞や音楽)、d華道、絵画や彫刻、工芸(庭や絵を堪能してもらうための芸能)などの日本文化を生んだのではないかということだ。『要は、神さまへの「おもてなし」から生まれたと考えればよいのである。少なくとも、折口は、そう考えていた』。
 本書は、こうした仮説のもとに、多面体をなす折口信夫をさまざまな角度から解説しようとする試みだが、私が第一に興味をそそられたのは、折口が、『神は、どこから、どのようにやって来たか』を常に考えていたという指摘である。なぜなら、これは、接続の仕方次第では、父系原理と母系原理の接触面で生じた軋轢を人類史の事件と捉えるトッド第二理論に繋げることのできる問であるからだ。
 というよりも、折口信夫には現在のあらゆる学問や研究が接続可能なのである。本書はそれを知らしめるために『怒りを込めて振り返れ』と主張するポレミックな啓蒙書である。」
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 日本民族文化(現代日本で言われている日本文化とは違う点が多々ある)とは、数万年前の石器時代縄文時代の自然崇拝から生まれ、数千年前の弥生時代古墳時代に東南アジア、南アジア(インド{ガンジス文明・インダス文明}・チベット)、東アジア(中国{長江文明黄河文明}・朝鮮{半島文化})、満州・モンゴル・中央アジア(草原文明)、中東(ペルシャ{チグリス・ユーフラテス文明、ペルシャ文明、アラブ・イスラム教文化})、西洋(古代ローマ文明)など世界中から海を渡って渡来した全ての事物を取り込み混ぜ合わさって生まれた、宗教儀礼宮中祭祀であった。 
 日本文化の源流は、数千年前の天皇の一子相伝祭祀であり、数万年前の民族の崇拝宗教であった。
 つまり、日本文化は神話宗教である。
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折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
日本の農村 ――農村社会学に見る東西南北 (ちくま新書)
東アジアの農村 ――農村社会学に見る東北と東南 (筑摩選書)